7-2 彼の者はその眼に何を見るか(その2)
第3部 第36話になります。
よろしくお願いします<(_ _)>
初稿:18/02/24
<<<登場人物紹介>>>
キーリ:転生後鬼人族に拾われるも村が滅ぼされた事で英雄への復讐を誓い冒険者となった。国王殺害の濡れ衣を着せられ逃亡生活中。
フィア:パーティのリーダーで王国の王女。国王殺害犯としてキーリ、レイスと共に逃亡生活真っ只中。
レイス:フィアに付き従うメイドさん。フィアと共に一緒に生活中。
アンジェリカ:かつての英雄であり教皇国の聖女。各地を頻繁に巡礼している。
教皇:ワグナード教皇国の国主であり、五大神教のトップ。
「なにやら珍しい声が聞こえると思えば……楽しそうな話をしておられますな」
「エルンスト! ……よね?」
声が聞こえた途端にアンジェは不機嫌そうに顔をしかめるが、現れた彼の姿に思わず彼女は確認してしまった。
教皇と同じ真っ白の髪をオールバックにし、細い狐目のところには銀フレームのメガネが乗っている。口元には笑みらしきものが浮かんでいるが目は笑っておらず感情が読めない。
彼女が何より驚いたのはその姿だった。髪型やメガネといった些細な違いこそあれ、暗がりの中で目にするその様子は、かつて共に魔の門を閉じた頃から全く変わらず若々しいままだ。
また濃紺の神父服を着こなしている事にも言葉が出ない。元々神父ではあったが、神職でありながら神に対する尊敬を微塵も抱かず、事あるごとに都合の良いように教えを解釈して神の威光を食い物にする男だった。
そんな彼の変わらぬ容姿と宗旨替えしたような出で立ち。アンジェは彼のその姿を上手く頭で処理できず酷い頭痛を覚えたのだったが――
「他に誰に見えるというのです?」
「そりゃアンタ以外には見えないけど……ずいぶんと若作りが上手じゃない」
「『聖女様』はご苦労しているようで。分厚い壁を塗りたくらないと若さと美しさを維持できないようですね」
「うん。間違いなくアンタだわ。ちょっと表に出なさい」
丁寧な口調で人を小馬鹿にする話し方に、アンジェはこの男がエルンストであることを確信した。代償として精神の安寧を犠牲にする事になったが、彼に全力で光神魔法を叩きつけたい衝動を抑える事に辛うじて成功した。
「どうだい? 君も一緒に飲むかい?」
「結構です。完成に至るまで浴びるほど飲み干しましたので。貴方の道楽に付き合わされると苦労します」
教皇を相手に憎まれ口を叩きながらもエルンストはアンジェの正面に腰を下ろした。酒は飲まないが話には加わるつもりらしい。
「もうちょっと離れた場所に座りなさいよ。アンタの傍に居ると酒がまずくなるわ」
「気分で味が変わるとは……余程立派な味覚を持っているようですね。良い医者を紹介してあげますよ」
「神聖な空気が腐るって言ってるの、エセ神父。なんなら今すぐに光神様の元に送ってやってもいいのよ? ま、光神様もアンタみたいな罰当たりは即座に返品してくるでしょうけど」
「痛々しいですね。己こそが調和を乱していると気づかず喚いている姿は聖女にふさわしくない。私が直々に引導を渡して差し上げましょう。もっとも、昔から聖女にはふさわしくないクズでしたが」
「相変わらず君らは仲がいいね」
「冗談でも止めてください。いくら教皇様でも口にして良いことと悪いことがあります」
「業腹ですがその女と同意です。今の言葉は撤回して頂きたい」
互いに悪態をつき合っていたが最後だけは意見が一致し、口々に教皇に抗議する。教皇は「そういうところが仲が良いって思うんだけど……」と小さく零したがアンジェから睨まれ、それ以上は口にしなかった。
「だいたいなんでアンタみたいなのがこの場所にいるのよ。不敬な人間はさっさと消えなさい」
「残念ながらそうはいきません。今の私の住処はこの場所なのですから」
「は?」
「彼には私から仕事をお願いしていてね」
アンジェは「何を言っているんだ?」とばかりに片眉を跳ね上げるが、教皇から苦笑いとともに補足が入った。
「中々に骨の折れる仕事でね。わざわざ『外』とここを行き来してもらうのも大変だから住み込みで頑張ってもらってるんだ」
「そういう事です。なので出て行くのなら貴女の方ですよ」
エルンストの口端だけが微かに広がった。他の表情筋は動いていないのだが、アンジェは小馬鹿されたように思えた。
「……でしたら私に指示して下されば良かったのに」
「すまないね。彼でないとできない仕事なのでね」
エルンストでなければ不可能な仕事。果たしてそれは何なのか。自分に不可能でエルンストでは可能な事。眉間に深いシワを寄せて考え込むがアンジェには見当もつかない。
「私にもお手伝い出来ることは?」
「残念だけど。もう少し前だったらお願いできることもあったかもしれないけどね。もうおおよそは終わってしまったから」
「そうですか。
それで教皇様はご機嫌が宜しいのですね」
「ん? そう見えるかな?」
「ええ。お酒も進んでいらっしゃるようですし。お顔を隠されていないのもその仕事が終わられた事と関係があるのですか?」
アンジェの質問に教皇は小さく含み笑いをした。楽しそうなその顔は子どものようにアンジェには見えた。
「私にはね、願いがあるんだ」
「願い、ですか?」
「そう。どうしても叶えたい願いがあってね。ずっとずっと長い時間願い続けていたんだけれど、ようやくそれが叶いそうなんだ」
「それは……おめでとうございます」
「ありがとう」カタ、と音を立てて空になったグラスがサイドテーブルに置かれた。「まだ叶うには少し時間は掛かりそうだけど、もう私が手を出さなくても後は時が経つのを待つだけ。じっくりと焦らされる時を楽しめばいい」
願いが教皇の目的か。
朧気で読めない教皇の本来の目的。それを知るため、彼女は意を決して踏み込んだ。
「その願いとは何でしょうか? もし宜しければ教えて頂けませんか?」
「いやぁ、こればかりはアンジェリカといえども教えられないよ」
「そう仰らず」
「ははは。ダメだよ。恥ずかしいからね」
「エルンストは知っているのですか?」
「一部だけは、ね」
「私の方も全容は知らされておりませんよ」
「でしたらその一部だけでもお聞かせ下さい。私も教皇様のお手伝いをしたいのです」
「嬉しいことを言ってくれるね。ありがとう、アンジェリカ。でも――」
アンジェと教皇の視線が交差した。緩やかに描かれていた弧が、崩れた。
「なら、どうして君は違う道を選んだのかな?」
心臓が、跳ねた。
「――な、何を……」
「知らないと思ってるのかい? だとしたら私も見くびられたものだね。
君が自分のシンパを作るのは勝手だけど、それで私の邪魔をしてくれるようだと見逃してあげるわけにはいかないよ」
(バレている……!)
顔には笑み。しかしアンジェが覗き込んだ教皇の瞳には何も映っていない。どこまでも深い闇が広がっていて、それに気づいてしまった彼女の背におびただしい程の冷や汗が吹出した。
ガタ、と立ち上がった拍子に椅子が倒れた。彼女の影が大きく伸び、背後を暗く染める。
教皇は座ったまま動かない。彼の背から降り注ぐ光は表情を隠し、その中で口元だけがハッキリと歪んだのが分かった。
ゆっくりとエルンストが立ち上がる。眼鏡のフレームを指先で押すと、ただでさえ分かりづらい彼の顔色が反射する光で一層読めなくなった。
「さあ――どうする?」
頬杖を突いて尋ねる教皇。アンジェのこめかみから汗が一滴流れ落ちる。
しかし――彼女もまた口元で三日月を作ってみせた。
「そんなの決まっています。答えは――」
直後――おびただしい光の暴力が部屋を真っ白に染め上げた。
巨大な扉の隙間から閃光が暴走する。扉に刻まれた複雑な紋様が真っ赤に赤熱し、やがて白く変色する。そして溶けだし、穴が空いた途端に強烈な爆風が大扉を吹き飛ばした。
暗い廊下に烟る白煙。瞬く間に辺りは白く染まり、吹き出した灰と埃に塗れたアンジェが転がり出てきた。
「っ……!」
クラクラする頭を軽く振って意識をハッキリさせる。自らの魔法とはいえ莫大な光量を目の前で受けたためチカチカと視界が明滅するがのんびりしている暇は無い。口に入った埃を吐き出し、即座に立ち上がった。
「爺……!」
だがその前に侍従長が立ちはだかった。歳による白髪は乱れておらず、皺が刻まれたまぶたの下で静かにアンジェを見下ろしている。
しかしそれだけであった。侍従長は深々と一礼をした後に無言で道を開けた。アンジェは一瞬だけ呆けるもすぐに走り出す。すれ違いざまに眼だけで感謝と申し訳無さを伝え、侍従長は微かな微笑みでそれに応じると走り去っていくアンジェの後ろ姿を穏やかな瞳で見送った。
「見逃しましたか」
白煙立ち込める室内から神父服が現れ、侍従長は彼に向かって腰を折った。
「申し訳ありません、エルンスト様。処罰は如何様にも」
「それを決めるのは私ではありません」エルンストは室内で玉座に座ったままの教皇へと振り向いた。「如何致しましょうか?」
「侍従長の処分という意味で問うているのであれば結構です。とは言っても何もしないというのは侍従長も落ち着かないでしょうからそうですね……今からと明日一日の謹慎という事にしましょうか」
「その程度で宜しいのですか?」
「ええ。たまにはゆっくりお休みなさい」
処分というよりは単に休暇を与えただけ。大甘な処分に侍従長はピクリと片眉を動かしたが、彼の方から異を唱えるわけにもいかず「御意に」とだけ応じると、双子の姉妹に今後の対応を言付けて退出する。
「アンジェリカの方は」
「適当に追手を放っておいてください。ただし無理に捕まえようとはしなくて良いです。アンジェリカを相手にするのは大変でしょうからね」
「それで良いのですか? 教皇様の願いの障害となるかもしれませんが」
「構いません」アンジェを問い詰めた時と同じ頬杖の姿勢のまま、子どものように笑った。「それはそれで彼女なら面白おかしくかき乱してくれるでしょう。先程はああ言いましたが、独立した立派な組織を作り上げてくれるのであればそれもまた一興。世界は混沌としているほど、意図が絡み合って私を楽しませてくれますから」
頬杖をついたまま、愉快そうに教皇は笑った。心底、何が起きるか楽しみだと言わんばかりに。
「それに、混沌具合が深まればそれだけ時計の針は早く進みます。もうここまでくれば、何が起ころうと計画の修正も若干で済みますし、問題ありません」
「尻拭いは私の仕事ですからね」
「怒らないでください」
「怒ってなどいませんよ」エルンストは双子からボトルとグラスを受け取ると、酒を注ぎ教皇へ差し出す。「私の全ては御身のために。お役に立てるというのに気分を害するはずなどありません」
「嬉しいね、そう言ってくれると。昔はあんなにやんちゃだったのに」
「……お止め下さい。自らを知らぬ、恥ずかしい記憶です」
「本当に君がこの時代に生まれてくれて良かった。
ああ、もうすぐ、もうすぐです。私の願いがやっと成就する。頼りにしているよ、僕の羊飼いよ」
「ありがたいお言葉です」
グラスを傾け、教皇はため息を吐きながらも、楽しそうに呟いた。
「あと……少しだ。だからもっともっとおかしく踊っておくれよ――可愛い可愛い人間たち」
お読み頂きましてありがとうございました<(_ _)>




