10-2. 教皇(その2)
初稿:19/12/25
<<<登場人物紹介>>>
キーリ:主人公。英雄殺しに人生を賭ける。
フィア:レディストリニア王国女王。翻弄される人生を乗り越えた。
アリエス:帝国貴族。パーティの万能剣士。
シオン:パーティのリーダーを拝命。後方から仲間を支援する。
レイス:フィアに仕えるメイド。いつだって冷静沈着。
ギース:パーティの斥候役。口は悪いが根は仲間思い。
カレン:矢のスペシャリスト。キーリと同じ転生者。
イーシュ:パーティの盾役。その防御を突破するのは英雄でも困難。
クルエ:元英雄。キーリたちを優しく導く。
それからしばし時は流れ、少年は青年となっていた。
世界は平静を取り戻し、しかし少女がいない世界に寂しさを覚え、それを堪えて生きていたある日、青年の元に神の使いを名乗る人間がやってきた。そして、青年に告げた。
曰く、光神としての役割を引き継いでほしい、と。
青年はひどく困惑した。自分はとても平凡な人間であり、神になどなれるはずもないと思った。そもそも人間が、神になどなれるはずがなかった。そう思ったが、その使いの人間は首を振ったのだった。
――いいえ、光神はいつだって代替わりしながら人間が脈々と繋げてきたものなのです。
「……それって」
「まさか……」
「そう。風神、地神、水神、炎神……この四神は世界が準備した『神』という存在。人が生きる摂理から切り離され、常識も住まう世界も全く異なる存在なんだ。
けれども光神、そして闇神というのはずっと、人間が神々の世界に召し上げられて役割を押し付けられてきたんだよ。それがいつの時代からは知らないけれどね」
青年自身は気づいていなかったが、彼にはいわゆる「才能」があった。素質があった。光神として人の括りから外れて生き続けるのに必要な器が備わっていた。
使いから説得され、彼は光神としての役割を担うことを決意する。そこには、先に闇神として招聘された彼女の存在があった。
ひょっとすると、もう一度会えるかもしれない。守れなかった彼女の側に、またいられるかもしれない。
「青年はそう期待していた。
しかし、神々の座についた時、彼の想像とは違っていたんだ」
死して神々に召し上げられた彼女は、すでに青年のことを忘れてしまっていた。
だがそれは構わない。失望こそしたものの、再び同じ場所に立ったのだ。ならば彼女との関係をまた構築していけばいい。
彼の想像と違っていたのは――神としての生き方であった。
「若い光神となった彼が見たのは、渦巻く怨嗟をまとわせた闇神としての彼女だった。
闇神としての役割は君らももう知っているだろう?」
「ああ……よく知ってるさ」
世界から悪意を吸い上げ、消化し、新たな魔素として世界へと還元する。それによって世界は均衡を保ちながら発展を遂げていく。世界が世界として存続するためにも必要な存在だ。
「常に世界中からあらゆる情念が彼女に注ぎ込まれていた。見るだけで気が狂いそうな程に醜悪な澱が彼女を汚していたんだよ。
神になったとはいえ苦しかったはず。悲しかったはず。なのに彼女は平気な顔しか見せなかったんだ。『それが私の役割だ』としか言わずにね」
「それが……貴方には許せなかったんですか?」
「私の話ではないよ? 遠い遠い昔の、愚かな男の話さ」一度、軽くため息。「話を続けよう。その光神はなんとかして彼女の負担を軽くしてあげたかった。でもやり方が分からなかった。他の神々に尋ねても『それが彼女の役割』という反応しか返ってこなかったからね。
それでも最初の二百年は良かった。彼女もまだ平気そうだったから。
しかしそれが三百年になり四百年になると見るからに彼女は衰えていった。
その姿を見た時にその光神は理解したよ。何故、闇神が定期的に交代し、新しい人間が選ばれるのか。答えは簡単だ。神とて保たないからだよ」
穏やかに語っていた教皇に、初めて侮蔑らしきものが微かに混じった。彼から発せられる光にも、ほんの少しだけ黒い何かが混じった。
「神とて世界の悪意を引き受けるには器が足りない。であればどうするか。神以外の存在に、それもシステムを理解するだけの知的な、それでいて従順な存在――すなわち人間に役割を肩代わりさせればいい。他の神たちは、世界という仕組みはそう判断したんだ。
お笑いだろう? 彼女の幸せを願った青年が、実は彼女をより過酷な世界へと送り届けてしまっていたんだから」
果たして、自分が願ったことは何だったのだろうか? 自分がすがったことは何だったのだろうか? 青年は嘆いて嘆いて、嘆いた。何度もかつての少女の姿のままをした闇神に役割を辞めるよう懇願した。けれども彼女は折れなかった。
涼しい顔を光神に向け、いつも変わらず「それが私の役割だもの」と答える。
「『世界をあるべき姿に維持するためには私の様な役割が必要。私で役に立つのであれば、別に犠牲になっても構わない』。彼女は光神にそう伝えたんだ。青年の気持ちを知ってか知らずか、彼女は自身の幸せよりも世界の幸せを選んだんだ」
「何と言いますか……本当にユキの話を聞かされてるのか、疑問になってきましたわ」
「確かに……」
「今の彼女とは似ても似つかない気が……」
「どこの聖女だって感じだよ」
「ああ、補足しておくと、彼女の態度や言葉遣いは昔から変わっていないよ? お転婆で口も悪いし、けれども彼女自身が必要なことだと決めたらテコでも動かなかった。そして実際にそれらの殆どは真に必要なことでもあった。そう言ったところも変わってないみたいだね」
光神は尋ねた。何故、そこまで役割に固執するのか。
闇神は答えた。世界が、好きだから、と。
「……凄いよね。自分を殺したのに、それでもなお世界を守りたいって本気で口にできるんだから」
彼女を翻意させるのは不可能。光神は悟った。他の神々たちについては彼女を溺愛しているようではあったが、役割自体についてはそもそも無関心。辞めさせるという発想もないようだった。
そうしている内に彼女は弱っていき、流れ込む悪意を身の中に収めておくことさえ難しくなっていく。時折、自我を失いかけ、ついに彼の前で狂ったように泣き叫ぶ様にもなっていった。
残された時間は、ない。
故に、光神は決断した。
「神としての才能がある。前の光神は慧眼ではあったんだろうね。実際に光神は、神として召し上げられてからのわずか数百年で他の神々を凌駕する力を身に着けていたんだ」
そして光神は他の神々へ戦いを挑んだ。闇神を守るために。
闇神を安らかな眠りにつかせたい光神と、あくまで闇神としての役割を維持させたい風神たち。戦いは苛烈を極め、その間、世界は激しく狂い、乱れ、甚大な被害をもたらした。
そうして光神は勝った。強制的に闇神を封印し、世界からの悪意の供給を止めることに成功した。他の神々もひどく傷つき、眠りにつかざるを得なくなった。
同時に光神もまた相応に消耗していた。戦いによって力の多くは失われ、力の根源は他の神々の分も含めて地上に散らばった。風神たちほどでは無いにしろ、しばしの休息を必要としていた。
神々は眠りにつく。加護のない時代が地上に訪れ、荒廃した。行き場を失った悪意は混沌となって世界を覆い尽くし、暗い時代が続く。しかしやがて人々は散らばった神々の力の一部をその身に宿し、人類の巻き返しが始まった。
魔法を体系立てて学問とし、構成式と魔素を用いて神と精霊の力の一部を引き出す。だがそれは、世界のバランスを余計に崩しかねないものでもあった。他の神々よりもずっと早くに休息から目覚めた光神は、世界の状態を見て愕然とした。
「――光神は思ったんだ。このままでは世界はいずれ混沌に飲み込まれる。彼女が好きだった世界は壊れてなくなってしまうだろうってね」
闇神の担っていた役割の偉大さを目の当たりにし、深い眠りにつく彼女に畏敬の念を抱く。だからこそ彼は決めた。自分がこの世界を守る、と。
「……光神は闇神の役割も同時に担うことにした。世界中に広がった濃密な悪意を吸い上げて還元する。それは途方も無い苦痛だった。光神としての力もほとんど取り戻せていないのに、二人分の仕事をしようって言うんだからね」
「無謀だな」
「そう思うよ、私も。だが他にやり方をしらなかったのさ、彼は」
とにかく苦痛であった。ただでさえ、百年近く滞って溜まっていた仕事だ。それを慣れない神がこなさなければならない。投げ出しそうになり、しかしそれでも若い光神はこなしていった。
「そうしたある日、光神は人間の体に宿っていると少し楽になることに気づいたんだ」
こうした悪意は果たして、どうやって生み出されているのか。それを観察しようと、たまたま見つけた半死半生の人間の肉体に宿った時に彼は、身を苛んでいた悪意の奔流から少し解放されることを知る。
それは一服の清涼剤。その頃から彼は、度々人の身に降り立っては人間の時のように世界を巡り始めたのだった。
気休めではあるが、光神として、闇神として生き続けるためには適度な休息の意味で必要なことであった。次第に彼も魔素や悪意の扱いにも慣れてきて世界は徐々に安定を取り戻し始めていた。
崩れたバランスを維持し、世界を混沌から守る。悪意が流れ込んできてももう、彼は何も感じなくなってきていた。
(……ん?)
キーリは教皇の話にわずかばかりの違和感を覚えた。だがその正体を突き止められない。
「その時の彼の満足感と言ったら無かったね。これで彼女がいつ目覚めても、彼女の負担を肩代わりできる。もう憂いはないと思った」
「ならば何故世界を滅ぼそうと考えたか。そのあたりの話に興味はありはしますけれどもいい加減長話が過ぎますわ」
クルエ謹製の体力・魔素の回復薬も飲み終え、十分に回復したアリエスたちが立ち上がる。後ろでも、イーシュの治療を終えたキーリとシオンが一息ついていた。
「もう良いのかな?」
「ああ、おかげさまでな」
イーシュの体が影に吸い込まれていき、戦いの準備が終わる。軽妙な語り口に、敵ながらつい聞き入ってしまったが回復も終えた以上それもこれまで。
「いやはや。ご指摘の通りだ。どうやら私も思いのほか、自分語りが好きだったらしい。ここから先は――戦いながらとしようか。
ところで、先程から探していたようだけど、彼女は見つかったかい?」
突如話を振られ、キーリはやや顔をしかめて首を横に振った。
「バレてたか」
「私も魔素に関しては一家言あってね。治療中も影を通じて意識を方々に飛ばしていたのは感じ取っていたよ。
それで、どうだったかな?」
「いや……どうやらアンタがご執心のお姫様はよっぽど捕まりたくないらしいぜ」
「そうかい? なら気合を入れて探さないといけないだろうね」
会話を交わしながらもキーリたちは戦闘体勢を取っていく。フィアの剣に炎が煌々と宿り、キーリが漆黒の剣を握る。アリエスは愛用のエストックを構えて周囲を凍えさせる冷気を纏う。彼らの前に立ったレイスの髪が風に揺れ、最奥でシオンが鋭く教皇を捉えて動きの一つを見逃すまいとする。
教皇は両腕を左右に広げた。穏やかな微笑みを顔に乗せたまま、鷹揚な仕草で一度頷いてみせた。
「さあ、君らの方から来たまえ。この世界を救うつもりがあるのならね」
お読み頂きありがとうございました。
引き続きお付き合い宜しくお願い致します<(_ _)><(_ _)>




