5-3. 崩壊の時(その3)
初稿:19/09/04
<<<登場人物紹介>>>
キーリ:闇神の力を操る剣士。もうちょっと派手な魔法を使いたいと思ったり思わなかったり。
フィア:レディストリニア王国女王にしてキーリたちの仲間。シオン分を摂取して元気元気。
アリエス:筋肉ラヴァーな貴族。筋肉もやはり若い方が好み。
エドヴィカネル:帝国の皇帝。細マッチョ。
会議室の扉が勢いよく開け放たれ、そこに居たのは息を切らした兵士だった。左腕を押さえ、その下からは赤い血が滲んでいる。彼は呼吸を整えることも忘れ、力の限り叫んだ。
「ほ、報告します! 突如待機していた教皇国の兵士たちが乱心! 我が国兵士たちと戦闘状態に陥りました!!」
「なんだと!?」
「共和国兵たちも同調し、こちらへ向かっています! レディストリニア兵たちも協力して押さえていますが奴ら人間離れしていて……くっ! 陛下! 早くここからお逃げくださいっ!!」
叫ぶ兵士の頭上を魔法が通過していき、爆発音が響いた。すでに戦場は間近。フィアたちや武人としての心構えを持つエドヴィカネルたち帝国の人間は比較的冷静さを保っているが、響く振動と金切り声たちに他国の人々はたちまち恐慌状態に陥った。
そこにまた一つ悲鳴が響いた。
「う、うわあぁぁぁぁぁっっっ!!」
声の発生源は室内。キーリたちが振り返った時には、貴族らしい小国連邦の男性が一人、血を流して事切れていた。
男性の前にいたのは――先程、エドヴィカネルに突っかかっていた共和国の大統領であった。
「大統領っ! 気でも触れたかっ!?」
大統領がエドヴィカネルの怒鳴り声に返事することはなかった。
振り向いた彼の瞳は焦点が定まっていなかった。口元はだらしなく半開きになり、よだれを垂らして、明らかに正気を失っている。大統領の手には魔法で作られた氷の剣が握られていて、エドヴィカネルに向かって首を斜めに傾けた状態でにぃ、と不気味に嘲笑った。
その眼が、真っ赤に染まっていた。
「モンスターの……攻撃色……!」
迷宮内外のモンスターが獲物を見つけた時に見せる典型的な色。それを示したのは大統領だけではない。共和国の人間として参加していた全員が同じ様に赤い瞳を示し、正気を失った顔を見せていた。
「な、なにが起こっているのですか……?」
「おのれ、あやつめっ……! 共和国もすでに手の内であったかっ……!!」
これまでに感じたことのない危機感にエドヴィカネルの額を汗が滴り落ちる。そしてモンスター化したかつての人間たちが一斉に襲いかかってきて――一斉に弾き飛ばされた。
「キーリ! それにスフィリアース陛下まで!?」
「アンタらは部屋の隅に下がってろ!」
「しかし……!」
「この場はキーリと私が何とかします! 陛下は他の方々の誘導を!」
「……分かった。すまん!!」
殴り飛ばしたモンスター化した人間たちが何事もなかったように起き上がり、再び迫ろうとする。だがキーリはそれに先んじて斬りかかり、次々と倒していく。フィアもまた、武器こそ無いものの、加護を得ている炎神の力を存分に操って飛来する魔法から首脳たちを守り、敵だけを焼き尽くしていく。
室内の敵の数があっという間に減っていった。キーリとフィアにとって、この部屋の敵だけであれば防ぎ切るのは容易い。しかし――
「あ、あ、あ……」
「どうした!?」
「外も……囲まれている……」
窓から見下ろせば、次から次へと地面からモンスターが生まれていた。ランクこそ下級であるが、そうであっても戦いを生業としていない人間にとっては脅威に違いない。そしてその数は見る見る増えていっており、宮殿に詰めている兵士だけで対応できる数ではないのは明白であった。
キーリたちの額にも、汗が滲んだ。
「これも……教皇が撒き散らした魔素の影響なのか……?」
「だろうな!」
「フィア! キーリ!」
「アリエス! そっちはどうだ!?」
「ダメっ! 数が多くて持ちこたえられそうにありませんわっ!!」
「これ以上ここで押し止めるのは困難かと……!」
廊下側で戦闘に参加していたアリエスたちが戻ってきて状況を伝えてくる。戦線が限界を迎えているのは、レイスの静かながらも絞り出すような声からよく分かる。
フィアの奥歯が音を立て、眉間に深くシワが寄る。
「……フィア、エドヴィカネルのおっさん。撤退だ。兵士を全員下がらせろ」
そこに、室内にいる最後の敵を斬り倒したキーリが舌打ちをしながら声を掛ける。彼が何を考えているのか察したフィアは、小国連邦など他国の人間を見ながら渋い顔をするもうなずいた。
「分かった。陛下、宜しいですね」
「……何か手があるのだな?」
「ああ。俺がこの場にいる全員を逃してやる」
その言葉に、部屋の隅で動けなくなっていた全員の顔が上がった。
「ほ、本当ですか!?」
「ああ。ちょっちばかし辛い旅行になるだろうがな」
「是非もあるまい、お主を信じよう」エドヴィカネルもまたうなずく。「存分にやれ」
「任された。
よし、フィア!」
「ああ。
アリエス、レイス! 二人はそのまま兵士を誘導して撤退だ!」
「承知ですわ! キーリ! フィアを頼みましたわよ!」
「ご武運を、お嬢様」
アリエスとレイスの姿が再び廊下へと消え、それを見届けたキーリが叫ぶ。
「お前らっ!! 生きて国に帰りたかったら全員こっちに集まれ! 早くしろっ! 時間がねぇっ!!」
「急いでこちらに!」
キーリが全員のケツを蹴り飛ばす勢いで、フィアやエドヴィカネルもまた恐怖に動けなくなっている人たちの手を引いて一箇所に集めていく。その間に、動ける者たちは椅子やテーブルを扉の前で積み上げバリケードを築いていった。だが、頑丈なはずの扉が次第に歪んでいき、できた隙間から赤い瞳が室内を覗き込んだ。
「ひ、ひぃっ!!」
「ボサッとしてんなっての!」
男性の首をひっつかみ、強引にキーリが引き寄せると同時に会議場の扉がぶち破られた。人としての矜持を奪われた兵士やモンスターたちが一斉になだれ込み、室内をまたたく間に埋め尽くしていった。
かつて仲間たちだったものでできた山を乗り越え、一塊となったキーリたちに飛びかかっていく。不気味に筋張ったその腕が届こうかという直前、キーリを中心として一団を真っ黒な影が一気に包み込み、床の中へと沈んでいった。
誰もいなくなった床にバタバタと敵兵が降り積もる。殺すべき対象を見失った彼らはあてもなく室内をうろつき周り、やがて手当り次第に味方同士を攻撃し始めた。
斬り殺されたものが食らい付くされ、別の者にまた骨までしゃぶり尽くされる。会議場という壺の中で生きとし生けるものが死に至り、悪意という名の毒を抽出され、濃縮される。それを餌としてモンスターが生み出され、数時間前まで議論が行われていた建物は、地上に生み出された新たな迷宮と化してしまったのだった。
彩り華やかな庭園が広がる会議場から離れたところから、アリエスとレイスはその様子を心配そうに見つめる。
彼女らの傍らには多くの傷ついた兵士たちが座り込んでいて、彼女たちと同じ様に不安げに自分たちの仕える主がいるはずの建物を見上げていた。
「フィア、キーリ……大丈夫ですわよね?」
「はい。お嬢様とキーリ様、お二人がいる限り滅多な事は起こらないかと」
「そう、ですわよね……」
「アルフォリーニ様」
「近衛副隊長」
こみ上げる不安を紛らわせようとレイスに声を掛けたアリエスだったが、そこに血と埃で汚れた長身の男性がやってきた。それを見たアリエスは姿勢を正して不安を押し隠し、貴族としての仮面を被り直す。
「如何なさいました?」
「いえ、その……わざわざご誘導頂きましたのでその感謝をお伝えしたいと思いまして」
副隊長は凛とした態度でそう話すが、感情を押し殺している雰囲気が伝わってくる。
「ご不満は理解しますわ。ですが、陛下もご理解の上でご命令されたはずです」
「しかしっ……! 私たちは陛下をお守りする最後の盾であり矛……! にもかかわらず陛下より先に戦場を離れるなど言語道断。もし、もし陛下に何かあれば、私は……!」
「ご安心ください」レイスが恭しく一礼しながら、いつもと変わらぬ無表情で断言した。「お嬢様――失礼、女王陛下とキーリ様。お二人が必ずや皇帝陛下をもお連れされるかと存じます」
さも当たり前のように告げてくるレイス。そこに疑いなど微塵もない。そんな彼女の様子に副隊長のみならずアリエスも眼を見張った。
「……女王陛下が素晴らしい冒険者であったことは聞き及んでおります。しかし……あれだけの数を相手にしては……」
「あの程度、関係ありません。全てを滅ぼすのであれば骨でしょう。ですが、ただ脱出するだけであればそう難しいことではありません」
「ですがっ……!」
「――いえ、彼女の言うとおりですわ」
不安げに下唇を噛み締めていたアリエスの口端が緩やかに弧を描いていく。小さく微笑み、そしてちょっとだけ自分を嘲るように、けれど楽しそうに声を漏らす。
「陛下は無事です。ご心配なさらずとも、もうすぐ脱出してきますわ」
思えば、馬鹿らしい。どうして疑う必要などあろうか。あの二人が共にいて、欠けることなどありえない。
そうだ。レイスの言う通りだ。心配など不要。不安など無い。疑う余地などない。答えは出ている。
だって――陛下を守るのは彼と彼女なのだから。
「どうして……! どうして貴女方はそう言い切れるんですかっ……!」
「決まっていますわ――それが事実ですもの」
アリエスは手を前に伸ばした。人差し指を真っ直ぐに伸ばし、副隊長の後ろを指差した。
振り返る。何もない。乾いた土の地面と血の汚れが点々としているだけだ。
彼女はいったい何を、と副隊長が眼を凝らした時、地面に黒いシミが広がり始めた。湧いた温泉が溢れるみたいに、溜まりとなった影の中心からボコボコと気泡のようなものが噴き出し始める。不気味なその様に副隊長が慄きながら覗き込もうとすると、中心が一気に膨れ上がった。
繭のように大きな塊となった黒い物体。その表面にヒビが入っていく。パリ、パリ、と欠片が地面に落ちて弾けたかと思うと、壁全体がまたたく間に崩れ去った。
そしてそこから現れたのは、エドヴィカネルを始めとした要人たちの姿であった。
「う……もう、動いても大丈夫か……?」
「へ、陛下っ!!」
顔色が悪く、立ち上がりながらもよろめいたエドヴィカネルを、急ぎ駆けつけた副隊長が支える。エドヴィカネルは緩々と頭を左右に振り、ぼんやりとしそうな意識をなんとか押し留めた。
「まだ若いつもりではいたのだが……思いの外キツかったな」
「無理すんなって。若さがどうのこうのってより、相性の話だからな。それでも影の中で意識を保ったまんまなのは見事だよ」
そう言ってキーリは倒れ伏す他国の要人たちを指差した。フィアを除きほぼ全員が気を失い、折り重なって山を作り上げていた。その顔はそろって青ざめ、泡を吐いている者もいたがそれでも全員が生還していた。それを確認したエドヴィカネルも、小さく息を吐いて胸を撫で下ろす。
「お辛いとは思いますが、まずはここを離れましょう。モンスターたちがこちらに気づく前に」
フィアの提案にうなずくと、エドヴィカネルはアリエスと副隊長に兵たちをまとめ、気を失っている要人たちを運ぶよう指示を出す。鋭く短い返事を残して彼女らが走っていき、その姿を見届けるとエドヴィカネルは背後を振り返った。
長い歴史を誇る帝国の象徴の一つがモンスターたちで埋まっていく。決して他国の様に華やかでも優雅でもない建物だったが、それでも質実剛健を示す様に長い月日の風雨に耐え、その歴史を一日一日と刻んできた。それが今、皇帝の目の前で廃墟と化していっている。
「まさか俺の代でこのような事になるとはな……
このツケ……高くつくぞ、教皇よ」
うず高く積もったモンスターの山をエドヴィカネルは厳しい面持ちで睨みつけ、握りしめた拳が震えて紅い雫が流れ落ちる。その痛みを強く噛み締めながら、彼は立ち並んだ兵士たちを鼓舞するため背を向け、二度と振り返ることはなかった。
お読み頂きありがとうございました。
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