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15-3 イエスタディをうたえるように(その3)

 第56話です。

 宜しくお願いします。


<<主要登場人物>>

 キーリ:本作主人公。体を巡る魔力は有り余っている反面、各要素魔法との相性が壊滅的に悪い。教会の聖女を始め、英雄たちに激しい憎悪を抱いている。

 フィア:赤髪の少女でキーリ達のパーティのリーダー格。自分が考える「正義の味方」を追い求めている。

 レイス:フィアに付き従うメイドさん。時々毒を吐く。お嬢様ラヴ。

 シオン:魔法科の生徒で、キーリ達のパーティメンバー。攻撃魔法と運動が苦手だが最近はキーリとの特訓で活路を見出しつつある。

 ユキ:キーリと共にスフォンへやってきた少女。キーリとの付き合いは長いらしく、事情に詳しいが語ることを禁じられているらしい。

 アリエス、カレン、イーシュ:キーリとフィアのクラスメート。いずれも中々の個性派揃い。

 シン、ギース:探索試験でのアリエスのパーティメンバー。二人はマブダチ。(シン→ギースの一方通行)。



 ノックした人物が誰であるかが分かっていたように、誰何せずにオットマーは入室を促した。


「すみません、遅くなりました」


 入ってきたのは、いつもと変わらないヨレヨレの白衣を纏ったクルエだった。


「いや、調度良いタイミングであった」

「……ギース?」


 クルエの後ろにはだらしなく制服の襟元を着崩したギースが立っていた。何故、ギースが? とアリエスがクルエに視線を向けると、クルエは一度オットマーをチラリと見て笑顔を浮かべた。


「ちょっと彼には調べ物をしてもらっててね」

「まあ二人共座りなさい」


 立てかけてあった最後の予備の椅子を持ってきて二人が座ると、手狭だった部屋が更に狭く感じる。それでも二人がやってきたことで重かった空気が少しだけ軽くなったようにフィアは感じた。


「……彼女達から何か話は聞けました?」

「うむ。休暇中に旅行に出かけたようなのであるが、そこで聖女と出会ったらしい」


 クルエとしても聖女の名が出てくるのは予想外だったか、少し目を丸くした。


「聖女と、ですか……」

「うむ。そしてアルカナは聖女に対して激しい憎悪を露わにし、その後聖女の滞在先の教会を襲ったとの話である。幸いにして失敗に終わったようであるが」

「……」


 簡単に話を聞いたクルエは小さく息を吐くと目を閉じた。眼鏡の奥の眉間には、彼にしては珍しく深い皺が刻まれている。そしてその表情には何かを悔やむようだ。彼を襲う悔恨に必死に耐えているように見える。


「このような場であるから敢えて聞くのであるが」オットマーがクルエに尋ねた。「振り返ればこれまで、カイエン先生はずっとアルカナの事を気にかけているように思える。今もアルカナが聖女を襲ったと知っても然程驚いていないようである。もしかせずとも、カイエン先生はアルカナの事を昔からご存知だったのでは無いかな?」


 俯いていたフィア達四人はその言葉にハッとしてクルエを見上げた。レイスだけは目を伏せ、感情を露わにせず静かにクルエの返答を待つ。

 視線と問いを向けられたクルエは変わらず目を閉じたままだ。問いかけに答える言葉を探しているのか、太腿に手を突いてじっと動かない。そして誰もクルエに答えを促したりもしない。

 どれほどの沈黙が流れたか。恐らくは一分ほどの静寂の後でクルエは口を開いた。


「……いえ、キーリ君の事は昔から知っていたわけではありません」

「そうか……」

「ですが……」クルエは大きく、何かを決意するように息を吸い込んだ。「彼の身に、昔何があったのかは知っています」

「本当ですかっ!?」


 思わずフィアは立ち上がってクルエに向かって身を乗り出した。キーリ自身が語らない過去。ユキも口を噤み、しかしキーリの事を理解するに当たって非常に重要な事だ。どれだけ彼の事に考えを巡らせて推測しようとも足りなかったピース。それが新たに語られようというのだからフィアの態度も致し方無い。


「ええ、本当です」

「フィア、落ち着きなさいな。そんなんじゃクルエ先生も話づらいですわよ?」

「あっと……す、すみません。つい興奮してしまって」

「いえいえ、フィアさんのお気持ちも分かるつもりですから」

「して、カイエン先生。君がご存知の事を我輩たちに教えて頂いても宜しいですかな?」

「……彼の居ない場所で彼の過去を語るのは気が引けますが」

「お願いします、カイエン先生。褒められた事では無いのは承知していますが、今は少しでもキーリの事を知りたいんです」


 フィアが頭を深く下げると、シオン、カレンと次々と同じく頭を下げていく。


「ワタクシからもお願いしますわ。先生にはご迷惑をお掛け致しませんので」


 挙句、貴族であるアリエスまでも下げられ、クルエは観念したように溜息を吐いた。


「分かりました……少し長い話になりますが、それでも良ければお話致します」


 全員が頷く。それを確認したクルエは一度深呼吸をして、静かに彼が知る全てを語り出した。




 空気が粘り気を持ったかのように重たくなっていた。壁に掛けられた振り子が時を刻み、普段は気にならないその音さえ耳障りな程に痛い静寂が場を支配していた。

 クルエは静かに全てを語った。「英雄」と称され、世界中からの称賛を一身に浴びる彼ら彼女らがかつての旅の途中で行った事を。

 魔の森で鬼人族の村を騙し討ちに近い形で襲った事、老若男女構わずに全員を皆殺しにし、村を焼き払った事、そしてそれらを哄笑と共に喜々として実行した事。


「――以上が、彼らが鬼人族の村で行った事の全てです」


 疲れた、とばかりにクルエの口からは深い溜息が漏れる。続いて聞こえてくる声は何処からも上がらない。誰もが言葉を無くしてしまっていた。オットマーでさえ、権力者によって書き換えられた歴史に絶句し、何かを堪えるように頭を押さえていた。


「そ、その、今の話は本当なんですか……? 『英雄』の方々がそんな事をしてたなんて……」

「ええ、信じられない気持ちは分かりますが全て事実です、シオン君。虚言でも妄想でもなく、紛うことなく本当の話なんですよ」

「ひどい……『英雄』の人たちってもっと、こう……強くて優しくて凄い人たちだって思ってましたにゃ……」

「肉体的にも精神的にも優れた、『英雄』の名に相応しい人格者だと思っていましたか?」

「ええ、まあ……世間にはそう知らされてますし」

「教会が発表する内容ですので、少々の誇張はされていると推察しておりましたが……」

「クルエ先生の話を聞く限りではとてもまともな性格をしているようには思えませんわね」

「ええ、『少々』の誇張だなんてとんでもありません」吐き捨てるような口調は露骨な嫌悪を示していた。「確かに彼らは『魔の門』を閉じた。それは確たる功績で称賛されるべきでしょう。だがその人物像は全て、一から十まで教会を中心とした各国が作り上げた、まさに虚像です。

 道中で犯した悪行――いえ、彼らは悪行とすら考えてないでしょう――それらは全て闇に葬られていきました。英雄譚を語る上でふさわしくはないですからね。

 英雄たちの全員がそうとは言いませんが、多くは人格が何処か破綻していました。反面、当然といえば当然ですがその実力は一般的な冒険者と比べて桁外れでした。実力を考えればランクAは間違いないでしょう」

「それだけの力を……」フィアは拳を握りしめて震えていた。「それだけの力を、彼らは弱き者を虐げるために使ったというんですか……」

「お嬢様……」

「そんなもの……どれだけ称賛される功績を残そうと許されるべきでは、ない」


 それは「悪」だ。フィアが憎んでやまない「悪」がそこにはあった。何が英雄だ。何が正義の味方だ。彼らを形作るものの多くが作り物と知ってフィアは虚脱感にも似たものを覚えた。

 一方で、何処かでフィアは知っていた。話に聞き、そして彼女自身が実際に英雄を目にして感じた違和感を。酒に酔った勢いで語り出す彼らなりの英雄観を耳にして、彼らは何処か違うと思っていた。漠然とした違和が不信となって彼女の中に形作られていく。


「十年前、なんですよね? そんなにも幼い時にキーリ君はそんな目に……」

「そりゃあ聖女を殺してぇほど憎んでも仕方ねぇ話ではあるよな」

「だが……そんな状況で生き残ったのは奇跡というべきであるな」

「お話を疑うわけではありませんが、本当にキーリ様は鬼人族でその事件に巻き込まれたのでしょうか? 私は存じ上げませんが、鬼人族、という言葉の響きから想像できる容姿ではありませんし、目つきを除けば極めて人間の、女性的な男性です」

「そういえばレイスは村で暴れるキーリを見ていなかったですわね」

「ありゃあマジで『鬼』っつってもおかしくねぇくらいの馬鹿力だったな」


 敢えて疑問を呈してみせるレイスに対し、村で暴れるキーリの姿をアリエスとギースが思い返した。ギースの言葉どおり、あの姿を見れば鬼人族であることを疑わないであろう。


「カイエン先生は鬼人族がどのような種族かご存知ですかな?」

「ええ……額に角が生え、強靭な肉体を武器に戦う褐色の肌を持つ種族です。魔法は総じて不得手ですがその分肉体面では人族や長耳族などを遥かに凌いで恵まれているといえるでしょう」

「力を除けばあまりキーリには当てはまらなさそうですわね」

「おそらくですが彼自身は純粋な鬼人族ではないのでしょう。捨て子か、或いは他種族との混血か……それでも校長のお話では常に鬼人族と名乗って誇りを持ち、種族を侮辱されるのを非常に嫌っていると伺っています」

「生まれはどうであっても……今でも大切に思っているんですね」


 カレンは泣きそうな目を伏せ、噛みしめるようにそう呟いた。


「だと思います。ギルドで侮辱された時には、怒りを露わにしてDランク冒険者を圧倒したと校長は仰ってました。それだけ抱いている愛情は深くて――」

「その分、奪われた憎しみは深い……」

「左様。アルカナを翻意させるにはますます難しいところであるな」

「……今回は聖女を襲ったということでしたが、仮に聖女を……殺して仇を取ったとしてもそれだけでキーリ君が止まることはないでしょう」

「そうか! もしキーリの願いが村を滅ぼした英雄たちへの復讐なら、聖女を殺しただけで終わりじゃ無い!」

「英雄達全てを倒してしまうまでキーリは止まりませんわ。そういうことですのね?」


 クルエはアリエスの確認に静かに頷いた。

 それはどれだけの苦行であろうか。どれだけの茨道であろうか。ただ遥か彼方の頂きが見えているだけで先の見えない苦難の道だ。けれども、それもキーリは分かっているのだろう。だからこそ時間を惜しんで鍛錬に励み、力を蓄える事に貪欲なのだ。


「そんなの……無理に決まってますよ!」

「でも……たぶんキーリは引きませんわ。どれだけ言葉で説得しても……何か別の方法で恨みを晴らす方法があれば……」

「クルエ先生よぉ」


 ギースが頬杖を突き、脚を組んだ姿勢でクルエに半眼を向けた。


「今アンタが言った全部がホントの話と仮定して、それを世界中にばら撒いちまったらどうなんだよ? 英雄なんてご大層な呼ばれ方してっけど、ゴシップ好きも世の中多いんじゃねーの?」

「そうですわ! 英雄の方々の多くは各国から爵位をもらって今は貴族となっていますわ! プライドの高い貴族ですもの。その事を面白く思っていない連中も多く居て、彼らに今の話を伝えれば少なくとも社会的には……」

「いえ、それは難しいでしょう」


 ギースが思いついたように案を口にし、アリエスが貴族を利用した策を提案するがクルエは首を横に振って否定した。


「まだ世界が『魔の門』の混乱から立ち直って十年です。世の中の人々の記憶から薄れてきていますが、まだ潜在的には不安を抱えているでしょう。そうした中で英雄の存在を排除するのは、良識ある貴族の方々でも二の足を踏むはずです。何より、彼らの多くは教会を後ろ盾として持っています。教会の権力を拡大するためにも皇国が許さないでしょう」

「そっか、ではこの案もダメですのね……」

「ところで、なのですが……」


 レイスが右手側に座っているクルエを見上げた。彼女が何事かを尋ねようと続きを口に仕掛けたが、レイスの口元にオットマーが手を伸ばした。そして首を横に振る。


「どうしてカイエン先生がその事情を詳しく知っているか……そこは聞かないでおく方が宜しいのでしょうな」

「……すみません。今はそうして頂けるとありがたいです」

「今はカイエン先生の過去を追求する場ではありませんからな。本来であればアルカナの過去についても本人不在の場でバラすのは褒められた事ではありませんが」

「そうだな……」

「別にそれくらい構わねぇだろ。悪ぃのはテメェらに心配させてるキーリの野郎なんだからな」

「あら、珍しいですわね。ギースがワタクシたちを慰めてくださるなんて」

「俺はただ事実を言ったまでだ。ンな恥ずかしい真似できっかよ」ぶっきらぼうにそう言うとギースはプイ、と明後日の方を向いた。「それよかとっととアイツをどうすんのか決めろよ。せっかくアイツの居場所を見つけ出してきたんだからよ」

「――は?」


 ギースが最後に放った言葉。キーリの居場所を見つけた、と聞き、一瞬フィアは聞き間違いかと思った。だがアリエスやシオン、カレンを見ても同じように驚きにポカンと口を開けているのを見て、聞き間違いでは無かったと気づく。


「ちょ、ちょっと待ちなさい、ギース!」

「ギース君、キーリ君が何処に居るか知ってるんですかっ!?」

「あ? そうだよ。ついさっきまでこの先公に言われて探してたんだよ」

「ギース君はこの街の出身ですからね」ジロリ、とギースに睨まれたクルエが困ったように頭を掻きながら説明をする。「実はキーリ君が寮に戻っていないのは職員の間でも少々問題になってまして。前々から彼の居場所を探していたんですよ。

 寮に帰っていなくても学校に来ている以上はこの街に住んでるのは確かですし、見つかりにくい場所と言えばスラムだろうと思ってここ数日ギース君に探してもらってたんですが、見当違いじゃなくて良かったです」

「最近見ないと思ったらそういうことでしたの」


 ここ数日のギースの動きを思い出し、アリエスは合点がいったと両手のひらを合わせた。

 だが……


「なんだよ? 行かねぇのかよ」

「本当は今すぐにでも案内させるところですけれども……」

「アイツとどう向き合えばいいのか分からなくてな」


 フィアはため息混じりに素直に心情を吐露し、だがギースは訝しそうに眉根を寄せて首を傾げた。

 そして何度目かの沈黙が流れ、ギースとのやり取りで少し和らいだ空気も重いものとなった。クルエとともに途中から合流したギースはそんなフィア達の様子が理解できず当惑し、何処か苛立たしげに舌打ちした。


「……僕は」


 そうした中で、最初に声を発したのはシオンだった。

 ギュッと膝に載せた両拳を握りしめ、俯いた顔から必死に言葉を絞り出していく。


「僕は……やっぱりキーリさんとはこれからも一緒のパーティでありたいです。あの人は――僕の目標なんです」端正な顔に深い煩悶を浮かべ、それでもシオンは顔を上げた。「魔法も、体術も、知識も、どんな分野だってすごい人で、そして……優しい人です。僕なんかに教えてくれる時も嫌な顔ひとつしなくて、さり気なく気も遣ってくれて、僕はキーリさんみたいな強くて優しい人になりたくて――友達で居たいです。

 だから……そんな人が一人で苦しんでいくのなんて見たくありません……」

「ふむ、そうであるか……」

「どうしたらいいかなんて僕には分かりません。傍に居て役に立てるとも思いませんし、キーリさんの気持ちを理解できるとも言えません。でも……キーリさんを一人にはしたくないです」

「私も同じ意見です」


 シオンの心情を聞き、カレンも口を開いた。


「それに私は……人を殺すのが良い事だなんて思いません。罪を犯したのならやっぱり法律で裁かれるべきだと思います」

「それでアルカナの無念や憎しみが晴れると考えているのであるか?」


 敢えてオットマーはそう尋ねた。カレンは小さく「分かりません」と首を振り、そして「だけど」と続けた。


「何か私達に出来るんじゃないかって思ってます。理想論だとは自分でも思ってるんです。私達はまだ半年くらいしか一緒に居なくて、だけど友達なんです。私達と一緒に過ごすことでキーリ君の憎しみだとか恨みだとか、そういう気持ちを少しずつでも、本当に少しずつでも溶かしていってあげられないかって思うんです。ううん、溶かしてあげたいです。だって……そんな気持ちで一生生き続けるのって、とても寂しくて、悲しくて……それだけに縛られる必要ないよって、楽しい事がたくさんあるんだよって教えてあげたいです。その、具体性は無いんですけど、私はそう思います。すみません、とりとめのない話で」

「いや、ウェンスターの考えは分かった。感謝する」


 シオンとカレンの素直な心情を聞き、しかしアリエス、そしてフィアの二人は難しい表情を浮かべて無言のままであった。

 正常に機能しているか怪しい部分はあるが、王国も帝国も仮にも法治国家だ。私刑は認めていないし、まして世界にとって最重要とも言っていい人物相手に刃を向けることなどあってはならない。

 一方でキーリの激しい憎しみと怒りも理解できた。特にアリエスは貴族という立場から多くの理不尽な振る舞いを目にしてきた。そこでは真の意味で法など何の役にも立たない。

 貴族社会の中では恨みつらみが平静という仮面の下で蠢き、平民からは羨望と妬みと恐怖の眼差しを向けられる。理不尽な言いがかりに貶められた下級貴族が、怒りの余りに上級貴族に斬りかかったりという話も無いわけではない。彼女自身、そういった現場を目撃したこともある。そして彼女もまた、幼い時に貴族同士の権力争いによって誘拐され、誘拐犯から泣きながら恨みつらみを語られた事さえある。

 多くの貴族の振る舞いを見ていると正しさとは何だ、という思いに駆られる。内心では何が正しいのか見失っているというのが今のアリエスの偽らざる心情だ。その反動として、自らが思う貴族としての正しさを心がけているつもりだ。そこで復讐は許されない。しかしそれも、世間的に人格者とされてきた英雄の実際に行った非人道的な振る舞いを聞き、私刑を許さないという冷静な判断とキーリの怒りを理解した故での感情的な思いがせめぎ合っていた。

 そしてフィアの内心もまた苛烈な争いを行っていた。

 フィア・トリアニスという少女を動かす根幹は正義である。英雄でありたいと願い、理不尽な悪を到底許すことはできない。

 そして何より、彼女はキーリの心の痛みを誰よりも理解できていた。何故ならば――彼女の母と兄もまた、何者かに殺害されたのだから。

 犯人は捕まって「即座に」処刑された。だが彼女は確信している。捕まった犯人が「ニセモノ」であると。本当の犯人はまだ何処かにいて、何食わぬ顔でのうのうと生きているのだと。

 しかし彼女には何も出来なかった。父は深く悲しみ、だがどうすることも出来なかった。正義は、悪に勝つことはできなかったのだ。だからこそ彼女は強く正義を希求する。

 それでも力無い者が私怨を晴らそうとしても果たすのが難しい事を理解している。世の中は力無き者に優しくできていない。キーリは大切な友だ。パーティメンバーというだけでなく、多くの時間を共に過ごした、レイスと並ぶ親友と思っている。そんな彼が理不尽に逆らって処断される姿など絶対に見たくない。

 シオンとカレンに比べ、二人は更に多くの事を見知っている。だから様々な考えがせめぎあい、キーリに対する態度を決めきれないでいた。


「おら、テメェらどうすんだよ? アイツんとこに行くのか行かねーのかさっさと決めろよ」

「はぁ……ギースは気楽でいいですわよね」

「ギースは……この話を聞いて今後、キーリとはどう接するつもりなんだ?」

「あぁ? 俺か?」

「そうだ」

「知るかよ、そんなもん」


 フィアに尋ねられたギースは突き放すように吐き捨てた。


「どうもこうもねーよ。アイツが復讐してぇっていうなら勝手にしろって言うだけだし、諦めたって言やぁそうかって答えるだけだ。手伝ってくれって言えば条件次第じゃ手を貸すのも悪かねぇな。ま、アイツの性格なら人に頼ることはしねぇだろうが」

「ギース君はそれで良いんですか?」

「あのよ、この際言っとくけどな? 俺とアイツは、まぁまぁダチとは思ってはいるがそんだけだ。アイツの人生にこっちの頭を悩ます義理はねぇし、愚痴ぐらいなら聞いてやらねぇこともねぇがな」

「冷たいんですね、ギース君は」

「テメェらがべったり過ぎんだよ。だいたいお前らはアイツのママかってんだ。さっきからグチグチと悩みやがって。ダチならダチらしく酒でも死ぬ程飲ませるか、それかアイツの女になって抱かれて腰振らせてやって本音でも吐き出させてスッキリさせてやりゃ十分だろ」

「な、な、なっ……!」

「……ギース君、不潔です」

「男ってのはそんなもんなんだよ。そんだけで救われることだってあんだよ」


 ギースの言いっぷりにアリエスは顔を真赤にして口をパクパクさせ、カレンも頬を赤らめながら軽蔑的な眼差しでジトッと睨んだ。だがギースはどこ吹く風、という様子で反省した風もない。

 そうした中、女性陣の中でフィアだけはジッと考えこむように何処か一点を見つめていた。


「確かに……ギースの言う通りかもしれないな……」

「フィア、アナタまさか……」


 アリエスが信じられないようなものを見るような目でフィアを見た。フィアはそんな彼女の反応に「ふぇ?」と首を傾げるが、レイスから説明をされて見る見るうちに顔を真赤にした。


「えっ? ああ、いや、うん、ち、違うんだ! そんな事は無いぞ?」

「そんな吃りながら言っても説得力ありませんわ!」

「フィアさん、自分の体はもう少し大切に……」

「お嬢様……やはりあの男は出会った時に殺しておくべきでしたか」

「クルエ先生もレイスも! 違いますから! そんなんじゃありません!」


 あらぬ方向に話が行きそうになり、フィアは真っ赤な顔のまま全力で否定する。

 そしてコホン、と咳払いをすると頬をパチンと叩いた。


「私がギースの言葉に同意すると言ったのは、その、キーリの本音をまだ聞いていないということなんだ」フィアは全員を見回しながら言った。「確かに私達自身の気持ちをはっきりさせるのは大事だと思う。だが、それ以上にキーリがどうしたいのか、どうするつもりでいるのか、まずはそこを確かめるのが大切だと私は思う」

「アイツは聖女に復讐してぇんじゃねぇのか?」

「これまでのキーリの行動からして、おそらくそれは間違いないことだとは思う。だとは思うが、それだって私達の推測でしかないんだ。キーリの本心は何処か別のところにあるかもしれないし、止めてもらいたがってるのかもしれない。本心から復讐を成し遂げたいのかもしれないし、案外、ギースが言う通り心情を吐露させれば気持ちも落ち着くかもしれない」

「フィアは……自分の考えが整理できましたの?」

「いや……正直なところ、私はキーリにどうしてもらいたいのかまだ分からないんだ。だからまずは、私はキーリに会って話を聞いて、それで決めようと思う」


 そう話すフィアの顔からは苦悩の色はすっかり消え去っていた。代わりに強い決意が、彼女の少し釣り上がった双眸に浮かんでいた。


「……そうかもしれませんわね」アリエスが「よしっ」と拳を握りしめながら立ち上がった。「そうと決まれば行きますわよ! ギース、ワタクシ達をキーリのところに案内なさい! オットマー先生も止めませんわよね?」

「確かに我輩達だけで色々話しても意味は無い話である。まずは生徒とキチンと対峙するのが先決であるか」

「でしたらまずワタクシ達だけでキーリとお話させて頂きますわ」

「後ほどキーリを連れてご心配を掛けた事と、ご迷惑をお掛けした事を謝罪に来させます」

「ほら、シオンとカレンも! レイスものんびりしてないで早く行きますわよっ! ギースもさっさと案内しなさいっ!」

「はいっ!」

「っと、おい! 分かったから引っ張んな、このゴリラ女っ!」

「あ、ちょっと待ってくださぁい、アリエス様ぁ!」

「それでは失礼致します」

「うむ、気をつけていくのだぞ」


 先程までの重苦しさは何処に行ったのかと思うくらい賑やかにしながらフィア達は部屋を出て行った。最後に礼儀正しく一礼して去っていったレイスを見送ると、オットマーは「若いとは素晴らしいな」と一人頷いていた。

 ぎゅうぎゅう詰めだった部屋に残ったのはオットマーとクルエの二人。急に伽藍とした室内に何処か物寂しさを覚えながら、オットマーはクルエに尋ねた。


「カイエン先生は一緒に行かなくとも宜しかったのですかな?」

「ええ……」やるせなく首をクルエは横に振った。「いいんです……正直な所、今はキーリ君と面と向かって話が出来る気がしないんです。この歳にもなって恥ずかしい話ですが……」

「そうですか。カイエン先生がアルカナとどのような繋がりがあるのかは存じ上げませんが、気持ちの整理が出来たのであればすぐに向き合う事をお勧めしましょう。常に彼を気にかける程に気になっているのでしょう?」

「分かってはいるのですが、中々勇気が持てなくて……

 すみません、それでは僕は自室へ戻ります。コーヒー、ごちそうさまでした」

「うむ。こちらこそアルカナの居場所の捜索、感謝致しますぞ」


 眉尻を下げた笑みを浮かべて頭を下げ、クルエは部屋を辞して行った。

 そして残されたオットマー。


「……成りたての頃は深く考えておらなんだが、教師というのは全く以て難しいものであるな」


 腕を組み深く溜息を吐いた。

 そして、フィアが最初に手をつけた以外に誰も手に取らなかった菓子をオットマーは口に運んだ。

 甘いと思っていた菓子はほんのりと苦く、オットマーは眉間に深い皺を寄せてもう一度深々と溜息を吐いたのだった。





 2017/6/4 改稿


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