1-6 ある冒険者たちの疲れる一日(その6)
第2部 第6話です。
宜しくお願い致します<(_ _)>
窓から注ぐ光は既に斜陽となり、シェニアの執務室を茜色に染めた。その部屋の中で一定の間隔でペンが紙上を滑る音、そして紙を捲る音が続いていた。
自分の執務机に向かって忙しなくシェニアはペンを動かし、その傍らでは眉を逆立てたミーシアがもう逃がさないとばかりに腕を組んで仁王立ちしている。そして部屋の中央に置かれた来客用のソファに座って、向かい合う形でキーリとシオンはキレイに束ねられた書類の束に読みふけっていた。
キーリは足を組み、シオンは行儀よく座り、しかし二人共脇目も振らず一心に読み続ける。やがてキーリが紙面から顔を上げて長い溜息を吐き、やや遅れてシオンも目元を揉み解して眼の疲れを労る。
二人が読み終わったのに気づいたシェニアは、しかしペンの動きを止めずに「どうかしら?」と尋ねた。
「俺は問題ないと思うぜ? シオンはどうだ?」
「はい、僕なんかがこう表現するのもどうかと思いますけど、その、分かり易く体系立てられて上手くまとめられてると思います」
「そう? なら良かったわ。これでようやくこの論文を世の中に発表できるわね」
二人の評価を聞いたところでシェニアは大きく背伸びをして固まりかけた体を解す。そのタイミングを見計らっていたのか、そっとミーシアがカップを彼女の前に並べて紅茶を注いでいく。シェニアがミーシアを見上げると「休憩していいですよ」とお許しが出る。途端にシェニアは手に持っていたペンを放り出してカップを手に取った。その様子を見ていたシオンがクスリと笑った。
「なんつーか……ミーシアって学校の先生みてぇだな」
「そう見える?」キーリが素直な感想を口にすると、ミーシアは二人の前にもカップを並べながらフフッと短く笑った。「だとしたら学校の先生は大変よね。こんな問題児を指導しないといけないんだもの」
「私も元教員なんだけど……」
「直接指導しない校長先生だったから問題児を量産しないで済みましたね。でも生徒達はあんなに成長したのに、どうして校長先生だけ成長しなかったんでしょうか? その理由について心当たりはありますか? ねぇ、元・校長先生?」
「……」
校長時代から秘書をしていたミーシアから嫌味が返ってきて、シェニアはきまずそうにカップを傾けた。
キーリ達が卒業して一年後、シェニアは自ら養成学校の校長職を辞した。理由は一つ。エルゲン伯爵に変わってやってきた新たな領主達からの介入が酷くなっていったためだ。
入学試験への貴族優遇に、授業カリキュラムへの口出し。反発すれば経営の補助金カットをちらつかせ、学内の悪い意味での貴族らしい教師連中へ口利きをしてシェニアらギルドの理念に基づいた平等な教育を目指す教師への嫌がらせも行われた。
シェニアもキーリ達が卒業した当時は、また新たな生徒の成長に期待を膨らませていた。貴族派の介入にも必死で抵抗し、生徒のためにも苦慮しながらも校長職にも留まり続けた。しかし自身の与り知らぬところで、教頭と領主が生徒の成績を操作していた事に気づいたところでついに堪忍袋の緒が切れてその場で辞任を表明。兼任していた支部長職に専念する運びとなったのだった。
「ま、まあ、シェニアさんが校長先生だったおかげで僕らも伸び伸びと勉強できましたし、シェニア先生だったから僕も魔法科に居続ける事ができたんです。だからシェニアさんには本当に感謝しています」
「シオン君……私は良い生徒を持ったわ。ほら、ミーシア。ちゃんと分かる子には私の偉大さが伝わってるのよ」
「はいはい、そうですねよかったですね」
シオンの助け舟にわざとらしく目元を拭ってミーシアにしたり顔を向けるが、今も昔も最も時間を共有しているミーシアに通じるわけもなく、適当な返事で流されるだけであった。
「しっかし、三年、いや入学前からだから四年か」キーリは読んでいた紙束を机に置きながら話題を変えた。「それでよくもまあここまで論文を仕上げられたもんだ」
「これも貴方達が全面的に協力してくれたおかげよ。一応筆頭著者は私にしてるけれど、七割方はキーリ、貴方の功績よ」
「俺は知ってることを伝えただけだからな。それに、自力でこの理論に辿り着いたのはシェニアだろ」
キーリとシオンが読んでいたのはシェニアの書き上げた、新たな魔法理論に関する論文だ。
入学試験の日に初めてシェニアが眼にしたキーリの魔法。それが既存の魔法とは似て非なる理屈に基づいている事を一目で見抜いたシェニアは、度々キーリを校長室に引きずり込みながらその理論について考え抜き、校長職を辞して約二年後に答えに辿り着いた。
あくまで概念だけではあるが、前世では一般的であった流体力学や熱力学などに近い考えをある日突然聞かされたキーリは驚嘆と感嘆を禁じえなかった。
この世界において、魔法は素質のある限られた人間が精霊の力を借りて行使するもの、という考えが一般的であり、魔法に関する全ての学問の基礎になっている。校長室に招かれる度に少しではあるがキーリがヒントを与えていたとはいえ、ほぼ独自に現代科学的な概念を発想したシェニアの柔軟性と思考力には舌を巻くしか無い。
彼女自身も自分の発想に興奮していたのか、キーリに答え合わせをせがむ彼女は何日も眠っていないらしい隈だらけの眼をギラギラさせていた。ボサボサで油っぽい髪を振り乱して、女性らしさを完全に捨て去ったような状態でキーリの腕を掴んで離さず、キーリから正解だと聞かされると、歓喜の余りその場で気絶してしまった姿はまだまだ鮮烈な記憶として残っている。
そして、数日間の眠りの後に彼女からこの理論を論文として発表したいと告げられ、その目的を聞いた時、キーリは全てを告白する決意をした。
つまりは何故キーリが独自の理論を構築することができたか、その訳を。
「誰もが魔法を使える……この世界を土台から揺るがしかねねぇ理論だな」
「そうね。少なくとも、貴族の優位性は損なわれるし五大神教からも睨まれるかもしれない。もしかしたらブリュナロク共和国や、貴方の生きていた世界のように変わっていくかもしれないわね。でもそれで人々の生活が便利になって、今みたいに人々が生まれだけで不幸になりかねない世界が変わるのなら、そうあるべきだと私は思うわ」
現役の冒険者時代から常々抱いていたシェニアの疑念。なぜ貴族や王族だけが人の上に立てるのか。実力や能力でなくただ生まれで貴賤が定められ、冒険者という一発逆転の眼は残されているにしろ、貴族と平民という差は通常ひっくり返す事はできない。そうではなく、誰もが自らの手で輝かしい未来を掴む可能性が与えられるべきだと感じていた。
シェニア自身は、別に王制や貴族制を否定しない。伝統や血筋が果たす役割の重要性は理解しているつもりであるし、彼らの中から生まれでた優秀な人間が世界をここまでの発展に導いたのも事実であるからだ。だが現状の世界を鑑みるに、腐敗が多くはびこり成長は停滞している。今となってはそうした制度のメリットをデメリットが上回ってしまっていると考えた。その世界を打破する端緒となるのであれば、例え貴族や教会に睨まれようとも新たな可能性を世界に示すべきだと、シェニアは自分の理論を世に広める決意をしたのだ。
「でもキーリさんの居た世界だと魔法は無かったんですよね? シェニアさんの理論だとこれまでの魔法をひっくり返すというよりも、使える人の裾野を広げたり威力を底上げする意味合いが強いですから、僕は完全に貴族の方の優位性や教会の正当性を否定する事にはならないと思いますけど」
「それでも平民が力を持つことを快く思わねぇ貴族が殆どだろうさ。国民の力が国としての力だと思うのは、俺の生きた世界が既に身分制度が廃れた時代だったからだろうが」
シェニアの理念を聞いたキーリは悩んだ末に彼自身の全てを教えた。そもそもが、キーリの理論を解明した段階で何処でどうやってキーリ自身がその理論を体得したのか問われるのは明白である。
口を閉ざせばシェニアは深く追求してこないという信頼はあったが、もし彼女の理論が世に広く受け入れられ、発展し、誰もが力を持つ時代になればどのような事が起きるかを想像した時にキーリの世界と似た事になる事は予想できた。ならばその、何十年後か何百年後かに起こりうる未来を少しでも回避するために、とキーリが学んできた歴史の覚えている限りを、彼自身が異なる世界からやってきた事も含めてシェニアに詳らかにしたのだった。
「ここではない、全く魔法の無い世界ね……『科学』だったかしら? キーリの話は理解できるし、色々と私達の誰も知り得ない知識を教えられて、しかも矛盾が見当たらないんだから疑いようもないけれど、未だにキチンと想像できないわ」
「ま、そりゃそうだろうな。俺だって最初にこの世界に来た時は俄に信じられなかったし、シェニアとシオンが柔軟な頭の持ち主で助かったぜ。下手すりゃ狂人扱いコース一直線だしな」
シェニアに告げたキーリは、彼らにも話しておくべきだろうとフィア達にも、ギルドの会議室を借り誰にも聞かれない様にして自分の秘密を告白した。だが異世界や科学という概念が無い彼らはピンと来なかったらしい。別にキーリの話を虚言や妄想だと決めつける事は無かったが、難しい顔をして頭をひねるばかりで反応を見る限りだと理解出来ているとは言い難い。
「よく分かんねーけど、要はキーリはこっからずっと遠い、魔の森じゃない場所の生まれってことか?」
「キーリの表情を見る限りイーシュの説明じゃ不十分なんでしょうけれども、文化も何もかもが王国や帝国とは全く違う場所で育ったという理解で宜しいのではなくて?」
上手く理解してもらえるだろうか、変な眼で見られないだろうかと危惧していたキーリだったがイーシュとアリエスの反応にハッとした。
つまりはその程度なのだ。世界が変わろうと、異なる知識を持っていようとそれでキーリ自身が変わる訳ではない。また、フィアやアリエス達との関係に変化が生じる訳でもない。生まれも育ちも環境が違っただけ。たったそれだけなのだ。それに思い至ると、気負っていた自分はバカだな、と笑いがこみ上げてきた。
突然笑いだしたキーリだったが、一同から「ああ、とうとう気が狂ったか」とでも言わんばかりに生暖かい視線を頂戴して閉口した。
その時はアリエスや意外にもカレンが理解しようと考え込んでいたが、特に元々知的探求が好きなシオンだけは熱心に思考を巡らせていた。
ちょうどシェニアも助手を探していた事もあり、キーリの話に本気で興味を抱いたらしいシオンを巻き込み、その後三人で一年掛けて作り上げた論文が今日完成を迎えたわけである。机に置いた論文を眺めながら、キーリは感慨深げにその当時の事を思い出して微笑んだ。
「どうしたの? 楽しそうだけど」
「いや、ちょっと自分の器の小ささを思い知らされた時のことを思い出しただけさ。世界が変わっても人間は変わんねぇんだなって」
「そう? ……そうね、そうかもしれないわね」
「でも、難しい話は私には良く分からないですけど、何だか聞いてるだけでワクワクするよね」ミーシアがお代りをキーリ達に注いでいく。「遠くにいる人と顔を見ながら話せて、馬車よりもずっと速く走る乗り物があって、鳥よりも遥かに高く疾く何百人も乗せて飛ぶ乗り物があって……そんな凄い便利なものがあったら、今は不便で退屈なんじゃない?」
「近いのはこの世界でもあるけれど、聞く限りずっと扱いやすくて高性能で誰でも安価で利用可能なんでしょ? つくづく科学ってのは凄いわよねぇ……」
「まーな。便利で、確かにこの世界よりも生活水準は高いかもしんねぇな」
キーリは時の流れに埋もれかけた記憶を引っ張り出す。ミーシアの言った通りスマホがあり、パソコンがあり、車や電車、飛行機があり、便利さやできる事の数は比べ物にならない。しかし、それが必ずしも優劣に結びつかないのではないだろうか、と想いにふける度に感じる。
果たして、向こうの自分は今ほど生きる事に一生懸命だっただろうか?
毎日朝起きて、食事して、勉強して、電車に揺られて。スマホでネットのニュースを眺めて、パソコンのモニターに青く照らされ、テレビから響く笑い声に関心も示さない。時間が来れば布団に横になり、頭を空っぽにして意識を暗闇に溶かしていく。そして朝が来ればまた同じ生活の繰り返し。
肉体的にただ生きる事は、普通の学生であっても難しくない。だがテレビから流れる少女の自殺のニュースの同級生の嗚咽でさえも作り物に聞こえてしまう。歩いていて、縋り付いてくるやせ細った猫の姿を見て、抱く自分の感情さえ紛い物でないかと疑ってしまう。果たして、自分は何処にどのような姿で立っているのだろうか。どうやって息を吸っているのだろうか。そんな、当たり前の事が分からなくなっていたように思う。
対称的にこの世界では、その生きるということにさえ困難が付きまとう。キーリが殺されそうになったように、特に村や小さな町に住む人達は誰もがモンスターに蹂躙され、盗賊に奪われるリスクとともに生活している。冒険者だって、金銭的に生活は楽だが一歩間違えば、足元に広がっているのは死だ。死なずとも、怪我を負って活動できなくなればスラムでいつの間にか野垂れ死ぬリスクをキーリ達も今も背負っている。誰もが笑いながらその実、生きることに必死だ。しかし同時に、生命の躍動に溢れている。
生き残るのが難しい世界と息をするのが難しい世界。優劣など無い。
「けど便利なのが純然たる善かと言えばそうとも限らねぇ。いつだってどんな場所だって、その時その場所に応じて問題なんてゴロゴロ転がっているもんだよ」
「見た目以上に長く生きてる人間は、やっぱり言う事がおっさん臭いわよね」
「うっせぇ。自分では身も心も若返ってるつもりなんだよ」茶化すシェニアに悪態を吐く。「話を戻すけどよ、科学も必ずしも皆が喜ぶような素晴らしいものっかっつーとそれもまた違うぜ?」
「そういえば、前に言ってましたね。科学の発達は人殺しの歴史だって……」
「便利な代物も、元々は戦争の道具として発展してきた側面が強い、っていうのがまあまあ一般的な見方の一つだったな」
「貴方の生まれる前にも大きな戦争があったって言ってたかしら? それにさっきミーシアが言ってたような道具が使われたって。世界中で同時に戦争なんて、正気の沙汰とは思えないわね。
ちなみに興味本位で聞くんだけど」シェニアが空になったカップをソーサーに置いて、真面目な顔で尋ねた。「世界中で戦争があったんなら相当な犠牲者が出たと思うんだけど、どのくらいだったの?」
「俺の知ってるデータだと少なく見積もって……」
キーリは左手を掲げて指を全て開いてみせた。
「五千……いや、世界中だからそれだと少ないか……」
「なら五万人、ですか……?」
シオンの答えにキーリは首を振った。ミーシアはそれを受けて、恐る恐るといった様子で口を開いた。
「まさか五十万……」
「五千万人だ」
「五千万っ……!」
想像を超えた数字に、キーリを除く誰もが絶句し言葉にならない。
「ちなみに、俺が生きてた時代だと一発の攻撃で世界を滅ぼせるような代物まであるって話だ」
「……貴方達の世界の人たちって何を望んでるのよ」
「さあ? 破滅願望でもあるのかもな」
「す、凄い世界だね……」
完全にミーシアは顔を引きつらせてしまい、脅しすぎたか、とキーリは苦笑いをすると紅茶を一気に飲み干し、ミーシアにお代わりを頼む。
「ま、この世界より圧倒的に人口が多いってのもあるけどな。でも、魔法が発展して便利になって死ぬ人間の数が減ればこの世界でも人間は増えるだろうし、モンスターを駆逐しつくしたら今度はまた人間同士の戦いになるだろうよ」
「この世界でも将来、同じようになる可能性はあるって言いたいわけね?」
キーリは熱めの紅茶で満たされたカップを傾けながら頷いた。
「この世界だって、魔の門が生まれる前までは戦争が耐えなかったんだろ? さっきも言ったけど、世界が違っても所詮人間だ。愚かさなんて変わりはしねぇさ」
「そうかもしれないわねぇ……この街もどうなることやら」
両肘を突いて手の甲に顎を乗せるとシェニアはふぅ、と疲れたような溜息を吐いた。
「おいおい、急にどうしたよ?」
「何か不安なことでもあるんですか?」
「ま、ね……領主が変わって少しずつ治安も悪くなってるみたいだし。幸いにも冒険者の皆は特段大きな問題は起こしてないから私としては助かってるけど」
「ああ……シェニアが校長辞める時に散々悪態吐いてた」
「そ。エルゲン伯爵に比べれば小者も小者だし、私腹を肥やすしか能が無い奴だけど味方を集めるのだけは上手いみたいでね。中小の貴族から賄賂を受け取って色々と見返りを与えてるらしいわ。それどころか、大きな商会も抱き込んだりしてるし悪い空気は下にも伝染していくから、警備にあたってる兵士の中にも露骨に賄賂を要求する連中がまた出てきてるのよ」
「そういや、ジェナスがこないだ愚痴ってたな」
元々真面目に仕事しているか怪しい入市審査官のジェナスだが、どうやら最近は彼よりも不良な審査官が出てきているらしい。彼自身も少々の便宜を図るのに小銭を要求することもあるが、同僚の中に露骨な賄賂を受け取って犯罪者を見逃す者も出てきたらしい。
その審査官は発覚した直後にすぐに部隊長によって職を追われたらしいが、他にも大なり小なり似たような事に手を染める者が居るとのこと。お陰で小銭の要求すらし辛くなったと悪びれずぼやくところがジェナスらしい。
「あの馬鹿領主も流石にギルドに介入する程の度胸は無いのはホント幸いね。
でも、最近は辺境伯領の方もおかしいみたいなのよね……」
「そういや、さっきのあの三馬鹿も辺境伯領から来たって言ってたっけ?」
「彼らだけじゃなくて他にも何人かここ数ヶ月で辺境伯領から流れてきてるのよ。近隣の他のギルドとも情報交換してるけど、そっちも似た状況みたい。まるで冒険者が辺境伯領から逃げ出してきてるみたい」
「辺境伯領にも迷宮は在るんだろ? そこが枯れて稼げなくなってきたから他に流れてるとかじゃねぇの?」
「それはそれで問題だけど……ま、それならそれで良いんだけどね」
もう一度憂いを多分に含んだ吐息を吐き出すとシェニアは椅子をクルリと回転させる。窓の外に眼を遣りながら物憂げに呟く。
「ユスティニアヌス陛下も、あんな変な貴族を領主に任命するような御方じゃなかったはずなのに。コーヴェル閣下もお傍に居ても見抜けないくらいよっぽどお行儀が良かったのか」
「それとも陛下の力が及ばなくなっちまってるのか、か……」
現国王の評判は、キーリが聞く限り良好だ。不正を許さず、王宮内でも実力や人柄重視で登用する人物を選び、私腹を肥やしていたのがバレて領土を剥奪された貴族も多いと聞く。実際にエルゲン伯爵が亡くなって二年ほどは国王の直轄領扱いになっていたが、キーリがこの街にやってきた直後と違って役人の不正や横暴も殆ど無くなり、新しい領主が来る前には「このまま王様が治めて頂いたら良かったのに……」などという街の人がぼやいているのも聞いたことがあった。
確かに思い返してみれば、ここ最近は街の雰囲気も多少暗くなってきているような気がする。この間も役人と街の人で諍いが起きてフィアが仲裁に入ってたな、とキーリは顎を掻きながら思い出した。
「ま、俺らにできるのは変な連中に絡まれねぇよう気をつけるくらいだな」
小さく肩を竦めてキーリは立ち上がり、紅茶を一気に流し込む。
「陛下や閣下に直接面会できるのなら話は別でしょうけどね。彼らの贈収賄にしたって証拠は無いし、しばらく静観するしかないか。あ、もし妙な役人に絡まれてる人が居たら助けてあげなさいね。私だって少なくとも木っ端役人よりは立場は強いつもりだから、少々の事なら庇ってあげられるわ」
「分かりました。困ってる人が居たら見過ごすわけにはいきませんし」
「んじゃ俺らはもうそろそろ行くぜ。俺も多少はつまみでも買って行かなきゃなんねーだろうしな」
「そうね。
よし! それじゃあ私も行きますか――」
キーリとシオンが部屋を辞するのに合わせて、自然な流れでシェニアも後に付いていこうとする。が、その首は細い腕で掴まれた。
「――何処に行こうとしてるんですか?」
「い、いや、ほら? 可愛い可愛い教え子を祝ってあげるのも立派な仕事――」
「何処に行こうとしてるんですか?」
青い顔で振り向けばイイ笑顔で微笑むミーシア。言い訳を許さぬ問い返しに、シェニアの眼が泳ぎ――観念した。
「……いえ、ここで大人しく仕事を致します」
「宜しい」
鷹揚な態度で頷いてシェニアを椅子に座らせると、花が咲いたような笑顔でミーシアは二人に手を振った。
もはやこれではどちらが上司か分からない。とはいえ、この関係も既に見慣れたものだ。キーリが隣のシオンを見下ろしても、彼もまた二人の関係にニコニコしているばかりで助け舟を出す気はないようだ。
「それじゃ俺らは楽しんでくっから。シェニアはさっさと仕事終わらせてミーシアを解放してやれよ」
「うう、おにーっ!」
「鬼人族に鬼って当たり前だしなぁ」
「待ってなさいっ! 絶対仕事終わらせて邪魔しに行ってやるんだからーっ!!」
「期待せずに待ってますね」
シオンにまで冷たくあしらわれてぐぬぬと呻きつつ、ミーシアの準備した書類の束をひったくって猛スピードで眼を通し始める。だがキーリ達が外に出て扉が閉じる直前に聞いたのは――
「それじゃ溜まった書類を取ってきますから今日中に処理してくださいね?」
――結局、シェニアがパーティにやってくることは無かった。
いつもお読み頂きまして誠にありがとうございました<(_ _)>
しばしお待ち下さい。




