第28話・爆殺未遂
帰郷から三日目。
その朝は騒々しく始まった。
夢のことも調べなければならなかったが、それ以上の事態が起きている。
救急車や消防車のサイレンがけたたましく鳴り響いていたのだ。
それが数分前のこと。
まどろみの中でぼんやりと聞いていたそれに、随分遅れて違和感を持ち始め、何事かと布団から飛び起きったところで、隣にあかりがいないことに気がついた。
「あかり?」
微かに温もりは残っている。
彼女も、この騒動に気がついて飛び出していったのかもしれない。
そう考えた貴史は、浴衣を正してあかりを追う。
そして旅館を出ると、それはすぐに目に付いた。
「何があったらこんなことになるんだ?」
朝日で白んだ空の下。
旅館のすぐ隣にあるあかりの実家の壁が、一部だが吹き飛んでいる。
それも、あかりの部屋があったはずの場所が、爆弾でも爆発したかのように粉砕され引き裂かれていた。今では外からでも見えるあの掛け時計は、あかりが愛用していたものだ。間違いない。
出火は軽微だったのか、消火は既に終わっており、今は警察が現場検証に入っている段階であった。いくら早朝だからといって、ぼんやりしすぎて事態に取り残されたことを知る。
突然の事態に唖然とする貴史に、横から声がかかった。
「爆破されたのよ」
既に現場検証を行っていた宮野刑事が、貴史に気づいて教えてくれる。
「今から二十分前の午前五時五十分。突然爆発したらしいわ」
「……そんなことより、あかりは大丈夫なのか?」
今は、事件の詳細よりもあかりの安否が気になった。
あまりに貴史が不安な顔をしていた為なのか、宮野は貴史の後ろを指差して微笑む。
「あんまり心配しなくても、貴史のお陰で爆発には巻き込まれずに済んだわよ」
「あかり! よかった無事だったか」
苦笑して現れたあかりに、貴史は胸を撫で下ろす。
「あんたは起きなかったみたいだけど、私は爆発音で起きちゃってね。旅館を飛び出してみたらこの有様よ。家で寝ていたら今頃……地獄にいたかもね」
冗談めかしてあかりは言うが、気が気でなかった貴史にとっては冷や汗ものだった。
何があっても俺が守る、などとあかりに囁いた翌朝にこれでは、貴史の肝っ玉も縮こまるというものだ。
「なんにせよ、あかりが無事で良かったよ。洋子さんやお義父さんは?」
「二人とも無傷よ。寝室は爆破された箇所から離れていたからね」
どうやら被害者は零らしい。
早朝だったということもあって、通りにも人はいなかったのが幸いした。
しかし、これでハッキリしたことがある。
「ご両親に害を与える気は無かったようだから、あかりさんだけを狙った犯行だったということね」
あかりだけを狙った犯行。
「犯行ってことは、事故じゃない事は確定なのか?」
「えぇ。七夕祭事件の三件目よ。今回は未遂で済んだけれど、寺さんや幾野さんを殺害した犯人と同一と考えるのが妥当でしょう」
絹の短冊をあかりが発見したのは、昨晩だった。
そして今のこの事件。一歩間違えれば、あかりも殺されていた。
そこで気になるのは、爆発が起きた原因である。
宮野は、「大まかな見当だけれど」と前置きして教えてくれた。
「使用されたのは犯人の手で加工された爆薬ね。爆発が粗悪。本来の性能が出ていればもっと被害は大きくなっていた可能性も考えられるのよ。それで……壁に貼り付けてあったそれを、無線か何かのスイッチでボカン。壁の内側へ爆風と衝撃波が向かうように、爆弾の上には蓋がしてあったわ」
簡易な指向性の爆弾が使用されたということだ。
「これまでの二件とは、また随分と毛色の違った犯行だな」
寺と幾野を殺害した凶器は、七夕祭の神器である竹製の短刀であり、爆弾ではない。
「もしかしたら、警官の見張りがいるから手法を変えてきたっていう可能性もあるわね」
「だけど、それにしては準備が良すぎる。どうして同一犯だって言えるんだ?」
爆弾なんて、一朝一夕で用意できるものではない。手作りという話もある。
寺たちを殺害した犯人の他に、あかりを狙った犯人がいる可能性もあるではないか。
そこまで考えた貴史に、宮野は首を振る。
「模倣犯のことを言っているのなら、それは弱い可能性」
「どうしてかしら?」
あかりも、貴史と一緒に首をかしげて尋ねた。
「そもそも絹の短冊の件は、私たち警察や七夕祭の関係者のごく一部しか知らないの。絹の短冊で犯行予告をされてから、爆破が起きたことも一緒に考えると、犯行予告をどこかで知った別の人物が、あかりさんを爆殺する為に爆弾を用意したということになるもの」
「……そして、そんな直ぐに爆弾なんて用意できない」
「計画的な爆弾の用意と、突発的な模倣犯では、根本的に矛盾が生じるってことね」
宮野と貴史の会話を聞いて、納得した表情で頷くあかり。
「えぇ、そういうこと。今回の事件とは全く無関係に、犯行計画を画策していた別の犯人が、偶然今日動いたって可能性もあるけれど、これは最初に言ったように弱い可能性ね」
結局、今考えられるなかで一番有力で現実的なのが同一犯という線だった。
犯人は、七夕祭の関係者であることは間違いない。
だが、貴史を含めて全員に、警察の目があるはずだ。
いつどこで、あかりの家に爆弾なんて仕掛けられたのだろうか。
「今のところ犯人は、どこくらい絞れているんだ?」
その容疑者たちが、何か怪しい動きを見せていたのなら、そこを調べればいい。
しかし、宮野の表情は芳しくない。
「容疑者は、委員長の森さんと議員の松塚さん。次点で長尾市長や天野村長ね。だけど誰も昨晩は怖いくらいに静かだったと聞くわ。七夕祭の本番に備えているって感じでね」
名前が上がっているのはこの四人。
だが宮野が次点といったように、市長や村長が犯人である可能性は低いと考えていた。
必然的に、森か松塚ということになる。だがこの二人、どちらも悪い人物ではない。
貴史としても、推理に感情論を挟むのは愚行だとはわかっているが、非情になりきれない自分自身がもどかしかった。
「他に分かったことはないのか?」
「分かったこと……というよりも、調べないといけないことが増えたわね」
宮野は、ボールペンとノートを取り出し書き込みながら、羅列する。
「まずはいつ爆弾が仕掛けられたのか……これは近所の住民に聞き込みしないといけないね。それに加えて、爆薬の入手ルートね。かなりの量だから、どこかに記録が残っているかもしれないの。容疑者の購買履歴を調べて割り出すしかないでしょう」
事件の被害が増えるごとに、手がかりも増えていく。
これなら推理へのアプローチは、多方面から可能なはずだ。
しかし決定的なピースが手元にない。漠然とした情報ばかりが集まって、思考にモザイクをかけてしまうのだ。この歯痒さが犯人の周到な計画の結果なのだから、貴史たちにとっては洒落にならない。
貴史とあかりの沈黙を「了解」と受け取ったのか、宮野は話題を変える。
「私はこれから三件の現場検証と、昨日から続けている被害者の家の捜索に向かう予定だけど、貴方たちはどうするのかしら?」
まだ朝の六時だが、刑事にとっては関係ないのだろう。
一秒でも早く真犯人を捕まえて、事件に終止符を打たなければならない。
それに、貴史もあかりも各々予定は決めていた。
「私は……家がこんなことになっちゃってるけど、七夕祭の準備会場の方を手伝う予定よ」
「今まさに命が狙われたってのに、大丈夫なのか?」
「準備会場には春香ちゃんもいるし、神主さんもいる。お祭りで屋台を出す人たちも準備に集まっているの。これだけたくさんの人がいれば、犯人も堂々と手出しできないでしょう?」
あかりは小さく微笑んで見せる。
今のあかりの状況からすれば、七夕祭の準備なんて手伝っている余裕はなくてもおかしくないのに、彼女は何よりも祭を優先するようだ。昨日といい、今日の発言といい、あかりの七夕祭にかける情熱は、生半可なものではないらしい。
「あかりの豪胆さには感心するよ」
「褒め言葉として受け取っておくわ。それで貴史はどうするの?」
貴史の素直な気持ちを、あかりはあっさり聞き流し、話の矛先を彼に向ける。
「俺は捜査の続きかな。実は気になることが出てきたんだ」
もう飛び起きる前から決めていた。
夢で見た目に見えない川の存在を、確かめなければならない。
「あら? 貴方の方も何か掴めそうなの?」
「ちょっとな。何かわかってから連絡するよ」
宮野の手を煩わせなくても、貴史一人で調べは付く内容だ。
「私のことを心配してくれるのはいいけれど、貴史も気をつけなさいよ! 事件に首突っ込んでいるんだし」
「わかってる! これ以上犯人の好きにはさせねぇよ」
貴史の肩を小突くあかりに、笑顔を作って返事をする。
すると「本当にわかっているんでしょうねぇ?」と、彼女は呆れ顔になった。
「釘を刺しておくけど、一人きりでの行動は慎むように! 何かあったらすぐに連絡することよ。いいわね?」
最後に、宮野にダメ押しされる。
「「はーい」」
貴史とあかりは仲良く返事して、その場は一時解散となった。
これからの行動のために、一旦旅館へと戻った二人を尻目に、宮野は再び現場に入る。
既に現場は封鎖されており、警察しか立ち入れない。
あかりの部屋は一階にあり、旅館と繋がる裏口からも距離が近い。
少し身を捻れば、家の裏を流れる神憑川側からも侵入することは可能だろう。
「侵入経路は旅館の裏口か、神憑川側ね。今いる正面からじゃ人目に付くし、何より入りづらいことこの上ない……」
遅くまで作業していて、ようやく仮眠が取れたと思ったらこの爆破事件。
殆ど寝ていない宮野だったが、思考に陰りはなかった。
「旅館の裏口のドアノブに、容疑者の指紋はあったかしら?」
昨日の時点で怪しいと感じた容疑者たちには、任意で指紋を採取させてもらっている。
だからだろう。その場にいた鑑識は、親指を立てて得意げに言った。
「旭家の三人と思われる指紋とは別に、松塚さんの指紋も出ましたよ」
旭夫妻の指紋は採っていなかったが、容疑者の指紋が出たなら朗報だ。
「松塚さんね。あら、結構あっさりと証拠を残しているのね」
宮野の顔に思わず笑みが宿る。
「しかし、それが内側だけなんですよ。外側には松塚さんの指紋が無かったんです」
「……それじゃあ、一旦外に出て爆弾を仕掛けたあと、そのまま戻らず川の方から出て行ったのかしら?」
そんな訳はない。彼女自身は分かっている。
それだと彼の行動を不可解に思う人間が出てくるはずなのだ。
一番自然なのは、裏口から出て爆弾を仕掛け、そのまま裏口からなに食わぬ顔で戻ってくること。計画的な犯人の事だから、そういった合理的な手段を取ると考えられるが、それすらも計画なのだろうか。
「そうねぇ、もう調べ始めているとは思うけど、神憑川側や表通り側の残った塀や壁も徹底的に調べておいてね。それで何か出てくるかも知れないから」
「そう言われると思って、全力で作業中ですよ」
「ふふ、よろしく~」
軽く手を振り、頼みごとを終えた宮野は思い切り伸びをする。
「多忙な事は進展の証! 退屈な事は迷宮入りの始まり!」
そんな事を口ずさみながら、彼女はその足で次の現場に向かった。




