17-4 彼と彼女は迷宮で踊る(その4)
第71話です。
宜しくお願い致します。
<<主要登場人物>>
キーリ:本作主人公。体を巡る魔力は有り余っている反面、各要素魔法との相性が壊滅的に悪い。教会の聖女を始め、英雄たちに復讐するために冒険者としての栄達を望んでいる。
フィア:赤髪の少女でキーリ達のパーティのリーダー格。自分が考える「正義の味方」を追い求めている。可愛い少年を見ると鼻から情熱を撒き散らす悪癖がある。
シオン:魔法科の生徒で、キーリ達のパーティメンバー。攻撃魔法と運動が苦手だが最近成長が著しい。実家は食堂で、よくキーリ達もお世話になっている。
レイス:フィアに付き従うメイドさん。時々毒を吐く。お嬢様ラヴ。
ユキ:キーリと共にスフォンへやってきた少女。暇さえあれば男をひっかけているビッチ。
アリエス、カレン、イーシュ:キーリとフィアのクラスメート。いずれも中々の個性派揃い。
シン、ギース:探索試験でのアリエスのパーティメンバー。二人はマブダチ。(シン→ギースの一方通行)。
フェル:キーリ達のクラスメイト。実家は地方貴族だが反対を押し切って冒険者を志している。
オットマー:キーリ達の担任教師。筋肉ムキムキで良く服をパーン!させている。
クルエ:キーリ達の副担任教師。魔法薬が専門だが味覚は壊滅している。
進む道は緩やかな下り坂だった。途中で何度も分かれ道があり、途中にはモンスターのレベルを示す表示もあったが、果たしてそれが今はどれだけ意味を成しているのかは疑問だ。
予めクルエが教員用に持っていたマップと見比べながら出口へと向かおうとするが、幾つかは道が塞がれていて違う道を選ばざるを得ない状況になっていた。それはまるで、キーリ達を外に出すまいとしているような「意思」を示しているようで、口にこそ出さないが全員が気持ちの悪さを覚えていた。
それでもグリーズベア以降現れるのはEランクのモンスターが殆どであったため、特に問題なくそれらを排除できていた。誰一人傷を負うこと無く、またクルエが積極的に手を貸さねばならない状況にもならなかったが、D-ランクのエリアであってもその程度のモンスターしか出てこないため、既にエリア分けは狂っているのが明白であった。
逆に罠の類はランクの低いエリアであっても悪辣な物が増えていった。隠しスイッチを踏めば毒ガスが噴出したり落とし穴が現れたりと、並の新人冒険者が足を踏み入れれば多くの犠牲者を出したであろう。だがキーリ達にはレイスという優れた斥候がおり、また見逃しそうな場面でもクルエが適切に解除してくれる上にキーリもまたひっそりと「影」を這わせて万一にも見逃しが無いようにしたため問題の起こりようが無かった。
「……なぁ、少し休憩しねぇか?」
そうして慎重に慎重を重ねて進み始めてからどのくらい時間が経っただろうか。隊列の中程からイーシュがそう声を上げた。
「なんだ、もう疲れたのかよ」
「馬鹿言うな、俺はまだまだピンピンしてるっつーの。だけどよ、俺らは良いとしても……」
「ぼ、僕の事でしたら気にしないでください。僕もまだ歩けます」
イーシュの隣でシオンが気丈に振る舞う。だがフィアが振り返ってみると、シオンの額にはじわりと汗が滲み、顔にもやや疲労の色が見えていた。
「ではイーシュ君の言う通りにしましょう。すみませんがレイスさん、この先の近くに何処か休めそうな場所が無いか調べてきて頂けますか?」
「承知致しました」
クルエに恭しく一礼し、疲労を感じさせない足取りでレイスは迷宮の先に消えていく。
残った五人は脚を止め、すると疲れがドッと出たのかシオンの体が少しふらついて、それをフィアが抱きとめた。
「あ、ありがとうございます」
「いや……すまない、シオン。もっと早く気づくべきだったな」
「い、いえ。僕がもっと体力があれば……」
「そもそも魔法使いと俺らは訓練の内容からして違ぇんだから気にすんなって」
「……本来の通路であれば既に休憩ポイントがあったはずなのですが、やはり構造自体が変わってしまっているようですね。
申し訳ありません、どうも想定外の事態に余裕を無くしてしまっていたようです。僕が率先して体力を気にかけるべきでしたのに」
申し訳ない、とクルエに謝られシオンはますます恐縮して所在なく身を縮こまらせた。そんな小動物なシオンを見たフィアは頬を赤らめてブルブルッと体を震わせた。そして後ろから抱きかかえ上げてお姫様だっこをしてやった。
「ふぃ、フィアさんっ!?」
「休憩場所まで私が責任を持ってシオンを運ぼう。なに、これもパーティのリーダーとして当然の責務だから気にすることはない」
「……シオンの服をその汚い鼻血で汚すなよ?」
キリッとした表情のまま鼻からツツツ……と情熱を控えめに垂らし始める。眼差しは相変わらず鋭いながらもどこか恍惚とした表情のフィアに、キーリは何とかその言葉だけを絞り出した。
「お待たせ致しました。もう少し進んだ所に休憩用の小広場がありました。今はどなたも使用していない様子です」
「おし、ならさっさとそこに言って休もうぜ。俺もちょっとは腰を下ろしてぇよ」
「なんだ、お前も疲れてんじゃねぇか」
「そんなん当たり前だろうが。俺は一般人なんだよ。お前ら逸般人と一緒に考えるんじゃねぇっつーの」
「へいへい」
口を尖らせ顔を歪ませながら悪態を吐くイーシュを適当にあしらいつつ、レイスに先導されて休憩用の広場へとキーリ達は向かった。
小広場、とレイスが称した通りそこは小さなスペースだった。通路の壁の一部を切り抜く形で作られたそこは、六人が車座になって荷物を置けば新たに誰かが入って座る余地は無いくらいに狭い。
「シオン、魔力は大丈夫か?」
「ええ、魔法は殆ど使ってませんでしたから」
「なら魔法陣の設置と魔力の封入まで頼めるだろうか?」
頷くとシオンはフィアの腕から下ろしてもらい、背負っていた背嚢から魔法陣の紙を取り出して予め用意されていた専用の台に静かに置いた。そしてその魔法陣に魔力を込めていく。すると六人が入ってきた入り口が光を発し、薄いベールに覆われたように外が霞んで見えるようになる。
「ふぅ……終わりました。これで大丈夫だと思います。余程強いモンスターでない限り、ここに入るのは不可能です」
「サンキュな、シオン」
「いえ、これも僕の仕事ですから」
疲れた表情を見せながらもシオンは笑みを浮かべ、そしてフィアに導かれるままに彼女の膝の上に腰を下ろした。その光景には既に誰も何も言わない。
「潜ってからどんくらい時間が経ったんだろうな?」
「そうですね……ざっと五、六鐘(≒五、六時間)くらいではないでしょうか? あくまで私の体感ですが」
「もう日が暮れて暗くなり始めてるくらいだぜ。腹のすき具合からして間違いねぇ。いつも今くらいからがいっちばん空腹がきついんだよな」
「凄いですね。お腹の具合で時間が分かるんですか?」
「役に立つのか、イマイチ分からん特技だな」
ニヒヒ、と自慢げに笑いながら腹をさするイーシュに、何処か呆れた視線をキーリは向けた。
「どうせ確認する術は無いのだからな。ここはイーシュの話を信じよう。それに、ついでだ。今のうちに腹ごしらえもしておいた方がいいだろうな」
「僕もそう思います。この先も都合よく休める場所があるか分かりませんし……」
「そうと決まれば……」
いそいそとイーシュは背嚢に手を突っ込み、携帯用の食料を床に並べていく。最後に木のカップを取り出すとキーリに向かって突き出した。
「キーリ、水を出してくれよ」
「なら私にも頼む」
「あ、でしたら僕も」
「私にもお願い致します」
「へいへい」
次から次へと差し出されるカップにキーリは投げやりな返事をしながら、魔法で水を作り出すと注いでいく。フィア達にとってはすでに馴染みの光景だが、初めて見るクルエは感嘆とも呆れとも言えない溜息を漏らした。
「クルエも要るか?」
「では僕も頂戴しますね。噂には聞いてましたが、まさか本当に魔法で飲み水を作ってるとは思いませんでしたよ」
「他にまともに使い道がねぇ魔力だからな。有効活用ってやつだよ」
「……本当に勿体無いですね。世の中、ままならないものです」
「そんなもんだろ、世の中なんて。どうにもならねぇもんを悔やむより、出来ることを考えろってな」
達観したように話すキーリにクルエは軽く目を見張る。
「……強いですね。キーリ君は」
「いや、弱ぇよ。俺一人じゃ大したことはできねぇしな」
「君の歳でそれを認められるだけでも大したものですよ。もっとも、若い内の無鉄砲さというのも僕は嫌いじゃありませんが」
そこまで話して、クルエは「そうそう」とここまでの道中に疑問に思っていた事を口にした。
「最初の方からずいぶんと、正直に言えば過剰な程に慎重に進んでいるように見受けられたのですが。以前の探索試験の時には慎重ながらも、もっと探索速度は速かった様に記憶しています」
「それは……」
「迷宮に潜る際には進む速度も重要です。ガルディリスさんの話もありましたし、慎重になるのも分からないわけでもないのですが……皆さんの成績を考えれば進行速度の重要性を失念しているとも思えませんし、何か理由があるのでしょうか? もし差し支えがなければ教えて頂けませんか? ああ、もし言いづらい事であれば無理はしなくても結構ですので」
責める、というよりも心配気な様子でクルエは尋ねた。
フィアはキーリの顔を見遣った。リーダー役は彼女だが、キーリのデリケートな事情に絡む話だ。かといってクルエに嘘を吐くような真似はしたくない。目線で判断を委ねられ、キーリはクルエの顔を見ながら少し腕を組んで思案する。
「……お話しても宜しいのでは無いでしょうか?」レイスはキーリを見てそう言った。「出過ぎた真似をして申し訳ありません。ですがカイエン先生も私たちと一緒に行動している以上、この試験の最中に何かが起きるのであれば巻き込まれる可能性はあります。むしろ、最初から事情をお話しておくべきだったと考えます」
「巻き込まれる、とは穏やかな話ではありませんね。皆さんは僕の生徒です。生徒が危険な目に合うかもしれないのであれば僕が守りますよ」
「それに、カイエン先生はキーリ様の事情にも詳しい様に見受けられます」
横目でレイスは冷たい視線をクルエに送った。その仕草は彼女には珍しくもないものだが、心根を見抜こうとするようなその眼差しは鋭さを以てクルエを射抜く。それまでキーリ達を優しく笑みを浮かべて見守るようだった彼の顔が一瞬強張った。
「私見を言わせてもらえば、クルエ先生には話しておくべきだと思う。もし先生が何らかの事情をご存知であるのであれば、なおさら隠しておく理由は無いだろう」
「……ま、それもそうだな」
キーリはカップの中の水を飲み干して口元を拭うと、クルエに尋ねた。
「クルエは、ティスラを知っているか?」
「え? ええ、もちろん。ゲリー君と仲が良かった生徒ですよね? 普通科の生徒ですし、彼のクラスにも担任の代理で何度か授業を行っていますから」
「なら――アイツが『英雄』の一人だという事は?」
「――っっ!」
クルエは言葉を失い、目を見開いてキーリを見つめた。唖然として呼吸を忘れたように静止する。だが手は震えていた。
「そんな……まさか、そんなわけが――」
「その反応を見るに、知らなかったみてぇだな」
キーリの確認の言葉に、クルエは眉間に深い皺を刻んで頷く。
「それは……本当の話ですか? 彼が英雄だったなんて……」
「間違いねぇ。本人の口から直接聞いたし、それに『英雄』でしか知り得ない、俺の村の事も知ってたしな」
「それは私も一緒に聞きましたし、間違いないかと思います。
先日彼と遭遇した時に、明確には言いませんでしたが、この試験の最中に私達に何か手を出してくるような事をほのめかしていましたので、今回は殊更に慎重に進むように心がけています」
「そう、ですか……」
天を仰ぎ、クルエは腹の底からこみ上げてくる何かを堪えるかの様に目を閉じ重い溜息を吐き出した。それは悔やんでいる風にも、やるせなさを噛み締めている様にも見える。数瞬の間そうしていたが、やがてクルエは顎に手を当てて考え込む仕草をした。
「……意外だな」
「はい? 何がでしょう?」
「あんまり驚いてない……いや、違うな。驚いてるには驚いてるんだろうが、何て言うんだろうな、『英雄』を間近で見たとか教えていたとかに対する普通の反応とは違うように見えるぜ」
「そうだな。普通は、かの英雄が傍に居たと知ればもっと嬉しかったり恐縮したりといった反応をする様に思うが……」
「……僕も英雄は好きではありませんから」
「そうかよ。それにしちゃ、好きだとか嫌いだとか、そう言った感情とは別のモンがさっきから見え隠れしてるぜ?」
キーリに指摘され、クルエは黙り込んだ。眼鏡の奥の双眸は伏せられ、キーリから目を逸している風に見える。或いは、目を見られるのを避けているのか。
「なあ、クルエ」キーリは呼びかけながら踏み込んでいく。「疑問には思ってたんだ。他の奴らに比べて平民で人族ではない俺の事をやたら気にかけてくれてるし、魔法もまともに使えない俺を研究室に誘ってくれたりしてくれた。だけど後から考えりゃ、アンタの言葉からは俺を冒険者にさせたくないような節もあった。
鬼人族の事を知ってたり、あの時、村に居ないと分かんねぇことも知ってたり不思議だった」
ダメだ、これ以上踏み込むな。知らなくても良いことはあると、もう一人の自分が制止の声を叫んでいる。手が知らず冷たくなり、キーリの心臓が早鐘を打つ。だが、問わずにはいられない。答えは手を伸ばせば届く範囲にあるのだから。
キーリは、だからただそれだけを震える声で絞り出した。
「アンタ――何者だ?」
時が静止した。問いを口にしたキーリは、そんな錯覚を覚えた。
全員がクルエに視線を注ぐ。注目を浴びる中、クルエは目を閉じて押し黙った。誰も言葉を発せず、身動ぎの音さえしない。静寂が肌をヒリヒリと焦がしていく。
長いように感じる重苦しい時がたった数秒だけ流れ、クルエはゆっくりと息を吐き出した。
「……分かりました。恐らく、幾つかは皆さんもご想像はついているかと思いますがお話します」
徐ろにクルエは口を開いた。眼鏡の位置を震える指で整え、下唇を噛んだ。
「僕の名前はクルエ・カイエンではなく、クルエ・ディ・フォンティルヌ。とある功績で王よりこの名を頂き、そして、捨てました」
「フォンティルヌ……ではやはりクルエ先生は――」
「ええ、元々爵位を頂いてました。そして」溜息がクルエから漏れた「――かつて魔の門を閉じたとされる『英雄』の一人です」
言い切ると同時にクルエの体は壁へと叩きつけられていた。無防備に背中を打ち付け、肺の空気が押し出されると共に苦痛の嗚咽が溢れた。前のめりに崩れそうなその胸元が掴み上げられ、もう一度壁へと強かに叩きつけられる。
掛けていた眼鏡が地面に落ちる。久しぶりのレンズ越しでは無い世界。クルエの瞳は自分を締め付け、泣きそうな顔で睨みつけるキーリをハッキリと捉えた。その表情がいっそうクルエの心臓を締め付けていく。
「キーリっ!」
「キーリさんっ!!」
クルエを掴み上げたキーリを引き剥がそうとフィアやシオンが立ち上がった。だがそれをクルエは、苦しそうに顔を歪めながらも手で制した。
「いいんです……構いません。僕は殺されても仕方ない人間ですから……」
「ですがっ!」
「さあ、キーリ君。君の大切な人たちを殺した憎い相手です。どうぞ好きになさってください」
抵抗も一切せず、逆にクルエはキーリの感情を煽るように笑い、両手を左右に広げた。その表情は苦しいながらも何処か柔らかだった。
これでやっと罪を償える。クルエの顔色からそんな想いを抱いている事をキーリは感じ取った。その事が悔しくて腹立たしくて、掴んだキーリの手に更に力が篭もる。キーリの表情には様々な色が浮かんでいたが、やがて怒りの色が濃くなっていく。
そしてキーリは拳を振り上げた。
「おい、バカキーリっ!?」
「やめろっ!」
イーシュとフィアが叫び、キーリの腕に飛びかかる。だがそれよりも早くキーリの拳は振り下ろされた。
砕ける音が響いた。全力で振るわれた拳により破壊された礫が四方に飛散し、キーリの頬を浅く斬り裂いていった。赤い血が頬を垂れていく。
しかし、それだけであった。
「……いいんですか?」
礫がかすめ、キーリと同じく頬やこめかみから血を滲ませながらも、自分の意識が未だ健在であることにクルエは驚く。うっすらと瞼を開け、キーリを見上げると、キーリは歯を噛み締めて何かを堪える様に震えていた。そしてクルエを掴んでいた右手から力を抜いて解放した。
「キーリさん……」
シオンが心配そうに声を掛け、治癒魔法を掛けようと手を伸ばすがキーリはそれを小さく手を挙げて断り、元々自分が座っていた場所に身を投げ出すような勢いで乱暴に腰を下ろす。
「大丈夫だ……
あー、くそったれ、最悪な気分だ」
一度銀色の前髪をぐしゃぐしゃに掻き乱しながらキーリは吐き捨てた。左手を額から目にかけて当てて俯き、開いた右手を何度も開いたり閉じたりさせていた。
「僕を……殺さなくて良いんですか?」
痛む喉元を擦りながらクルエは戸惑いながら尋ねた。
キーリの事を知って以来、ずっとクルエは殺されるつもりでいた。シェニアからキーリの素性を聞かされた時は心臓が潰されるかと思うくらいの悔恨の念が押し寄せ、それから生き残りが居たという喜びが心を震わせる。そして同時に、叶うことのない償いの時がついに来たのだと思った。
それでもここまで自分が村を滅ぼしたと告白をしなかったのは何故か。それは、未だ冒険者になっていない彼の将来を暗いものにしたくないという思いもあったし、学校生活を謳歌する彼の姿を見て、楽しい時間に水を差してしまいたくないという考えもあった。だからクルエは殊更に彼の事を気にかけていた。罪を贖いたいと願いつつも、このまま自分の正体に気づかずに明るい未来を生きて欲しい。そう願っていた。
しかしそれも、結局は直接死を以て償う、その事が怖くて逃げ回っていただけなのだろうか。クルエは戸惑いの中でそう自らのこれまでを回顧しながら自嘲した。
「ふざけてろ。今アンタを殺したらフィア達の努力まで台無しになるだろうが」
「卒業の事を気にしてるんですか? であれば大丈夫でしょう。
……ここは迷宮です。目撃者は居ませんし、まして今はモンスターの配置もメチャクチャになっています。想定外の強いモンスターが現れて僕を殺してしまったとか、色々と誤魔化しようはありますから、心配は要りませんよ」
僕が死んでも誰にも咎められる事はありません。
そう述べたクルエ。キーリはそれを聞くと再び立ち上がってつかつかと早足で近づき、今度こそクルエの顔を殴り飛ばした。
「キーリっ!」
「二度とそんなふざけたこと言うんじゃねぇ」キーリの目には怒りが満ちていた。「目の前で大事な教師が殺されたのを見て、その事を誤魔化して何も無かったような、そんな厚顔無恥な生き様をコイツらに晒させるつもりか?」
「っ……!」
ハッとしてクルエはフィア達の顔を見回した。フィアもイーシュもシオンも、皆同様に不安そうな顔をしている。レイスだけはフィアを見ているが、彼女はキーリとクルエよりもフィアの事を心配しているのだろう。その証左として彼女はフィアを見た後でクルエを睨みつけるように目を細めている。
せめてもの罪滅ぼしに、と正しき心を持った冒険者を育てようと、偉業の褒美として得た爵位を捨てて教師となった。だというのに大切な事を自ら捨てようとしていた事にクルエは気づいた。恥ずかしくなり、情けなくなり、クルエは両手で顔を覆った。
「申し訳ありません……愚かな事を言いました」
「もういい……それに」キーリは倒れたクルエに背を向けた。「そんな、死にたがってる顔してる奴を殺せるかよ」
「……」
「その、クルエ先生」
憮然として座りなおすキーリを横目に見ながら、シオンは言いづらそうに口を開いた。
「本当に先生がキーリさんの……その、故郷を攻撃したんですか?」
「……ええ、残念ながらそうです」
「本当に本当なんですか? クルエ先生は、その、本当に後悔しているように見えますし、嫌な顔一つしないで魔法を丁寧に教えてくれたりして、優しい先生だと思います。そんな先生がキーリさんの故郷を理由も無しに……」
「滅ぼしたとは思えませんか? 買い被り過ぎです。それも、罪悪感から逃れたいだけの上辺だけの優しさですよ……僕は慕われるような人間ではありません」
「そっかぁ? 俺はクルエの事は悪い人間とは思わねぇけどな」イーシュがあっけらかんとして言った。「クルエがあの『英雄』の一人だってのは驚いたけどよ、どうしても俺ん中でキーリから話に聞いてたような、あんな絵に描いたようなすっげぇ悪い奴らには思えねぇんだよな」
「君の勘違いですよ、イーシュ君。今の僕しか知らないからそう感じるだけです。今の僕は結局、当時の罪から逃げるために、いい人のフリをしているだけに過ぎませんから」
「どうしてそこまで偽悪的に振る舞おうとなさるのですか?」
フィアは剣の鞘を握りながら、解せないとばかりに眉間に皺を寄せた。
彼の言葉をそのまま受け取るならば、キーリの故郷を滅ぼしたクルエは悪である。如何なる事情があるとしても、彼女の中の価値観に沿えば許すことの難しい極悪な所業だ。キーリが殴りかかったために止めようとしたが、キーリがこの場に居なければ彼女自身が殴りかかったかもしれない。正義を信奉する彼女の中で、如何ともしがたい怒りが湧き上がり掛けていた。
しかしシオンやイーシュの言も理解できる。告白だけでなく、落ち着いてクルエという人間の為人を振り返って見た時に、確かに鬼人族を虐殺した人間とは思えなかった。優しく、教師としても人間としても尊敬できる人であるように彼女は感じていた。そして、殊更にクルエ自身が悪ぶった言動をしているようにも思えた。それだけに、彼が本当に断罪されるべき人間であると思うことができなかった。
「偽悪的ではありませんよ。これが僕の矮小で醜い本性ですから」
「……過去を悔やむ貴方が、自らをそう責め立てるのを止めるつもりはありません。ですが……どうにもクルエ先生は自分を責めてもらいたがっているように思えます。そして、私にはどうも……クルエ先生が自らの意思で鬼人族を滅ぼしたとは思えません。何か事情があったのではないですか?」
「……事情はどうあれ、僕が鬼人族の方々の村を滅ぼしてしまったのは事実ですから」
「悔いるのであれば、そうやって殊更に自らを責めるよりもまず、キーリに本当の事を話すべきではないのでしょうか?」
真実を見極めたい。そう心で呟きながらフィアはクルエをじっと見た。
キーリも顔を上げ、幾分落ち着いた面持ちで同じく彼に視線を向ける。クルエは黙した。しかし視線は迷ったように宙のあちこちをさまよい、やがて落ちていた眼鏡を拾って掛け直した。
「教えてくれよ、クルエ……」キーリは少し赤くなった瞳でクルエに話しかける。「何で……ルディやエル、ユーミル……村の皆は死ななきゃなんなかったのか……アンタなら、アンタなら知ってるんだろ……?」
気持ちが昂ぶったか、ルディ達の名を出した途端にしゃくり上げそうになるがキーリは堪える。そんな自分が恥ずかしいと思ったか、ピシャリと頬をキーリは叩いて気持ちを落ち着かせた。クルエは黙したまま考え込むように宙に視線を彷徨わせ、「そうですね……」と息を漏らした。
「……分かりました。恐らく……キーリ君が望む答えは出てこないと思いますが……」
「構わねぇ」
「では私が知る事は全て、隠し事は無くお話しますので」
これが僕の贖罪でしょうか。誰にも聞こえないくらいに小さな声で呟き、クルエは語り始めた。
2017/6/25 改稿
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