第25話・紛糾(前)
「ふぅん。かなりお金を掛けているみたいだけれど、このくらいが普通なのかしら?」
森がポケットに突っ込んでいた企画書を、宮野はパラパラと捲りながら訊ねる。
「いえ、今年は去年よりも予算を増やしてもらっているんですよ」
「森くんの申請じゃったからな。それに、村には今新しい住人が移り住んできておるからのぉ、祭りを通して歓迎するという意味も込めておる」
森の返事に、村長も納得の顔で頷いていた。
そして、森は得意げに続ける。
「ここ数年、移住してくる村民の数は増えていますからね。人口に合わせて、短冊と笹の設置量を去年より三割増にしましたし、湖で上げる花火も五割増やし、夜店の出店店舗も数多くの協力を得ることが出来たんです。それに伴って、例年より多くのスポンサーに協力を仰ぐことになりましたが、皆さん積極的に協力してくれたんですよ」
これは、貴史が森と再開した時にも一部だが聞いていた。
あの時も、森は目を輝かせながら七夕祭を語っていたと記憶している。
「随分と気合が入っているわね。それじゃあ、幾野さんがいくつか手を加えたというのはどこかしら?」
宮野の質問。
議員の松塚から、企画書の内容を決めたのは森と幾野だと聞かされていて、幾野が殺害された原因を探るためにも、七夕祭の企画内容には関心があった。
彼女の手心が、七夕祭関係者の誰かの恨みを買っているかも知れないという推測。
「幾野さんのアドバイスを貰った箇所ですか? ここですよ」
質問の意図を測りかね少し首を捻りながらも、森は指差す。
それを宮野が確認する。
「予算の相談に、宣伝のアドバイス……それに人事を少々ねぇ……」
「怪しいと言えば、最後の人事か?」
森の指先を追いながら呟く宮野と、怪しい点をピックアップする貴史。
連続殺人の被害者と凶器から、犯人を七夕祭の関係者とあたりをつけている貴史たちにとって、幾野の行った人事は興味があった。
しかし、宮野の思惑を察した森の反応は芳しくない。
「幾野さんは村のあらゆることに詳しかったですから、優良な企業や商店の紹介をしていただいたんですよ。殺害されてしまった寺社長や、他の祭の際にも協力していただいている松塚議員は僕がお願いしました。だけど、ボランティアを幅広く募集しようと提案し実行してくれたのは彼女だったんです。でも、それで当初の人事と大きく乖離したとは僕には思えません」
森は暗に、宮野たちの推測は外れていると言っている。
「幾野さんの人事は、事件に影響を与えてはいない……か」
森の発言を、そして企画書の内容を鵜呑みにするなら、そういう結論に落ち着く。
ここにも犯人への手がかりはない。少なくとも貴史はそう思考を移した。
だが、そう単純に事は終わらない。
頭脳勝負を生業にしている大人たちと比べれば、貴史の考えなど、まだまだ未熟であった。
すぐにその事を思い知らされる。
「あの嬢ちゃんがしたって言う人事は、犯罪になんの影響も与えてへんかもしれへん。けどなぁ、あんたら視野が狭すぎとちゃうか?」
人を馬鹿にしたような高飛車な口調で、市長は冷たく言い切った。
「……」
突然放たれた老女の一声に驚き閉口する貴史。
そして、考え込むように唇にボールペンの尻を当てる宮野。
二人は同じく沈黙していたが、その意味合いは違う。
「小娘は、言いたいことがわかったみたいやなぁ?」
まるで他人の思考を読み取るような言動をする市長は、そのままクスクスと笑いながら続けた。
それに村長も森も口を挟めない。
「幾野の嬢ちゃんと、寺っていう社長……勧誘したのは七夕祭の委員長っちゅうわけかぁ。それに最初から決まっていたかのような口ぶり……随分と計画的に人を集めてるやないの」
彼女の視線は、真っ直ぐ森を貫いていた。
貴史もハッと、森を見る。
部屋の一同の視線を一身に受けた彼は、驚いたように困惑しながら反論した。
「まさか、それだけで僕が犯人だと言いたいのですか? 言っていいことと、悪いことがありますよ!」
声を荒げるのは、普段から仲が良くないためだろうか。
「わしも同感じゃな。そうやって相手を決めつけであざ笑うのは君の悪いところじゃと忠告しておこう」
唐突に疑いを掛けられた森をかばうように、村長も厳しい目つきで苦言を呈す。
疑った市長が逆に睨まれる状況に陥るが、それでも飄々としているのが市長の市長たる所以。
「決めつけやぁ言われてるけど、そう思ってるんはウチだけやないで。なぁ小娘」
「えぇ、仮定だけれど彼女の言うことにも一理あるわ」
そして沈黙していた宮野は、市長に促されるままに推理を話す。
「森さんが寺さんや幾野さんを殺害しているのなら、幾野さんが企画書に追加した項目は貴方の言うとおり事件には関係ない。変えても変えていなくても、貴方は殺害を実行する予定だったということになるものね」
「あまりに馬鹿馬鹿しいこじつけだね。珍しく僕も憤慨しそうだよ」
食い気味に、いい加減にしてくれと森は怒りを露にした。
彼が声を荒らげて起こるのを、貴史は初めて目にする。
それでもどうにか普段の口調を崩さないのは、彼の自制がしっかりと効いているためだろう。
「犯人の可能性が高くなった。それだけよ」
宮野も証拠のない推論だとは理解している。
そして推理とは、そうやって仮定をいくつも積み上げてようやく結論にたどり着ける。
これはその過程。
そして隣に座る村長も、努めてゆっくりと、腕を組んで言葉を選ぶ。
「こうしておると、一週間前や一年前を思い出す。いつの時も、長尾君は無遠慮な言葉をワシらに向かっていっておったたのぉ」
険悪な、それでいて当事者たちは日常のように向かい合う。
その異質さ。
この様なやり取りは、彼らにとって日常茶飯事なのだろうか。
客間の空気がひりつくのを肌で感じ、貴史は思わず唾を飲み込む。
気圧されながらも必死に貴史は、彼らの言葉を吟味した。
そして思い至る。一年前と言えば、これも松塚が話していた。
『一年前の七夕祭の席でも、三人の間で口論があった』
『一週間前は、幾野と市長の間でいざこざが発生していた』
村長が言っているのは、ことのことではないのだろうか。
犬猿の仲であろう二人と一人。
彼らの関係は、どの状態が普通なのか。
「一年前って、何があったんだ?」
生まれてこの方二十年。
感じたことのない重圧に押しつぶされそうになった貴史は、かろうじて声を出して話に割り込む。
重圧は感じていたが、その目に宿すのは探究心。
彼自身は気づいていないが、これが出来ただけでも、彼が改めてこの場に同席する度量を示すことになった。
その目に宿る光を見た市長は内心ほくそ笑み、気分を良くして回想する。
「一年前かぁ懐かしいなぁ。あの時は、ウチも散々に叩かれてなぁ……あぁ、叩かれた言うんは言葉でなぁ、二対一でこっぴどく苛められたんやわ」
目元を抑えて涙声になる市長。
だが、それを本当の涙と勘違いするような純粋な人間はこの部屋にいない。
彼女の茶番に早々に見切りをつけたのは宮野だった。
「身のない脚色は無しで話してちょうだい」
彼女が顔を向けたのは村長。
消去法で必然的に選ばれた形だ。
村長も、市長に話を歪曲されずに済むと溜息をついてから話す。
「一年前の諍いは、長尾君のある一言がきっかけじゃった……」
投稿を予定していた日に間に合わなかったので、第25話は前後編に分けて投稿します。
重複投稿しているカクヨムには、前後編をまとめたものを一話分として投稿する予定です。




