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15-6 イエスタディをうたえるように(その6)

 第59話です。

 宜しくお願いします。


<<主要登場人物>>

 キーリ:本作主人公。体を巡る魔力は有り余っている反面、各要素魔法との相性が壊滅的に悪い。教会の聖女を始め、英雄たちに激しい憎悪を抱いている。

 フィア:赤髪の少女でキーリ達のパーティのリーダー格。自分が考える「正義の味方」を追い求めている。

 アリエス:帝国出身の貴族のお嬢様。金髪縦ロール。実はかなりムキムキマッチョウーメン。

 ユキ:キーリと共にスフォンへやってきた少女。キーリとの付き合いは長いらしく、事情に詳しいが語ることを禁じられているらしい。



「ん……んん……」


 深夜、フィアは寝苦しさに寝返りを打った。決して暑い季節ではなく、窓を開ければ涼し気な、ともすれば寒いくらいの夜風が入ってくるくらいだがどうにも体が熱かった。そのせいで明かりを消して目を閉じても一向に眠気がやってくる気配は無い。


「……はぁ」


 なのでフィアは一旦眠るのを諦めた。溜息を吐いてベッドから抜け出し、窓を開ける。途端に少々強めの夜風が吹き込んできてまとめていない彼女の赤い髪をなびかせた。だがその風は思っていたよりも冷たく、吹き撫でる度に火照った彼女の頬から熱を奪っていく。

 ほぅ、と息が漏れた。眠れない理由は分かっている。今日、キーリに組み敷かれた時に見た映像が頭から離れないのだ。

 恐らく、いや、間違いなくアレはキーリの記憶だ。幼いキーリの体験したものを追体験したのだろう。どうしてフィア自身にキーリの記憶が流れ込んできたのか、それは分からないがそこにフィアの興味は無い。大事なのは彼の記憶を知ったという事実だ。

 思い返してみればあれは恐ろしく現実味を帯びた記憶だった。場面々々での嗅覚が、聴覚が、視覚が、ありとあらゆるものがまるで本当にそこにあるようであった。

 だから分かる。あの記憶の欠片たちに出てきた人たちに、キーリが如何に愛されていたのかを。

 だから分かる。あの記憶の欠片たちに出てきた人たちを、キーリが如何に愛していたのかを。

 そして――だからこそ理解できる。如何に……如何に彼らを殺害した聖女らをキーリが憎んでいるのか、を。

 キーリの肌を焼いた火炎の記憶。キーリを濡らした彼らの血液。キーリを貫いた痛み。大切な人が死ぬのを黙って見ているしか無かった絶望。自分の背中で息絶えていくのを感じざるを得ない慟哭。それら全てが、まるでフィア自身が体感したような生々しさを伴っていた。否、こうして幾分かの冷静さを保って振り返られているだけ、まだマシなのだろうと思う。

 窓枠に置いた拳が、知らずに強く握りしめられる。


(あんな所業が……許されて良いのか……!)


 全てはキーリの見たものだ。だから彼女らの事情は分からない。故に、一方的に彼女らを非難するのは公正では無いのかもしれない。しかし、それらを差し引いてもあの所業は許されるべきではない。

 何故ならば、彼らは皆笑っていた。楽しそうに村を焼き、住人を斬り裂き、引き裂いた。罪悪感など微塵も抱かず、殺すことに喜びを感じ、それを隠そうともしていなかった。そのような連中を「英雄」などと煽てていた民のことも、自分も含めて怒りを覚えた。彼らは断じてフィアの求める「英雄」ではない。

 そして、だからこそフィアは思った。あのような輩を殺すためにキーリの人生を台無しにするには割に合わない。キーリの剣をそのような事に使うのはもったいない。誰もが納得する形で裁かれるべきである。


「……ふぅ」


 軽く目を閉じてフィアは息を吐き出した。頭が熱を持っている。こみ上げる怒りによって頭に血が昇っているのだろう。だからこんなにも眠れないに違いない。

 意識して、何とか頭の中を空っぽにする。寒いくらいの夜風を浴び、熱を帯びていた頬が次第に冷たくなっていくのが分かった。しばらくそうして、最後に胸いっぱいに空気を吸い込む。息をゆっくりと吐き出し、フィアは気持ちが落ち着いたのを自覚して振り返った。

 瞬間、驚嘆で息が止まったような気がした。


「ゆ、ユキ……」


 ユキが入り口の扉にもたれかかっていた。闇の様に黒いローブに身を包み、そこから明かりの無い部屋の中でもはっきり分かるくらいに白い腕で腕組みをしていた。

 彼女はフィアが向き直った事に気づくと小さく無言で手を振った。


「驚かせないでくれ、心臓が止まるかと思った」

「ふふ、ドッキリは成功かな?」

「ドッキリと言うのが何なのかは分からんが心臓はドッキリしたな。しかし鍵は掛けていたはずなんだが……」

「そこは企業秘密ってやつで」

「はぁ……まあいい。それで」フィアはため息混じりの苦笑をした。「こんな時間にどうしたんだ? ああ、そういえば今日キーリに会ってきたんだ。その話か?」

「ううん、それは知ってる。あ、でも関係ある話かな? フィアにちょっと用事があって」

「私にか?」


 何だろうか、と疑問に思いながらもベッドに腰を下ろす。ユキにも「座ったらどうだ?」と促そうと、瞬間的に一度足元へ落とした視線を上げる。

 いつの間にか、ユキがフィアの目の前に居た。


「っ――」

「動かないで」


 驚いて思わずのけぞるフィア。そんな彼女の顔をユキは掴み、そして――彼女の唇に己のものを重ねた。


「――っ!!」


 もがくフィアだがユキは離さない。強攻に強行し、フィアの頭の中は恐慌状態。手足をばたつかせて、実際はホンの数秒だが数分にも数時間にも思えるような体感時間の果てにフィアは解放された。


「ぷはぁっ!! な、な、なっ……!?」

「うーん、やっぱりそっかぁ」

「な、何が何、なななっ!?」


 顔を真赤にして口をパクパクと金魚のように動かす。もはや発せられる言葉は意味を成していない。目はグルグルと回って頭からは湯気が出ていそう。むしろそのまま魂さえ抜け出ていってしまいそうだ。


「落ち着きなって」

「ここここれが落ち、落ち着いてらららられ」

「とぉ」


 ごす。

 パニック継続中のフィアに向け脳天目掛けて(ロシア式)チョップ(修理法)を振り下ろすと彼女はベッドに頭を押し付けて悶絶した。


「落ち着いた?」

「……何とか」


 先程までとは一転して死にそうな顔をしてフィアは起き上がる。目に光は無くて腐った魚の眼をしていた。


「ごめんねー。ちょっちだけ確認したいことがあって。あ、もしかして……初めてだったりした?」


 俯いてプルプルとフィアは体を震わせた。


「そっかー。ゴメンゴメン、女の子って普通はそーいうの気にするんだよね? ま、ま、でも大丈夫大丈夫! 私、女の子だからカウントされないって。ノーカンノーカン!」


 反省の色無しで笑いながらユキはフィアの背中をバンバンと叩く。本人的には励ましてるらしいが、フィア的には元気づけられている気がしない。

 それでもそんなユキを見ていると、どういうわけか気にしている自分がバカらしく思えてきた。はぁ、と深々と溜息を吐くと顔を上げた。


「はぁ、もういい。それで、確認したい事とは何だったのだ? 私にキ、キ、キスまでして」

「ふふふ、それは内緒。でも意外。フィアってウブなんだね。フィアみたいな子、私、好きだよ。もう一回唇奪っちゃおっかな?」

「すすす好きだなななどと! か、からかうんじゃない!」


 先ほどの柔らかい唇の感触を思い出し、再び顔を真赤にして叫ぶフィアを見て、ユキはカラカラと楽しそうな笑い声を上げた。


「あっはは! やっぱりフィアって面白いね。あ、もしかして――キーリだったら良かったかな?」

「っっっ!?」


 すでにこれ以上無いくらいに顔は赤かったが、フィアは更に顔を赤く染めた。その様子を見てユキはニンマリと笑ってフィアの顔を覗き込む。


「あれあれ? もしかして図星?」

「ちちち違う! か、勘違いするな! あくまで女同士の、その、ひ、非生産的な恋愛よりもと、殿方が相手の方がマシだというだけだ!」

「フィアったらおっくれてるぅ。今の時代男女関係なく好きになったっていいんだよ?」

「そ、そうなのか?」

「あれ? その反応……もしかしてフィアって……」

「違う! まあ、その、ほ、本人同士が好き合ってるなら同性同士でも問題ないとは思うが……

 ともかく、これ以上私をからかわないでくれ。疲れた」

「あらら。残念。慌てふためくフィアを見てるの楽しかったのに」

「勘弁してくれ……」


 げんなりした表情でうなだれるフィア。ユキは楽しそうに笑っていたが、やがてポツリと呟いた。


「ま、だからこそ任せてもいっかなって思うんだけどね」

「え?」

「ううん、独り言。

 さて、それじゃ行きましょっか?」

「行く?」フィアは突然の話にキョトンとして首を傾げた。「行くって、こんな時間に何処に――」

「んじゃ寮の入り口の門で待ってるから。五分で準備して。あ、ちゃんと戦闘の準備しといてね」

「っ、あ、おい! ちょっとま……」


 ユキは一方的に言いたいことを告げながら窓枠に脚を掛けた。夜風が彼女のブロンドの髪を揺らし、雲間から覗いた月明かりが照らすその顔は何処か淋しげ。儚さを伴ったその表情に一瞬フィアは言葉に詰まり、その隙に制止も待たずにユキは窓から飛び降りた。

 フィアは窓に駆け寄り下を覗き込む。だが何故かユキの姿は何処にも無く、薄くなった雲の影がゆっくりと地面の上を滑っていた。希薄な存在感を思わせる最後の笑顔のせいで、フィアは今しがたの会話も全て夢だったのではないかと思った。だがまだ微かに熱を持った頬と感触の残る唇が現実だと告げてくる。


「……ともかくも、行ってみるか」


 どうしてだか、絶対に行かなければいけない気がする。行かなければ後悔する。そんな感情に押され、フィアは寝間着の裾に手を掛けて勢い良く脱ぎ捨てていった。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 いつもの戦闘用の準備をしたフィアは気配を殺して寮を抜けだした。ルールの緩い寮だが当然こんな時間の外出は許可されていない。当直の部屋の前を屈んで身を隠して進み、まるで泥棒になった気分だな、と独りごちながら門に辿り着く。

 門の所には、告げていたようにユキが待っていた。彼女は、フィアがやってきたのを認めると小さく微笑み、ローブを翻して走りだした。


「ユキ! 何処に行くんだ!?」


 フィアも後ろを追いかける。走りながら叫ぶが、ユキは途中で振り返るだけで返事は無い。

 平民街の静かな通りを駆け抜けていく。人一人居ない静寂の中をフィアの足音だけが目立って響いていく。

 彼女が何をしようとしているのか。それを問いただすためにユキに追いつくつもりでフィアも走っているのだが、一向に追いつけない。ユキは時折フィアの方を振り返りながら走っている、というよりも踊るようなステップで前を行くにもかかわらず常にフィアよりも前だ。フィアも決して脚が遅いわけではなく、なのに距離は縮まらなかった。

 平民街を過ぎて貧民街に。夕方にも嗅いだ覚えのある臭いの漂う場所を通り抜けると、大きな門が近づいてくる。迷宮に入るための門だ。

 万が一迷宮からモンスターが溢れ出てきた時のため、迷宮そのものの入り口を取り囲むように三重に壁が張り巡らされている。分厚い門は、そういった有事の際は固く閉ざされるが平時は今のように開け放たれている。

 門に近くまで辿り着き、その手前で折れ曲がってしばらく進む。そこでようやくユキは立ち止まった。


「はぁっ、はぁっ……」


 一拍遅れてフィアも追いつく。歩きながら息を整え、乱れた髪を手櫛で整えていく。


「ふぅ……なぁ、ユキ。いい加減教えてくれないか?」

「ねぇ、フィア」


 しかしユキは変わらず答えない。答えたくないのか、答える気が無いのか。代わりにフィアを振り返って名前を呼んだ。


「後は宜しく頼むね。ここに居れば会えるはずだから」

「会える? 誰にだ?」

「それとこれもあげる。魔力を注げば気配を消せるはずだから」


 相変わらず会話は成り立たない。どうやら何を聞かれても答える気はないようだ、とフィアは諦めて溜息を吐いた。そして手渡された物に視線を落とした。

 それは一枚の紙だった。白い紙いっぱいに魔法陣が描かれている。フィアは余り魔法陣に対する造詣は深くないが、これまでに目にしたどんなものとも違うもののように思えた。


「これは……?」

「たぶんすぐに使うことになると思うけど、使うかどうかはフィアに任せるね。あ、それと効果がある時間は短いからタイミングは注意してね? そうそう、魔力を注いだ後は覗きこんじゃダメだからね? いい? 絶対にダメだからね?」

「あ、ああ、それは分かったが……私に何をさせたいんだ?」

「支えてあげて欲しいの。このままだと私の目的が果たせなくなっちゃいそうだから」


 誰を、と問う前にフィアの脳裏に閃く。今、支えが必要な知人など一人しか居ない。

 フィアが察したのに気づいたか、ユキは薄く笑みを浮かべて彼女の方を向いたまま軽やかに距離を取った。容姿に似合わない、だが何処か馴染む大人びた憂いのある笑顔。そして、一転して童女の様な無邪気な笑顔でユキは軽やかにステップを踏みながら暗闇の中に消えていく。


「ユキ!」

「私はまだ他にやるべきことがあるから。それじゃよろしくね!」


 手を伸ばしたフィアを振り切って離れて、笑って手を振るとユキはスラム街の影の中へと姿をくらましていった。

 澄んだ声を残して消え去っていった方向を呆然として見つめていたが、気を取り直し手元の紙を見つめた。


「キーリがここに来るということなのか……? しかし何故? それにこの魔法陣をどう使えと――」

「フィア、ですの……?」


 意識を魔法陣に集中させていたフィアだが、背後から不意に掛けられた声に緊張した。だがすぐに声が聞き覚えがあるものであることに気づく。


「アリ、エス……?」

「どうしてフィアがこんな場所に居ますの?」

「それはこちらのセリフだよ。アリエスこそどうしたんだ?」

「ユキに呼ばれましたの。夜中に気づいたら部屋に居て、戦闘用の準備をしてこちらに来るように言われましたの。それも一方的に」

「アリエスもか」

「ということはフィアもですの?」

「ああ。理由は幾ら聞いても教えてくれなかったが、何となく彼女の言葉から察することができた」

「キーリ、ですわね?」

「ああ。ここに居れば会えると言われた」


 フィアは頷いた。相変わらずの非常識なユキに、憤懣やるかたないといった感じのアリエスだったがフィアも同じだと聞かされると呆れた深い溜息を吐いた。


「私も似たような話をされましたわ。

 はぁ……ユキがああいう人間とは分かってはいますけれども、もうちょっとこちらの気持ちも考えて欲しいですわ」

「確かに。彼女は余り周りがどう考えるかについては興味無さそうだしな」


 揃って苦笑いを浮かべていたが、その時フィアの思考にノイズが走った。

 砂嵐の様な不明瞭な視界。こみ上げる熱く苦しい感情。それが怒りであるとすぐに知った。


「……フィア? どうしましたの?」


 苦しげに顔を歪ませたフィアにアリエスが声を掛け、だがそれには応じず弾かれたようにフィアは遠方に視線を走らせた。何かの気配を感じ取ったわけでもない。だがそこに彼が居るという確信があった。

 果たして視界の先に、黒いローブに全身を包んだキーリが姿を現した。


「あれはキーリ……ですわよね?」

「ああ、間違いない……と思う」


 頭までフードで覆われているためちゃんと確認はできないがキーリに違いない。彼女らに見られていると気づかないキーリは、周囲を確認することなく門をくぐっていく。フィアとアリエスは顔を見合わせると彼の後を追った。

 門の中へと身を踊らせたが、すぐに迷宮の入り口に門番の兵士が立っているのに気づき慌てて揃って門の影に身を潜ませた。そしてそっと顔だけを出してキーリの様子を伺う。


「あいつ、何をするつもりだ?」


 まっすぐと何処かに隠れるでも無く迷宮の入り口へ向かっていくキーリ。迷宮に用があるのは間違いないだろうが深夜の入場は禁じられているのはキーリもよく知っているはずだ。このままでは兵士から見咎められ、場合によっては拘束されてしまう。

 まさか自暴自棄になってそんな事も分からなくなってしまったのだろうか。

 不安を覚え、こちらから声を掛けようか惑う二人。


「え……?」


 しかし、キーリはそのまま制止される事もなく迷宮の中へと入っていった。

 二人は思わず目を擦って何度も瞬きをした。しかし確かにキーリは自然な動作で迷宮の中へ消えていった。まるで、そこにキーリという人間が存在しないかのように門番役の兵士はおしゃべりに興じている。


「……どういうことですの?」

「知らん。私の方が聞きたい」

「まさか、深夜に入るのって認められたんですの?」

「いや、そんな話は聞いていないが……それにしたって冒険者証や犯罪者じゃないかの手配書のチェックくらいは行うだろう」

「ですわよねぇ……」


 不自然なまでな自然さ。まさか幻覚かゴーストだとでも言うのだろうか。


「ともかく……私達も追おう」

「まさかこのまま突っ込むつもりですの?」

「そうするしかないだろう」

「それは……あまりにも無謀すぎじゃありませんこと?」アリエスは呆れたように肩を竦めてみせた。「もしあの兵士たちが正常だとしたら、キーリが何らかの魔法を使ったか、それか目の前に立っても気づかれないくらいにずば抜けて気配を消すのが上手かのどちらかだと思いますわ。だけどワタクシたちにはそのどちらも持っていませんわよ」

「魔法……もしかして」


 魔法、というキーワードに思い当たることがあり、フィアはポケットに仕舞っていた紙を取り出した。


「アリエスもこれを貰わなかったか?」

「ええ、ユキから渡されましたわ。……悔しいことに解読できませんでしたけれど。それがどうしましたの?」

「……試してみるか」


 呟くとフィアは手に持った魔法陣に自分の魔力を注いでいく。すると描かれた線から光が発せられ、次の瞬間には紙から炎が立ち上った。


「うわっ!?」

「フィアっ!?」


 思わず紙を手放し、それと同時に紙が炎で燃やし尽くされていく。黒い煙が立ち上り、何か失敗したか、とフィアは冷や汗を流す。

 だが、通常ならそのまま空へ昇りながら拡散して消えていくはずの黒い煙が意思を持ったようにその場に留まっていた。そしてウネウネと生物的な動きをしたかと思えばフィアの体にまとわりついていった。


「な、なんだっ?」


 困惑し、煙を払おうと腕を振り回すフィア。しかし煙は次々とフィアにピッタリと貼り付いていく。貼り付いたものはまとわりついて離れようとしない。

 ゆっくりと煙は薄くなり、やがて消えていった。一体何だったんだろうか、と自分の手足をチェックしていたフィアだが、ふと顔を上げれば驚きに口をぽかんとさせているアリエスに気づいた。


「どうしたんだ、アリエス。……もしかして、何処か変なことになってたりするか?」

「へ、変といえば変、なのでしょうか……声がするという事はそこにフィアは居るんですわよね?」

「?」


 首を傾げるフィアに向かってアリエスは手を伸ばす。最初は何もない場所を手探りしていたが、フィアの腕に触れると確認するかのように体や顔に触れていった。


「一体何だ、突然?」

「……何と言えば宜しいのでしょうか……」アリエスは首を捻った。「フィアがここに居る事に自信が持てませんの」

「……どういうことだ?」

「存在感が希薄、と言えばニュアンスは伝わりますのかしら? 声は確かに聞こえますし、よーく目を凝らせばフィアがそこに居るのは分かるのですが、集中しないと目の前に居てもフィアの姿を認識出来ませんの。まるで何かに覆い隠されているみたいですわ」

「もしかしてさっきの魔法陣の効果、なのか……?」

「恐らくは」


 アリエスは頷くと、自分も魔法陣の描かれた紙を取り出した。緊張を解すように一度深呼吸をし、フィアがしたように魔力を注いでいく。だがフィアの時は光ったはずの線が今度はうんともすんとも言わない。怪訝に思いつつもアリエスは、何処か魔法陣に不備があったのかと紙に顔を近づける。

 それを見てフィアは、ユキの念押しを思い出した。


「アリエス、顔を近づけると――」


 アリエスが紙を覗き込んだ瞬間、一気に線が光を発した。瞬きする間もなく一瞬で発動し、そして――爆発した。


「うわっ!?」


 まさかの爆発に思わずフィアはのけぞった。魔法的な爆発のためか音は然程立っていないが、フィアが持っていた紙は一瞬で四散し、アリエスが立っていた場所には真っ黒な煙が立ち込めていた。


「あ、アリエス、大丈夫か?」

「ケホッ、ケホッ! も、問題無いですわ。

 それよりもどうですの? 効果はちゃんと発動してますかしら?」


 煙が薄くなっていき、フィアは先ほどアリエスが言っていた言葉を理解した。まさに「居るけど居ない」といった感じだ。よっぽど注意して見ないとそこにアリエスが居ると分からない。何となく彼女のシルエットが変わっているような気がするがきっと気のせいだろう。


「ああ、キチンと効果は出てる。問題無さそうだ」

「良かったですわ。それでは急ぎましょう。早くキーリを追いかけないと」

「そうだな。それにユキが余り効果は長くないような事を言っていたしな」


 誰も居ないところに話しかけているような妙な違和感を互いに覚えながらも、二人は意を決して迷宮へと向かった。

 お互いに効果は確認しているが、果たしてそれが他の人間にも効果があるのか。また人間以外の、例えば感覚の鋭い獣人族にも効くのか。今日の門番は、一方が嗅覚の鋭い犬族だったために特に不安に思ったが、二人は特に制止される事無く中に入ることができた。

 門番の横を通り過ぎると二人は予め示し合わせた通りに走りだした。緩やかな下り道を駆け抜け、完全に門番から見えなくなったところで速度を緩める。それとほぼ時を同じくしてゆっくりと互いの姿がはっきりと認識できるようになっていった。


「上手くいきましたわね」

「ああ、流石に兵士たちの間を抜ける時は不安だったが良かっ――ぶふぅっっ!?」


 軽く弾む息を整え、ホッと胸を撫で下ろしながらアリエスの方を向いたフィアは、彼女の姿を見た瞬間に吹き出した。


「な、なんですの? 人を見て突然」


 アリエスが眉をひそめて尋ねるがフィアは答えない。むしろ答えられない。

 姿を現したアリエスの顔は煤けて真っ黒。爆風に煽られたご自慢の鮮やかな金髪縦ロールは見事にチリチリの黒髪になって、通常比二倍くらいのアフロヘアーと化していた。

 まさかの状態に、フィアは背を向けて震えるしかできない。口を押さえて笑いを堪えるが、すでに半分呼吸困難状態になっていた。それでも何とか懐から「女性の嗜み」としてレイスから渡された手鏡を取り出して彼女に渡した。

 自分がまさかコントみたいな状態になっているとは露ほども思わないアリエスは怪訝そうな顔でフィアから鏡を受け取る。その時の顔が妙にフィアのツボに入り、いよいよ彼女は腹を抱えて膝をついた。


「っ!?」


 ずっと不思議そうにしていたアリエスだったが、鏡で自分の様子を見た瞬間、顔を赤くゆでダコ状態になった。フィアは背けていてちゃんと見ていないが、背中越しに「バシャバシャ」と水の音や「ぶぉぉ」という風の音が聞こえてきた。やがて音が治まると「もうこっちを向いてよろしいですわよ」と声が掛けられる頃、ようやくフィアも笑いの衝動が治まりアリエスと向き直ることができた。


「どうでしょう? 何かまだ変な事はありまして?」


 振り向いた先のアリエスは完璧なまでに元通りになっていた。煤汚れは微塵もなく、縦ロール姿も何時も通り。序に言えばその縦ロールを靡かせる姿もいつもどおりである。先ほどの惨状からの一瞬の時間でいつもの姿に戻せる彼女の女子力に、何故だか妙な敗北感をフィアは覚えた。


「……いや、何処もおかしな所など無いな」

「いやですわ、フィア。私はいつだっておかしな所などありませんでよ?」

「え、でも」

「いやですわ、フィア。私はいつだっておかしな所などありませんでよ? いいですわね?」

「アッハイ」


 フィアは即座に頷いた。何もおかしな所など無かったのだ。全ては記憶違いである。言葉遣いが妙であってもそれもまたきっと気のせいだ。

 そんなフィアにアリエスは満足そうに鷹揚な様子で頷くと軽く息を吐いて腰の剣を抜く。フィアも表情を引き締め、意識を切り替える。


「さて、ここからは気を引き締めて参りましょう」

「だな。

 ……まさかこんな状況でスフォンの迷宮に入ることになるとは思わなかったが」

「ワタクシもですわ。しかも禁止された時間帯に。バレたらお叱りを受けるだけじゃすまないかもしれませんわね」

「もしかしたら資格の停止くらいはあるかもしれないな」

「剥奪までは勘弁して欲しいのですけれども。ま、今はキーリを探すことに専念する事に致しましょう」


 資格の停止や剥奪ともなれば退学の可能性もあり得る重大な事態なのだが、どうしてだかフィアは今はそれが然程重要な事に思えなかった。

 それはアリエスも同じのようで、表情を見ても不安などは見られない。

 二人はお互いに頷き合うと、キーリの姿を求めて迷宮の奥へと進んでいった。





 2017/6/4 改稿


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