9-4 迷宮探索試験にて(その4)
第30話です。
宜しくお願いします。
<<主要登場人物>>
キーリ:本作主人公。スフォン冒険者養成学校一回生。成績も良く、運動系の能力は非常に高い。欠点は魔法の才能が絶望的にないこととイケメンを台無しにする目つきの悪さ。転生前は大学生で、独自の魔法理論を構築している。
フィア:赤い髪が特徴で、キーリのクラスメイト。ショタコンで可愛い男の子に悶える癖がある。キーリに剣の指導を施す程達者だが魔法もそれなりに使いこなす。勉強はできるが机に座っているのが苦手。
シオン:冒険者養成学校一回生で、魔法科所属。実家はスフォンの平民街で食堂を経営しており、日々母親のお手伝いをする頑張りやさん。
レイス:メイド服+眼鏡の無表情少女。フィアに全てを捧げるフィアの為のメイドさん。キーリ達の同級生でもある。
一方で、キーリからカイルを任されたシオンは再び回復魔法を詠唱した。
優しい光が全身を包み込み、頭部から続いていた出血が止まる。傷が塞がっていくのは分かるが、まだカイルは意識を取り戻さない。
「ど、どうなんだ?」
「分かりません……外傷は治りましたけど、目に見えない体の中の傷にはこの魔法は効果が薄いですから。ただ心臓はキチンと動いてるので最悪の事態は免れたと思います」
「そうか……」
かつては馬鹿にしていたシオンをケビンが不安そうに見上げてくる。そんな彼に向かってシオンは「大丈夫ですよ」と笑いかけた。
「万が一体の中に傷があったとしてもギルドに運び込めばすぐに治りますよ。あそこには僕なんかよりもずっとスゴイ魔法が使えるベテランの治癒魔法使いの人達がいっぱい居ますから。だから心配しなくても大丈夫です。元気だしてください」
「うん……」
励ますも元気なく項垂れた様子のケビン。友達がこんな状態なら当然だよね、とシオンはそっと彼の傍を離れた。壁際に置いていた自分の荷物入れの中から、クルエが作った魔法薬の丸薬を取り出して口に含むと水で一気に流し込んだ。
味の一切を度外視したその薬はとても噛んだり舌で溶かしたりなどできない。今のように水で一気に流しこむのが最適だが、それでも微かに溶け出した味が口の中いっぱいに広がりシオンは泣きそうなくらいに顔をしかめた。そして治療をした三人の姿を見てシオンはそっと安堵の溜息を吐いた。
上手く魔法が使えてよかった。シオンは低い天井を仰ぎ、もう一度深く息を吐き出した。
キーリ達を驚かせようとこっそりと得意な回復魔法の練習を積んでいたが、こういった切羽詰まった状況で使うのは当然初めてだ。あの時は無我夢中で何が何でも助けないと、と必死だったが良く制御も乱さず使いこなせたと思う。努力しても今まで認められることは少なかったけれども、努力を重ねて良かった、とシオンは一人喜びを噛み締めた。
これでケビン達を見返すことができただろうか、と考えて少し頬がほころぶ。しかしその感情が、弱っている彼らよりも優位に立てた、自分を馬鹿にしていた彼らを見下しているといった負の感情に立脚している事に気づくと表情が曇る。
困っている人が居たら助けてあげなさい。そして決して見返りを求めてはいけない。亡き父と、今も食堂で頑張っている母から幼いころから折に触れて言われていた言葉だ。
人はそれぞれ得意不得意はあるけれど、人という存在は別の誰かよりも偉いわけではなく同じである。立場や身分によって上下はあっても決して存在自体が上に居るわけではない。だから将来出世して人の上に立つことになっても、人を見下した態度を取ってはいけない。その瞬間に人は落ちぶれてしまうのだから。
それは全く現実を無視した理想論では有るのだが、自分を律する言葉としてシオンに根付いていた――つもりだった。
だがつい先程、無意識にこみ上げてきたのは昏い感情だ。嘲られてきた自分が彼らを嘲る。役立たずと罵られた自分が彼らを救う。それのなんと気持ちの良いことか。「見たか、お前らは僕以下なんだよ!」シオンの胸の奥底で何者かが喝采を叫んでいる。自覚する程に声が大きくなってくるような気がして、シオンは落ち込んだ。
「ダメな奴だなぁ、僕は……」
「どうしたんだ、そんなに落ち込んで?」
急に背後から掛けられた声にシオンはビクリと体を震わせて振り返る。すると、そこには少し疲れた様子のフィアとレイスが居た。
「いえ、何でもないです。ちょっと魔法薬の味について思うところがありまして」
「ああ、クルエのアレか……一度飲まされたがアレは、な」
「一度クルエ様はご自身の薬の味について本気で改善に取り組むべきかと愚考します」
「それなんですが……クルエ先生はどうもあの味について特に不味いと思ってないみたいです」
「……本気で言ってるのか?」
「はい……非常に残念ながら。効果はスゴイんですけどね。この間研究室に行ったんですけど、あの人、疲れたら日常的に薬を齧ってるみたいですよ」
「狂ってるな」
「味覚が死んでるんでしょうね」
「本格的な治療が必要なのではないでしょうか?」
クルエに対して三人で言いたい放題していたが、フィア達と会話している事が意味することにようやく思い至った。
「あれ? フィアさん達がここに居るって事は……」
「モンスター達か? 何とか殲滅出来たぞ。一匹一匹は大したこと無いがやはりアレだけの数を相手にするのは骨が折れる。狭い迷宮の中だったから良かったが、広い草原とかであれば囲まれてやられてしまっていたかもしれんな」
「それを考慮しても無傷で全滅できてしまう皆さんはとんでもないと思うんですけど……」
「私達だけでは無かったからな。それぞれが全力を尽くした結果だ」
そんな話をしていると、奥の方から一緒に戦闘にあたっていた冒険者が歩み寄ってくる。まだ年若い冒険者で革鎧のアチコチに傷があり、かすり傷も多く見えるが彼も見た限り大きな怪我はしていなさそうだ。
「一緒に戦ってくれたのは君たちのパーティだね?」
「はい、そうですが」
「そうか。いや、一言礼を伝えたくてね。君らが来てくれたお陰で何とか切り抜けることが出来た。感謝するよ」
「当然の事をしたまでです。本来ならば他の生徒の手助けはすべきでは無かったのでしょうが……」
「ああ、流石にアレは想定外だったよ。……というか、オレよりもよっぽど君らの方が強かったし敵を倒していた。冒険者の先輩として恥ずかしい話だな」
顔には笑みを浮かべているがやはり先達として思うところがあり、何処か気落ちしているようだ。頭を掻き、しかし後輩に漏らすべき話では無いと頭を振って気持ちを切り替える。この切り替えの速さは冒険者ならでは、といったところか。
「ともかく、一応確認するけれど君らに大きな怪我は無くて試験を続けられるということでいいかい?」
「はい。私達は大丈夫ですが、彼らは……」
言いながらフィアはチラリとケビン達を見る。怪我は治したが、ケビンはともかくカイルはまだ眼を覚ます様子は無い。探索の続行は難しい、というよりもカイルは早く街の治癒魔法使いの元へ運ぶべきだとシオンは主張した。
「そうだな。彼らはここで引き返してもらう事になる。オレも付き添っていくが、君らもこれから先は十分気をつけるんだ。無理ならすぐに引き返せ」
「そうですね。クルエ先生にも同じことを言われましたし、慎重に判断しながら進みます」
フィアの返事に冒険者の男は頷き、そしてカイルを背負い、残った三人を引き連れて出口の方へと引き返していく。
だが、その前にケビンが俯きながらシオンの方へ近づいてきた。下唇を噛み締め、深く思い悩んでいる様子だがシオンの前に立つと視線を地面とシオンの間で何度か行き来させる。
そうしているとフィアと視線が合った。だがフィアは何も言わない。睨むでもなく、じっとケビンの眼を見つめるばかりだ。
やがてケビンは意を決してシオンの顔をまっすぐ見た。
「その……悪かったな、今までお前を馬鹿にして」
「え? あ、えっと……」
ケビンはシオンに向かって謝罪を口にした。予想外の謝罪にシオンは面食らい、何を言うべきか戸惑う。
「今までいっぱい失礼な事言ったけど、全部撤回するよ。お前、凄い奴だ。攻撃魔法は使えねぇかもしれないけど……俺なんかよりずっと凄かった。お前が居なかったら、俺らもっと大怪我してたと思う。だから、その、ゴメンな。もう馬鹿にしないよ」
「ケビンさん……」
ただ立ち尽くし、しかし真摯なその言葉がシオンの中にスッと染みこんでいった。
シオンの胸に熱いものがこみ上げてくる。グッと胸が詰まり、しこりのような重いつっかえが取り払われていく。入学してからのずっと辛かった思い出が瞬く間に頭の中を流れていき、それが押し流されて消えていった。心の中で湧き上がるのは自分自身の存在を認められたという喜びと、学校を辞めなくて良かった、頑張って良かったという嬉しさだ。シオンの顔に自然と穏やかな笑みが広がっていく。
「え――」
それと同時に熱い雫が頬に流れ落ちていく。拭っても拭っても次々と零れ落ち、留まるところを知らない。そんなシオンをレイスは微かに微笑み、フィアはシオンの肩を叩いて抱き寄せる。
「良かったな、シオン」
「はい……はいっ……良か、ったで、す」
泣きじゃくるシオンの頭を撫でるフィア。その眼はとても優しく、温かい。
そんなフィアに対してもケビンは謝罪を口にした。
「アンタにも、失礼な事を言ったな。申し訳なかったよ」
「私は気にしてないさ。それよりもシオンに謝ってくれた事の方がよっぽど嬉しい」
「それでも謝らせてくれよ。じゃないと何ていうか、情けない男のままな気がするんだ」
「ならば今の言葉で私は十分だ。それよりも、これからもシオンと仲良くしてくれればいいさ。まだまだ魔法科はシオンにとって居心地の良い場所ではないだろうが、少しでも過しやすい場所になってくれればいいからな」
「ああ、ちっぽけな地方貴族の息子なんかにどれだけの事が出来るか分かんねぇけど、努力してみる」
それじゃあな。
ケビン達は冒険者に連れられ、シオンに手を上げて別れを告げる。シオンも涙で濡れた顔を上げ、嬉しそうに微笑みながら大きく手を振って応えた。
やがて彼らの後ろ姿が見えなくなり手を下ろす。それでもシオンは何処か満足そうに彼らの消えた方を見つめ続けていた。
「――さて、それじゃ私達も進もうか」
「そうです、ね。今の戦闘で結構時間を取ってしまいましたし」
「ところで、キーリ様の姿が見えないようですが、どちらに行かれたのですか?」
「あ、キーリさんなら――」
「俺ならここだぜ」
不意に聞こえてきた声に全員が振り向くと、穴の縁に手を掛けて頭だけを出しているキーリが居た。
キーリは「よっ!」という掛け声と共に穴から這い出ると、軽く息を吐き出して肩を回して体を解す。その表情は満足気だ。しかしそのキーリの姿を見るとフィアは盛大に、レイスとシオンは僅かに顔を顰めて鼻を抑えた。
「なんだその格好は? それにかなり臭いぞ?」
キーリの全身は紫の液体に塗れていた。銀色の髪は完全に染まり、鎧はおろかその下に着ているシャツは、最初はグレーだったにも関わらず今は全く別の色に変わってしまっていた。濡れた髪の先からは粘り気のある液体が糸を引きながら滴り落ちている。匂いもかなりの悪臭だ。狭い通路内にあっという間に充満してとても手を鼻から離したくなどない。
「ああ、わりぃわりぃ。今綺麗にするわ」
バツが悪そうに苦笑いを浮かべるとキーリは水神魔法を発動させた。掌からチョロチョロと水が流れ始めて頭から洗い流し、その他の汚れている手足などを軽く擦って綺麗にしていく。
「……第五級魔法ではありますけど、ただの水をそんなにいっぱい作り出す人を始めて見ました」
「こんくらいしかまともな使い道ねーしな。どうせ魔力だけは余ってんだし有効活用だよ有効活用」
まるで自宅でシャワーを浴びているかのようにふんだんに魔力を用いて体を洗っていくキーリ。程なく洗い終わり、顔に張り付いた前髪を掻き上げるとブルブルと頭を振って飛沫を吹き飛ばしていくが、当然そんな事をすれば周りにも飛び散るわけであり――
「こ、コラ! ヤメろ! こっちまで濡れるじゃないか!」
「へへ、気持ちいいだろ?」
いたずらが成功した少年らしくいたずらに笑い、フィアは呆れて溜息を漏らした。
「まったく、お前という奴は……そんな穴の中で何をしてたんだ?」
「この下にもモンスターが居たんでな。ちょっち遊んできたんだよ」
そう言って右手に巻きつけられた白い糸の塊を掲げて見せた。
「それは……」
「もしかして、ダンジョンスパイダーの糸でしょうか?」
「あ? ああ、まーな。後ろから襲われても面白くねーし、フィア達の方はフィア達だけでカタが付きそうだったしちょっち片付けてきたってわけだ。大量に糸も吐いてくれたし、後でギルドに売ればそこそこの値段で買い取ってくれっかなってな」
本当はジャイアントスパイダーなのだが、わざわざDランク上位のモンスターが居たなどと言って心配の種を増やす必要もないだろう。一瞬言葉に詰まったが、キーリはそう考えて否定はしなかった。とはいえ、後でクルエやオットマーにはキチンと報告はするつもりだが。
「さっきの汚れはダンジョンスパイダーを倒した時に被った体液だったか」
「そ。剣は壊れちまったから手で直接叩き潰してたからな。おかげでクセェ液を浴びる浴びる。途中から完全に嗅覚が麻痺してたぜ」
「そうだろうな。さっきよりはマシだが、まだ臭うからな。当分私に近付かないでくれ」
「私にも決して寄らないでください」
「僕も」
「お前ら……」
青筋を立ててコメカミを抑えるキーリだが、怒っても詮無いことだ、と頭を切り替える。
「そういやアイツらは?」
「冒険者の方と一緒に出口に向かったよ。シオンと私にもキチンと謝罪をしてな」
「そっか。それでシオンの顔がそんなに晴れやかなんだな」
「え? そんな顔してますか?」
「ああ、全ッ然違うぜ。前が別に思いつめてた顔してたわけじゃねーけど、なんつーか、憑き物が落ちたって言や良いのかね? ともかくそんな印象を受けるぜ」
ともあれ、良かったな。そう付け加えるとキーリはシオンの頭に手を当ててワシャワシャと少々乱暴に撫でた。少々痛いその洗礼がシオンには心地よかった。
「さ、んじゃとっとと先に進もうぜ」
「そうだな。もう最深部まであと少しだし、同じようにモンスター達に遭遇しない内に早く脱出してしまおう」
キーリとフィアの言葉を合図に四人は更に奥へと進んでいく。これまでよりも幾分進む速度は速く、しかし全員がそれに気づいていながらも指摘することはない。問題の一つは片付いたかもしれないが、明らかに今の迷宮の状況は異常だった。
フィアは歩きながらキーリの横に並び、レイスやシオンに気づかれないように声を潜めて話しかけた。
「……私の勘違いならば良いのだが」
「どうした?」
「先ほどの糸、もしかしてダンジョンスパイダーではなく、全く別のものではないか?」
「……ご名答」
キーリはフィアの鋭さに思わず苦笑いを浮かべた。
「よく分かったな?」
「前にギルドでダンジョンスパイダーの糸をたまたま見たことがあってな。奴らはそんな太い糸を吐かないはずだと思って聞いてみたんだが……
本当は何の糸だったんだ?」
フィアの質問にキーリはレイスとシオンの様子を伺い、自分達の方に意識が向いていないことを確認すると一層声を潜めた。
「……ジャイアントスパイダーだった」
「じゃいあ……!」
「フィア」
出てきたモンスターの名前に、フィアは思わず大きな声を上げかけてしまいキーリから睨まれる。
「すまない、まさかそんなモンスターがここに居るとは思わなくて……」
「まあ気持ちは分かる。どう考えてもこの迷宮に居て良いようなモンスターじゃねぇしな」
「だが、その、疑うわけでは無いのだが、本当なのか? 暗くて見間違えた、とかいう事は――」
「無いな」キーリはハッキリと断言した。「俺がこの手でぶっ潰したんだし、仮にジャイアントスパイダーじゃなくてもあんな、俺ら四人を合わせたよりも体格のデケェモンスターがいる時点で大問題だよ」
「それもそうか……」
フィアは言葉を噤み、歩きながら後ろを振り返った。
四人で駆逐した大量のモンスターはすでに魔力となって迷宮に吸収された。人間に駆逐され、迷宮の栄養と成ってまた人間の前にモンスターが立ちはだかる。そうして何十、何百年もの間巡ってきた。少しずつ成長、或いは衰退する様はまさに「生き物」だ。だが今、モンスターを基準に判断するならばこの迷宮は明らかに急成長している。ランクEどころかD、もしかするとCにまで達しようとしているのかもしれない。
そんな場所に、まだ学生で経験も浅い自分達が入り込んでいるという事実にフィアは寒気を覚えた。
「……急ごう。この迷宮は明らかにおかしい」
「ああ、俺もそう思う。余りにも事前に聞いてた話と違いすぎる。
――ヘタしたらとんでもねー奴が出てきかねねぇな」
途端に増した居心地の悪さに、フィアとキーリは揃って足並みを速めていった。
2017/5/7 改稿
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