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9-3 迷宮探索試験にて(その3)

 第29話です。

 宜しくお願いします。


<<主要登場人物>>

 キーリ:本作主人公。スフォン冒険者養成学校一回生。成績も良く、運動系の能力は非常に高い。欠点は魔法の才能が絶望的にないこととイケメンを台無しにする目つきの悪さ。転生前は大学生で、独自の魔法理論を構築している。

 フィア:赤い髪が特徴で、キーリのクラスメイト。ショタコンで可愛い男の子に悶える癖がある。キーリに剣の指導を施す程達者だが魔法もそれなりに使いこなす。勉強はできるが机に座っているのが苦手。

 シオン:冒険者養成学校一回生で、魔法科所属。実家はスフォンの平民街で食堂を経営しており、日々母親のお手伝いをする頑張りやさん。

 レイス:メイド服+眼鏡の無表情少女。フィアに全てを捧げるフィアの為のメイドさん。キーリ達の同級生でもある。




 その後も四人は順調に踏破を続けた。

 十数分に一度くらいの頻度でモンスターと遭遇するのだが、流石に最初の様に二桁に達するほどの数は現れない。現れるモンスターも変わらずゴブリンたちやダンジョンスパイダーといった、EからFランクばかりでキーリとフィア達ならば問題なく対処できるレベルのものばかりだ。その全てをほぼ一撃で葬り去り、罠の方もレイスとシオンの二人で容易く解除されていく。

 それでもクルエの懸念通りモンスターの数は多い。入ってから二時間程経過する間に四人が倒したモンスターの数は三十に達しようとしていた。

 途中で巡回していた冒険者とも何度か出会い、クルエの指示を伝えていく。最初は皆フィア達の言葉を疑っていたのだが、クルエのくれたカードを一緒に提示すると疑いながらも指示に従うよう頷いてくれた。どうやらクルエは冒険者達とそれなりに信頼関係を築いていたようで、「カイエンさんが仰るなら」と言っていたのが象徴的だった。

 そうして、迷宮に入ってから三時間近く。階層も地下二階まで進んだ。これまでほぼ休憩なしで進んできた一行は周囲の安全を確保し、シオンの描いた魔法陣と無駄に有り余っているキーリの魔力で風の壁を構築した上で休憩を取っていた。


「そろそろ最深部(ゴール)も見えてきたな」

「ああ。何とかここまでは大事なくやってこれた」携帯食である干し肉を齧りながら話すキーリに、フィアは木筒の中に入れた水で喉を潤した。「この後も何事も無ければ良いのだがな」

「本当にそうですね。お二人はスゴイです。あれだけ戦ってここまで怪我一つ無くやってこれるんですから。僕の出番は殆ど無いですし」

「ま、シオンの出番は無い方が良いんだけどな。シオンが本気で仕事しだしたって事は相当追いつめられてるって事になるし」

「レイスのお陰で罠も尽く回避できているのが大きいな」

「恐縮です」

「しかし、私達は問題ないがシオンは体力は大丈夫か?」


 フィアが尋ねると、シオンは小動物の様に携帯食をポリポリと齧っていたがそれを飲み込み「はい」と頷いた。


「今のところ大丈夫みたいです。まさかここまで体力がついてるとは思いませんでした」

「そらそーだろ。あんだけ頑張ったもんな。これでへばってたらもっとキツい訓練を課さねーといけねーとこだぜ」

「勘弁して下さいよ」


 シオンは眉尻を八の字に下げて情けない声を上げた。三人の訓練はただでさえ色んな意味で過酷だったのだ。皆が励ましてくれたお陰だが、よく一ヶ月耐えぬいたと我ながら思う。ここまで特に疲労も無くやってこれるだけの体力がついたのは嬉しいが、あれだけの地獄はもう御免だ。

 訓練の時を思い出し、青い顔をして死んだ魚のような眼をし始めたシオンを見てフィアとキーリは苦笑いを浮かべた。

 だが次の瞬間、笑みを浮かべていたキーリが弾かれたように鋭い視線を迷宮奥に向けた。

 直後、風切り音と共に何かが飛来した。

 飛んできたそれは風の壁にぶつかり、方向を急転回させられて迷宮の壁に突き刺さった。

 矢だ。


「敵襲っ!?」


 即座に全員が立ち上がり、フィアとキーリを前にして戦闘態勢を取った。しかしそれ以上何かがやってくる事は無い。

 だが、何かは確かに暗がりの向こうに居る。


「……悲鳴?」


 フィアは耳を澄ます。迷宮の壁に反響して正確には聞き取れない。しかしフィアはそれが悲鳴であると確信した。


「行くぞっ!」


 キーリ達に呼びかけると同時に走りだす。即座にキーリ達も呼応してフィアについていく。

 通路に響く無秩序な足音。剣がぶつかり合う金属音に混じって耳障りな叫び声が届く。モンスターの存在を確信し、フィアは走りながら抜剣した。


「いたっ! あそこだっ!」


 夜目が効くキーリが真っ先に暗がりの中の集団の姿を認め、近づくにつれてフィア達にも徐々に全容が明らかになっていく。そしてそこにいた者達の姿を見たシオンは言葉を失った。


「くそっ! 何だよこいつらっ!? どっからこんなに湧いてきやがるんだよぉっ!!」


 通路を埋め尽くす緑色の皮膚をしたモンスターの数々。十や二十では足りないゴブリンの大群に、更にはコボルトなどの他のモンスターも混じっている。大量のモンスターが先に入った生徒たちに向かって押し寄せている。生徒たちの後方には直径七十センチ程の孔が地面に空いていて、動きづらくしていた。


「くそっ、くそっ、くそっ、くそっ!! これでも喰らえよぉっ!」


 試験前に突っかかってきていた金髪の少年が炎神魔法を放つ。詠唱も無く、集中を失ったせいで制御も滅茶苦茶な火球が、しかし地面を埋め尽くすモンスターの群れに着弾する。一瞬だけ火柱が上がるが制御を失った魔力はすぐに霧散して致命傷足り得ない。同じパーティの剣士役の少年も必死で近づいてくるモンスターを追い払うが、ゴブリンが投擲してくる棍棒や、何処で拾ったのか放ってくる矢を振り払うのに手一杯で圧力を押し返すことができていない。探索科の生徒は戦うだけの能力を持っていないのか、荷物を抱きしめたまま壁際でうずくまって震えているだけだった。

 彼らと反対側でも応援に駆けつけた冒険者が戦っていたが、やはり数の暴力に押されて防戦一方だった。


「加勢するっ!」

「感謝す……」


 フィアが叫び、戦列に加わろうとする。応援が増えた事で、金髪の少年が安堵して振り返る。だがやってきたのがフィアだと気づくと途端に態度を一変させ、「来るんじゃねぇっ!」と叫び返した。


「帰れっ! お前なんかの手なんか借りなくったって……!」

「そんな事を言っている場合かっ!」


 怒鳴りつけ、飛んでくる矢を叩き落としながらフィアとキーリが前線に加わる。

 この密集状態では大剣を十全に振るえない。そう判断したキーリは剣を背負ったまま、素手での攻撃に切り替えた。拳が風を切り裂き、殴られたゴブリンが真横に吹き飛びながら仲間を巻き込んでいく。

 また後方からはシオンが風の結界シルフィード・ストールを展開した事で飛び道具による攻撃が弱まった。その隙をついて両手にナイフを持ったレイスが集団の中に飛び込み、次々とモンスターを斬り付けていく。

 見る見る間に数を減らしていくモンスターの群れ。しかしその時、壁が突如崩れて更にダークスネークやダンジョンスパイダーが現れた。


「ちっ、キリがねぇなぁおい!」

「だがこのまま行けばこちらが押し切れる……おい、もう一人のメンバーはどうしたっ!?」


 ゴブリンを斬りつけていたフィアだったが、人数が足りない事にその時気づいた。金髪の少年と共にシオンを虐めていた赤髪の少年の姿が何処にも見当たらない。


「あいつはっ……ぐっ!」

「ケビンっ!? ガハッ!?」

「まずいっ!」


 フィアの問いかけに答えようとした金髪の少年――ケビンだったが、疲労からか集中が乱れて魔法が不発。圧力が弱まった隙に最前線に居たゴブリンに殴りつけられ、地面を転がっていく。それに気を取られた普通科の少年もまた同様に棍棒で殴られて倒れこんだ。

 崩壊しかける戦線。フィアが焦りを見せ始める。

 しかし、キーリにとって前線の人数が減ったことは好機だった。


「下がれ、フィアっ!!!」

「承知した!」


 キーリの怒鳴り声と同時に目の前の敵を蹴り飛ばし、フィアが後退。同時にキーリが背中の大剣に手を掛けた。


「おおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉらあああぁぁぁぁぁっっ!!!」


 雄叫びを上げ、剣を全力で敵に叩きつける。横薙ぎに振るわれた剣が直撃したゴブリンが衝撃で弾け飛ぶ。青い血が辺りに吹き荒び、剣は弾き飛ばされた肉塊ごと後ろの一団を殴り飛ばす。密集地帯が一瞬にして空白となり、叩きつけたせいで半ばから折れた大剣が地面に墓標のように突き刺さった。


「相変わらずのバカ力だなっ!」

「お褒めに預かり恐悦至極ってなっ!」


 十体近いゴブリンを一撃で葬り去ると、キーリは剣を投げ捨てた。そして殴られて倒れていたケビンと普通科の少年を抱えて後方に避難する。


「う、くぅっ……!」

「シオンっ!」


 頭部から流れる血。痛みにうめく少年たち。キーリに呼ばれたシオンが駆けつけ、魔法を口ずさんだ。


優しき息吹ヘブンリー・エンブレイス


 シオンの唱えた魔法にキーリは眼を見張った。

 シオンが唱えたのは第三級下位風神魔法。基本的に制御が難しい回復魔法の中でも中程度の難易度であり、熟達した魔法使いであっても失敗する事もある魔法だ。まして、普通は養成学校の一回生が使えるような易しいものではない。だがシオンはそれを難なく使いこなしていた。

 かざしたシオンの手が光り、不可視の風の精霊達が飛び回る。

 やがて少年たちの負った傷がみるみる内に塞がっていく。苛んでいた痛みが治まっていき、顰めていた顔から強張りが消え、閉じていたまぶたを開けた。そして、治療した人間がシオンだと気づくと、何とも言えない複雑な顔色を浮かべた。


「なんで……」


 彼らだって魔法科の生徒だ。回復魔法については余り勉強していなくとも、この魔法がどれくらい難しいものかは分かる。なのに、どうして「無能な亜人」がこんな高度な魔法を使えるのか。そしてなにより――


「なんで、なんでお前が俺らなんかを治すんだよっ……!」


 これまで散々なじったのに。これまで何度も馬鹿にしてきたのに。何度も嘲り、暴力を奮い、傷をつけてきたというのに。なのに、何故、コイツは何でも無いような顔をして自分達の治療をしているのか。不可解だ、とケビンはシオンを得体の知れない化物を見たかの様な眼差しを向けた。

 腹の底から溢れ出るような疑問は恐怖へと変換され、怯えた声で叫ぶケビンに、しかしシオンはキョトンとして首を傾げた。


「え? だって、目の前で怪我をしてる人が居て、自分がそれを治せるなら治そうとするのは当たり前じゃないですか?」


 なんでもないように言ってのけるシオン。言葉通りそれが当たり前だと、そしてそれをシオンが微塵も疑っていないとケビンは気づいた。

 気づいた途端、生まれて初めて酷く情けない気持ちになった。器の小ささを突き付けられた気分だった。自分が恥ずかしくなり、ケビンは顔を顰め、シオンにその表情を見られたくなくてうつむいた。涙が自然と滲んだ。


「……すまん」

「え? まだ何処か痛みましたか?」


 消え入りそうな声で漏れでた謝罪は、剣戟の反響に掻き消されてシオンの耳には届かなかった。だがそれで構わなかった。ケビンは頭を振った。


「それよりも、お前といつも一緒に居たあの赤髪は何処行ったんだよ?」


 キーリに問われ、ケビンはハッと顔を上げた。そして焦ったようにキーリに掴みかかった。


「頼むっ、カイルを、アイツも助けてやってくれっ……!」

「落ち着け」ケビンを引き剥がしてキーリは静かに諭す。「助けてやる。だからそのカイルはどっちに逃げたんだよ?」

「穴だ、穴に落ちたんだっ!」


 ケビンが地面に開いた穴に駆け寄り、キーリとシオンも後を追う。穴の縁に這いつくばりケビンが覗き込むが真っ暗な闇はただ暗さのみを湛え、何も見えない。


「急に魔法陣が光って足元に穴が開いて……助けようとしたんだけどそうしたらあの大量のモンスターが湧いてきて……」

「トラップを踏んじまったのか」


 悔しさをにじませるケビンの横にキーリもしゃがみ込み、頭だけを穴の中へと突っ込む。手にした明かりを穴の奥に差し込むと中の様子が明らかになった。

 穴の中はかなりの空間が広がっていた。少なくとも魔道具の明かりでは壁にまで届かない程の広さだ。高さはそれほど高くなく、何とかキーリが頭をぶつけずに立てるくらいだろうか。

 中を観察していたキーリだが、すぐに黒いローブを着た少年の姿が魔道具に照らされた。


「居たぜ!」


 魔道具を動かす。少年――カイルは地面に倒れていて動かない。落下の衝撃で頭を打ち付けたのか、光を当てても身動ぎしない。

 元の世界では一メートルやそこらの高さからでも打ちどころが悪ければ命を落とす可能性があると言われていたが、この世界の人間は魔力があるためか総じて元の世界の人間たちよりも頑丈だ。おそらくは致命傷は負ってはいないだろうが――


「のんびりしてはいられねぇか……」


 流れ出る血の匂いに誘われたか、穴の中の空間の奥の方から何かが近づいてくる気配をキーリは感じ取った。単なる空間では無く、何処か迷宮内の通路と繋がっているのだろう。このまま放置すればモンスターの餌食となるに違いない。キーリはケビンの顔を見た。


「だ、大丈夫なのか、アイツは!?」

「さあな。俺は医者じゃねぇからな」


 別にキーリにとってケビンやカイルがどうなろうと興味は無い。彼らがシオンにしてきた仕打ちを、そしてその他平民や亜人相手にやってきたであろう事を考えれば、ここで死んでしまっても構わないよな、とさえ思う。相手がシオンだったから後腐れなく治療しているが、もしキーリがシオンの立場であれば間違いなく見捨てていただろう。

 キーリ自身「我ながら冷たい人間だ」と思わないでも無いが、敵対してきた人間に対する優しさなど端から持ち合わせていないし、他人を傷つけておいていざ自分が傷ついたら優しさを期待するような都合の良い人間など最初から信用するに値しない。


「ちょっと待ってろ。すぐに拾ってきてやるよ」


 だが彼らをどうするかを決める権利はあくまでシオンにある。そしてシオンが治癒魔法を掛けて助け、また「リーダー」であるフィアが助けると決めた以上、キーリに彼らを徒に傷つけるつもりもなければ無視するつもりもない。キーリは迷わず穴の中へと飛び込んでいった。

 穴の下の階層にキーリは軽やかに着地する。頭を強打した可能性を考慮して慎重に抱え上げると、上に向かってカイルを差し出した。


「キーリさん?」


 シオンとケビンはカイルを受け取って慎重に寝かせ、だがキーリが上がってこない。どうしたのか、と呼びかけるがキーリはシオンを見上げるとニィ、と口端を釣り上げた。


「わりぃ、そいつの事頼むわ。ちょっち俺はここを掃除してくるぜ」

「……分かりました」


 一瞬キーリの言葉の意味がわからなかったが、間を僅かに置いて意図をシオンは理解した。フィアやレイス達の方を見れば、ゴブリンの集団は既に集団と言えないくらいにまで数を減らしていた。もうあと少しすれば、戦闘は勝利で終わるだろう。フィア達が戻ってくるまで待たせるべきか迷い、だがここまでの道中のキーリの戦闘力を鑑みれば問題無いだろうと思いつつも声を掛ける。


「その、何が居るか分からないですけど、一人で大丈夫ですか? 剣も壊れてるのに……」

「たぶんな。てか、ちょっち一人で暴れたい気分なんだ」キーリの細い腕が膨れ上がり、血管がハッキリと浮かび上がる。「ま、死ぬこたぁねぇだろうから、怪我したら俺もシオンの世話になるわ」

「もう結構魔力使っちゃってるんで、できれば無傷で戻ってきて貰えると僕は嬉しいんですけど。……あんまりクルエ先生の魔法薬を飲みたくないので」

「オッケー。んじゃ可愛い可愛いシオンの為にもちゃちゃっと片付けてくるぜ」


 笑いながらそう言うと、キーリは奥の方へと歩いていった。

 ベルトに取り付けた魔道具が行先を照らしていく。生物の気配が強くなっていく。それに合わせてキーリの中で気分が高揚していく。

 やがて時を経ずして現れたのは――巨大な蜘蛛だった。


「ジャイアントスパイダーか」


 体高は一.五メートル、左右の脚と脚の間の幅は二メートルを優に越す大型の蜘蛛型モンスターだ。濃紺の体を持ち、魔法は使ってこないが硬い表皮による防御力と見かけによらない俊敏な動き、それと強力な顎による噛み付きは脅威だ。そこらの数打ちの防具くらいは軽く噛み砕いてしまう。


「間違ってもこんなランクEかFかっていうような迷宮に居ていいモンスターじゃねぇはずなんだけどな」


 ジャイアントスパイダーのランクはD。それもCに近いDだ。ランクEとDとの間には隔絶した危険度の違いがあり、こんなモンスターに襲われたら生徒達はもちろん、今日のために雇われただけの低ランク冒険者であってもひとたまりも無い。そして――


「三匹、か」


 そんな危険なモンスターが更に二体奥から現れる。攻撃の意思を示す赤く変色した眼がキーリの姿を捉え、口元からは唾液をだらしなく零していた。

 客観的に見れば圧倒的危機。しかしキーリは――嗤っていた。

 いつの頃からかキーリは時折戦いに対する強い欲求を感じるようになっていた。普段は特にそうした衝動を感じることは無いが、連続した戦闘があって相手のモンスターの実力が物足りない時に不完全燃焼感と共に血が滾るような感覚を覚えるのだ。

 そして、今がまさにその状況であった。

 この身に流れる鬼人族(ユーミル)の血がそうさせるのか、彼らの遺伝子に刻まれた強者を求める歴史がそうさせるのか、それは分からない。ただ、今キーリは全力で相手と戦いたくて仕方が無かった。


「Dランク三匹なら少しは俺を満足させられるか?」


 白い肌がうっすらと赤く熱に染まる。浮き出た端正な顔を獰猛に歪め、元より悪い目つきが更に凶悪になる。形の良い口がモンスターを挑発し嘲る。決して人語を介したわけではないだろうが、ジャイアントスパイダーが甲高い音を発し口元でシャリシャリと生理的な嫌悪を引き起こす不快な音を立てる。それを前にしてもキーリは笑っていた。


「こっちからは仕掛けねぇよ。さあ――掛かって来い」


 その声と同時にジャイアントスパイダーの一匹がキーリ目掛けて突進した。八本の脚を巧みに動かし、まるで重戦車の様な威圧感でキーリに接近し、捕食せんとする。

 両者を見た目だけで例えるならば歩行者とトラックの様なものだ。その突進を受け止めようなどとするのは馬鹿げた行動であり、盾役の重戦士であるならばともかく機動力を活かした戦闘スタイルを身上とする剣士が取る行動ではない。まして、細身のキーリならばその体格差によって弾き飛ばされるのがこの世の理だ。普段ならばキーリもそんな行動を取らない。


「……ちょっち重いがやっぱ所詮はDランクモンスターって事か」


 だが今のキーリはそれを容易く片手で受け止めてみせた。体の割に小さな蜘蛛の頭を抑えこみ、その場から一歩も動いていない。その口ぶりは酷く残念そう。鋭い牙の付いた蜘蛛の上顎が、戸惑ったように不規則に動いた。

 蜘蛛の体が唐突にキーリから離れた。否、キーリによって引き剥がされた。巨体がボールのように後方に吹き飛び、蹴り飛ばしたキーリの脚がゆっくりと蜘蛛から地面へと降ろされていく。

 体液を撒き散らし、奇声を上げてひっくり返るジャイアントスパイダー。ジタバタと無様に脚を動かし起き上がろうとするも戻れない。動けなくなった蜘蛛に代わって、その隣に居た別個体の口から糸が吐き出された。

 その糸をキーリは右手で受け止めた。手を封じようという算段なのか、次々と吐き出されていき、見る見る間に右手が白い糸で覆われていった。キーリと蜘蛛を繋ぐ糸はピンと張り、完全に拘束された形だ。しかしキーリはそんな自分の手を見ながら「そういえばァ」とつぶやいた。


「確か蜘蛛の糸ってのは見かけ以上に丈夫だった……よなぁっっ!!」


 筋肉が盛り上がり、一息に右手を引っ張る。同時に蜘蛛の巨体が一度宙を舞い、体躯で地面を削り取りながらキーリの元へ引き寄せられた。


「ギ…ギギ……」


 痛みを訴えるように掠れた声をジャイアントスパイダーが上げた。

 傷ついた体から微かに体液が漏れ、そんな蜘蛛の眼前ではキーリが口元を歪めながら楽しそうに見下ろしていた。蜘蛛の牙がカチカチと音を立てた。


「よぉ……殴り合いしようぜ?」


 その言葉とともにキーリの左拳が蜘蛛へと振り下ろされた。





 2017/5/7 改稿


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