第13話・寺栄一
神社の本殿に隣接する畳の敷かれた大部屋に、短冊の入ったダンボール箱や括りつけの済んでいない竹笹が置かれている。それを遠目に見た春香が「あっ」と声をあげた。
それに気づいてあかりもその原因に気づく。
「あちゃー、奥に直さないで、そのまま山に登ったから忘れていたわね」
障子戸は開かれたままで、竹笹の葉は風になびいていた。
しまったという表情で、あかりは慌てて駆け寄り確かめる。
貴史や春香も後を追い、短冊の数が記憶と合致するか確認した。
「けどまぁ、取られたなんてことにはなってなさそうだな」
それが、貴史たちの結論で、三人は一応安堵する。神器を盗まれたばかりでなく、作業中の短冊まで盗まれるようなことがあれば、それこそ七夕祭の最大の目玉が潰れてしまっただろう。
彼らは胸を撫で下ろし、縁側に腰をかける。
そこに神主がやってきた。
「おや、皆さんお揃いで。神器の件、あかりくんたちの方では何か進展はありましたか?」
今朝会った時よりは、随分と落ち着いた柔和な笑みで挨拶する神主は、そう尋ねてきた。
彼が落ち着いているのは、星野巡査に知らせることで、警察に任せることが出来たという安心感が強いのだろうと、貴史は勝手に解釈する。
そしてそれは間違いではなかった。駐在所に置かれた書置きを、星田巡査はちゃんとチェックしていたのだ。
星田巡査はもう五十代、現役の駐在所勤務としてはかなり高齢ということも鑑みても、同時期に次々と舞い込んでくる事件の知らせに割いた心労は察するばかりであった。
あかりは、神主の問いかけに「一応ね」と答える。
「警察の人も神器の捜索に力を注いでいるから、きっとすぐに見つかるわよ」
彼女の励ましに、神主もホッとため息をつく。
そして「それじゃあ、頑張っていただいたお礼にお茶でも出しましょう」と、少し曲がった腰に手を当てながら奥へ戻っていった。
「すぐ、見つかってほしいですね」
その背中を見ながら、春香がポツリと呟く。
「神器なんて、どこにでも隠せそうだからな……探すのには警察も骨が折れるかもな」
貴史が同感だと首を縦に振り、それでいて現状では難しいと頭を悩ませる。
「それもそうなんですけれど、恵美先生も……寺社長を殺した犯人も……みんな早く、見つかってほしいです」
俯いてしまった春香にかける言葉を見失う。
次々と、人や物が消えていく。そんな言葉が貴史の脳裏によぎった。
願い事を星に祈って『得る』ことが七夕祭の一つの命題であるにも関わらず、現実は何かが消えていくばかりだな……と、そんな不安に襲われた。
***
短冊のくくりつけ作業は、やる気に満ち溢れた貴史たちの手によって、遅れを取り戻す勢いで進められた。
あっという間に竹笹に括りつけられていく短冊が、どんどん山積みになっていくのを見ながら、あかりも満足そうに一息つく。
「ふぅ、これってもしかして予定より早く終わるんじゃないかしら?」
神主に出された冷えたお茶を飲みながら、貴史も自分の作業に納得して笑う。
「ほんと、やる気の出した甲斐があったな」
「皆さん、いろんな願い事を書いていますから、それを飾って上げられないと怒られちゃいますもんね」
微笑む春香は、括り付けの終わった短冊からひとつ手に取って愛おしげに眺めながら呟いた。
彼女が見ている短冊を覗くと、寺栄一と名前が綴られている。彼が生前に書いた今年の願い事であった。
「事業の拡大と地域発展、商売繁盛に家内安全……か」
短冊にギリギリ納まりきるような、大きな字で羅列されている。
「寺さんって、結構欲張りだったのかしらね」
「それでこそ寺さんらしいですよ。七夕祭や村の再開発の協力にも、一番に手を上げたくらい先見の明がある人でしたから、これくらい大胆でも不思議ではありません」
春香は懐かしむかのように目を細めた。
その様子に貴史はふと疑問を投げかける。
「春香って、寺さんと仲が良かったのか? そういえば昨日も、寺さんを紹介してくれたのは春香だったしな」
「仲は良かったですよ。というより、良くしてもらっていました」
春香は昔を回想しなかが話し出した。
「私の家は、元々甘草区にあったのは覚えているでしょう? 今は新甘草区に名前が変わっていて、高速道路の建設で引っ越しをしたんです。それが今の倉治家です。
今は高速道路の通っているあの辺では以前、斜面に広く果樹園があったのは覚えていますか? 私たち倉治家はそこで蜜柑の木を栽培して、それで生計を立てていたんです。私の家の隣に住んでいた隆太兄さんの家でも、ぶどうが沢山実っていて、みんなでこっそり食べたのもいい思い出ですね。
そして知ってのとおり、斜面や麓で生活していた私たちは皆、街中に移住しています。
その時に、一番気を使ってくれたのが、寺さんでした。
高速道路を建てた国からも、しっかり補填は受け取っていたのですが、その公共事業に携わった寺さんのことですから、半ば強制的に移住させた私たちに負い目を感じていたのかもしれません。公共事業で一躍会社が儲かったということも影響しているかも……。
きちんと手当を受けて、丁寧な説明もしてもらっていましたから、寺さんの杞憂なのですけどね。それで私は、両親に会いに来る寺さんと合う機会が多くなって……私が七夕祭のボランティアをすると話してから、七夕祭を盛り上げるためのお話なんかをよく一緒にさせてもらいました。……だから寺さんは、村の再開発の第一人者として、七夕祭にも積極的に協力してくれていたのかも知れません」
春香の話を聞いてから、貴史は再び寺の書いた短冊を見る。
「全部……本当に叶えようとしていたのかもな。だから、六十代の後半にもなっているのに、あんなに精を出していたわけだ」
昨日の風景が思い出される。
丁度貴史たちのいる縁側から見える境内で、森と寺の二人は、企画書と睨めっこしながら奔走していた。
昨晩の豪雨ですっかりずぶ濡れになっているが、彼の残したものはここにある。
「なんだか、感傷的になってしまったな」
貴史はなんだか暗い空気を感じて、頭を振って場を濁す。
湿っぽい雰囲気は苦手だった。
あかりも似たような感想を浮かべたようで、苦笑いして話題を変える。
「春香ちゃんの話を聞いていると、よりいっそう寺さんが殺害されたのか分からないわね」
彼は人当たりがよく誠実だったという事は、春香の話を聞いていて感じられた。
あかりの疑問は最もだ。
「宮野刑事は、七夕祭の関係者なんじゃないかって言っていた。殺された寺さんは七夕祭の重要な人物だし、使われた凶器は七夕の神器だから、俺の見解も宮野刑事と相違ない」
おそらく七夕祭絡みの事件だろう。
しかし、そうなると問題がある。
「七夕祭の関係者が犯人って……ようするに私たちの知り合いの中に、犯人がいるって言っているようなものなのよ?」
あかりの言うとおりだ。身内に、犯人がいるかもしれない。
「でもそれはあまりにも出来すぎだ。七夕祭の関係者は何も俺たちの知り合いばかりじゃないだろう。もしかしたら委員会の職員かもしれないし、それこそ寺さんの会社の社員かもしれない」
「……ちょっと犯人候補が多すぎて頭がこんがらがりそうね」
あかりは事件の行方を思って、深い溜息をついた。




