14-6 鐘の音は響き、針は再び時を刻み始める(その6)
第3部 第84話になります。
お付き合い、よろしくお願いします<(_ _)>
初稿:18/08/19
<<<登場人物紹介>>>
キーリ:転生後鬼人族に拾われるも村が滅ぼされた事で英雄への復讐を誓い冒険者となった。国王殺害の濡れ衣を着せられ逃亡生活中。
フィア:パーティのリーダーで王国の王女。国王殺害犯としてキーリ、レイスと共に逃亡生活真っ只中。
リズ:王城に務めるレイス、ミュレースの同僚メイド。フィアに非常事態を告げにやってきた。
アリエス:王国と国境を接する帝国・アルフォリーニ領の貴族で、キーリたちのパーティーメンバー。
それからしばらくして。
アリエスは膝を抱え込んでいた。
「まあ……その、なんだ? 俺らは嬉しかったぜ?」
「そうだぞ。アリエスの気持ちは伝わったよ」
「まさかここまで泣き虫だとは思わなかったけどな」
「うるさいですわっ!!」
からかうように言ったキーリにアリエスは顔を真赤にして噛み付いた。
ぐるるるる……とまるで動物のようにキーリを威嚇し、それをフィアが「どうどう」と宥めるも、彼女にもまた「がう!」と噛みつかんばかりの勢いだ。
「ああ、もうっ……範となるべきワタクシが何たる失態ですのっ……!」
「良いじゃねぇか、別に。俺ら以外に居ないんだしな。
な? アンタらもコイツが何をしていたかなんて見てねぇよな?」
「はい。我々はアリエス様が旧友との再会を喜ばれていたのを見ていただけで、それ以外に何をされていたのかは見てもおりませんし聞いてもおりません」
突然話を振られたシュバルツハルトだったが、腰の後ろで手を組んだ直立のまま何食わぬ顔でいけしゃあしゃあと言ってのけた。他の部下たちも彼の声に続いて一斉に頷く。
揃いも揃って息の合った配下たちの何処かわざとらしい仕草に、アリエスは「はぁ……」と大きなため息を吐いたのだった。
「もういいですわ。先の失態はワタクシも忘れる事にします。だから二人も忘れること。良いですわね?」
「卒業式の時も泣いてたんだし、別に今更忘れるまでしなくても――オーケイ、忘れる忘れる、うん、忘れた」
尚もしつこくキーリはからかおうとしたが、アリエスの顔に浮かんだおぞましい表情に冷や汗が吹き出て、即座に両手を上げ降参した。
「アリエス」
フィアに名前を呼ばれ、まだ何か言われるのか、とアリエスは口を尖らせ睨んだ。だが彼女の予想に反し、フィアは穏やかな笑みを湛えて近づくとアリエスの手を握った。
「ありがとう、アリエス。私が兵士たちに話をしている間、攻撃を止めてくれたのはアリエスだろう? お陰で私の思いを落ち着いて伝える事ができた。感謝する」
「……お礼を言われるようなことじゃありませんわ」アリエスは頬を多少赤らめて素っ気なく言った。「帝国は武を誉れとする文化がありますけれども、無益な戦いをも好むわけではありませんもの。この戦いだって帝国が失うものはあれども得るものは殆どありませんわ。だから王国側が矛を収めるのであればこちらも応じるのが適当だと判断したまでですわ」
「それでもだ。
残念ながら……お互いに全くの被害なしとはいかなかったが、アリエスが速やかに適切な判断をしてくれたお陰で余計な犠牲者は出なかった。王国を代表して感謝を述べたい」
「……そう仰って頂けて光栄ですわ。
とは言え――」アリエスは嬉しそうな笑みを一瞬浮かべ、しかしすぐに表情を険しくした。「フィア――スフィリアース様が仰られた通り被害が皆無だったわけではありません。この度の諍い、どのように落とし前を付けるか、今後協議が必要になるかと存じますわ」
「ああ、承知している。だがその前に一つ、確認したいことがある」
「なんですの?」
「アリエス……いやアリエス殿を含め、この場に居られる諸君に尋ねる。
私――スフィリアース・フォン・ドゥ・レディストリニアをレディストリニア王国の新たな王として認めてくれるだろうか?」
静かで落ち着いた声でフィアは尋ねた。果たして、アリエスたちは一瞬言葉に困り、しかしシュバルツハルトたちと顔を見合わせると微かに口を綻ばせて頷いた。
「ワタクシたちにその判断は認められておりませんわ。ですから、返答は差し控えさせて頂きたいですの」
「……そうか」
「ただ、非公式ということであれば――」
言いながらアリエスは一歩後ろへ下がり、軍人らしく素早い動作でフィアに向かって敬礼する。そして彼女に一拍遅れて配下の部下たちも軍靴を鳴らして同じく最敬礼をしたのだった。
「ワタクシ、アリエス・アルフォリーニおよびその配下は、王国における新たな王の誕生を心より歓迎致します。
願わくば――帝国と王国が、今後も良き隣人であらんことを」
それは彼女ができる精一杯の回答だった。帝国貴族としてでもなく、フィアの友人としてでもなく、客観的なただの帝国人としての立場ではあるが、彼女を国王として認めるということだ。
その回答の意味はフィアの内へとじわじわと広がっていき、嬉しさと恥ずかしさが綯い交ぜになった感情がこみ上げ、少し眼を伏せたその口元がゆっくり弧を描いた。
「ああ、私もぜひ、そうであることを願っている」
フィアはアリエスに向かって改めて手を差し出した。その手をアリエスもすぐに握り返す。
「私はこの後、王国内をまとめていく事になるだろう。少し後になるだろうが、それが落ち着いた頃にできるだけ早く皇帝陛下と会談したいと考えている」
「承知しましたわ。アルフォリーニ侯爵を通じて陛下の御耳にも入れておきますわ」
「感謝する」
「それこそ大した話じゃないですわ。
……これからが大変ですわよ、フィア。しっかりしなさいな」
キッとした帝国貴族としての視線から一転して、アリエスはやや眦を下げてフィアを心配そうに見つめた。
「うん……早くみんなが安心して暮らせる国になるよう、頑張るよ」
「もし困ったらすぐに相談なさい。アリエス・『アルフォニア』宛に書簡を送ってくれれば、フィアの一友人……親友として貴族たちの間での立ち回りくらいは助言してあげられますわ」
「頼りにしているよ。そう言った方面は全くもって疎いからな」
「何かにつけてフィアは素直ですものね。お菓子でついていく子供みたいに、甘い言葉に騙されないか本当に心配ですわ」
「幾ら何でも……いや、うん、そうだな、十分に気をつけるさ」
そんなホイホイ騙されない、と反論しかけたフィアではあったがすぐに言葉を飲み込んだ。彼女自身、人の言葉を疑わない性質であることは自覚している。ポリポリと頬を掻いてもう一度「うん、気をつける」と素直に頷いたのだった。
「それじゃ、アリエス。また会おう」
「ええ。できればもう一度だけ、『ただのアリエス』としてお会いしたいですわ」
「私もだよ。
ではな。元気で――ああ、そうだ」
最後にもう一度二人は固く握手を交わしたが、フィアは何かを思い出した仕草をするとアリエスから離れた。そしてそのまま穏やかな笑みを湛えたままキーリの方へと近づいていった。
「フィア?」
アリエスの呼びかけに一度振り返ると、ニコリと笑みを貼り付けたままだ。だが無言のままで何も応えなかった。
程なくキーリの前に辿り着くと、フィアは彼の前に立った。
「キーリ」
名を呼ぶ。キーリは顔を上げた。フィアは笑っていた。
次の瞬間。
彼女の拳がキーリの顔面を捉えた。
「……っ!!」
本気で振るわれた拳はキーリの体を地面に叩きつけ、切れたキーリの口端から血がこぼれ落ちた。なされるがままに地面に転がりながらも、特にキーリは何か抵抗するでもない。そんな彼をフィアは怒りのこもった両目で見下ろしていた。
「フィアっ!? 貴女、何をっ……」
「今回はこれで許してやる。だが――これ以上私を失望させないでくれ……お願いだから……」
突然の行動に呆気に取られるアリエスたちを他所に、フィアは目元を拳でグイと拭うと無言でキーリに背を向ける。そしてそのまま何も言わずに、リズだけを従えてこの場から去って行ったのだった。
「……はあ」
フィアが居なくなってようやくキーリは起き上がった。片膝を立てたまま顔を伏せ、小さくため息を漏らした。そこに白い腕が伸び、ハンカチが握られていた。見上げた先にあったアリエスの眉が、根は寄せながらも眉尻は下げるという、なんとも彼女の複雑な心情を表していた。
「……何をしでかしましたの?」
「俺が悪いってのはお見通しか」
「当然でしょう。フィアがあそこまで怒るのは相当ですわ。よっぽどの事をしたんでしょう? 言いなさいな。いったい何をして怒らせたんですの?」
「まあ、ちょっちな」
差し出されたハンカチを断り、問いに対しても言葉を濁してキーリは立ち上がった。フィアとリズの後ろ姿はもう相当に小さくなっていて、けれどもキーリはその姿をジッと見つめた。アリエスに背を向ける格好でキーリは立っていて、その瞳がどんな色を湛えているか、彼女には分からなかった。
「……ともかくも、後でキチンと謝罪しておく事ですわ。
この先フィアが国王としてやっていくにはキーリ、貴方くらいひねくれた存在が必要ですのよ。ここまでフィアを支えてきたのでしょう? 最後までしっかりと支えてあげなさいな」
「なぁに、アイツはもう立派な王様だよ。俺なんかが居なくたって立派にやってくさ」
「キーリ……もしかして貴方――」
「別に放り出したりしないって」
軽く首を振ってアリエスの声をキーリは遮った。
「ただ……そうだな、いずれは俺も自分の目的を果たさなきゃいけないし、そん時はちょーっちだけ距離を置くかもしれないな」
「貴方の目的って確か――」キーリの目的を思い出し、アリエスは小さく頭を振った。「……迷惑を掛けたくない、という事ですの?」
「そんな高尚なもんじゃねーよ。ただ……」
キーリは首を横に振って口を突いて出そうになった言葉を飲み込んだ。
「キーリ?」
「なんでもない。ま、心配すんな。アイツが俺を見捨てない限り俺がアイツを見捨てるなんて事は天地がひっくり返ってもねぇからさ」
そう言うとキーリは歯を見せてカラカラと笑ってみせた。その仕草は「大したことじゃない」と殊更にアピールしているようであり、だがアリエスはそれが余計に何かが起きる予兆ではないかと嫌な予感を抱いた。
だから彼女は口走ってしまった。
「ええっと、その、キーリ?」
「ん? なんだ?」
「その、ですわね……もしもなんですけれど、貴方さえ良かったら帝国のワタクシのところで――」
一緒に過ごしませんか? そう尋ねようとして、果たして、その問いは最後まで口にはできなかった。
アリエスに向かって伸びた、まるで女性のそれと思えるような細く長い指。キーリは彼女の口元に指を添え、穏やかな瞳を向けていた。
「……あ」
キーリは首を縦にも横にも振っていない。声さえ発していない。それでもアリエスはその瞳に気づいてしまった瞬間に言葉を失い、同時に自分が何を言おうとしていたのかに気づいた。
アリエスを酷い嫌悪と後悔が襲った。
チャンスだと思ってしまった。
キーリとフィアの仲が上手くいっていないのをこの目で見ておきながら、彼を手に入れようとしてしまった。余計に引き裂くような真似をしかけてしまった。彼女を支えてあげなさい。そう言ったばかりのこの舌で。
(なんて、なんて……)
醜い、感情。こんな感情を知らなかった。一度自覚すると、自分の奥底にドロドロと流れるそれから目を離せない。彼女に喰らいついて離そうとしない。それどころか、逃げようとする程により強く絡みついてくる。
嫌だ、止めて。フィアをそんな目で見たくない。フィアを悲しませたくない。大事な大事な友人のままでいたいんですの。苦しさが彼女の首を締め上げ、誰か助けて、と悍ましい感情から逃げ出したくて、幼子の様に膝を突いて泣きわめいてしまいたかった。
だが不意にそれらの感情が軽くなった。
「――アリエス」
覆っていた両手を除け、アリエスが顔を上げればキーリが柔らかく微笑んでいた。その手はアリエスの頭へ伸びている。二、三度子供をあやすように金色の髪を撫でる。それだけでもう、彼女を脅かした感情は何事もなかったように静まり返っていた。
「ありがとな」
「あ……」
そう言ってキーリの手が離れた。手のひらから伝わってきていた熱が失われ、アリエスの口から小さな声が漏れた。
彼が口にした謝辞は、いったい何に向けてのものか。
アリエスはそれを確認したかった。しかし確認してその答えを聞いてしまえば、もう取り返しがつかなくなる。そんな予感がして、結局彼女は口を小さく動かすだけで声を発することができなかった。
「心配ばっか掛けてっけど、アリエスの元気な姿が見れて嬉しかったぜ」
「え、あ……」
アリエスが瞬きをすると、キーリの優しげな微笑みは消え去り、昔から見慣れた、口端を片方だけ上げた皮肉っぽい笑みに変わっていた。
一瞬の変化に戸惑い、そんな彼女を他所にキーリはトンっと軽く後ろに飛び退いた。
「んじゃな、アリエス。お前も元気でな。俺とかが言えた話じゃねぇけど、あんま無理すんじゃねぇぞ」
「ま、待ちなさい、キーリ! まだ、まだワタクシは――」
話したいことがある。アリエスは必死に手を伸ばした。
だがキーリは軽く手を挙げて別れを告げる。地面から黒い影が生物のように彼を飲み込み、もう一度彼女の瞳が瞬きで隠された瞬間には何処にもその姿は無かった。
「消えたっ!?」
初めて見たキーリの魔法にシュバルツハルトたちは驚きを露わにするも、アリエスは唇を噛み締めて消えたキーリの跡を見つめる。
渦巻いていた嫉妬心は消えた。だが代わりに、ただ寂しさだけが募る。アリエスの胸の奥がキュッと握りつぶされてしまいそうで、彼女は目を強く瞑るとキーリが居た場所から背を向けて砦の方へと歩き出していったのだった。
お読み頂きましてありがとうございました<(_ _)>




