15-1 イエスタディをうたえるように(その1)
第54話です。
宜しくお願いします。
<<ここまでのあらすじ>>
怒涛の探索試験を突破したキーリ達は、学生の一大イベントである夏休みを利用し仲間であるシンの別荘で合宿を行うことにした。
合宿先のムエニ村で村一番のガキ大将であるアトベルザと一悶着した結果、キーリは彼女に懐かれ毎日のように共に勉強したり訓練したりして穏やかな時間を過ごす。だが合宿もあと一日、というところで彼女が行方不明に。森に分け入ったキーリ達は無事にアトを見つけて村に帰り着くが、ちょうどそこにかつての英雄である聖女・アンジェリカがやってきた。
深夜、彼女の滞在先をキーリは襲撃する。だが英雄である彼女はキーリよりも遥かに強く、情けを掛けられて見逃してもらう。身も心も傷ついたキーリは、やがて仲間達からも距離をおくようになったのだった。
キーリは暗闇の中に居た。
前も後ろも分からない。上も下も知覚できない。何処までも黒で埋め尽くされて、自分が前を向いているのかも、地面に立っているのかも分からない。
何故自分はこんな所に居るのだろうか。自問してみるが答えは出ない。そもそもここは何処か、何処に向かっているか。考えてみるも一向に分からない。
――困ったな
キーリは途方に暮れるも、脚を前に進めた。向かっている方向が果たして目的地と合っているのか。もしかしたら遠ざかっているのかもしれない、と不安を抱きながらも恐る恐る進んでいく。
この場では時間感覚は無い。どれだけ歩いたか分からないが、キーリは奇妙な感覚に襲われた。先程から進んでいるのに、その進みが遅いような気がしたのだ。キーリは足元を見遣った。
そこにあったのは小さな足だった。先程まで冒険者用のブーツを履いていたはずなのに、いつの間にか小さな子供用の靴を履いていた。それはかつてキーリが村で履いていた物と酷似していた。
えっ、と驚きながら腕を見る。細くもしなやかな筋肉が付いていた腕は、肉付きが良く触り心地のよさそうな子供特有の肉質に変わり、衣服も昔エルに作ってもらった、ユーミルと遊ぶ時の物に変化している。
どうして、と戸惑い、不安を覚えたキーリ。しかしその感情も、変化した闇によって吹き飛ばされた。
白い影が目の前に現れ、靄の様に不規則に動いていく。その靄は徐々に何かを形作っていき、色も白から褐色に変わる。
そうして形作られたのは二つの人影。
懐かしいその姿に、キーリの眼は見開き、そして知らず涙が溢れてきた。
「エル! ルディ!」
キーリは駆け出した。幼い、彼らと出会った時の姿で彼らに向かって走り、大きな体にぶつかっていった。二人はそんな幼いキーリをどっしりと力強く受け止め、その体にキーリは泣き顔を押し付けた。
「オォ、どーしたんだぁ、キーリ」
「何か怖い事でもあったかい? キーリはいつまで経っても泣き虫だねぇ」
「ったくだぜ。おい、キーリ。男はなぁ、ここぞって時にしか泣いちゃなんねぇんだぜ? 分かってんのか?」
「またアンタはそんな事言って。何時の時代に生きてるんだよ。子供は泣きたい時に泣くのが一番なんだよ。泣いた分だけ優しい人になれるって知らないのかい?」
懐かしい二人のやり取りをキーリは二人に抱きついたまま聞いた。頭を大きくて温かい手のひらで撫でられる。見なくても分かる。手つきが優しくて安心するのがエルで、少し撫で方が雑だが心強くなるのがルディだ。どちらもキーリが好きな優しい手だ。キーリはくすぐったそうに身を捩りながら一層強く、彼らに対する愛情を示すように小さな腕で抱き寄せた。
だが――
「……?」
ポタリとキーリの首裏に何かが垂れてきた。何だ、と思いキーリは二人から顔を離して見上げた。
「――っ!!」
「どうしたんだい、キーリ――そんな怯えた顔して」
エルは笑っていた。だがその口からはおびただしい血を流していた。ボタボタと粘り気の強い血がキーリに降り注ぎ、銀色の髪を真っ赤に染めていく。抱きついていた腹からもとめどなく血が流れ落ち、キーリの体を汚した。
「ひっ……!」
「なんだよ、キーリ。どうしたってんだよ?」
「ルディ! エルが、エルが――」
キーリはルディに縋り付きながらエルの異変を訴える。だがルディの顔を見て息が詰まった。
ルディもまたおびただしい量の血を頭から流していた。角が折れ、真っ赤に染まった顔。肩から脇腹に掛けて出来た剣傷。なのに二人とも何でもないようにキーリに微笑みかける。その笑顔が、恐ろしかった。
後ずさるキーリ。しかしその背に何かが当たった。
「痛った! もう、キーリ、気をつけてよぉ!」
「ユーミル、ルディが! エルが大変――」
ぶつかった先から聞こえてきたのはユーミルの声。頼れる姉代わりの幼なじみをキーリは振り返った。
「どうしたの?」
そんなユーミルの体は無残だった。腕は千切れ、全身に擦り傷や切り傷が刻まれて血塗れ。脚は変な方向へと折れ曲がり、歩く度にグシャリと奇妙な音が耳にこびりついてくる。
「あ、あ、ああ…………」
「どうしたんだい?」
「どうしたんだよ?」
「ねぇ、キーリ。どうしたの?」
三人の亡霊は揃ってキーリに語りかける。罪の意識を擦りつけてくる。血塗れの異常な姿で異常なまでに何時も通りに語りかけてくる。どうして、どうして、こんな。なんでこんな事に。何故、何故、何故――
意識がグチャグチャに崩れる。思考が崩れる。悲鳴が口から零れそうになり、しかしその時、閃光が走った。
ルディの首が落ちて炎が立ち上る。エルとユーミルの体を光の矢が貫き、業火が燃やし尽くしていく。白い炎は真っ赤な血と混ざり、鮮やかなコントラストを描いて全てを無へと帰していく。
そしてその後ろから現れたのは剣を肩に担いだキツネ目の男。それと――聖女の浮かべる傲慢な笑み。
キーリの目から怯えが消え、幼かったキーリの姿が現実へと戻っていく。
――そうだ、お前らが、お前らが皆を殺した
そんな感情を逆撫でするようにキツネ目は鼻で笑い、聖女は慈愛の笑みを浮かべた。
キーリの感情が爆発した。
「貴様らぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっ!!!!」
手に持った大剣を掲げ、キーリは聖女へと襲いかかる。憎しみの篭った眼で聖女を捉え、渾身の一撃で聖女に剣を振り下ろす。
だがその直前、聖女の周りに現れた光の矢がキーリ目掛けて飛来。腕や脚を次々に貫いていく。キーリの膝が折れ、それでも痛みに歯を食い縛り、顔を上げた。
その目に入ったのは眩い閃光だ。閃光はキーリを覆い尽くし、彼の白い腕を、脚を焼いていく。キーリは悲鳴を上げた。自身の声に混じり、聖女の哄笑が耳にこびりついて、やがて意識は白濁して――
「っ! はぁっ、はぁっ、はぁっ……!!」
暗い部屋の中、粗末なベッドの上でキーリは跳ね起きた。
息は荒く、全身は汗でグッショリと濡れて前髪が額に張り付いている。倦怠感が体中を占めていて、目眩の様に視界は回っている。跳ねるような心臓の音が喧しく、呼吸するのさえ苦しかった。
「はぁっ、はぁっ……くそっ……!」
右手で頭を抱え、眉間に皺を寄せて苛立たしげに止まらない頭痛に対して舌打ちをする。ベッドの安いマットレスに拳を叩きつけた。
「う……」
直後、胃の中の物がこみ上げてくる。キーリは傍にあった酒瓶を掴むとすえた臭いの篭ったトイレへ駆け込んでいく。
そして空っぽに近かった胃の中身を全て便器の中へ戻していった。
「うぇ……げほっ、げっほっ!!」
ツンとした酸っぱい臭いが口の中いっぱいに広がり、それがますます気持ち悪い。何度かえづいて戻すと、それでも少し気分が楽になる。だが同時に、今の自分がひどく惨めに思えた。
「くそぉ……」
トイレの前に座ってキーリは拳を握りしめ、硬い床を力なく叩く。
全く歯が立たなかった。千載一遇のチャンスをものにして聖女と相対し、得られたものは屈辱感と無力感、それと絶望感だ。十年越しの悲願を前にして何一つ、吠え面一つかかすことすら出来なかった。
元より正攻法で勝てるとは思っていなかった。体こそ頑丈で膂力は人並み以上あるが、特別な才能があるわけでない。それでも必死で鍛えたこの十年。もう少しやりあえると思っていたが、差は歴然だった。当たり前だ。自分だけでなく相手もただ座して待っているだけではないのだから。
他人には無い、恐らくは自分しか使えないとっておきはあった。だがそれはおいそれと使うわけにはいかなかった。ユキに使用を止められているのもあったが、まだそれを自分は使いこなせていない。使う以上一撃で相手を殺す必要があるし、目撃者も残すわけにはいかない。何よりも下手したら町全体が消えかねない。復讐に駆られている自覚はあれども、そんなものを使うわけにはいかなかった。
或いはそれが悪かったのか。後のことなど何も考えず今持てる全てを注ぎ込めば良かったのだろうか。
「くそっ……」
分からない。内心の煩悶を掻き消すように安酒を煽った。酒の旨味も何も無い、ただのアルコールを薄めただけに近いものだが、それが口の中の酸味を洗い流してくれる。これまでも眠れずに酒に溺れて意識を失うように眠るのが常だったが、今日も酒を飲んでも眠れそうにない。
『もっと強くなりなさい』
「もっと、もっと強く……強く……」
頭の中で聖女の言葉がリフレインし、呪いのようにキーリを蝕む。事実、それは呪いと化していた。
熱病にうなされた患者の様に、うわ言に様に小声で繰り返してキーリは立ち上がる。そして何処からともなく真っ黒な外套を取り出すと頭から被り、スラム街にあるボロ宿を出て行った。
夜の闇に紛れてキーリは歩いて行く。時刻は完全な深夜。静寂に包まれた道を一人息を殺して進んでいく。
そして辿り着いたのは、迷宮だ。入り口では兵士たちが眠い目を擦りながら立ちはだかっている。
通常、夜間の迷宮侵入は禁じられている。中で夜を明かす分には構わないが、新たに入ることは認められておらず、それ故に彼らは侵入者が居ないかを見張っている。
基本的に冒険者は昼間に活動する生き物だ。なので元々夜間に入ろうとする者など皆無だが、犯罪者が中に逃げ込むのを防ぐための処置でもある。
「ふわぁ……」
なので基本的に彼らは暇である。緊張感無く欠伸をしながらただ入り口の両脇に立っているだけだ。そんな彼らの様子を確認すると、キーリはいつものように気配を闇に溶け込ませて、彼らの脇をすり抜けていく。咎められる事無く、まるで最初から門戸が開かれていたかのように自然と迷宮へ侵入した。
目指すのは最下層――ではない。強いモンスターが現れるのであればどの階層でもいいのだ。
キーリの体から出てきた黒い靄が先行し、罠を解除していく。転がっている武器やモンスターの素材などには脇目もふらず、ただ強いモンスターがいる場所目指して進む。
「ギュィィィァァァァッッッ!!」
「――」
進んでいくとDランクやEランクモンスターが、一人でやってきたキーリを獲物と思い襲い掛かってくる。それをキーリは、一顧だにせず大剣で斬り捨てた。気がついた時には全身が両断され、キーリよりも遥かな巨体を持つジャイアントスパイダーやオークでさえ炎や風の刃を付与した攻撃で斬り刻まれ、燃やし尽くしていく。躊躇もなく危なげもない。単なる障害物を取り除くような調子で、一端の冒険者でさえ苦戦する相手をキーリは一撃で屠っていった。
だが。
「ダメだっ……!」
弱い。弱すぎる。キーリは歯ぎしりをした。
この程度のモンスター、何匹倒そうとも自分の糧にはならない。もっと強く、もっと強く、生きるか死ぬかギリギリの戦いが必要だ。どうせ、自分が死ぬことなどそうそう無いのだから。
更に下層へとキーリは降りる。探索などに一切目もくれず、ひたすらに強い敵を求めて。
やがてかなりの下層へと辿り着く。それまでとは一際空気の異なる場所に足を踏み入れた途端、キーリの脚は止まった。
昂ぶる感情を抑えて、キーリは完全に制御できる影を這わせて様子を探る。そこにはモンスターの群れ、群れ、群れ。ゴーレムにマジックオーク、オーガといずれもこの迷宮で現れる最高ランクであるCランクモンスターだ。
キーリはそれを確認してほくそ笑んだ。迷宮に入ってからずっと待ち望んでいた状況だ。
笑みを浮かべ、キーリはモンスター達の前へ堂々と進み出る。現れたキーリにモンスター達の関心が向けられ、その獰猛な殺気に大剣を構えた。
「さあ――俺の糧になってもらうぞ」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
夏休みも終わって第二期が始まった教室の中。学校が再開された直後は皆、怠そうに授業を受けていたり、或いは居眠りをしたりと完全に緊張感を欠いたものだったが、以前の状態に戻るのにそうは時間は掛からなかった。
何故ならば担任は引き続きオットマーだからである。
「たるんでいるようであるな。気合を入れる必要があるのである」
そう言って初日に、いつものように連れ去られる数人の生徒。不幸にも生け贄となって筋肉説教部屋から戻ってきた生徒が予想通り死んだ魚の眼をして戻ってきた事によって、教室はかつての様子を取り戻したのであった。そんな生徒の一人にはイーシュが入っているのは言うまでもない。
そうして全てが元通りに戻ったかのように思えたが、まだ元通りに戻りきれていない生徒がいる。
「フィア」
暗い表情で最初の授業の準備をしていたフィアは名前を呼ばれて顔を上げた。そこには何時も通りピシっと縦ロールを決めているアリエスが居た。
「ああ、アリエスか。おはよう」
「おはようございますですわ。その様子ですと……そちらも昨日も会えなかったようですわね」
「まあ、な。非常に情けないことだが……」
「見つけられなかったのは残念ですが悲観する事はありませんわ。今日こそあのバカタレの居場所を突き止めますわよ!」
落ち込んだ様子の見えるフィアを元気づけるようにアリエスは励まし、そしてフィアの隣――かつてキーリの定位置だった場所に腰を下ろした。
第一期では最前列が彼女の定位置だったが、キーリが姿をくらまして以来アリエスはフィアの隣に座って授業を受けるようになっていた。フィアがその理由を尋ねても「なんとなくですわ」としか言わない彼女だが、きっと自分を気遣ってくれているのだろうとフィアは思っている。
行方をくらましたキーリを探す算段の相談をし易いというのもあるだろうし、またフィアが感じているような不安と寂しさと怒り、それをアリエスも抱いていてフィアに共感している部分もあるのだろう。それでもフィアが感じ取るものを信じるならば、一番の理由はアリエスの優しさである。口に出して礼を言えばきっと彼女は否定するであろうからフィアは心の中でのみ礼を言った。
「きりぃぃぃぃぃつっっ!!」
チャイムが鳴り、最早名物と化したオットマーの叫び声が何時もと同じく響く。すっかり訓練された生徒達は声と同時に椅子から立ち上がって彼に向かって大声で挨拶を返す。
「おはようございますっ!!」
「うむ、今日も気持ちの良い挨拶であった」
満足気に頷くオットマーを見ながら全員再び椅子に座る。その途中、フィアはチラリと最後方の端の席を覗き見た。
銀色の髪に美女と間違うような顔立ち。だが講義を開始したオットマーを見る目つきは相変わらずナチュラルに親の仇を睨んでいるような目つきだ。キーリは確かにそこに居た。
キーリは寮からは姿を消した。しかしこうして授業には欠かさず出席している。
授業が開始される本当に直前までは姿を現さず、始まるとほぼ同時に今座っている端っこに座している。そして授業が終わってフィア達が振り向いた瞬間には教室から消えている。まるで、フィア達と接触するのを避けている様に。否、避けているのだろう。だがその理由が分からず、フィアもアリエスも、そしてシオン達も皆困惑したままであった。
「……今日もちゃんと居ましたの?」
「ああ、何時も通り端の席に居る」
オットマーの講義に耳を傾け、板書から眼を離さないままアリエスが尋ね、フィアは頷いた。
「そうですの……では今日こそは捕まえてみせますわ」
「そうだな。だが、出来そうか?」
「できるできないではありませんわ。あの男とキチンと話をするにはそうするしかありませんもの。それに今日はカレンを最前列のドアの一番傍に座らせてますわ。授業が終わったら直ぐに廊下に出てキーリを追いかけるよう指示してありますから問題ありませんわ」
フィアが最前列ドア付近に眼を遣れば、特徴的な猫耳が見えた。
「しかしアリエスもカレンもキーリとはパーティも違うのだし、私達に構い過ぎるよりも自分達の訓練をした方が良いのではないか?」
「そこら辺は問題ありませんわ。ギースやシンもこんな事で自分の事を疎かにする方でもありませんし、ワタクシやカレンも他の時間でみっちりと鍛えておりますもの。
それに……このままでは悔しいではありませんの」
「悔しい?」
「だってワタクシはそ、その……キーリの事を友達だと思っておりますもの」
アリエスは少し顔を赤くしてフィアから顔を背けた。しかしすぐに眉根を寄せて表情を暗くする。
「でも帰りの馬車の中でもキーリはワタクシ達に対して何も仰いませんでしたわ。何かがあったのは確実で、キーリが深い悩みを抱いているのは明白ですのに。それはつまり、ワタクシ達がキーリにとって信頼できる仲間と思われていないという事じゃありませんの」
それはフィアもずっと思い悩んでいた事だった。同時にフィア自身を深くえぐる言葉であった。
私達はパーティであり、つまりは仲間である。入学試験前から出会い、迷宮探索試験の危機を共に切り抜けた信頼できる友であると思っていた。フィアはキーリを信頼しているつもりであったし、彼もフィアを信頼してくれていると信じていた。だが出会ってからの事を振り返っていてフィアは気づいた。キーリ自身の事を殆ど知らないということに。
彼について知っていることは、鬼人族という少数の民族の出であることと両親を失って以来、あちこちを旅しながら冒険者になるためにこの町に来たということだけだ。キーリが積極的に自分の事を語る性格では無いというのもあるが、フィアも積極的に聞き出そうとしてこなかった。彼が普段何を思い、何を感じ、何を目的に冒険者になろうと思っているのかを知ろうとしなかった。それはシオンに対しても同じで、アリエスや他の人達についてもそう。彼らの内情を深く知ろうとはしなかった。
何故か。フィア自身も自らの事を詮索されたくなかったからである。彼女もまた、自分の事を語りたくない、語るわけにはいかなかった。だから一歩、周囲に対して退いて線引をしていなかっただろうか。
キーリに頼って欲しい。悩みが、辛い事があったのなら少しでも自分に向かって吐き出してほしい。そう思っているのは事実だ。だが、そんな自分を信頼しろとはずいぶんと虫のいい話だ。フィアは俯いて皮肉げに口端を歪ませた。
「……また余計な事を考えてますわね、フィア」
「余計な事?」
オウム返しに聞き返したフィアに、アリエスは何処か呆れた表情を浮かべて頷いた。
「おおかた、信頼を得るための努力をしてきたのか、だとかお互い腹を割って自分の事をさらけ出してキーリの事も知ろうとするべきだったとか考えてるんでしょう?」
「……凄いな、アリエスは」
「フィアが分かりやすすぎるんですわ」
本気で感心した様子を見せるフィアだが、アリエスは今度こそ呆れて溜息を漏らした。
「人間、生きていれば他人に話せない事の一つや二つありますわ。ワタクシたちはまだこうして学校で学ぶような子供ですけれども、それでもフィアやカレンに話せない話はいっぱい持ってますもの。だから何でも話して欲しいとか子供じみた癇癪を起こすつもりなんてありませんわ」
「それで……良いのだろうか」
「良くは無いかもしれませんけれど、ダメじゃありませんわ。
ワタクシがキーリに言いたいのは、もしあの男がワタクシの事を少しでも友達だと思っているのなら、黙って居なくなるのではなくて話せないなら話せないなりに何かを告げて距離を置くのが筋というものでしょう、という事なのですわ。でなければこうして皆が悶々と割り切れない想いを抱き続けるというものでしょう? だから一度あの男を捕まえてとっちめて、ワタクシの心を煩わせ続けた責任を取らせてやらないと気が済まないんですの!」
授業中故に囁き声で叫ぶという器用な真似をしてみせるアリエス。鼻息荒く拳を握りしめる姿は何処かコミカルで、フィアは思わずクスリと笑みを零した。
「ようやく笑いましたわね」
「え?」
「ひどい顔してましたわよ、アナタ」
そんなにひどい顔だっただろうか、とフィアはペタペタと自分の顔を触ってみる。何処か顔の筋肉が強張っているような気がしてムニムニと揉みほぐしていく。
「……ひどい顔してますわよ?」
もう一度、何かニュアンスが違う同じ言葉を本気で心配そうな声で掛けられてフィアは無言で顔を赤らめた。
そんなフィアの手にアリエスはそっと自分の手を乗せた。
「ともかく、思いつめる前にあの男を捕まえて事情を聞きますわよ。全てはそれからですわ」
「……そうだな」
フィアはアリエスの手のひらを、感謝の気持ちを込めてギュッと握りしめた。
どうして、この自分よりも年下の少女はこうも強くあれるのだろうな。
そんな想いを抱き、フィアは心を落ち着けるとオットマーの授業へと意識を切り替えた。
2017/6/4 改稿
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