7-8 彼の者はその眼に何を見るか(その8)
第3部 第42話になります。
よろしくお願いします<(_ _)>
初稿:18/03/10
<<<登場人物紹介>>>
キーリ:転生後鬼人族に拾われるも村が滅ぼされた事で英雄への復讐を誓い冒険者となった。国王殺害の濡れ衣を着せられ逃亡生活中。
フィア:パーティのリーダーで王国の王女。国王殺害犯としてキーリ、レイスと共に逃亡生活真っ只中。
レイス:フィアに付き従うメイドさん。フィアと共に一緒に生活中。
ミュレース:レイスの後輩メイド。コーヴェルの命でフィアに王位につくことを促した。
ユーフィリニア:王国の現国王でありフィアの兄。父親を殺して王位についた。
背後から伝わる影。雲に隠れていた月明かりが僅かに顔を覗かせ、そのおかげでミュレースは誰かの存在を悟った。
振り返る事無く体を捻り大きく反らす。彼女に何者かの右腕が迫った。
「……ぃっ!!」
突き刺さる黒塗りのナイフ。月明かりに反射してバレないよう特殊な塗装を施したそれを使っているということは、相手は自分と同業。
ナイフが差し込まれた左腕の付け根から血飛沫が上がる。激痛と熱が頭の中を一瞬で真っ白に塗り潰し、しかしミュレースは意識が飛ぶのを耐えた。
(この程度……!)
小さな頃から何度も経験している。強く噛み締めた下唇が切れ、意識を繋ぎ止めながら黒尽くめの相手を蹴り飛ばした。
まさかこの状況から反撃されると思わなかったのだろう。敵を蹴飛ばした確かな感触を覚えながら、反動でミュレースは頭から落下していく。
「ちっ……!」
微かに聞こえるくぐもった舌打ち。声の調子から相手は女か子供。暗みそうな思考でそう見当を付け、風神魔法を使って姿勢を整えると同時に音を遮断して着地した。
「気のせいか……」
見回りの騎士が付近を睨むも、既にミュレースの姿は無い。彼女は再び雲に隠れた宵闇に紛れ、地を這うようにして走り去っていく。
(油断した……!)
歯噛みしながらもスカートをはためかせてミュレースは木立の間を駆け抜けていく。落ち葉を踏みしめる度に激痛が走り、刺された場所から血が抜け落ちていく。
しくじった。だが、最低限のものは手に入れた。ポケットに入れた魔法具を握りしめる。後はこれを信頼できる人間へ手渡せばいい。物と思いを託せれば、後はどうとでもなる。
「くっ……!」
しかし問題は――そこまで体が持つかどうか。大きめの血管を傷つけたのか、出血が止まらない。たぶん、ナイフには毒も塗られていただろう。少なくとも自分が相手の立場であればそうする。
毒か出血か。脚が重くなり、息が乱れる。頬に赤い血を張り付かせ、ミュレースは背後を見た。敵は一定の距離を置いてずっとミュレースを追いかけてきていた。
屋根から落下する際に見た顔を、記憶と照合する。眼しか露出していなかったから判断が難しいが、おそらく王国の人間ではない。となれば教会側も裏側の人間を連れてきていたのだろう。
幸い、相手は一人のようだ。だが攻撃を受ける直前までその存在に気づかなかった事といい、一気に追いつこうとせずにミュレースの体力が尽きるのを待っているあたりそこらの凡百とは違うらしい。
(逃げ切れるか……?)
一瞬浮かんだ甘い考えを即座に却下する。このまま仮にスフォンまで体が持ったとして、その前に相手はミュレースを仕留めようとしてくるだろう。
(でも……それしか……!)
昔から逃げ足だけは自信がある。敵が追いついてこないのも、無理をして追いかける必要がないからだと思うが、裏返せば無理をしなければ追いつくことができないのだ。ならばこのペースで走り続けるしかない。
(絶対に、絶対に……生き抜く……!)
倒れるわけにはいかないのだ。コーヴェルを悲しませるわけにはいかないのだ。コーヴェルに笑ってもらうのだ。何としても取った画像を渡し、彼の最後の仕事を成就してもらう。それが、それだけが――娘のように扱ってくれた彼への、唯一の恩返しだ。この追いかけっこ、負けるわけにはいかない。
血と、おびただしい汗を流しながらミュレースは走った。歯を食いしばり、懸命に意識を繋ぎ止めて必死に逃げる。
木立をジグザグに走り、ナイフを奮って細い枝を撒き散らす。
持ち歩いていた、ありったけの魔法陣をばらまいて煙幕を張る。地神魔法で落とし穴や壁を作り出す。手を変え品を変え、何とか追手をまこうとする。
だが煙幕はあっけなく風によって吹き飛ばされ、痛みで集中を掻いて作られた落とし穴や土壁は僅かな足止めさえできず、途中で牽制の攻撃が飛んできてどこかに隠れる暇さえ与えてくれない。
(ダメ……!)
絶望が首をもたげる。悲壮さが表情ににじみ、それでもなお耐える。
しかし現実は無情だ。奪われた体力と体中に回った麻痺毒によって脚がもつれ、顔面を強かに打ち付けながら勢い良くミュレースは地面を転がっていった。
「くぅ……!」
打ち付けた体が痛みを訴える。走ることを止めたせいで心臓が痛い。だがそれら一切合切を無視してミュレースは迫りくる敵を睨んだ。
暗闇に紛れた敵の姿が瞬く間に大きくなる。ミュレースが転んだ以上、更なる追いかけっこの意味はない。
(ここでカタを着けるつもりか……!)
敵が両手でナイフを構える。高速で疾走し、一撃で彼女の息の根を止める算段らしい。そして、体を思い通りに動かすことさえ難しい現状、攻撃を防ぎ切れる可能性など皆無。
だが――
(諦めるなど――っ!!)
できようはずもない。許されるはずがない。恩を返す前にくたばるなどという、畜生にも劣る所業を、誰よりも自分が許すことができない。
「ぉぉぉぉぉぉぉおおおおおっっっっ!!」
ミュレースは吠えた。戦闘が苦手など、関係ない。生きるのだ。帰るのだ。そして頑張ったと侯爵に褒めてもらうのだ。
動かない体を無理矢理に動かし、残った全体力を脚に溜める。すれ違いざまの一撃。たった一撃に全てを賭け、生き抜く。ミュレースも敵と同じように両手にナイフを握りしめ、そして地面を蹴――
「その意思、見事よ」
――る直前、ミュレースの目の前で分厚い土壁が迫り上がった。
強く押し固められたそれは完全にミュレースと追手を遮り、追手は一瞬立ち止まるも、すぐに跳躍して壁を乗り越えていく。
ナイフを突き出しミュレースに迫る。だがその刃が届く直前に、ミュレースの体は宙に浮いた。
膝と背の下に添えられた太い腕。丸太を思わせるそれは力強くミュレースを抱きあげていた。霞む瞳に力を込めて見上げれば、硬そうな髭を蓄えた強面がそこにあった。
「誰、です……?」
「なぁに、ただの通りすがりよ」
掠れた誰何の声に、ゴードンは男臭くにやりと笑う。厳つい面構えだが妙な愛嬌があるその笑みは彼女に安心感を与えた。
だが、助けてもらったとはいえまだ敵は健在だし、ゴードンが信用できるとも限らない。着地と同時にゴードンの腕から抜け出そうとするが、一度気が抜けてしまったせいか力が入らない。
「こら、動くでない……ぬ? 怪我をしとるではないか」
「これ、くらい……大丈夫です」
「どう見ても大丈夫な傷ではないぞ、これは」
「お気になさらなくて、結構で、す。それよりも早く――」
「逃げねばならん事情がある、か」
「……」
ミュレースは押し黙った。
ゴードンは溜息をついて振り返る。彼を警戒してか、追手は追撃は仕掛けず一定の距離を保っている。
「途中からしか見とらんが、さて、どうしたものか。こっちの黒いのは見た目で分かり易いが、お主もただのメイドという訳ではなさそうだ。さしずめ、二人は同業者といったところと思うのだがどうかな?」
「……」
「答えはない、か。まあそれもそうか。
事情を知らぬ第三者が首を突っ込むものでもないとは分かってはいるがな、流石に目の前で人が殺されるのは見逃せん。どうだろう? ここは俺に免じて引かないか?」
ゴードンは黒尽くめの女に水を向けるが、追手の女は黙して反応は返ってこない。ただゴードンの隙を窺っている気配は強く感じられた。
「返事くらいはして欲しいところだが、やむを得んか。
そうなるとどちらかの味方をせねばならんが……」
ゴードンは腕の中のミュレースを見た。明らかに憔悴しているが、それでもなお、彼女の眼は強い意志で輝いていた。
ゴードンは獰猛に笑った。
「こういう場合――俺は気に入った方の味方をすると決めているのだ」
その言葉を皮切りに、敵が地面を蹴った。ミュレースは迫る敵の姿に、腕の中で身を捩るも既にそれで精一杯だった。それでもなお足掻こうとする彼女だったが、ゴードンはしっかりと腕の中で彼女を抱えたまま、仁王立ちで敵を待ち受けた。
「――っ」
ゴードンの前から敵の姿が消える。そして次の瞬間には彼の背後に現れ、首元目掛けてナイフを振り下ろす。仰向けに抱えられていたためにミュレースはいち早くそれに気づき、声をあげようとした。
「速さだけで何とかなると思ったのか?」
だがナイフが振り下ろされるより速くゴードンの腕が敵を捕らえた。大きな手のひらで頭を鷲掴みにし、軽々と宙吊りにした。
敵の女はナイフを腕に突き立てようとする。だが魔法で強化された彼の腕には刃が立たず何度も皮膚の上を上滑りするだけだった。
「さて、敵であれば俺も容赦せんのだが……勝手にこっちが横槍を入れたからな。殺すのは心苦しいところだな。
のう、お主でどうにかできぬか――アンジェ?」
女を吊り上げたまま、ゴードンは追いついてきたアンジェへと尋ねた。
話を振られたアンジェは億劫そうに歩きながら、ジロリと隈のできた眼をゴードンに向けた。
「……自分が首を突っ込んだから自分で何とかしなさいよ」
「そう冷たい事を言うな。困ってる者を見かけたら助けたくなるのが人情というものだろうが。なあ、アト?」
「オレも同じ。やっぱ困ってる奴は助けてやりたい。なぁ、アンジェ様ぁ。何とかしてやってくれよ」
ゴードンとアトにせがまれ、アンジェは気だるそうな溜息で返事をした。
「どうなさいますか?」
「……」
セリウスに問われ、アンジェは億劫そうにゴードンの腕の中にいる二人を見上げる。どちらも必死に足掻いているが、黒ずくめの方は何処か人間味がないようにアンジェには思えた。対するメイドの方は、すでに体力の限界なのだろう。顔は青ざめ、瞼が半分閉じかけている。だが覗くその眼はギラギラとしている。
「……そう思うならそっちのメイドを寄越しなさい。両方殺してしまいたいなら構わないけど」
「ぬ? すまん。そうか、怪我をしているのだったな」
「忘れてるんじゃないわよ」
ゴードンの腕からアンジェの前にミュレースは降ろされた。彼女は真っ赤に染まった傷口を押さえながら歯を食いしばりアンジェを睨みつける。
「聖女……っ!」
「よくご存知ね。でも、あいにくその名前はもう返上したの」
「教会の人間の世話になど……!」
「そ? なら別に良いけど。懸命に逃げてたようだけど、ここで犬死にしたいのなら止めはしないわ」
そう突き放すように言われ、ミュレースは悔しそうに顔を歪めた。己のプライドなど、目的のためなら取るに足らないもの。屈辱を押しとどめ、ミュレースは頭を垂れた。
「助けて、くださ……い。ここで死ぬわけ、には……」
「素直でよろしい」ミュレースの傷口にアンジェは手を当て、だが魔法を唱える前に尋ねた。「その前に教えなさい。何が――何が貴女をそこまで必死にさせるの?」
アンジェの口をついて出てきたのは、素朴な疑問だった。
ミュレースは最後の最後まで諦めていなかった。遠目に見ただけでも状態は満身創痍で、ゴードンが割って入っていなければ冷たい躯を晒してモンスターの餌になっていたに違いない。客観的に見てそう思う。だが、同時に何かを起こしてしまうのではと思えてしまう強い意志があった。その根源が何であるか、アンジェは知りたいと思った。
「……」
「答えなさい。じゃないと治療してあげないわよ」
「……笑って、欲しかった」
荒い呼吸の中、苦しげにミュレースは応えた。
それは息苦しさ故か、それとも心情を吐露させられたが故か。だがアンジェは問いを撤回はしない。
「汚れきった私を、娘だと呼んでくれたあの人に……私は喜んで欲しかった。ただそれ、だ、け……」
「……そう、分かったわ。ならゆっくり休みなさい」
体力が尽きたミュレースは言い終わらぬまま倒れ、アンジェはその体を受け止める。
すぐに風神と水神魔法を融合させた詠唱をし、傷口に手を当てる。淡い光が傷ついた体を癒やし、ミュレースの体に回った毒を緩和していった。そうして、程なくミュレースの眉間に寄っていた皺が解け、同時に彼女に掛けられていた変装用の魔法も解呪される。あどけなさが残る顔から穏やかな寝息が吐き出され始めたのだった。
「誰かの喜ぶ姿が見たい、か……」
腕の中で眠るミュレースを見下ろし、アンジェはふと昔の事を思い出した。
聖女と呼ばれるようになった頃、それまでから一変した生活に戸惑いながらも教会から与えられた使命を果たさなければと必死だった。
ただ言われるがままに各地を周り、光神の言葉として人々を励ましていく日々。だが、彼女から言葉を掛けられた人たちはみな笑顔だった。
(そんな感情、とっくに捨ててしまったつもりだったんだけど……)
「もう大丈夫か?」
ミュレースの顔を覗き込んだゴードンの声にアンジェは小さく溜息を吐き、頷いた。
「ええ、あとは寝てれば勝手に元気になるでしょ」
「ならコイツはどうする?」
ゴードンはもう一方の腕で掴み上げていた女を掲げた。
彼女の方は抵抗を止めていた。相手が聖女だと分かったからだろう。しかし瞳の奥で彼女を非難しているようにもアンジェは思えた。そしてその感情は至極真っ当なものだ。少なくとも、教会に属する「モノ」としては。
だが、それが何だというのか。
「寄越しなさい」
ゴードンから女を受け取ると指先でクイと顎を上げさせ、覆っていた口元の布を剥ぎ取る。
アンジェはその口の中に指を強引に差し込み、女の眼を覗き込んで小声で詠唱した。
指先から溢れ出る液体。それが女の体内を生き物のように這い回っていく。体が小刻みに痙攣し、眼から正気が失われていった。
「……貴女は無事に追っていた相手を始末できた。けれど途中でモンスターがやってきて、相手の遺体を食べてしまったから回収できなかった」
「……」
「そう報告すること。いいわね?」
「……はい」
虚ろな目をした女に虚偽の情報を刷り込ませ、指を引き抜く。女は一度膝を突いてぼんやりとしていたが、アンジェから念を押されると感情の篭もらない返事をしてフラフラと立ち上がり、何処かへと消えていった。
「アンジェ様、何をしたんだ?」
「水神魔法の応用よ。偽りの記憶を刷り込ませたの。これでしばらくはこの娘を追ってくる事もないでしょ」
「すげー! アンジェ様ってそんな事もできるんだ!」
「貴女にも教えた事があると思うのだけど?」
ジト目をアンジェから向けられてアトは「テヘペロ」っと舌を出し、セリウスは呆れて頭を抱えた。
「ま、いいわ。
それで、これで満足かしら、ゴードン?」
「おお! 満足も満足だ! さすがはアンジェ! 頼りになるのぅ!」
「煽てたって何も出やしないわ。まったく、お陰でいよいよ教会に戻れなくなったわ」
「ぬ? どういうことだ?」
「先程の女は教会の人間でしたから。魔法が掛けられている事もそれなりに長けた者が見ればすぐに分かるでしょうし、女が証言すれば掛けたのがアンジェリカ様だとバレますから」
「げ……」
「それは……なんというか、スマン」
「別にいいわよ。アンタがそう言う人間だって分かってたし。どちらにしろ、今の教会に戻るつもりはないもの」
アトが冷や汗を流し、ゴードンはバツが悪そうに頭を下げた。だがアンジェはやれやれ、といった具合に軽く肩を竦めただけだ。
彼女の口元には、微かに笑みが浮かんでいた。追われる立場になって以来、初めての笑顔だ。何処か吹っ切れたような彼女の様子に、セリウスもまた小さく笑う。
「……なによ?」
「いえ、何でもありません」
「気持ち悪いわね。ま、セリウスが気持ち悪いのはいつもどおりだけど」
「お褒め頂き恐縮です」
「褒めてないっての」
「お主らは変わらんのぅ……」
「ところで、このメイドはどうしますか?」
「治療もしてやったんだし、このまま捨て置いても別にいいんだけど――」
「おいおい、それはあんまりだろう」
「そう言うと思ったわ。どうせ運ぶのはゴードンだし、スフォンまでは運んでやりましょう。その後は何とか自分でするでしょうし、運がよければ知り合いが見つけてくれるわ」
「どういうことだ?」
「年中メイド服な人間に覚えがあるってことよ」
記憶が確かならば、キーリたちの仲間に同じようなメイドが居たはず。単なる彼女の勘ではあるのだが、おそらくはこの娘も彼らの仲間なのだろうとアンジェは当たりをつけた。ならスフォンにまで連れていけば勝手に彼らと合流するだろうし、そうでなかったとしても山の中でモンスターの餌になるよりはずいぶんマシなはずだ。生きてさえいれば、後は勝手にするだろう。
「ほら、さっさと運びなさい。それから、スフォンの後はまた南に下るわ」
「ぬ? どうしてだ?」
「やりたい事ができたのよ」
ゴードンたちに背を向け、一人先頭を切ってアンジェは歩き出す。
その足取りは力強く、失われた彼女らしさを取り戻したようだった。
「別に――聖女じゃなくったって、やれることに変わりはないものね」
誰ともなしにつぶやいたその声は、誰でもない彼女自身の中に染み込んでいったのだった。
お読み頂きましてありがとうございました<(_ _)>




