15-2 イエスタディをうたえるように(その2)
第55話です。
宜しくお願いします。
<<主要登場人物>>
キーリ:本作主人公。体を巡る魔力は有り余っている反面、各要素魔法との相性が壊滅的に悪い。教会の聖女を始め、英雄たちに激しい憎悪を抱いている。
フィア:赤髪の少女でキーリ達のパーティのリーダー格。自分が考える「正義の味方」を追い求めている。
レイス:フィアに付き従うメイドさん。時々毒を吐く。お嬢様ラヴ。
シオン:魔法科の生徒で、キーリ達のパーティメンバー。攻撃魔法と運動が苦手だが最近はキーリとの特訓で活路を見出しつつある。
ユキ:キーリと共にスフォンへやってきた少女。キーリとの付き合いは長いらしく、事情に詳しいが語ることを禁じられているらしい。
アリエス、カレン、イーシュ:キーリとフィアのクラスメート。いずれも中々の個性派揃い。
シン、ギース:探索試験でのアリエスのパーティメンバー。二人はマブダチ。(シン→ギースの一方通行)。
オットマーの講義は進み、教室中からメモを取るペンの音が響く。誰もが集中をして熱心にオットマーの声に耳を傾けている。
そうしていると講義の終了を告げるチャイムが鳴り、オットマーの声が止まった。
「ふむ、もう時間が来てしまったのであるか。
では本日の講義はここまでとする。明日、今回の内容を数人に質問するのでよく復習しておくように」
はいっ、と元気な答えが返ってきてオットマーは満足そうに頷く。教卓上の教材をまとめ、教室のドアを開けて外に出て行く。それと同時にキーリが席を立つのを見たアリエスが叫んだ。
「カレンっ!!」
「はいです!」
予め備えていたのだろう。カレンもまた同時にドアを飛び出し、驚いた様子のオットマーには目もくれずキーリが出て行った方を見遣った。
「にゃっ、見つけた!」
キーリの後ろ姿を見つけたカレンは走り出した。教室の前と後ろの距離は十数メートル程度。カレンならば一瞬の距離だ。
「待ってください、キーリ君!」
呼び止めるもキーリの脚は止まらない。だがキーリは歩いているだけなのですぐに距離は詰まっていく。追いつける。カレンは斥候役にふさわしい脚力でキーリを追った。
「わふっ!?」
しかし後一、二メートルというところで隣の教室から生徒が溢れ出てきて、キーリの姿は瞬く間に人混みの中に隠れてしまった。
「にゃ、にゃ! キーリ君、キーリ君!」
名前を呼ぶも当然返答は無い。生徒たちの間をかき分けてカレンは追いかけるも辺りは同世代の生徒たちで溢れかえっている。探そうにも付近にキーリの姿は何処にもなく、完全に見失ってしまった。
「カレン!」
「うにゃぁ……ごめんなさい、完全に見失ってしまいましたぁ……」
追いかけてきたアリエスとフィアに、カレンは泣きそうな顔で報告すると、アリエスは近くに居た生徒の一人の胸ぐらを掴みあげた。
「アナタっ!」
「は、はいっ! な、何でしょうか!?」
掴み上げられた生徒は相手がアリエスと知ると引きつった声で返事をした。
「さっき通った恐ろしく目つきの悪い生徒を見ませんでしたの!?」
「め、目つきの悪い生徒っ?」
「そうですの! さっさと答えなさいっ!」
「ひぃっ! い、いえ、見てませんけど……」
「本当ですの!?」
「ほ、本当です! 嘘じゃありません!」
「そう、ですの……失礼しましたわ」
最早悲鳴の様な声で返事をする生徒を解放すると、生徒はほうほうの体で教室の中に逃げていった。
「アリエス様、気持ちは分かりますけど必死すぎです」
「……あの生徒には申し訳ないことをしましたわね。後でもう一度謝罪しておきますわ」
「しかし、見失ってしまったのは痛いな」
「ふにゅぅ……申し訳ないです」
「別にカレンを責めてなどいないさ。まだチャンスはあるからな」
「そこの三人」
肩を落とすアリエスとカレンを慰めていると、野太く低い声が掛けられる。振り向くとオットマーが三人に向かって近づいてきた。
「学校が再開してから何やら様子がおかしい様であるが、何かあったのであろうか?」
問われてフィアはアリエスとカレンの顔を見遣った。カレンはどうしようかと目で尋ね、アリエスは一度目を閉じて、そしてフィアに目線で「任せますわ」と伝えてきた。
フィアはオットマーを一度見上げ、視線を落とした。
「……はい。恥ずかしながら」
「そうか」
オットマーは短くそう応え、気落ちしているフィアの頭を掴んで上を向かせた。見上げたフィアの目に、変わらない強面のオットマーが映る。無表情に近いが、サングラスの奥の眼差しが優しく微笑んでいるように見えた。
「顔を上げ給え。世の中全てが思い通りに行くことなど無いのだ。まして諸君らの年頃であればな。何も恥じることはない」
「はい……ありがとうございます」
「もうすぐ次のカイエン先生の授業が始まる。準備に戻りたまえ」
そう言ってクルリと向きを変え、オットマーは教員室へと戻っていく。だが数歩歩いたところで立ち止まり、背を向けたまま三人に声を掛けた。
「放課後に我輩の執務室へ来ると良い。相談相手にはなれるだろう」
「宜しいんですの?」
「構わぬ。解決するのは諸君らだが、そのフォローすら出来ぬというのならば教員失格であろう?」
オットマーはそう伝えて再び歩き始めた。
フィアはその背中を見つめていたが、その場で顎に手を当てて考えこむ。と、その肩を嬉しそうに顔が蕩けたアリエスが叩いた。
「一人で悩む必要はありませんわ。行き詰った時は他の方の力を借りるのも立派な手段ですわよ?」
「そのだらし無い顔をどうにかしろ。アリエスはオットマー先生の部屋に行けるのが嬉しいだけだろう?」
「否定はしませんわ。ですけれど、オットマー先生の言葉ではありませんけれども、誰かの力を借りるのは恥ずかしいことではありませんことよ。ワタクシたち冒険者はパーティを組んで探索していく。つまりはそういう事でしょう?」
「……ああ、まったく。そうだな、アリエスの言う通りだよ」
ふぅ、とフィアは息を吐き出して教室に戻っていく。頭の中でこれまでの経緯をまとめながら。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「グスッ、ずびばぜん……」
「ほら、そんなに落ち込まないでもいいですのよ」
「アリエスの言う通りだ。カレンが追いつけないのなら私達ならなおさら無理なのだからな。
しかし……ちょっと私達はキーリを甘く見ていたのかもしれないな」
肩を落として涙ぐむカレンを慰めながら、フィア達はオットマーの執務室へと向かっていた。
なぜカレンが泣いているかというと、結局、その後も授業の休憩時間ごとにフィア達はキーリを追いかけたが全て失敗に終わったからである。
反省を活かしてキーリが座るであろう席の近くに陣取ると、今度はいつの間にか別の席に座っていたり、或いは近くに座れたとしても授業が終わって気づいた時には既に教室から出て行ったりしているのだ。
すぐに教室の外に追いかけても他の生徒達の中に紛れてしまったりして見失い、そうでなくても即座に追いかけたにもかかわらず、全くキーリの姿を追うことが出来なかったのだ。
「ええ。普段は目にする機会が無かったから気が付きませんでしたけれども、まさかあの男があそこまで隠密行動に長けているとは思いませんでしたわ」
いつものメンバーの中では探索科のレイスやギースが気配を消すのに長けているが、キーリの隠密性も負けていない。むしろ優れているのではないかとさえ思えてくる。逆に気配を察知するという意味ではレイスに次いで猫人族のカレンが得意とするところなのだが、彼女であってもキーリの痕跡を全く終えないのだから。
「だからそこまで気に病まなくていいんだ」
「はい……」
カレンは二人に慰められて流石にこれ以上気を遣わせるわけにいかない、と顔を上げてパシンと頬を叩いた。ゴシゴシと顔を洗うような仕草で目元の涙を拭うと「大丈夫です」と気持ちを入れ替えた事をアピールする。
どうやら立ち直ったようだ、とカレンの表情で察した二人は胸を撫で下ろした。そうしていると、オットマーの部屋の前に辿り着く。
「失礼致しますわ」
アリエスがノックして名乗り、中から入室の許可が降りて三人は部屋に立ち入った。
オットマーの執務室は何処か手狭に感じる広さだった。安っぽい執務用の机と仮眠用のベッドがあり、そして所狭しと置かれた本棚には多くの本が丁寧に押し込まれていた。
オットマーは几帳面な性格のようで、机上には最低限の書物しか置かれておらずゴミも散らかってはいない。書棚の本も高さ別にキッチリと揃えられている。空いたスペースには体を鍛えるための器具が置かれ、戸棚等があることも含めて彼の生活はこの部屋の中で完結しているようにフィアには思えた。
「お嬢様」
「レイス? それとシオンも」
「はい、こんにちは。フィアさん達もオットマー先生に呼ばれたんですか?」
「呼ばれたというか、私達の方から相談を持ちかけたんだ」
そして部屋の中にはシオンとレイスの二人が居た。その事に驚きつつオットマーを三人は見た。オットマーは人数分のコーヒーをトレーに乗せて戻ってくる。
「うむ。我輩が声を掛けたのだ。同じパーティのメンバーは同席すべきであろうからな」
そう言いながら部屋の中央にある小さな丸テーブルにカップを並べていく。レイスが手伝おうとするが、オットマーは「本日は我輩がホストであるからな」と言って辞した。
人数分のコーヒーを並べ終えるとオットマーは戸棚へと向かい、そこから高級そうな箱を取り出すとテーブルの中央に置く。箱を開くと甘い香りが部屋に広がっていった。
「これは……まさか! あの名店のケーキですか!」
「左様」
「は、初めて見ましたですぅ……」
一口大サイズで様々な砂糖細工がなされた可愛らしいケーキは、ここスフォンにしかない超有名なケーキ店の逸品だ。材料を店主が厳選しており、また毎日数量限定でしか作られない、スフォンのみならずレディストリニア王国スイーツ界隈での幻とも言える甘味。開店前の行列は禁止されており、もし並ぼうものなら店主から二度と売ってもらえないという厳しい処分付きだ。そのため、開店直後は列順の奪い合いによって大量の女性陣の血が流れるという曰つきでもある。
フィアは周囲のイメージに似合わずスイーツが大好物だ。王都に居た頃からこっそり入手して一人顔を蕩けさせてきた歴史がある。レイスが「お嬢様は食べ過ぎますからダメです」と甘味には否定的なために、入学してからも一人寮を抜けだして買いに走ったこともある。もっとも、その時は醜い女同士の争いを目にして断念してしまったのだが。それでもいつかは口にしたいとずっと願ってやまなかった伝説のスイーツである。それが今、自分の目の前にある。
ゴクリ、とケーキを見たフィアの喉が鳴った。
「ど、どうやってこの幻のケーキを……」
「うむ、ここの店主とは昔から知り合いでな。お茶菓子を、と思って買いに出かけたら店主がこれを融通してくれたのである」
「オットマー先生も甘い物がお好きなんですの?」
「いや、我輩は甘い物は余り好まぬが、女性はこうしたお菓子が大好きなのであろう? いつ生徒が訪ねて来ても良いようにとこうして好みそうな茶請けを用意しているのだが……」
ようやく陽の目を浴びた、とオットマーは背を向けて窓の外を見た。サングラスの下で光るものがあり、オットマーの苦悩を察した一同はそっと自分の目元を拭った。
「……ふむ、失礼。それでは本題に入るのである。
授業が再開されて以降、アルカナの様子がおかしいのは我輩も知っているが、様々な事情を抱えた生徒が居るここでは基本的には介入しない方針をとってきた。だが様子を数日窺った限りでは少々事態は深刻なようであるな」
「はい……先日メンバーで合宿に行ったのですが、帰って以降キーリとは顔も合わせる事ができていなくて……」
「ふむ。相談に乗るにしても事情を知らねばならん。まずは諸君らの知っている事を話してほしいのである」
オットマーに促され、フィア達は頷くと代わる代わるに彼女らの知る内容をオットマーに話し始めた。
ムエニ村で起きた出来事を話し終えた頃には、オットマーの部屋を訪れて一時間程度が経過していた。
陽は傾き、橙色の濃くなってきた光が部屋に大きく伸びる影を作り出し、それぞれの持ったコーヒーは中身が半分ほど残っているがすっかり冷めてしまっていた。
「ふむ……そのような事が」
「はい……それ以来寮にも戻っていないようですし、教室でも避けられています。何とか一度キーリとは話をしたいのですがそれもままならない状況でして……」
「せめてキーリが何処にいるか、それさえ分かれば良いのですけれども……オットマー先生は何かご存知じゃありませんこと?」
「いや……」オットマーは首を横に振った。「寮に帰っておらぬようなのは聞いておるが我輩もアルカナが今、何処で寝起きしているかまでは知らぬし、学校側でも把握してはおらん」
「そう、ですか……」
オットマーならば、学校側ならば何か手がかりを知らないかと一縷の望みを掛けての質問だったが、返ってきた答えにシオンは肩を落とした。フィアもそっと顔を伏せ、カップへ視線を移した。濃く濁ったコーヒーの水面は静かに揺れて波立ち、何も映しだしてはくれない。
「しかし……聖女を襲撃するとは穏やかではないな」
「僕らも皆驚きました。キーリさんって理性的で、なんていうか……良いお兄さんって感じで、村で出会った女の子にも懐かれてましたし……」
「ユキに聞いたところによりますと襲撃自体は失敗したみたいなのではありますわ。その後も特に教会から手配はされておりませんし、今日まで音沙汰無しですのでそれが幸いですわね」
「……いや、それがアルカナには堪えたのかもしれんな」
アリエスが漏らした感想を聞いてオットマーはしばし目を閉じて思案していたが、徐ろにサングラスの奥の瞼を開くとそう呟いた。
「うにゅ? どういうことですか?」
「考えてみるがよい、ウェンスター。ユースターが言った通り、アルカナは我輩が知る限りでも理性的な生徒である」オットマーの言葉にそれぞれ頷いた。「それがそのように我を忘れて襲いかかろうとするということは、相当な憎しみや恨みを抱いているということであろう」
「それは分かりますが……本当に聖女様を憎んでいるのでしょうか? 聖女様とキーリでは余り接点は無さそうに思うのですが」
「それは我輩も分からぬ故、アルカナ本人に聞くしかなかろう」
「私もお話を聞く限りキーリ様が聖女様を恨んでいるのは確実だと思います。お嬢様が仰るとおり、キーリ様と聖女様の繋がりは想像しにくいですが、人は本人の知らぬ内に恨みを買ってしまう生き物です。何か昔に、きっかけがあったのかもしれません」
「オットマー先生、キーリさんが聖女様を恨んでいるとして、それがどう繋がるのですか?」
シオンの質問にオットマーが腕を組んで頷く。
「うむ。繰り返しになるが、話を聞く限りではアルカナが聖女に対して恨み、少なくとも何らかの隔意を持っているのは確かであろう。そして襲撃を実行し、敗走したのだな?」
「はい、私達も聞いただけではありますが……」
「聖女達がアルカナを退けたとして、しかしながら聖女を襲うというのはとんでもないスキャンダルな話であり、即座に犯人探しが行われてもおかしくはない。にもかかわらずそういった動きは寡聞にして我輩も耳にしていないのである」
「スキャンダルな話だからこそ、秘密裏に動きているのではありませんこと?」
「それにしてもここまで手配書の一つすら出回っているのはおかしな話なのである」
「……確かにおかしな話ですわね」
「あ……ということは」
カレンが何かに気づいてオットマーの顔を見た。オットマーは腕組みをして頷く。
「ウェンスターの考えている通りであろう。聖女側がわざと逃がしたのであろうな。そしてその事を去り際にアルカナにも伝えたのであろうと我輩は思料する。あくまで推測であるが」
「情けを掛けられたということですのね」
「それは……屈辱だな」
あの日の、雨に打たれながら歩くキーリの後ろ姿がフィアの瞼の裏に映し出される。迷宮探索試験では幾度も背中を預けて戦い、彼のその大きな背中は頼り甲斐のあるものだった。しかしあの時、後ろから見たキーリの背中のなんと小さく見えたことか。
殺したい程に憎い相手から情けを掛けられる屈辱は如何ほどだろう。瞳の中で幾度も殺してきた相手から侮られる劣情は如何ほどだろう。そして、宿願を果たせなかった自らを呪う感情は如何様だろうか。
「でも……だからって僕らから距離を置かなくてもいいのに」
「そうですわ。
……落ち込む気持ちも、顔を合わせづらいというのは理解致しますけれども」
「――いえ、そういうわけではないのかもしれません」
キーリの心情の一端を掴み、理解できた安堵からかシオンとアリエスの口からは愚痴のような言葉が零れ落ちる。しかしレイスがそれを即座に否定した。
「何が違うんだ、レイス?」
「確かにキーリ様にとって屈辱ではあったかとお察ししますが、私達から離れたのは別の理由だと私は考えます」
「我輩も同意見である」
「どういう、ことでしょうか?」
フィアが尋ね、オットマーはレイスを見遣る。彼女はオットマーに譲るとばかりに目を伏せ、それを見たオットマーは一度冷めたコーヒーを飲み干した。
「あくまで我輩の私見だが」
「構いません。先生はどのようにお考えなのでしょうか?」
「うむ……今回力が及ばなかったアルカナだが、もし未だに復讐を諦めていないのであればこう考えるであろう。『もっと、強くならねば』と」
「うーん、確かにそう考えるかもです」
「そして、諸君らを大事に思っているのならばこうも考えるはずだ。『仲間を作るわけにはいかない』と」
「どうしてですの! 強くなりたいのであれば、それこそ一人で居るよりも競い合うほうが近道に決まってますわ!」
「落ち着き給え、アルフォニア」
「…失礼、取り乱しましたわ」
いきり立って声を荒げたアリエスだがすぐに諌められ、一度深呼吸をして椅子に座り直す。
「……聖女殺しはとんでもない大罪である。人を殺すという事はそれだけでも大きな罪であるが、相手が聖女ともなれば社会的にも大きな問題になるのは間違いないだろう」
「……その場を逃げ果せたとしても、今度こそ教会も全勢力を以て犯人探しを敢行するでしょうね。どんな非合法な手段を使ってでも、探しだそうとするのは想像できます」
「そうか……そうなった時に、もし私達とパーティを組んでいれば私達にも迷惑が掛かると考えるな、キーリならば」
「その前にワタクシ達から止められる、というのを嫌ってというのもありますわ、きっと」
「確かにそうです……友達が犯罪者となるのは避けたいです」
「それに――」腕を組み、オットマーは瞑目した。「我輩も離れる背中を押してしまったやもしれん」
「? それはどういう……」
「最初の剣術の授業で我輩はアルカナに指摘をした」オットマーの眉間に深い皺が寄った。「『お主の剣は人を斬るためのものとなっている』と」
「覚えていますわ。確かオットマー先生がキーリに殴りかかったのでしたわ」
「そういえばそういうこともあったな」
「うむ。その時はアルカナの心根を探るためであったのだ。我輩が感じ取った限りでは、いたずらに誰かれ構わず剣先が向けられる様子は見られなかったので忠告だけで済ましたのだったがな」
「その時はどういう風に伝えたんですか?」
学科が違うためにその場に居なかったシオンが尋ねる。オットマーは低く、唸るような声で答えた。
「『剣が仲間や罪無き者へ向かわぬよう心がけよ』と」
その場に居た、誰もが言葉を失った。サングラスの奥のオットマーの眉間に深い皺が寄った。
「元々アルカナの剣には狂気があったのである。あの時はあの歳でそこまでの狂気を持ち得る理由が分からなかったが、聖女に対する深い憎悪があるのならば納得もいく。勝手な我輩の推測ではあるが、よもや狂気に飲まれようとする己に気づき、傷つけぬために諸君らと距離を置くようにしたのやもしれんな」
「ちっ、あの馬鹿は……」
アリエスが珍しく舌打ちをし、カレンとシオンは深い煩悶をありありとその顔に浮かべた。
「もし」フィアはギュッと強くカップを握りしめた。「もし、オットマー先生の仰ることが正しいとすれば、キーリは……」
「もしそうであるならば、アルカナの進む道は修羅の道である。行く手を遮る全てを斬り捨てる覚悟で進み、やがて己の目的を果たしたとしても行き着く果ては――」
破滅である。
低い声で放たれた言葉がフィアの腹の奥にずしりとのしかかった。言葉が出なかった。
そんな中、アリエスがガタリと音を立てて椅子から立ち上がった。
「こうしては居られませんわ!」
「何処に行こうというのであるか?」
「決まってますわ! 早くキーリを見つけ出して――」
「それでどうしようと言うのかね?」
「え……」
焦燥を露わにして部屋から出ていこうとするアリエスにオットマーは静かに尋ねた。だがその声色には重苦しい響きを伴っていた。
「それは……キーリを説得して――」
「出来るのかね、アルフォニア。君にそのような事が」
「――」
戸惑いながらの答えに、オットマーは否定的な響きを以てもう一度問う。アリエスは口を噤んだ。
「アルカナの憎しみが何処に起因するものか分からぬが、あれ程の憎しみである。生半可な言葉では止まらぬだろう。アルカナであれば、表面上は説得されたふりをして一層心根の奥底で憎しみを強めることもあり得よう」
「しかし……だからって友人が罪を犯そうとしているのを黙ってみておくなんて出来ませんわ!」
「分かっている。我輩にとっても大切な教え子が、そのような凶行に及ぶのも修羅の道に落ちていくのも黙って見ておく訳にもいかぬ。だが人の精神は脆い。行動を諦めさせたとしても抱いた想いを昇華させねば、いつか内側から業火に焼かれて果てていくぞ。そうなればアルカナ自身も、そして諸君らも後悔しか残らぬ結果になる」
「……」
「偉そうに高説を垂れたが、こういった問題について我輩も正解を持っているわけではない。だが知っておいて欲しいのである。一般論の正義だけで物事は語れないのだということを。
そしてその上で考えて欲しいのである。諸君らはアルカナをどうしたいのであるかを。アルカナに何を伝えたいのかを」
五人は一様に顔を伏せた。キーリを見つけて、面と向き合って何を言えば良いのだろうか。
自分たちを避ける理由? それを聞いたところでどうなるのだろう。聞いて満足したら「はい、そうですか」とキーリが離れていくのを見送るのか。そんな訳は無い。
見つけ出して、話をする事が目的となっていて肝心な話すべき内容が二の次になっていた。情けない、とフィアは溜息を吐いて眉間を押さえた。
重苦しい沈黙が部屋を支配した。時が止まってしまったように誰もが俯き、身動ぎさえ出来なかった。息が苦しかった。胸が苦しかった。
沈黙を破ったのは、部屋のドアをノックする音だった。
2017/6/4 改稿
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