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14-2 崩壊、そして・・・(その2)

 第49話です。

 宜しくお願いします。


<<主要登場人物>>

 キーリ:本作主人公。体を巡る魔力は有り余っている反面、各要素魔法との相性が壊滅的に悪い。魔力の制御を磨くことでかろうじて第五級魔法程度は使えるが攻撃としては使えないため、主に人間離れした膂力で戦闘する。

 フィア:赤髪の少女でキーリ達のパーティのリーダー格。炎神魔法が得意で剣の腕も学内でトップクラス。欠点は、可愛くて小柄な男の子を見ると鼻から情熱を吹き出すこと。

 レイス:フィアに付き従うメイドさん。フィアは友達だと考えているが、レイス自身は一線を引いている。フィアの鼻から情熱能力を植えつけた疑惑あり。

 シオン:魔法科の生徒で、キーリ達のパーティメンバー。攻撃魔法と運動が苦手だが頑張り屋さん。

 ユキ:キーリと共にスフォンへやってきた少女。キーリとの付き合いは長いらしい。変態。

 アリエス、カレン、イーシュ:キーリとフィアのクラスメート。いずれも中々の個性派揃い。

 シン、ギース:探索試験でのアリエスのパーティメンバー。二人はマブダチ。



 そうしていると森を抜ける。開かれた土地で、成長を続けているムエニ村が見えた。

 空はまだ明るい。茜色が徐々に強くなってきており、村を染めている。


「アト!」

「アトが帰ってきたぞ!」


 村の中心には変わらず村人たちが集まっていた。彼らは近づいてくるキーリ達に気づくと、何人かが一斉にアトの元へ小走りで駆け寄った。


「バカタレ! 心配かけさすんじゃないっ!」

「あたっ! 殴んなよ、じっちゃんっ! さっきも兄ちゃんに殴られたばっかなのにオレの頭の形が変わったらどうしてくれんだよっ!」

「ふん! 儂らの寿命を縮めた罰じゃ!」

「そうだそうだ! ただでさえ老い先短いんだぞ、儂らは!」

「そんだけ元気なら当分大丈夫だろっ!」


 次々と年老いた老人たちがアトの頭を小突いていく。言葉は叱りつけているものだが、彼らの顔には安堵が色濃く現れており彼らが本心からアトを大事に思っているのがキーリやシオンにも伝わってくる。

 彼らはアトを取り囲むと、昔にテレビで見た作り物の宇宙人よろしく両脇をがっちりと固めて他の村人が待っている中心へと連行していく。きっとそこでもアトは小突き回されるのだろう。


「良かったですわね」

「だな。こうして皆に大切に思われているのを見ているのは、こちらとしても気持ちが良いものだな」


 声の方に振り向くと、アリエスとフィアがキーリ達の方に歩いてきていた。


「戻ってたのか」

「ああ、キーリ達が戻ってくるより少し前にな。シン達もすでに戻っているぞ」


 フィアが指差すと、シンやギースも集まってきていた。キーリ達四人も近づいていって、探索に出ていたメンバー全員が合流した。


「ったく、手間かけさせやがって……」

「まあそんなに怒るなって、ギース」

「そうですよ。見つかったんですから良かったじゃないですか」


 無事に見つかったことでギースの口から愚痴が漏れ、シンとカレンから窘められる。アリエスはそんなギースを呆れた眼で見ていたが、やがて溜息を一つ吐くとキーリの後ろに視線を向けた。


「それで――そちらの殿方はどちら様でしょうか?」


 全員の視線がセリウスへと向けられる。

 そういえばコイツも居たな、と思い出しつつ紹介しようとしたが、セリウスは自分から一歩前に進み出た。普通ならば居心地の悪い視線を柔らかい笑みで受け止めると、セリウスは恭しくアリエスに向けて一礼した。


「失礼致しました、お嬢さん。私はセリウス・アークヴェルツェと申します。ワグナード教皇国の騎士団員を拝命しております。以後、お見知り置きを」

「白銀の鎧とマント……精霊の騎士団ですの」

「先ほどの少年もそうでしたが、この姿だけでご理解頂けるとは、私達も有名になったものですね」

「それで、教会の騎士団の方がどうしてこちらに?」


 教会の人間と聞き、シンが眼鏡の奥の双眸をきつく細めながら話に割って入る。


「君は?」

「ヘレネム領を治めるユルフォーニ家が長男、シン・ユルフォーニと申します。この地を収めるパルティル男爵とは縁がありまして、ここしばらくムエニ村の近くに逗留しています」

「なるほど、君がキーリ君の言っていたご友人ですね。ユルフォーニ家の方と縁を結ぶことができて光栄です」

「こちらこそ高名な精霊の騎士団の方とお会いできて嬉しい限りです。それで、ご質問に答えて頂けるとありがたいのですが」

「ええ、いいですよ。先ほどキーリ君からも同じ質問を受けたのですが――」


 シンの申し出に快く応じたセリウス。しかし話の途中で声が途切れた。


「どうしました?」

「……申し訳ないですが説明は後ほど。先にせねばならない事ができました」


 そう一方的に告げ、セリウスはキーリ達を放ってアト達が居る村の中心へ走っていった。アト達に何か用があったのか、とも考えたがセリウスは脇目もふらず彼らの横を走り抜けていった。一人の大人が慌てふためいて走るその様子を、アトだけでなく村人たちも不思議そうに眺めていた。

 セリウスは村の中心にある広場から少し離れた場所に辿り着くと、道の真中で跪いた。貴き人を出迎えるその仕草を見て、誰がやってくるのかと皆注目する。キーリ達もまた、セリウスが跪くその方向へと視線を向けた。

 程なく現れたのは一台の馬車だ。だが荷馬車や町と町を繋ぐ乗合馬車などとは違い、白や銀で装飾された、見るからに高級そうな馬車だ。木目むき出しの通常の馬車とは異なって白が基調であるため目立ってはいるが装飾は華美ではなく、むしろシンプルでだからこそその持ち主が単なる成金や目立ちたがりの貴族ではないと理解できる。

 馬車を引く馬は白馬。そしてその両脇には、セリウスと同じように白銀の鎧を身に纏った兵士らしき人物が並んでいた。ただ、セリウスのそれとは違って鎧は簡素でマントもないため、立場的にはセリウスが上なのだろう事がわかる。

 それを示すように、馬車の隣に居た兵士がセリウスに向かって敬礼をしていた。


「着いたの?」

「はっ! 到着致しました! アークヴェルツェ様もこちらに控えておられます!」

「そう。ご苦労様」


 馬車の中から女性の透き通った声がした。兵士はハキハキとした口調で問いかけに答えると、馬車の扉を開けた。

 旅装なのだろう、ふくらはぎ辺りまでの長さのブーツに包まれたスラリとした脚が地面へ伸びた。白い膝下まであるワンピースがゆらり、と揺れ地面を突いた杖が土の地面を抉った。

 銀色に染められた、裾に恐ろしく手の込んだ刺繍が施されたローブがはためく。腰まで伸びた長い銀色の髪がたなびき、手入れが行き届いているそれが濃くなってきた茜色に反射した。


「おお……」


 誰かが感嘆の声を上げた。遠目にも分かるほどに彼女は美しかった。

 切り揃えられた前髪の下では細く形の良い眉が伸びている。スッと鼻筋が通り、程よいサイズの唇が弧を描いている。ぱっちりとした二重瞼の奥の双眸は、どこか挑発的だ。しかし彼女は離れた場所に居る村人たちを見ると一度眼を閉じてそれを隠し、深窓の令嬢の様に柔らかくお淑やかに微笑んでみせた。目があった村人が照れたように目を反らすとクスリと笑ってみせる。そして跪いたままのセリウスに声を掛けた。


「出迎えご苦労様。立っていいわよ」

「はっ。失礼します」


 立ち上がりセリウスは女性を見下ろす形になる。変わらずの笑みだが、その眼差しには深い畏敬が篭っていた。普段からそうなのか、彼女はセリウスの眼差しを気にも留めずに余所行きの笑みを顔に被せたまま村人たちに視線を移す。


「首尾はどうだったかしら?」

「目撃されたというモンスターは無事処理しました。ただし、居合わせた冒険者によると、モンスターの居た付近は魔素が異常に濃いとの事。地形的な問題かと推測されますが、このままでは再度モンスターが出現する可能性が高いとの意見を貰いました」

「そ。一々こんな場所まで働き蟻を行かせるのも面倒だし、森の中なんて場所でモンスターが大量発生してあるべき場所のモンスターが減っても困るわ。適当に処置しといて。人数と人選はアンタに任せるから」

「承知しました。それから、もう一つご報告が」

「聞くわ。何?」

「新たな聖痕の持ち主を発見しました」


 セリウスの報告に何処か投げやりな様子の女性だったが、最後の報告を聞いた途端に彼女のパッチリした目が驚きで見開かれた。


「本当、それ?」

「はい。まだ齢十になったばかりの少女ですが、首元の背中側に確認致しました。間違いありません」

「そう……」


 顎下に指先を当て、少し思考を巡らせる。数秒だけそうすると、彼女は少し口元を楽しげに歪ませた。


「ならば絶対に確保しておきなさい。育成団、だっけ? あそこに入れるのは仕方ないけど、新設の隊の下につけて教育をしておいて。分かってると思うけれど――」

「はい。存じあげております。既存の団員との交流は極力少なくなるよう計画を作成致しましょう」

「お願い。何が何でもあのクソ爺ィ連中の駒にはさせないでね」

「御意」


 セリウスは恭しく頭を垂れた。彼女はセリウスの姿を満足そうに眺めると、村人たちの方へ脚を向けた。


「さて、それじゃ『聖女』としての役割を果たすとしましょうか」

「畏まりました」


 柔らかな笑みを湛え、彼女はゆっくりと優雅な足取りで村人たちの方へと向かっていった。その後ろをセリウスはきっかり一歩半遅れて付き従っていく。

 一方で彼女が近づくにつれて村人たちの中ではざわめきが次第に大きくなっていった。


「お、おい。あれってもしかして……」

「た、たぶん……聖女様だ」

「本当かよ? どっかの貴族様とか、それか聖女様を騙った偽モンじゃねぇのか?」

「馬鹿野郎! 聖女を騙るとか、そんな罰当たりな事したら即座に捕まって吊るし首だぞ!」

「じゃあなんで聖女様なんて大層なお方がこの村に来るんだよ!?」

「そんな事知らねえよ!」


 誰も直接彼女の事を見たことは無い。だが噂に聞く美貌と神秘的な雰囲気から、確信は無くとも聖女と察することはできた。お付の人間も大層仰々しく、少なくとも高貴な人間がやってきたことは間違いない。

 突然の偉い人物の訪問に、村の人間たちの間に混乱が広がっていった。


「皆様、御機嫌よう」


 騒がしくなっていった村の集団だが、それも彼女が声を掛けるとピタリと静かになる。

 そんな中、一人の禿頭の老人が杖をつきながら聖女の前に進み出た。


「これはこれは。このような村に高貴な方がいらっしゃるとは思ってもおりませんで、騒がしくて申し訳ありませぬ。儂はこの村の村長をしておる者です。

 ……その、失礼ですが、もしかしなくとも聖女様であられますかな?」

「ふふ、そうですね。そのように呼ばれることもありますね」


 彼女が肯定すると村長の背後から「やっぱり」といった声が漏れ、商店の老婆に睨まれて男は黙った。

 聖女はそんな村人の様子を優しい笑みで見つめると、ローブの裾をつまんでカーテシーを上品にしてみせた。


「はじめまして。アンジェリカ・ワグナードマンと申します。教会では恐れ多くも聖女としての役割を拝命しておりますわ。本日はこのように突然のご訪問となりましたこと、深くお詫び致しますわ」

「い、いえ。聖女様にお詫び頂くなど、とんでもないことです!」

「いいえ、皆様の語らいの場を邪魔してしまったのですからお詫びするのは当然です」


 あくまで笑みを崩さず、しかし僅かに眉尻を下げて申し訳無さを表す聖女――アンジェリカ。そのお淑やかな態度と美しさ、そして聖女とは思えない腰の低さに村人の誰もが恐縮してしまっていた。

 村長もこのような大物に会う機会など無い。だがそこは年の功と言うべきか、コホンと咳払いをして動揺を押し隠し、なんとか態度を取り繕うとアンジェリカに話しかける。


「そ、それで聖女様。本日は――」

「お話を遮って申し訳ありませんが、聖女とはあくまで与えられた役割の名前。できれば皆様にはアンジェ、と呼んで頂けると嬉しく思います」

「そんな! 恐れ多い……」

「いえ、そんなことはありません。大層な立場を頂戴していますが、本来私の役目は皆様が心安らかに日々を過ごせるように共に寄り添うことにあります」


 そう言うとアンジェは一層柔らかい、ふわりとした笑みで村人たちの顔を見渡した。そしてキョトンとしているアトに向けて腰をかがめると微笑みかける。アトの頬が少し恥ずかしそうに赤く染まった。


「『聖女』なんてあからさまに偉そうな人間が近くに居ても心なんて落ち着きませんよね? だから皆さんには私の事を聖女とは思わずに気安くアンジェと呼んで欲しいんです。そうすれば皆さんの娘や孫みたいで身近な感じがするでしょう?」

「娘……」

「確かにこげなべっぴんさんが孫じゃいうんじゃったら嬉しいのぅ」


 敢えて言葉を少し崩して話しかけると、少しずつ村人たちの緊張も解けてくる。垣根が低くなり畏怖に近いものがあった視線も、今は聖女とお近づきになれたのが嬉しいのかいずれも好意的だ。

 その変化を確認したアンジェは透き通った笑顔の仮面を貼り付けて、改めてやってきた要件を告げた。


「それで本日皆様の所へとお邪魔しました理由は――」




 村人の輪の中に入っていく聖女を、フィア達は離れたところから見つめていた。


「まさか騎士団だけでなく聖女まで現れるとはな……」


 フィアはそう驚きをもって呟いた。他のメンバーも皆同じように驚きを露わにし、しかしどこか信じ切れないでいた。当然だ。王都でも迷宮都市でもない、それどころかこんな田舎の村に世界で最も有名な人物の一人がやってくるなど、普通はありえない。


「……本当に聖女だってのか?」

「ああ、間違いない……と思う」疑問を口にしたギースに対してフィアが首肯する。「一度だけだが、彼女と――んん、彼女を見たことがある。かなり昔だったから少々記憶が怪しいところもあるが……」

「聖女様で間違いないかと思いますわよ。ワタクシも一度、彼女とお会いしたことがありますもの」

「さすが貴族様は違うな」

「帝国で開かれた歓迎パーティで、少々挨拶を交わしただけですけれどもね。あの容姿は特に目立ちますからよく覚えていますわ」


 自信なさげなフィアに続いてアリエスも認めた事で、全員が聖女である事を認識する。そして浮かぶ疑問は一つだ。


「しかし……どうして聖女様までこんな場所にいらっしゃったのでしょうか?」

「確か、この村に教会を設立するための下見という話だったな、シオン?」

「ええ。セリウスさんがキーリさんに話していた内容によるとそうみたいです」

「たかが下見だろ? ンなことのためにわざわざそんなお偉いさんが来るかよ」

「聖女、という肩書を利用して設立を容易にするためかもしれませんね。単なる司祭が突然やってきて『ここに教会を建てます』と言っても、熱心な信者ならばともかく、単なる村人からすれば土地を強奪しているようにしか聞こえません。

 ですが、聖女様ほどの人物がやってきて村人たちと対話すれば、村人たちは喜んで建設を認めるでしょう。今、まさに目の前で起きているように」


 そう言ってシンは村人たちを眺めた。遠目からだが、すっかり聖女と村人は打ち解けているようだ。強引な手法で建設を進めてきたせいで嫌われる事が多い教会だが、方針を転換して融和に傾いているのかもしれない。シンはそう推測した。


「俺にはわっかんねぇなぁ……確かに美人だけどよ、たかが人間一人やってきただけでそんなに態度が変わるもんかぁ?」

「それだけ影響力のある人物ということだろう」

「ま、イーシュの場合は美人が寄ってくれば鼻の下を伸ばして、コロッと自分の意見を変えてしまうでしょうけれども」

「ひっでぇ!」

「事実でしょう?」

「おいおい、キーリも言ってやってくれよ! 俺はそんな人間じゃ――」


 立場は劣勢。女性陣の口撃を受けてイーシュはキーリに助けを求めようと振り返った。

 だが――


「キーリ?」


 キーリが呼びかけに反応することは無かった。

 焦点の合わない瞳で見つめるのはただ一点。全身が震え、半開きの口からは微かに呼吸音が漏れる。

 体中が強張る。腕が、脚が、頭が、心臓が一気に冷却されて凍りつく。血液の循環が停止し、思考が停止していた。

 そして今度は逆に一気に血液が猛烈な勢いで巡り始め、沸騰しそうな程に全身が熱を帯びていく。

 それに伴って記憶がフラッシュバックする。

 肩車され、頭上から見下ろしたルディの強面の笑顔。大きな手で頭を撫でてくれた温かいエルの手のひらの感触。キーリの腕を引っ張って森の中を駆け抜けていきながら楽しそうなユーミルの笑顔。

 そして世界は一転。

 頭から血を流しながらキーリを庇って立ち塞がる、傷だらけのルディの背中。口から血を零しながらも笑って最後の魔法を掛けてくれたエルの優しさ。キーリの背中で、少しずつ冷たくなっていくユーミル。

 蘇る、蘇る。全てが克明に蘇っていく。十年前のあの日の全てが、鮮明に血の匂いを伴って息を吹き返していく。


「おい、キーリ。どうしたんだよ?」

「キーリさん? 大丈夫ですか? どこか具合が……?」


 キーリの異変に気づいたシオン達が声を掛けていく。だが、キーリから反応は無い。

 否、口から零れ落ちたものがあった。


「殺す……」


 キーリは呟いた。低い声で呻くように、だが余りにも不鮮明で小さな声であるため誰も聞き取ることができない。

 キーリの呻きは止まらない。


「あいつらは何があっても殺す。誰であろうと殺す。誰が止めようと殺す。何処にいようが殺す……せっかく手に入れたのに、俺から家族を奪ったアイツらを……」


 かつての誓い。ユーミルの最期を看取ったあの洞窟の中と全く同じ言葉を繰り返す。呪詛を、呪いの言葉を紡いでいく。それは止まらない。

 ぼやけていた焦点が定まっていく。それと同時に記憶の流れが一点に集約されていく。

 炎の中で楽しそうに笑う女。エルとユーミルを魔法で射抜いて殺した張本人。端正な美しい容貌で三日月形に歪んだ顔。過去と現実、二つの像が今重なる。

 俯いたキーリの目が赤く変色していく。その異常に反応できたのはユキだけだ。


「キーリっ! ダメ――」


 深く、紅く。キーリの全てが塗り潰されていく。ただ一つの思考に覆い尽くされていく。憎しみが溢れ出す。そして目を見開いて、敵を睨みつけた。

 汝の名は――



――聖女(英雄)なり



「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!」


 意味を成さない咆哮が激しく空気を叩きつける。

 人が発したとは思えない低く、悲しくなるような叫びが辺り一帯に響き渡った。

 キーリの手足がおびただしく浮き出た血管に覆われ、リミッターの外れた脚力によって蹴られた地面が大きくへこんだ。


「誰か止めなさいっ!」


 突然のキーリの異常。今まで見たことの無い彼の姿に呆然とする中で、ユキだけが初めて切羽詰まった声を上げた。

 そしてそれに反応したのはフィアとアリエス。

 無意識に体が動き、掻き消えてしまいそうな爆発的な加速力を見せようとしていたキーリの脚に飛びついた。

 それが功を奏し、バランスを崩したキーリが四つん這いになる。だが尚も彼は理性を失った獣となって二人を引きずったまま聖女へ飛びかかろうとしていた。


「何やってんのっ! アンタたちも早く止めてっ!!」


 一拍遅れてギースに、イーシュ、シオンと次々とキーリの体に飛びかかる。キーリの全身が押さえつけられ、尚も前進しようとするも流石に両手足を拘束されては動きも遅々としたものとなる。

 しかしそれも数瞬。


「■■■■■■■■■■■■っ……!」


 聞き取れない呻きがキーリの喉から漏れる。それと同時に押さえこまれているにもかかわらずキーリの上半身が起き上がり始めた。


「なんって……馬鹿力なんですのよっ……!」

「これがキーリのっ、本気の力か……!」


 しがみついたまま引きずられるアリエスとフィアが焦りを口にする。このままでは全員が振り切られてしまいそうだ。

 だがそれよりも前に、ユキが憤怒に歪むキーリの顔を正面から抱え上げた。


「落ち着いて、キーリ! 今はまだダメだよ……今はまだ……」


 形の良い眉を悲しそうに八の字に垂れ、ユキは穏やかな声で囁く。その声も届いていないのか、キーリは尚も暴れようとするが、不意にその額に口づけをした。

 五秒にも十秒にも到達しそうな長いキス。それに伴いキーリの体から力が抜け、紅く染まっていた瞳が元の黒へ戻っていった。

 意識を失って崩れ落ちるキーリ。その頭をユキはしっかりと抱きとめ、胸の中で抱きしめた。

 静かになったキーリに、期せずして一斉に安堵の溜息を吐いた。


「……のう、シン様」

「うぇ! は、はい! 何でしょうか!?」


 だがその直後、老人を含む数人が何事かとやってきて声を掛けてきた。


「……すごい声が聞こえたんじゃが、何かあったのかの?」

「え!? あ、いや、だ、大丈夫ですにゃ! 何でもにゃいです!」

「じゃが、その後ろは……」

「いえいえ! 問題ありませんから! ちょっと約一名が聖女様と出会えた事で興奮しすぎて無礼を働きかけたので全員で取り押さえてたところです!」

「はっはっ! そういうことか! 良い良い! 若ぇうちはそういうこともあるだろうな! 俺も若ぇ時は家のカーチャンと手ぇ繋ぐだけで暴走したもんだ」

「へ! よく言うぜ。話しかけられるだけで緊張してガチガチになってたくせによ」

「うるせぇ! そりゃ最初の方だけだ! だいたいだな、お前の方が――」


 慌てて誤魔化したカレンとシンだったが、すぐに村人たちの関心は別の男の昔話へと移ってしまい、豪快な言い争いが始まる。

 これは幸いだ、とばかりにシンはフィア達に目配せしてキーリを村から運び出していく。その間もキーリはグッタリとして、目を覚ます様子は無い。キーリのそんな様子を、フィアやシオンは並んで歩きながら不安気に見つめていた。


「そ、それじゃ僕たちは戻りますんで! 短い間でしたけどお世話になりました」

「ああ! こっちこそ帰り支度で忙しいところを悪かったな!」

「また来年も懲りずに来てくれや。村の人間全員で歓迎するぜ」

「ええ、ぜひ!」


 にこやかな笑顔を貼り付けてシンは村の人達に手を振る。村人たちも皆振り向いてシンに手を振り返す中、背を向けてフィア達を追いかける。そして胸を撫で下ろした。


(良かった、聖女様たちにはバレていないみたいだ……)


 未遂とはいえ、聖女に敵意を示したとなればただでは済まない。キーリは確実に、他のメンバーももしかしたら捕まえられて厳しい取り調べが行われていたかもしれない。最悪、ありもしない罪をでっち上げられて処罰されていた可能性もある。聖女に仇為すとはそういうことだ。


 走っていくシンの背中を、アンジェは村人たちと楽しそうに話しながら横目で追っていた。お淑やかに、聖女然とした態度を崩さず、シンを見たのも一瞬だけ。

 だがその瞬間、アンジェは笑った。セリウスにも気づかせずに。

 三日月を描くその口は、聖女には似つかわしくない形をしていた。




 2017/6/4 改稿


 お読みいただきありがとうございます。

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