表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
44/327

12-2 村に住む人々(その2)

 第44話です。

 宜しくお願いします。


<<主要登場人物>>

 キーリ:本作主人公。体を巡る魔力は有り余っている反面、各要素魔法との相性が壊滅的に悪い。魔力の制御を磨くことでかろうじて第五級魔法程度は使えるが攻撃としては使えないため、主に人間離れした膂力で戦闘する。

 フィア:赤髪の少女でキーリ達のパーティのリーダー格。炎神魔法が得意で剣の腕も学内でトップクラス。欠点は、可愛くて小柄な男の子を見ると鼻から情熱を吹き出すこと。

 レイス:フィアに付き従うメイドさん。フィアは友達だと考えているが、レイス自身は一線を引いている。フィアの鼻から情熱能力を植えつけた疑惑あり。

 シオン:魔法科の生徒で、キーリ達のパーティメンバー。攻撃魔法と運動が苦手だが頑張り屋さん。

 ユキ:キーリと共にスフォンへやってきた少女。キーリとの付き合いは長いらしい。変態。

 アリエス、カレン、イーシュ:キーリとフィアのクラスメート。いずれも中々の個性派揃い。

 シン、ギース:探索試験でのアリエスのパーティメンバー。二人はマブダチ。





 その後にシンが明るくその場を取りなし、気持ちを切り替えながら進み始んでいく。そうしてしばらくして、キーリは三人に声を掛けた。


「なあ」

「なんですか」

「子供達にさっきから跡をつけられてんだが」


 言われてシンとフィアが振り返ると、影が近くの住居にサッと隠れた。だが振り向いた後に隠れたところであまり意味は無い。二人の眼にはハッキリと何人かの子供の姿が映っていた。


「……まあ気にしなくて良いんじゃないか? 別段怪しい者では無いようだしな」

「先も説明しましたが、最近まで余り他所との交流が無かったですからね。子供達も見慣れない人を見かけて興味を持ったんでしょう」

「ま、そんなところだろ。ガキは何でも面白がるからな」


 キーリ同様に気づいていたギースも、そう言ったきり興味を失った。

 キーリ自身、別に警戒して三人に声を掛けたわけではない。子供達からは、当たり前ではあるが敵意などは感じなかったし、ギースの言葉通り見つからない様に隠れるのを楽しんでいる雰囲気を感じ取れる。単に途切れた会話の端緒となれば、と思った程度だ。

 だが同時に、子供達の中で一人だけ気になる子供が居た。

 一人だけほぼ完璧に気配を消している子が居るのだ。今もフィアとシンに急に振り向かれたために隠れるのが遅れた彼らの中で一人、振り向かれる直前に二人の動きを察して先に身を隠していた。とても単なる子供の動きでは無い。


(まあ別にいいんだが……)


 あくまでその少年からも感じ取れるのは悪意ではなく――いや、悪意といえばちょっとした悪意は感じるが、それだって大したものではなさそうだ。

 放っておこう。キーリがそう判断を下してからやや遅れ、先頭を歩くシンが脚を止めた。

 四人の目の前には平屋建ての、小さな木造の建物があった。他にも目の前のものと似た建物が幾つか並んでいる。どうやら幾つかの店舗がこの近辺に集まっているらしい。だが今は客は居ないのか、他の建物の前では店主らしき人物と年配の村人が大きな声で談笑している。


「この村に来た時はいつもここで色々買い集めるんですよ。年配の女主人なんですが、目利きが良くて食材も長持ちするんです。その分、他の店より少々値が張るんですけどね。それでも質を考えれば安い方ですが」


 簡単に三人に説明すると、シンは店のスライド式のドアを開けて中に入り声を張り上げた。


「おばちゃーん! こんにちはーっ!」

「はーい! いらっしゃい……っておやまあ、シン坊じゃ無いかい!」


 奥からもシンに負けず劣らずに元気なしわがれ声が返ってくる。所狭しと商品が置かれた、手狭な商品だなの隙間から現れたのは小柄な老婆だ。ユキよりも更に背は小さく、キーリの目測では一四○センチもないくらいだ。白髪が多く混じって灰色に見える髪の毛を玉ねぎみたいにひっつめて、尖った鼻の上には小さな丸メガネが乗っかっている。

 手には煙管を持ち退屈そうに時折咥えては煙を吐き出している。皺で細くなった眼で来客者に対して向ける鋭い視線は偏屈な性格を思わせるが、その来客者がシンだと気づくと途端に相好を崩した。

 これで魔法使いの黒いローブを着ていたら完全に物語の魔女だな、とキーリはどうでもいいことを考えた。


「イッヒヒ、ご無沙汰じゃないかい。元気だったかね?」

「ええ、おばちゃんも元気そうで良かったです」

「ヒヒッ! 何処が元気なもんかい! いつお迎えがきてもおかしくない歳さね。このままシン坊の顔も見ないままいつポックリ逝っちまうかと毎日気が気じゃなかったさ!」

「……何処がポックリ逝きそうなんだか」


 元気に声を張り上げながら悲観的な未来を口にする矛盾。思わずギースが小声で突っ込むが、それを聞き逃さなかった老婆がジロリと細い目を向けてギースはたじろいだ。


「……そこのボンクラそうな男はシン坊の連れかい?」

「待てコラ、ババア。誰がボンクラだ」

「ダメだよ、シン坊。友人はキチンと選ばないと。そっちのめんこい子とこっち――そっちのめんこい子ならふさわしいとあたしゃ思うがね」

「ちょっち待て、なんで俺らを見て言い直した?」


 褒められて少し照れたフィアの横で揃って抗議の声を上げるキーリとギース。老婆はそんな二人に向かって「ふんっ」と鼻を鳴らした。


「揃いも揃ってそんな極悪人みたいな目でこっちを睨んどいてよくそんな事が言えるね」

「「この眼は生まれつきだっ!!」」

「はは、おばちゃん、コイツはこんな見た目だけど実は良い奴で、学校に入ってからの最初の友達なんだ。こっちも目つきは悪いんだけど全然悪い友人じゃなくてむしろ真面目で成績も優秀なんだよ。どっちも僕の大事な友達だからそう悪く言わないでほしいな。気持ちは良く分かるけど」

「お前も最後の一言余分だ」

「ヒッヒヒ、シン坊がそう言うなら信じてあげようじゃないか」


 元々本気でそう思っていたわけではないのだろう。どうやら二人をからかっていたようで、引きつった様な笑い声を上げると「それで」と老婆は眼鏡のズレを整えた。


「いつも通りの注文でいいんだね?」

「はい。あ、だけど今回は他にも友達が来てるからいつもより結構多めでお願いするよ。具体的には五割増しくらいで」

「おや、まあ。そうなのかい。都会の学校に入学するなんて聞いた時はどうなるもんかと思ったけど、中々に縁に恵まれたみたいだねぇ」

「ははは、そうですね。皆良い人ばかりで、自分でも周りに恵まれたなって思います」


 少し気恥ずかしそうに、だがハッキリとそう受け答えるシンを見て、老婆は薄く笑うと「よっこらせ」と声を上げながら立ち上がり、腰を叩きながら奥へと引っ込んでいく。


「実はね、シン坊がやって来たって噂を耳にしてね。こないだやって来た駆け出しの行商からいっぱい仕入れといたんだよ」

「……まーた色々難癖つけて買い叩いたんでしょ?」

「ヒヒ、難癖とは人聞きが悪いね。正当な交渉の結果だよ。ま、ちっとばかり相場より安く買い叩いてやったがね、それも向こうの勉強代ってとこさね。

 さて……おやおや、ちとばかし注文の量には足りないみたいだね。参ったね、あたしの読みも鈍ったもんだ」


 予め取り分けておいた量では足りなかったらしい。元々からして渋そうな顔をますます渋くした老婆だったが、新たにシンに質問をした。


「いつまでこっちに居る予定だい?」

「そうですね、後一週間ほどはいつもの家で滞在する予定ですよ」

「ならとりあえず今ある分だけ持っていきな。足りなくなったら申し訳ないけどもう一度取りにおいで。今回はこっちの落ち度だからね。足りない分はこっちが勉強して売ってあげるよ」

「本当ですか? いつもありがとうございます、おばちゃん」

「イッヒヒ。そりゃこっちのセリフだね。毎度ご贔屓にありがとさん。ヒッヒッ、礼儀正しい子は好きだよ。

 さて、んじゃ隣の店先で油売ってる爺にも商品を持って来させてくるよ。あの爺にも予め声掛けといたから、準備出来てるはずだ。ちょいと待ってな」


 老婆はそう言って少し曲がった腰を叩きながら店の外に出て行った。そして四人が残されて、他に店員は居ないのかとキーリは中を覗き込んでみるが姿は見えない。どうやら老婆一人で切り盛りしているようだ。

 不用心だな、とキーリ達だけとなった店を見ているとギースが舌打ちをして悪態を吐く。


「ちっ、何なんだよあのババァ。言いたい放題言いやがって」

「何というか……強烈な人だったな」

「まあまあ。あの人は昔っから口が悪いんだよ。というか、わざとああいう言い方して相手を見極めようとする節があってね。ずっと若い頃は結構な額と量を取り扱う大物商人だったなんて話も聞くし、あの人なりのやり口なのかもね」

「あんなクソババァの商品なんて誰が買うんだよ。ただ口が悪いだけのババァじゃねえか」


 シンが宥めるも未だ腹立たしいらしく、ギースは愚痴愚痴と文句を垂れる。


「ねえ」


 そんなギースの悪態を聞きながら老婆が戻ってくるのを待っていると、突然背後から声を掛けられた。

 四人は振り向く。そこに誰もいない。だが視界の隅っこでピコピコと髪の毛が揺れていた。


「どこ見てんだよ。コッチだよコッチ」


 下の方から声が聞こえ、視線をずらしていく。そこには一人の少年らしい人物が居た。

 背丈は一三〇程度。下から幼さを多分に含んだ顔立ちでキーリ達を見上げていた。未成熟な少年っぽく手足は細く、それを差し引いても少し痩せ気味な様だ。少しくすんだような金色の髪のてっぺんでは、くせ毛なのか一束の髪がピンと逆立って風にピコピコと揺れている。


「あん? 何か用か?」


 大人気なくも不機嫌そうなままギースが応じる。スラムで鍛えられたギースの目つきは悪い。子供ならば、ともすればその眼で見られただけで怖がって泣いてしまうかもしれない。

 しかし少年はそんなギースの視線にも臆すること無く、逆に好戦的とも挑発的とも取れる皮肉げな笑顔を浮かべた。


「何か用、じゃねーよ。ンなとこ突っ立ってるとオレが中に入れねーじゃねーか」

「っと、ああ、それもそうだ。すまないな、少年」

「良いってことよ、姉ちゃん」


 素直にフィアが謝罪を口にして狭い通路で端に避けると、少年は何処で覚えたのか横柄で何処か年配のおっさんのような口ぶりで頷いて中に入っていく。

 だが途中、フィアの前で立ち止まる。ジッと彼女の顔を見上げ、フィアは首を傾げた。


「まだ何か用……」


 むにゅ。

 フィアが問いかけようとする途中で、少年は自然な動作でフィアの胸を揉んだ。

 むにゅむにゅ。少年の手の動きに合わせて、フィアの控えめな胸が柔らかく形を変えていく。

 突然の少年の犯行に、完全に時間が静止した。


「な、な……!」


 思わずフィアが平手を振るった。だが少年はそれをかがんで避けるとニヒヒと笑って悪びれる様子が無い。


「ふーん、大人の女の胸ってもっと大きいんかと思ってたけど、そうでもねーんだな。姉ちゃん、もっとちゃんと飯食った方がいいぜ?」


 顔を真赤にして目を怒らせるフィアに近づくと、なるで慰めるように手を伸ばして肩を叩く少年。思わず手を出してしまったが、相手が子供である以上あまり怒りに任せて行動するのも大人げない。かろうじてその判断ができたものの怒りの行き場をなくしたフィアは、とりあえず隣に居た頑丈なキーリの肩を震える手で殴りつけた。


「痛って! 俺に八つ当たりするな」

「ちょっと我慢してくれ……本気であの子を殴ってしまいそうだ」


 少年はそんな二人の小声のやり取りを横目に見ながら、口笛の音色を上手に響かせて店の奥の方まで入り込んでいった。


「ずいぶんとふてぶてしいガキだな」

「そうだな。お前に睨まれても全然驚いて無かったもんな。随分と肝が座ってるね」

「ま、子供はあれくらい無邪気で元気な方が良いだろ」

「ですね。だからフィアさんもほら、お怒りはもっともだけど笑って笑って」


 シンの話しかけに小さく頷きながらフィアは無理やり笑顔を浮かべてみせる。が、引きつったその顔は全く笑えていない。

 それを自覚したのか、フィアは顔をそむけて俯きながら無言でドスドスとキーリの肩を殴り続ける。顔を赤くして恥ずかしそうな様は、普段の凛とした様子とは違って可愛らしくもあるのだが、普通の少女と違って一撃一撃が重いのだからキーリとしては溜まらない。かと言ってここで止めようとすると怒りの矛先が何処に向かうか分かったものではない。

 打撃の度に感覚が鈍くなっていく自分の肩をそっと見ながら、帰ったらシオンに回復魔法を掛けてもらおうとこっそりとキーリは思った。


「やれやれ……あのジジィにも参ったもんだね……」


 そうこうして店内をうろつきながら待っていると、やがて老婆が溜息を吐きながら店に戻ってくる。


「待たせたね。隣のジジィ、買い付けたらそんまま保存しっぱなしで何の準備もしてなかったからね。まったく、商売する気があるのかねぇ、あのジイ様は……」

「そっくりそんままテメェに返してやんよ」

「あん? なんだって? よく聞こえないねぇ。最近耳が遠くなってね」

「ちっ……」

「ヒャッヒャッヒャ」


 ギースが老婆に悪態を返すが、老婆はわざとらしく聞き返してニヤリと笑ってみせる。完全に手球に取られているようで、ギースは舌打ちとともにそっぽを向いた。そんなギースに対し、老婆は楽しそうにしわがれた笑い声を上げた。憎らしいのに憎めない。昔は一廉の商人だったというシンの話もあながち間違いではないのだろう。


「ヒャッヒャッヒャ……おや?」

「どうしましたか、ご婦人?」

「いやね、確かここにあたしの煙管を置いてったと思ったんだが……アンタ達見とらんかね?」


 カウンターの上を探しながら老婆が尋ねる。そういえば煙管を吹かしていたな、と思い出したが、特に意識していなかったために老婆が何処に置いて出掛けたかなど覚えているはずもない。


「へっ、いよいよ耄碌しだしたか?」

「馬鹿を言うんでないよ。あたしゃまだ五十年は生きるんだよ」

「ポックリ逝きそうだと言ってたのは何だったんだか……」


 ここぞとばかりにギースがからかうが、ふん、と老婆は鼻で笑ってみせる。キーリがその言い様に呆れて肩を竦めていると、「うん?」と老婆が怪訝そうに顔をしかめた。


「……もしかしてあたしが居ない間にこれくらいのクソガキが来なかったかい?」

「婆さんくらいの背丈の子供か?」

「さっきのガキか? ならあっちに――」


 ギースが、先ほど少年が入っていった方を指差そうとする。だがすでにそこに少年の姿は無い。


「あん? あのガキ、何処に――」

「へっへー! どうだよ、ちゃんと言った通り取ってきたぜ!」

「すっげー! 本当に婆ちゃんがいっつも咥えてるやつだ!」

「すげぇな、アト! どうやって気づかれずに持ってきたんだよ!?」


 その時、店の外で子供達が騒ぐ声が聞こえてくる。老婆がキーリ達を押しのけて外に出ていき、四人も「なんだ?」と店先に顔を出した。

 見てみると、そこには村に来る途中にキーリ達の後ろを付いてきていた子供達の姿があった。彼らを前にして、ついさっき店に入ってきた少年が得意そうに煙管をクルクルと回していた。


「ニヒヒ、大したことじゃねぇよ。あのババァ、いっつも客が来てる時は煙管をカウンターに置いてく癖があるからさ! 後はあの(あん)ちゃん達に気づかれねぇようにちょちょいとくすねてきただけさ!」


 集まった子供たちにおだてられた少年は自慢気にそう嘯くと、手にした煙管を老婆がしていたように咥えて吸い込んだ。だがすぐにむせて大きく吐き出した。


「ぐへぇっ! ぺっぺっ! まっずっ! あのババアよくンなもん吸えんな? 年取って舌も馬鹿になってんじゃねぇの!?」

「くぉらぁっ!! またあんたかい、アト!」


 老婆が拳を振り上げて元気よくアトと呼ばれた少年たちを怒鳴りつけた。


「やっべぇ! 逃げろっ!」


 すると途端に子供達は蜘蛛の子を散らしたように四方八方に逃げ出していく。

 咳き込んでいたせいで出遅れたアトだったが、老婆がその首根っこを掴もうとするとサッとかがんであっさり避けた。


「よっと」


 そのままバク転して老婆から離れると、近くに立っていた木に飛びつき、枝から枝へと次々に飛び移っていく。そして瞬く間に建物の屋根上まで登って行ってしまった。


「こぉらぁ! さっさと降りといで! 今ならゲンコツ一つで許してやるよっ!」

「いーだッ! だーれがババァに殴られに降りるかよっ!」


 老婆に向かってアカンベェをすると、アトはケラケラと楽しそうに笑った。そうして、何処か合流場所を決めているのだろう、屋根から飛び降りて逃げようとする段になって煙管が邪魔になった。

 頬に指を当ててどうしたものかと首を捻り、下に居る老婆やキーリ達と煙管を見比べて、そして何かを思いついたのかポンッと手を叩いた。


「おーい、そこの(あん)ちゃん!」

「んあ? 何だよ?」

「コイツは返しとくぜっ!」


 そう叫ぶとアトは煙管をキーリに向かって思い切り放り投げる。クルクルと回転しながら、十歳かそこらの子どもが投げたとは思えない勢いでまっすぐキーリ目掛けて飛んで来る。それをキーリは左手を伸ばして見事にキャッチしてみせた。

 が。


「あ」

「ん?」


 受け止めた勢いで、火皿の中に入っていた吸いかけの煙草だけが飛び出した。

 火の点いたままのそれは見事な弧を描いて――ギースの頭に着地する。


「あっっっちぃぃぃぃぃぃ!?」

「ぎ、ギースっ!? み、水! 誰か水をっ!?」

「ほい」


 プスプスと黒髪から煙が昇り始め、そこでキーリの手からバシャバシャと水が放出されてあえなく鎮火する。

 そして出てくるのは濡れ鼠。


「……ありがとよ、クソッタレ」

「どういたしまして」


 ジロリと睨みながら感謝を口にするギースに、キーリはわざとらしくそっぽを向いた。屋根上に居たアトは、いつの間にかそこから消えていた。


「まったく……あの子ときたら」

「おばちゃん、今の子は知ってる子かな?」

「ああ良く知ってるよ」


 老婆はキーリから返してもらった煙管に煙草の葉を入れ直してマッチで火を点ける。一度大きく吹かし、溜息を吐いた。


「アト――アトベルザを知らない者はこの村には居ないさ。何処にだってひょっこり顔を出しては悪戯をして風のように去っていく。とんでもないガキ大将だよ」

「へぇ、だけど前に来た時にあんな子居たかなぁ?」

「昔は気が弱くて父親の背に隠れてるばっかの可愛い子だったからね。シン坊も見たことはあるはずだけど、髪も昔よりは短くしてるし気づかないのも仕方ないことさね」

「子供の成長は早いもんだからな。男子三日会わざれば刮目して見よってな」

「あん? なんだそりゃ?」

「とても気弱な子には見えなかったがな。堂々とわ、私の胸を触ってくれたのだからな」

「ヒヒヒ、嬢ちゃんもやられたかい。ま、嬢ちゃんなら触られたってたいした――待ちな、さすがにあたしが悪かったから剣を抜くのは止めとくれ」


 フィアが腰の剣に手を遣ったところで老婆は慌てて降参した。唇を尖らせた彼女が剣から手を離したところで老婆は「心臓に悪いよ」とぼやき、誰も居ない屋根上を眺めた。


「本当に昔は気が弱くて体も小さくて可愛い可愛い子だったんだけどねぇ。子供達の輪にも自分から入っていけず、誰かが手を引いてやらないといけないくらい引っ込み思案でね。あたしもよくあの子の手を引いてガキ共の中に押し込んでやったもんさ。ま、他のガキ大将のおもちゃになって、よく泣いてたがね」


 そう遠くはないはずの過去。それを懐かしむように優しい顔を浮かべた。


「それが今や当人が村一番のガキ大将。しかも、どういう訳か他の子供達も惹きつけるみたいで、ああして何人か引き連れて悪さをしてはあっという間にいなくなっちまう、とんでもないガキになっちまったもんさ」


 老婆はそうため息混じりに漏らすが、口程に嫌悪は抱いておらず、むしろ逆に何処か楽しそうな表情であるようにフィアは思った。

 だから確認の意を込めて尋ねた。


「ご婦人は今のアトが好きなのですね」


 思いがけない指摘だったのだろうか。老婆は一瞬細い目を見開いてフィアを見上げ、だが次の瞬間には苦笑交じりに頷いた。


「……そうかもしれないねぇ。子供が誰でも彼でも元気いっぱいであるべき、とは言わないが少なくとも引きこもって塞ぎこんでるよりゃよっぽど悪戯してるアトの方が好きだね」

「……何かあったのですか?」

「フィア」


 口に出し後、キーリに肘で突かれてフィアは他人の事情に踏み込みすぎだと気づいた。老婆の口ぶりからアトの性格が一変したきっかけとなる何かがあったのは明らかだが、単なる客であるフィアが口を挟むことでは無い。


「なに、大した話じゃないさね」しかし老婆は、平素と同じく皮肉げに口を歪めただけだ。「村から少し離れた森にモンスターが現れたのさ。それをアトの父親が倒した。元々あの子――あの人は冒険者だったからね。ただ……モンスターと一緒に死んじまったが。ま、そう珍しくもない話だね」

「そうでしたか……」

「こんな土地だからね。領主に急いで報告してもその前にモンスターに村を荒らされるのは明白だった。だから村の連中は、村を守ってくれたアトの父親に皆感謝して、親を亡くしたあの子を自分の子供のように可愛がってるんだよ。母親もアトを産んですぐに亡くなっちまってるからねぇ」


 さて、と呟くと老婆はクルリと体を翻し、自分の店の中に戻っていく。


「それじゃさっさと奥の荷物を持ってっておくれ。隣のジジィももう準備はできてるだろうから寄って行きな」


 これ以上話すことは無い。老婆の背中はそう物語っており、キーリ達もこれ以上首を突っ込むつもりもない。

 袋に詰められた大量の荷物を抱え、四人は帰路へと着いた。




 2017/6/4 改稿


 お読みいただきありがとうございます。

 ご感想・ポイント評価等頂けますと励みになりますので宜しければぜひお願い致します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ