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17-12 彼と彼女は迷宮で踊る(その12)

 第79話です。

 今回は少しだけ長め。宜しくお願い致します<(_ _)>


<<主要登場人物>>

 キーリ:本作主人公。体を巡る魔力は有り余っている反面、各要素魔法との相性が壊滅的に悪い。教会の聖女を始め、英雄たちに復讐するために冒険者としての栄達を望んでいる。

 フィア:赤髪の少女でキーリ達のパーティのリーダー格。自分が考える「正義の味方」を追い求めている。可愛い少年を見ると鼻から情熱を撒き散らす悪癖がある。

 シオン:魔法科の生徒で、キーリ達のパーティメンバー。攻撃魔法と運動が苦手だが最近成長が著しい。実家は食堂で、よくキーリ達もお世話になっている。

 レイス:フィアに付き従うメイドさん。時々毒を吐く。お嬢様ラヴ。

 ユキ:キーリと共にスフォンへやってきた少女。暇さえあれば男をひっかけているビッチ。

 アリエス、カレン、イーシュ:キーリとフィアのクラスメート。いずれも中々の個性派揃い。

 シン、ギース:探索試験でのアリエスのパーティメンバー。二人はマブダチ。(シン→ギースの一方通行)。

 フェル:キーリ達のクラスメイト。実家は地方貴族だが反対を押し切って冒険者を志している。

 オットマー:キーリ達の担任教師。筋肉ムキムキで良く服をパーン!させている。

 クルエ:キーリ達の副担任教師。魔法薬が専門だが味覚は壊滅している。







「う……」


 小さなうめき声を聞き、キーリはぼんやりとしていた意識がはっきりしていくのを感じた。記憶に空白が在ることを認識し、一体何故、と疑問が浮かぶ。そしてもう一度微かなうめきを聞きハッとして頭を上げた。


「~~……っ!」


 次の瞬間、ゴン、という鈍い音が響き、鮮烈な痛みがキーリを襲った。声にならない痛みに、自然と眼に涙が滲んできた。どうやら何かに強かに頭を打ち付けてしまったらしい。

 だが痛みのおかげで思考がクリアになり、直前までの出来事を思い出した。聞き耳をたてずとも壁を隔てて振動やドラゴンの鳴き声が微かに聞こえてきて、ひとまずは生き残れたのだと胸を撫で下ろした。


「おい、皆……生きてるか?」

「……う、な、何とか、な」


 ドラゴンと対峙しておきながら無事に生存。悪運は相変わらず強いな、と思いながら呼びかけると、一拍遅れてフィアの声が返ってくる。


「火を点けるからな。火だるまになりたくなきゃ動くなよ?」


 そう言ってキーリは指先に魔素を集めて蝋燭の様な火を灯した。途端に視界は一気に明るくなり、眩さにめがくらむ。やや時間が経って光に眼が慣れ、逃げ込んだ穴の中の様子が確認できた。

 まずはフィア。どうやらキーリが覆いかぶさるような状態になっていたらしく、火を灯したすぐ目の前に倒れていた。キーリが「すまん」と小さく謝罪して体を離すと、すぐに彼女も体を起こし軽く頭を振る。ぱっと様子を見る限り大きな怪我は負っていないようだ。

 そしてキーリを挟んで反対側にはクルエが倒れていた。キーリの作り出した明かりのせいか、苦しげな顔の瞼が微かに動いた。


「う……キーリ、君です、か……?」

「ようクルエ。まだ生きてるか?」

「お陰、さまで……生きながらえてま、すよ」


 苦しそうに息を吐きながらクルエは応じてみせる。逃げ出す前に飲ませた魔法薬が多少は聞いたのか、頭の出血は弱くなっているようだ。だがゴホ、と咳をすると血の混ざった唾液が飛び散った。しかしそれでもクルエは、自分とフィアの間で意識を失っているシオンに再び回復魔法を掛け始めた。


「クルエ先生……」

「ゲホッ……っ、はぁっ、大丈夫ですよ。そんな、顔しない、で下さい……」心配そうに声を掛けたフィアに、クルエは力なく笑顔を浮かべてみせた。「しか、し……こ、んな事なら回復魔、法の練習を、若い時にして、おけば良かったですね」


 クルエは自らを嘲った。そんな彼の様子を、回復系の魔法を使えないフィアは痛ましそうに見ているしか出来なかった。

 だがその横でキーリがクルエの腹部に手を当てた。


「キーリ、君?」

「黙ってろ……治癒魔法と呼べるほどじゃねぇけど、多少は痛みも和らぐかもしれねぇ」


 咳に血が混ざっていることから、恐らく肺を傷つけているはず。キーリは、灯り用の魔法をフィアに灯させ、自分の両手をクルエの肋骨あたりに添えて眼を閉じた。


「っ……!」

「我慢しろ」


 肋骨に触れるとクルエの顔が苦痛に大きく歪む。それでもキーリは一喝すると肋骨の形を指先でなぞる。


「肋骨が折れちゃいるだろうが……良かったな、たぶん肺にぶっ刺さってるわけじゃ無さそうだぜ」


 医学的な知識は殆ど無いため外科手術の真似事などできようもないが、単なる傷ならば魔法で治せる。大事なのはイメージ。キーリは頭の中で、かつてテレビで見た傷の治りのメカニズムを想像する。

 血液が凝固し、傷を塞ぐ。新たな細胞が生み出され、そこから新しい組織が作られて傷を癒やしていく。その一連の流れを水神魔法と風神魔法で促進する。身に余る膨大な魔素を注ぎ込み、キーリの額に汗が滲んでいく。才能のない身ではあるが、微小な傷であれば知識と想像で魔法の効果を補えるのは身を以て理解している。例えそれが内臓の傷であってもだ。

 果たして、苦痛に歪んでいたクルエの顔が和らぎ、苦しげだった呼吸も平時のそれに戻っていった。


「楽になったか?」

「……ええ、凄く楽になりました。ありがとうございます。でもどうやって……体の中の傷は上級の魔法でも中々難しいはずなのに……」

「そこの詮索は無しだ。それに、俺には」キーリはクルエの背の翼を見た。「骨折とかでかい傷は治せねぇ。頭ン中もな。だからシオンの怪我はアンタが治してやってくれ。呼吸がマシになった分、シオンに掛ける魔法もさっきより効果はあるだろ」


 キーリはそう言って大義そうに溜息を吐いて壁にもたれ掛かる。耳を澄ませば、変わらず外ではドラゴンが暴れまわっているらしく、断続的に振動が背に伝わってきていた。


「しかしこの穴はなんだ? とりあえず逃げ込んではきたが……」

「そういえば入口も何処にも見当たらないが、もしかしなくても閉じ込められてしまったのか?」

「いえ、僕の方で何とか塞いでみました」不安さを滲ませたフィアの問いにクルエが、シオンに魔法を掛けながら答えた。「あのままではドラゴンのブレスで穴の中までやられてしまいそうでしたから。……恐らくその上から瓦礫で更に塞がれてしまったでしょうが」

「怪我した状態で無茶をしやがる」

「無茶も致し方ない状況でしたからね」

「ありがとうございます。お陰で助かりました。それと……シオンについても礼を。あのままでは大切な仲間を失うところでした」


 狭い空間の中、フィアは何処か悔やむようにしながらもクルエに頭を下げた。


「まあ……その点に関しちゃ俺からも礼を言わせてもらうぜ」

「いえ、教師として最低限の事をしたまでですから……」

「で、この都合よく空いてた穴は何なんだ?」グルリと周囲を見回してキーリは尋ねた。「サイズといい、迷宮の通路には見えねぇが……」

「恐らく、にはなりますがダンジョンワームの通り道でしょう。サイズ的にもそれらしいですし、迷宮が修復してしまう前に残ってるということは、もしかすると先程倒したダンジョンワームが作ったのかもしれませんね」

「私達はあのワームに助けられたと言う事ですか……」


 フィアは自分の脇腹を押さえながら、なんとも言えない表情を浮かべた。一度は命を奪われかけたワームに今度は助けられるとは思ってもいなかった。不思議な巡り合わせもあるものだな、と小さくうなった。


「ともかくも今はこの幸運に感謝しましょう」

「穴蔵ン中でドラゴンに遭遇とか笑えねぇけどな」

「ドラゴンなんて一生に一度会えるかどうかですから。前向きに考えれば幸運と言って差し支えないですよ」

「そのドラゴンに殺されそうになった奴がよく言うぜ」

「しかし、どうしてこんな所にドラゴンが居るのでしょう?」フィアが首を捻る。「私はドラゴンの生態について全く知識が無いのですが、こんな迷宮の中で誕生するものなのですか?」

「ンな事あるかよ。さっきのアイツの様子見たろ? まともに羽ばたけてなかったぜ。幾らなんでもドラゴンが生活するには狭すぎんだろ」

「ならばどうしてこんな所に居るというのだ?」

「これは僕の推測ですが」


 眼鏡を外し、クルエは割れたレンズを指で落としながら自身の考えを口にした。


「なんだ?」

「うろ覚えの記憶ですが、ずっと昔――まだ僕が冒険者として活動していた時ですが、教皇国では召喚術の研究をしていた、と耳にしたような気がします。あの時、ゲリー君の全身に浮き出ていた模様……全く眼にしたことのないものでしたが魔法陣の様に見えました。もしかしたら彼がドラゴンを召喚したのかもしれません」

「はぁ? ンな事できんのかよ? ……てか、そういやゲリーはどうなった? フィア、お前見たか?」

「いや、私も眼にしてないな。ここに落ちた様子も無いが……」

「恐らくはエレン……いえ、ティスラが連れ去ったのでしょう。召喚、それもドラゴンという神代から存在しているとも言われる存在を呼び出せるなんて俄には信じられませんが……もし、教皇国が召喚の魔法の開発に成功していたのであれば、残念な事ですがゲリー君を実験台(モルモット)として使用したのかもしれませんね。連れ去ったのはその痕跡を残さないため」

「……ずいぶんとアイツの精神をズタボロにしてたのも意味があんのかね?」

「あの時、僕が見る限りゲリー君の魔力は暴走に近い状態にありました。暴走とは自身の魔力を制御できていない状態ですが、同時に限界以上の力を発揮する事もあります。まして、彼にはエルゲン伯爵家でも当代随一とも言える才能がありました。召喚に膨大な魔力が必要だとすれば納得できない話ではないのですが……たぶんその推測は間違ってはないだろうと思います。外のドラゴンもまだ幼竜の様でしたから」

「あれで幼竜かよ……」

「しかし……もし先生の仰る通りであれば許しがたい話ですね」


 フィアの眼に焼き付いている。最後、絶望に染まったゲリーの瞳。胸を抉る様な慟哭は耳にこびりつき、深い悲しみをフィアに投げつける。

 色々と許されない事をしたし、フィアやキーリも大変な思いをした。前回の探索試験では彼のせいで死の危険も感じた。無期限の謹慎となり、事実上の退学処分となったと聞いても同情の気持ちなど湧かなかった。しでかしたことを考えれば軽い処分とさえ思った。

 だが先程の彼の表情。


(僕を一人にしないでっ!)


 そう叫んでいるように見えた。彼は――きっと寂しかったのだ。誰かに振り向いてほしくて、傍に居てほしくて、自分を見てほしくて。それが生来の不器用さと大貴族であるが故の高いプライド、そして傲慢さの目立つ貴族社会しか知らなかったが故に上手く行かず全てがこじれて――


(やめよう……)


 フィアは目を閉じて頭を振った。今となれば何を考えても想像でしか無いし、ゲリーがもう許されることはないだろう。ただほんの少し――彼の気持ちが分かったような気がした。それだけなのだから。


「……結局ティスラの野郎に良いように遊ばれただけっつーのは腹立たしいし、ゲリーの最後の様子に……まあ同情とかアイツがああも壊れる前に色々できたんじゃねぇかって思うところはあるが」キーリは眉間に深い皺を刻み、こみ上げる感情を抑える。「今はまず、ここから全員で生きて帰るのが先だな」

「そうだな。まずはそれを優先に考えるべきだろう」


 気持ちを切り替えるため、フィアは一度軽く両頬を叩く。フッと軽く息を吐き出し、何処か辛そうだった表情が消える。平素の鋭い眼差しでジッとキーリとクルエの二人を見た。


「迷宮の外に出るためにはここから出て上に登らなければならないと思うが……ドラゴンが邪魔だな。大人しく私達を見逃してくれればいいが……」

「ま、そりゃちょっと虫がいい話だろうな。運が良けりゃコソッと逃げれるかもしれねぇが、どっちにしろドラゴンにビクビクしてフリークライミングなんざゾッとしねぇ話だぜ」

「クルエ先生の翼の傷は如何ですか?」

「……正直芳しくはありませんね。右はともかく、左の翼が完全に折れてしまってます」そう言いながらもクルエは笑ってみせた。「痛くて泣き叫びたい気分ですね」

「そんだけ笑えりゃ上等だ」

「しかし分かってはいましたが……やはり無理ですか」

「あ、でも風神魔法で皆さんを上に送り届けるくらいはできますよ」

「テメェを置いてけるかってんだよ」


 クルエの提案に、キーリは顔をしかめて髪を掻きむしった。

 相も変わらず自分をそっちのけで生徒を優先しやがる野郎だ。キーリは口には出さずに胸の中で吐き捨てた。クルエが、ティスラみたいに腐った性格をしていれば気分は楽になるだろうに、クルエの言動からは善人の香りが漂ってくる。それだけ十年前の事件を悔やんでいるという事だろうが、キーリからしてみれば恨むに恨めない。

 自分を犠牲にしようとするところも気に食わない。先程も自分の身の安全を二の次にしたせいで重傷を負ってしまったというのに、懲りた様子が無いのも腹立たしい。どれだけ自分の優先順位が低いんだ、と堪らず声に出して吐き捨てた。


「……」

「……なんだよ?」


 ぼやいた直後、フィアは残念な人を見るような視線をキーリに送る。気づいたキーリは訝しげに尋ねるが、フィアは溜息を吐いて静かに首を横に振るだけだった。


「キーリ君は優しいですね」

「……何をどう間違ったらそんな結論に辿り着くんだよ」


 ジロリ、とクルエを睨みつけるが、クルエは嬉しそうに笑った。そんな態度を見て調子が狂うのを覚えながら「だいたい」と無理やりに話を続けた。


「魔法使ったら間違いなくドラゴンが気づくだろ」

「下手に刺激するのは避けたいところですが……しかしそうなると」

「外のドラゴンを倒して脱出する、ですか」


 壁の向こう側から聞こえてくる声に耳を傾けながら三人は揃って一層難しそうに表情を歪めた。


「なんかこう……レッドドラゴンの弱点みてぇなもんはねぇのか?」

「んん……曲がりなりにも万物の長とも評されるモンスターです。全身を覆う鱗はあらゆる剣を弾くと聞きますし、対魔法防御力も非常に高いはずです。過去に倒した例では、第一級魔法を、それも光神魔法や火力に優れた炎神魔法を連発したとか。或いは剣を超高密度の魔力でコーティングして斬り裂いたり、なんて伝説みたいな話がありますが……」

「先生がそういった魔法を使えたりは……」

「……申し訳ないですが光神魔法と炎神魔法の適性は余り高くなくて。剣に魔力を纏わせるにしても余程頑丈か、特別な製法で作られたものでなければ負荷に耐えられないでしょうね。

 ……やはりここは君たち三人を」

「却下です!」

「ダメに決まってんだろうが」

「しかし他に方法がありません」クルエはジッとフィアとキーリの顔を見つめた。「僕の魔法ならばドラゴンに攻撃される前に送り届ける事ができるはずです。キーリ君もフィアさんもシオン君も、将来有望です。僕とは違ってまだ前途洋々であり、輝かしい未来が待ち受けています。冒険者は時として何かを切り捨てなければならない事も往々にしてありますが、ただそれが今日という日だったというだけです」


 口調は優しく諭すよう。だが見つめる瞳はすでに覚悟を決めた者の眼だ。死にたくは無いが、誰かが犠牲になることで助かる者がいるのならば当然それは若者だ。そこを譲るつもりは、クルエは毛頭ない。

 クルエのその眼を見て彼の本気度合いを悟ったフィアは必死に考える。全員が助かる方法を、つまりはレッドドラゴンを退ける方法を。それは隣のキーリも同じ。強く下唇を噛み締める。

 ドラゴンを倒す、倒せるかもしれない方法は、ある。魔法に対して強い耐性があるとの事だが、キーリの本来の(・・・)魔法であればダメージを与えられるだろう。その魔法は人の領域を超えた存在が扱うもの。竜種であっても効果がなければおかしい。しかしその効果の程は、果たしてどれほどのものか。

 何度もその魔法を使うことはできない。であれば一撃で仕留めなければならない。それが全身を頑強に覆う竜の鱗を突き破ることができるのか。竜種に対峙したことなど当然無いキーリには分からなかった。


(……やってみるしかねぇだろ)


 後先を考えている余裕はない。使った後に自分がどうなるかは、一度も行使したことのないキーリには分からない。分かるのは、ここでしくじれば一人は確実に死ににいくだろうこと。そんな後味の悪いことはゴメンだ。

 キーリは一人決意を固める。そして自分がその手段を持ち得ている事を告げようと口を開きかけた時、唸っていたフィアの口から「あの剣があれば……」という声が漏れた。


「あの剣?」

「ん? ああ……いや、気にしないでくれ。何でもない」

「いいから言えって。そっからいい案が出て来るかもしれねぇだろ」

「そうですね。僕も進んで死にたい訳ではありませんし、回避できる手段があるならぜひ聞きたいです」


 二人から促され、フィアは渋々と言った感じで口を開く。


「期待されても困るのですが……以前に自分が使っていた剣があれば相手がドラゴンであっても何とか戦える可能性があるかと思っただけです」

「ンなすげぇ剣を使ってたのかよ、お前」

「偶々手に入れる事ができてな。私には分不相応なものだとは分かってる。

 一応『竜殺しの剣』と聞いていたのだが……だがここには持ってきていないし、そもそもこの街に来て早々に折れてしまったのだから紛い物だったのだろう」

「折れただぁ?」

「そうだ。だが幾らなんでもそんな伝説級の物がただのゴロツキと打ち合っただけで折れるはずがないしな……すまない、詮無きことを話しました」

「そういう事でしたか……確かにそんな物があれば何とか出来る可能性も出てきたでしょうが……」


 首を横に振るフィアと、肩を落とすクルエ。しかしキーリだけは口元に手を当てて考え込む仕草をしていた。


「どうかしたか?」

「いや、ちょっと気になる事があってな」


 訝しげに声を掛けてきたフィアに対し、キーリはそう言って手をヒラヒラと振るとまた思考に没頭する。口元に手を当て、その下でブツブツと言葉が紡がれていくがフィアとクルエの耳にはハッキリとは届かない。そんなキーリをフィアは訝しげに眉根を寄せるが、またすぐに自分もドラゴンを倒す手段を求めて頭に手を遣った。

 その時、傍らで横になっていたシオンの口から「ううん……」と苦しげな声が漏れてきた。そしてゆっくりと瞼が開いていく。


「シオンっ!」

「眼が覚めたか!?」

「あ、あれ……僕は……?」


 何度か瞬きをして首を動かして、覗き込んでくるキーリ達の顔を見る。状況が理解できていないようだったが、やがて「あ!」と声を上げるとガバリと身を起こす。しかしすぐに激しい頭痛が襲い、幼い顔を歪ませた。


「まだ起きてはダメですよ。さあ、横になって」

「は、はい。すみません……」


 手で頭を押さえながらシオンはもう一度横になる。安静にすることで痛みが和らぎ、更にクルエから魔法薬を渡されて飲み込む。途端に形容し難い味覚を破壊する様な味が口内や胃の中に広がっていく。同時に痛みも幾分楽になるが、怪我とは違った苦痛が苛んでシオンは泣きそうに表情を歪めた。


「どうしました、シオン君? 何処が痛みます?」

「テメェの作った薬がまずくて死にそうなんだよ。な、シオン?」

「え? そんな事は無いと思いますけど? 結構味には気を遣ってますし、我ながら良く調整できたなぁと自負できてるのですが」

「……本気で仰ってます?」

「もちろん。校長を通じて近々ギルドで販売をお願いしようかと思ってますが」

「そ、そうですか……」

「やめとけ。犠牲者が増える」


 殺戮兵器(こんなもの)を迷宮内で何気なく飲めば間違いなく卒倒する。バタバタと迷宮に半死体が増えて、冒険者たちがモンスターに蹂躙される未来しか見えない。或いはモンスターの口の中に放り込んで口撃するのもありかもしれないが。

 そんな益体もない事に思考が流れ、キーリは頭を振ってそれを振り払った。同じくフィアも気を取り直し、シオンの柔らかい、少し血に汚れた髪を慈しむように撫でる。


「だが……シオンが眼を覚まして本当に良かったよ」

「すみません。僕が不甲斐ないばっかりに……」ホッとしたように優しく見つめるフィアにシオンは謝罪を口にし、そして尋ねる。「あの、ここは何処ですか? それにクルエ先生も酷い怪我を……僕が気を失った後に何があったんですか?」

「簡単に言やぁ、穴蔵に落っこちて、その先でレッドドラゴンと『こんにちは』だ」

「れ、レッドドラゴンっ!?」


 まさかの名前にシオンは思わず叫び、また頭の痛みが襲ってきて「あたた……」と声を漏らした。


「な、なんでそんなモンスターが……?」

「さあな。クルエの見立てだとゲリーが召喚したんじゃねぇかって話だが――」


 これまでの推論をキーリが説明しようとしたその時、しばらく沈黙を保っていたレッドドラゴンが一際大きな雄叫びを上げた。


「グギュゥゥゥアアァァゥゥゥゥゥゥゥゥッッッッッッ!!」


 直後から激しい振動が四人を襲う。何かを破壊するような音が外から絶え間なく響き、揺れで小石が幾つも降り落ちてきた。フィアとキーリは怪我をしている二人を庇うように覆いかぶさる。その直後。


「■オ■■オオ■ォォ■■ォォォォォッッッッッッ――!!」

「ぐぅっ!」


 心底震えるようなドラゴンの叫びとともに、数瞬前までキーリ達が座っていた場所を尾が抉り取っていった。尻尾の先端がキーリの背を掠めて斬り裂き、背負っていた大剣をいとも容易くへし折っていく。袈裟に止めていたバンドが千切れ、キーリの肺を強く圧迫して苦しげな声が一瞬溢れ出た。

 壁だった石礫が散弾となって飛び散り、フィアの頭を襲った。拳大のそれがフィアの額を掠め、飛び散った血がシオンの顔に斑点を作る。


「フィアさん!」

「大丈夫だっ! かすり傷程度――」


 鋭く走った痛みに片目を瞑りながら叫び、フィアはドラゴンが開けた隙間から外の様子を窺った。そして眼を見開いた。

 ドラゴンの赤い瞳が暗がりの中で怪しく光を発する。猫の目の様に縦長の瞳がその中で金色に輝き、半開きの口が赤くなっていく。口からの光は急激に強くなり、膨大な魔素が集められて濃縮されていっているのがキーリはもちろん、普段はそれを感じることのないフィアにさえ理解できた。


「伏せろっ――!!」


 フィアがキーリの頭を押さえつけて顔を伏せる。

 瞬間、閃光が煌めいた。

 全てを白で染め上げ、その輝きの強烈さにフィアの赤い髪さえ真っ白に変わる。遅れて爆風。もろくなった壁を吹き飛ばし、四人を埋め尽くしていく。

 無限とも思える、世界が終わったかのような感覚。それがやがて終わりを見つけて、激しい熱に支配された空間の中でフィアとキーリは瓦礫を押し退け体を起こした。


「……っ!」


 そうして目撃した世界は別世界だった。

 自分たちのすぐ頭上から三六〇度に渡って壁が抉り取られ、ブレスが放射された壁面は熱で真っ赤に染まりドロドロと溶け落ちそうなまでになっている。ドラゴンがかろうじて体の向きを変える程度しか無かった広さは大きくその直径を広げ、少々の移動くらいはできそうな程だ。放たれた熱のせいで気温は上昇し汗ばむくらい。だがフィアの背では、目の当たりにした恐るべき破壊力に冷や汗がとまるところを知らなかった。

 ドラゴンは満足げに喉を鳴らして低い声を上げる。しかしまだ狭いと感じているのか、尾や体躯の割に小さな手で壁を未だ削り取り続けていた。


「このままでは……!」


 遠からず四人が隠れていた場所も見つかり、そして十分な広さを手に入れたドラゴンは背の羽を広げて飛び去っていくだろう。よしんば、このまま自分たちは見つからなかったとしても、上層へ飛び、更には街の中に出ればどれ程の被害が出るか想像もできない。そしてその時にまっさきに犠牲になるのは、迷宮の近くに住む貧民街の住民や豊かでは無い平民街の人たちだ。


「……っ」


 弱きを、守る。自らの心根に深く根を張る正義感がフィアを震わせた。出来る出来ないの話では無い。救援が期待できない中では、自分がこのドラゴンを何とかしなければならないのだ。例え、相手が絶望的な強さであっても。フィアは強く柄を握りしめて剣を引き抜いた。


「ちっ!」キーリは強く舌打ちした。「時間がねぇ。俺の思ってる通りならあのデカトカゲも何とかできるかもしれねぇ。フィアとクルエは――」

「お前一人では無理だ。私も戦う」

「ダメだ。フィアは……」


 ここに残れ。そう言おうとしたキーリだがフィアの表情を見て言葉を続けることが出来なかった。不安を押し殺し、それでも尚強敵に立ち向かうことを決意した、気高い意志の宿った瞳。奥歯を噛み締め、ややへの字に口元は歪んで、なのに笑うように口端を釣り上げている。埃や血に塗れて、しかしその姿をキーリは美しいと思ってしまった。だから止められない。

 キーリは一瞬彼女に見とれ、舌打ちをもう一度した。


「――……分かった。二人で共闘するにはちょうどいい。あのはた迷惑な野郎をぶち殺すぞ」

「二人とも無理です! 馬鹿な事は考えてはいけません!」

クルエ(テメェ)の考えよりゃよっぽどまともだぜ」

「全くだな」


 少しだけ浮き上がり、上に向かって穴を削って大きくしているドラゴンを一瞥する。キーリは首だけを回してクルエを見た。


「二人がどうしても戦うのを止める気がないのなら、僕も一緒に戦います」

「今のテメェはまともに動けねぇだろうが。おっさんは引っ込んで若ぇのに任せとけ」

「シオンはまだ動かせません。だからクルエ先生はドラゴンの攻撃が及ばないよう彼を守ってあげてください」


 クルエも共闘を主張するも、二人からの反論にはにべもない。実際に今のクルエの出せる実力は僅か。羽は折れ、肋もまだ完調でなくダメージは色濃い。シオンも眼を覚ましたものの動ける状態でない。

 この身が歯がゆい。現実からずっと眼を背けてきた結果だ。腐らずに鍛錬をしていたら教え子を立たせずに済んだというのに。深い煩悶にクルエは眼を強く瞑った。


「シオン」

「……はい」


 キーリはシオンに呼びかけた。シオンもまた足手まといである状況に強く落胆していたが、それでも痛む体を押して身を起こした。


「たぶん、っつーか絶対だろうけど俺らボロクソにやられて戻ってくるだろうからさ、そんときゃ世話になるわ」

「……お二人とも強いんですから、あんなたかがAランクモンスターなんて無傷で倒してきて下さいよ」

「シオンのリクエストとあらば、ぜひとも応えなければならないな」


 キーリの気遣いに、シオンはこみ上げる思いを抑えると何とかキーリやフィアがしているみたいに軽口で応えてみせた。フィアもその応答に嬉しそうに笑ってみせ、二人の背中に向かってシオンは魔法を唱えた。


「……っ、すみません。上手く集中できなくて今はこれくらいしか……」

「ありがと、よっ!」


 シオンの加護魔法を受けて体が軽くなり、風精霊に守られているかのような心地よさを覚える。直後にレッドドラゴンの尾撃が近くに飛んできて、フィアとキーリはしゃがんで避ける。

 今の一撃はキーリ達を狙ったものでは無かった事もあり、幸いにして当たりはしなかったが、ドラゴンの方は再びキーリ達の存在を認識したようだ。鼻息を吐き出し、一瞥した後に顎をしゃくる様な仕草を見せた。ドラゴンの、しかも幼竜だと言うこの個体がどれ程の知性を有しているのかは分からないが、鼻で笑われたと二人は感じた。


「トカゲのくせにいっちょ前に馬鹿にすることだけは知ってるらしいぜ」

「ならばどちらが上か、実力で分からせてやらなければな」


 自らを鼓舞するようにそう吐き捨て、前に一歩踏み出す。ドラゴンも敵意を認めて周囲の破壊行為を一旦止めてゆったりとした動作で旋回した。正面から敵と向き合う直前、クルエとシオンの二人から呼び止められる。


「これをお返しします。出来る限りの魔素と魔法を纏わせてあります。相当な業物ですので早々壊れる事はないでしょう」

「感謝するぜ」


 クルエからオーク達を倒す時に渡したナイフを返してもらい、手を挙げて謝意を示すキーリ。その隣でシオンもまたフィアに何かを手渡していた。


「これは……?」

「僕が作った魔法陣です。強いモンスターと遭遇してしまった時用に予め作ってきたもので、これは対火炎の保護魔法を込めてます……レッドドラゴンにどれだけ効果があるかは分からないですけど……」

「いや、十分だ。感謝するよ」


 柔らかく微笑み、受け取るとフィアは折り畳んで胸元に突っ込む。正面に向き直ると同時にドラゴンも二人を見下ろした。喉が低く鳴り、微かに口端を上げた。そう二人には見えた。

 シオン達を巻き込まないよう二人はゆっくりとドラゴンを中心に旋回していく。どちらも瞬きさえせずにドラゴンの動きに集中し、いつでも動けるように心積もりをしておく。

 目立った動きを見せないキーリ達だがレッドドラゴンもまた特に違った動きを見せない。二人の動きに合わせてゆっくりとその場で向きだけを変えるだけだ。凶悪な印象を与える金色の瞳は二人を捉えたまま、何処か楽しそうな気配さえある。幼竜ということであれば、もしかしたら初めて見る人間(矮小な存在)に興味を持ったのかもしれない。


「……で、だ。こうして戦おうってんだ。何か策の一つや二つは準備してんだろーな」

「……」

「……もしかしなくても無ぇのかよ」

「すまん……だがこのドラゴンが迷宮の外に出る事を考えると、ここで捨て置いて自分だけが助かることなど到底許容できなくてな」


 キーリの突っ込みにフィアは正直に心情を吐露する。キーリは軽く鼻で笑うと軽く肩を竦めてみせる。


「まあフィアだからな。んな事だろうたぁ思ってたさ」

「言ってくれる。そういうお前はどうなんだ?」

「俺が無策で体張るかっての。ちゃんとこのトカゲを倒せる手段を考えてるに決まってんだろうが……まあ、それもどこまで効果があるかは分かんねーけどな」

「可能性があるなら十分だ。それで私はどうすればいい?」

「どうやらコイツは俺らをおもちゃか何かだと思ってるくせぇ。クルエが幼竜だとか言ってたが、それも納得だ」リラックスするように首をグルリと回すドラゴンをキーリは観察する。「舐め腐った態度なのは業腹だが逆に言やぁ絶好のチャンスってやつだ。とはいえ腐ってもドラゴンだからな。だから一撃だ。とっておきの一撃ってやつをコイツのドタマにブチかます」


 キーリはドラゴンの頭を見据える。ドラゴンなんて生物の心臓が何処にあるのかも知らないし、何をすれば有効かも分からない。それでも、頭を潰せば死ぬはず。人間を見下すしかできない空っぽの脳みそでもそれが無ければ死ぬしか無いだろう。


「ならば私は最初から全力でアイツの気を引けばいいのだな?」

「ああ。とびっきりの隙を作ってくれりゃ十分だ」

「無茶を言ってくれる。だが、私が倒してしまっても構わんのだろう?」

「洒落にならねぇこと言ってんなよ」


 いつまで経っても動きのない二人に焦れたのか、ドラゴンの纏う空気が変わる。低い喉の鳴りは変わらないが、何処か苛立ちが混じり始めたように感じる。戦端が開かれる時は、近い。だからフィアはキーリに告げた。


「……前みたいな無茶をしようとしてくれるな。お前が死んだら耐えられそうにない」

「ありがたい告白だな。安心しろ。俺は死なねぇしお前も死なせねぇ。だから、お前こそ先走ってこないだみてぇな事はすんな」

「承知した」


 フィアの構えた剣に魔素が集まっていく。剣の周りが赤く染まり激しく熱を帯びていく。陽炎が空間を歪ませ、それでも尚もフィアは自身が扱えるありったけの魔力を剣に込めていった。

 キーリの脚が止まる。両手にナイフを持ち、クルエの込めた加護を感じ取りながら腰を低く落とす。

 ドラゴンは掛かってこいとばかりに顎をしゃくるような仕草を見せ、徐ろに口を大きく開く。同時に二人は地面を蹴った。

 直後、灼熱のブレスが二人が居た場所を眩く染め上げていった。



 2017/6/25 改稿


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