17-15 彼と彼女は迷宮で踊る(その15)
第82話です。
宜しくお願い致します。
<<主要登場人物>>
キーリ:本作主人公。体を巡る魔力は有り余っている反面、各要素魔法との相性が壊滅的に悪い。教会の聖女を始め、英雄たちに復讐するために冒険者としての栄達を望んでいる。
フィア:赤髪の少女でキーリ達のパーティのリーダー格。自分が考える「正義の味方」を追い求めている。可愛い少年を見ると鼻から情熱を撒き散らす悪癖がある。
シオン:魔法科の生徒で、キーリ達のパーティメンバー。攻撃魔法と運動が苦手だが最近成長が著しい。実家は食堂で、よくキーリ達もお世話になっている。
レイス:フィアに付き従うメイドさん。時々毒を吐く。お嬢様ラヴ。
ユキ:キーリと共にスフォンへやってきた少女。暇さえあれば男をひっかけているビッチ。
アリエス、カレン、イーシュ:キーリとフィアのクラスメート。いずれも中々の個性派揃い。
シン、ギース:探索試験でのアリエスのパーティメンバー。二人はマブダチ。(シン→ギースの一方通行)。
フェル:キーリ達のクラスメイト。実家は地方貴族だが反対を押し切って冒険者を志している。
オットマー:キーリ達の担任教師。筋肉ムキムキで良く服をパーン!させている。
クルエ:キーリ達の副担任教師。魔法薬が専門だが味覚は壊滅している。
「はあああああぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
フィアは自らを鼓舞しながらレッドドラゴンへと向かった。
灼熱をまとった剣が空気を歪ませ、低い姿勢で地面を蹴る。一蹴りでドラゴンとの距離を詰めていく。だが普段から彼女の様子を見ることの多いキーリには、その足取りから濃い疲労が蓄積していることがよく分かった。
フィアの接近に合わせてドラゴンは長い尾をフィアに向かって振り抜く。鈍重そうな体躯からは想像もできない素早い反応だ。フィアの体よりも太いそれが掠りでもすれば、それだけで瞬く間に宙に打ち上げられて致命傷になりかねない。
しかしフィアが臆する事は無い。冷静に軌道を見極め、跳躍。足元を暴風と共に尾が通り過ぎ、そのままドラゴンの首元目掛けて剣を振り下ろした。
「ぐっ……!!」
だが燃え盛る剣は首には届かない。剣と爪がぶつかりあって金属音が鳴り響いた。火炎をまとったフィアの剣は容易くドラゴンの、体長に比して小ぶりな手のひらで受け止められた。火炎の熱も物ともせず、痛痒さえ感じた様子はない。
「く、おおおおぉぉぉぉぉっ!」
剣と爪が交差して一拍遅れてフィアは剣に注ぎ込む魔力を一段と上げた。それに伴い剣の纏う火炎の温度が更に上昇する。一層明るい光を発し、剣の表面が溶け始める程の高温。それでもドラゴンにダメージを与えた様子は無い。そもそもレッドドラゴンもまた火炎を、それも人間であるフィアより強力で高温の火炎を扱う種族である。フィアとの相性は最悪と言えた。
だがそれもフィアとて百も承知。彼女の役割はあくまでドラゴンの気を引くことに過ぎない。
彼女の視界の端でキーリが跳躍する姿が見えた。
「……っ!」
高く跳び上がったキーリがドラゴンの頭目掛けて背後から襲いかかる。気づいてくれるな、と声を押し殺して心中で叫び、ナイフを持たない左手を空にかざす。
そして時を同じくしてキーリの影から闇が湧き出ていく。定まった形を持たないそれが立ち昇り、ドラゴンの視界を覆い隠す。光を完全に奪い去り、今のドラゴンでは間違いなくキーリの姿を確認できないはずだ。
後、数秒。キーリが一撃を与えるまでたったそれだけの時間。だがフィアの眼には、そんな二人の浅はかな考えなどお見通しとばかりにドラゴンが小さく口を開ける姿が見えた。
「――っ!?」
剣を受け止めていたドラゴンの手のひらの向きが変わる。剣は爪で絡み取られ、握ったままのフィアの体もまた真横に回転した。
直後、フィアの視界が高速で揺れた。全ての景色が線のように横に流れ、猛烈な加速度で内臓が押しつぶされる感覚を覚えた。
投げ出されたフィアの体の行き着く先は、背後から迫っていたキーリ。視界を奪われているにもかかわらず、ドラゴンが弾き飛ばしたフィアは正確にキーリへと叩きつけられた。
「っ……!」
即座にキーリは攻撃を中断してフィアの体を受け止める。だが勢いまでは殺せず、圧迫された肺が呼吸を止め、骨が軋む。キーリは堪らずその苦痛に掠れた悲鳴を上げた。
「が、はっ……!」
「フィアさん! キーリ君!」
二人揃って壁に叩きつけられ、崩れ落ちる。衝撃に意識が一瞬持って行かれそうになり、だがクルエとシオンの叫ぶ声に意識を持ち直す。ハッとして顔を上げるとドラゴンが二人を見下ろしていた。低く唸り、前足とも言うべき腕が顔を洗うと目元を覆っていた影が簡単に払い飛ばされ、霧のように消えていった。そして奥からは金色の瞳。しかしレッドドラゴンが追撃を加えようとする気配はない。
「舐めやがって……」
口元を流れる血を拭いながらキーリは立ち上がり、フィアの手を取って立たせる。そうして並んでフィアは剣を構え、キーリもナイフを片手ににらみ、二人共奥歯で悔しさを噛み締めた。
こうしてドラゴンにあしらわれるのは何度目だろうか。二人で強大な目の前の敵に立ち向かい、その度に今みたいに蹴散らされ、叩きつけられ、殴られる。しかしドラゴンは致命的なダメージを与えようとせず、今みたいに一撃を加えた後に止めの攻撃をしようとはしなかった。
ドラゴンにとって、今や二人はおもちゃなのだろう。狭苦しく暗い場所での慰みになると思っているのだろうか。それとも倒れても倒れても起き上がり立ち向かってくる二人の姿が単純に面白いのだろうか。ドラゴンの気持ちなどキーリは分からないし分かりたくもない。明らかなのは、今、二人はドラゴンに生殺与奪を委ねてしまってるということだ。
二人のダメージは決して小さくない。特にフィアの体は限界に近い。至る所から血が流れ、土に汚れ、胸当ては変形し、手甲もすでに役割を果たしていない。全身が土と埃と血に塗れ、傷だらけの彼女。その姿にキーリは臍を噛む思いだが、これが現実だ。
それでも彼女の瞳からは光は消えていない。肩で息をしながらも血に染まった瞼の奥では好機をずっと待っている。だからキーリも、彼女の意思を挫くような優しい言葉は投げかけない。口の中に溜まった、血が多分に混じった唾を吐き出して彼女の隣でナイフをもう一度ドラゴンに向けた。
「駄目です……このままでは……!」
ドラゴンに見向きもされずにいたクルエが我慢できず腰を上げた。有効な攻撃は出来ずとも、満足に動けずともせめて囮にだけでも。その思いを胸に立ち上がり、しかし途中でその動きも止まる。
ドラゴンの向こうからフィアとキーリが睨んでいた。真剣な眼差しが訴えていた。決してそこを動くな、と。
クルエは苦悩する。拳を握りしめ、肩を震わせる。しかし唇を噛み締めて眼を強く瞑ると再びシオンに寄り添う事を選んだ。その姿を見たキーリ達は小さく笑ってみせた。
「しかし参ったな……」
「ああ……ここまで何も出来ないとはな」
八方塞がり。その言葉が二人の心中を占めていた。
的がでかいために攻撃が当たらないということは無いが、何をしてもダメージがまともに通らない。フィアの剣戟は堅い鱗で防がれ、クルエの魔法とキーリの魔力を注ぎ込んだキーリの攻撃は最初の一撃こそ軽くダメージが通ったものの、その後はまともに接近さえできない。死角から迫ろうとも、背中に眼が付いているのかと思うくらいの反応の良さで対応され、影を使って気を逸らそうにも既に順応されてしまい足止めにすらならない。
「……お前のとっておきはまだ出していないんだな?」
「まあな。あと少しなんだけどなぁ」キーリはぼやきながら頭を掻いた。「しかし、やっぱこいつ強ぇわ。ちっとも近づけねぇし、間合いに届く前に気づかれちまう。まったく、ここまで近づくのを拒絶されるとドラゴン相手とはいえ傷つくぜ」
「お前の目つきの悪さはドラゴンにとっても苦手と言うことだな」
「……やべぇ、ちょっと泣けてきた」
万物が恐れるドラゴンにも恐れられる目つき。冗談だと分かっていても涙がちょちょ切れそうだ。良い目つきじゃない事は自覚しているが、そこまででは無いと思うんだがなぁ、とキーリは涙を拭うふりをした。しかしそこまでこのドラゴンが人間的な感情を持っていると想像すると、この凶悪な顔も少し愛嬌があるように見えてきた。
絶望感から逃れるための現実逃避にも近い思考ではあったが、そうして目の前の竜を眺めているとニヤリと笑ったような気がした。そして生暖かくて臭い鼻息がフン、と荒く吐きかけられる。
「……やっぱムカつくな」
「同感だ」
前言撤回。可愛げは無い。もっとも、誰もそんなもの求めてはいないが。
「さて、現実逃避も程々にしねぇとな」
戦闘中にもかかわらず馬鹿な事を考えたおかげか、二人共絶望的な気分は幾分薄れた。しかし状況は何一つ変わっていないし変わるはずもない。
心なしクリアになった頭でどうしたものか、と思案し、だが、だからといって妙案が出てくるほどに世の中都合良くはない。キーリは心の中で溜息を吐く。その隣で、フィアは一度短く、しかし瞬きよりはゆっくりと眼を閉じると剣を構えなおして尋ねた。
「もう一度聞くが……奴の頭に近づけさえすれば何とか出来るのだな?」
「本当は断言はできねぇけどな……ま、今更できねぇとは言えねぇ。何とかしてやるよ」
「そうか……」
目元を流れる血を拭い、フィアは再度剣に炎を纏わせる。そして胸元のシャツを一度握りしめると、グッと腰を落としていつでも斬り掛かれる姿勢を取る。
「一度きりだ。信じているぞ」
「フィア?」
何をするつもりだ。尋ね返そうとしたキーリだが、その暇は無かった。
目の前で、まるで観察するように二人を見下ろすだけだったドラゴンが大きく一度仰け反り口を開けた。そして光り出す口内。二人は身を投げ出すようにして転がった。
二人が立っていた場所を業火が焼き尽くす。一瞬だけ火柱が上がったかと思えば瞬く間に消える。後には赤く溶けて陽炎を発生させる地面が残っていた。
レッドドラゴンは避けるのが分かっていたようにすぐさま連続でブレスを吐き出す。
戦慄を覚えながらも二人はすぐさま駆け出した。最初のブレスに比べれば児戯のような威力だが、それでも人間である二人にしてみれば骨まで焼き尽くされてしまいそうな威力だ。少しでも掠れば瞬く間に火だるまになってしまうのは容易に想像できる。
「くそったれ! 今度は追いかけっこかよ!」
ドラゴンは決して二人に直接吹きかける事はしない。本気で走ればギリギリ避けられるだけのすぐ後ろを狙ってブレスを吐きかけるのだ。輻射熱が逃げる二人を襲い、冷や汗に変わって熱による汗が額を流れ落ちていく。
このままドラゴンになぶられ続けるか、それとも起死回生の一撃を狙いドラゴンに立ち向かっていくか。
(悩む必要はねぇだろ!)
フィアを失うくらいであればこの身を捧げる事は厭わない。ドラゴンのブレスに焼き尽くされた経験など当然ながら無いが、フィア達と違って自分はきっと死にはしないのだ。ただ死ぬよりも辛い激痛が襲いかかるだけ。それだって死んでしまったルディ達は感じる事ができない、自分が生きている事の証なのだから悪いことではないのだろう。
無茶をするな、と以前に彼女たちから叱られたが、無茶はするものだ。だから無茶などという言葉があるのだ。無茶をして得られるものがあるのなら、幾らだってしてやる、とキーリは自分に言い訳を積み重ねていく。
「キーリ!」
「何だ!? ステーキになりたくねぇから手短に頼むぜ!」
疾走りながら叫んで呼んだフィアに振り向き、余裕ぶっておどけた返事をキーリはしてみせた。だがそれにもフィアは笑顔を見せない。
(信じているぞ)
つい先程の言葉がキーリの頭を過る。嫌な予感がした。
「……頼んだぞ」
「おい、待て! フィアっ!?」
フィアは足を止め、キーリとは逆方向に走り出した。ブレスが彼女の真紅の髪を微かに掠め、焼け焦げたそれが塵と化して宙を舞った。
「■■■ァァァァァァ■■ッッッッ――!」
ドラゴンが楽しそうに鳴き、立ち向かってきたフィアに小さなブレスを吹きかける。それらをギリギリのところでフィアは避けていく。髪を焦がし、頬を熱し、肩を掠めて衣服が焼ききれる。彼女の白い肌を焼き、苦痛が彼女を襲っているはずだがフィアは一切表情を変える事は無く、立ち止まることもなかった。
「――っ!」
迫りくる炎の恐怖に必死に堪え、疲れで縺れてしまいそうな足に鞭を打ち、彼女はドラゴンに立ち向かう。視界の左端から丸太より尚太い尾が迫るのが見えた。彼女ごと薙ぎ払おうと甚大な迫力を携えていた。
それよりも早く彼女は跳躍した。高く、高く跳んだ。暴力的な風を纏った尾が足元を通過していき、命を奪いかねない一撃を避けた。しかし彼女にはそんな事はどうでも良かった。
風神魔法の補助を受け、この戦闘が始まってから初めて彼女はドラゴンよりも上に立った。人より遥かに大きなドラゴンの頭を見下ろし、剣を振りかざした。
「おおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉっっっっっ!」
フィアが迫った。ドラゴンではなく、フィアの方からドラゴンに迫った。フィアは恐ろしかった。そしてこれからもっと強い恐怖が襲い来る。それに打ち勝つため、喉が裂ける程に叫んだ。
そしてドラゴンが笑った。嘲笑った。フィアにはそう見えた。所詮人間などこの程度。遊びは終わりだ。馬鹿にしたような幻聴が聞こえ、それを自身の絶叫で塗りつぶしていく。
ドラゴンの口が開かれる。その中が赤く光る。今度は外すつもりはないのか、刹那の時間の中でもゆっくりと時間を掛けて慎重に狙いをつけているようだった。集まる魔素の量は先程までより遥かに多く、吐き出されるブレスはやがてフィアの全てを消し去るだろう。
果たして、灼熱がフィアを襲った。
全てが白く、赤く染まる。フィアの肉体を、存在を、鮮烈な色彩を放ちながら包み込んでいく――
「『風精霊の祝福』!!」
――直前にクルエの放った魔法がフィアとブレスの間に割って入る。だが、十分な練り込みもなく咄嗟に放たれたそれは、レッドドラゴンのブレスの前では大砲を紙で防ぐようなもの。威力をホンの僅かに削いだだけで術式を維持できなくなり、魔素の霧となって四散した。
そして、今度こそフィアの肉体もブレスに飲み込まれていった。
「フィアさぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっっっ!!」
その様子を目撃したシオンの絶叫が響いた。声が聞こえたか、ドラゴンはブレスを吐きながら眼だけを動かし、次はお前の番だとばかりにシオン達を見下ろした。
だが。
「――安否も確認せずに余所見とは、未熟だな」
声が、微かに響いた。
ドラゴンの視線がシオンから正面に移る。圧倒的な熱量を誇るブレス。全てを残さず焼き尽くすはず。しかしその奥で確かに影が揺らめいた。ドラゴンはその金色の眼を見張った。
炎が突き破られた。
フィアが剣を構えたまま、そこに居た。身につけていた胸当ては溶け落ち、下に来ていたシャツがボロボロに燃え落ちて尚、彼女の瞳は火炎に照らされて鮮烈な輝きを放っていた。
彼女の胸元でシオンが手渡した羊皮紙がひらめいていた。紙に描かれていた魔法陣が光りを失い塵と化して風に散っていく。
シオンの込めた加護を得て、彼女は生き残った。賭けに勝った。結わっていたポニーテールが焼け落ち、鮮やかな紅を煤でくすませながらも彼女はブレスを貫いた。キーリに貰ったかんざしがかろうじて髪の上で輝いていた。
そして、渾身の力が込められた剣がドラゴンの左目を貫いた。
2017/6/25 改稿
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