7-1 彼の者はその眼に何を見るか(その1)
第3部 第35話になります。
よろしくお願いします<(_ _)>
初稿:18/02/22
<<<登場人物紹介>>>
キーリ:転生後鬼人族に拾われるも村が滅ぼされた事で英雄への復讐を誓い冒険者となった。国王殺害の濡れ衣を着せられ逃亡生活中。
フィア:パーティのリーダーで王国の王女。国王殺害犯としてキーリ、レイスと共に逃亡生活真っ只中。
レイス:フィアに付き従うメイドさん。フィアと共に一緒に生活中。
アンジェリカ:かつての英雄であり教皇国の聖女。各地を頻繁に巡礼している。
教皇:ワグナード教皇国の国主であり、五大神教のトップ。
ワグナード教皇国
皇都・ロンバルディウム
大神殿 最深部
カツ、カツとブーツの底が大理石を叩き、音が静かな通路に響く。天を貫かんばかりに長くそびえる柱と柱の間を規則正しいその音がすり抜け、暗闇の中に溶け込んでいく。ただかすかな息遣いと足音がひっそりとした空間を微かに震わせた。
長大な柱に一定の間隔で並べられた仄暗い照明がアンジェリカ・ワグナードマンの美しい銀糸を照らす。青白いその光は一層彼女の美しさを際立たせる。だがその美しさを賛美する者はここには居らず、彼女の前では銀糸とは違う白髪の侍従長だけがゆっくりと歩を進めていた。
「今回は長い御旅でしたな。さぞお疲れでしょう」
「別に。ただ歩いてるだけだしそんなに疲れてもないわ。退屈ではあったけど」
侍従長が穏やかな口調で世間話を振り、アンジェはつまらなさそうに返事をした。勝ち気で挑発的な目元は軽く伏せられ、何とはなしに通路脇の真っ暗な空間を眺めた。
「相変わらず馬車での移動はお嫌いですかな?」
「時と場合によって必要性は認めるわ。でも馬車だと座ってるだけだから余計退屈だし整備されてない道は通れないし、何より遅いのよ。ついでに目立つから馬鹿も寄ってきやすいし。それに、僻地を回るなら徒歩の方が目立たなくて何かと都合がいいの」
「昔はたくさんの付き人を侍らせて衆目を集めるのを喜んでおりましたのに、変わられましたな」
「口ばっかりの称賛に飽きたのよ。どいつもこいつも自分でなんとかしようとする気が無いんだから、嫌になるわ」
「ホッホッホ。それが『聖女』の仕事ですからな。頼られてこそ我々の価値が損なわれずに済むのですよ」
アンジェの愚痴に、年老いた侍従長は咎めもせず朗らかに笑った。こうして彼女が愚痴を零すのはいつもの事。聖女とて人間である、と生涯をこの地に捧げた彼はよく知っているのだから。
「ですが、できればもう少しお付きの人間を増やして欲しいものですな。何処に不届きな者が紛れ込んでいるか分からないものですぞ?」
「別に私も体を鈍らせてるわけじゃないし、セリウスが居るから大丈夫でしょ。うざったい奴だけどアイツ一人が居ればなんでも事足りるから楽だわ」
四六時中、それこそ寝ている時でも傍から離れない精霊の騎士の名を口にする。
もっぱら剣では無く宿の手配や食事の準備などに辣腕を振るう彼に対していつもアンジェは冷たい対応だが、頼りにしているのは違いない。例えアンジェが深く眠っていても決して不届きな真似をしないと根拠なしに信じられるくらいには彼の忠誠に疑いの余地はない。
「他の精霊の騎士から見れば眼を疑うような扱いですが……当人が幸せであればそれもまた良き事なのでしょう。
さて、着きましたぞ」
侍従長が立ち止まりアンジェも足を止めた。目の前には巨大な大扉。豪奢で重厚なその両隣には同じ顔をした双子のメイドが立っていた。
「聖女様が帰還のご挨拶に参られた」
要件を簡素に告げると双子はジッとアンジェを見つめる。そして寸分違わぬ対称の動きで扉をゆっくりと開けていった。
大扉を抜け、アンジェは広大な空間の中に足を踏み入れた。天井はどこまでも高く、暗闇に覆われて見上げても先は見えない。部屋の隅も真っ暗で同様。そこで何かが蠢いていたとしても驚きはしないくらいだ。ただ扉から教皇が待つ玉座まで一本の明るい通路が伸びている。部屋のその様子はアンジェも見慣れているものだ。
だが今日は違っているものがあった。
「ああ、アンジェリカ。おかえり」
驚きに立ち止まったアンジェに教皇から声が掛かり、ようやく再起動を果たす。そしてマジマジと遠く離れた玉座に座る教皇を見つめた。
一ヶ月の半分はこの部屋で過ごす教皇だが、薄いベールのようなもので顔の辺りが隠されており、また敢えて落とされている光量のせいでいつもは顔をハッキリと見ることはできない。それこそ近寄っても正確な視認は難しく、この空間の外に居る時であっても人前では仮面を被っている事が多い。
だが今はベールは払われ、光量も十分に強い。教皇の顔を隠すものは何も着けておらず、距離があっても確認できる程に素顔を露わにしていた。
柔らかく微笑む、性別も年齢も不明瞭な教皇の顔。こうして直に目にするのは果たして何年ぶりだろうか、とアンジェはそんなことを思った。
「どうしたのかな?」
「あ、いえ」
常と違う教皇の様子に疑問が浮かぶ。だがそれを口にする前に、アンジェは教皇の前に進み出ると膝を突き頭を垂れる。
「アンジェリカ・ワグナードマン。ただいま諸国遊説から帰還致しました」
「お疲れ様。しばらくゆっくりと過ごしておくれ。
ああ、そうだ。ちょうどいい。たまには誰かとおしゃべりをしたい気分なんだ。付き合ってくれないかな?」
そう言うと教皇はサイドテーブルに置かれていたワインのボトルを小さく掲げた。こうして酒を嗜んでいるのはいつもの事だが、誰かを誘うのは珍しい。
「……ではお言葉に甘えさせて頂きます」
何かが、おかしい。違和感を覚えながるも、断る理由はない。腹を割って、ではないがこうして酒を嗜んでいれば何か教皇も口を滑らせるかもしれない。アンジェもは訝しみながらも頷いた。
教皇が軽く手を叩くと、いつの間にかアンジェの後ろに双子の姉妹が立っており、彼女のための椅子とサイドテーブルが設置されその上には透き通ったグラスが並べられた。その中に教皇手ずから色の濃い酒を注いでいった。
「ありがとうございます」
「なに、アンジェリカはいつも頑張ってくれているからね。たまには私からも労わせておくれ」
上機嫌で教皇は微笑む。二人はグラスを軽く合わせ、アンジェは優雅な所作でワインらしき酒を傾けた。
(……?)
一口飲んだところでアンジェは首を傾げた。そして香りを嗅ぎ、グラスを光に照らしてみる。
芳醇な香りはワインだ。色は心なし濃いように思える。軽く回してみるが、赤というよりも光の加減か黒にも見えた。味もワインのように思えるのだが、何か違うような気がした。
「どうかしたかな?」
「いえ。飲み慣れた味と違うように思えましたので」
「ああ、そうだね。新しい種類を作らせてみたんだ。少しクセが強いんだけどね、慣れると中々に病みつきになるんだ」
そう言いながら教皇はグラスの中身を減らしていく。それを見てアンジェももう一度口に含んでみるが、どうやら口に合わないらしい。半分ほど減らしたところでアンジェはグラスから手を離した。教皇はそれに気づくが、特に咎めはせず代わりのワインを準備させた。
「ところで各地を回ってみてどうだったかな? 私もたまには外に出てみたいんだけど基本的にここから動くわけには行かなくてね。いつもアンジェリカたちがしてくれる報告が楽しみなんだ」
「報告が遅くなりまして申し訳ありません。
今回は主に共和国と王国を巡りました。
共和国では一部の商人たちが富と権力を独占している事に不満が高まっています。我々もこれまで共和国の市民と距離を詰められずにおりましたが、今は巡ったどの街にも大なり小なり教会の建立が進んでいます。特に一部では教会は無事に国民の生活に根付き始めているようです」
「そう。それは良かったよ。もうしばらくすれば面白い事が起きそうだね」
「ええ。いつか盛大な花火が打ち上がりそうです」
アンジェの瞳に、グラス越しの教皇が映る。ガラスを通して見えたその顔は歪に歪んでいた。
「王国はどうだったかな?」
「……客観的に評価するならば『ひどい状態』と言えるでしょう。貴族派と旧国王派、貴族派と貴族派……次々と各地で戦闘が勃発しています」
僅かに言い淀み、口元が歪んでしまいそうになる。だがそれを押し隠すように報告を続ける。
「現国王と貴族派との対立も最早修復は不可能。国民の現国王への不信もかなりのものになっているかと。村々にも脚を運びましたが、田舎の方にも旧国王殺害の噂は広がっています。
多少尾びれはついていますが全ては思惑通りに事は動いていると言ってよいかと」
「噂の真偽は別に重要ではないからね。人間たちが相互に不信を抱いてくれるならそれで十分だよ」
「ですが……宜しいのですか?」
「なにがだい?」
「今の王国であれば、内部の人間を一気に教会関係者に挿げ替えることは容易いかと思いますが」
「構わないよ。別に王国を支配したいわけではないから」
思わずアンジェは怪訝そうに端正な顔を歪めた。
今の状況を鑑みれば、教会の権威を高めるにはまさに格好のタイミングだ。前国王時代に入り込んでいた多くの者がさり気なく排除されて数を減らしていたが、現王に変わってから既に多くが王国内で暗躍している。とはいえ、まだ以前の状態に戻ったに過ぎない。
確かに王国を表立って支配する意図は教会にはない。だが五大神教の教えを誰もの骨の髄まで染み込ませ、何人も教会に逆らえないほどの盤石な権威を確立するのが目的のはず。その端初となる王国に対してここで手を抜く選択肢はないはず、とアンジェは思う。
(一体何を……)
教皇は頭の中に描いているのか。酒を楽しむ教皇を見つめても答えは出ない。
(ここは……狙いを確認するべきかしら?)
教皇の思惑次第では自分の描く計画にも修正が必要となる。本心を教皇が口にするとも思えないが、何らかの情報を引き出すべきか。彼――彼女かもしれない――であれば面白がってわざと口を滑らせるかもしれない。
どう話を切り出すか、と思考をアンジェは巡らせるが、その時不意に教皇の後ろに人の気配が現れハッと彼女は顔を上げた。
お読み頂きましてありがとうございました<(_ _)>




