14-1 鐘の音は響き、針は再び時を刻み始める(その1)
第3部 第79話になります。
お付き合い、よろしくお願いします<(_ _)>
初稿:18/08/04
<<<登場人物紹介>>>
キーリ:転生後鬼人族に拾われるも村が滅ぼされた事で英雄への復讐を誓い冒険者となった。国王殺害の濡れ衣を着せられ逃亡生活中。
フィア:パーティのリーダーで王国の王女。国王殺害犯としてキーリ、レイスと共に逃亡生活真っ只中。
リズ:王城に務めるレイス、ミュレースの同僚メイド。フィアに非常事態を告げにやってきた。
そこかしこで剣がぶつかり合う。槍が体を貫き、血しぶきが舞う。腕を斬り落とされた兵士が悲鳴とともに倒れ、その上を敵味方問わず踏み潰していく。
後方から飛来した炎神魔法が着弾し、爆発。炎が瞬く間に広がり、付近に居た兵士たちを怨嗟ごと飲み干していく。
そこに突き刺さる風の刃。炎が斬り裂かれ、同時に水弾がばらまかれる。炎はすぐに勢いを減じ、完全に消え去るよりも早く武装した兵士が焦げた肉体を乗り越え進む。
「進めぇっ!! 陽が暮れる前に何としても敵を押し込めっ!!」
馬鎧を装備した騎馬の上で小隊長が大仰に剣を振るう。何度も何度も後ろから前へと振りかざして命令を飛ばし、その声に押され、戦場の熱気と狂気に麻痺した歩兵が次から次へと行進を続ける。
現場にいる誰もが最早思考を止めていた。ただ生き残ることだけを考えていた。敵が攻撃してくるから自分も攻撃する。どちらが最初に手を出したかなど関係ない。武の心得があるモノは鍛錬に従って手の中の武器を振り、心得が無いモノはひたすらに得物を前へ突き出す。そうしなければ、余計なことを考えてしまえば頭がおかしくなってしまうのを本能的に感じ取っていたからだ。
遠く離れた場所で爆発音が轟いてくる。小隊長や兵士たちを赤く染め上げる。だがその方向に見向きする事なく、彼らは前へとだけ進んでいく。
「ひるむなっ!! 前へ、前へ進めっ!」
繰り返される単調な命令。だがそれで十分だ。小難しい戦略はもっと安全な場所に居る人間が考えてくれる。次の命令が来るまで、自分はここで馬鹿みたいに喉をからしていれば良いのだ。
身の丈に合わない、それなりに質の良さそうなマントを翻して戦場のあちこちを馬に乗って小隊長は走り回っていた。
「行けぇぇっ! 後退は許されんっ!! 退けば――……!?」
口沫を飛ばし叫ぶ続けていた小隊長だったが、その時背筋に冷たいものが走った。まるで背骨の中に氷柱を差し込まれたかのように全身に鳥肌が立ち、熱病にうかされたようだった頭の中が一瞬で冷めきる。同時に乗っていた馬が突然いななき暴れだして棹立ちになる。それまでは手綱をしっかりと握っていた小隊長だったが、何故だかこの時ばかりは「そうすべきだ」と思い、とっさに手を放して地面へと投げ出された。
落馬して尻を強かに打ち付け、彼はそのまま見上げた。本来ならば後ろから兵士たちが押し寄せてくるはずで、すぐに立ち上がって逃げなければその圧力に押しつぶされてしまう。だがこの時ばかりは彼の周りの兵士たちも脚を止めて空を見上げてしまっていた。
「う、わぁぁぁぁっ!!??」
前方から上がる悲鳴。兵士たちが何人も空を舞う。帝国軍、王国軍問わず高々と舞い上げられ、見上げた兵士たちの方へと落ちていった。
両軍がぶつかり合うその境目でキーリは影の中から飛び出した。
「退けぇぇぇっっっっっ!!」
大声を張り上げ、影で出来た不気味で巨大な剣をこれ見よがしに振り回す。近くに居た兵士たちをそれで弾き飛ばし、闇神魔法の特性である「恐怖」を付近に撒き散らして双方の兵士たちを足止めしていく。
地面からはあからさまに黒い棘をそこかしこに突き出し、その周囲にはまるで生物のように不気味な触手を蠢かせる。草原だったはずの足元はいつの間にか赤黒い得体の知れない何かに埋め尽くされ、その様はまるでこの世ではない死後の世界を見るものに想起させた。
「う、あ……!」
眼の前に突如現れたキーリの姿と、周囲に広がる不気味な光景に両軍部隊は完全に脚を止めてしまっていた。
彼を中心としてポッカリと戦場に空隙が生じていた。黒い黒い空洞。戦線全体から見ればそれはほんの一部にしか過ぎない小さな孔だ。それでもキーリは確かに戦場に楔を打ち込んだ。
「何をしているっ!! 脚を止めるなっ!! 進め、進めっ!!」
後方から別の小隊長、或いは中隊長と思しき鎧とマントを身に着けた壮年の男が口ひげを揺らして叫ぶ。兵士たちを壁とした後ろからなのでキーリの姿は見えていないようで、前へ動かない前方に対して苛立ちが混じっていた。
急かされ、それでもキーリを前にして兵士たちは中々動けなかった。しかし後方から押し出されるようにして槍を前に向けた兵士たちが山のように迫ってきたのだった。
「……」
キーリは前後左右、あらゆる方向から迫ってくる鋭い刃を睨みつけた。戸惑いはあれど、帝国軍も王国軍も双方が今はキーリを敵と認識している。だがそれで別に構わない。言うなれば、キーリたちは帝国でも「これまでの」王国とも異なる第三軍なのだから当然だ。それに、刃がお互いに向かうよりもまだキーリへと向かってくる方がマシである。キーリは「死なない」のだから。
「――止まれ」
キーリは告げた。怒鳴り声でさえ飲み込まれて消えてしまいそうな程に騒がしい場が、決して張り上げてもいない声によって一瞬で冷え切った。ギュウギュウに詰められた兵士たちの隙間を縫い、足元に広がる黒い影を介して遠くその声は響き、声は届かない離れた戦場でも次第に動きが鈍っていった。
スッ、とキーリの手が瑠璃色になろうとしている空へ伸びた。
その手の先には黒い大剣がある。キーリを見ることができる兵士たちは無意識にその動きを目で追ってしまう。彼らの視線の先で、キーリは一瞬動きを止めて瞼を閉じる。
「――ぉぉぉぉぉぉおおおおおっ!!」
キーリは眼を見開くと雄叫びを上げた。それと同時に握っていた黒い大剣を地面へと鋭く、強く突き刺した。
切っ先が黒く塗り潰された地面へ吸い込まれていく。ほんの数瞬、雷のような擦過音がバチバチと轟いた。
そして次の瞬間、黒い稲妻が地面を疾走った。
太く黒い線が不規則に左右に鋭く曲がりながら描かれ、兵士たちの脚の下を駆け抜けていく。それはどこまでも遠く進み、しかしキーリから離れているが故に未だ戦い続けている兵士たちは気づかず脚を止めることはなかった。
だから、止める。
キーリは剣の柄から手を離すと、今度は拳を掲げた。拳に瞬く間に魔素が集中し、黒い塊となっていく。それをキーリは剣が刺さっていた場所へ叩きつけた。
その途端、地面を斬り裂いた黒い線から黒い壁が噴き出した。
まるで瘴気が噴出するように真っ黒な影の塊が一気に迫り上がっていく。質量を持たないはずの影。しかしキーリの作り出したそれは何人たりとも破壊できない頑丈さと、如何なる打撃や斬撃も吸収できる柔軟さを併せ持っていた。
迫り上がる前に上にいた兵士を弾き飛ばし、黒き壁は戦場を分断した。戦線の端から端までを網羅し、敵と敵を確実に隔てる。
両軍の兵士たちは突如として出現した、見ているだけでおぞましさを感じさせるそれを呆然と見上げた。両軍とも幾人かは我に返って壁を破ろうと殴りつけたり斬りつけたりしている。離れた後方からも魔法が次々と飛来して爆発したり、氷杭が突き刺さったりしている。だがそのいずれもが全く影にダメージを与えることができていない。
「……ふぅ」
その壁の上に立って見下ろしながらキーリは大儀そうに息を吐いた。一気に魔力を失った倦怠感が押し寄せてきて、このまま腰を降ろしたくなる。
恐らくはまた髪が黒くなっただろう、とキーリは思う。たぶん、もう元の銀色の部分は殆ど残っていない。使った魔力は回復しても、この黒髪化だけはどうにもならなかった。
だが、それも闇神魔法を使う以上は仕方のないことだ。それに――使えば使うだけ、奴に近づける。そう考えれば悪くはない。キーリは左手でほぼ黒一色となった髪を掻き上げた。
そうして考えていたのはホンの数秒だったが、キーリの体には使った分以上の魔力が既に戻っていた。疲労感も薄れ、次第に騒がしさの増してくる足元の喧騒を聞き流し顔をあげる。
そしてキーリは日暮れ空の一点を見つめた。視線の先のモノを目線で制し、すぐに視線を足元でうごめく大量の両軍兵士、将校を見下ろした。
「そこの男ぉっっ!! 何者だぁっ!? この壁をどかさんかっ!!」
王国側から偉そうな怒鳴り声が聞こえてくる。そちらを見れば、後方から一際身分の高そうな身なりをした男が、馬を駆り兵士を押しのけて寄ってきていた。
「あの男を撃ち殺せっ!! せっかく戦況はこちらに有利であったのだ! 一刻も早く排除して帝国へ押し込むのだっ!! 如何な不可思議な魔法を使おうと数で押せばただの人間だっ!!
そら、何をボサッとしておるっ!! これは命令だっ!!」
命令され、兵士たちが弓を構えて一斉にキーリ目掛けて射る。魔法部隊は次々と魔法を繰り出してくる。おぞましい程におびただしい数の攻撃が、王国側からのみ一気に押し寄せてきた。
そのどの一撃も自分には届かない。キーリは動ずること無くそれらを見つめながらそう確信していたが、自分はともかく流れ弾のせいで帝国側に被害が及ぶのは流石に頂けない。
「■■■――、――」
キーリは手をかざして何かを呟いた。それと同時に両脇数十メートルに渡って黒い影のカーテンを展開した。王国側からの攻撃はそのカーテンに衝突し、それら全てを絡みとった。
魔力を吸収されて魔法はその場で消え、矢はズブズブと影の中に飲み込まれていく。カーテンが消えると、まるで今の攻撃など全く無かったかのようだった。
その光景はさぞ衝撃的だったらしい。喚いていた将校らしい貴族の口からは最早何も出てこず、ポカンと間抜けな顔を晒している。どんなに偉ぶっていても、こうした時の表情は変わらないのだとキーリはどうでも良いことを考えた。
キーリは王国側に背を向け帝国側を振り向く。遠くから飛来してくる誰かの姿。懐かしい魔力だ。まだ距離があって小さい彼女の姿に僅かに微笑み、手を上げた。そしてその到達を待つこと無く王国側に振り返ると鼻を鳴らして自嘲したのだった。
「合わせる顔はねぇんだけどな……」
彼女が許してくれるならば、全てが終わるまで友のままで。彼女の想いを知りながら勝手なだと分かってはいたが、それを願った。
ともかくも、最後の仕上げだ。キーリは小さく頭を振り、王国側の茜と瑠璃が入り混じる夜空に浮かぶ人にアイコンタクトをして、再び呪文を詠唱した。
「■■■■、■■、■■■――」
誰にも聞き取れない不気味な詠唱が響いていく。声量はさほどではないのに、不思議なほどに響き渡っていく。
声が兵士たちの耳に届く。鼓膜を介して恐るべき滑らかさで臓腑に響く。意味は分からないのに、一切が理解できないのにその声を聞いた途端に何か得体の知れないものが自分の内臓の中を這いずり回ったような感覚に襲われ全身をガタガタと震わせていく。
手からは武器が滑り落ち、そこかしこで「ひっ!」と短い悲鳴が上がり耳を塞ぐ。それでも指の隙間から入り込んだ声は次から次へと恐ろしさを運んでくる。
やがて声が止む。やっと収まった。それでもまだ体の奥底に恐怖が宿っているような気がする。あの、あのおぞましい声の持ち主はまだそこに居るのだろうか。そこらに蔓延る恐怖の蔦から抜け出したくて兵士たちは恐る恐る顔を上げた。
彼らの視線の先。キーリはそこには居なかった。いや、何もかもがそこには居なかった。
兵士たちの周りには誰も居なかった。誰もが初めは眼が潰れたのかと疑った。だが自分の手足はきちんと見え、密集した中で肩と肩がぶつかり合うことで他者の存在がそこにはあることは理解できる。
しかし何も見えない。何が起きたのか、全く理解できない。空を見れば、茜と瑠璃色の境目があったはずなのに、今は真っ暗な天井が広がっているだけであった。
何だこれは。何だこれは。気が狂いそうになる。兵士の一人は頭を抱えて絶叫しそうになった。
「――あ」
恐怖に押しつぶされそうになり、だがその直前に光が差し込んだ。黒いドームの天井が一箇所破れ、冷え切った空気が排除されて熱が届いてきた。
雛が生まれる時のように、卵の殻が割れるかのようにして黒い壁に罅が走っていく。パリパリと音を立て、天井から黒い殻が剥がれ落ちていく。その度に光は溢れ、中にいる兵士たちの体に温もりが届けられていく。
もっと、もっと。兵士たちはまばゆさに眼を細めて空に向かって手を伸ばす。暗闇に凍える体を温めようと届けられてきた、太陽のような暖かい光と熱を求めて光の柱へ殺到した。
その時、黒い空が弾けた。バラバラに黒いかけらが散らばり、遮られていた光と熱量が一斉に彼らに降り注いだ。その光は人々の視界を全て一度真っ白に染め上げ、熱は閉じた瞼を優しく撫でていった。
収まる太陽の奔流。白かった視界が元の彩りを取り戻す。誰もが夜空に輝く光の源を見上げ、立ち尽くし、緑を取り戻した草の上に膝をついた。
「――お、おおぉぉぉ……っ!」
誰ともなく、ため息が漏れる。神は、我らの神はここにおわしたのだ。暗く、恐ろしい世界を打ち破り我らを救い出してくださったのだ。呟き声が何処からか聞こえた。
手を合わせ、祈る。そこに兵士も将校もない。
彼らが見上げたその先。
そこでは、真紅の翼を大きく広げたフィア――スフィリアースが夜空を煌々と照らし出していたのだった。
お読み頂きましてありがとうございました<(_ _)>




