13-2. エピローグ(その2・完)
初稿:20/01/07
「みんな元気そうね」
「ええ、元気そうで良かったです。私も……安心しました」
手紙を読み終え、フィアはクスリと楽しそうに笑うと紅茶で口を湿らせた。そして目を閉じ、シオンが報告してくれた内容をもう一度頭の中に思い浮かべた。楽しそうに毎日を生きている彼らの様子が生き生きと脳裏に描き出され、自然とフィアの口元ももう一度緩んでいく。
「しかし、アリエスさんとオットマー先生がいよいよ結婚か……二人が付き合ってるって聞いた時はびっくりしてしばらく意識が飛んだわよ」
「アリエスは昔からオットマー先生が好きでしたし、先生さえその気ならあり得る話と思ってましたよ」
「それはオットマー先生の筋肉が好きだっただけでしょう? 昔から彼女はキーリ君に気があったように見えたけど?」
「否定はしません」
フィアとて鈍感ではない。いや、生来鈍感ではあるのだが、さすがに彼女の気持ちには気づいていたし、彼女がフィアに抱きつつ押し隠していたものについても何となく感じ取っていた。けれどもその気持ちを決してフィアには見せようとせず、親友として接し続けてくれた。彼女には感謝しかない。
だからこそオットマーと良き仲になったと聞いた時、フィアは心から嬉しくて、同時に安堵した。
願わくば、ずっと幸せに。軽く目を閉じて祈り、再び目を開くとシェニアがこちらを見つめていた。
「どうしました?」
「いえ、成長が早いものだとつくづく思って」フッとその目が優しく笑う。「最初はまだみんな十代の少年少女だったのに、もう結婚する年頃か、と思うと時の流れの残酷さをしみじみ感じるわ」
「長耳族なんですし、そんな嘆くような歳じゃないでしょう。シェニアもどうなんですか?」
「私はもう良いわよ」頬杖をついて苦笑いをした。「いくら人族より長命の長耳族とは言っても、結婚だなんて歳じゃないわ」
「年齢なんて関係ないと思いますけどね。
誰か、一緒に歳を重ねたいと思える人がいるのなら」
「そう……それもそうかもしれないわね」
頬杖をついたまま、シェニアは何処か遠くを見るように目を細めた。彼女の頭に浮かんでいるであろう人物。それに何となく心当たりがあったがフィアは口にしなかった。
「あーあ」シェニアは背もたれにだらしなく体を預けて背伸びした。「ミーシアもどうやらクルエ先生と良い仲になってるみたいだし、結婚はともかくとして私もパートナーを見つけてみようかしらね」
「え? ミーシアとクルエ先生ってそういう関係になってるんですか?」
それは初耳だ。フィアは目を丸くすると身を乗り出す。
「そうなのよ。なーんか最近妙にミーシアの機嫌が良いからね、『ははーん、これは』と思って問い詰めてみたのよ。そしたらまー、『聞いてくれるの待ってました!』ってばかりに惚気ける惚気ける。お陰でツッコむ気にもならなかったわ」
「ふふ、ミーシアさんもずっとお相手探してましたからね」
「ま、これでもう嫌味を言われなくなるなら私も文句ないわ。おまけにその相手も信頼できるしね」
「しかしクルエ先生が……何となく生涯独身を貫くものだと思ってました」
「そうよね。けど、やっぱり彼も半年前の件で肩の荷が少しは降りたんじゃない?」
かもしれませんね、とフィアはうなずいた。
クルエはずっと、かつて自身が参加した魔の森への遠征のことを気に病んでいた。それ故に彼自身の幸せについては二の次に考えていたフシがあったが、彼の中で一つの区切りがついて自分の事を考える余裕ができたのかもしれない。
「……みんな、幸せになってほしいわね」
「ええ。全員きっとなれますよ」
「あら、自分は別みたいな言い方だけど、もちろん貴方たちも含めてよ?」
「私はもう幸せですから」
フィアはそう言って笑った。
振り返ってみて、客観的には幸せな人生だったとは思わない。
母と長兄を病気で亡くし、父は次兄に殺されて自分自身は逃亡生活を余儀なくされた。最後にはその次兄を自ら手にかけた。この身に流れる血はきっと呪われている。少なくとも、誰かに羨ましがられる人生ではないだろう。
けれども今、私は幸せだ。フィアは胸を張ってそう言える。懸命に生きて、生きて生き抜いてここにこうして座っている。懸命に全力で生きている。
(エーベル……私はお前に恥じない生き方ができているだろうか……?)
助けられなかった「弟」に尋ねる。もうその声を聞くことはできない。だが、何となく胸の奥で彼が笑った気がした。それはフィアの自己満足が作り出した幻想に違いないけれども、エーベルにも認められた様に思えて嬉しくなった。
「はいはい、ごちそうさま」シェニアが呆れながら手で顔をあおいだ。「ところで貴方の旦那様の姿が見えないけれど、何処に行ってんの?」
「キーリは今、ご両親へ報告に行っています」
「報告?」
はて、一体何の報告だろうか。どうやらコーヴェルも聞いてはいなかった様で、シェニア同様に首をひねっている。
そんな二人の様子をよそに、フィアは自身の下腹部を優しく撫で、慈しみに満ちた微笑みを浮かべた。
ポカン、とシェニアとコーヴェルが似た顔を浮かべる。レイスが無言でカップを片付け、一礼して部屋を出ていく。
その扉がバタンと閉じた瞬間、二人の大声が響き渡った。
「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっっっっ――!!」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ん?」
誰かに呼ばれた気がしてキーリはフードを外し、今しがた来た道を振り返った。
けれどもそれらしい人影はない。彼がいるのはのどかな田園風景が広がる山間の村へ続く道だ。時折旅人とすれ違うくらいで、ついさっきすれ違った北へ向かう人も今や遠く小さくなっている。
「気のせいか」
「キーリくーん! どうしたの?」
脚を止めたキーリに気づいたカレンが立ち止まり尋ねる。だがキーリは小さく笑うと首を振った。
「いんや。なんでもねぇさ。ちょっち空耳がしただけだ」
「そう? ならいいけど」
「それより、今日はアヤさん村にいるんだよな?」
「一応前もって手紙で今日行くって伝えてるから。あー、でもお母さんのことだからなぁ……すっかり忘れて隣村に仕事行ってるかも」
「そっか。ま、そんときゃまたしばらく泊めてもらうかね」
「うん、どうせ部屋は余ってるしね」
「サンキュな。しっかし、アヤさんに会うのも何年ぶりかね? 覚えてっかな?」
「ねー。キーリくんとフィアさんに子どもが生まれるって言ったらきっとすっごく喜んでくれるよ」
「……だといいな」
どこか不安気な顔をしたキーリ。カレンは彼の背をバンッと叩くと明るく笑いかけた。
「うん、絶対そうだよ! だってお母さん、キーリくんのこと――」
あっけにとられ、言葉を刹那だけ失い、キーリは参ったなぁと頭を掻いて空を見上げた。そして「そっか」と言って吹っ切れた様に笑った。
また、歩き出す。カレンと会話を交わしながら村へと続く道をゆっくり歩いていく。心地よい風が吹きつけ、なびいた前髪が額をくすぐった。
「おっと」
畑の上を風が走り抜けた。ざわざわと草が音を奏で、キーリたちの旅装をすり抜けて北へと向かっていく。キーリは少し茶色がかった黒髪を掻き上げ、通り過ぎていった風たちの背中を目で追いかけた。
「……まあ、あれくらいは許してくれよな」
「ん? なにか言った?」
「なぁに」キーリはニヤリと笑った。「単なる独り言だよ――」
レディストリニア王国とオースフィリア帝国の国境付近にある、魔の森と呼ばれた土地。軍でも手に負えない魍魎が跋扈し、常に暗雲立ち込める未開の地であった。
その森を抜けた先。木々生い茂る里山の斜面には孔が空いていた。大人が屈んで通れる程度の大きさで、そこをくぐり抜ければ祠があり闇神が祀られている。
小さく、慎ましやかな祭壇。古びているものの、一つ一つの祭具は掃除し磨き上げられている。そしてその隣にはまだ真新しく、もっと小さくささやかな祭壇が設えられ、微かな外光に反射し輝いていた。
洞穴から外へ出て道なき道を進めば、平地が広がっている。
たくさん居並ぶ墓石。元は角ばっていたであろうそれらは年月とともに丸められ、あちこちが欠けていた。
長い月日を経たその一列の最後。周囲の状態とは異なって綺麗で新しく形の整えられた墓石が新たに建立されていた。
その墓石に刻まれた名は、ユーミル。
鬼人族の村。かつてその場所は灰色の空が覆い、陽の光が差し込むことのない寒冷の土地であった。
黒い針葉樹ばかりが生い茂り、枯れ草ばかりが年中土の上に敷き詰められている。作物もまともに育たず、危険を犯して獰猛なモンスターを狩って生きなければならない。そんな場所であった。
しかし今となっては昔。空には抜けるような青空が広がり、まばゆいばかりの陽の光がその村の跡地を暖かく照らしている。
そして、居並ぶ墓石たちを彩り鮮やかな草花たちが取り囲んで、吹き抜ける優しい風が花の香りを村全体へと運んでいってくれているのだった。
――完――
2016年の連載開始以来、お付き合い頂きましてありがとうございました。
3年9ヶ月に渡るキーリたちの長い物語はこれにてお終いになります。
ありきたりですが、レビューをくださった方、感想を書いてくださった方、こっそりと背中を押して励ましてくださった方、その他お読み頂いた方々のおかげで完結までもっていくことができました。
割烹の方で長めのあとがきを書いてますので、よろしければそちらも御覧ください。
それでは改めて、ありがとうございました。
また別の物語でお会いできれば幸いです。




