13-1 無邪気な毒(その1)
第45話です。
宜しくお願いします。
<<主要登場人物>>
キーリ:本作主人公。体を巡る魔力は有り余っている反面、各要素魔法との相性が壊滅的に悪い。魔力の制御を磨くことでかろうじて第五級魔法程度は使えるが攻撃としては使えないため、主に人間離れした膂力で戦闘する。
フィア:赤髪の少女でキーリ達のパーティのリーダー格。炎神魔法が得意で剣の腕も学内でトップクラス。欠点は、可愛くて小柄な男の子を見ると鼻から情熱を吹き出すこと。
レイス:フィアに付き従うメイドさん。フィアは友達だと考えているが、レイス自身は一線を引いている。フィアの鼻から情熱能力を植えつけた疑惑あり。
シオン:魔法科の生徒で、キーリ達のパーティメンバー。攻撃魔法と運動が苦手だが頑張り屋さん。
ユキ:キーリと共にスフォンへやってきた少女。キーリとの付き合いは長いらしい。変態。
アリエス、カレン、イーシュ:キーリとフィアのクラスメート。いずれも中々の個性派揃い。
シン、ギース:探索試験でのアリエスのパーティメンバー。二人はマブダチ。
村へと来た時と同じ畑が広がる田舎道を四人は歩いて帰る。
空は行きよりも少し雲行きが怪しくなっている。まだ雲の色は白く雨が降る様子は無いが、遠くに視線を移せばどんよりとした雨雲が近づいてきている。夕方には雨になるかもしれない。
荷物を抱えながらキーリは、ぼんやりとそんな事を考えていた。四人に会話は少ない。シンを除く三人はそもそもペチャクチャとおしゃべりをするタイプではないし、シンだっておしゃべりな女性のように次から次へと話題が出てくるわけでもない。
何処か気まずさを湛えながら帰り道を歩いていたが、フィアが徐ろに口を開いた。
「シン、ちょっと聞きたいんだが良いだろうか?」
「はいはい、なんでしょうかフィアさん」
殊更に明るい口調でシンは応じる。だが対称的にフィアは難しい顔をして、何かを考えているようだった。
「先ほどの話なんだが……」
「また辛気くせー話かよ」
「すまない。もう少し気になることがあってな」
ギースのうんざりした様な言い方にも一言謝罪をしてフィアは問うた。
「その、こういった場所では先程の様にモンスターに襲われて命を落とす方というのは多いのだろうか?」
「……そうですね、多くは無いが必ず居る、といったところでしょうか」
脚を止めずに、フィアの方を振り返らずにシンは答えた。
「それは、シンの領地でも同じなのか?」
「まったく同じ、というわけではありませんが似たような状況の場所はやはりありますね。
迷宮に比べれば圧倒的に少ないですが森や山の中にもモンスターは現れますし、僕達のような田舎領主にはまともな兵力は持てませんから。一応領民にも多少は自衛できるように武器の扱い方などを指導したりしてますが、戦闘を専門にしているわけではありませんし、本当に気休め程度です。もしモンスターに襲われたら、まあゴブリンの一匹や二匹ならばどうにでもなるのでしょうが、Dランク以上のモンスターだったら為す術もなく村を捨ててでも逃げるしか無いでしょう」
「ギルドとかはねぇのか? そこに依頼して退治してもらうとか」
「もちろんそういう場合もありますよ。モンスターが近くに生息しているという話があれば父親の元に連絡が行って、近場のギルドに依頼して冒険者を派遣してもらうこともままあることです。
ですがそれだって早くて数日は掛かりますから。それに都合よく依頼を受けてくれる冒険者が現れるとも限りません。異変に領民が気づく前に襲われたらもうどうしようもありませんし、王軍や近隣領主に頼んでも同じ理由で間に合いませわないでしょうね」
「んならアレだ、教会はどうなんだよ? アイツら何処の町にだって教会を構えてお布施だかなんだか言って金巻き上げてるじゃねぇか。僧兵だとか武装した奴らが「お守りします」だ何だ言って町をえっらそうに歩いてるって聞いたことあんぞ? 奴らに対処させろよ」
ギースが五大神教を引き合いに出すとシンは露骨に顔をしかめた。その顔には嫌悪が如実に表れており、普段のシンなら絶対に浮かべない表情だ。
「彼らは自分たちのためにしか動かないのさ」不快さを吐き出すように息を吐いた。「大きな声では言えないけど、彼らが守るのはあくまで敬虔な信者を増やすためだけさ。
いざ困った時になると何処からともなく駆けつけて、そしてギリギリ危うくなるまで介入しないんだ。本当に死にそうだったり滅びそうな状態になるとあたかも急いで駆けつけましたと言わんばかりにやってきてモンスターを倒していく。
本当に追い詰められた人達は彼らが天使か何かに見えるんだろうね。そうして自分達が縋るべきものだと印象づけていくんだ。助けた人達の弱った心に付け込んで信者を増やしてくのさ。胸糞が悪くなる話だよ」
「……疑うわけではないが、その話は本当なのか? ずいぶんと、その、私情が混じった説明だが……」
申し訳無さそうにフィアが確認すると、シンはハッとして深く溜息を吐いた。
「フィアさんの言う通り、ちょっと私情を混じえ過ぎましたね。
王都や迷宮都市みたいに大きな場所だとそんな事はありません。王軍や領主軍がありますし、生活は楽じゃなくても生きる分には最低限の仕事はありますから彼らの影響力はそれほど強くはないのです」
「スラムの人間はそもそもンな神様なんかにゃ頼らねーしな。ま、元々金もねぇから巻き上げるだけの金もねぇし、布教や救済すら来やしねぇから縁がねぇな」
「ですが田舎は領主にそんな力は無いですからね。魔法がちょっと使えるだけでも周りから持ち上げられるくらいですし、精霊に対する畏怖の念が強い。不作になれば食べるものにも困ることだってありますし、苦しい時にだけ手を差し伸べられればもう彼らに頼るしか無いんですよ、領民は」
そうしてずぶずぶと宗教にのめり込んでいき、やがて領民を連れて皇国へと去っていく。そうした傾向が顕著になってきたのはここ数年だ。もちろんそんな証拠は無いし、王国として五大神教を認めている以上、一人二人修行に行きたいと言って皇国へ出奔するのを止められようはずもない。
眉間に皺を寄せて悩ましげにコメカミを押さえるシン。そんな彼を見ていたキーリだが、一つの影が近づいてきているのに気づいた。
「こちらとしては人手は足りないくらいなのですから、そういったことは止めてもらいたいのですが……」
「あ、シン。一応言っとくけど」
「まったく困ったもので――」
肩を竦めながら、言葉通り困った様に笑って見せて振り返った直後。
シンの体が真横に吹っ飛んだ。
「あー、やっぱ気づいて無かったか……」
「シーンっ! 大丈夫かっ!?」
畑の中から飛び出してきた何かがシンの体にぶつかり、シンはといえば横っ飛びに飛ばされて反対側の畑の、ちょうど掘られていた穴の中に頭から突っ込んでいた。
「イェーイっ! 大っ成っ功っ!!」
「スっゲーっ! ぴったし穴にハマってんじゃん!」
「やっぱアトってヤベェよな! 天才、いや天災だよっ!」
シンが立っていた場所にはいつの間にかアトが立っていて、遅れて駆け寄ってきた他の子供たちに向かってブイサインをしていた。
「こらぁっ! お前たちっ」
「よぉしっ! 怖い姉ちゃんが怒ってるからとっとと逃げるぞっ!」
「誰が鬼より怖い女だっ!?」
「いや、誰もンな事言ってねーから」
畑からシンの頭を引っこ抜くと、フィアが子供達を怒鳴りつけ、それを合図としてまたワッと散っていく。畑の作物など知ったこっちゃないとばかりに所構わず駆け抜けていき、そんなアト達の姿をキーリは一人のんびり「元気だねぇ」と年寄りじみた感想を抱きながら眺めていた。
だがそんな気の抜いた姿を見逃さないのが、アトがガキ大将であるゆえんである。仲間が一人やられたというのに緊張感が無い奴だ、とアトはキーリを見てほくそ笑み、他の子供達の姿に紛れてキーリの後ろに回り込む。
「へっへー、後ろがお留守だぜ!」
キーリのがら空きの背中を見たアトは、後ろを取った、と喜び勇んで体当たりを仕掛けた。
子供特有の小柄な体に似合わない、圧倒的な脚力で一気にキーリとの距離を詰めていく。そのままキーリも畑に突き落としてやろうと右肩から飛び込んだ。
「……あれ?」
だがぶつかったはずの体は衝撃を受けず、飛び込んだまま宙を舞う。頭から突っ込んだお陰で視界は上下逆さま。アトのその視界の中で、確かにぶつかったはずのキーリは同じ場所に居た。
アトはそのまま体を上手に使って一回転。畑の土の上に脚から着地すると、楽しそうに笑ってキーリに再び突進する。今度は動きを見逃さない様にしっかりと直前までキーリの姿を見据えたまま、掴みかかった。
しかしまたしてもキーリの姿を捕まえる事が出来なかった。胸元に大きな袋を抱え、背中に籠を背負ったままで、しかしそれを感じさせない動きでアトの攻撃をかわしていた。
「……へへっ、やるじゃねぇか」
アトは鼻の下を擦りながら不敵に笑ってみせる。だがその実、アトに余裕は無かった。
今までどんな大人が相手であっても自分の動きを見切る事は出来なかった。自分を捕まえようとしても逃げ切ることは容易。だいたいは悪戯の最後には自分から捕まりに行くが、それは自分より大人が弱いと気づき、怒られることがたいして怖くなくなったからだ。
だが目の前の青年は違う。アトの動きが見切られているのは本人がよく分かっていた。今も涼しい顔でアトを見下ろしている。それが悔しくて、しかしそれを見せるのが何となく嫌だった。それはアトなりのプライドだった。
「どうしたんだ? ほら、来いよ。俺はンな荷物持ってんだぜ?」
キーリは袋を掲げて見せてアトを挑発する。それを見たアトは笑ってみせた。
「……んにゃろ。バカにしやがって」
しかしそれは見せかけ。アトの内心では、十歳なりに腸が煮えくり返っていた。
地面を蹴りキーリに迫る。レイスにも迫ろうかという速さを活かし、あっという間に肉薄する。
キーリの袋目掛けて手を伸ばした。その袋をひっくり返して吠え面かかせてやる、と袋に手を掛けようとするが、後数センチというところでキーリはヒラリと逃げていく。
ならば、と今度はかがんで脚を払おうとした。素早く後ろに回りこむと、一瞬で地面に這いつくばる程に姿勢を低くし、キーリの脚目掛けて蹴り飛ばす。だがキーリは涼しい顔をしたまま一歩前に出るだけで避けた。
そうしてアトがキーリを攻撃し、キーリがそれを避けるという構図がしばらく続く。すでに悪戯だとかそんな考えはアトの中から消えてしまっている。相手が自分よりも強いと既に分かってしまった。強い相手に捕まって怒られる。その恐怖がアトから余裕を奪っていく。顔には怯えが見えていた。
しかし徐々にその気持ちも変化していく。何としてもキーリに触りたい。触れることさえできていないこの強い人に触れてみたい。あっと言わせてみたい。驚く顔が見てみたい。アトの顔は悲壮的なものから次第に楽しそうな、まるでキーリと遊んでいるかのようなものになっていた。
「ふわぁ……アトってやっぱりスゲェ」
「アイツ、本気だすとあんな動きができるんだ……」
「でもあの兄ちゃんも全部避けてるぜ? スゲェな……」
そんな二人の攻防を少し離れたところで逃げた子供達が見入っていた。眼で追うのもやっとのスピード、自分の背丈よりも高く跳び、容易に空中で一回転。自分達にはとても真似できないアクロバティックなアトの動きと、それとは対称的に静かな動きでかわすキーリにすっかり魅入られていた。
まるでお伽話の中の英雄同士の戦い。キーリ達冒険者に言わせればそこまで大それた動きではないのだが、まだ世間を知らない少年たちにとっては十分英雄に等しい動きだ。
眼を輝かせてアトを応援していた少年達。すっかり目の前の戦いに夢中になっていて、だから背後から近づいてくる人影に気づいていなかった。
「ああ、スゲェ、スゲェよな。でもな」
「悪い子にはおしおきをしないといけないな?」
最後尾にいた子供二人が、襟首を掴まれて持ち上げられる。ギクリ、と子供達が一斉に首を竦めてゆっくり振り返ると、そこには目付きの悪い青年と笑顔で見下ろしている女性の姿が。
そして二人が指差す先には、頭から土に塗れたシンが笑顔で拳をぽきぽきと鳴らして、手ぐすね引いて待っていた。
青ざめる子供達。逃げ出そうとするが、前はギースに回りこまれてしまった。逃げられない!
「まさか、たぁ思うが」
「仲間を放って自分達だけ逃げ出すような子は、ここには居ないな?」
鬼のような笑みを浮かべて凄んでくるギースとフィアに、子供達は無言で首を縦に振った。
「はは、やっぱ兄ちゃんスゲェや!」
たまらずアトは歓声を上げた。どれだけ本気で攻撃しても一向に当たらない。それどころか指先を掠らせる事もできない。
自分は他の人とは違うとアトはいつの間にか自覚していた。大人も含めて誰よりも疾く、誰よりも強い。特別な存在なんだと、誰に言われるでもなく知っていた。
父親を亡くして以来、村の人間はアトにはずいぶんと気を遣ってくれていたが、別に遣わなくても良かった。前と同じように接してくれれば良かった。むしろ、気を遣わないでいて欲しかった。
だからアトは明るく振る舞った。前の様に守ってくれる父親は居ないのだから強くあろうと、幼いながらに思った。皆に心配掛けないようにと殊更に明るく振る舞って元気に外を走り回った結果今のアトが作り上げられたのだが、自分の体の凄さに気づいたのはそういった時期だった。
「そういうお前も十分すげぇけどな」
「一切触らせない兄ちゃんに褒められても嬉しくねぇ、よっ!」
「本気で褒めてんだけどな」
このままじゃ埒が明かない、とアトはキーリから距離を取った。そしてニヤリ、と不敵に笑った。そんなアトに、キーリは怪訝そうに眉をひそめた。
「仕方ないや。兄ちゃんには特別だ。オレのとっておきを見せてやるぜ」
そう言うとアトは――詠唱を始めた。
周囲の温度が上昇し、魔素が活性化していく。
魔法だ。キーリもまさかアトが魔法まで使えるとは思っていなかった。しかも、肌で感じるにその階級はかなりのものだ。低くても第四級、或いは第三級上級にまで届くかもしれない。
「……随分と大した隠し玉を持ってんだな。お前くらいの歳で誰から習ったんだ? 親父さんか?」
「いんや、違う」アトは詠唱を止めてキーリに付き合う。「勝手に覚えてたんだよ」
アトの頭の中に広がる詠唱。そしていつの間にか体に巡っていた魔力と覚えていた制御方法。誰に教わるでも無く、いつ学んだでもなく、まるでアトの中に在る事が当たり前になっていた。
これまで誰も見せたことはない。誰にも教えていない。だが、この人になら見せてもいい。それで勝てるなら、秘密をバラすことなんてわけない。
誰かの前で秘密を明かす。その高揚感で笑みが止まらない。しかし対照的にキーリの表情は、それまでの余裕ぶったものから険しいものに変わっていった。
「アトベルザっていったな。お前……魔法を使う意味分かってんのか?」
「はぁ? 魔法は魔法だろ? 兄ちゃんをぶっ倒すって意味以外になんかあるのかよ?」
「はぁ……」キーリは溜息を吐いた。「まぁこれも人生の先輩の役割ってやつなのかねぇ……」
「何ぶつぶつ言ってんだよ? あ、分かった! へっへー、実は兄ちゃん魔法が使えねぇんだな? だからオレが怖いんだろ?」
その考えに至った途端、アトの中にあったキーリに対する圧迫感が霧散した。魔法さえ使えばキーリよりも自分は強い。であれば怖くない。
微かに残っていた悲壮感が消え去って高揚に変わり、やがて優越感がハッキリ浮かんだ。だが、そんなアトを見るキーリの表情は厳しい。それどころか、憐憫の情が浮かんでいた。
「……いいさ。使え。俺に向かってそいつをぶっ放してみろよ」
「言われなくてもそのつもりさ! んじゃ喰らいなよ、兄ちゃん!」
最初に放たれたのは不可視の刃。風神魔法の第四級魔法だ。風の刃のため肉眼で捉えるのは難しいが、風の流れのためその動きは肌で感じることができ、熟練の冒険者であれば避けるのは容易い。だがその魔法は本命ではない。
アトの本命はその後ろ。初撃の風神魔法を避けて油断したところを光神魔法――いずれも魔法の知識自体はアトにはないが――をこの眼の前の兄ちゃんに叩き込んでやる。キーリがどちらの方向に逃げようとも追撃できるよう油断なく動きを見定めようとした。キーリが初撃を避ける事は既にアトの中で確定事項であった。
だが――
「――え?」
キーリは避けなかった。風の刃は、キーリのコメカミと頬を鋭く斬り裂いた。一瞬走った痛みに微かにキーリは顔をしかめ、だが表情の変化をアトに悟らせないよう耐えた。
ポタリ、ポタリと頬を伝って赤い血が流れ落ちる。土の上に落ちた溜まりが染みこんでいく。
「キーリ!」
フィアもまさかダメージを受けるとは思ってなかったのだろう。心配して思わず駆け寄ろうとするが、キーリは手を挙げてそれを制止した。大したことない、とばかりに小さく微笑み、そしてアトの方へと歩いて行く。
「な、なんで……」
一方でキーリに魔法を放ったアトは恐慌状態に陥っていた。追撃するつもりだった光神魔法は既に構成が崩れて霧散し、流れ落ちるキーリの血から眼が離せなくなっていた。同時に、体が震えて、脚が竦んで、一歩も動けない状態になっていた。
「これがお前が魔法を使った結果だ」
「お、オレが…オレ……オレ、そんなつもりじゃ……」
村のあちこちで悪戯して迷惑をかけているアトだが、誰かに怪我をさせた事は無かった。転ばせて小さな擦り傷やちょっとした打ち身程度はあるが、それだって日常生活で負う程度のものだ。
だがキーリから流れる血を見て、アトは自分がしでかした事に衝撃を受けていた。魔法を使った事でこんなに血が出るほどの傷を負うなどと思っても無かったのだ。それはアトの幼さ故に仕方ない事かもしれない。
「そんなつもりじゃなくってもこうなるんだよ。魔法なんてそんなもんだ」
硬い声色ながらもキーリは努めて平静にそう言った。
シェニアもいつか言っていた。魔法もそう、剣だってナイフだって使い方を誤れば人を傷つけるのだ。殺してしまうかもしれない。過ぎた力はいつだって他人を傷つけるものだ。力を振るうべき相手を間違ってはいけない。復讐に囚われてしまっているキーリだが、なるべく心がけている事だ。
「オレ、オレ……」
パニックになったアトの目から涙が溢れた。頭の中がしっちゃかめっちゃかになって考えがまとまらなくて、ただ感情だけが溢れかえっていた。
そんなアトにキーリの陰が覆いかぶさる。アトは怖くて顔をあげることが出来ず、滲んだ視界でただ雫が落ちていく地面を見ていた。
殴られるか、或いは殺されるかもしれない。本気でそんな考えが浮かぶが、アトの頭に置かれたのは拳ではなく、大きな掌だった。キーリの手がアトの髪の毛をワシャワシャと乱していき、だがそれ以上は無かった。
「悪いと思ったか?」
「……うん」
「俺の血を見てどう思った?」
「……すごく、こわかった」
「確かにお前の歳で魔法をここまでキチンと使えるのは凄い事だ。だけど、無闇に使ったらどうなるか……分かったな?」
キーリはアトの目線までしゃがみ込み、落ち着くように頭を撫でながら尋ねた。アトは赤くなった眼で恐る恐るキーリを見て、そして頷いた。
「それなら良しっ」キーリは歯を見せて笑ってみせる。「悪いことしたと思ったら何て言えば良い?」
「……ごめん、なさい」
「オッケー、ならこれで許してやる」
そう言ってキーリは立ち上がり、アトの頭にコツン、と軽く左拳を落とす。思った以上に軽い衝撃にアトは逆に驚いてキーリを見上げた。
「お前はもう十分に反省した。なら殊更に痛い思いする必要はねーだろ?」
アトは下唇を噛んだ。頭に殆ど痛みは無いが、代わりに胸の奥がズキズキと痛かった。
「ま、これからもっと痛ぇ思いするだろうしな」
「えっ?」
「おう、ギース、フィア。そっちも終わったようだな」
キーリがアトから視線を外して後ろを振り返ると、そこには子供達を両脇に抱えたギースとフィアの姿があった。子供達は皆それぞれに頭にコブをこしらえていて、涙目で頭を擦っている。その後ろには幾分すっきりした様子で拳を撫でるシンがいた。
「テメェの方は随分と殺伐としてたみてぇだけどな」
「ちょっとこちらに来てください。魔法を掛けますから」
「悪ぃ、サンキュ」
傷は浅く、すでに血は止まっていたが念のためにとシンが回復魔法で治療をする。それも程なく終わり、フィアが怒っているような呆れたような何ともいえない表情で溜息を吐いた。
「まったくお前は毎度毎度……見ているこちらは少々肝が冷えたぞ?」
「すまん。だがこれくらい派手な方が効果はあるかと思ってな」
「それは否定せんがな」
シュンとして落ち込んだアトを見ると、キーリの言う通り確かに効果はあったようだ。やり方に文句は言いたいが、それを何とか飲み下す。逆に余りの落ち込みぷりに、まるでフィア達の方が悪いことをしたみたいに思えてくる。
何とも気まずい。フィアもキーリがしたようにアトの頭を撫でてしゃがみ込む。
「そう落ち込まなくていい。悪いことをしたと反省して、謝って、そして罰を受けたのだろう? ならもう気持ちを切り替えるべきだと私は思う。でなければ皆調子が狂ってしまうぞ?」
アトが見上げると、周りにいた子供達も心配そうにアトを見ていた。
――いけない、いけない。心配させちゃいけない。
アトは必死に頬の筋肉を動かし、歯を見せるくらいに大きな笑顔を見せた。
「なーに捕まってんだよ、お前ら。なっさけねー奴らだな」
「うるせー! 仕方ねぇだろ!」
「そうだそうだ! お前があんな凄い動き方するのが悪いんだ!」
「へっへーん! ならお前らもオレみたいにできるようになってみろよ!」
極力いつも通りに少年たちをからかうアト。それに対して猛烈な勢いで反論していく子供達。途端にぎゃんぎゃんと騒がしくなったが、そんな彼らを見てフィアは安心した。
「やれやれ。これで一件落着というところかねぇ」
「子供がいつまでも落ち込んでいるというのは落ち着きませんからね」
「そうだな。子供は元気な方がみているこちらも楽しいものだ」
「やかましいのは俺はゴメンだがな」
「そう言うな、ギース。これでこちらも気兼ねなく――雷を落とせるというものだ」
フィアの言葉に、少年たちと騒いでいたアトの動きがピタリと止まる。そして錆びついた機械のようにギ、ギ、ギとフィア達の方の振り返った。
「何をそんなに驚いた顔をしている?」
「だ、だってさ、オレさっきこの兄ちゃんから叱られてもう許してもらったんじゃ……」
「何を言っている? それはキーリを傷つけた事に対する罰だろう?」
フィアは手のひらに息を吹きかける。シンとギースは拳をポキポキと鳴らした。
三人ともイイ笑顔を浮かべてアトを見下ろしていた。
「先程は良くも穴に突き落としくれましたね?」
「私の胸を触って、よくも侮辱してくれたな?」
「テメェにゃ俺の髪を燃やしてもらったお返ししなきゃいけねーよな?」
「いや、最後のはオレのせいじゃ……」
「問答無用!」
「ひやっ!?」
逃げようとしたアトの襟首を素早くキーリが掴んで逃がさない。ぷらん、と猫状態でフィアに引き渡され、そのままフィアの膝の上にうつ伏せに寝かされる。その姿勢から、アトはこの後の仕打ちを悟り、キーリに瞳で助けを乞うた。
だが――
「悪いことをしたら罰はキチンと受けなきゃな?」
――現実は非情である。
絶望したアトの頭に考えが浮かぶ。そうだ、謝れば許してもらえるかも――
「ご、ごめんなさ――」
「悪い子にはオシオキだっ!!」
畑と畑の間で尻を叩く音と、アトの悲鳴が響いた。
近くの村人たちは、可哀想に、とつぶやきながら笑って、そして何事も無かったかのように畑仕事に精を出していた。
2017/6/4 改稿
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