12-6. 転生先にカミサマはいない(その6)
初稿:20/01/05
<<<登場人物紹介>>>
キーリ:主人公。英雄殺しに人生を賭ける。
フィア:レディストリニア王国女王。翻弄される人生を乗り越えた。
アリエス:帝国貴族。パーティの万能剣士。
シオン:パーティのリーダーを拝命。後方から仲間を支援する。
レイス:フィアに仕えるメイド。いつだって冷静沈着。
ギース:パーティの斥候役。口は悪いが根は仲間思い。
カレン:矢のスペシャリスト。キーリと同じ転生者。
イーシュ:パーティの盾役。その防御を突破するのは英雄でも困難。
クルエ:元英雄。キーリたちを優しく導く。
「キーリ……!」
フィアの視線の先でキーリの全身が黒く染まっていた。白かった肌に黒い靄がまとわりついて、それが染み込んだかの様だ。頭を抱えた指先から固形化された魔素が流れ落ち、頭の先からキーリを魔素の泥で濡らしていく。
「キーリ、止めろっ、止めるんだっ!!」
人間としての形が崩れていく様だった。フィアは悲鳴じみた叫び声を上げてキーリの周りに広がる泥沼に踏み込む。途端に心が砕けてしまいそうな心地がして、けれどもそれ以上にキーリのそんな姿を見ていられなかった。
キーリにまとわりつく泥だか靄だか見当がつかない物質に腕を突っ込み、払いのける。だが次から次へと溢れるそれは、キーリにしがみついたフィアをも飲み込んでいった。
「あ、う、ああぁぁぁっ……!」
「フィアさんっ!」
「お嬢、様……!」
フィアが苦痛にもがく。
恐ろしい。悲しい。憎い。
アイツを殺せ、あの子を殺せ、あの野郎を殺せ。
私を殺して、俺を殺せ、世界を、殺せ。
おぞましい憎悪が包む。泥を伝い、フィアにも流れ込む。頭の中で様々な声で合唱し、頭蓋が砕けたような激痛が苛む。
それでも彼女は耐える。強く噛み締めた唇が裂けて真っ赤な血が流れる。炎をまとった腕が泥を蒸発させながらかき分け、キーリを探し求めた。そして不意にその手が泥とは違う感触に触れた。
彼にまとわりつく泥を払うと、顔が現れた。
キーリは、赤黒い涙を流し続けていた。顔面を靄で浅黒く染め、血の混じったような色をしたものが頬に線を作っている。耐え難い苦痛に耐え、歯を必死に食いしばり自身に襲い来る世界の魔素をその小さな体に収めきろうと彼もまたもがいていた。
「キーリ……!」
「フィ、ア……!」
焦点の定まらない視線が一瞬だけ彼女を捉えた。黒い靄が滲み出し続ける腕を震わせながら明後日の方向を指差し、ゆっくり唇が動いていく。
「はや、く……逃げ……ろ……」
「……このバカがっ……!!」
お前を置いて逃げられるわけがないだろうが。キーリの懇願とは逆に、フィアはその腕を掴んでキーリにしがみついた。
(お前を一人にさせるものか……!)
お前に体を許したあの瞬間から、私の人生はお前と共にある。キーリに告げてはいないけれども、フィアはそう誓っていた。
「だからお前の物も、無理矢理にでも背負わせてもらうぞ――!」
光神はこの現象を暴走と言っていた。神がようやく扱える魔素の海。それを一人の人間が背負えるはずがない。
だったら、二人ならば。
(無茶だとしても……お前だけに背負わせるよりはいい……!)
キーリの頭を抱き寄せる。そしてフィアは彼に口づけた。
体を重ねてなお孤独の中で生き続けようとしてきた彼を離すまいと強く抱き、体温を共有する。初めて裸で抱き合ったあの時と同じ様に、キーリの抱く想い、絶望、孤独、それら全てがフィアの中に流れ込んできた。
それを激情の濁流が押し流していく。キーリの中で留まり、滲み出していた世界の澱みが彼女を襲い、黒く覆い潰していった。
「く、ぅぅ……!」
心に宿るイグニスが、塗り潰そうとしてくる闇を払う。しかし圧倒的なまでの闇の奔流の前では抗えきれない。灯った熱が瞬く間に冷たい悪意に凍りついていった。
(やはり……)
無茶だったか。流れるフィアの涙にも黒いものが混じっていく。対照的にキーリを覆う靄がほんの少しだけ晴れた。そんな気がした。
それだけでも意味があった。フィアはそう思えた。
死にたくはない。私にはまだやらねばならないことがある。けれども、キーリと共にいなければダメなのだ。
(だから……この身が朽ち果てようともお前を離しはしない……!)
キーリの瞳に残っていた微かな光が消えていく。それに呼応するかの様にフィアの意識も遠のいていく。
イグニスが放つ熱が、心に染み込む冷たい泥に奪われる。フィアの視界が暗闇に包まれていく。
炎神の加護を受けたというのに、最期が冷たい泥の中とは締まらないな。そんなことを考えてながら眼を閉じたフィアだったが、その耳に不意に声が届いた。
「――ったく、似た者同士だこと。大概バカだバカだと思ってたけど、二人揃ってここまで大バカだとは思っても無かったわよ」
嘲るようでありながら、呆れたようでありながら。けれどどこか優しい響き。フィアはハッとして閉じていた眼を開けた。
キーリとフィアを覆っていた泥が一気に弾け飛んだ。黒い靄に包まれたままのキーリと、彼を抱きしめるフィアを中心として泥の海が上空に旋回しながら昇っていき光となって散った。そして拡大を続けていた繭の成長が止まった。
繭は、まるで存在自体が幻であったかのように崩れ落ち、エネルギーを失った魔素の粒子となってキラキラと輝きながら全員に降り注いでいく。その美しさにフィアのみならずアリエスやレイス、シオンもまた見とれた。
空中で魔素の粒子が集合していく。長方形のスクリーンを形どるとそこに黒い影が浮かび上がる。そして、そこから髪が黒と白銀に染まった闇神が現れた。
髪をなびかせ、ゆっくり舞い降りていく。その雰囲気は神秘的で、神の一柱として疑う余地もない。眼を閉じていたユキはそのまぶたを開くと、キーリとフィアを見て微笑んだ。
「ユキっ!?」
「待たせたわね」ユキは腰に手を当ててため息をついた。「ホント、みんなして好き放題やってくれちゃってさあ。後始末する方の身にもなってほしいっての」
「ユキっ……頼む、キーリを……」
「分かってる」
多少は緩和されたが未だ溢れる悪意はフィアを蝕み続けていた。膝を突き、黒い涙を流しながら、それでも彼女は抱きしめていたキーリを案じてユキに懇願した。
ユキは表情を真剣なものに変えてうなずくと、まだ黒い靄をにじませ続けているキーリの顔をその白い手で引き寄せた。
その手がキーリの体の中へと吸い込まれていく。流体の中に入れるように手がすうっと差し込まれ、何かを探っていった。
「フィア」
「何だっ!? ひょっとして、もう――」
「ええ、ほぼ手遅れね」
ユキがあっさりと言い放った。青ざめていたフィアの顔がいっそう青ざめていく。
それは離れた場所で動けなくなっていたアリエスも同じ。震える腕で体を起こし、表情を歪ませた。
「そんなっ……! キーリ……!」
「ホントに無茶をしたわね。魔素の海と繋がりが強すぎるせいですぐには切り離せない。世界の崩壊は止められるかもしれないけれど、それより先にキーリ・アルカナという存在が世界に飲み込まれるわ」
「何か……何か方法はないのか、ユキっ!」
「無くはないわ」
「なら……!」
フィアの頬をユキの指先が撫で、その瞳を真っ黒な瞳が覗き込む。
「ねぇ、フィア」
「何だっ! 私にできることがあれば――」
「キーリを、ちょっと返してもらうわね」
フィアの瞳の奥でユキが笑った。
ずぶり、という音がフィアの耳に届いた。彼女の心臓の辺りにユキの手がめり込んでいる。だが痛みはなく、なのに空洞ができたような感覚があった。
驚きに眼を見開くフィアをよそに、ユキはフィアの体に手を差し入れたままキーリから手を引き抜き、愛おしそうにキーリの頭を抱き寄せた。
「本当……ただの人間だったはずなのに、無茶しちゃって……」
眠っていた祠で感じ取った絶望と憎しみ。それに惹かれて、ユキはキーリの元へやってきた。
まだ幼い体に不似合いな程の感情。内包する濁った魂。それに興味を持ったというのが第一。久々の世界がどういった様に変化していたのか知りたかったというのもある。せっかく目覚めたのだし、光神になぜあんなことをしたのか問い質してもみたかった。
だから彼女は受肉することを選んだ。キーリとユーミルという若い肉体に自身の魂をブレンド。そうすることでキーリも生き延びられるし、ユキ自身も自らの脚で動き回ることができる。その結果どうなろうが興味はなかった。キーリ――霧医・文斗という人間を数年くらい観察して、飽きたら別れるつもりだった。
それが思いのほか、長い付き合いになった。ユーミルの体を利用する自分を殺したいほどに憎みながらも憎みきれない。嫌いながらも「家族」としての存在を無意識に求め、気遣い、時に好きだとさえ思ってくれる。好きと嫌いという単純な二つの感情が常にキーリの中で複雑に渦巻いていて、「好き」も「嫌い」も良く分からない。感情というものに乏しいままに生を終えたユキにとってそれがなんとも不思議で、伝わってくる人の心がなんとも心地良かった。
そうして一緒にいる内に、気づけば「友達」も増えていた。
養成学校でフィアたちと出会い、好意を向けられる。生前は「好意」が理解できず、理解する前に悪意によって殺された。闇神となった後は悪意しか向けられなかった。だから、感じられる好意に溢れた場所の居心地が良すぎて、いつの間にか一緒にいるのが当たり前になっていた。距離が離れていたとしても、「一緒にいる」というその感覚は消えることはなかった。
(いや、一人だけ昔から好きだって言ってくれてたかな……?)
チラリとユキの視線が、空中に浮かぶ白い男に向けられた。だがそれだけ。彼に微笑むでもなく、彼から届く視線を振り払うようにしてユキは目の前のキーリへ微笑んだ。
そして彼女はキーリに口づけた。
ユキ、キーリ、そしてフィアの三人を中心として鮮やかな閃光が放たれた。体が浮かび上がり、キーリを覆っていた靄が一気に解き放たれて元の姿が現れてその瞳にも光が戻ってくる。
「ユキ……? それにフィア……」
「おかえり、キーリ」
再び抱きしめる。途端にキーリとユキの二人から放たれる閃光が強くなり、二人の輪郭が溶け合っていった。
キーリの中にユキが、ユキの中にキーリが入り込む。やがて二人が一つの塊となったかと思うと、放たれた光が逆再生されるかのごとく一気に二人に向かって吸い込まれ、再び世界から光が消えた。
フィアも含めて三人を漆黒の繭が包み込んだ数瞬後、その繭が破裂した。
「う……!」
アリエスたちを突風が襲った。とっさに背を向けて風から身を守る。程なく風は収まり、彼女らがもう一度振り向くと言葉を失った。
「……」
彼女らの目の前に立っていたのはフィア。そして長い黒髪をなびかせる見慣れない人がいた。
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