4-9. ただ願いを叶えたくて(その9)
初稿:19/08/24
<<<登場人物紹介>>>
キーリ:女顔の闇神魔法使い+アホみたいなパワーを持つ剣士。パーティではアタッカー役。
フィア:レディストリニア王国女王として即位したキーリたちの仲間。早くシオンにhshsしたい。
アリエス:言わずとしれた筋肉ラヴァー。だが祖父の筋肉にはあまり惹かれない。
カレン:凄腕の弓使い。矢と同様に料理でも凄まじい力で食った人間の胃袋を破壊する。
ギース:パーティ斥候役。とりあえず舌打ちしないと落ち着かない。
シオン:めでたく新パーティリーダーとなった。パーティのみならずギルドを含めた愛されマスコット。
イーシュ:パーティの盾役。性格は良いが、恐ろしく女運がない。
シェニア:暇さえあれば仕事をサボろうとするギルド支部長。若い時の恋心は永遠に秘密。
けたたましくガラス窓が砕ける音を夜空に響かせ、マリファータは外へと飛び出した。
十メートルはあろうかという高さから眼下の手入れされた芝生を見下ろす。胃がひっくり返るような感覚を覚えながら着地するも、勢いを殺しきれず彼女は転がった。
「う……くそっ……!」
普段であればこの程度の高さなど何ともない。自身を冒険者にさせた得意な魔法によって軽やかに着地できた。が、今はドーピングの副作用で体を巡る魔素の流れはめちゃくちゃ。ただ浮くだけの初歩の初歩ともいえる風神魔法さえおぼつかなく、着地した脚から全身にかけて痛みが走った。
苦痛に顔が歪む。それでも彼女は体を起こした。
「わたしは……まだ――」
何もできていない。
初めてできた仲間を喰われ、命からがら逃げ出した絶望。誰一人救えなかった無力さ。ボロボロだった自分を救ってくれた教会に、光神に、何一つお返しできていない。
「ここで……捕まるわけには、いかない……」
これまで感じたことのない恐ろしいまでの倦怠感に苛まれながら、マリファータは強く芝を握りしめた。
とにかく今は逃げるのだ。逃げて逃げて、再び機会を伺うのだ。
首元に刻まれた誓いの入れ墨に無意識に手を当て、しかし彼女が顔を上げた先に一つの影が立ちふさがった。
「どこに逃げようというのかね?」
雲が流れ、月明かりに照らされて全身が明らかになる。剃り落とした禿頭に、筋肉で盛り上がった全身。その拳は強く握り込まれ、夜にもかかわらず着けたサングラスの奥で瞳が怒りに輝いて見えた。
「くっ……!!」
全身の力を振り絞ってマリファータは立ち上がり、魔法を放とうと手をかざした。だがそれよりも拳が彼女を弾き飛ばした。
芝を削り取りながら激しく転がっていく。振り切った拳の残心を解きながら男性――オットマーは彼女の方へゆっくりと歩いていった。
「女性を殴るのは我輩の主義に反するのだが――そうまでするほど今、我輩は怒りに震えているのだ」
全身から淡い赤光を放ち、両拳からも一際輝く光が放たれている。オットマーはその腕で、起き上がれずにいるマリファータの胸ぐらを乱暴に掴み上げ、怒りに満ちた双眸で彼女を射抜いた。
「問わせてもらおう。
何故、このようなことをした?」
「……っ、全ては、世界をより良い方向へ導くためよっ……!」マリファータは鬼気迫る表情で睨み返しながら叫んだ。「モンスターなんか要らない……迷宮なんか要らない……! そのためには世界を遍く光で照らし、誰もが穏やかに暮らすことが必要なのよ! あの御方ならそれができる……! 私はそのお手伝いをさせて頂いているまで!」
「……答えになっておらぬ」
「理解されずとも結構よ! 目的のためにあの御方は、女王が、皇帝が計画の妨げになると判断された。深いお考えがあるのでしょうけれど、私は自身の行いがあの御方の、世界のためと信じている。ならば私はその意思に従うだけだわ!」
「信じる、か……」オットマーの目元に影が差した。「そのためには、誰かの人生を踏みにじっても良いということかね?」
「何かを為すには犠牲は付き物よ。目的が大きければ大きいほど、その犠牲は大きくなる。その程度、理解せずして偉大な目標になど突き進めない。むしろその犠牲を乗り越えてこそ明るい世界が築けるというものだわ!」
「……ふむ、分かった」
オットマーはうなずき、マリファータから顔を離した。彼女をつかむ腕の力を緩め、顔を伏せる。
「お主の言う『計画』とやらが何なのか、サッパリ分からぬが、お主が固い意志で、自らの信ずる正義のために今回の凶行に及んだ事は理解した」
「ご理解いただけて光栄だわ。だったら早く離し――」
「しかし、である」
腕が震えた。つかんでいた胸ぐらを離し、代わりに彼女の首を握りしめた。
「ぐ、ぎ、ぃ……!!」
「女王陛下を、皇帝陛下を弑そうとしたこと。断じて許せぬ。見逃すことなどできようもない」
宙吊りになったままマリファータは呼吸ができずに、涙を流しながらもがき苦しむ。必死になって隠しナイフを取り出してオットマーの腕に突き刺そうとする。だが、固く引き締められた筋肉には通らず、それでも何度もマリファータはナイフを振り下ろした。
「ぐる、じ……助け……!」
「だが何よりも我輩が許せぬのは――イーシュ・カーリオの幸福を踏みにじっておいて、お主の口からは詫びの言葉一つ出てこぬことであるっ……!!」
怒りの言葉と共にオットマーの拳がマリファータの腹に深々と突き刺さる。メリメリと内臓を突き破ろうかという勢いでめり込んでいく。そして拳が振り抜かれると彼女の体は一瞬で吹き飛び、レンガ作りの建物の壁に激突した。
轟音が響き土煙が立ち込め、崩れた瓦礫の上に意識を失ったマリファータの体が倒れ伏した。
「……」
オットマーは自身の震える拳を睨みつけた。
彼が女性を本気で殴ったのは初めてであった。幼少の頃を除けば、初めて感情の赴くままに暴力を奮った。幼き頃から「女性は守るべき者である」と共和国の職業軍人の家系で教育され、そしてそれが――もちろん全てに当てはまるわけではないが――真実の一つであると未だに彼は信じている。
しかし今回、彼はそれを自らの意志で破った。痛みが拳から伝わってきて、胸に、響く。オットマーは拳を額に押し付け、震える息を吐き出した。
と、その背中に触れる何か。
「……アリエス嬢」
オットマーが振り返れば、アリエスがオットマーの背中を擦っていた。
彼女は優しく、労るように触れる。オットマーはサングラス越しで一度彼女を見つめ、背を向け、欠けた月を見上げてサングラスを取り外した。太い腕で目元を拭ってサングラスを掛け直しアリエスを見下ろす。そこに光る物はもうなかった。
「……すまなかったのである。我輩のわがままに付き合わせてしまってな」
「謝る必要など、どこにもありませんわ。ワタクシはワタクシの意志でオットマー様の意志を尊重したまでですもの」
マリファータを部屋で捉えきれなかった場合、窓から逃げ出すことは想像がついていた。飛び出した彼女を全員で相手して、万が一にも逃がすことがないようにする。それが当初の作戦であったが、それを覆したのはオットマーだった。
まず、自分に対峙させてくれ。そう言って彼は頭を下げた。外での待機組であったアリエス、レイス、ミュレースにそういって頭を下げ、瞳に宿る想いに気づいたアリエスたちはバックアップ体制をとった上で快く承諾したのだった。
階上の窓からキーリが飛び降りて、倒れたマリファータに向かって手を当てる。離れた場所で待機していたレイスやミュレースも合流し、マリファータを縛り上げていく。その様子を見ながらオットマーはドスンと座り、あぐらと共に禿頭を掻いた。
「痛かった、ですの?」
アリエスもその隣に腰を下ろして、並んで座る。
「そう、であるな……思っていたよりもずっと痛かったのである」
「……相変わらずオットマー様はお優しいですわ。あのような女に心を痛める必要など、どこにもありはしませんのに」
「我輩は拳の話をしているのである」
「ならばそれでも構いませんわ。どちらにせよ、オットマー様が不器用なのは変わりませんもの」
ホント、不器用な御方。小さなそのつぶやきに、幾ばくかの優しさがあふれた。
「不器用、か……確かにそうかも知れぬ。人の性根はそう簡単には変われぬよ。
だが……本当のことを言えば、我輩は今、少しホッとしているのである」
「オットマー様?」
「我輩は不器用なのである。アリエス嬢たちのように、まっすぐに感情を顕わにするのが苦手なのである。だから……」
オットマーは再び体を震わせた。
「大切な教え子を傷つけられて怒りの一つも示すことのできない性悪にならずに済んで、本当に……良かったのである……」
微かに漏れる嗚咽。それは耳を澄まさなければ聞こえない程に僅かなもの。しかしそれをアリエスは確かに聞いた。
大柄な体の影できらめく雫。それをアリエスは見ないふりをして、代わりに一回りも二回りも大きな彼の背に手を伸ばして、その優しさを褒めるように彼女もまた優しく撫でてあげたのだった。
それから数日。
レディストリニア王国、スフォン
「そっちに行きました、イーシュさん!!」
「おう、分かってるってっ!!」
シオンが指示を飛ばすと即座にイーシュが反応した。眼の前にいた敵モンスターを蹴り飛ばして距離を置くと、カレンの右から来た新たなモンスターの攻撃を受け止めに走る。
「ナイス、イーシュくん!」
「ほら、もたもたしてっと全部俺が倒しちまうぜ!?」
「調子乗ってんな、バカ」
イーシュがモンスターと対峙している間に背後から更に別個体が迫ってくる。が、それをギースがぼやきながら蹴り飛ばしていった。
「てぇぇああああああっっ!」
そこにアリエスのエストックが突き出され、モンスターが貫かれる。弾き飛ばされて敵モンスターの数が減ると膠着していた情勢が一気に傾く。
四方を囲っていた敵の数がみるみる内に減っていく。アリエスが華麗に舞い、ギースが次々に蹴り飛ばす。死角の敵はシオンが魔法で足止めし、イーシュが両手の剣を巧みに操って斬り伏せる。
キーリはその様子を少し離れて眺めていた。最近は滅多に吸わなくなったタバコをくわえ、仲間たちの成長を見守る。そこに、もう出番がなくなったと判断したカレンが近づいてくると、キーリは短くなったタバコを踏み潰して影の中に捨てた。
「お疲れさん。怪我ないか?」
「うん、大丈夫だよ。みんなやっぱりすごいね」
「お前も十分スゲーやつだよ」
「そうかな?」
「そうだよ」
他愛のない会話を交わしながらカレンはキーリの横に並んだ。
彼女の瞳が追い続けるのはイーシュの姿。顔に陰りはなく動きに淀みはない。いつもどおり迷宮内を駆け回るイーシュがそこにはいた。
「いつもどおりだね……」
「……そうだな。なあ、カレン」
「なに?」
「俺は……ヒドイやつだよな」
「ううん……どうするのが正しかったのかなんて私には分かんないし、きっと誰にも分かんなかったよ。だったら、キーリくんが正しいと思ったことが正しいんだよ。それに、キーリくんがヒドイ人だとしたら、私たちもみんな同罪だから」
カレンの瞳が揺らいだ。
今のイーシュにとって先日の記憶は何処か霞がかった彼方へと行ってしまった。彼の中でマリファータは自身に別れを告げて故郷へと旅立った過去の人になり、フィアたちと剣を交えた記憶も、養成学校時代の訓練と入り混じって不明瞭なものへと化してしまった。
全てが丸く収まった。少なくとも自分たちパーティにとっては。なのに、何故だろう。カレンの視界がぼやけていく。
「……イーシュには絶対そんな顔見せんなよ?」
「うん、分かってる……分かってるから」
キーリが彼女の頭を乱暴に撫で、カレンはそっと自分の目元を拭った。
「おい、お前らぁっ!!」彼ら二人にイーシュが声を張り上げた。「二人してサボってんじゃねぇよ!! 切り分けを手伝えって!!」
気づけば戦闘は終了し、倒したモンスターの素材回収に移っていた。イーシュは小型のナイフを手に、ふてくされた様に口を尖らせている。
「……行こっか」
「だな」
二人は小さく笑い合い、カレンは走って、キーリはしっかり踏みしめる様に歩いてイーシュの元へ近寄っていく。
イーシュの切り分け方を見てカレンが文句を言い、それを見たギースやアリエスが覗き込んでイーシュを小突き、イーシュが反論するもアリエスから「もっと丁寧にやれ」と怒鳴られ、体を小さくしてナイフを今度は慎重に差し込んでいく。その様子をシオンが見て苦笑いを浮かべている。
何も変わらない、変わるべきではない冒険者としての日常がそこにはあった。
そして、変えさせなどしない。キーリは歩きながら自身の手のひらを厳しい眼差しで睨みつけ、握りしめたのだった。
お読み頂きありがとうございました。
引き続きお付き合いくださいませませ<(_ _)><(_ _)>