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閑話 彼女は何を思うか

 第84話です。

 宜しくお願い致します。


<<主要登場人物>>

 キーリ:本作主人公。幼い頃に故郷を「英雄」達に滅ぼされ、冒険者として成り上がり、英雄たちに復讐を望んでいる。最近は仲間と一緒に成長することを望み始めた。

 ユキ:キーリと共にスフォンへやってきた自由気ままな少女。幼い容姿ながら不思議な魅力をまとい、街中の男女を問わず体を重ねている。

 ゲリー:エルゲン伯爵家三男で自尊心が高く傲慢。その性格をティスラに利用されて廃人となった。

 ティスラ:ゲリーの友人である長耳族の生徒。意図的にゲリーの歪んだ性格を作り出した。






 スフォンの街から徒歩で数時間程度の距離の山道をティスラはのんびりと歩いていた。

 肩には意識を失ったゲリーを担ぎ、機嫌良さそうに鼻歌を歌っている。つい先程までずっと街から走ってきたのだが健脚は疲れを知らない。軽やかな足取りで空を見上げた。

 前日はひどく寒くて雪が舞っていたが本日は晴れ間が覗いている。快晴とまではいかないまでも寒さはかなり緩和されていた。

 生まれた時から南方出身のティスラは寒いのが苦手だった。スフォンは北の方に位置するが、然程寒い土地柄では無く過ごしやすい。それでもできることならば長居はしたくない土地だった。フランとは時々入れ替わっていたとはいっても、そんな場所で何年も過ごさなければならなかったのが宮仕えの辛いところだ。

 だがそんな日々も今日でお終い。ゲリーを連れて戻って、そうしたらしばらく休みを貰って暖かい場所で過ごそう。長いこと嫌いな場所に居続けたんだ。それくらいは認めてもらってもいいはずだ。

 そう決めたティスラ――エレンの心は晴れやかだった。少しずつ晴れていく空も、雲間を風に乗って旋回するように舞う鳥も、まるでエレンのそんな考えを肯定してくれている様に思える。ゲリーの重さなど感じないようにますます足取りは軽くなっていった。


「あら? ずいぶんと機嫌良さそうだけど、どこに行くの?」


 だが不意に正面から声を掛けられてエレンの足が止まる。そして顔が途端に不機嫌そうに歪んだ。


「誰だい、君?」


 すっと眼が細められ、エレンは行く手に立ちはだかった少女を睨んだ。

 少女――ユキは黒い外套の裾から白い腕を出すと人差し指の先を頬に当て、小首を傾げて(しな)を作ってみせた。


「えー、忘れちゃったのぉ?」

「お生憎様。僕は興味ない人間のことはすぐに忘れちゃう性質なんだ」

「酷い子ねぇ。私を殺そうとした程度の仲なのに忘れちゃうなんて」


 ぷぅ、とユキは頬を膨らませてみせながら自分の首にナイフを刺す仕草をした。見た目相応に子供っぽい仕草だが同時に、上品で妖艶な雰囲気も醸していてひどくアンバランスな魅力を振りまいている。大人の女性と少女のあどけなさを同時に体現するという矛盾。エレンは一瞬だけ魅了されそうになり、すぐに正気に戻る。だがエレンは、自分が魅了されかけたという事実に驚き警戒度を上げた。


「……ああ、思い出したよ。そういえば前の探索試験の時にも居たっけ。

 おかしいなぁ、キチンと殺してあげたと思うんだけど」

「殺そうとした相手の生死も確認しないなんて、とんだ三流の暗殺者ね」

「残念だけど僕は暗殺が本業じゃないから」


 そう返すエレンの機嫌は更に下降した。今まで殺しを失敗したことなどなく失態と言えばそうだが、それを指摘されるのは我慢ならなかった。

 ユキの事もエレンは調べている。魔法科所属だが魔法だけでなく体術など全般に対して非常に優秀だ。反面、朝から晩まで頭の中は男女問わず性交で快楽を得ることだけで満たされている、正真正銘の売女(ビッチ)。そんなお花畑な思考で生きている女に自分の至らなさを指摘されるのは、これまで一心に教会に身を捧げてきたエレンの人生を否定するかのような衝撃を与え、我慢ならなかった。

 殺意が湧き出る。そしてそんなエレンの思考を読んだようにユキはクスクスと笑い声をあげた。


「良いわ、良いわよ。そういう感情、私は大好物よ」

「……何だよ、お前?」

「でも今日の目当ては君じゃないんだよねー」エレンの気味の悪そうに訝しがる声を無視して、ユキはエレンの肩に担がれているゲリーを指差した。「今日の私の目的はそっち。ちょっと貸してもらえないかな?」

「……僕の機嫌が良かったら貸してあげても良かったんだけどね、残念だけど君なんかには貸してなんてやれないなぁ」

「あ、そういう事言うんだ? ふーん、そっか」


 エレンが不機嫌そうに鼻を鳴らして断る。ゲリーは大事な成果物(・・・)だ。得体の知れない女に渡すわけにはいかないし、そもそも感情的にもこんな女なんかに協力してやる気にもならない。


(……殺しちゃおっかな?)


 それが一番楽な方法ではないだろうか。会話するのにも面倒になったエレンはそんな剣呑な思考を巡らせる。

 不機嫌さを笑顔で上書きしながらエレンは滑らかな動作でナイフを隠し持った。対するユキは、そんなエレンの動きに気づいていないのだろう。人差し指で頬を撫で、艶っぽい笑みを浮かべて見ているだけだ。所詮はそこそこに優秀なだけの学生だ。たいした相手ではない。

 殺してしまえば本来なら面倒な死体の処理をするべきだろうが、こんな女には一度たりとも触れたくない。幸いにしてここは山の中。適当な場所に放っておけば、その内モンスターが血の臭いに惹かれてやってきて勝手に処分してくれるだろう。

 エレンは慣れた様子で気配を消し、動き出した。冒険者で言えばAランク相当の実力者である。例えゲリーという荷物を文字通り抱えていても、ただの女を気づかせずに殺すくらいは訳無い。

 相手がただの相手ならば。


「……っ!?」


 気づけばエレンの体は大きく弾き飛ばされていた。一瞬視界が衝撃で白く染まる。背中で地面を削り、その痛みで飛んだ意識を取り戻すとすぐに手を突いて体勢を立て直す。


「痛いなぁ……」


 ヘラヘラと笑いながら、眼だけはユキを睨みつける。

 だがエレンの中で戦慄が走っていた。

 何をされたのか、全く分からなかった。目視することも、肌で感じることもできなかった。ただ鈍く疼く腹の痛みから、攻撃されたのだということだけが分かった。


(単なる色情狂じゃない……!)


 本気を出すべき相手だとエレンはようやく気づいた。そして同時に、肩に担いでいたはずのゲリーの姿が無いことにも気づき、彼女は眼を見開いた。


「勘違いしちゃダメだよ? 私は君にお願いしてるんじゃないの」


 いつの間にかゲリーはユキの腕に抱かれていた。背の下に右腕を通し、ダラリと力なく頭を垂れている。その顔をユキは、舌なめずりしながら見下ろした。


「前の太ってる時は気持ち悪かったけど、痩せると結構いい男だよね。うん、これくらいなら全然私の許容範囲かな?」


 ユキはそう言って――意識のないゲリーに口づけをした。

 肌の白さとは対照的な真っ赤な舌がゲリーの唇を割り、口腔を蹂躙していく。血色の良い唇が重なり、艶めかしいキスの音がエレンの耳を打った。

 それを目撃した途端、エレンの中で感情が急速に膨れ上がっていった。

 不快、怒り、嫌悪……制御するのが困難な程に狂おしい程に感情は膨張し、エレンの心を締め上げていく。破裂しそうな苦しい感情。それが意味するものを彼女は理解できない。だがこれまでに感じたことのない程に強烈なものだった。

 その感情に抗う術をエレンは知らない。ただ突き動かされるままに彼女の声は憎悪に塗れていた。


「お前ェェェェェェッッッ!」

「あらあら」ゲリーから口を離したユキがいたずらっぽく笑った。「そんなにこの子が大事だった?」


 悪びれずに、ユキはもう一度ゲリーに口づけようとする。それを見たエレンは激しい怒りを漲らせて、憤怒の形相でユキの顔面めがけてナイフを突き立てようとする。

 だがユキの姿が、ナイフが突き刺さる瞬間に消え去る。空を斬るナイフ。それと同時に背後に回ったユキから足を払われてエレンは無様に地面を転がっていく。


「もう、そんなに怒らないでよ。冗談よ、冗談。ほら、返すから、ね?」


 叱られて驚いた子供みたいにユキは首を竦め、エレンにゲリーを投げ返す。

 エレンは、もう何時ぶりか分からない土の味をする唾を吐き出してゲリーを受け止めた。腕の中にゲリーの重さを感じ、その顔を見下ろすと途端にエレンの中の荒れ狂っていた感情が鎮まる。代わりに疑問が湧き上がる。何故、先程はあんなにも不快だったのだろう、と。エレンはユキを睨みながらも内心で首を傾げざるを得なかった。


「あーあ、その子だったら色々知ってると思ったのになぁ。結局重要な事は何も知らないんだもん。ざーんねん」

「お前……何なんだよ……」


 怒りが鎮まると、今度は別の感情が湧き上がってくる。

 Aランクに相当する実力を持っているとエレンは自負している。そんな自分が手も足も出ない。

 目の前の女は何だ? 男を漁るだけの浅ましい女ではなかったのか? 単なる学生ではなかったのか?

 自分が正体を探りきれていなかったという事実。こうして戦ってみても底の見えない実力。そうした事象一つ一つを追いかけていくと、エレンの奥底で小さな感情が芽生えた。それと同時にエレンの瞳がユキの瞳と交わった。背筋が凍る心地がした。

 見下されている。エレンはそれに気づく。だがそのことに怒りが湧くことは無い。何故ならば、存在が違い過ぎることに気づいてしまったから。

 ユキの瞳はエレンを映しているようで何も映していない。ただ暗く。ただ昏く。全てを吸い込み、飲み込んでいく程に彼女の瞳はひたすらに濁りきり、黒かった。

 ゾクリ、とエレンの背筋に怖気が走り、知らずエレンは何の反応も示さないゲリーの体を強く抱きしめていた。


「あ、でもそっか。そうだよね」


 ポン、とユキは手を打ち付けた。そしてエレンの方を見ると破顔してみせた。


「その子を連れて行こうとしてるんなら――君ならきっと私の知りたいことも知ってるかも」


 次の瞬間、エレンの手から光神魔法が放たれた。

 眩い光の柱がユキの全身を照らしていく。雷よりも尚速い閃光がユキを焼き殺そうと迫る。

 だがユキに触れたその途端に光は全てユキの体へと吸い込まれていき、立ち込める砂埃が晴れると、何事も無かった様に立ったままのユキの姿が顕わになった。


「……あれぇ?」


 そしてユキの前には誰も居なかった。エレンとゲリーの姿は何処にもなく、魔法が通過したせいで抉り取られた地面だけが残されていた。


「逃げられちゃったか……」


 残念そうに口を尖らせて呟く。だがすぐに「ま、いっか」と大きく背伸びをした。


「どうせ行きそうな場所は何となく分かったし、焦らなくてもいいしね?」


 もう何年かはこの街に居てもいいかな、と独り言を口にし、そして次の瞬間にはユキの姿もまた何処かに掻き消えた。

 木の葉が囁く音だけが風に流れて消えた。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





ワグナード教皇国

皇都・ロンバルディウム




 五大神教の中心地であるロンバルディウム。都市としての面積は各国の首都の中で最も小さいが、その街中は各国から訪れた人々で常に賑わっている。

 多くは礼拝の為。日々を安らかに過ごせている感謝を神に伝えるために近隣から、はたまた幾つも国を跨いで遠路遥々とやってくる。敬虔な彼ら彼女らは道中の苦難を苦とも思わない。主がお守り下さっている、と信じて疑わず、日々の生活の糧を得られているのも主の御慈悲のお陰であると心から信じている。そのための感謝を厭うはずもなく、それぞれの身分に応じて徒歩や馬車でやってくる。

 そしてそんな彼らを相手にするため、ロンバルディウムには商人たちも多く集まっていた。皇都で店を構える事ができる人間は限られているために殆どは行商を生業としているものだが、皇都にさえやってくれば利益は少ないものの損はせず、年中行商人達がひしめき合っていた。

 年中熱気があるその皇都で最も大きな建造物。街のどの場所からでも確認できる程に巨大で厳か。街の中心の広間では多くの信者たちが祈りを捧げていて、彼らを取り囲むように質素な、しかしよく目を凝らせば細かな装飾が施された回廊が伸びている。

 回廊は神の腕とされている。彼らは神の腕に抱かれながら黙して顔を伏せ、一心に祈る。一頻り祈って平穏を感じ、神の息吹を身に浴びれば速やかにその場から去り、また別の信者が座して祈りを捧げ始める。

 安らかな熱気が渦巻く、そんな広場の遥か地下。

 高い天井を支えるのは太く真っ直ぐ伸びる大理石の柱。窓さえなく光は当然届かないが、柱に施された魔法陣から湧き上がる魔法の光が地上の様に廊下を照らしていた。

 エレンはそんな廊下を歩いていた。

 背後には白く輝く鎧を纏った兵士が二人。いずれもただ前だけを見て、エレンに付き従うようにして歩いている。

 兵士たちに挟まれ、ゲリーは両腕を抱えて引きずられていた。眼は虚ろで何も映していない。口は半開きで、時折聞き取れない程に小さな声で何かを喋っている。エレンの耳には音だけが響き、それに気づかないふりをした。

 やがてエレンは巨大な扉の前に到着した。


「エレン様。お帰りなさいませ」

「うん、ただいま。教皇様は居る?」


 扉の前で控えていた、禿頭の侍従長がエレンに柔らかい物腰で声を掛ける。エレンは気安い口調で尋ね、侍従長は孫を見るような眼差しを向けながら頷いた。

 侍従長が扉の両端に控えていたメイドに目配せする。無表情な、瓜二つのメイド二人は扉の取っ手に手を掛け、重々しい豪奢な装飾が施された扉を開いていく。エレンは「ありがと」と手をひらひらと振って扉の中へと進んでいった。

 扉の中は広大な空間が広がっていた。天井は遥か高く、光が届かないため暗闇が広がっている。

 扉から真っ直ぐに赤い絨毯が伸びている。その両脇に光源が並べられているが、部屋を照らす光はそこだけのため部屋の両端に何が鎮座しているのか、目視で確認は難しい。

 エレンは床の光に導かれるように前に進んだ。その先に在るのは玉座だ。数段の階段の上に玉座はあり、足元の光でそこに居るべき人物が確かに居る事は確認できるが、暗がりのため顔まではハッキリ見えない。

 玉座に座る人物――すなわち、教皇は近づいてきたエレンに声を掛けた。


「ああ、エレン。お帰り。無事に役目を果たしてくれたようだね」


 声質は二十代後半から三十代くらいの男性か。聞きようによっては声の低い女性の様にも聞きとれる。若い声質だが、五十代とも六十代とも取れる、不思議な声色だ。

 教皇が声を掛けるとゲリーを連れていた兵士二人が膝を突いて頭を垂れる。だがエレンは立ったまま平素と変わらない様子で「ただいま」と応えた。


「うん、ちゃんと『神威』持ちを連れてきたよ。もちろん丁寧に壊して(・・・)

「そうかそうか。ご苦労様。エレンのお陰で私も助かるよ」


 教皇は手にしていた赤ワインの入ったグラスを台の上に置くと、「その少年を前に」と告げた。兵士二人は立ち上がり、顔を伏せたままゲリーを教皇の手の届く場所まで連れて行った。

 ゲリーの髪を兵士の一人が掴んで顔を上げさせ、焦点の合わない瞳に教皇の姿が映った。


「さて、それでは失礼するよ」


 教皇に掛けられた言葉にもゲリーは反応を示さない。そんなゲリーを見て、エレンは教皇が小さく笑みを零したのが分かった。

 教皇はゲリーの頭に手を静かに置いた。白いゆったりとした袖から伸びる若々しい手が、まるで息子、或いは孫を褒めるように前後に動いて撫でる。


「あ…が、あぁっ……!」


 撫でられたゲリーが明確な反応を示した。教皇は愛おしそうに髪を撫でているだけだが、ゲリーが発したのは苦痛の声だ。

 零れ落ちてしまいそうな程に眼が見開かれ、涙が溢れ流れる。透明なそれが次第に血涙へと変わり、赤い筋を二本頬に刻んだ。小刻みに揺れる様は苦痛から逃れようとしているのか。一際大きくゲリーの頭が仰け反り、しかし押さえつける兵士たちによって元の位置に戻される。


「すまないね。私にはこれが必要なのだよ」


 謝罪を口にし、しかし頭から手を離さない。言葉とは裏腹に声色に申し訳無さはなく、気遣うふりをした言葉が暗闇に虚しく溶けていく。

 ゲリーの体が微かに光った。光は吸い込まれる様に教皇の腕の方へと流れていき、白い衣服から覗いた腕が脈打った。血管が大きく腕に浮き出て、更にその上から真っ赤な線が網目状に走る。何度か赤い光が明滅を繰り返し、やがて教皇の全身が一度禍々しく紅く光を発するとゲリーから手を離す。

 グラリと力を失い、ゲリーの体は後ろに大きく傾く。だが兵士たちは、今度はそれを支える事はなく、ゲリーは倒れるがままに階段を転がり落ちていった。

 どこまでも続いているような闇の中に音が吸い込まれていく。その暗闇の奥深くにある天井。ゲリーは光を宿さない虚ろな視線をそこに向けたまま動かない。足元に転がったゲリーのその姿を、エレンは見下ろした。その顔からは表情が抜け落ちていた。


「ふむ……」感覚を確かめているのか、教皇は触れていた左腕で曲げ伸ばしを何度か繰り返し掌を握ったり閉じたりした。「この少年のものだとこのくらいか」

「少ない?」

「思ったよりも、ね。だがこれまでに比べたらそれなりに力も戻ったようだ。

 エレン、こっちにおいで」


 手招きされ、素直にエレンは教皇へと近づいていく。彼の前に立ち、言われるがままに少し屈むとその頭に手が乗せられた。


「ありがとう、エレン。君らのお陰で私の願いが成就する日も近づいてきている。感謝するよ」

「ううん、僕らは教皇様の事が好きだから」


 頭を撫でられながらエレンがそう言うと、教皇は微笑んだ。顔は見えないがエレンはそう思った。


「フランは?」

「さてねぇ……あの子は自由な子だからね。新たな神威持ちを探してくれているはずだけど、連絡も滅多にしてこないから。はてさて、何処にいるのやら」

「そう」


 苦笑交じりだが、そうしたフランの気ままな行動も教皇にとっては楽しみの一つらしい。

 エレンは一歩下がって教皇の手から離れると、そのまま背を向けて階段を降りていく。


「おや、何か気に障ったかな?」

「別にそんなんじゃないよ。それよりも」エレンは死人の様に動かないゲリーを指差した。「これ、もういらないよね? 貰ってもいい?」

「ああ、別に構わないよ。もう用は終わったからね。エレンの好きにするといい。気に入ったのかい?」

「うーん、かもしれない」

「珍しいね。エレンが興味を示すなんて」驚きが声に乗った。「気が済むまでエレンの自由にしていいよ。ただし人目には付かないように気をつけるんだよ」

「分かってる。そんなに僕も間抜けじゃないよ」

「それは失礼した」


 何処かそっけないエレンの態度に教皇は苦笑し、だが咎める事はしない。

 エレンはゲリーを肩に担いで部屋を出て行き、二人の姿が見えなくなると侍従長が入ってきて教皇の前で跪いた。


「さて、あの少年の周辺の後始末はどうかな?」

「全て滞りなく済ませております。スフォンには近々別の領主が派遣されるでしょう」

「そうか。骨を折ってくれた者たちを十分労ってやっておくれ」

「御意に」


 侍従長が恭しく頭を垂れ、部屋を辞す。重厚な扉が音を立てて閉ざされ、微かな光だけの部屋に静寂が訪れた。

 広大な部屋の中で一人になった教皇は台上のワインを一口含み、グラスの中の赤ワインを見つめた。


「……悪意に満ち溢れた世界。いつの日か、君のような存在が不要となるといいね」


 寂しそうな呟きを一人投げかけ、口から零れ落ちた想いをワインと一緒に飲み干した。

 その想いを聞く者は誰一人そこには居なかった。






 2017/6/25 改稿


 お読みいただきありがとうございます。

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