12-9. 転生先にカミサマはいない(その9)
初稿:20/01/07
<<<登場人物紹介>>>
キーリ:主人公。英雄殺しに人生を賭ける。
フィア:レディストリニア王国女王。翻弄される人生を乗り越えた。
アリエス:帝国貴族。パーティの万能剣士。
シオン:パーティのリーダーを拝命。後方から仲間を支援する。
レイス:フィアに仕えるメイド。いつだって冷静沈着。
ギース:パーティの斥候役。口は悪いが根は仲間思い。
カレン:矢のスペシャリスト。キーリと同じ転生者。
イーシュ:パーティの盾役。その防御を突破するのは英雄でも困難。
クルエ:元英雄。キーリたちを優しく導く。
「……!」
気がつくとフィアは何処かを漂っていた。生まれたままの姿で空とも水の中とも分からない空間に浮かび、紅い髪がなびいている。
不思議な感覚だった。暖かな水の流れの中にいるかの様であり、けれどもフィアの体そのものは水の粒子と粒子の間に溶け込んでしまっているかの様でもある。自らの存在は確かに感じられるけれど、意識すれば何処までも遠くへと一瞬で行けそうだった。
体を横たえたまま世界を見回す。黒と、白。その二つが入り混じって灰色の世界を形作る。薄っすらとした赤みがあって、柔らかで、優しくて、心地よい彩り。全体的に霞がかかっていてぼんやりとしており、ここにある何もかもが曖昧に見えた。
見下ろす。眼下には背の高い草木が生い茂っている。その高さは様々で、枯れたものから瑞々しいものまで乱雑に分布していた。
「あれは……」
その中にポッカリと刈り取られた一角があった。円形のそこに女性――ユキが座って男性の頭を膝に乗せている。ユキの反対側にはキーリがあぐらをかいて座り、膝に肘をついて男性を見下ろしていた。
男性の手足の先は黒く、まるで焼け焦げたみたいになっていた。フィアがキーリの隣に降りると、男性は横目でチラリと彼女の姿を認め、しかし無言のまま眼を閉じた。
「おい」キーリが呼びかけた。「教えろ。親父たち――鬼人族の村を英雄たちに襲わせたのはなんでだ?」
ずっと抱いていた疑問。それをぶつけると男性――光神はゆっくり眼を開いてユキへと顔を向けた。
「……彼女に早く会いたかったんだ」光神は大義そうにため息をついた。「会いたくて会いたくて会いたくて仕方がなかった。
眠りからそろそろ覚める頃合いだというのは分かっていた。だからあそこで途方もない大量の悪意と絶望を撒き散らせば、それが刺激となって彼女が目覚めてくれると思ったんだよ。実際、彼女は目覚めてくれたしね」
「そんな理由で……!」
激昂したキーリが剣を作り出して光神の腹に突き刺した。が、光神は痛みを感じないのか反応に乏しく、一瞬キーリに申し訳無さそうな顔を浮かべるもすぐにそれを消し去った。
「無駄よ、キーリ」
「……ちっ」
拳を振り上げ、しかし降ろしどころを失ってキーリは苛立たしげに髪を掻きむしった。
口元をワナワナと震わせるキーリに代わってフィアが問いを重ねる。
「しかし、分からない。そのまま黙って時間が経っても、ユキには会えたでしょう? なぜ英雄たちを使ってまでわざわざそんなことを……」
「もう、時間がないと分かってたからね。彼女が自然に目覚める。それを何十年も待てなかった」
一刻も早くユキに会いたかった。笑みの下に隠されたその焦燥が凶行に及ばせた。
「狂ってる」
「うん、そうだね……分かってはいたんだ。自分が狂い始めていることは」
光神はポツリとユキの顔を見上げた。
「だからこそ、止まれなかった。いつか君と共に、君を苦しめることのない世界で過ごす。君が……笑って過ごせる場所を僕が作ってね。
光神として世界に召し上げられる前から抱いていたそんな夢を、諦められなかったんだ。それどころか、神として世界の仕組みを理解すればするほど、その想いは強くなっていったよ。
だから正気を完全に失ってしまう前に……まだ、少しでもまともで居られる内に君に会いたかったんだ」
「……私はそんなこと頼んでいないわ」
「そうだね。僕のわがままだ」光神は穏やかに微笑んだ。「独りよがりで、君の事なんてこれっぽっちも考えていなかった。いつの間にか、君も僕と同じ様に世界を嫌ってると思い込んでしまってたよ。君は、あんな世界だって愛せる人なんだもんね」
「愛してなんかいないわ」
ユキは顔を上げて遠くを見つめた。眼を細め、悲しげに思い出の中の人生を想う。手が優しく光神の髪を撫でた。
「あの場所は、世界は優しくなかった。だから愛せるわけなんかない。別に嫌いじゃなかったけれど」
「なら、どうして世界を守ろうとしたんだい?」
「滅ぼすにはもったいないと思ったから。
悪いところだって多いけれど、それと同じくらい魅力で溢れてるわ。改めて人の姿で生きてみて心からそう思ったの」
「例えばどんなことか教えてくれるかい?」
彼女よりずっと人の世界で生きてきた自分が知らない世界。それを知りたい。光神は目を細めてユキを見上げた。
「えっと、そうね……例えば、ご飯は私たちの時代からすれば断然美味しいし、色んな場所で違った料理を楽しめるわ。夜は暖かい布団で眠れるし」
「男も美味しく召し上がれるしな」
「へ?」
ポカンとして見つめてくる光神に、ユキは髪を掻き上げてそっぽを向いた。
「あれは悪意を頂いてるの。……ちょっとだけ趣味も兼ねてるだけよ」
「……君がそんな娘だとは思わなかったよ」
「幻滅したでしょ?」
「いや」悪びれない様子のユキに光神は、少し寂しそうに微笑んだ。「君が人生を謳歌してる。その事が嬉しいよ。世界滅亡なんかにかまけて、隣にいることを放棄してしまったのがとても残念だ」
「そう。お馬鹿さんね」
「実にそうだ。ぐうの音も出ない」ため息と共に笑いが漏れた。「それで、他には?」
「ん、と……暖かい服は着てても気持ちいいし、宝石なんかは見てるだけでも胸が躍るわね。何処かの貴族みたいにじゃらじゃら身につけるのは邪魔だし、別に欲しくはないけど。でも、一番は人ね」
「人?」
「そ。色んな人間がいて、笑って楽しそうに生きてる。もちろん楽しそうなことばかりじゃないけど、たとえ悲しいことがあったって明日には前を向いて歩いていってる。私なんかが手を貸さなくたってね。そんな人間たちを見てるのが楽しいのよ」
「なんだか些細で当たり前の事ばかりだ。そんなものが、君に優しくない世界を許せるくらい魅力的なもの?」
「些細なことだって、どんな宝石より輝く魅力的なものになるわ」
ユキは光神の頭を撫でて微笑んだ。くすぐったそうに光神は眼を閉じた。
「どんなものだって捉え方一つ、考え方一つで世界一魅力的になる可能性はあるわ」
「その逆もまた然り、か……どんな魅力的なものでも見方によって薄汚くも見える。僕はずっと、君にとっての宝石を汚し続けていたということか。すごいね、君は。敵わないや」
「別にすごくないわ。今のだって、眠りから起きて、キーリと一緒に色んなところを回って、最近やっと思えたくらいだもの。最初にこの世界を滅ぼしたくないって思ったのは――」
口にしかけてユキは押し黙った。
「思ったのは?」
「忘れなさい。大したことじゃないから」
「ユキがテメェと一緒に過ごした世界だからに決まってんだろうが」
「ちょっ! キーリ!!」
キーリが暴露し、ユキが慌てて顔を真っ赤にして睨みつける。全体的に白んだ世界でも分かるくらいに頬は赤かった。
光神はキョトンと眼を丸くし、ユキの恨めしそうな視線を受け、そしてぷいっと顔を逸したのを見て理解した。
「くっ……あはははははっ!! なんだ、そういう事だったのかっ! これは傑作だよ!! 僕は実に大間抜けだったというわけか」
「……もう、キーリのバカ」
「テメェにゃ散々迷惑かけられてきたんだ。このくらい許しやがれ」
「あはは……実に愚かだ。本当に……残念だ」
光神はユキの膝の上で目を閉じた。目尻から涙がこぼれ落ち、けれどもその表情は晴れやかだった。
「腕が……」
フィアが思わずつぶやいた。黒く変色していた光神の手足が崩れていく。崩れた破片が風に飛ばされて宙に舞い、キラキラと美しく輝いていた。
「時間ね」
「みたいだね。ああ、せっかく君の本心が知れたのに、本当に残念だよ」
「安心なさい。貴方の思いも、苦しみも……全てこの私が受け取ったわ。貴方に代わって私が世界を回し続ける。だから……安心して眠りなさい」
「それは……光栄だね。うん、こんな結末だけど……僕は本当に幸せ者だ」
光神を蝕んでいた憎しみも絶望も、もはや残っていない。魂さえも残らないけれど、心は清々しく、満ち足りていた。
光神の体が浮かび上がっていく。その体は細かな破片となって徐々に崩れていき、白黒の薄暗い世界で確かにきらめいていた。その輝きこそが、光神として選ばれた彼本来の美しさなのだろうか。見上げてフィアはそう思った。
「フィア、お願い」
「……いいのか?」
「ええ。どうせ肉体は残らないから。この世界だと火葬は一般的じゃないけど……それでもせめて、人間らしく葬ってあげたいじゃない?」
「そうか……分かった」
ユキに頼まれフィアは両腕を広げた。
炎が生まれ、光神を包み込んでいく。彼女の胸からは新しく炎神となったイグニスが顔を覗かせて見上げていた。
「貴方は――」フィアは光神へ伝えた。「貴方は、きっと正しかった。抱いた想いも、苦しみも。ただ少し……少しだけ踏み出す方向を間違えただけ。だから……これからは私たちが貴方の想いを引き継いでいきます。まっすぐに、けれども時には回り道しながら」
「ま、後はコイツらに任せて、テメェはさっさと安らかに眠りやがれ」
「ふふ、そう……させても……らうよ……」
とぎれとぎれになる声。肉体は欠片へと砕けていき、それが暖かな色合いの炎で焼かれていく中で光神は小さく笑い声を上げた。
頭だけになった光神の蒼い瞳がユキの黒い瞳と交わる。それだけ。互いに何も口にしなかった。
それでも最期に、光神は幼さの残る笑みを浮かべた。まだ十代のあどけない表情で笑った。その微笑みのまま、全てが破片となっていき、直後に炎に飲み込まれていった。
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