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9-7 迷宮探索試験にて(その7)

 第33話です。

 宜しくお願いします。


<<主要登場人物>>

 キーリ:本作主人公。冒険者養成学校一回生。社交性はそこそこながらも他人への関心は薄い。が、一旦「身内」と認識すると自分の身よりも仲間の安全を優先する。目付きの悪さをイジられる事が多い。

 フィア:燃えるような赤い髪が特徴のクラスメイト。ショタコンで可愛い男の子に悶える癖がある。現在のお気に入りはシオン。抱きかかえて膝の上に置くのがたまらない。

 シオン:養成学校一回生で、魔法科所属。攻撃魔法が苦手だが回復や補助魔法が得意。フィアの鼻血被害を現在もっとも被っている。

 レイス:メイド服+眼鏡の冷血そうに見えてフィアに全てを捧げる無表情少女。キーリ達の同級生でもあるが、意外と毒を吐く事も多い。

 シェニア:養成学校の校長で元A-ランク冒険者。仕事が嫌いでよく逃げ出している。

 ミーシア:シェニアの秘書で、元冒険者でありスフォンギルドの受付嬢。シェニアのせいで残業が増えてつらいです。





 キーリがゲリー達前方の敵を相手にしている間、フィアもまた反対側の敵を相手にしていた。

 敵の構成はぱっと見で普通科の生徒が八で魔法科が二。それにプラスで、今回の為に雇われたであろう剣士タイプの冒険者が二人。魔法使いが少ないという意味では戦いやすいが、体を鍛えている剣士が多いという事は倒しきるにはキーリの方に比べれば中々に難易度は高そうだ。

 どう、倒すか。剣で攻撃できないのであれば腹部を叩くなり、頭を揺らすなりして相手の意識を奪う事が求められるが、キーリほどの攻撃力の無いフィアであれば急所を確実に狙うしかない。

 フィアは相手が近寄ってくるのを眼にして即座に先手を打った。

 それは、これまで殆ど使わなかった魔法。剣を構えて相手の動きを見据え、口の中で呪文を唱えた。

 そして迷宮内の空気が一変した。

 周囲の魔素が急速に消費され、代わりに温度が急速に上昇する。そして何もなかった地面から灼熱の火炎が敵の前後両方から這い上がり、敵の姿をドーム状に覆い尽くしていく。


炎神の審判室(フレイム・コート)


 第三級(・・・)炎神魔法によって作られた火炎の部屋。十を超える敵は全て炎神の裁きを待つ囚人と化す。

 本来であれば超高温に熱せられた部屋の中で敵を焼きつくすという凶悪な魔法だ。だが敵を殺すつもりは無いフィアは、費やす魔力を制御して炎の温度を落としている。一歩間違えば殺してしまいかねない難しい制御に、暑さによるものとは違った汗が流れ落ちる。

 そして通常とは異なる点がもう一点。フィアは自身の方に向けて一箇所だけ穴を開けていた。

 見た目ほどの熱量を持ってはいないとはいえ、炎に熱せられた内部は高温。とてもそこに居続けることが可能な温度では無い。熱さに堪らず、中から一人が飛び出してきた。


「ふっ!」


 出てきたところをフィアの拳が襲う。女性故に腕力は弱いがそれでもフィアにも通常を遥かに超える魔力がある。強化された打撃力に頭を揺らされた生徒は迷宮の壁に叩きつけられて倒れこんだ。

 火炎のドームの中からは相次いで音がする。恐らくは壁を打ち破ろうと水神魔法の水球や氷塊でも叩きつけられているのだろうが、無駄だ。幾ら威力を抑えているとはいえ、学内の生徒が使えるような第四級魔法程度で破られるほど第三級魔法は弱くない。

 そうして暑さに耐えかねて唯一の入り口から出てくる敵を次々と倒していくフィアだったが、不意に背後から強大な魔力の高まりを感じ取った。

 振り返る。

 それと同時に光が一閃。超高速の何かがフィアの横を貫き、炎のドームをも貫いていった。

 強力な魔法同士が衝突した衝撃で破裂音が響く。フレイム・コートを構成していた魔素が四散し、灼熱の壁が消えていく。貫いた光線はそのまま迷宮の天井を破壊し、崩れ落ちた瓦礫が逃げ道を塞いでいった。

 そして消えたドームの中から、倒れた生徒たちの姿が顕わになった。


「ちっ、また外してしまったのか、僕は……」ゲリーの苦悩に満ちた声が響く。「どうして、どうして上手くいかないんだよ……何でコイツはいつも僕の邪魔ばかり――」


 頭を掻き毟るゲリーの姿を見て、何が起きた、とフィアは警戒レベルを上げていくと、背中に見知った影が軽くぶつかってきた。


「っつぅー……危なかったぜ」


 吹き飛ばされた衝撃を殺しつつ後ろに飛び下がり、殺しきれなかった僅かな勢いをフィアに受け止めてもらったキーリが右腕を痛そうに振りながら息を大きく吐き出した。


「キーリ、今のは何だ?」

「何だもクソもねぇよ。お坊ちゃんお得意の光神魔法だよ。魔法の名前は忘れたが、入試の時に俺が食らった第三級魔法だな」

「今のが光神魔法なのか……初めて見たがとんでもないな。魔力を抑えていたとはいえ、私の魔法があっさりと吹き飛ばされてしまった。同じ第三級魔法とは思えん威力だ。

 ……もっとも、その様子だとそんな魔法をお前は防いでしまったみたいだがな」

「流石に同じ魔法を何度も食らってやる義理はねぇからな」

「つくづくお前は常識はずれだ。魔法の適性が無いというのは実は嘘だろう?」

「寝る間も惜しんだ努力の賜物なんだよ。

 それより、気づいてるか?」

「何をだ?」


 キーリに問われ、疑問を口をしながらもキーリの方に向けていた視線をフィアは再び正面に戻した。

 そして言葉を失った。


「なっ……!?」


 ドームの中で倒れていた生徒たちが次々と起き上がってくる。全身汗と埃に塗れ、しかし表情に疲労やダメージは見られない。それどころか、先ほどフィア自身が蹴り飛ばして意識を飛ばしたはずの生徒も何事も無かったかのように立ち上がって剣を構え始めた。

 キーリの方を振り返ると、そちらでもキーリが確かに倒したはずの生徒たちが、まるで戦闘開始前の様に平然と立ち上がっていた。加減したとはいえ、キーリの膂力で殴られたのに一切ダメージを負った様子が無い。

 その様は、まるで死を知らないアンデッドのようだ。


「どういう事だ……? 私の方はともかく、キーリが殴ったなら骨の一つや二つは折れているはずなのに」

「何か悪意がある言い方だが、まあいいさ。あいつらの首元見てみろ」


 キーリの言う通りフィアが眼を凝らすと、淡く光る魔法陣があった。キーリが最初に確認した時に比べて心なしか光が強くなっている気がする。


「魔法陣っ……!?」

「ああ。ゲリーを除いて全員に刻まれてやがる。こっちへ攻撃するにも、なんつーか意志みたいのを感じねぇし、まるでゾンビを相手にしてるみてぇだよ」

「察するにゲリーに操られているという事、か……? しかしそんな魔法が……」


 信じられない、とばかりに頭を振るフィア。しかしキーリにはそういった魔法が存在することを何かの本で眼にしたことがあった。


「高級な水神魔法になればああいう風に人を操る魔法もあるらしいぜ。もちろん外道魔法として扱うのは禁忌だがな。しかし……それを魔法陣に落とし込むってのは俺も初めてだよ」

「しかし本当にそうなら余計に相手を傷つけるわけにはいかないな……

 解除する方法は?」

「さあな。だが魔法陣の常識に当てはめるなら、起動し続けるのに魔力が必要なはずだ」

「だとすると――」


 フィアはゲリーの方を見遣った。先程まで落ち込んでいたというのに、今はまた他の生徒達を自身の前に立たせ、一番奥の安全な場所でたるんだ顎肉を愉快そうに震わせている。何とも情緒が不安定な奴だ。ゲリーが操っているかと考えると一層醜悪で吐き気さえ催してくる。キーリは小声でそう吐き捨てた。


「さっきまでの威勢はどうしたんだ? ん? 遠慮せずに掛かって来て良いんだぞ? もっとも、僕の『盾』をどうにかできればだけどな」

「下衆が……」


 歯をむき出しにして吐き捨て、フィアは何とか怒りを堪らえる。可能ならばすぐにでも殴りつけてボコボコにしてやりたい気分だが、ゲリーの言う通り彼の所へ辿り着くには、彼を守らさせられている他の生徒達をどうにかしなければならない。しかし本人の意志が疑わしい状況で、力づくで排除するのは憚られた。

 どうするか。生徒たちには後で謝罪するとして攻撃するか、それともシオン達が助けを連れて戻ってくるのを待つか。フィアは迷った。

 そんな迷いを察したキーリは「しゃーねぇか」と溜息を吐いた。


「ゲリー以外の連中は俺が引き受ける。その隙にアイツをぶっ飛ばして気を失わせるなりなんなりしろ」

「しかしだな……」

「どうせ罪の無い操られてるだけの連中を攻撃するのが嫌なんだろ? 安心しろ、可能な限り怪我させないように上手くやってやるから」

「だがそうするとお前が危険過ぎるっ」

「お前の顔に傷が残る方がよっぽど危険なんだよ。後でレイスに何されるか分かったもんじゃねぇからな。俺なら多少の怪我くらいどうとでもなる。今は無事に脱出する事だけを考えやがれ」

「……スマン」

「相談は終わったのか? なら今度は僕の方から行くぞ?」

「如何にも悪役なセリフ吐きやがって。ちょっと待ってろ。自分勝手なテメェ(クソガキ)にゲンコツ食らわせてやるからよ」


 ゲリーの言葉に悪態を吐きつつ、キーリは手にしたナイフを構えた。再びの戦闘の気配にフィアも剣を構え、前と後ろの両方に気を配る。


「一旦前の連中をコッチに引き付ける。その後にゲリーに向かって突っ込むからフィアは後ろから付いて来い。魔法使い連中の注意がコッチに向いたら俺を追い抜いて、あのクソガキを一撃でぶちのめす。いいな?」

「作戦とも言えん作戦だが……やむを得ん。了解した」


 小声で作戦を伝え、フィアが頷くのを確認すると敵が動くのをキーリはジッと待つ。ゲリーはキーリが動かない事を見て取ると、「ふん」と鼻を鳴らしてあざ笑った。


「なぶり殺されるのがお望みなんだな。馬鹿な奴だ。いいだろう、お前の望み通りにしてやるよ」


 緑色の魔法陣が輝きを増す。生徒たちが緩慢な動きでキーリ達ににじり寄ってくる。包囲網を狭めてくる。互いの距離が近くなってくる中、キーリは心の中でタイミングを測っていた。


(あと、二歩……)


 ブーツが地面を擦る。ジャリ、と静かな音が響く。


(あと、一歩……)


 キーリの重心が微かに低くなる。それを見たフィアもいつでも走り出せるよう構える。

 そして、残りの一歩を踏み出す――


「今だっ……」

「ふーん、何かと思ってたけど、随分と面白そうなことやってるじゃない」


――直前になって突如響く声。思わずキーリは脚を止めた。


「誰だっ!?」


 ゲリーが振り向き、キーリ達も声の方へ視線を向けた。

 肩まで伸びたブロンドの髪に誰もが振り返る美貌だが何処か幼い顔立ち。


「ユキ……?」

「やっほー、キーリ。元気してるー?」


 学校支給の黒いローブを身にまとったユキがキーリに無かって手をブンブンと振る。張り詰めた空気の中に場違いな程の脳天気な声を上げ、ニッコリと楽しそうに笑った。

 そんなユキの姿を眼にしたゲリーは、かつて彼女に受けた辱めを思い出し、憎しみの篭った視線をユキにぶつけた。


「思い出したぞ……女、あの時はよくも――」

「もう。キーリ達にしては随分と戻ってくるのが遅いなーって思ってたけど、こんな所で遊んでたんだ」


 恨み言を口に仕掛けたゲリー。だがユキはゲリーなど存在しないかのように無視してキーリに話しかけた。平時と変わらないユキの様子に、何故だかキーリは妙な安心感を覚えてしまった。


「お前なぁ……これが遊んでるように見えるか?」

「うん、見える」呆れた様に返事をするキーリにユキは即答した。「だってキーリならこれくらいの相手なら瞬殺できるでしょ?」


 当たり前だと言わんばかりに確認してくるユキに、フィアは目線で「本当か?」と尋ねる。

 キーリは苦い顔をしてそれに応えた。


「……そうできねぇ理由があるんだよ」

「ふぅん、それって――」

「僕を無視するなぁっっ!」


 自分など居ないように振る舞うユキ達に癇癪を爆発させてゲリーは叫び、準備していた魔力を開放して光神魔法を放とうと掌をユキに向けた。光が収束し、速射性に優れた第四級光神魔法がゲリーから放たれようとしている。それを見たフィアが焦った様に叫んだ。


「お前も死ねよぉっ!」

「ユキっ! 逃げ――」

「黙りなさい、豚が」


 だがユキが発したその一言で全てが霧散した。ゲリーの全身を寒気が襲い、魔法の構成も集約した魔力も何もかもが無かったかのように消え失せる。体がガタガタと震え、視界の焦点が定まらない。


「な、なんだ……?」


 自身の異変にゲリーは戸惑う。何が起きたのか理解できず、頭が混乱してただ自分の震える手を見つめるだけだ。

 そして、その俯いた視線にするりと滑り込んでくる影。

 いつの間にか、ユキが下からゲリーを笑顔で覗き込んでいた。


「ひっ……!」

「今は私がキーリ達とお話してたの。邪魔しないでくれるかな? ね? 私の言ってる事分かる?」


 笑顔の奥の冷たい眼差しがゲリーの眼を捉えて離さない。逸らしたくても逸らせない。ただ覗きこまれているだけだというのに得体の知れない恐怖がゲリーの心を鷲掴みにして解き放ってくれない。

 かろうじて、本当にかろうじて小さく首を縦に振ることが出来た。その途端ユキが視線を外し、ゲリーはようやく恐怖の束縛から解放されて膝から崩れ落ちた。


「……何をしたんだ?」


 生徒たちも誰ひとりとして手を出さず、悠々と間を分け入って近づいてきたユキにフィアが問いかける。だがユキは意味深に笑って首を傾げるだけだ。


「別に? ただ大人しくしてってお願い(・・・)しただけだけど?」

「……そうか」


 当然そんな説明でフィアが納得できるはずもなく、しかし追求しても答えてはくれないだろうとそれ以上食い下がるのを止めた。直感が警報を発していた。彼女に深入りしてはいけない。そんな気がした。


「それよりお前、どうしてこんなとこに居んだよ? 試験はどうしたよ試験は?」

「そんなのとっくの昔に終わらせたわよ。出てくるのは雑魚ばっかで詰まんなかったし、外に出ても退屈だから何か面白いことないかなーって思ってブラブラしてたらね、何か面白い臭い(・・)がするじゃない? これは行くしか無いと思って来てみたらキーリとフィアが臭いの傍に居たってワケ」


 「臭い」と聞いてフィアは怪訝そうに首を傾げる。その隣でキーリは眉間にシワを寄せた。ユキのいうそのセリフに、それこそ厄介事の匂いを嗅ぎとったからだ。

 そんなキーリの様子にフィアは気づかず「そうだ!」と声を上げた。


「ユキは魔法科だったな? 生徒たちの首についている魔法陣について何か知らないか? あの魔法陣のせいで恐らく正気を失ってゲリーの操り人形となっているんだ。解除する方法を知っているならば教えてくれ」


 焦った様子でフィアに問われ、対照的にユキは緩々とマイペースで振り返って生徒たちに刻まれた魔法陣を見遣る。一瞥し、しかしそれだけでユキは肩を竦めて手を上げた。


「う~ん、分かんないなぁ。少なくとも授業で習った魔法の中には無かったよ」

「本当か? もっとよく見てくれ。授業じゃなくっても本か何かで――」

「――へぇ、フィアは私を疑うんだ」


 眼を細め、楽しそうにユキは笑った。その顔を見た瞬間、フィアは何か恐ろしい場所に脚を踏み入れてしまったかのような怖気を覚えた。

 人差し指を顎に当て、少し首を傾げる仕草は何処か艶っぽく大人びた所作だ。その仕草と容姿の幼さがアンバランスで、常であれば魅力のはずのその様が何故だか今はフィアは歪に思える。

 声色も平時と変わらない。音の響きに乗った感情は紛れも無く「楽しい」である。だが根本的に何かが決定的に違う。その何かを言語として表現することは適わないが、確かに何かがズレている。


「い、いや、すまない、別に疑っているわけでは……」

「そう? 私には疑ってる様に聞こえたけれど、人の言葉って難しいのね?」

「……」

「おい、そこまでにしとけ」


 ユキに問い詰められて言葉に窮するフィアを見かねてキーリがユキの肩を掴んだ。不機嫌そうにユキを睨むキーリに、ユキは肩を竦めてこれまでとは質の異なる笑顔を浮かべた。途端に伸し掛かっていた重圧が消え、フィアは無意識に大きく息を吐き出した。


「ゴメンゴメン、うろたえるフィアが可愛くって意地悪しちゃった。ね、キーリ。フィアも食べちゃっていい?」

「た、食べるっ!?」

「ダメに決まってんだろ。お前は俺の人間関係をぶち壊すつもりか」

「そっかー。残念だけど、しょうがないか」

「それよりもだ」


 キーリは深々と疲れたように溜息を吐いた。棒立ちになって動かないままの生徒たちをチラリと見るとユキに向かって、確信を持ってフィアと似て非なる問いを口にした。


「ユキ。お前はあいつらが掛けられてる魔法について何か心当たり(・・・・)はあるんだろ?」

「うん、あるよ」


 あっさりとそう答えた。その返事にフィアは一瞬呆け、しかしすぐにユキに詰め寄った。


「ほ、本当かっ!?」

「あー、また疑ってる……ってそれはもういっか。うん、あの魔法陣は私は知らないけど何となく『臭い』は覚えがあるかな」


 腰に手を当てて怒ったような素振りを見せ、キーリに睨まれるとユキはペロッと舌を出して戯けた。そしてグルリと取り囲む生徒たちの顔を見回すと、一人の顔立ちの整った生徒の方へ歩み寄っていく。

 ゲリーが怯えた眼でユキを見ながら身動ぎするが、彼女はそれを視線だけで押し留めた。


「何を……?」


 フィアはユキが近づいた少年を観察する。やはり貴族なのだろう。装備を身に着けていても何処か気品がある。長身の少年の傍にやってきたユキは無防備な彼の首元に指を這わせた。


「なっ――」


 フィアが絶句し、ゲリーもまた言葉を失った。

 ユキが少年の首に指先で触れた、ただそれだけでそこにあった魔法陣が消え失せた。光が消えたのではなく、文字通り何も無かったかのように魔法陣そのものが消えてしまったのだ。

 その途端、少年はその場に崩れ落ちる。気を失って倒れ、足元に転がるその少年には目もくれず、ユキは少年に触れた指先を妖しく舐めとった。


「んー……思ってたより薄いなぁ。まあ所詮魔力の残滓だし、他の魔力が混ざってるから仕方ないか」


 少しだけ恍惚とした表情を浮かべ、しかしすぐに残念そうに呟く。フィアもゲリーも一体ユキが何をしたのか分からず唖然としてその様子を見つめるだけ。ただひとつ明らかなのは、ユキによって魔法陣そのものが消し去られたという事実だけだ。


「お前一人お楽しみで何言ってんのか分かんねぇけどよ、何か分かったんなら俺らにも説明してくれ」

「ん? ああ、そうね」


 キーリに言われてユキは二人の方を振り向いた。


「ま、私に言えるのは、これは光神()魔法が込められてたって事かな?」

「光神魔法だと……? 光神魔法にはそんなものもあるのか?」

「さあね。でも私は嘘は言ってないよ?」

「分かっている。そこは疑っていない。しかし、どうして撫でただけで魔法陣が消えたり魔法の種類がユキには分かったのだ?」


 純粋な疑問からフィアは尋ねる。だがユキは「フフン」と笑みを浮かべるばかりだ。


「それは秘密。あ、キーリも内緒ね」

「言われなくっても口にはできねぇよ」

「ふぅん、きちんと約束は守ってくれてるんだ?」

「契約を破ったら終わりだからな」


 契約。ただの知り合いにしては形式張った単語にフィアは眉をひそめた。果たして、この二人の関係はどういったものなのだろうか?

 出会った当初から二人は行動を共にしていたがいまいちフィアは二人の関係性を掴みきれていなかった。

 話に聞く限りにはユキはとんでもなく性に奔放で、しかしキーリとは男女の関係というわけでもなさそうだ。入学してからは行動を共にすることも少なくなり、キーリの口からは度々辛辣な評価が出てくる。親密さはなく、かと思えばこうして二人にしか分からない会話を自然と繰り出してくる。そこに共に過ごした年月が醸す関係の成熟性とも言えるものを感じ取れ、それがどうしてだか羨ましい。フィアは鈍い疼きを覚えた。


(いかん……今はそんな事を考えている場合ではない)


 溢れ出てくる思考の数々を頭を振って払いのけ、疼く痛みも奥に押し込めてフィアはユキに向き直った。


「ともかくも承知した。秘密だというのならばこれ以上詮索はしまい」

「それよりも、だ。幾らゲリー(アイツ)が光神魔法の才能があるっつってもそんな魔法陣を知ってるか? 光神魔法でこんな風に他人を支配できる魔法があるなんざ俺だって聞いたことねぇのによ」

「キーリが不勉強なだけじゃないの~?」

「うっせ。まぁ確かに最近はあんまり勉強できてねぇから否定できねぇけどよ」

「私にとっても耳が痛いのだが……だが仮にそういう魔法があったとして、魔法陣に魔法を込めるのは普通に行使するのとはまた別の技術と知識が要ると聞く。ゲリーに果たしてそんな知識と技術があったのか、私も疑問だな」

「ああ、俺もそれを言おうとしてたとこだ。たぶんだが今回の一件、ゲリーだけで準備できるはずがねぇ。誰かが――エルゲン伯爵家の人間なんだろうが――手を貸してるとしか思えねぇ」

「そうだろうな。厄介な話だが……

 ともかく、ユキが来てくれたお陰で助かった。操られている生徒たちを何とかしないんだが、ゲリーの意識を失わせれば生徒たちは解放されるのか?」

「そうなんじゃない? 支配者の魔力供給で発動するタイプみたいだし、あの豚からの魔力が途切れたらたぶん動かなくなると思うけど」

「ならば一旦ゲリーを気絶させよう。そして連れ出して外で色々と証言してもらう。こんな所業をしたのだから全容を解明してもらわねばな」

「こいつがペラペラと喋るかねぇ? 俺にはそうは思えんが」

「私も結局握りつぶされそうな気がしないでもないが、流石に私達の中で収めるには話が大きすぎるだろう? そこは校長に頑張ってもらうしかあるまい。

 話を戻すと、ゲリーの魔法から解放されて安全になったところでユキには生徒たちの魔法陣を消していってもらいたい。申し訳ないが、頼めるだろうか?」


 フィアがそう依頼するがユキは少しだけ渋い顔をした。


「何か問題でもあるのか?」

「問題っていうか……カッコいい子なら良いけど、汗臭くて魔力も不味い奴に触りたくないなぁ」

「……」

「お前ってやつは……」


 ユキが口にした理由にフィアは呆れて言葉を失い、キーリは頭痛を堪えるように頭を抑えた。


「今まで散々手当たり次第に食ってきといて……」

「性的な快感は別よ。思ったより美味しくなかったし、どうせ汗臭い体に触るんならイケメンが良いに決まってるじゃない」

「……そ、そこを何とか我慢してくれないか?」

「うーん……まあフィアが言うなら仕方ないかな」


 渋々ながら頷いたユキにフィアは一度溜息を吐いた。

 気を取り直して抜いていた剣を鞘にしまうと、跪いて震えているゲリーの方に歩いて行く。

 一体何がゲリーをこんな凶行に駆り立てたのか。フィアはゲリーを見下ろしながら考える。最初に出会った時は単なる傲慢な貴族なだけと思っていたが、こうも後先考えない行動に出るほどに短絡的でそれを止める人間は居なかったのだろうか。

 シオンとレイスが伝えに走った以上、こうした行為はオットマー達にも伝わっているはず。いくらエルゲン伯爵家といえども、他貴族の子弟を魔法で支配したなどと貴族の耳に入れば求心力は失われるのは間違いない。伯爵家の威信を失墜させる行為は、本来ならば家臣達が止めなければならないはずで、それが伯爵家の人間も手を貸しているなど愚行も極まっている。

 結局は身内に恵まれなかったということか。フィアは自らを振り返り軽く自嘲するとゲリーに視線を向け、震えながら顔を上げたゲリーと眼を合わせた。そこには憐憫が無意識に込められていた。

 それを見たゲリーの表情が一変した。怯えた表情を憤怒に歪めると「ふざけるなっ!」と叫び立ち上がった。


「僕をお前らが見下ろすんじゃないっ! 僕を……そんな眼で見るなっ!!」


 両手で顔を隠すようにして頭を抑え、指の隙間から憎しみの篭った視線がフィアにぶつけられる。その眼を見たフィアはゾッと怖気を感じ、己の失策を自覚した。

 急いで抜剣し、しかしそれよりも早くゲリーが光神魔法を短縮詠唱。第四級魔法がフィアに向かって放たれ、だが後ろから突然引っ張られたおかげでフィアは体勢を崩し、すぐ目の前を光が通過して壁を破壊した。


「油断してんじゃねぇよ」

「す、すまない、キーリ。助かった……」

「あら、思ったより解けるのが早かったわね」


 フィアを叱責するキーリの横でユキがのんびりと感心した声を出した。それに伴い静止していた生徒たちも動きを再開し、三人へと近づいてくる。


「僕を馬鹿にするな。僕を侮るな。僕を見下すな。僕を……」

「うーん……てことはそれだけ負の感情が強いって事かな? 相当キーリとフィアって恨まれてるんだね」

「言っとくが、絶対その中にお前も含まれてるからな?」

「でも、そうね……豚だって馬鹿にしてきたけど、これだけ悪意が肥大化すると案外美味しいかもしれないなぁ。ゲテモノ食いに近いけど」


 舌なめずりして微笑むユキ。だが余裕たっぷりの彼女とは対照的にフィアとキーリは焦りを見せていた。


「結局また振り出しに戻ってんじゃねぇかよ」

「……ユキ、何をしたのかは分からないが、もう一度先ほどの様にゲリーの動きを封じる事は出来ないか?」

「そうねぇ」顎に指を当てて考える。「出来なくはないけど、効果は薄いかな? 自力で恐怖を克服しちゃったし。

 だけど、もうすぐそれどころじゃなくなると思うけど?」

「それどころじゃないだぁ? これ以上まだ何か厄介が降ってくるってのかよ……」

「そ。迷宮内部でこれだけ強烈な悪意を振りまいてればさ――」


 ユキが話している途中で突如として迷宮が揺れ始めた。地響きが鳴り、小刻みに地面が鳴動する。


「な、なんだっ!?」


 あちこちから低く音が響き渡り、天井からもパラパラと砂や小石が崩れ落ちる。ユキを除いた全員が戸惑い、立ち尽くす。

 そうした中、キーリ達が立っていた地面が徐々に傾き始めた。


「フィアっ! 足元に気を付けろっ!」

「っ……!」

「その意思を吸い取って迷宮は形を変えて――」


 足元が急勾配の坂となり、深部へと通じる新たな道が形作られる。その過程でもろくなった古い足場が崩れていき、上に立っていたキーリ達全員が落下していく。


「――新たな『生き物』として生まれ変わったりするのよね」




 2017/5/7 改稿


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