6-1 グラッツェン(その1)
第3部 第27話になります。
初稿:18/01/25
<<<登場人物紹介>>>
キーリ:幼い体で転生後鬼人族に拾われるも村が滅ぼされた事で英雄への復讐を誓って、冒険者となった。国王殺害の濡れ衣を着せられ逃亡生活中。
フィア:パーティのリーダーで王国の王女。国王殺害犯としてキーリ、レイスと共に逃亡生活真っ只中。末期のショタコン。
レイス:フィアに付き従うメイドさん。フィアと共に一緒に生活中。
アリエス:帝国貴族の筋肉ラブな女性。剣も魔法も何でもこなす万能戦士。
カレン:弓が得意な猫人族で、キーリと同じく転生者。キーリとは異父兄妹になる。
ギース:スラム出身の斥候役。不機嫌な顔で舌打ちを連発する柄の悪さが売り。意外と仲間思い。
シオン:狼人族の魔法使い。頑張りやさんで、日々魔法の腕を磨く。実家の店がパーティの半拠点状態。
イーシュ:パーティのムードメーカー。勉強が苦手で三歩歩けばすぐ忘れる。攻撃より防御が得意。
ユキ:キーリと一緒にやってきた性に奔放な少女。迷宮核を自ら作り出したりと不思議な力を持つが正体は不明。
ユーフェ:スラムで住んでいた猫人族の少女。フィアに雇われた後、家族として共に過ごしていた。時々不思議な勘の鋭さを見せる。
シン:王国南部のヘレネム領を治めるユルフォーニ家の嫡男。キーリ達を匿っている。
ミュレース:レイスの後輩メイド。フィアを探して王国中を回っていた。
唸り声が聞こえる。
狼型のモンスターが何体も居並び、荒い息を上げて獲物を見定めている。口端からは絶えず唾液が滴り、全ての両眼が攻撃の意を表す赤に染まっていた。
やがて一匹が吼えた。深い木々に覆われた山肌に獣の雄叫びが響く。それを皮切りに一斉に獲物に襲いかかっていった。
バンデッドウルフに狙われた獲物の足取りは明らかに重い。汚れたマントから覗く脚はフラフラとし、土埃に塗れた橙の髪が揺れていた。腹を空かせたモンスターからすれば格好の獲物に見えるのは間違いなかった。
だが。
「――」
「……ギャゥン!?」
それにも関わらず狩られたのはバンデッドウルフたちであった。覚束ない足取りから一転し、放たれた剣戟は鮮烈にして苛烈。瞬く間にウルフたちから血飛沫が上がり、全てのモンスターが息絶えるのにそう時間はかからなかった。
転がったそれらを、彼女はナイフで素材を剥ぎ取っていく。手つきは慣れているが苦手なのだろう、剥ぎ取りには雑さが見える。
「――、――」
それでも彼女は自分に出来る限り丁寧にかつ素早く剥ぎ取り、残った肉を魔法で焼き上げた。程よい焼き色がつき、匂いが鼻をくすぐって彼女の喉が鳴った。だが彼女は下唇を噛み締めて堪え、毛皮類や焼けた肉を握って何処かへ歩いていった。そして行き着いた先は、壊れかけた小さな掘っ立て小屋だ。その家の前では、汚れたシャツを着た子どもたちが何人も立っていた。
「……」
フィアは手に持っていたそれらを子どもたちに差し出した。だが子どもたちは顔を見合わせ、戸惑う。
「あげる。痛まない内に肉は食べるといい。毛皮は……何処かに売れば少しはまとまったお金になるから」
痩せた子どもたちは同じく痩せこけたフィアを見上げた。どうして良いか分からず、しかしそのうちの一番年長らしい十歳を越えたくらいの子供がおずおずと手を差し出して受け取った。
「これくらいしか渡せなくてすまない」
「ううん、ありがとう……ございます。でも、お姉ちゃんの分は……?」
「私はいい……いつでも食べられるから」
被ったフードの奥で力なく笑うと、フィアは子どもたちに背を向けた。所在なさげに立ち尽くしたままの子どもたちが見送る中、何処か覚束ない足取りで山を下っていき、互いの姿は見えなくなる。
ふらつき、時折荒れた地面に脚を取られながらフィアはただ歩いた。空腹と渇きで思考は停滞し、それでも脚だけは前へと進もうとする。だが最早彼女は自分が前に進んでいるか後ろに退いているのか分からなかった。
「お腹……空いたな」
手持ちの資金は既に無い。持っていた食料も、非常食でさえも全て途中で出会った、戦災で居場所を失った人たちに与えてしまった。途中で遭遇したモンスターや動物の肉も先程のようにもう何日も肉の一切れでさえ口にしていない。
初めは思いつきだった。
自分が向かっているのは戦禍に遭遇した町や村だ。多くの人が多くの艱難に見舞われているだろうことは想像に難くなかった。実際にたくさんの人とすれ違い、彼らはみな、戦場に近い場所に住んでいたが避難してきた人たちだった。
幸いにして直接の戦火は免れたものの難民と化し、金もなくその日その日を僅かな食事で生き延びていた。苦しんでいる彼らに、フィアは手持ちの物を分け与えていった。
そうすれば、忘れていたものを思い出せるかもしれないと思ったから。
そうすれば、人を思う気持ちを思い出せると信じたかったから。形だけでも誰かのために動けば、やがて心から誰かを思えるのではないかと期待した。
そんな彼女の心情など、被災した彼らには関係ない。フィアが誰かに分け与えると、一斉に群がった。その時に手に持っていたものは全て渡し、時にはモンスターを狩って与えた。それでも彼女一人で全てを賄えるわけではないし、都合よく近くにモンスターが居るわけでもない。
彼女が既に与えられる物が無いと分かると、群がっていた人々は一斉に離れていった。神を崇めるようだった眼差しは一瞬で悪魔を罵るものへと堕落し、フィアに罵声を浴びせる者も居た。
「しかたない、しかたないんだ」
フィアは傷ついた。所詮、自分にはそれだけの価値しか無いのだと思い知らされるかのようだった。だが彼女は彼らを責めなかった。全ては戦いが悪いのだと結論づけ、痛みを無視した。
そうしながら戦いの中心地に近づいていく。出会う人たちも変わっていく。
まだ比較的きれいな衣服を着ていた人たちは血で汚れた服へと変わった。負った擦り傷は切り傷となり、顔にはススが付いていた。表情は一層の不安と恐怖に満ち満ちていて、彼らが直接的に戦火に巻き込まれたのだと気づいた。
フィアは立ち止まり、彼らのために動いた。拙い回復魔法で僅かばかりに苦痛を減じ、飢える子どもたちのためにモンスターや野生動物を探し歩いては狩って全てを与えた。水場が無ければ遠くまで汲みに行った。自らが食べるものも極限まで減らしてでも多くを与えた。
それは、そうすべきだと思ったから。そうするのが正しい道だと考えた。自らを捨て置いてでも彼らを助けるのがあるべき姿だと、困っている人がいれば彼らを優先してあげるのが私らしいのだと思った。だからそうした。
「昔の私なら、そうしたはずだ」
自らも飢えと渇きに苛まれながら、朧気な感傷を胸にそう言い聞かせた。探していた答えの片鱗が顔を覗かせたような気がした。だから彼女は懸命にその幻想を追いかけた。伝えられた幾ばくかの感謝がそれに拍車を掛けた。
だがそんな生活が何日も続くはずがない。彼女の体からは肉が削げ落ち、体は重く、思考はやがて堂々巡りを始めた。
これで良いのか。これで良いんだ。正しい道を進んでいるのか。正しい道を進んでいるんだ。途絶えた栄養は思考を単純化し、だがなお定められたプログラムに従うみたいにフィアは手に入れたものを、先程の子どもたちにそうしたように与えていった。
それが正しいのかも分からないまま。
「……」
どれだけ歩いたのだろう。山道はいつの間にか平坦になり、下り坂から解放された脚はますます重さを増した。それでもフィアは俯き、ただ自分の足元だけを見て歩き続けた。
不意に穴だらけになってしまった路のくぼみに脚を取られてフィアは転んだ。受け身すらとらずに倒れ、砂埃が舞った。倒れた拍子に砂利が口に入り、のそりと起き上がるともぞもぞと砂利を吐き出した。こんなになってもまだ舌は湿ってるんだな、とどうでも良いことを思った。
曇り空が僅かばかりに途切れ、薄日が照りだす。その眩しさが鬱陶しく感じ、フィアはフードを目深に被り直す。その際にチラリと正面の景色が目に入り、フィアはフードを外した。
「あ……」
微かに漂ってくる焦げ臭さと、迷宮内で嗅ぎ慣れた臭い。そして崩れた外壁。その隙間から注ぐ光がフィアを照らしてくれていた。
「……着いた」
国王派と貴族派が衝突し、最大の激戦地となってしまった街。
グラッツェンに、フィアはようやく辿り着いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
遠く、ハンマーを叩きつける音が風に運ばれてくる。埃っぽい空気がかさついた頬を撫で、フィアのマントをなびかせる。
ヘレネムからはほど近い街であるのに、思った以上に長い旅路となった果てに辿り着いたグラッツェン。門から続く、恐らくは最も大きく、そして賑わっていただろう通りをトボトボとした足取りで進んでいった。
想像通りと言うべきか、それとも想像以上と言うべきか。街はひどい状態であった。
街の外と中を隔てる街門は完膚無きまでに破壊されて境界線は無いに等しい。傍に転がった丸太の破片がその重厚さの名残を残すばかりだ。当然門番など居るはずもなく、瓦礫の山を乗り越えていけば誰もが自由に出入りできる状態だ。
破壊されたのは門だけでない。目に入る限りあちこちの建物は破壊され、黒く焦げた柱や崩れた建材の石ばかりがそこらに転がっている。かろうじて崩れずにいた建屋も今にも崩れそうなほどに頼りない。通りに死体は無いが――恐らくは最低限それだけは片付けられたのだろうか――焦げ臭さと人が腐りかけた臭いは如何ともしがたい。風そのものが臭いに染まってしまったようであった。
「……」
「だぁークソッ! また負けだっ!!」
「へっへっへ! ワリィなぁ!」
そんな中で瓦礫をテーブル代わりにしてカード遊びに興じているのは、戦いで生き残った傭兵か。いや、着ている服を見る限りは兵士か。何処か離れた場所で悲鳴のような声が聞こえた気がするが、彼らが動く様子はない。
そして動かないのは街の人も同じだ。瓦礫の上に座り、ぼんやりと佇む老婆。ボロを纏い、横になって死んだように動かない男。目玉だけは通り過ぎるフィアを捉えるが、彼女が通り過ぎると痩せてギョロリとしたそれはまた何もない汚れた世界を眺めるだけだ。
彼だけではない。すれ違う全ての住人が、その瞳に何も映していなかった。そこには希望だけでなく絶望さえない。ただ生きる気力を失った、呼吸をする屍のような姿を晒すばかりだった。彼らを見て、フィアはまるで鏡で自分を映し出しているような気になった。
「……」
そんな彼らとは対象的に、積極的に動くのは街の外から来た人間と兵士。戦闘が終わり、契約を終えたのか武装した傭兵は眼をギラギラさせながら何かを求めてさまよい歩く。
男が崩れた家や無事な民家に押し入り、中から怒鳴り声が聞こえたかと思えば手に僅かばかりのパンとひとかけらの金品を握りしめ満足そうに出てくる。近くで悲鳴が響き、そちらに視線を移せば、配給された食料を獣人の女性から奪おうとしている民兵崩れの髭面の男の姿があった。
「おら! さっさと離せって!」
「いや! これだけはっ! 子供がお腹を空かせて……」
「そんなこと知ったこっちゃ――」
フィアがすれ違うと同時に男がその場に崩れ落ちる。泡を吹いて倒れ、突然のことに女性は眼を白黒させるが、それがフィアの仕業だと気づくとその後姿に向かって頭を下げた。フィアは軽く手を振るだけで応えた。
(こんな事くらいしか……)
私にはできない。目の前に転がる、手の届く範囲で簡単にできる。だがそれに意味がどれだけあるのだろうか。胡乱な思考の中で僅かばかりの無力感が掠め、また何処かに消えていく。
更に進めば、真新しい綺麗な鎧を着た一団に遭遇した。どうやら正規兵らしいが、鎧を見る限り戦闘に参加していないのは明白だった。中心には馬に乗った貴族らしい男が居て、ふんぞり返りながらフィア達を見下ろしている。その後ろには銀色の髪をオールバックにした生真面目そうな男が付き従い、険しい顔で街の様子を観察していた。
(……貴族、か……)
「おい、お前」
その様を無感動にフィアは眺めていたが、不意に声が掛けられた。顔を上げると、先程までふんぞり返っていた男が彼女を見下していた。
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