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1-3 森の中にて(その3)

 第3話です。

 よろしくお願いします。





 幾つもの家からは火の手が上がっていた。普段は草木の薫りで満ちた広場は、今は鉄錆びの匂いが鼻を突き、全身にまとわり付く。吸い込んだ端から臓腑を腐らせていきそうな腐臭が満ち満ちていた。

 ―― 一体、何が。

 キーリは立ち尽くす。かつてテレビで見た戦場、或いは大規模な天災によって創りだされた地獄のようだ。まるで現実では無いかの様。だが、キーリの前にあるそれは、紛れもなく圧倒的な存在感を持つ現実だった。


「キーリ……!」


 隣で同じく呆けていたユーミルがキーリの腕を引き寄せ、切羽詰まった声を上げる。我に返ると、目の前には鈍色に輝く鎧を纏った男が立っていた。


「おんやぁ……? ここにも魔物が居ましたか……」


 背後で立ち上る火の手で逆光となり、キーリからは男の顔はよく見えない。しかし狐の様に細い目と嬉しそうに弧を描く口元、そしてあちこちに飛び散った返り血で鎧が汚れているのが分かった。


「神の名の元、子どもとは言え魔物は全て殲滅しなければなりませんねぇ……! ああ、嘆かわしいですがこれも私に授けられた役目! ええ、全うしてみせましょう!!」


 心底、楽しそうに。

 男は笑った。それだけで、神の意志を口にしながらも殺戮を楽しんでいる事がわかる。

 それだけに、その余りにも狂った雰囲気に、キーリは飲み込まれて脚を竦ませて動けなくなった。殺される。それを朧気に理解しながらもキーリは避けるという思考が出来ずにいた。

 男の手にあった剣が振り上げられ、そしてキーリとユーミルに向かって振り下ろされる。その直前。


「キーリィィィィィッ!!」


 地面が震える様な声がキーリを呼び、次いで目の前の地面が爆ぜた。弾け飛んだ土や草が舞い上がり、しかしそこに立っていたはずの男の姿は何処にも無い。

 代わりに立っていたのは――


「ルディ……!」

「大丈夫かよ、キーリ。ユーミルも怪我ぁないか?」


 彼の育て親であるルディであった。右腕にはルディの巨体を上回る程の巨大な石刀が握られ、それを軽々と肩に担いでキーリを気遣う。頼れる背中に守られ、これで大丈夫、と安堵の気持ちが広がっていく。だが振り返った彼の顔を見てキーリの表情が焦りに染まった。


「ルディ、その怪我……!」

「あぁ? ンなもん大した傷じゃねぇよ」


 彼の右目は刀傷で激しく傷つき、夥しい血液が顔半分を朱く染めていた。だがルディは乱暴に血を拭うと安心させるように軽く笑い飛ばしてみせる。


「おや、先ほどの一撃で仕留めたつもりだったのですが」

「あの程度で鬼人族の男がやられっかよ」


 空に翔んでルディの一撃をかわした鎧の男が頭上から不服そうな声を上げ、ルディも軽口で応戦してみせる。だがキーリには分かった。ルディの左腕の指が、小さく震えていた事に。


「まあいいでしょう。次で――殺すからな」


 優男風だった鎧の男の雰囲気が変わる。余程一撃で仕留めきれなかったのが不満らしい。そう考えながらルディは、男から片時も眼を離さないまま背後に居るキーリとユーミルに話しかける。


「キーリ。ユーミルを連れて直ぐにここから逃げろ」


 キーリはルディが何を言っているのか分からなかった。しかし遅れて理解が追いつき、湧き上がった感情のままに叫んだ。


「い、いやだ! 絶対に嫌だ! ルディと一緒に居る! そうだ! エル! エルは……? エルは大丈夫なの!?」

「……あぁ、アイツも大丈夫だ。アイツもどっかで体を張ってるはずだ。だから今のうちにお前は逃げるんだ。いいな?」

「嫌だ! エルを探してルディと一緒に逃げる! だから……」

「逃げろって言ってんだよ、クソガキがぁっ!!」


 だがそんなキーリに返ってきたのはルディの怒鳴り声。彼は村の人間には直ぐ怒鳴りつけるが、キーリには決して怒りをぶつけなかった。だから、それはキーリが彼の息子となって初めてキーリ自身に向けられた怒りだった。


「……頼むぜ、キーリよぉ。俺にこれ以上お前を怒鳴りつけさせねぇでくれ」

「ルディ……」

「短い間で、大して愛情注いでやれなかったけどよ……愛してるぜ、キーリ」


 それは決意の言葉だ。ルディはこの村での最強。単純な膂力で比べれば誰にだって負けない自信はある。だが、目の前の男の実力はルディよりも遥かに上だ。それでも――ルディにだって意地がある。

 その想いをキーリは理解した。彼の愛情を理解した。そして彼の覚悟を理解した。故に言葉にならない想いが涙と成ってキーリの頬を止め処無く流れ落ちる。

 キーリはルディに背を向けてユーミルの腕を引いて走り出す。戸惑っていたユーミルも震えるキーリの腕に気付き、素直に彼に付き従った。

 だが――


「逃げられると思って?」


 キーリの耳を穿った女の言葉の直後。光るものが何処からか飛来してキーリたちの足元にぶつかり、爆風が幼い二人の体を吹き飛ばした。


「うああああああああっっ!?」

「きゃああああああっ!!」

「キーリっ!?」

「余所見とは、舐められたものですね」


 爆発音とキーリたちの悲鳴に思わずルディの注意が逸れる。その隙に鎧の男がルディに肉薄し白刃を奮った。


「くそがぁぁぁっ!!」


 褐色の肉体に剣が届くその間際、膂力にものを言わせて奮ったルディの石剣が弾く。だが男は剣戟を囮に、無手の左腕をルディの腹部に向け、そこから爆炎がほとばしってルディの巨体が大きく吹き飛んだ。


「なに……?」


 勝利を確信した男だったが、口から漏れたのは戸惑いだった。

 ルディはまだ立っていた。熱せられた全身から煙が立ち上り、しかし膝を折らずキーリたちの前に立ち塞がる。


「しぶとい奴だ」

「本当にね。そっちの子どもたちも」男の呟きに答えながら、背後から黒い魔導ローブに身を纏った少女が姿を現した。「直撃させたと思ったのだけれど、そっちの女の子が直前に私の魔法に気づいたみたい。勘のいい子だわ」


 少女は微笑む。その視線の先で、意識を取り戻したキーリが何とか体を起こしていた。


「う、うぅ……」

「キーリ……逃げろ……」


 痛む全身がキーリを苛む。直撃は免れたが、キーリの左腕は折れ、腕全体が酷い火傷を負っていた。頭部からの出血が激しく、顔の左半分が真っ赤に染まっていた。

 意識は虚ろ、視界は朧気。それでもキーリは立ち上がった。横ではユーミルが意識を失い、キーリと同じく火傷や切り傷で重傷を負っている。呼吸は浅く、このままでは危ない。


(脚は……動く)


 それだけを確認するとキーリはよろよろと歩き、ユーミルを背負った。

 だが――


「逃さないって言ったでしょ?」


 少女は嗤った。同時、鎧の男がルディに向かって駆けていき、動きを牽制する。その隙に少女の両腕に集まった魔力が形を作っていく。

 それは弓だ。光の弓の弦の部分を引き絞り、そこに光の矢が現れた。少女はその切先をキーリ、そしてユーミルに定めた。


「さようなら、おチビちゃんたち。恨むなら自分達の生まれを恨みなさい」


 矢が放たれる。膨大なエネルギーを内包し、何物も貫く鋭さを持ったそれが二人に高速で迫る。キーリはそれに気づかない。気づいたのは、自分のすぐ傍に迫った時。

 視界が光に押し潰される。今度こそ、死んだ。漠然とキーリはそれを悟った。

 それでも――運命は彼に死を許さなかった。


「……エル?」


 彼の視線の先。そこには――光の矢で腹を貫かれたエルが居た。

 コポリ。エルの口から血が流れ、キーリの右頬に垂れる。


「だ、い……じょうぶ……かい……?」


 途切れ途切れにキーリを気遣う言葉が零れ、キーリが呆然としながらも頷いたのを確認するとエルは力なく笑いかけた。


「そう…かい……そりゃ、よか……った」

「エル……エル……!」

「愛しいキーリ……一人でも、強く、生…きるんだ、よ……」


 血を吐き、腹から夥しく血を流しながら、最後の魔法をエルはキーリに掛けた。

 キーリの体が幾分軽くなる。痛みが微かに和らぎ、背負ったユーミルの重さも少しだけ軽くなる。涙を流しながらもそれを無駄にしないために、キーリは走り出す。そんなキーリを守るようにエルもまた、ルディと同じようにキーリの前に立って両手を広げた。


「……なーんかつまらないわ。まるで私達が悪者みたい」

「はっ……! 何を、言ってんだか。どうみてもテメェらが正義の味方とは思えねぇんだよ」

「まったく、同意だ……ね。こん、な奴らに……キーリを殺させる……わけにはいかないね……!」

「あら、私たちは人族に仇為す魔物を駆逐しているだけよ?」

「おやおや、怖いですねぇ聖女様は。まあ神の名の元では何をしても許されますから」

「……アンタ、喧嘩を売るなら買うわよ?」

「おお怖い怖い」睨みつけてくる少女から視線を逸らしながら、鎧の男は聞き耳を立てた。「そろそろ反対側へ行った連中が戻ってきそうです。下らない茶番は終わらせて、さっさと殲滅させてしまいましょう。そうすれば連中も何も言えないでしょうからね」

「それもそうね」


 二人は揃って頷き合うと、男は剣を振り上げ、少女は両腕に魔力を集中させた。

 その顔は、そっくりの愉悦を浮かべていた。


「……まったくよぉ。クソみてぇな最期だな」

「だ、ね……でも……あの子の……母親に、なれ……てアタ、シは……幸せだったよ」

「俺もだ。それに……アイツを守って、お前と一緒に逝けるってぇんなら悪かねぇな」


 笑い合うルディとエル。今、二人の意思は唯一つ。少しでもキーリが逃げるための時間を稼ぐ事。


「うおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉっっっ!!」


 最期の力を振り絞ってルディが雄叫びを上げ、自身を鼓舞する。鬼気を発し、空気を震わせる。エルも薄れゆく意識の中で唯一使える炎神魔法を拳に纏っていく。


「あの世で会おうぜ、エル」

「あいよ――最高の旦那」


 男達とルディ達。どちらともなく地面を蹴り、ぶつかった。



――この日、一つの種族が滅びた。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 村から逃げ出したキーリは宛もなくさまよった。

 元々枝葉が生い茂り陽の光が届かない森の中。すでに自分が居る場所は分からず、どちらに向かって歩いているのかも分からない。それでもキーリは脚を止めようとしなかった。

 エルによって掛けられた身体能力向上(ブースト)魔法は切れている。小さな背中の上にはユーミルの重みが乗っていて、折れた右腕は痛みさえ感じなくなった。多量の出血はキーリの命を蝕み、思考を奪う。

 それでもキーリは歩き続ける。何も考えておらず、しかし何かが自分を誘導している。そんな気がした。

 やがて森を抜けた。枝葉の隙間から覗く空は瑠璃色となっている。

 そこは少し前にユーミルとやってきた祠だった。全くの暗闇に近いそこで、洞窟の壁に植え付けられた照明石の光が微かに漏れている。


(あそこなら……)


 何とか成るかもしれない。あの男達も追ってこないかもしれない。直感でしかないそれに従い、キーリは洞窟の中を避難場所として定めた。

 洞窟の中は仄かに暖かかった。少し前、まだ元気な時に中に入った時は不気味で何処か薄ら寒くさえあったのに、どういう訳か今は忌避感や嫌悪感は無く、奥へ進むのに抵抗は無かった。

 体力的に限界を迎え、キーリは洞窟の奥へ続く一本道を脚を引き摺りながら進む。そして、奥の広い空間に辿り着いたところで膝から崩れ落ちた。

 受け身さえ取れず、重力に引かれるがままに土の床に倒れる。強かに全身を打ち付けて、しかし痛みや、自身が地面に転がったという感触さえ感じられない。


(ああ……僕は転んだのか)


 視界の向きが変わってしばらくし、ようやくキーリは自分の身に起きた事に気づく。その体勢のまま、自分の横に投げ出されたユーミルの姿を認めると、彼女の顔に向かって手を伸ばす。そこでキーリはようやく気づいた。

 彼女はすでに冷たくなっていた。

 傷ついた体で、だが良く良く見てみれば彼女は何処か満ち足りた顔をしていた。穏やかな寝顔。活発で常に楽しそうに笑顔を浮かべる記憶の中の彼女とは裏腹に、そんな表現が似合うくらいに静かに眠っていた。どうしようもなく、終わっていた。


「なんだよ……」


 つぶやきと共にキーリの視界がぼやける。涙がどうしようもなく溢れてくる。ここまで逃げてきたのは何だったのか。せめてユーミルだけでも助けなければとここに逃げ込んだのは何だったのか。どうして自分じゃなくて彼女が死ななければならなかったのか。


「ユーミルぅ……」


 震える腕で地面の土を掻きむしった。

 自分を守ってくれたルディとエルの姿が甦る。記憶の中の二人の姿は血や泥に塗れていない。ルディは獲物を肩に担ぎ、エルが褒めると仏頂面の中に何処か照れが混じって何とも言えない不細工な表情になる。そんなルディの顔を見てエルは楽しそうに吹き出す。そして二人揃ってキーリの頭をなでてくれた。


「ルディ、エル……」


 そこには家族の姿があった。血は繋がってはいなくとも、誰から見ても恥ずかしくない自慢の家族の姿がそこにあって、ずっと昔から渇望していたものがそこにあって、手に入れたと思って――そして失われてしまった。

 どうしてだろう。幼いキーリの中で疑問が浮かんだ。どうして家族は崩壊してしまったのだろうか。


――ドクン


 答えは決まっている。幼いキーリの顔が生き疲れた青年のものに変わる。醜悪に歪む。憎悪が、初めてキーリの中に芽生えた。

 この世界に転生するまで、キーリ――文斗の人生には感情の起伏が皆無だった。感情は抱けど喜びも悲しみも弱く、そして人生の目標に乏しいまま成長した。その原因は早くして本当の家族を失い、注がれるべき愛を注がれなかった事に起因する。

 キーリとして生きるようになって、ルディとエル(父と母)と暮らして、彼は愛を注がれた。鬼人族と過ごすことで村人たちからも少なからず愛を注がれ、そして少しずつ喜怒哀楽が育ち始めていた。

 そんなキーリが初めて抱いた強烈な感情。それがこの時に生まれた。

 弱々しく鼓動していた心臓が、湧き上がる思いの強さに引かれるように強く脈打った。

 その時、傍に祭壇からどす黒い影のような(もや)が現れた。煙のように頼りなく漂うそれは、しかし少しずつ祭壇から溢れ出るようにして量を増していく。


「殺す……」


 キーリは呟いた。低い声で呻くように繰り返す。


「あいつらは何があっても殺す。誰であろうと殺す。誰が止めようと殺す。何処にいようが殺す……せっかく手に入れたのに、俺から家族を奪ったアイツらを……」


 止め処無く溢れ続ける怨嗟。彼の体からは血が流れ続け、止まること無い憎悪を繰り返しながら意識が黒く塗り潰されていく。

 祭壇から溢れ出した黒い靄がキーリの体に少しずつまとわりついていく。ユーミルの遺体ごと覆い隠していき、やがて二人の体は完全にその靄に包まれてしまった。

 何もキーリの眼に映らなくなる。だが、苦しみや痛みは無い。耐え難い程の憎しみだけを残してキーリの意識が消えていく。

 その直前。


(誰、だ……?)


 ぼやけた視界の中で金髪の女性の姿が見えた。顔は見えない。その女はキーリに向かって近づき、しゃがみ込む。

 そこでキーリの意識は完全に途絶えた。





 そして十年が経過した。




Prologue End


2017/4/16 改稿


お読みいただきありがとうございます。


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