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9-8 迷宮探索試験にて(その8)

 第34話です。

 宜しくお願いします。


<<主要登場人物>>

 キーリ:本作主人公。冒険者養成学校一回生。社交性はそこそこながらも他人への関心は薄い。が、一旦「身内」と認識すると自分の身よりも仲間の安全を優先する。目付きの悪さをイジられる事が多い。

 フィア:燃えるような赤い髪が特徴のクラスメイト。ショタコンで可愛い男の子に悶える癖がある。現在のお気に入りはシオン。抱きかかえて膝の上に置くのがたまらない。

 シオン:養成学校一回生で、魔法科所属。攻撃魔法が苦手だが回復や補助魔法が得意。フィアの鼻血被害を現在もっとも被っている。

 レイス:メイド服+眼鏡の冷血そうに見えてフィアに全てを捧げる無表情少女。キーリ達の同級生でもあるが、意外と毒を吐く事も多い。

 ゲリー:エルゲン伯爵家の坊っちゃん。キーリとは養成学校の同級だが、入学試験で絡まれて以来、トラブルが絶えない。キーリ相手以外にもトラブルを起こしている。






「何だよ、これ……誰か僕を……う、わああぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

「ちっ! フィアっ!」


 落ち始めた直後、キーリは咄嗟にフィアの腕を掴んだ。一気に引き寄せると頭を守るようにフィアの体を抱きしめ、重力に身を任せる。

 暗闇の中を一斉に落ちていき、しかし程なくしてキーリの足裏に地面の感触が戻ってくる。


「つぅ……大丈夫か、フィア?」

「あ、ああ。大丈夫だ。す、すまない。また助けられたな」

「気にすんな。助けられる位置だったから助けただけだ。仲間だからな」


 抱きしめられた恥ずかしさからか微かに顔を赤らめているフィアには気づかず、キーリはフィアを解放した。離されても何処か落ち着かない様子のフィアだが、気を取り直して周りを見回す。

 どうやら落下した距離は思ったよりも短かったらしい。見上げれば数メートル上に落ちてきた穴があり、そこからフィア達の横に向かって坂道が出来ていた。触ってみれば十分に固まっていて頑丈そうだ。普通に歩いて登れそうである。

 そして周囲には生徒たちが意識を失って倒れていた。その中にはゲリーの姿もあった。でっぷりとした腹を天井に向かって突き出し、土や小さな石で汚れている。首元にキーリが手を遣るが、どうやら単に気絶しているだけらしい。生徒たちが全員意識を失っているのもゲリーが気絶して魔力の供給が途絶えたからだろう。


「これが迷宮の成長……なのか?」

「たぶんな。やれやれ、まさか迷宮が成長する現場に直面するとはな……とんでもねぇ目にはあったが、ともかく手間が省けたってとこか?」

「生徒を攻撃せずに済んだという意味では僥倖だな。しかし……」生徒たちと冒険者、合わせて二十名弱。「これだけの人数を外に運び出すのは骨だな」

「そこはシオン達が助けを呼んで戻ってくるのを待った方が早ぇだろうな」

「あら、そんなにのんびりしてていいの?」


 二人が話しているところにユキが割って入る。その顔は何処か楽しそう。何を企んでやがる、とキーリの中で警戒度が上がっていく。


「どういう意味だ、ユキ?」

「そんな悠長にしてる時間が無いってこと。

 ねぇ、迷宮の成長って何を原動力として行われると思う?」


 問われ、フィアは怪訝な顔を浮かべた。そんな事は今まで考えたことなど無い。成長を目の当たりにしたのは初めてで、迷宮はフィアの知るそのままの姿であるのがフィアの中で常識であった。

 だが人間が成長に食事を必要とするように、迷宮にも何かしら栄養源が必要であるとするならば――


「魔素と魔力、か?」

「そうね。だけどそれじゃ五十点、いや六十点くらいかな? 魔力があれば迷宮は成長するんだけど、その成長を速めるのは――この世の悪意」

「悪意、だと?」


 フィアとユキの会話を聞き、キーリがハッとして周囲を見回す。そして気づく。


「私は今日の試験の最初の方――ゲリーたちより先に入ったけど、戦闘なんて殆ど無かった。だけど、フィア達の時は結構戦ったんじゃない?」

「確かにそうだが――まさかっ!?」

「そのまさからしいぜ」


 フィアはキーリの声に振り向いた。そして視線の先で見つけたものに戦慄を覚えた。

 三人がいる地下二階部。ほぼ一直線の通路の両側から遠く、何かに引き寄せられるようにモンスター達が近づいてきていた。そこにあるのはおびただしいまでの眼、眼、眼。ゴブリンやスモールスパイダーといった、いわゆる雑魚ばかりだがどれもが攻撃の意思を示す赤い瞳をしており、目指す場所がここであるのは明白。その数は十や二十では利かない。


「幾ら雑魚ばっかとはいってもこれはキツいぜ……」


 キーリの額から冷たい汗が流れ落ちた。ただ単に全滅させるだけであれば可能か。そう問われればキーリは応、と答える。だがそれではダメなのだ。

 勝利条件は、ここにいる全員の生還。意識不明の生徒も含めて。敗北条件は誰か一人でも欠ける事。キーリ個人としてはフィアさえ生還すれば良いが、彼女はそんな判断を許さないだろう。

 キーリから見て、フィア・トリアニスは全くの善人だ。入学前の街での騒ぎ然り、誰にとっても英雄であろうと無意識に振るまい、自分の身を犠牲にしても命に関わらない限り誰かの為に動こうとする。正義を愛し、利他的思考を原動力にこの場でも極限まで全員の生還を目指して行動するはず。


「……キーリは生徒たちを早く上の階層へ運んでくれ。ここは私が食い止める」


 そら、来た。魔法の詠唱を口ずさむ彼女の姿を見ながら、口にはせずに心のなかでキーリはそう呟き、吐き捨てたい衝動に一瞬駆られた。

 全く以て、甘い。他人のための行動など流行らない。全てが自分の為の行動であるべきなのだ、人間は。自分の復讐も全ては自分のため。ルディ達の無念だと悔しさを晴らすためだとか、そんなつもりはない。自己満足だ。でなければ――残された人間達が救われない。


「……分かった。さっさと終わらせるからちょっちの間頼むぜ」


 だからこそキーリはフィアに憧れる。誰かの為と胸を張ろうとする彼女の在り方に焦がれる。綺麗な生き方を目指そうとする彼女の眩しさに瞼を焼かれ、それでも惹かれる自分が居る。だからこそ――彼女の在り方を否定する言葉を可能な限り吐きたくない。


「ああ。ただ……できるだけ早く終わらせてくれると助かるな」

「最初っから弱音吐いてんじゃねえよ。俺の出番は無いぞくらい嘯いてみせろよ」

「ふっ、承知した。ならば出来る限りのんびり運んでいろ。情けで、そうだな、一匹くらいは残しておいてやるから」

「上等。ほざいてろ。

 ユキ、お前だってゲリーにゃ少しだけ興味湧いたんだろ? なら上の階でゲリー達を守っててくれ」

「そうだねぇ……ま、いっか。それくらいならいいよ」


 言葉遣いとは裏腹に、キーリは慎重な言い回しでユキに指示をした。

 フィアとは対照的にユキは「超」が付くほどに利己的だ。やりたくない事はしないし、自身にとって必要性がなければ基本的には他人の生き死になどどうだっていいのだ。

 ユキならば本気を出さなくても数十数百のモンスターを前にしても殲滅は容易。だがユキはそんな事はしない。今ここでフィアのサポートを頼んだとしてもまともに動こうとはしないだろう。キーリはその確信があった。なぜならばユキがそうする必要性(・・・・・・・)がないからだ。だからこそユキが興味を覚えたゲリーの守りだけを頼んだのだ。

 果たしてユキはキーリの狙い通り渋々だが頼みに応じてくれた。小さく息を吐いて安堵すると、キーリは近くに転がったままの生徒たちを乱暴に掴む。そして一気に二人ずつ抱え上げて元の階層まで運んでいく。


業火の(フレイム)炎壁(ウォール)


 フィアが第三級炎神魔法を口にし、左右から迫り来るモンスターの群れの前に炎の壁を作って侵攻を遮る。熱気が通路を満たしていき、高温の風に煽られたフィアとキーリの額に汗が光る。炎に巻かれたモンスターが耳障りな断末魔を叫び、フィアは不快そうに顔をしかめる中、キーリは新たな生徒を抱え上げながらフィアの魔法に感心した。


「そんな上等な魔法使えたのか。魔法科に行っても良かったんじゃないか?」

「自信を持って使えると言えるのは炎神魔法だけだ。それ以外はお前に毛が生えたくらいの才能しか無い」

「さよか。それだけでも俺にゃ羨ましいがな」


 だがモンスター達は侵攻を止めない。先頭が焼かれる事で魔法は威力を損ない、壁が途絶えて生まれた道を、焼け焦げた仲間の屍を乗り越えながら迫り来る。

 フィアは魔法が効果を失う度に何度も詠唱を繰り返した。自身の内包する魔力がその度にごっそりと減っていき、一瞬でも意識を持って行かれそうになるのを必死で堪えていた。


「……こんな事ならば剣だけでなく魔法の鍛錬も積んでおくべきだった」


 炎神魔法に限りフィアの適性は高いが、制御が甘く必要以上の魔力を使ってしまっている。きっとキーリならばずっと少ない魔力で行使できるのだろう。疲労と倦怠感に苛まれながらもフィアはボヤき、しかし魔法の展開を止めようとはしない。


「まだ大丈夫か? 魔力は持ちそうか?」

「冗談はよせ。まだ後一時間は余裕だ」


 キーリが尋ね、フィアはそう強がりを口にする。それが強がり以上の何物でも無いことはキーリの眼にも明白だが、それを指摘する事は無い。代わりに脚を必死になって動かして、少しでも早く生徒たちをまだ安全な上層へと移動させていく。

 そうして数分。あらかたの生徒を避難させたキーリが最後の生徒二人を移動させようと下に降りてフィアを励ました。


「あと少しだからな! もうちょっち頑張れ!」


 声を発する体力さえも惜しいフィアだが何とか頷いてみせる。限界が近いことは最早疑いようもない。キーリは最後の生徒の元に駆け寄り、体を抱え上げようと腕を掴んだ。


 その時、キーリの背後で地面が盛り上がり始めた。


 初めは単なる出っ張りか、崩落した天井の瓦礫のような石っころだった。だがその石の塊は急激に大きさを増し瞬く間に人の頭ほどのサイズへと成長していく。

 否、否。それは「顔」だった。四角く角ばった石頭が地面から天井に向かって伸びていく。人でいうところの首ができ、肩が作られ、上半身が形作られていく。常であれば異様な気配に敏感なキーリだがここまでの疲労と辺りにモンスターが溢れていた為に、そして背を向けて目視できなかった為に気づくことができなかった。


「キーリっ、後ろだっ!!」

「えっ?」


 初めに気づいたのはフィア。モンスターが炎を乗り越えてきていないかを確認するために左右に忙しなく視線を走らせていたのだが、キーリの背後で異変が生じていたために気づくのが遅れてしまった。

 フィアの切羽詰まった叫び声と、いつの間にか自身に覆いかぶさっていた巨大な影によってキーリもようやく異常に気づき振り向いた。

 そこに居たのは石の巨人(ゴーレム)だった。三メートルを越そうかという灰褐色の巨体でキーリを見下ろしていた。

 闇色に染まっていた窪みの奥で、瞳が赤く輝いた。


「しまっ……!!」


 飛び退こうと後ろに重心が掛かる。しかしそれより速く、ゴーレムの石腕がキーリの体を捕らえた。


「っ、が……!」


 打撃音と同時にキーリの体が、ボールの様に飛んで行く。体の内部で何かが砕け、一度地面にバウンドした後に体は壁に激しく叩きつけられ、その衝撃音にフィアは悲鳴を上げた。


「キーリっ!!」

「だ、いじょうぶ……だ」


 フィアの呼びかけに、キーリは苦悶に表情を歪めながらも健在を口にする。

 しかし頭部からはボトボトと血が流れ落ち、顔や衣服を汚していく。辛うじて防御が間に合ったがダメージは吸収しきれず、頭部をかばった腕の骨は折れているのか力なく地面に垂れ落ちている。

 言葉とは裏腹に見るからに重傷だ。何とか立ち上がるも、満身創痍なのは誰から見ても明らかである。微かな動きでもキーリは苦痛に顔を引きつらせ、それでも戦闘姿勢を取る。

 ゴーレムは緩慢な動きでキーリへと近づいていく。あの豪腕に殴られればキーリといえども後一撃で致命傷。死を届けに、本来ならば居るはずのないCランクモンスターがキーリに迫っていく。

 このままでは――死ぬ。仲間が死ぬ。フィアの中に恐怖が生まれる。炎の熱気で暑いはずの体が凍りついていく。そんな感覚に襲われた。

 それと同時に体から力が抜けていく。

 目眩が起こり視界がグルグルと回転する。ひどい倦怠感と吐き気がこみ上げてくる。久しく経験していなかったその感覚にフィアは覚えがあった。

 魔力切れだ。


「こん、な時に……」


 ギリ、と奥歯を噛みしめる。仲間の危機に一刻も早く駆け付けなければならないというのに、酩酊時のような不快感と脱力感のせいで体に力が入らない。膝をついたまま立ち上がることさえできない。それどころかフィア自身もこのまま倒れてしまいそうだった。

 炎の壁が消えたことで、一向に減る様子を見せない大量のモンスター達がここぞとばかりに近づいてくる。霞む視界の片隅で、倒れたキーリの前にゴーレムが立つのが見えた。


(……私のせいだ)


 強く、後悔が津波のように押し寄せる。自分の判断にミスは無かったか。生徒たちの救出を本当に優先するべきだったのか。両側から迫るモンスターの排除に集中すべきだったのではないか。様々な考えが浮かんでは消える。しかし、どれだけ後悔したところで時間は巻き戻せない。


「――、――……」


 ゴーレムが低い唸り声を上げた。それがフィアへ対する嘲りとキーリへの手向けに聞こえた。

 フィアの体よりもなお太い石の腕が振りかぶられる。キーリは動かない。すでに事切れたように身動ぎも怯えも何一つしない。それはここで果てる運命を受け入れてしまっているかの様だ。そんなキーリに、詫びの言葉一つさえフィアには思い浮かべられない。

 そして腕が振り下ろされる。

 フィアは、咄嗟に目を閉じて顔を背けた。グシャリと、肉体がまるで地面に叩きつけた果物みたいに潰れ――


「……勝手に人の事を見切ってんじゃねぇよ」


 ――なかった。

 ゴーレムの向こう側から聞こえてきた苛立った声。恐る恐るフィアが顔を上げた。

 キーリに叩きつけたゴーレムの腕が小刻みに震えていた。少しずつその腕が横へずれていく。

 そして、ゴーレムの腕を受け止めたキーリの無事な姿が現れた。


「キーリっ……!」

「俺を……ナメてんじゃねぇぇぇぇぇっ!!」


 カッと眼を見開き、細腕の筋肉が盛り上がる。叫びながらゴーレムの腕を弾き飛ばし、その拍子に頭部から流れる血が飛沫となって飛び散る。だがその下では瞳が爛々と輝き、強く生気を発していた。

 腕を弾かれたゴーレムが怯んだ様にたたらを踏み、それでもすぐにもう片方の腕を再びキーリに振り下ろした。

 しかし今度もキーリによって受け止められる。体重が数百キロはあろうかというその(かいな)が、遥かにゴーレムよりも矮小なただの人間によって容易く止められた。

 キーリは、受け止めたその石腕を自身の両腕でガッチリと抱え込み、腰を落とす。

 ゴーレムの巨体が、少しずつ宙に浮き上がっていく。


「――、――!」

「う……おおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」


 雄叫びを上げ、空気がビリビリと刺すように震える。その声と共にゴーレムは地面に放り投げられ、その先に居たモンスター達を押し潰して悲鳴が迷宮に木霊した。

 それは余りに現実離れした光景にフィアには思えた。膝をついたまま呆然とキーリの後ろ姿を見つめ、まるで話に聞く「英雄」のような所業を目の当たりにしたような気分だった。


「何ボーッとしてんだよ。さっさと立ちやがれ。さすがにそっち側までは俺の手はまわんねーぞ?」


 呆れた口調でキーリに話しかけられ、フィアはハッとした。キーリの投げ飛ばしたゴーレムのお陰で一方は侵攻が止まっているが、フィアの側では着実にモンスターの大群が迫ってきている。フィアを喰らい尽くそうとやってきている。今のフィアではとても防ぎきる事などできない。

 無意識に弱音が口から零れた。


「しかし……もう魔力が……」

「何ふざけたこと吐かしてやがる」呆れ、嘲る様な、それでいて悔しそうで、腹を立てている様な、そんな口調でキーリは言い放った。「テメェのその腰の剣は飾りかよ?」


 腰に差さる剣に視線を落とす。鞘に入れられたままの剣はそこで眠っている。

 確かに魔法が無くとも武器はある。だがそれを振るうだけの力など自分には残っていない。


「だが……」

「だが、じゃねーっつうの。その脚はただ付いてるだけか? 腕はただの棒か? 口は単に弱音を吐くためだけのもんなのか? ちげーだろうがよ」


 立ち上がったゴーレムがキーリに再び襲いかかる。その突進を受け止め、後ろに弾き飛ばされそうになるのを懸命に堪える。

 キーリの掌に魔素が集まる。水神魔法で水を生み出したかと思えばすぐに消え去り、ゴーレムの体に掌を叩きつけた。次の瞬間、耳を劈く様な破裂音が響いてゴーレムの体が後方へと吹き飛んでいき、再度モンスター達を蹴散らした。倒れたゴーレムの体には小さな穴が開いていた。


「……足掻けよ。諦めんなよ。自分で限界を決めてんじゃねぇっ! テメェはこんな所であんな雑魚の餌になるような人間じゃねぇだろうが! 限界を超えてみせろよ、クソッタレがぁ!!」


 ――そうだ。自分はこんな所で終わってしまうわけにはいかない。

 キーリの発破が身に、心に染み入る。フィアは歯を食いしばり、膝をついた両脚に必死に力を込める。だが体は言うことを聞いてくれない。立ち上がりかけても崩れ落ち、手を突いた。


「クソ……言うことを、聞いてくれ……」


 自らを罵る。意思に反して疲労に屈する体に罵声を浴びせる。それでも体は動くことを拒否し、逆にフィアを深い眠りへと誘おうとしてくる。

 まだ――まだ何かが足りない。

 キーリはフィアに背を向けたままで、ポツリ、と最後の手段を口にした。


「どうしても無理なら……いいぜ、俺が担いで逃げてやる。お前一人担いで外に出るくらい楽勝だ。そうすりゃお前も無理する必要なんてなくなる」


 そうだ。そうすればいい。無理にここで戦う必要なんてないはずだ。逃げればいい。冒険者にとって大切なのは自分の命。逃げることは恥ではない。生きてこそ、次があるのだから。

 そうしよう。頼む、私を外へと運んでくれ。私を助けてくれ。

 眠くなる。意識が薄れゆく。フィアはまどろむような意識の中でキーリにそう頼もうとした。


「もっとも――その場合は、眠った生徒たちは見捨てる事になるがな」


 続けて言い放ったキーリの言葉にフィアの意識は一気に覚醒した。何を自分は考えた? 何を望んだ? 何を切り捨てよう(・・・・・・)とした?

 思い出せ。何故自分は冒険者の道を望んだ? 何故自分は強くなる事を願った?


 ――弱き者を、助けを必要としている者に手を差し伸べるためだっただろうが。


 世界は優しくできてはいない。それをフィアは間近で見続けてきた。

 富める者は富み、貧しき人は貧しいまま。強きが弱きから搾取し、虐げ、理不尽に打ちのめす。打ちのめされた人々は為す術もなく朽ち果てていく。

 支配者達は決して彼らを救おうとしない。打算に満ちた思考で自らの栄達に腐心し、稀に手を差し伸べる者が居ても末端までは、本当に助けが必要な人達までは届かない。


「全てを救うことはできないのですよ」


 彼は言った。優しく頭を撫でながら、それがこの世の理なのだと諭すように言った。どれだけ丹念にすくい上げようとしても、指の隙間から水が零れ落ちていく。それが自然だと。手が大きければ大きいほど、零れ出る水の量は多くなってしまう。

 それでも救おうとすれば、手は綺麗なままでは居られない。暗い欲と打算に塗れ、純粋なる善意は持ち続ける事ができなくなると、彼は寂しそうに彼女に伝えた。

 だからフィアは憧れた。綺麗な、掛け値なしの善意に満ち満ちた物語の中の英雄に憧れた。実在する英雄たちではなく、市井の民に寄り添って届く範囲でも手を差し伸べる綺麗な英雄たちに憧れた。そして考えた。


 ――私が英雄になればいい


 大それた夢だと幼くとも理解していた。遠く、一生を掛けてもたどり着かない可能性が高い目標だと知っていた。それでも彼女は目指した。

 誰よりも強く。誰よりも優しく。誰よりも気高く。

 誰からも馬鹿にされない。例え相手がこの世界で一番偉い人間であっても決して無碍にはできない、そんな人間になろうと思った。

 自らを鍛える。そして、成り上がる。頂点を極め、自分の願いを形にするために。その為に、冒険者になろうと思ったのだ。


――だが、この体たらくはなんだ?


「おおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉっ!!」


 大きな目を一際見開き、フィアは叫んだ。自らを鼓舞し、意志を挫こうとしてくる肉体を強き意志で支配する。

 鞘から剣を引き抜いて眠りから覚ます。ふらつく体を、ギリ、と奥歯を砕けそうなくらいに強く噛み締めて耐えた。

 膝を突いてなどたまるか。挫けてなどたまるか。自分の後ろには守るべき弱者(人間)がいる。フィアの助けが必要な奴らがいるのだ。自分が倒れた瞬間、守る術を持たない彼らは目の前のモンスター達に食い荒らされてしまうだろう。

 そんな事、何があろうと許されない。弱い自分など、今この場には全く不要だ。

 例え脚が砕けようとも、腕が千切れようとも、腸が引きずり出されようとも、自分は自分の弱さに屈してなどたまるものか。


「ああああぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 全身の力を振り絞り、フィアは腹の底からの叫び声を上げながらモンスターの群れへと突貫した。

 幼き頃から欠かさず続け、洗練された剣が蜘蛛の体を鋭く斬り裂き、ゴブリンの両腕を棍棒ごと切り落とす。鋭く突き出した剣がビッグアントの体を貫き、ダンジョンワームの体を両断する。

 その動きに淀みは無い。何十何百何千と繰り返した動作。体に芯から染み付いた動きは魔力切れや疲労程度で阻害されはしない。それどころか平時よりも速く、鋭く、そして強い。何よりも一振り一振りに込められた感情(殺意)がモンスターを圧倒した。

 飛び散っていくモンスター達の血。肉体が細切れになり、異臭がフィアに降り注ぐ。様々な色の体液が飛沫となって飛び散り、真紅の髪や白い肌を汚していく。


――そうして、瞬く間に幾十の屍が積み上がっていった。




 2017/5/7 改稿


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