8-12. 英雄は地の底で命を削る(その12)
初稿:19/12/11
<<<登場人物紹介>>>
キーリ:主人公。英雄殺しに人生を賭ける。
フィア:レディストリニア王国女王。翻弄される人生を乗り越えた。
アリエス:帝国貴族。パーティの万能剣士。
シオン:パーティのリーダーを拝命。後方から仲間を支援する。
レイス:フィアに仕えるメイド。いつだって冷静沈着。
ギース:パーティの斥候役。口は悪いが根は仲間思い。
カレン:矢のスペシャリスト。キーリと同じ転生者。
イーシュ:パーティの盾役。その防御を突破するのは英雄でも困難。
クルエ:元英雄。キーリたちを優しく導く。
フラン:元英雄で教皇の下で色々動いている。自分本位で他人を精神的にいたぶるのが好き。
エレン:元英雄。フランの双子の妹で、元々養成学校時代にはキーリたちの同級生だった。
「……っ」
「フランっ!?」
カレンが口元を押さえ、クルエが叫んだ。
アンジェリカたちが言葉もなく唖然とする中でずりゅ、と粘着質な音を立てて、突き出した腕が引き抜かれた。
引っ張られて倒れるフランの体。仰向けになったそれが、溢れた血の中でペシャリと鳴った。瞳の光が徐々に消えていき、苦しいのか口が微かに動く。ぽっかりと空いた空洞をどこまでも続きそうな天井に向けて晒し、フランという人間を作り上げていたものが止めどなく流れ落ちた。
「はぁ、はぁ、はぁ……!」
フランという覆っていた存在がいなくなると背後にいたエレンの姿が顕わになった。真っ赤に染まったその左手の上には、生まれて以来自身の半身であると信じ続けていたはずの姉の心臓がまだ弱々しく脈打っていた。
まだ、生きている。伝わってくる鼓動に気づくと、その顔を恐怖と憎悪に歪ませた。
左手に力を入れる。すると心臓は呆気なく潰れた。肉の塊となった。あまりの呆気なさに、当人であるエレンも呆然とし、そして次第に憤怒が恐怖へと置き換えられていく。
「うわああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっ!!!!!!!」
頭を抱えて絶叫。美しかった金色の髪を血で赤く染め上げ、彼女は両腕をフランの頭部へと叩きつけた。
砕ける姉の頭。皮膚が破れ、中身が弾ける。エレンは狂ったように――いや、狂ったか――何度も己の拳を姉の残骸に叩きつけた。
念入りに、何も残らないように潰す。押し潰し、磨り潰し、練り潰す。そうして最早固形物ではなくなっても、エレンは拳を叩きつけ続けた。
それを続けていたエレンの動きが、突然ピタリと止まった。肩で息をしながら赤い血溜まりとなった場所を見下ろす。瞳に映るのは赤。やがて、その瞳が僅かに右にずれた。
まっすぐ仰向けで倒れたままの胴体。心臓だけに孔が空き、しかしそれ以外はキレイなままだ。熱と衝動に侵されたエレンの頭は、それを見て「なんだっけ?」とぼんやりし、だがすぐに自らが壊した姉の体であると理解した。
「……ああ、そうだ」
姉は壊したんだった。だったら――
エレンは徐ろに自身の膝下を見下ろした。
そして。
「ひっ――!」
カレンからくぐもった悲鳴が上がった。思わず後ずさり、耐えきれずに胃の中の物を吐き出した。
エレンは、姉を吸っていた。フランの顔があった場所に自身の顔を突っ込んで血を啜っていく。じゅるじゅると音を立て、肉の破片を飲み込み、咀嚼する。真っ赤に口元を汚しながらモンスターが獲物を食べ尽くすように乱暴に、しかし丹念に喰らい、舐め取っていった。
「……あは」
エレンの上半身が起き上がった。肩を上下に揺らし始め、彼女のまぶたと口が天井に向かって大きく開かれた。
「あはははははははははははははははははははははははははは――!!」
不気味な哄笑が反響する。息継ぎを忘れたように途切れなくエレンは笑い続け、それは、聞いてる者の臓腑まで震わせるかの様なおぞましさを孕んでいた。
「――いよいよ壊れたようね、エレン」
吐き捨てるような声色でアンジェが話しかけると、エレンの口からピタリと笑い声が止まった。
「そうだね、壊れちゃったみたい。ま、しかたないよね? 形あるものはいつか壊れるって決まってるし」
「テメェ……自分の姉ちゃん殺しといてその言い草か。つくづく狂ってんなぁ、おい」
「何を言ってるのさ?」
ギースのこめかみを冷や汗が流れながらも、エレンを揶揄してごまかす。だが、返ってきたのは不思議そうな声だ。
「フランは死んでないよ?」
「はあ? テメェこそ何言ってやがる? ならテメェの足元に転がってる――」
「おやおやぁ? 私がどうしたって言うのかな?」
人を心底嘲るような口調。肩を竦め、ケタケタと笑う。
振り返る。目は大きく見開かれ、歯をむき出しにして醜悪な笑顔。真っ赤に口元が汚れているが顔立ちはもちろん、その表情、仕草の細部に至る全てがフランそのものだった。先程まで相対していたアンジェでさえ、そこにフランとエレンの違いを見出すことは難しい。
「ひどいなぁ。勝手に殺しちゃうなんて。キミらごときザコに殺されてあげられるような存在じゃないんだよ、私はさぁ」
「……さすが双子といったところかしらね? 何もかも、真似しようと思えばお手の物ね」
「違うよ、アンジェ」
エレンの表情ががらりと、まるで紙芝居の紙をめくったように一転した。
「……何が違うのよ?」
穏やかな瞳とその奥に宿る狂気。微かに口元を緩めてエレンが落ち着いた口調で話し始めていく。
「さっきも言ったように、フランは死んでないんだよ?」
「そう。私たちはずっと一緒なのさ」
「ボクたちは二人で一人」
「だから私たちは死なない」
「どちらかの入れ物が壊れたって」
「どちらかが残っていればどちらも生き続ける」
「どちらも壊れるまで――ボクらは決して終わりはしないのさ」
次々と表情と口調が入れ替わりながら喋り続けるエレン。カレンには本当にフランとエレンの二人が交互に喋っているようにしか思えなかった。一人の人間が、人格が、ここまで他者を真似ることができるのか。
いや、ひょっとしたらフランを食ったあの瞬間にエレンはフランという人間を取り込んだのではないか。カレンは魂の存在だとかそういった類の信仰を信じる性分ではないが、目の前のエレンを見ているとそんな宗教に入信してしまいそうだった。
「――エレン」
「なに、クルエ?」
「君は……フランになりたかったんですか?」
悲しげな色を瞳に浮かべてクルエは尋ねた。声はわずかにかすれて苦しそう。それでも彼は問いかけずにいられなかった。
けれどもその心は彼女に伝わることはない。エレンは首を傾げるばかりだ。
「んー、フランになりたいわけじゃないよ? ていうか、なりたいもなにも、ボクはフランだから」
「無駄よ、エレン。こいつらの頭じゃ私たちのことなんて何一つ理解できるはずがないもん」
フランの顔でケラケラと笑う。だが右目からは先程から涙が流れていた。そしてそれにエレンも気づいていない。
「ならばエレン……一つ教えて下さい」
「いいよ? なにかな?」
「君は今――幸せですか?」
エレンの表情が固まった。しかしそれも一瞬。ニヘラ、と彼女は笑った。
「――うん、幸せだよ」
「そう、ですか……」
「でもね、ボクはもっと幸せになりたいんだ」
涙を流すエレンの周囲が光り輝き始める。全身から淡い光が立ち上り、周囲をおびただしい数の大小入り混じった魔法陣が埋め尽くしていく。
「もっと褒めてもらいたいんだ」
「ええ、そう。そうしたらもっともっと私たちは幸せになれるもの」
「だからさ、ボクはクルエ先生の事も、ギースもカレンも昔から嫌いじゃないけどさ――死んでよ」
「跳びなさいっ!!」
エレンの顔から表情が消えるとほぼ同時に、何かを感じ取ったアンジェリカが叫んだ。
彼女にしては珍しく焦りが浮かんでいた。同じく異変を感じていたカレンたちは、鋭いその声色に押されて反射的に纏う魔素量を上げて飛び退こうとした。
だが。
「壁がっ!?」
地面から迫り上がった分厚い壁が彼女らの行く手を遮った。さらに彼女らの周囲を真っ白な光を放つ炎が包み込んでいき、あらゆる物を白く染め上げる程に光量が増していく。
「無駄だよ」
そうエレンがうそぶいた。増していく光に反射して白く輝く彼女の右の瞳。
その中に、アンジェリカは赤白い紋様を認めた。
「炎神の聖痕……っ!?」
「そう。
アンジェ――燃え尽きてくれる?」
増大していく熱量と対比するように短く放たれた冷徹な言葉。
次の瞬間、火柱が真っ直ぐに天井を貫いた。
「アンジェリカ様っ!?」
「っ……! アンジェ姉ちゃんっ!?」
その莫大な熱量は、離れた場所で戦い続けていたアトたちにも襲いかかっていく。いち早く立ち塞がったゴードンによってなんとか影響は抑えられたが、吹き荒ぶ風が熱風となって汗を蒸発させていく。
やがて光が収まると共に風が止み、白く立ち込めた水蒸気と埃が少しずつ晴れていく。
エレンは穏やかな笑みを浮かべてアンジェたちが立っていた場所を見つめていた。
回避行動は認められなかった。ならば消し飛んだか、そうでなくても相応にダメージは入っているはず。そうエレンは確信していたが、晴れていく煙の中のシルエットが次第に明らかになっていき、彼女は眉をひそめた。
「――正直、本気で今のは危なかったわ」
ハッキリと声がする。
アンジェは立っていた。聖杖を地面に突き立て、両手を重ねて前に突き出した体勢で耐えていた。彼女のまとう白いドレスにもスス一つ付いておらず、エレンの攻撃が炸裂する前と何ら様相は変わっていなかった。
「っ……」
彼女だけではない。クルエもギースもカレンも、火柱の中にいた四人全員がその場に生き残っていた。四人が前後左右で背中合わせになり、アンジェと同じ様に両手を前に突き出している。四人とも全身から淡い光を発して、周囲の柱に取り付けられていた光源が喪失した中でもその姿をはっきり確認することができる。
ギースとカレンの手からは白煙こそ上がっているが、それでも軽傷だ。
「無事ですか、皆さん?」
「ああ。シリルフェリアだったか。くっそ気に入らねぇ女だったが、今だけは感謝してやるよ」
「どうして……? どうしてどうしてどうしてどうしてっ!」エレンの顔が憤怒とも悲しみともつかない表情に歪んだ。「なんでやられてくれないのっ!? なんでなんでなんでっ!? ボクはフランと一つになったんだ! だから……だから今のボクはアンジェやクルエより――」
「ええ。強いんでしょうね」
まるでフランがそうするかのように癇癪を起こして地団駄を踏み叫ぶエレン。彼女のその様を見つめながらアンジェは突き刺した錫杖を引き抜く。
「エレン。貴女の言う通り私一人だったら危険な程にダメージは負ってたでしょうね。けれど――四人がかりなら防ぐのもそう難しいことじゃなかったわ」
アンジェとクルエの英雄二人に、風神の加護を受けたギースとカレン。四人の実力が合わされば、エレンに対抗することはそう難しいことではない。
「単純な実力で言えば、きっと貴女は英雄と呼ばれた私たちの中でも一番。誰よりも才能に恵まれていた」
「そうだよっ! だからボクがお前らなんかに劣ってるはずが――」
「けれど貴女はいつだって一人だった」
アンジェの瞳に憐憫が一瞬浮かび、しかしすぐに消え去る。後ろに立つクルエたちを一瞥し、真一文字だった唇が微かに弧を描いた。
「共に旅をした仲ではあるけれど、貴女の世界の中心には常にフランしかいなかったのでしょうね。フランの機嫌を窺い、フランの一挙手一投足に注意を払い、フランのために動いていた。
もちろん私も似たようなもの。いえ、私だけじゃないか。エルンストだってフリッツだってステファンだって自分のことしか考えていなかった。あくまで私たちは助けてやっている側であり、助けてくれる人がいるなんて、支えてくれる存在があるなんて、想像だにしていなかったわ」
離れたところの戦況に耳を傾ける。
昔から支えてくれていたセリウス。英雄となる前から気にかけてくれていたゴードン。行き場を失った後の旅路でも明るくついてきてくれたアトベルザ。彼らがいるからこそ、アンジェリカは今、再びこの教会の中で脚を地につけている。聖女として生きている間も、誰かがいてくれたから生きていられた。
各地を放浪する少し長い旅路。聖女としてでなく、神に仕える一人の聖職者として、そしてただの人間として各地を周り、聖女として叩き込まれた教えを改めて咀嚼し、その人が受け入れやすい言葉として説いていく。神を称えるためではなく、その日を少しでも前向きに生きられるように。
そうした道のりの中で、彼女は誰かと常に共にあることの意味を理解していた。
「貴女と違って、今の私たちは独りじゃないの。口にするのは面映いのだけれど、背中を預けられる人がいるっていうのは悪い気持ちじゃないわ。とは言っても、所詮背中を気にしなくてもいいって程度だけど。三人揃ってせいぜい私一.五人分くらいの実力かしらね?」
「はは、採点が厳しいですね」
「ちっ、テメェは素直に褒めるってことをしらねぇのか」
「でもなんだろう、アンジェリカさんからそう言われるのって落ち着かないね」
「間違えたわ。三人で一人分だったわ」
「さらに厳しくなったっ!?」
掛け合いを始めた四人を見て、エレンは今度こそ泣きそうに顔を歪めた。彼女の側に、信頼できる相手なんていなかった。アンジェが指摘した通り、エレンには良くも悪くもフランしかいなかった。
涙がにじむ。けれどエレンは目元をグイと袖で拭った。
自身の半身、フラン。同じ顔で同じ体格で共に歩んできた。そして真に二人は一つになった。自分の側にはいつだってどんな時だって彼女がいてくれる。だから自分は独りじゃない。だから自分は、寂しくなんてない。
(だよね、フラン……?)
心の中で呼びかける。待つ。しかし、応答は無かった。
「今となれば貴女の境遇に同情だってしてあげられる。少し前なら手を差し伸べてあげられたでしょう。
けれどもう――機は過ぎ去ってしまったのよ」
だからアンジェは言う。
「ハッキリ言ってあげる。私は貴女を殺す。それが……壊れてしまった貴女へのせめてもの償いよ」
「……何言ってるのか良く分かんないよ、アンジェ。ボクには良く分からない。
だけど……アンジェがボクとフランを引き剥がそうとしてるってのだけは分かるよ。なら――殺ってみろよ」
濃厚な魔素と殺意がエレンから溢れ出す。世界が歪み、やがて光が赤からどす黒い何かに侵食されていく。
アンジェは目を細めた。眉間に一瞬シワを寄せ、だが瞑目した後に鋭い眼差しでエレンの白から黒に変わっていく聖痕を睨みつけた。
杖を握る。砕けそうな程に。けれどもアンジェは何も発せず、エレンに向かって床を力強く蹴ったのだった。
お読み頂きありがとうございました。
引き続きお付き合い宜しくお願い致します<(_ _)><(_ _)>




