3-1 入学試験にて(その1)
第8話です。
よろしくお願いします。
<<主要登場人物>>
キーリ:本作主人公。冒険者養成学校に入学するため、スフォンへやってきた。
ユキ:キーリの同行者。同じく養成学校に入学を希望している。見た目美少女だが男好き。
夜が明けて安普請のガラス窓から朝日が差し込んでくる。眠りについていた鳥達は早くも囀りを始め、それを合図としたかのように俄に人も一日を開始する。
早朝から活気溢れる声が朝市から響き、昇った陽によって空気が暖められていく。
「ん……んん……」
そんな世の中の雰囲気に導かれる様にしてキーリもまた眼を覚ました。薄い掛け布団の中で大きく背伸び。凝り固まった関節や筋肉を解しながらも眠気は如何ともしがたく大きなアクビをした。
普段は綺麗な銀糸も今はボサボサに逆立っている。そんな頭を掻きむしり、寝ぼけ眼を擦るとノソノソと布団から這い出し、昨晩に用意してあったタオルを酒瓶が何本も転がっているテーブルの上からひったくって外へ向かった。
「――んあぁ~っ! ぷはぁ!!」
宿の裏手にある井戸から冷たい水を汲んで頭から被り、その冷たさに身悶えする。寝汗と共に眠気も一気に吹き飛び、まるで犬の様に頭を振って長い髪から水気を吹き飛ばした。
「あ゛あ゛~……眼ぇ覚めた」
低く喉を震わせながら張り付いた髪を掻き上げる。井戸の脇に引っ掛けてあったタオルを掴んで拭き、大きく腹から息を吐き出す。
井戸の周りはやや広くなっていて、その広場にキーリは向き直る。
そしてキーリは掌に小さな火の玉を創りだした。すぐにそれを掻き消し、続いて空中にかろうじて見える程度の微小な氷柱を創りだして地面に投射。突き刺さった氷の塊は即座に消え、その後も空気の刃を飛ばしたり水たまりを創りだしたり、指先大の小さな爆発を引き起こしたりと次々第五級に位置される魔法を行使していく。
十分ほど連続で様々な魔法を試していって、いつもと感覚が変わらないことを確認し終えると、続いてキーリは立ったまま前屈して地面に手を突いた。
掌に力を込め、ゆっくりと脚を地面から浮かしていく。体幹を意識してバランスを取りながら、やがて逆立ち状態になると一度息を吐き出し、今度は右手を地面から離していく。キーリの体はピクリとも揺らがず、やがて左手の指だけで全体重を支える状態になる。
「っ……くっ……」
その状態で百回程腕立てをし、左手が終わると今度は支えを右手に変えて同じように腕立て伏せを行う。
「いよっと!」
百回目を数え終わると腕力だけで軽やかに飛び跳ねて着地。額に浮かんだ僅かな汗を拭うと、眼を閉じて今度はイメージトレーニングをキーリは開始した。
イメージするのは、己。全身の、つま先から手の指先まで神経に意識を集中させていく。表面に神経が張り巡らされているかのように全てに過敏になるように。或いは全身のあらゆる場所を己のイメージ通りに動かせるように、意識を研ぎ澄まさせていく。
玉のような汗が浮かんでいく。そうして続いて浮かべるのは――敵の姿だ。
あの日、あの時、あの場所での光景を思い描き、敵を頭の中に映し出していく。
敵の動きは覚えていない。だから全てはキーリの想像だ。ただルディが敵わなかった相手。今まで出会ったどんなモンスターや盗賊よりも強いことは知っている。キーリが知り得るあらゆる魔法を行使し、想像できる限りの素早さと力強さで剣を振るう。
頭の中でキーリは戦う。必死で剣戟を避け、反撃を試み、殺害を狙う。しかし敵は強大。反撃はことごとく遮られてキーリは追いつめられていく。やがて――
「……ちっ」
キーリは眼を開けた。全身からは夥しい汗が流れ落ち、表情はとても厳しい。眉間に皺を寄せて苛立たしげに舌打ちをした。
それはもう何年も繰り返してきた結果だ。どれだけ自分が強くなっても敵は遥か彼方。追いつくための、殺すための端初さえ掴めずにいる。
だがキーリはくじける事は無い。自らの弱さも、敵の強大さも初めから知っていた事。どれだけの差があろうとも膝を折る理由にはならない。
「……っ、はぁ……」
井戸から再び水を汲んで被り、熱くなった頭を急速に冷ましていく。陰鬱さと沸騰する激情を刺すように冷たい水が洗い流していくのを確認すると、宿の方へと戻っていった。
「おはよーっす」
「はい、おはよう。お客さんも早いね」
「おばちゃんには敵わねぇって。毎朝俺より早ぇじゃん。マジ尊敬するわ」
「おだてても何も出やしないよ。そうそう、もうすぐ朝食が準備ができるからいつでも食堂へ来な。遅くなると混むから今のうちがお勧めだよ」
「ういっす。了解」
宿の中へと戻ったキーリは、途中顔を合わせた宿の女将と軽い挨拶を交わして階段を登っていく。ニッと笑ってすれ違うその表情に先ほどの鬱屈さは見られない。
二階に上がったキーリは一番奥の部屋に向かった。扉をノックし、しかし中から反応は無い。ドアノブを回そうとしても回らない。耳をすませば、部屋から穏やかな寝息が漏れ聞こえてきた。
「はぁ……」
呆れたように溜息を吐く。そして――扉を蹴破った。
途端に広がる臭い。男と女が重なった時の残滓がキーリの傍を駆け抜けていって顔をしかめた。それもすぐに新鮮な空気で薄められていき、さして気にならない程になる。
「おい、起きろ」
ベッドの上で豊満な胸を惜しげも無くさらけ出して寝ているユキを起こすも寝息だけで反応は無い。もう一度耳元で叫んでみたり、肩を揺すってみたりするのだが「むにゃむにゃ……もう食べられない」などとお約束な寝言が返ってくるだけだ。
何時も通りの光景にキーリは肩を竦めて溜息を吐いた。別にいつもならこのまま自然と目覚めるまで放置しているのだが、今日ばかりはそうはいかない。キーリもそうだがユキ自身も楽しみにしていた養成学校の入学試験があるのだ。放っておいて受験できませんでした、では話にならない。
なのでキーリは、先ほどの鍛錬に使ったナイフをまた手に取った。昔、旅を始めた頃に何か武器が必要だろうということで有り金はたいて買った、それなりに値の張った武器だ。もう使い始めて随分と経つが、手入れを欠かさないおかげで切れ味が落ちる様子は無い。
キーリはそのナイフを振り上げた。そして、朝陽に光るそのナイフをユキの白い裸体に向けて振り下ろした。
「流石にそれは勘弁して欲しいかなぁ?」刃先がまさに腹部に突き刺さる直前、ユキの細い腕がキーリの手首を掴んだ。「いっつも思うけど、キーリって私の体を傷つけるのに躊躇がないよね。元は大切な彼女のものだっていうのに」
「アイツと一緒にすんじゃねぇ。お前は『ユキ』であって『ユーミル』じゃない」
「あれ? 性格や考え方のベースも彼女のものだよ?」
「ユーミルはお前みたいなビッチじゃねぇよ。昨夜は何人食ったんだ? あ? それが証拠だよ」
「未だに彼女に対して幻想を抱いてるんだね。女なんてそんな綺麗なもんじゃないんだよ?
あ、ちなみに昨夜は三人ね」ユキは体のサイズに似合わない大きさの胸を突き出して体を伸ばした。「そういえば今日が試験日だったっけ?」
「だからわざわざ起こしに来てやったんだよ」
「そ。ありがと」ベッドから下りながらユキはアクビをした。「ふぁぁ……水浴びしてくる。先にご飯食べてていいよ」
「へいへい」
先ほどのキーリと同じくタオルを手に取って部屋を出て行くユキ。起きたはいいがまだ完全に眠気は取れないらしく、足取りは会話ほどには覚束ない。「目覚めが悪いのがこの体の欠点」とは本人の言葉だが、キーリとしては「一番の欠点はお前の性癖だ」と言ってやりたい。
そんな無駄な思考をしつつキーリも自分の部屋に戻る。汗で濡れたシャツを着替えたいし、受験の準備もしなければならない。
濡れたシャツを脱ぎ、昨日買ったばかりの新しいシャツに袖を通す。やはり新しいものは着心地が良く、気持ちも何処か新鮮なものを感じる。
と、そこでふとキーリは気づいた。
「あいつ、全裸で出て行かなかったか?」
直後、階下から皿の割れる音と女将の「ちょっと、アンタ! 何考えてんのさ!? アンタらもいつまでも見てんじゃないよ!」という、悲鳴のような叫びが聞こえてきたような気がしたが、きっと気のせいだろう。
幻聴幻聴、と自分に言い聞かせながら、キーリは、ユキを連れた女将が怒鳴りこんでくるまで現実逃避を続けた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
スフォンの街の中心には、かつて街の発展に多大な貢献をした巨大な迷宮の入り口がある。莫大な富を生み出したかつてはランクAであったそれは、今はランクB以上のモンスターが長年確認されていない事からすでに迷宮ランクCに格付けされているが、それでもその迷宮の深さやモンスターの数が多い事から街には多くの冒険者が集まっている。
そんな迷宮のある中心から徒歩三十分程度の距離にある冒険者養成学校。貧民街から平民街に掛けて貫くように伸びる広大な敷地を持つそれの門の前には今、多くの少年少女達が集まっていた。
まるで前世でいう私立のお坊ちゃま・お嬢様学校の試験に挑むように派手に着飾って、周囲にお付の人間と思われるメイドや執事を侍らせている貴族の子息がいる。或いは粗末なりにも一張羅を来て試験にやってきた平民と考えられる人族や獣人たち。そして冒険者としての心構えを示すためか、はたまた気が早いだけなのか、軽鎧や武器を持っている者達。いずれもまだキーリと同世代か年少くらいだ。
「すげぇ人数だな。こんなに受験するんか」
「ホント。子供だけなのにいーっぱいだね」
「やばい、人混み見たら面倒くさくなってきた」
「引きこもり気質を発揮するのやめなさい」
そんな中でのほほんとした会話を交わすキーリとユキの二人。キーリが観察する限り、どうやら緊張感を漂わせているのは基本的に平民と思われる受験生たちだけで、一部を除けば貴族たちはのんびりした雰囲気だ。親交がある受験生同士でリラックスした様子で談笑している連中や、中には付き人に茶を準備させて優雅な時間を過ごしている者さえいる。
「あっちのエラそうな態度の人間たちが貴族ってやつ? 同じ人間でもあっちとこっちで随分違うのね?」
「そらな。貴族と違って平民、特に貧民層の人間は冒険者になれれば環境が激変するからな。冒険者じゃなくても手に職を付けるコースもあるし、技術があれば食いっぱぐれの心配もなくなるからな。その日一日がギリギリの奴らは必死さが違うだろ。それに、スフォンの貴族連中は学校に入るのは実質フリーパスらしいからな」
街に来る前に道中で偶然知り合った行商人の話によれば、元は初心者冒険者をある程度鍛えるための学校だった養成学校だが、今は大きく様変わりしているとの事だった。
従来の冒険者養成を目的とした普通科に加えて魔法の研究に主眼を置いた魔法科や、迷宮での索敵や罠の解除といった技術・知識を深める迷宮探索科、迷宮で得られるモンスターの素材を加工する技術を学ぶ鍛冶工作科など多くのコースが作られている。中には、軍人としての集団行動や指揮能力を育てるための戦略・戦術研究科や兵站科といった、国・貴族からの要望を取り入れたコースまで存在している。
貴族・平民を問わず基本的に公平平等を掲げるギルドだが、最後の戦略研究科に代表されるように養成学校においては実態は異なる。
かつては迷宮の生み出す利益を用いて経営されていたが、迷宮ランクが下がり冒険者の数が減ったことで経営が悪化。それでも将来有望な冒険者たちの育成を止めるわけにはいかず、そのため貴族に支援を求めた時点から次第に公平さは失われていった。
本来は試験にさえ合格すれば誰でも入学できる養成学校に、授業料の導入や寄付金制度、更に貴族にとっては容易だが学ぶ機会に恵まれなかった平民には入学が困難になるよう学力試験を導入した。これにより貧しい平民の入学者は減り、現在では入学者の多くが貴族或いは貴族と懇意にしている富裕層の平民が大多数を占めるように成ってしまっていて、単なる箔付けになっており本来の目的から離れてしまっている、とやや憤慨しながらその行商人は話してくれた。
それでも授業料等の費用は、まだ平民でも何年か貯めれば払えるレベルであるし、冒険者に成るまで支払いが一部猶予される制度があるのが幸いで、僅かなチャンスを掴もうとスフォン近隣からこうして多くの人々がやってきている。
「ま、さっさと受付を済ませてしまうか」
ユキを促し、ごった返す人混みの間を抜けて受付を済ませ、門を抜ける。
途中、シャツをこれでもかと盛り上げているユキの胸に男どもの視線が集まっているのを二人共感じていた。特に貴族の方からはユキの胸を見て鼻の下を伸ばし、隣のキーリを見て殺意の込められた視線が送られてくる。もっとも、キーリと眼が合えばすぐに逸らされてしまうのだが。
そんな状況に辟易としながらも試験の開始を大人しく待っていて、出来ればこのまま何事も無く時間が過ぎていって欲しいなぁとキーリは思っていた。
だが。
「臭い、臭いと思っていたが、どういうわけか汚い平民がこちらに紛れているようだな」
どうやらそうはいかなかったらしい。小さく舌打ちしてキーリは声の方を振り向いた。
そこには見るからに侮蔑の表情を浮かべている貴族がいた。声質から判断するに、どうやらまだ少年のようだが如何にも貴族らしいフリルのついたブラウスと仕立ての良いズボンに身を包み、しかし腹はどっぷりと突き出してまるでビール腹の中年である。顎と首の境目も無くし、手には油で揚げたチップス菓子を持っており、バリバリと噛み砕いている。食べる度に油っぽい汗がジワリと滲んで、お付の女性が無言で顔の汗を拭きとっていた。
彼の他にも取り巻きのような少年が二人。一人は金色の髪を短く刈り込み、腰を低くして真ん中の少年に阿るような態度だ。だが上がっている眉尻や不敵そうな笑みが勝ち気そうな性格を表していた。もう一人はミディアム長さの幾分鈍い色の金色で、不遜な態度を装っていたが気弱そうで何処かそういった態度に慣れていない様子が見て取れた。どちらも良い身なりで、蔑んだ視線を二人に向けている。彼らの後ろには護衛と思しき帯剣した屈強な男数名が付き従っている。
「ゲリー様、ゲリー様。所詮は道理を知らぬ無知な平民ですよ。ここらが我々高貴なる者以外に立ち入りを許されていない場所だと知らないのでしょう」
「そうです。ゲリー様を前にしても膝を突くどころか頭さえ下げることを知らないみたいです。同じ下賤な空気を吸えばきっと病気になってしまうに違いありません。さっさと追い出してしまいましょう」
取り巻き二人が口々にそう嘲り、ゲリー――どうやら真ん中の肥満少年はそういう名前らしい――は気持ちの悪い笑顔を浮かべて満足そうに頷いた。
三人の言葉を聞いて辺りを見回してみたが、なるほど確かにキーリ達二人の周りには平民らしき人影は居なかった。右を向けば貴族とその関係者、そして富裕民が居て左には粗末な身なりのものばかり。平民は人族・獣人問わず片隅に追いやられていて、そこからはキーリ達に対する憐憫や貴族への憤りといった感情が渦巻いていた。どうやら敷地内でも明確な区分けが存在しているらしい。
「そうかい、そりゃ失礼したな。なら下賤な俺らはアンタらの視界から消えるんでぜひとっとと明後日の方向を見といてくれ」
「貴様……! ゲリー様に向かってなんという口の聞き方を!」
「おいおい、俺らは下賤なんだろ? ならアンタら貴族みたいな高尚な口なんか持ってないんで見逃してくれよ。だって俺らはそういう存在なんだからな。違うか?」
「くっ……口の減らない男だ」
軽薄な感じで嘯くキーリに、ゲリーは共の男達と一緒に顔をしかめた。その様子を見ながらキーリは内心で「さっさと解放してくれねぇかな」とぼやいた。
蔑まされてキーリもいい気分はしない。腹立たしいし関わりあいになりたくないが、だが貴族とは「こういうものだ」と思っていると不思議と余り腹は立たないものだ。前世で培った処世術がこうして役に立つのも不思議なものだな、と目の前で喚く連中をぼんやりと眺めた。
隣を見れば、ユキは楽しそうな表情をしながら小声で「貴族って面白いのね」などと妙な感想を漏らしていた。
「……もういい。お前の様な男と言葉を交わすのも貴重な時間の無駄だ。さっさと目の前から消え失せろ」
「へいへい。んじゃさっさと消えますよ」
やっと終わった、と喜び勇んで踵を返したキーリと見世物が終わってしまったと何処か残念そうにするユキ。だがその背に向かって「待て」と、また声が掛かった。
「そっちの女。お前は気に入ったからこっちに来い。僕の側仕えの一人にしてやろう。どうだ、嬉しいだろう?」
ニヤニヤとした、下卑た笑みを浮かべてゲリーはそう言った。取り巻きも同じような嫌らしい笑い顔をしていて、他の貴族の中にはそんなゲリーの要求に顔を顰めている者も居るが、その他は呆れ顔や同情、それと先を越されたとばかりに悔しそうな表情を浮かべてユキの巨乳を見つめていた。
キーリに対する嫌がらせのつもりか、それとも美少女を傍に置きたいという劣情なのかは分からないが――
「だってよ。どうする?」
「イヤよ」即答だった。「幾ら私が男遊びが好きでも好みっていうのもあるもん。若いからってあんな豚はゴメンだわ」
その場が静まり返った。ゲリーの取り巻き達は顔を青ざめさせ、遠巻きに見ていた貴族からも平民たちからもクスクスという忍び笑いが聞こえてくる。隣ではキーリが「あちゃぁ……」と頭を押さえて天を仰いだ。
「な、な、な……!」
面前で「豚」と罵られた事に呆気に取られ、だがすぐにゲリーの顔が怒りで真っ赤に紅潮していく。余りの怒りで口が上手く回らないようで何度もパクパクと開けたり閉じたりを繰り返している。
「ん? 何か私変な事言った?」
「いやいや、幾ら真実でも本人に向かって言っていい事と悪い事があるだろ」
「でもホラ見てよ、本物の豚みたいに全身赤くして前足がプルプルしてるよ?」
いよいよ笑いの小波は津波となって辺り一体に広がった。誰もが言いたくて仕方なかったが、しかし相手が貴族なだけに口に出来なかったことをユキが言ってくれたおかげで平民側では爽快感さえ感じていた。
そしてそれは貴族側も同じ。むしろ、平民側よりもずっとゲリーに対する侮蔑が大きいのは彼に対する人望が無いことの証左か。
だがそれも少しの時間だけだった。
「黙れぇっ!」ゲリーが腰の剣を抜いたことで笑い声が一転、悲鳴に変わった。「よくも、よくも僕に恥を掻かせてくれたな! そこから動くな! 僕直々に首を斬り落としてやる!」
「おー怖い怖い」
怒鳴り散らすゲリーとは対照的にキーリは涼しい顔で応じた。体格に剣の構え、まとう雰囲気。どれを考慮しても到底この男に自分やユキが斬られる未来は見えないし、そもそもこの国の出身でも無いため貴族であっても命令に従う必要などない。
(後はどうやってこの場を収めるか、だが……)
護衛を見れば、ゲリーと同じように抜剣したものの表情には戸惑いが見える。取り巻き少年も顔を青ざめさせてオロオロしている事から、どうやらここまでの騒ぎになるとは想像していなかったらしい。
「貴族のぼっちゃんに堂々と暴言を吐くような平民が居るとは思わねぇよなぁ……」
「何か面倒くさい事になっちゃったね」
「お前が言うなっつうの」
「で、どうしよっか? さっきから豚がうるさいし――潰しちゃってもいい?」
声が聞こえたキーリだけ、ゾッと背筋が冷たくなる。冷たく言い放ったユキの提案に、キーリはうんざりしながら即座に首を横に振った。
「止めてくれ。その後が思いっきり面倒くさくなる。二度と人間社会で生活できなくなりそうだ」
「そう? なら止めとこっかな」
ユキも半分は本気では無かったようであっさり撤回する。胸を撫で下ろしたキーリだが、結局現状は何も変わっていない。
(お前らのご主人だろ! 何とかして止めろよ!)
(こうなったゲリー様の怒りは中々治まらんぞ! そもそもお前らが大人しくしていればここまでの大事にはならんかった!)
護衛たちとアイコンタクトと口パクで交信してみるも、お互いに押し付けあうばかり。打開策は見つから無さそうだ。
「何をしている! 僕が命令しているのだ! 早く地面に這いつくばれ!」
さてどうしたものか。いっその事ここから逃げるか、という考えも過った時、割り込んでくる声が聞こえた。
「やれやれ。まさかこんな場面で再会するとはな」
「――フィア。それとレイス」
「誰だ貴様は!」
「二日ぶりか。この場で友宜を温めるのも悪くないがそれもまた後程にしようか。
さて、ゲリー殿」
フィアはキーリの隣に並ぶとゲリーに向き直った。そして慇懃な態度で一礼してみせる。
「実状はどうあれ、ギルド内では貴族も平民も無い公平・公正が義務付けられている。先程からやり取りを見ていたが、この様な場で権力をひけらかして平民に命令をするのは如何なものかと私は思うが?」
「黙れ! この女は、この女はこの僕を侮辱したんだぞ! 万死に値する!」
「お気持ちは察するがこの場で刃傷沙汰を起こしてしまえばゲリー殿にとって一切得にはならない。王都に居られるエルゲン伯爵もお嘆きになるだろう」
エルゲン伯爵の名が出た途端、ゲリーが狼狽えた。
「お前は父を、知っているのか……?」
「お目に掛かった事はある。伯爵が不在の中、ゲリー殿が名代としてこの歴史あるスフォンを任されているのだと存じている。ここは怒りを抑えて平民の戯れ言にも寛大な心を示しなさる方が良いかと思うが、如何だろうか?」
「そ、そうですよゲリー様! ここは大きな心を示して……」
「そうすればきっと伯爵様もゲリー様への関心をお示しになるかと……」
フィアの勧めに乗って、取り巻きたちも慌ててこの場を収めようとゲリーへ進言する。
まだまだ怒りは収まりきらないようだが、ゲリーはどっぷりとした顎を撫でながら悩む素振りを見せる。付き人が差し出した菓子の皿に乱暴に指を突っ込んで、バリバリと音を立てて頬張っていたがちょうどそこに「それでは貴族の方から試験を開始致します!」と、職員らしき男が声を張り上げた。
「ちっ……命拾いしたな! だが僕は絶対に今日の屈辱を忘れないからな! 覚えていろ!」
貴族たちが一斉に建物の中に入っていく中、ゲリーもまた忌々しそうにキーリ達を睨みつけて捨て台詞を吐きながらその場を後にする。ドスドスと重そうな足音を立てて去って行き、護衛や取り巻き達もその後ろに従って行くが、その誰もが胸を撫で下ろしているように見えた。
「ふぅ……ワリィなフィア。レイスも。二人が来てくれて助かったぜ」
「まったくだ。偶々二人を見つけて声を掛けようとすればあんな連中に絡まれよって……つくづくキーリはトラブルを引き起こすのが好きなんだな。聞いたぞ? 二日前にもギルドで騒ぎを起こしたらしいじゃないか」
「別に好きで騒ぎを起こしたわけじゃねーし。一昨日のはウチの故郷を侮辱しやがったからちょ~っちだけ抗議の意を示しただけだって。ギルドからもお咎めはねぇし」
「そうか……まあギルドとしても変に小粒な人間よりも、少々やんちゃな若手の方が好ましいだろうしな」
「だいたい、今回だってあそこまで大事になったのは俺じゃなくてユキが余計なことを言ったからであってな」
「私は別に変な事言ってないよ」ユキが不服そうに口を尖らせた。「ただ皆が『豚』だって思ってるから口にしただけだし」
「人間社会には言って良いことと悪いことがあってだな……」
「見えないところで悪意を露わにするほうがよっぽど悪いと思うけど?」
「そりゃそうだが……」キーリは説得を諦めた。「はぁ、もういいや……」
「キーリ、確認だが……彼女はいつもこうなのか?」
「まぁな。ま、言っても変わんねーし、そもそも悪気もねーっつうか、常識を知らないからな……もう俺も諦めてるわ」
「そうか、その、なんだ。……頑張れよ?」
「合格したらフィアも多分巻き込まれるから覚悟しとけよ?」
実に同情が込められた視線を受けてキーリがそう切り返すとフィアは顔を引きつらせた。ユキはニコニコと笑って「色々と宜しくね?」と嘯き、二人は揃って思いっきり溜息を吐いた。
2017/4/16 改稿
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