第2話・再会
スーツケースを引っ張って、庭に面する縁側を通って大広間に入ると、楽しそうに笑う話し声が聞こえた。
ふすまを開けると中に居た大人たちが、貴史と春香に気づいて振り向いて大きく手を振った。
「おぉ、春香ちゃん! よう来たなあ! で、そっちは……」
部屋中に響くような元気な声を出したのは貴史の祖父でもある磐舟村の村長だった。
「はい! こんにちわ。短冊みんなの分集めてきました」
「ただいま、じいちゃん。それに……」
深く頭を下げる春香と、軽く挨拶して部屋にいる面々を見渡す。
部屋の真ん中にいるのはこっちに手を振る村長、名前は天野健治。その奥には祭りの舞台である神社の神主が座っている。並べられた長机を挟んで、いままで打ち合わせをしていたようだ。
「ありがとう春香ちゃん。……やぁ、貴史君、久しぶりだね」
春香から短冊の束を受け取った背の高い若い男性は、ニッコリとして貴史に挨拶する。その顔には見覚えがあった。
「隆太兄さん!? お久しぶりです。でもどうしてここに?」
彼の笑顔に隆史も思わず破顔する。貴史より十歳も年上の彼は、小さい頃から貴史たちの兄貴分である。
「森隆太お兄さんは、七夕祭りの実行委員長をしているんですよ。あれ? 知りませんでした?」
春香がすかさずフォローしてくれた。
「去年は準備に参加してなかったから、全然知らなかったよ。へぇ隆太兄さんの企画なら、当日が楽しみですね」
貴史やあかりや春香が幼い頃からもう大人だった森さんとは別に、一人知らない中年の男性がいた。
頭にハテナを浮かべている貴史に、春香は耳打ちで教えてくれた。
「ちょっと太ったオジサンは、寺栄一さんです。七夕祭の舞台とか企画された花火とかのレイアウトを、具体的な形にしてくれる現場担当さんですよ」
「は、初めまして……、天野貴史です」
顔を合わせるのは初めてだが、彼の胸についてる社章は村の中で見たことがある。どうやら土木建築会社の社長さん自ら準備に参加しているようだった。
寺社長は座っていた座布団ごと大きな体を貴史に向ける。
「えぇ、初めまして、話は聞いてますよ貴史さん。七夕祭一緒に盛り上げていきましょうな」
気前のいい声で差し出された寺の大きな手と握手してから、ここに来た当初の目的を思い出して、みたらし小餅を取り出して配る。
「これ、お土産なんで皆さんで食べてください」
「お待たせー」
すると、タイミングよくあかりが湧いたお茶をお盆に乗せて持ってきた。
「はいはーい、みなさんお疲れ様ー。ここらで一旦休憩にしましょうかー」
隣にあかりに似た人もいる。あかりの母親だ。彼女も煎餅などのお菓子の入ったバスケットを持って入って来た。
「あら、貴史君お帰りなさ~い。七夕祭まで、ゆっくりしていってね」
事前に帰ることを伝えていたあかりの母親こと、旭洋子は、夏祭りの打ち合わせをする村長たちを労いながら、彼女自身も座布団の上に腰を下ろして煎餅を頬張った。
そうしてあかりの言葉通り、広間でのミーティングをしていた彼らも、姿勢を崩して談笑を始めた。
貴史にとって、この広間にいる寺を除く全員が、幼い頃からの顔見知りだ。
祖父である村長の天野健治はもちろん、あかりの母の旭洋子、遊び場にしていた神社の神主。
そして恋人の旭あかりと妹分の倉治春香とは生まれた時からの付き合いで、七夕祭の実行委員長をしている森隆太は、貴史世代の子供達みんなの偉大なお兄さんだった。
小餅や煎餅をつまみながら、貴史に話しかけてきたのは村長の祖父だった。
「よぅ帰ってきたな貴史! 元気にしとったか?」
もう八十歳近い年齢の村長だが、その年を感じさせない快活な口調で貴史の肩を小突く。
「ああこの通り元気だ。じいちゃんこそ、まだまだ元気そうだな」
「そりゃそうじゃ。この村もようやく発展してきたところじゃから、ワシが倒れるわけにはいかんのじゃよ」
力こぶしを作り健常さを見せつける村長の様子を見て、貴史の隣に来たあかりも笑顔で言う。
「ねぇ貴史知ってる? 今年の七夕祭は例年よりも人が増えるからって、村長のじいちゃん凄い張り切ってるのよ」
「……みんな変わらず元気そうで何よりだ。それと七夕祭は村の大きな祭の一つだから、人が増えるってんなら張り切るのもわかるよ」
子供の頃から磐舟村に住んでいる貴史にとって、山や田んぼばかりの日常から一歩離れた祭りというものは、一大イベントであった。祭りで村が盛り上がり煌めく様は、幼い頃の貴史の目に魔法のように映った。
あかりと貴史の言葉を聞いて、満足そうに頷く村長は「ところで……」と貴史に尋ねる。
「のぉ貴史、もちろんお前も祭りの準備を手伝うために、ここに来たんじゃろうな?」
これに貴史は即答する。
「そのつもりで早く帰ってきたんだ。去年はじいちゃんのせいで、実家で勉強勉強だったから当日しか参加できなかったし、それに……」
「……磐舟村の祭りは準備から始まっている……、ですよね貴史お兄さん」
これまた貴史の隣で座ってお茶をすすっていた春香が、貴史の言葉を先取りする。
「あぁ、その通りだ。ちゃんと覚えてるぞ」
「よぉ言った。人手が多いことに越したことはないから助かるわい」
貴史の背中をたたいて豪快に村長は笑った。
孫との再会を喜ぶ村長と、祖父の勢いに元気づけられた表情の貴史を見て微笑むあかりは、湯呑に注いだお茶を貴史に差し出す。
「はい、お茶よ。貴史は昔からお祭りが大好きだもんね。……これから聞くことになるだろうけど、今年はすごいわよ」
あかりは得意げに笑いながらそう言った。
すると、今まで隣で話していた七夕祭実行委員長の森が、祭りという単語に反応したのだろうか、こちらに体を向けて訊ねてきた。
「お、なんだい貴史君? 今年の七夕祭について聞きたいのかい?」
貴史の十歳年上の森が、子供のような勢いで乗り出してくる。
それを驚きながら訪ね返す。
「隆太兄さんがそこまで言うってことは、……どれだけ派手な祭にするつもりなんですか?」
「聞いてくれてありがとう」と大きく頷いた森は、火が付いたように話しだした。
「聞いて驚いてくれ……、今年の七夕祭りは動員数がグンと増えたことを受けて、打ち上げる花火が去年の倍! これで夏の夜空が最高に彩られるのさ。……更に演出を派手にして空に浮かぶ天の川を、まるごと地上に持ってきたかのような風景を創り出し――ッ!」
「まぁまぁ、森さん。そんなに一気にまくし立てたら皆さんびっくりしてしまいますよ」
熱い口調でまくし立てていた森を、後ろで見ていた寺がなだめて続ける。
「この部屋で話を聞くだけだは分からないと思うので、七夕祭りの舞台になる神社に向かいながら、ゆっくりと話そうじゃないですか」
首にかけたタオルで汗を拭いながら提案する建設土木会社の社長の寺の言葉に、あかりと春香が同調する。
「そうね。そのほうがわかりやすいと思うわ」
「はい。貴史お兄さんも、まだ帰ってきてからあまり村を見てないでしょう?」
「俺はいいんですが、打ち合わせか何かの途中だったんじゃないんですか?」
貴史が寺の提案に困惑していると、村長が見かねて言った。
「打ち合わせは丁度ひと段落したところじゃよ。……それに、もう一度神社での設営を現地で見直さんといけんところもあるから、何の問題もなかろう」
「……そうですね。そうしましょうか。村を歩きながら祭りのことを話していると、新たな発送の手助けになるかもしれませんしね」
お茶を飲んで落ち着いた森も賛同し、一同は神社へと向かうことになった。
「ごめん貴史。そこの櫛取って」
「あー、はいよ」
これから七夕祭りの準備をするために、神社に行こうという話になったあと、あかりは「ちょっと着替えるから手伝って」と部屋に連れ込んだ。
旅館の隣にあるあかりの家の部屋に上がり、着替えということで少し期待した貴史だが、ラッキーでスケベな展開なんて無く。
「これ終わったらもう終わりだから、ちょっと待っててね」
貴史から受け取った櫛で、着替えで乱れた黒髪を梳いていく。
「……なぁあかり。俺を連れてきた意味あったか?」
彼女の生着替えが目の前で繰り広げられていたはずなのに、彼女があまりにもテキパキと着替えて支度を済ませるため、少し無念のため息をついてしまった。
クローゼットから夏用の薄手の上着を引っ張り出して羽織っていたあかりは、肩をすくめて呆れていた。
「なーに期待してんのよ、まったく。それに、着替えを手伝ってってのは建前よ。ふふっ、着替えだけなら春香ちゃんに頼んだほうが早いもん」
貴史は、あかりが最後に微笑んだことに少しだけ嫌な予感がして、おそるおそる尋ねた。
「……じゃあ本音は?」
「本音はね、七夕祭に使う荷物を運ぶのを手伝って欲しいのよ」
ニッコリと笑顔を作ったあかりは、部屋の隅に置かれていたダンボール箱を指差した。
「やっぱりそんなことだったか、何が入っているんだ?」
「大量の短冊よ。旅館に来てくれた村の外のお客さんとか、近くのお店に協力してもらって集めた村の人たちの願い事が書かれた短冊が、ぎっしり詰まってるわけ」
「なるほど……、確かにこの量は春香ちゃんに任せるのは気が引けるな」
「そういうこと。頼まれてくれるかしら?」
あかりに両手を合わせてお願いされて、しかも七夕祭りの準備関係となると、貴史も拒むに拒めない。
そもそも力仕事は進んで引き受けるつもりだったので都合がいい。
「任せてくれ、神社まで運ぶのか?」
「えぇ、短冊はあっちで竹笹に括りつけるから……その、ありがとね」
「……」
「ちょっ、なによ鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔して! 私だってお礼くらい言うわよ……まったく」
素直にお礼を言ったことに驚いた貴史に、あかりは顔を赤くして頬を膨らました。
「私の準備は終わったから、さっさと行きましょうか」
「そうだな、隆太兄さんや春香ちゃんが待ってる」
貴史は「よっこらせ」と短冊の入ったダンボール箱を持ち上げて、旅館の前で待つ一同のもとへ行く。
「お、来た来た。もう準備は終わったのかい?」
二人が駆け足で向かってくるのに気づいた森は、手を振りながら声をかけた。
「お待たせしましたー。はい、着替えただけなのでもう大丈夫です」
あかりは軽く頭を下げて、待ってくれたことに感謝する。
それで一同が貴史とあかりの到着に気づいたところで、貴史は言う。
「日が暮れる前には作業を終わらせたいしな。さっさと行こうか」