第25話・紛糾(後)
――それは、村の公民館の一室を借りて行われた小さな打ち合わせの時。
「伝統の祭なんて言うから期待して顔を出してみれば……随分と盛り上がりのない内容やなぁ」
緊張した森のプレゼンを、詰まらなそうに肩肘ついて聞いていた市長の、第一声がこれだった。このときの二人は初対面。
森が初めて村祭りの委員長を務めた年である。
「なんや、これやったら前の禿げた飯盛ジジイの方が面白い企画やったわぁ。森くん言うたか? 初めての仕事やのに気ぃ抜けてんのちゃう?」
その場には、村長や松塚や幾野も同席していた。
彼らが皆押し黙る。市長に気圧されたのではない。
むしろ逆、市長の言うことが真に的を射ていたのだ。
村に伝説が残るほどの七夕祭の企画が、世間一般の七夕祭と同程度の代物では、市長の呆れも最もである。
そしても森も失敗に気づいた。
消して意図して手を抜いたわけではない。
だがどこかで、今年の七夕祭は初めてだから多少の事は許される、という怠慢があったかもしれない。
彼は、そのことを見透かされた。
一度目のプレゼンが、失敗に終わったことを誰もが察す。
それでも村長は、森に助け舟を出そうと口を開いた。
「それなら、ワシら……」
「それならウチが、改善案を出したるわぁ」
しかし、被せるように。
その場の主導権を握っているのはあくまでも自分だと主張するように。
市長は意地の悪い笑みを浮かべて、村長の言葉を奪い去る。
「……っ、市長! それは以前にもお断りしたはずです!」
いち早く市長の意図に気がついた幾野は、語気を強めて市長に釘を刺す。
「幾野氏。以前に何を断ったのかは知らないが、委員長である森氏の意見も聞いてから再考するべきだろう」
幾野の静止に、松塚は眼鏡を押し上げながら言い聞かす。
この時、松塚が市長の続きを促していなくても、市長は傲慢に意見を通してきただろう。
回想する村長は「そうに違いない」と市長を睨んでいた。
そもそも一連の会話は、市長がこの一言をねじ込むためだけに誘導してきた様なもの。
彼女は、その場の誰にも看過できないような暴論を言ってのけたのだ。
「七夕祭の運営は、全部ウチで肩代わりしたるわぁ」
そして、凍りつく一同に続けて告げる。
「あんたらはぁ、ゆっくり祭の当日を楽しみにしとけばいいんよぉ」
笑顔で、それも底意地の悪い飛び切り歪んだ声音で、天災の名を欲しいままにする市長は言い放った。
その場の誰もが許さないと確信していても、彼女はそういう人間だった。
「君は! じぶんが何を言っているのかわかっておるのか!?」
市長の想定通り、しかし村長は言わずにはいられない。
「ワシらの村の命である祭を、横から掻っ攫うつもりか!?」
伝統と尊厳を、纏めてぶち壊す暴論。
市長に気圧され萎縮していた森も、そこまで言われて黙っているほど人が出来てはいなかった。
「それは、数ある選択肢の中でも最悪のシナリオですね」
七夕祭が開催されないことよりも悪い展開。
市長の意見を呑むというのはそういう事である。
彼女は、磐舟村を潰すつもりなのだ。
この市長の野心を、幾野は何度も否定し断っていた。
それが市長と幾野の口論の概要。
そこまで来て、比較的市長の肩を持っていた松塚も呆れた溜息をつき市長を糾弾した。
そこから会議は紛糾する。
企画書の内容は、改めて会議を設けて検討することに落ち着いたが、険悪な状況は最後まで拭えなかった。
そして一年前の七夕祭の当日まで、禍根を引きずることになる――
「話を聞けば聞くほど心象が悪くなる婆さんだな」
村長の話が終わったあと、貴史は市長を見てハッキリと言う。
「それに今の話からすると、市長も十分に殺人を犯す動機がありそうね」
宮野は冷静さを保つように目を瞑り、新たな仮説を打ち立てる。
「殺害された寺さんと幾野さん……二人は祭にとって要なんじゃなかったの?」
宮野は、森に問いかけた。そして素直に森は頷く。
二人とも、祭には欠かせない人間だ。
「その二人を殺せば、祭は中止になる。少なくとも例年通りの進行が行えなくなる可能性が高いわよね。それって、市長にとってはとても都合の良い状況なのではないかしら?」
祭の進行に不具合が生じれば、市長はあらかじめ用意していた対策か何かで、祭の運営を肩代わりすればいい。
善意で助力しているように見せかけて、確実に村の中枢に抜けない釣り針を食い込ませることが出来る。
彼女の磐舟村乗っ取り計画が、一つ進むことになる。
「ふぅん。面白い推理やなぁ。そうか、確かにそうすれば簡単に村に楔を打ち込めたかもしれへんなぁ」
だが、疑われた市長自身は、あくまで状況を楽しそうに見ているだけ。
否定も無ければ肯定もない。
むしろその手があったかと頬を緩ませる始末。
推理を披露した宮野も、そうそうに追求を諦める。
「それならウチは、真っ先にここにいるジジィと小僧を手にかけるしなぁ」
笑えない冗談だ。
これは相手にするだけ時間の無駄だと、全員が悟る。
「それに、隆太兄さんを突拍子もなく疑った時もそうだけど、あかりはどうなるんだ? 今の言い分だと、あかりの命が狙われる理由がわからない!」
貴史は、一向に好転しない彼らに煩悶としながら、最大の懸案事項を突きつけた。
どちらの動機も、あかりを手にかけるほどの理由が見当たらない。
「えぇ、まだまだパズルのピースが足りないわね」
宮野も分かってはいたのだろう。眉間に皺を寄せて考え込んだ。
「一度、現場を調べている班と情報交換する必要がありそうね」
その方がいいと、貴史も宮野に賛同する。
話を聞いているばかりでは、決定的な証拠は得られそうになかった。
そして、あかりが絹の短冊を見つけるまでの経緯や、各々の予定を手短に聞いて、宮野と貴史は天野家を後にする。
家政婦の穂谷に見送られたあと、貴史はポツリと呟いた。
「誰も彼も怪しく見えるな……」
疲労の色が垣間見える彼の溜息は、薄暗くなった空に吹き流される。
だが宮野は、それ以上の引っかかりを覚えている様子で、唸っていた。
「うーん、何か肝心なことを見逃しているような……嫌なモヤモヤがあるわね」
具体的な言葉にはならないが、刑事としての勘がそう囁いているのだろう。
村のあぜ道を市街地の方面に歩きながら、貴史も彼女の言葉について考える。
事件の発見から数時間。
得られた情報は少なくない。
今一度、考えを纏めなければならないだろう。
それにしても「今日は随分と濃い一日だな」と、彼は振り返った。




