1-2 森の中にて(その2)
第2話です。
よろしくお願いします。
キーリは鬼人族の、そしてルディとエルの子として順調に成長していった。
無論全ての鬼人族がキーリの事を手放しで同胞と認めたわけではない。表立って何かを言ったりしてきたりすることは無いものの、キーリが近づくと露骨に嫌悪を露わにして離れていく者もいる。
その事自体は悲しいがキーリとて見た目通りの年齢では無い。かつて人族と鬼人族の間で何があったのかは未だ教えて貰ってはいないが、人の心はそう単純ではないし容易く割り切れるものでもない。そういう人もいるだろう、と深刻にならずに受け止めていた。ただ、それを聞いたルディとエルが憤慨してくれた。その事はとても嬉しかった。
「一通り知識は教えたし、今日は実際に魔法を使ってみようかね」
「ホント!?」
「ああ、もう必要な事は教えてしまったからね。しかし、賢い子だとは思ってたけどまさか六歳で理解してしまうとは思ってなかったよ」
三年の間にキーリは様々な知識をルディとエルの二人から学んだ。二十年間生きてきた世界とは丸切り違う常識に戸惑いながらも学ぶことは楽しく、新鮮な毎日を送っていたが魔法と聞いた時は特に心が弾んだ。
キーリとて男である。魔法には憧れがあり、知識を一つ学ぶのにも並々ならぬ情熱を燃やしていた。その結果が先のエルの感想なのだった。
しかし現実は無情でもあった。
「……」
キーリには魔法の才能が無かった。
半年に渡って毎日訓練を欠かさず続け、その結果使えた魔法はマッチの火にも満たないような小さな火を指先に灯すことだけであった。
「……」
「理解が早かったから才能があると思ったんだけどねぇ。ま、こればっかりは仕方ないね。人族でも貴族サマじゃなきゃまともに使えないのが普通だって聞くし、そんなに落ち込むこたぁ無いよ」
エルの慰めの声が呆然としたキーリの耳に虚しく響く。
正直、エルもキーリに期待していた部分はあった。三歳にして打てば響くような返答をし、教えたことはあっという間に吸収していく。我が子に対する贔屓目もあり、また魔法に関する理解も早かったのでこの子は天才ではなかろうか、と内心では喜んでいたのだが、そう世の中は甘くなかったということか。
「まあ、アタシが知ってる理屈も聞きかじりだし、アタシ自身たいした魔法は使えないからアタシの教え方が間違ってたのかもしれないね。大きくなったら人族の国に行ってキチンと学べばもうちっとマシに使えるようになるさ」
「僕は……ずっとこの村に居る。お父さんとお母さんと一緒にいる」
キーリの頭に手を遣りながら励ますエルだったが、村の外の話になるとキーリは俯いて頭を振ってエルの脚にしがみついた。
前の世界での生を合わせると二十六年になるが、この世界で過ごすキーリの精神性は肉体に応じて幼くなっていった。情緒が安定せずにすぐに悲しくなり、すぐに楽しくなる。ルディとエルの姿が狩りなどで見えないと瞬く間に不安と寂しさで涙が零れ、二人に抱きついて居ると安心する。
前世での記憶もあって恥ずかしさもあったが、それ以上に感情の力が強く、今ではこうして行動で寂しさを紛らわせることが日常になっていた。
そんなキーリをエルは愛おしそうに眼を細めて、鬼人族とは違う柔らかい銀色の髪を撫でていたが、やがてその頭をポンッと軽く叩くとキーリを引き剥がした。
「そうさね、キーリはアタシとルディの子だものね。ありがとう、キーリ。
さ、アンタも鬼人族の男の子なら強くならなきゃね。ほら、ルディの所にいって鍛えてもらってきな。今は村の東の広場の方で若いの相手に取っ組み合いしてる頃だろうからね」
「……うん、分かった。ルディの所に行ってくる!」
元々鬼人族という種族自体が魔法が得意ではない。村で一番魔法が使えるエルでさえ炎神魔法しか使えず、それでさえ料理をする時の火種になるのが精一杯だ。
その代わりに鬼人族は体格に恵まれていた。人族を遥かに超える上背と、生まれながらに筋肉質で、それでいてしなやかな肉体。元々、鬼人族の集落周辺は凶暴なモンスターが蔓延る危険な場所だ。おまけに果物や野菜は育ちにくく、生きていくためにはその危険なモンスターを狩って生きるしかない。
だから生きるために、自分や村を守るために男達は小さい頃から村の大人の男らに体と技を鍛えられていくのは当然の流れだ。
「あの子はどうなっていくんだろうねぇ……」
草木が生い茂る道を苦もなく走っていくキーリの後ろ姿を眺めながらエルはポツリと呟いた。
鬼人族ほどの肉体も無ければ魔法が使えるわけでもない。力の無い者に向ける鬼人族の視線は冷たいものになる。今は子供だから良いが、成長して大人になった時に皆に一人前と認めてもらえる様な戦士になれるだろうか。
「やっぱり一旦村の外に出してあの子の才能を伸ばしてやるのが一番かねぇ。おっきな国に行けば炎神以外の魔法も学べるだろうし、迷宮なんてものもあるって聞くからそこで強くなれば……或いは頭もいい子だから学者なんて道もあるのかもしれないね」
キーリの将来を心配しながらも同時に広がっていく期待。不安と期待に揺さぶられているエルは「これも親だからかねぇ」と何処か嬉しそうに家の中へと戻っていった。
そうして日々は流れていく。
とある日。
「ねぇねぇ、キーリキーリ」
日課のルディとの訓練を終えて汗を拭いていたキーリに声が掛けられる。振り向くと、そこには鬼人族の女の子が居た。
名前はユーミル。鬼人族の村では唯一のキーリと同年代の子供であり、必然的に唯一と言っていい遊び相手だ。いつもショートボブの長さの髪を乱れさせていて、土まみれになって村のあちこちを走り回るのが大好きな活発な女の子。姉を自称し、毎日暇さえあればキーリを引っ張り回している。
「ああ、ユーミルか。ゴメン、ちょっと待ってて」
「はやくはやくー! れでぃを待たせちゃダメなんだよー」
年齢は一つか二つキーリより年上だが、待ちきれないといった様子で急かしてくる彼女と過ごす時間は本来の年齢関係に戻る時間でもあった。もし自分に娘が居たらこんな風なのかなぁ、と見た目にそぐわない笑みを浮かべ、ユーミルを宥めながら手早く服を着直す。
「ごめん、お待たせ。今日は何処に行く?」
「今日はね、えっとねー……」
遊ぶことで頭がいっぱいで何も考えてなかったらしいユーミルは、ここに来て「うーん」と頭を捻り始める。そんな姿をキーリが優しく眺めていると、不意にユーミルが「そうだ!」と手を合わせた。
「キーリは村の端っこの森の奥に行ったことある?」
「えっと、村は何処も森に囲まれてると思うんだけど……」
「あ、そっか」
「どっちの方向かな?」
「んーっと……太陽が昇る方!」
じゃあ東の方か、とキーリは空を仰いで太陽の位置を確認すると「あっちだね」と指差した。
「確か、あっちの森には子供だけで近づいちゃダメだってルディとエルが言ってたと思うんだけど……」
「ヘーキヘーキ! 村の中だからモンスターは出ないし、危ない動物もこの前退治したっておとうさんが言ってたから。それに、森の向こうに何があるかキーリは知ってる?」
「何かあるの?」
「うん! 森を抜けたところにね、えっと、なんて言うんだっけ……そうだ! 確か『ほこら』っていうのがあるんだよ」
「祠?」
「そう! 私たち鬼人族は生まれた時にそこに連れて行かれて、そしてそこにいる神さまに『元気な子どもが生まれましたよー』って報告するんだって。だけどキーリはほら、生まれた後に村に来たじゃない? だから見たことないでしょ? ね? だから行ってみようよ!」
ユーミルの誘いにキーリは迷う。ルディとエルの眼を盗んで行くのは心苦しい。だがユーミルの提案に心惹かれるのもまた事実だ。多くの村人がキーリの事を鬼人族の一員として認めてくれている。だがこうして自分の知らない場所があるとなると、まだ本当の一員になれていないような気がしてくる。
「うん、分かった」
「やった! じゃあ早く行こ?」
笑顔を見せるユーミルに頷き、キーリはエルに「ユーミルと遊んでくる」とだけ伝えて家を飛び出していった。
「気をつけるんだよ!」
「分かってる!」
ユーミルと並んで走っていくキーリをエルは笑いながら見送る。そして姿が見えなくなると「さて」と独り言を呟きながら家事を再開した。
その時。
「エル」
居るだけで岩のような威圧感を醸すルディが家の中を覗き込みエルに声を掛ける。眉間に皺を寄せるその表情には剣呑さが見て取れた。
「おや、何だいルディ。狩りに行ったんじゃなかったのかい?」
「そのつもりだったんだがな……客人だ」
ルディが親指で後ろを指し、エルが覗き込むとそこには四人の人族らしきの男女が居た。
全員が鎧や篭手などの防具を纏っており、ある一人は腰に剣を下げていて如何にも騎士然としている。別の、まだ成長途中と思われる少女は魔法使いなのだろう、杖を下げている。残りの二名はまだ十二、三歳程度の、双子と思われるあどけない少年と少女だ。そんな彼らの周りでは鬼人族が取り囲んでいて、皆不安そうな表情だったり、或いは人族に対して嫌悪感を隠そうともしていなかったりしている。
四人の人族は、そんな鬼人族の雰囲気に気づいてか気づかないでか、柔和そうな笑みを浮かべてルディとエルの方を見ていた。
(いや、違うね……)
エルは浮かんだ考えを即座に否定した。彼らはこうして目の前に立っているが、その実エルやルディを見ていない。笑みの奥に浮かぶ瞳には鬼人族の姿も映っていない。それに気づくと、途端にこの男女が胡散臭く見えてくる。
(何にせよ、早いところ退散してもらった方が良さそうだね)
ルディを見ると同じ考えらしく重々しく頷いた。
と、そこへ騎士のような格好をした男がキツネ目を更に細くして、如何にも人当たりが良さそうな笑みを浮かべて近寄ってきた。
「どうもお騒がせして申し訳ありませんねぇ。実は私達は魔の者たちを討伐し、魔の世界と繋がっている『門』を閉ざすべく、皆、教皇様、国王陛下、皇帝陛下より命を受けて旅をしている者共です。この『魔の森』と呼ばれる所に門があると聞きましてここまでやってきたのですがねぇ、まさか森の中にこのような集落があるとは思っておりませんでしたよ。いやはや、これもまさに光神様のお導きなのでしょう。宜しければ皆様には――」
「やかましい男だね、全く」
銀色に輝く、見るからに高級そうな装備を身に纏ったキツネ目の男の話を遮ってエルは背を向けた。
このままこの場所でやり取りを聞くのは、周りの雰囲気を鑑みてみても得策では無いだろう。ルディとエルは二人揃って家の中に戻っていき、その間際に一度振り返った。
「立ち話もなんだろ? 話は聞くだけ聞いてやるからさっさとこっちに来な」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ね、ねえ、ユーミル! まだ森から出ないの!?」
大きく肩で息をしながらキーリは前を走るユーミルに向かって悲鳴を上げた。
祠に向かうことを決めてからすでに三十分は走りっぱなしだ。村にやってきて以来、キーリも前世よりも遥かに野生児に近い生活を送ってきたつもりだったが、まだまだ甘かったらしい。鬼人族に比べて皮膚が弱いキーリの為にエルが拵えてくれたズボンはすっかり土や草の汁に汚れ、疲労が溜まった足元は気を抜けば膝が抜けてしまいそうだった。
「情けないなぁ、キーリは! もう少しだから頑張って!」
対するユーミルの動きは軽快だ。巨木の根っこや盛り上がった地面をヒョイヒョイっと避けながら鼻歌交じりに、しかしキーリよりも速く駆けていく。褐色の脚に浮かぶ筋肉はキーリが知る同年代のそれよりも遥かに発達していて、草木で皮膚が傷つけられている様子もない。
やっぱりユーミルも鬼人族なんだなぁと考えていて、ふとヒィヒィ言いながら女の子の脚を見つめている状況の自分に気づき、少し顔を赤らめた。
「あった! あそこあそこ! あそこだよ!」
足元に茂っていた雑草が途切れ、ユーミルが行先を指差して叫んだ。
そこは森の出口、というには暗い場所であった。確かに木々の林立は途切れたが、これまで通り過ぎた木々よりも遥かに巨大な、まるで千年杉のような巨木が空に突き出していて、大きく広がった枝葉によって昼間だというのに森の中と変わらぬ昏さを保っている。
そんな巨木の手前にある里山の山肌を見る。表面が崩れたように見えるが、よく見ればポッカリと大人一人分程度の大きさの孔が開いていた。
「ここ?」
キーリとユーミルは孔に近づいていく。自然に出来た洞窟といった風合いだが、祠と言うのは正しいのだろう。孔の中に入って見回せば壁や天井は石で補強され、所々に蛍石みたいな自発光する石が壁にはめ込まれていて神秘的な雰囲気を醸し出していた。
「へえ……」
「ふふん! すごいでしょ!? キレイだと思わない!?」
キーリは感嘆の声を上げてそのまま見入った。見た目の美しさもそうだし、宗教的かどうかは今のキーリには分からないが、なるほど、神さまが祀られているというある種の神秘性もなんとなく感じられるような気がした。もしかしたら中の空気がひんやりしていて、外とは違った空気感であるのも一因かもしれない。
「ここに神さまが祀られているんだもんな。ねぇユーミル、何の神さまが祀られてるの?」
「んーっと……わかんない。神さまは神さまじゃないの?」
キーリの質問に対して逆に尋ね返すユーミルの言葉に、キーリは何でも無い、と愛想笑いを浮かべてごまかし、ルディとエルから聞いた話を思い出す。
この世界の一般的な常識として、ルディとエルから信仰について教えてもらった事があった。
この世界は五つの神たちの下に存在している、という考え方が一般的なようだ。炎神、水神、風神、地神そして光神の神々が五大神として崇拝され、その中でも光神が主神としてこの世界を見守っているというのが五大神教の考え方で、宗教としても一番広く広まっている思想だと言っていた。
元の世界ではキーリは神や宗教といったものには興味を示さず、またその存在も信じてはいなかったが、果たしてこの世界ではどうなのだろう、と考察を試みたことがある。知らない事も多いのではっきりと判別は出来ないが、エルに教えて貰った魔法理論によると、使いたい魔法を司る神や精霊の力を借りて人は魔法を行使できるのだとか。
前世とは違って皆人智を超えた力を使えるのだから、本当に神が存在していてもおかしくはない、というところで思考を中断したのだが――
(――……)
「ん? ユーミル、何か言った?」
「キーリこそ。私に何か言わなかった?」
不意に何かが聞こえた。そんな気がしたキーリは横のユーミルを見て、ユーミルもまた同じようにキーリの顔を見遣って首を傾げた。
空耳だったのだろうか。だが確かにキーリの耳には届いたし、ユーミルも同じ声を聞いたのだ。何らかの音が発せられたのは間違いないだろう。では何者が音を発したのか。
視線をユーミルから洞窟へと戻す。当たり前だが見える景色は変わらない。しかし不可思議な音を聞いた今では逆に神秘性が不気味さへ変質してしまった。それはユーミルも同じようで、彼女は何処か不安そうに孔の中を睨みつけている。キーリの背がブルリと震えた。
「……中に入ってみよう」
その声にキーリは振り向いた。ユーミルは知らずキーリの服の袖をつまんでいたが、視線は洞窟の中に向けられたままで唇は決意を示すように固く結ばれていた。
「だ、ダメだよ! 勝手に入ったら怒られちゃうよ? それに、もし中に何か居るんだったら危ないよ!」
「大丈夫だよ。どうせ入ったかどうかなんて私達にしかわかんないじゃない? それにキーリが言う通り祠の中に何か動物が入り込んじゃってたらそれこそ大変よ。村の大人たちが持って来たお供え物が荒されてたら神さまだってお腹すいちゃうわ」ユーミルは一歩前に進み出た。「私だって鬼人族の娘だもん。祠は守らなきゃいけない。動物くらい、一人で何とかしてみせるわ」
「ユーミル……」
「あ、でもキーリは来なくていいよ。キーリはまだ小さいし、私はお姉さんだもん。だからここで待ってて」
「……いや、僕も行く」
キーリも付いて行く事を伝えると、ユーミルの言葉に反しているにもかかわらず彼女は何処かホッとした表情を浮かべた。
「うん! それじゃ行ってみよ~!」
俄然やる気を見せ、自分を鼓舞するように拳を突き上げるユーミル。彼女の前にキーリは進み出ると、一度深呼吸をして洞窟の中へ足を踏み入れた。
洞窟の奥はキーリが予想していたよりもずっと深かった。入り口からの光が届かなくとも石の発光で足元は何とか見えるが、心許ない。
不安から自然と脚は早歩きとなり、ユーミルはいつの間にかキーリの腕を掴んで体を押し付けていた。だがそんなユーミルをからかえる程、キーリに余裕はない。
二人の脚で一、二分程歩くと急に天井が高くなった。それでも鬼人族の大人一人がかろうじて直立して手を上に伸ばせる程度だが、二人への圧迫感はだいぶ緩和された。
二人の目の前。そこには祭壇があった。石造りで簡素に見えるが、通路よりも高密度に埋め込まれた照明石の明かりに照らされたそこをよく観察してみると、細部に様々な意匠が施されているのがわかる。正面部分には、最近誰かが持って来たのだろうか、日持ちのする保存食らしきものが置かれてたり、花が供えられている。
「……誰も居ないみたいね」
しかしそれ以外に特段荒された様子もなければ誰かがいる様子も無い。薄暗いために隅々まで確認することは出来ないが、どこにも隠れられる場所は無さそうなので本当に誰も居ないのかもしれない。
代わりに風が入り口の方から流れてきていて、時折風切り音をさせていた。
「風の音だったみたいだね、たぶん」
「なーんだぁ……ちょっと残念。でもまあ何も居なくて良かった。キーリの脚なんて震えてたし、野犬でもいたら大怪我してたかもね」
「……よく言うよ。ユーミルだって僕の腕に抱きついてたくせに」
「べ、別に怖くてキーリにしがみついてたワケじゃないもん! そ、その、そう! キーリがはぐれちゃわないようにしてただけだからね!」
下手な言い訳だが、キーリはそこは触れない事にした。ユーミルの言う通りキーリの脚も震えていたわけだし、これ以上この話題を続けるのはキーリ自身にもユーミルにも得なことなど無い。
「何も無いみたいだし、とりあえず出よっか?」
「……そうだね。何も面白い事も無さそうだし」
神秘的でもあり不気味でもある祠の中。ここに居ても落ち着かないし、と早くここから出ようとユーミルの手を引いて入り口に体を向けた。
「――っ!?」
しかしその瞬間、キーリの中を何かが通過した。そんな気がした。
血相を変えて後ろを振り返る。だがそこには祭壇があるだけで、何も無い。
気のせいか。そう思おうとしたが、背筋の中には不可思議な感触は確かに残っている。断じて、気のせいでは無い。
(幽霊……なんてね。まさか、ね……)
「……どうしたの、キーリ?」
「ゴメン、何でも無い。早く外に出よう。ここに居ると何だか気持ち悪い」
「うん……私もなんだろう、ここには余り居たくない」
首筋を擦るように触れると、キーリは微かに感じる違和感に首を捻りながら入口へと脚を進めた。
「うわっ、眩しっ!」
外に出ると安心したからだろうか。ユーミルは楽しそうに叫びながら手で目元を隠した。元々森の中は集落に比べると暗く、また陽はすでに傾きかけていた。それでもほぼ真っ暗に近かった洞窟の中よりも十分に眩しく、キーリも隣で眼を細めた。
「……どうする? 結局何も無かったけど」
「そうだなぁ……ま、いっか! とりあえずキーリに祠の事も教えてあげることが出来たし、村に戻って遊ぼっ?」
二人は来た時と同じように森に向かって駆け出した。ただし今度はユーミルも幾分ゆっくりとした速度で、キーリに合わせる様にして一緒に走っていく。
行きよりも時間を掛けて村に近づいていく。生い茂る草木を掻き分け、二人で唄を歌い、時にふざけ合いながら進んでいった。
「……何か、臭くない?」
そんな中、異変に気づいたのはユーミルだ。彼女は形の良い鼻をヒクヒクと動かして臭いを嗅ぐ。遅れてキーリも意識して臭いを嗅ぎとって、それが何かが焼けている時のそれだとすぐに気づく。
「まさか、火事かな?」
「うそ……まさかウチじゃないよね?」
「分からない……だけど、あり得るとしたらコービスさんの所じゃないかなぁ? 鍛冶屋さんだし。ともかく、急いで戻ろう」
ユーミルと頷き合ってキーリは走る速度を上げた。
やがて二人は森の茂みを飛び出して、喧騒が滾る村の中へと足を踏み入れた。
そこはすでに二人の知る村では無かった。
2017/4/16 改稿
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