2-4 迷宮都市・スフォンにて(その4)
第7話です。
よろしくお願いします。
<<主要登場人物>>
キーリ:本作主人公。冒険者養成学校に入学するため、スフォンへやってきた。
シェニア:スフォンのギルドでキーリの対応をした受付嬢。
「ここが冒険者ギルド、か」
目の前の建物を見上げ、その大きさに溜息を漏らしながらキーリは呟いた。
スフォンほど大きな都市のギルドを訪れるのは初めてだが、その巨大さと重厚さには圧倒されるものがある。
これまでキーリは村や小さな町にあるギルドには入った事はあったが、それは小さなものだった。掘っ立て小屋、とは言わないが外形は普通の民家よりちょっと大きいくらいに過ぎず、職員も数える程。それさえ暇そうに椅子に座っているのが半数だった。
だが、今見上げている建物はどうだ。富裕街と貴族街にまたがるように存在するそれは、高さこそ三階建て程度だが横幅は数十メートルに及んで、キーリが立っている正面エントランス前からは端が確認できない。石造りの建物にはまるで前世で見た欧州の世界遺産の様に微細な意匠がそこかしこに施されていて見ているだけでも十分楽しめる。
そして何よりも、長らくこの場で風雨に耐えてきた跡があちこちにあり歴史の重みを感じさせた。
「さすがは歴史ある迷宮都市・スフォンってとこか」
そんな建物の中に、先程から多くの人間が出入りしている。聞きかじっただけのキーリの知識では、昼もすっかり過ぎてしまった今の時間は一番訪問者が少ないはず。にも関わらずエントランスの扉は何度も閉じたり開いたりを繰り返している。
「今でこれなら、午前とか夕方になるとどうなるんだろうな」
きっとエントランスからは人が溢れてしまうんだろう。中はさながら戦場状態か。
迷宮ランクが落ちて凋落激しいとは言われるが、まだまだ迷宮都市としては一級品。生み出される富もまた莫大だ。
そんな事を考えてボケっと立っていると、不意に背後に辻馬車が停車した。
「どいてくれ!」
止まるや否や、転がるように飛び出してきたのは三人の男達だ。迷宮から帰ってきたのだろうか、いずれも服や鎧は土埃や血で汚れている。
だが何よりもキーリの眼を引いたのは真ん中の男だ。全身のあちこちから血を流し、両脇の男に支えられているが意識は無いようだ。ぐったりとして、半ば引きずられながらギルドの建物へ向かう。ただし、正面では無くエントランスの隣にある別の入口にだ。
迷宮の探索は基本的に非常に危険な仕事である。得られる富も莫大だが、それに比例して危険度は跳ね上がり、重傷を追う者、命を落とすものも珍しくない。どんな優秀な冒険者でも何時如何なる時でもその危険はある。
しかしギルド、そして国として優秀な冒険者の喪失は重大な損失である。また、現時点では優秀では無くとも将来性豊かな若い冒険者が経験を積み重ねる中途で命を落とす事も同じように重大な損害だ。
それを防ぐための方策が養成学校の設立と医療機関の設置だ。前者は正式な冒険者として登録される前に、基本スキルと必要知識、そしてある程度の戦闘能力を養うことで夢見る若者の落命率を下げるもの。後者は負傷した冒険者の治療を迅速に行って冒険者として復帰できるようにするためのものだ。
付属の医療機関はギルドの建物内に設置され、冒険者たちが持ち込んだ素材の売却や依頼料の一部にて運営されている。なので冒険者であれば誰でも無料で治療が受けられるようになっている。
先ほどの三人もまっすぐその医療機関の方へと消えていった。通った後には血の跡が点々と残っている。キーリが見た感じでは、すでに真ん中の男は手遅れに見えたが果たしてどうだろうか。
冒険者になれば誰にだってああなる危険はある。当然自分にも。自身に掛かる危険を想像してキーリは身震いした。
「痛いのは、誰だって嫌だしな……」
小さくつぶやくと、キーリは気を取り直してエントランスへと向かっていった。
内装は石造りの外装と違って木材が多く使われていた。床やテーブルはそうであるし、窓口の上に掛かっている看板も木の板だ。そのせいで全体として茶色が眼につき、真っ白で無機質な外装に比べ何処か落ち着く雰囲気だった。
「しかし……」
広い。入って正面から左側に向かっていくつも窓口があって、何処が何の窓口かさっぱりだ。おまけにどの窓口にも汗臭くてガタイの良い冒険者達が並んでいて、見ているだけで(そのままの意味で)目の毒になりそうだ。
正面やや右側には酒場があって、一仕事を終えたらしい冒険者連中が騒がしく酒を飲んでいた。見るからに粗野で、大声で下品な内容を気にする風も無く話している。顔を真赤にしてゴキゲンな様子だ。
そんな光景はここでは当たり前なのだろう。建物内に居るウチの幾人かは顔をしかめていたが大多数は気にした様子も無い。
酒場で騒ぐ連中の数人が、見慣れないキーリの姿を認めて不躾な視線をぶつけて来る。もちろんキーリもそれに気付いて見返すが、特に気にする事無くすぐに視線を外した。舌打ちが聞こえたが、それもキーリは無視した。
そんな空気を察してか違ってか、慣れない様子の彼に気づいた職員が声を掛けてきた。
「いらっしゃいませ、本日はどのような御用でしょうか?」
三十歳くらいと思われる女性職員が丁寧な口調で尋ねる。まだまだ少年に過ぎないキーリに対しても笑顔を浮かべ、礼儀正しい。自然とキーリの姿勢も正しいものになる。
「あー、えっと、モンスターの素材の買い取りをお願いしたいのですが」
「それは依頼、もしくは迷宮で手に入れたものでしょうか?」
「いえ、旅の道中で狩ったものです」
「でしたらこちらの窓口になります。職員が不在でしたらカウンターの上にあるベルを鳴らしてください」
たくさんの窓口のうち、一番酒場に近い側の窓口を手で指し示した。他の窓口は多くの人が並んでいるが、その窓口だけは人気が無く閑散としていた。
「街の外からの持ち込みをされる方はそれほど多くありませんので」
疑問が顔に出ていたのだろうか、キーリが尋ねる前に女性が答えてくれた。
「そうですか。ありがとうございます」
「いえ、ご来訪頂いた方のご案内が私の仕事ですので」
それでは、と一礼してキーリの元を離れると女性は入口付近に立って別の不慣れそうな人に声を掛けていった。まるで市役所の総合案内みたいだな、とキーリは薄れかけている前世の記憶と照らしあわせてそう思った。
女性に示された通りの窓口に向かい、人の姿が見えなかったためにカウンターの中を覗き込むが誰も居ない。ベルを鳴らそうと手を翳したキーリだが、その時キーリの姿に気づいた職員らしき人物が奥の方から近づいてきた。
「いらっしゃいませ。本日は素材の持ち込みで間違いないでしょうか?」
正面に立った女性が凛とした声で尋ねてきた。背丈はキーリよりやや高い。スラリとしてスタイルよく、少々黒い肌とは対照的に真っ白に近い長い髪がよく似合っている。着ている服は脇の下が空いていたり、脚部にスリットが入っていたりと露出部が多いが下品な感じはしないのは纏う空気が高貴さを感じさせるためだろうか。
だが声と雰囲気に反してふわりとした笑顔は取っ付き易く、きっと多くの人を魅了するものだろう。キーリも思わず見とれそうになった。だが――
「あまりそういうのは好きじゃないな」
キーリはぶっきらぼうにそう言った。受付嬢はそのキーリの言葉に軽く首を傾げ、しかしすぐに薄く笑みを浮かべ直す。
「あら、この衣装はお気に召しませんでしたか?」
「ちげーよ。アンタ――魅了の水神魔法を使ってるだろ? それがこの場所での流儀なのか?」
今度こそ女性は驚きに眼を見張った。キーリを注視し、そして人当たりの良かった笑みは鳴りを潜めて代わりに不敵に口端を歪めてクツクツと喉を鳴らした。
「いや、失礼しました。まさか見抜かれるとは思ってもみませんでした。
ご覧になれば分かる通り冒険者は荒れくれ者が多いですので。魅了の魔法は敵意や害意を持たせ難くする効果もありますから。それ以外に他意はありませんが不愉快に思われたのでしたらお詫び致します」
「どうだかな。どうせその口調も作ってるんだろ? 見せたい姿に見た目や口調が近いほど魅了は効果が高いらしいからな」
「お詳しいのですね」
「たまたま知ってただけさ。
いいさ。騙そうっていうんじゃなけりゃこれ以上気にはしないが出来れば素で話したいところだな」
「そう? なら遠慮無く口調は元に戻させてもらうわ。必要な事だとは理解ってても肩が凝るのよね」
そう言いながら女性は口調をフランクなものに変えると、息を吐きながら肩を揉み解した。
「そういえば名乗るのが遅れたわね。本日担当させてもらうシェニアよ。よろしくね」
「ああ、よろしく頼む」
「それじゃ、まずはギルドカードを見せてちょうだい」
「あっと、まだ俺は冒険者じゃないんだが」
「あら、そうなの?」
酒場の方から「へっ、ガキの使いかよ」という酔っぱらいの声が聞こえたがキーリは無視した。
「素材の買い取りは冒険者じゃなくても認められてたと思うんだが……」
「確かにギルドは冒険者じゃなくても素材の持ち込みは歓迎してるけど、滅多に居ないわね。いいわ、それじゃ素材を出してちょうだい」
「何処に出せばいい? 床の上に置いてもいいのか?」
「そこの床上に木枠があるでしょ? その中になるべく重ならないように置いていってくれるかしら?」 「へいへい」
肩に担いでいた荷物入れを下ろし、中から剥ぎとった素材を取り出した。
「これは……」
その素材を見た途端、シェニアは何度目か分からない感嘆の息を漏らした。
キーリが取り出したのはオークの毛皮や燻製肉、それにジャイアントスパイダーの糸などで、いずれもDランクに位置するモンスターの素材だ。それが次々と床に並べられていく。
Dランクモンスターは、一人前の冒険者がやっと狩ることができるレベルだ。冒険者としてD+ランクになれば優秀、Dランクになれれば上等であり、半数近くはDランクに上がる事も難しい。それでもEランクにさえなれれば、贅沢さえしなければ生活に困る事はない。実際、現在ギルド内に居る冒険者の殆どがEランクないしD-ランクであった。
そんな素材を、少年から青年への過渡期程度に過ぎないキーリが大量に持ち込んだ。当然周囲からは驚きと嫉妬に満ちた視線が飛んできて、キーリも気づいていたが気づかないふりをした。女性とも見られがちなキーリを見た目で軽んじ、侮る人間は多い。こういった視線に反応していればキリがない。
周囲からの興味は、最後に取り出した素材が明らかになったことで最高潮に達した。
「オーガの角、だと……」
「おいおい、オーガってCランクモンスターだぞ。それをあんなガキが狩ってきたなんて……」
そこかしこからざわめきと囁きが聞こえ始める。広がり始めたざわめきによって我に返ったシェニアは、コホンと一度咳払いをしてキーリに尋ねた。
「これは全部貴方が?」
「まあな。俺一人で仕留めたわけじゃねぇけど」
「……確認だけど、冒険者じゃないのよね?」
「ああ。とは言っても明後日の養成学校試験を受験するつもりだけどな」
「そう……なら、今年の生徒は有望な生徒が多そうね」
「俺の評価よりもこっちを高く評価してくれた方が今は嬉しいんだけどな。それで、これで全部だけどどうすりゃいい? 買い取って貰えんのか?」
「ええ。これから素材の査定をさせてもらうわ。量が量だから少し時間が掛かると思うけど」
「ふざけんじゃねぇっ!」
シェニアの言葉に頷くキーリだが、その時「ガシャン」と食器が割れた様な音と男の怒鳴り声がギルド内に響いた。
「またか……」
うんざりした表情を浮かべて頭を抱えるキーリ。対して他の人達の視線が一斉に音がした酒場の方へ集まり、そこには先程からキーリに対して絡んできていた酔っぱらいが怒りに顔を染めてキーリを睨んでいた。
「そんな女みてぇなガキにオーガの様なモンスターを狩ることが出来るわけねぇっ!! 大方偽物かどっかの商人から奪い取ったものに決まってやがるっ!!」
「それじゃあまずはこっちの用紙に貴方の名前を書いてちょうだい。字は書けるかしら?」
「バカにしないでくれよ。試験を受けようっていう人間が字を書けなくてどうすんだよ」
「それもそうね」
「無視してんじゃねぇ!」
「お、おい、ギルド内で騒ぎ起こすのは……」
「うるせぇ! お前は黙ってろ!」
周囲の連中も騒ぎを起こすのはまずい、と慌てて激昂する男を宥めようとするが、男はそんな手を跳ね除け、叩きつけた陶器の破片が散った床を踏み荒らしてキーリに近づいていく。そしてキーリが書いていた用紙を乱暴に奪い取った。
「あ」
「はっ! ガキがこんなもん書くのは十年早ぇんだよ! とっとと盗んだ品をまとめてここから出て行きやがれ、このペテン師が!」
「おいおい、さっきから聞いてりゃ随分な言い草だな、おっさん。確かにこれらは俺たちが仕留めた獲物だぜ」
「信じられねぇんだよ、ガキ! 俺らでさえ十年やって今日やっとオーガを仕留める事が出来たんだ! 十年だ、十年! テメェみてぇなガキンチョに早々に越えられてたまるかよ!」
「そう言われてもなぁ……」
キーリは困った様に頭を掻いた。
要はあっさりと自分を越えられたのが気に入らないのだ、この男は。きっと才能もあるのだ。加えて十年間努力をしてきて、今日やっとオーガを仕留めた。苦労もたくさんし、怪我もして何度も命の危険に晒されながら成り上がってきたのだ。酒場で先程までご機嫌な様子だったのは、これまでの努力の結果を祝っていたのだろう。それが、まだ冒険者にもなっていない若輩が意図せずして水を差した形になった。
さぞ悔しいだろうとはキーリも思う。キーリ自身も前世で何度だって経験し、挫折してきたことだ。
反論は、ある。八つ当たりするなと叫びたいところではあるが、この状態の男に何を言おうと火に油を注ぐだけだろう。
チラリ、とシェニアを見て何とかしろと訴える。それを受けてシェニアも肩を竦めて男を諌めようとしたのだが――
「大体だ」男はキーリの書いた紙に眼を通した。「鬼人族ってな何だ? 聞いたことがねぇなぁ!」
「少数の民族だったみたいだからな。俺以外は皆死んじまったし、ま、おっさんが知らなくても仕方ねぇよ」
「そうかよ! ま、どうせ厳しい名前と違ってみぃんなテメェみたいなナヨナヨした連中で、騙しでしか生きていけなかったんだろうよ! 良かったな! このギルドみてぇにペテンにかけられる人間が少なくなって世界のた……」
男のセリフは最後まで言い切る事ができなかった。
おしゃべりな口を塞ぐようにキーリの手が伸び、右腕が男の顎を掴む。腕が正面から上へと上がって筋骨たくましい、鎧を含めると百kgは超えそうな体が軽々と宙に浮く。
男がもがく。脚をバタつかせ、しかし顎から伝わる圧力は緩まる気配を見せない。逆にますます強くなるばかり。捲れたシャツの袖から覗くのは、吊るされた男に比べて細く乙女の様に柔らかそうな肌。その腕を掴んで自身から引き剥がそうとするが、ビクともしない。
「何つった、おっさん?」
冷や汗を流し始めた男を生来の悪い目つきでキーリは睨む。顎が砕けそうな程に痛み、悲鳴を上げようにも口を抑えられているせいで何を訴える事もできない。
「俺自身は少々侮辱されても構わねぇよ。だがな――村の連中の、親父とお袋の侮辱だけは認めるわけにはいかねぇな」
眉尻を逆立てて、そんな言葉と共にキーリは怒りを露わにした。
睨まれた男の、酒と怒りで真っ赤だった顔が急速に青ざめていく。もし本当に目の前の女男が単独でCランクモンスターを討伐できる程の実力があったとしたら――自分はとんでもない相手に喧嘩を吹っかけてしまったのではないか。そんな考えが湧き上がり、しかし否定する。
そんなはずはない。若いころは才能があるともてはやされた自分でも十年近く掛かったんだ。魔法の才能は無かったが、剣一つでのし上がってきた俺の努力を青臭いガキに越えられてたまるか。
消えかけた戦意が、悔しさによって再燃する。キーリを睨み返し、だがそれも彼の眼を見るまでだった。
黒灰色の瞳。それと眼が合った途端に燃え滾り始めた戦意が吹き消された。代わりに湧き上がるのは根源的な恐怖だ。
心の内が恐怖で塗り固められていく。不安が加熱されたガスのように際限なく膨らみ、絶望が思考の全てを覆い隠していく。キーリの腕を掴む腕が震え、睨む視線が懇願へと変わっていった。
周囲も想像とは違う光景に呆気に取られ、唖然として状況を見ているしか無かった。男達の実力は確かで、パーティも名を馳せてきている。今はメンバー全員がまだDランクだが近い将来にはCランクになっているだろうと目されていて前途は有望だ。そんな男が、まだ冒険者にもなっていない少年によって巨体を吊るされている。誰もが眼を疑い、そしてキーリのまとう怒りの雰囲気に飲まれて動き出せずにいた。
それでも例外は存在する。
「――はい、そこまでそこまで。もう勘弁してあげなさい」
緊迫した空気をシェニアの声が破り、パンパンと手を叩く音が雰囲気を弛緩させた。
「……止めるなよ、シェニア」
「気持ちは分かるけどギルド内での暴力はご法度よ。流石にそれ以上は見過ごせないわ」
「俺は侮辱されたんだけど? まして故郷の連中を貶められて『はい、そうですか』って何事も無かったかのように許せと?」
「もちろんガルディリス――貴方が吊るしあげてる男ね――彼にもギルドから相応の罰を与えるわ。老けて見えるだろうけどこれでもまだ彼も二十六歳で、将来有望なの。優秀な冒険者を失うのはギルドにとって非常に痛手でね。だからここは抑えてくれないかしら?」
「……」
「それに、ここで問題を起こせば精神性に問題有りとして養成学校への入学に支障が出るわよ? 貴方だってそれはイヤでしょう?」
そう言われてはキーリも引き下がらざるを得ない。
何としてでもキーリは迷宮冒険者として成り上がらなければならない。優秀な冒険者として、国の上層部に目をつけてもらわなければならないのだ。そして――故郷を滅ぼした「英雄」たちと相見えなければ。
浮かんでいくルディとエルの姿。燃え盛る古里。今尚業火として激しく苛む記憶を引っ張りだし、抱いた怒りを治めてキーリは手を離した。
ガルディリスの体が床に落ちて尻もちを付き、一斉に溜息が漏れて緊迫した雰囲気はやっと一掃された。
頭が冷えたキーリはバツが悪そうにそっぽを向き、その横をカウンターから出てきたシェニアが通り過ぎていく。
「ガルディリス」尻もちを突いて呆然とキーリを見ていた男を彼女は見下ろした。「『ギルドに所属する冒険者は公正であるよう努め、人種・宗教・国家その他本人の資質に依らない理由で不当に貶めてはならない』……ギルド憲章第二条四項の文章だけど、優秀な冒険者である貴方なら当然知ってるわよね?」
「……あぁ」
「結構。酒に酔っての事とはいえ、ギルドとしては貴方の愚行は見逃せないわ。正式な処分は追って下されるでしょうけど、貴方個人のランクがD+からD-に、貴方を止めなかったパーティとしても一週間程度の謹慎処分が下されると思うわ。しばらく宿で大人しく反省してなさい」
うなだれるガルディリスに一方的に告げ、遠巻きに見ていた彼の仲間に連れて帰るよう眼で促した。それを受けて血相を変えた仲間たちが酒場を離れてやってきて、シェニアとキーリに頭を下げながらガルディリスを連れてギルドから去っていった。
それを見送ったシェニアは大きく溜息を吐いて手を打ち鳴らし、「はい、みんな仕事仕事!」と叫ぶ。その声に、滞っていたギルドの流れが動き出し、やがていつもの姿を取り戻していった。
「悪かったわね、キーリ」
「いや……こっちこそ悪かった。騒ぎにするつもりは無かったんだが、故郷を貶されるとどうにも我慢できなくてな」
「それが自然な反応だわ。自らの帰属する集団を馬鹿にされてもヘラヘラ笑ってたら、そっちの方が幻滅してたわよ。そんな奴は冒険者としてやっていけないでしょうし」
「そう言ってくれると助かるが……明後日の試験に影響しないよな?」
「あれ以上彼を傷つけてたらどうなったか分からなかったでしょうけど、止めてくれたから大丈夫よ」
「そっか……はぁ、良かった。それを聞いて安心したぜ」
ホッと胸を撫で下ろすキーリ。シェニアは足元に落ちていた紙を拾い上げ、「ふぅん」と声を漏らした。
「鬼人族、か……まだ生き残りがいたのね」
「もしかしてウチの一族知ってんのか?」
「ええ」シェニアは頷いた。「昔ちょっとね。若い頃に無茶して北の森に足を踏み入れた事があったのよ。その時に助けてもらって……いつか御礼をしたいと思っていたのだけれど、風の噂で滅んだって聞いた時は流石に落ち込んだわ
……だけど完全に滅んでなくて良かった」
キーリを見て懐かしそうに過去に思いを馳せるシェニア。それを見たキーリも、自分以外にも彼らのことを覚えていてくれた人が居た、その事実に思わず顔が綻んだ。
「ならもしかしたら昔、俺とも出会ってるかもしれないな」
「どうかしら。もう二十年くらい前のことだし……」
「え、シェニアって今なんさ……」
「それ以上は口にしない方が身のためよ」
満面の笑顔で笑いかけられ、キーリは即座に閉口した。回避した地雷を踏み直すようなマゾな性質は持ち合わせていない。
コホン、と咳払いを一つ。ちょうどそこへ、キーリの持ち込み品を査定していた職員がやってきてリストをシェニアに手渡す。
「評価額は……ざっと二十七万ジルってところね」
「……思ってたよりも安いんだな」
相場を完全に把握していないが、少なくとも三十万ジル、もしかしたら四十万ジルにも届くかもしれないとキーリは皮算用していた。それが予想外に低く落胆を隠せない。
「もうちょっと剥ぎ取りが丁寧だったら三十万は行ったかもしれないけれど」
「あー……素材の剥ぎ取り方とか習った事もねーからなぁ。大雑把に剥いだり切り取ったりしただけだし。それもあって養成学校に入学しようとしてんだけどな」
「それにまだ冒険者じゃないから税金もかなり掛かるのよね」
「冒険者だったら?」
「売るところを選べば……四十万は固かったんじゃないかしら?」
「はあっ!? 税金そんなに掛かんのか!?」
「どの国でも冒険者はかなり税制面で優遇されてるもの。レディストリニアは冒険者でもかなり課税されるけど、それでも他の国民に比べればマシだしね」
「マジか……知らんかった」
リストをシェニアから受け取りながらキーリは唸った。
もちろん二十七万ジルは高額だ。贅沢しなければ一年間は普通に生活できるだろうし、切り詰めて安宿に泊まれば二年は稼がなくてもいけるだろう。キーリ一人ならば。
(ユキの事もあるし……たまに街の外で稼ぐか。いや、でもアイツの分まで俺が稼ぐ必要はねぇし、アイツの分は自分で……いや、駄目だ。そんな事させたら街中の男から金を貢がせかねん)
道中で立ち寄った村での悪夢の再現。スフォン程の規模でそんな事が起こればキーリは世界史に残る大罪人だ。結局、キーリが稼ぐしか無い。稼ぐ稼がないに関係なくユキが軒並み男を食い尽くす可能性もあるのだがそれは流石に無いと信じたい。
「仕方ねぇか……いいぜ、それで買い取ってくれ。金はいつ入る?」
「五万ジル分なら今すぐに用意できるわ。残りは一週間後ってところかしらね」
「了解。んじゃ、頼む」
シェニアが近くの職員に指示を出し、程なくしてカウンターの前に金貨・銀貨の詰まった革袋が置かれた。それをキーリは雑な手つきで掴むと、足元に置いてあった荷物袋に放り込む。
「じゃ、世話になったな」
「ええ、また近いうちに会いましょう」
「プライベートなら歓迎するさ」
「なら十年後ね。もっとも、再会はそう遠くないでしょうけど」
軽口を叩き合って二人は別れた。
夕刻が近づき、依頼を終えた冒険者たちがギルドを訪ねてくる。街にも、昼間とは質の異なる活気が増してきた。休憩を終えて夜の営業準備を整える店員の姿も見え始める。
増えてきた人の波を遡りながらふとキーリは思った。
「遠くないうちに会う……?」
はて、シェニアのあのセリフはどういう意味だったのだろうか? さっさと養成学校を卒業して冒険者になれと言っているのだろうか? だとすれば勿論それはキーリとしても望むところではあるのだが。
ポリポリと後頭部を掻いて考える。が、些細な事かと思い直して歩みを速める。
「さっさと宿を見つけねぇとなぁ……」
出来れば壁の厚い宿が良いなぁ。
そんなことを考えながらキーリは、夜露をしのぐ宿を探して街を彷徨っていった。
2017/4/16 改稿
お読みいただきありがとうございます。
よろしければご感想、ポイント評価を頂けると嬉しいです。