17-10 彼と彼女は迷宮で踊る(その10)
第77話です。
宜しくお願い致します<(_ _)>
<<主要登場人物>>
キーリ:本作主人公。体を巡る魔力は有り余っている反面、各要素魔法との相性が壊滅的に悪い。教会の聖女を始め、英雄たちに復讐するために冒険者としての栄達を望んでいる。
フィア:赤髪の少女でキーリ達のパーティのリーダー格。自分が考える「正義の味方」を追い求めている。可愛い少年を見ると鼻から情熱を撒き散らす悪癖がある。
シオン:魔法科の生徒で、キーリ達のパーティメンバー。攻撃魔法と運動が苦手だが最近成長が著しい。実家は食堂で、よくキーリ達もお世話になっている。
レイス:フィアに付き従うメイドさん。時々毒を吐く。お嬢様ラヴ。
ユキ:キーリと共にスフォンへやってきた少女。暇さえあれば男をひっかけているビッチ。
アリエス、カレン、イーシュ:キーリとフィアのクラスメート。いずれも中々の個性派揃い。
シン、ギース:探索試験でのアリエスのパーティメンバー。二人はマブダチ。(シン→ギースの一方通行)。
フェル:キーリ達のクラスメイト。実家は地方貴族だが反対を押し切って冒険者を志している。
オットマー:キーリ達の担任教師。筋肉ムキムキで良く服をパーン!させている。
クルエ:キーリ達の副担任教師。魔法薬が専門だが味覚は壊滅している。
不意に呆れた様な、それでいて楽しげな声が響いた。最早その声が誰のものであるか疑う余地は無い。キーリは背中の剣に手を掛けて即座に身構えると、気配を探りながら声を張り上げた。
「何処にいやがる! ティスラっ!」
「あはは、そんなに必死になって怒鳴らなくたって聞こえてるってば」
カラカラと笑い声が聞こえ、全員が一斉にそちらに振り向く。
ティスラはゲリーのすぐ隣に居た。先程まではゲリー一人しか居なかったはずだが、いつ現れたのか、元々寄り添っていたかのような自然さでそこに立っていた。
「やぁ、一ヶ月ぶりくらいかな? 元気にしてた?」
「まあな。テメェの面を拝まずに済んだおかげで精神的にはすこぶる健康だぜ」
「相変わらず酷いことを言ってくれるなぁ。でも君はそうでなくっちゃね」
挨拶にキーリは皮肉で返すが、ティスラは長年の友人のような気安さで受け流す。気負いの無いリラックスしたその笑顔に、キーリは一度舌打ちした。
その時、呪詛を唱えていたゲリーが傍らのティスラにようやく気づき、虚ろだった目に力が僅かに戻ってくる。そして、全員が見ている前でティスラに対して跪いた。
「お、おぉ……ティスラ。ど、何処に行っていたんだ? 探したんだぞ……?」
「ゴメンゴメン、一人で寂しかったよね、ゲリー。でも君だって悪いんだよ? 僕が待っててって言ったのに一人で勝手にここまで来ちゃうんだから」
「そ、そうだったか……? すまない、すまない……お願いだから僕を見捨てないでくれ……」
「うんうん。だいじょうぶ、だぁいじょうぶ。僕は君の傍に居るよ。だから安心しなって。ね?」
それまで目に宿っていた狂気は鳴りを潜め、変わって異なる狂気が姿を見せた。ゲリーはティスラの腕をつかむと迷子が親を見つけた時の様に縋り付く。ティスラは子を宥めるようにして背中を優しく叩く。その光景にゲリーを知る全員が驚きで唖然とし、そして異常な光景に眉を潜めた。
と、その時ティスラの口が高速で動いた。
直後に突風がキーリの傍らを吹き抜けていった。
「うっ……」
「っ……!」
背後から堪えるような声が聞こえて振り向けば、レイスとギースの髪が風に激しくたなびいていた。
「ぬぅ……!」
一拍遅れてオットマーが唸り声を上げた。彼の顔の横にはナイフが突き刺さっていた。
「せぇっかく僕が慰めてるんだからさ、邪魔は良くないよね?」
一瞬で魔法を構築、行使。隙をつこうと動こうとしていた三人を牽制してティスラはニコニコと笑った。だがフィアはここに至りようやく気づいた。彼の眼の奥が、表情とは裏腹にこれまで一度も笑っていないことを。
「……」
「ちっ……」
風が止み、突風によって閉じていた眼を薄く開きながら、レイスとギースはティスラを無言で睨みつけた。だがその背にはじっとりと冷たい汗が滲んでいた。
今の魔法は単なる牽制。それはティスラに傷つける気が無かったからだ。つまりは生かされた。直感がそう告げていた。もし彼が本気であれば、自分たちは既に、それこそ殺された事さえ気づかないのではないだろうか。
実力の一端を垣間見せるティスラに誰しもがいたずらには動けない。そんな中、生徒たちを守るようにクルエが前に進み出た。
「ティスラ君……」
「やあ先生。お久しぶり。その表情を見るに、僕のことはもう彼らから聞いてるみたいだね」
クルエに対しても変わらぬ気安さを保ったままティスラは話しかける。対するクルエの瞳はどのような色を湛えているだろうか。キーリからは彼の背しか見えず、推測する術はない。
「君は……フランですか? それともエレンでしょうか?」
「さあね? どうだろ? どっちだと思う? ねぇねぇ?」
無邪気そうに笑うその顔は造形こそ記憶の中の兄妹とは違う。それでも年を経ても変わらない幼気さが残る笑みが、クルエの中でかつての旅の途中で見せていた笑顔と重なっていく。
クルエは兄妹を見分けるのが得意だった。男女で異なるのに体型も顔も瓜二つ。衣服を入れ替えてしまえば旅の仲間の誰もが見分けられなかったのに、何故かクルエだけは二人の違いを知っていた。それは、兄妹が一番クルエにまとわりついていたからかもしれない。
故にクルエは軽く瞑目して、その名を――
「ええ、分かりますよ。あなたは――」
「――まあそんな事はどうでもいいんだけどね」
――呼ぼうとし、だがティスラに遮られた。
笑みが鳴りを潜める。苛立ちが微かににじみ出ている。クルエは言葉に詰まって立ち尽くした。
「今の僕はティスラでそれ以上でもそれ以下でもない。どっちがどっちだなんて僕らにとっては意味のないことなんだから」
初めて見せる、作り物ではない感情が覗く。ティスラはそう吐き捨てると、再び笑顔という仮面を被り直し、優しく手を引いてゲリーを立ち上がらせる。
「さあさあ。ゲリー、君の出番だよ。ここまで我慢したんだ。さあ、思いっきり君の想いをこの場で喚き散らしなよ」
大仰な仕草で両腕を広げ、芝居がかった口調でゲリーに語りかける。
「さあ! 君は神に認められたんだ! 不当な扱いに終止符を! 君の、君だけが持つ力を彼らに見せつけるんだ!」
「僕の、力を……」
ティスラの声が洞穴内に木霊する。その一言一言が耳に届く度にゲリーの目に力が蘇っていく。
「そして全てをひれ伏させ、自分の偉大さを示すんだ!」
同時に彼の周囲に魔素が集まり始めた。泣きついて赤く腫れた目は怒りに染まり、眉間に深い皺が寄って眉が逆立つ。憎しみが溢れ出ていく。全身が震え、禍々しい空気がゲリーにまとわりついていく。
「僕を……僕を……」
「ぜぇぇいん警戒体勢をとれぇぇっ!!」
「気をつけろっ!! 何かでかいことをやらかすつもりだ!」
オットマーとキーリが叫ぶ中でキーリ、フィア、アリエス、レイス……ゲリーの眼が順に彼らの姿を捉えていく。憎悪を更に魔法的な作用で増幅され、溢れたそれは目に入る人間全てを射すくめていく。
「エレン! 貴女、彼に何を――」
クルエが必死の形相で叫びかけたその時、ゲリーの全身におびただしい文様が浮かび上がった。
血を思わせる真っ赤な線で複雑な模様が、手の甲から頬の方まで、衣服で隠されていない場所の至る所に描き出される。それはまるで線が生きているかのように下から上へと伸びていき、その侵食が止まると同時に赤みを帯びた光を発し始めた。
直後、それまでの静かな鳴動が一転。立つのも困難なほどに迷宮全体が大きく揺れ始め、怒号のような地鳴りが耳をつんざいていった。
「くうっ……!」
「ぬうう……動けるものは全員退避せよっ!!」
「はははははははははははっ!! 見ろ、下郎どもっ! これが僕の力だっ!」
天井や壁から脆い部分が剥がれ落ち、埃が舞い上がる。その中で哄笑を上げてゲリーは赤に染まった眼を見開き、大きく身を仰け反らした。
全能感、万能感がゲリーを包みこんでいく。全てが自分の思い通りになる。自分の前に立ちはだかるものなんてない。全ては自分にひれ伏していく。そんな妄想がゲリーを満たしていく。
「……フィア、大丈夫か?」
「ああ……しかしこれはいったい……!?」
「やべぇぞ、こりゃ……」
キーリははっきりと感じ取っていた。あらゆる方向から魔素がゲリーに集まっていき、とてつもない密度の場を作り出していっている事を。ゲリーに近いほどに密度は高まり、本来目に見えないはずの魔素が今はうっすらと層を成して光を発している。最早、何が起きても不思議ではない。ゲリーの体に刻まれた術式を確認しようにも全ては見えず判断できない。こんな現象も経験したこともない。
ティスラが何かを仕掛けてくることは分かっていたはずなのに、こんな事ならばユキを連れてくれば良かった。アイツならばどうにかできただろうに。今更ながらの後悔に舌打ちを禁じ得ない。
その時、キーリの隣を影が走り抜けていった。
「レイスっ!?」
フィアが叫ぶ。だがレイスは止まらない。両手にナイフを握りしめ、濃紺のスカートを大きく跳ね上げながらゲリーに飛びかかっていく。
この人物は、危険だ。フィアに重大な危機が迫る前に始末しなければならない。昏い決意を胸に抱いてゲリーの側方より接近し、跳躍。振り向いたゲリーの視界から消え、ナイフを一閃しようとした。
しかし――
「誰が僕に近づいていいって言った!」
ゲリーが怒鳴り声とともに手を振りかざす。バチバチ、という小さな破裂音が手のひらから響き無詠唱のまま白閃が煌めいた。
「きゃあああああああっっ!?」
「レイスっ!!」
紫電をまとった壁が上空から迫っていたレイスを打ち据え、彼女の悲痛な叫びが響いた。宙に浮いた状態のまま全身が眩い光に包まれ、一際大きな破裂音の後に白煙を上げながら彼女の体は大きく弾き飛ばされていった。
「っ、くそがっ!」
「ギース君っ!」
近くに居たギースが咄嗟に走り出し、頭から落ちてくるレイスを受け止める。バランスを崩してギース自身も背中を強かに受け止めながらも、受け身を何とか取りつつ彼女の体をしっかり抱きとめた。
「レイス、大丈夫かっ!?」
「……心配ないのであるっ! 意識は無いが、軽症であるっ!」
ギースからレイスを受け取り、簡単な診察を行ったオットマーが叫ぶ。不安そうに見ていたフィアの表情が幾分ホッと緩んだ。だがすぐにギリっと奥歯を強く噛み締め、怒りの形相でゲリーを睨みつけた。
「ゲリー……貴様ぁぁぁっ!!」
「はははははははっ! くだらない真似なんかするからいけないんだ! いい気味……」
吠えるフィア。それにゲリーは醜く顔を歪め高笑いで応えた。だがその途中でゲリーの体が不意にくの字に折れ曲がった。
「が、あああああ……!」
「ゲリー……?」
訝しげなキーリの声にも反応せずゲリーは自身の首に手をやり、爪で掻きむしり始める。次々と紅い筋が刻まれ、薄く血が滲んでいく。自分自身を抱きしめるように体を掻き抱き、かと思えば頭痛に苛まれ、強く頭を押さえつけた。
「ぐ、が、あ…あ……!」
離れていく。何かが、何かが離れていく。言葉にならない奇妙な感覚がゲリーを蝕み、更には全身が、それこそ火炙りにされているように熱くなる。血液が沸騰している。耐え難い苦痛が次から次へと襲い来る。脚から力が抜け、思わずゲリーは傍に居るティスラの腕を掴み、彼が今、最も頼れるだろうと信じてやまない友へと視線で縋り助けを求める。
だが。
「ティ、スラ……?」
ティスラは掴まれた腕をすぐに引き剥がし、小さく溜息を吐くと笑みをゲリーに向けた。しかしその笑みは、これまでゲリーに向けていたものとは似て非なるものだ。彼が知っているのは他の貴族連中のようにおもねるようなものではなく、裏表がない素直で人好きのする笑顔だった。なのに、今ゲリーが見ているティスラの笑みはまるきり違った。別人がそこに立っているように思えた。
例えるならば、今彼がゲリーに向けている瞳の奥に浮かぶのは――家畜を見るようであった。
「やれやれ、これでやっと終わりかな?」ティスラの眼に深い憐憫が混じった。「今回はずいぶんと長い仕事になっちゃったけど、ま、半分は遊んで過ごせたしそれなりのご飯も好きに食べられたし、悪くない仕事だったと言えるかもね」
「なに、を……?」
全身に刻まれた模様から発する光が強くなる。それに伴い苦痛も強くなり体も熱くなる中、ゲリーは震えた。ティスラが何を言っているのか、理解できない。理解、したくない。
「分かんないかな? これまで君に付き従って色々と面倒を見てきたけれど、そんな関係ももう終わりってことだよ」
「そんな……」
悲痛に顔を歪め、膝をついたゲリーは必死にティスラに手を伸ばす。しかしティスラはスッと一歩後ろに下がり、ゲリーは冷たい地面に手を突いた。
「い、いやだ……ティスラ、僕を置いていくな……僕らは……友達だろう……?」
「友達? はは、中々面白いことを言うんだね」嘲笑し、ティスラは楽しそうに笑った。「さて、仕上げだ、ゲリー。君はね、もう――」
「やめろ、ティスラっ!!」
ティスラは決定的な言葉を告げる。キーリは直感でそれを理解した。それを言わせてはいけない。思わず手を伸ばし、叫んだ。
だがティスラは嘲笑うようにキーリを見てニィ、と口を歪め、そして吐き捨てた。
「用済みなんだよ」
沈黙。
一瞬、だが永遠とも言える程にゲリーの中で長く時間が止まった。
用済み。不要。これ以上役には立たない。見捨てられたゲリーの中で響き渡り、蝕んでいく。
取り巻きにも使用人たちにも見捨てられた。父親にも見捨てられた。そして今、最後に残った友にさえ見捨てられた。なら僕はどうすればいい? 僕の周りには誰が居る? 誰が残った? 誰が僕を見てくれる? 誰か僕を見てくれ。嫌だ、嘘だ。信じたくない。やめて、僕を置いていかないでこれじゃ僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は――
一人だ。
「うあああああああああああああああああっっっっっ!!」
絶叫と共に崩れる。自我が崩れる。目玉が零れ落ちそうな程に眼を見開き、頭を掻きむしり、喉が切れて赤みの混じった唾液が口端から流れ落ちていく。同時にゲリーの全身の発光が一層強く、眩いばかりになっていった。
そして、それと同時に一層激しく迷宮が揺れ始めた。振動で天井の欠片が落ち、地面に当たって砕けていく。
「……っ!」
横穴の中でカレンは膝を着いて天井を見上げた。崩れる天井。このままだと危ない。未だ広間に留まっているアリエスやフィアを見た。そして気づく。
地面に、ヒビが入り始めていた。
「アリエス様っ、フィアさん、みんなっ! 早く逃げてっ!!」
カレンが悲痛な声で絶叫し、異変に気づいたクルエもまた全員に向かって叫んだ。
「床が崩れます! 早く穴の中にっ!」
その声に弾かれたように全員が走り出す。それとほぼ同時にゲリーが泣き叫ぶ場所を残して中心から地面が崩壊し始めた。
逃げる。背後から迫る奈落をキーリは振り返った。
ダメだ、崩壊の方が早い。このままでは間に合わない。
(ならっ……!)
キーリは直ぐ側を走るフィアと眼が合った。一瞬だけだがキーリが何を考えているのかフィアは直感した。そして即座に首を縦に振り、隣のアリエスの体を掴んだ。キーリもまたフィアの考えを瞬間的に察した。
「口を閉じろっ、アリエスっ!!」
「舌噛まねぇように気をつけなっ!!」
「ちょっと、フィア、キーリ! 何を――ってきゃあああああああっっ!?」
二人してアリエスの体を抱え、そして――思い切りオットマー達の方へ放り投げた。
悲鳴を上げながら彼女の体は緩やかな放物線を描く。その最中で天地が逆転したアリエスの眼に、彼女を投げた反動でキーリとフィアの脚が止まった姿が映った。
直後に彼らの足元から地面が消えた。
「うわあああああああっ!」
「シオン君!」
あと一歩横穴に届かなかったシオンが悲鳴を上げながら落下していく。それに気づいたクルエがその直ぐ後を翼を羽ばたかせて追いかけ、ぽっかりと空いた虚ろな穴の中へと消えていった。
「フィアっ! キーリっ!」
二人に遅れてキーリとフィアの体が宙に囚われた。
空中でアリエスは何とか体の向きを変えて手を伸ばす。しかし当然、彼女の手は彼ら二人には届かない。離れていく。だが伸ばさないではいられない。例え無駄だと分かっていても。
キーリとフィアが暗がりの中へ消えていこうとしていた。だが悲壮感は無い。少なくとも大切な友人を一人は助けられたのだから。そしてこのまま落ちて死ぬつもりもない。
だからアリエスを安心させるために二人は笑い――揃って親指を立ててみせた。
それを目の当たりにしたアリエスは眼を見開いて顔を歪ませ、そして安堵――では無く憤怒に端正な顔を歪ませた。
「あぁぁんの馬鹿二人はああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
普段の上品な言葉遣いを明後日の方へと放り投げ、怒鳴り声が崩落する迷宮に木霊する。
「生きて戻ってきなさいっ!! 一晩説教して差し上げますわっ!!!」
暗闇に飲まれて姿の見えなくなったフィアとキーリに向かって叫び、彼女の体は落ち行く二人から離れて、待ち受けていたオットマーとカレンの腕へと吸い込まれていった。
2017/6/25 改稿
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