5-1 願いは胸に、されど惑う(その1)
第3部 第21話になります。
連続更新は本日まで。
初稿:18/01/09
<<<登場人物紹介>>>
キーリ:幼い体で転生後鬼人族に拾われるも村が滅ぼされた事で英雄への復讐を誓って、冒険者となった。国王殺害の濡れ衣を着せられ逃亡生活中。
フィア:パーティのリーダーで王国の王女。国王殺害犯としてキーリ、レイスと共に逃亡生活真っ只中。末期のショタコン。
レイス:フィアに付き従うメイドさん。フィアと共に一緒に生活中。
アリエス:帝国貴族の筋肉ラブな女性。剣も魔法も何でもこなす万能戦士。
カレン:弓が得意な猫人族で、キーリと同じく転生者。キーリとは異父兄妹になる。
ギース:スラム出身の斥候役。不機嫌な顔で舌打ちを連発する柄の悪さが売り。意外と仲間思い。
シオン:狼人族の魔法使い。頑張りやさんで、日々魔法の腕を磨く。実家の店がパーティの半拠点状態。
イーシュ:パーティのムードメーカー。勉強が苦手で三歩歩けばすぐ忘れる。攻撃より防御が得意。
ユキ:キーリと一緒にやってきた性に奔放な少女。迷宮核を自ら作り出したりと不思議な力を持つが正体は不明。
ユーフェ:スラムで住んでいた猫人族の少女。フィアに雇われた後、家族として共に過ごしていた。時々不思議な勘の鋭さを見せる。
シン:王国南部のヘレネム領を治めるユルフォーニ家の嫡男。キーリ達を匿っている。
ミュレース:レイスの後輩メイド。フィアを探して王国中を回っていた。
ワグナード教皇国
皇都・ロンバルディウム
顔のそっくりな二人のメイドが扉を開け、ユキは口笛を吹きながら気安い様子でそこをくぐった。
扉の向こうはかなり広い部屋だった。白を基調とした家具で統一され、その家具類も見るからに高級品だとその手に関して疎いユキでも分かる。そこらの成金では到底手に入らないような気品があり、持ち主のセンスを如実に物語っていた。だがユキはそういった類のものに興味はなく、冷めた眼で何処か殺風景な室内を見回した。
グルリと視線を巡らせ、バルコニーの方に顔を向けるとガラス張りの扉が開け放たれていて冷たい風が吹き込んでいる。
もう冬も近い。しかしバルコニーに居る人物は薄いゆったりとした真っ白の貫頭衣だけを纏い、同じくらいに白く長い髪を風になびかせていた。月夜を楽しんでいるのか、それとも無人になった眼下の広間を見下ろしているのか。その人はやがてクルリと踵を返し、ユキを認めるとニコリと笑った。
「いらっしゃい。待ってたよ」
教皇は柔らかい微笑みを以てユキを歓迎した。その笑みには慈愛が満ち、その姿には眼にした者を惹き付けてやまない魅力があった。同時に、無意識の内に膝を突き頭を垂れたくなる高貴さ。ただ立って長い髪を掻き上げるだけのその仕草にも気品が漂い、思わず溜息が漏れることだろう。
そして何よりその姿は美しい。男性とも女性ともとれる顔立ちだが性別がどちらであっても魅力が損なわれる事はない。一見すると相当に年若いが、まとう雰囲気には老成した趣がある。恐らくは声を聞いても、誰もこの人物が老若男女のいずれに位置づけられるのか、明確な答えを出せないだろう。ただきっと、心酔するばかりだ。
もっとも、ユキはそんな繊細な感性は持ち合わせていない。
「寒いからさっさと閉めてよ」
「おっと、失礼。風が気持ちよくてつい、ね」
今や五大神教はどの国においても多大な影響力を持っている。そのトップたる教皇を相手にしては相当に粗雑な物言いだが、教皇自身は特段気にする事無く笑って肩を竦めた。そして扉を閉めようとしたメイドを制すると自身で扉を閉め、改めてユキに対して歓迎の意を示した。
「ようこそ、ユキさん。遠いところをわざわざ来てくれて感謝するよ」
「アンタのとこのストーカーがいい加減しつこかったし。しつこい男は嫌われるだけよ。殺されなかっただけ感謝しなさい」
「『すとーかー』というのが何かは分からないけれど、気分を害したのなら失礼したね。でも君も楽しい思いをできただろう?」
「まーね」
気楽な雰囲気で二人は会話を交わす。飾らない調子で接してくるユキに教皇は微笑み、部屋の中央にある大きなテーブルに彼女を座らせると、自身もその正面に座りサッと左手を挙げた。
「さて、まずはユキさんの来訪を歓迎しよう。心ゆくまでゆっくりして欲しい」
その言葉とともに一斉に料理が運ばれてくる。どの皿からも素晴らしい芳香が漂ってきて、それらが全てユキの前に並べられる。
いずれも最高の食材を用いた最高の料理人に作らせた料理。贅を凝らしたそれらで二人の目の前は埋め尽くされていった。
「さあどうぞ。遠慮なく食べてくれ」
「もちろんそうするわよ」
言われる前にユキはナイフとフォークを手に取り、皿の上に乗った肉料理を切り分け口に運んだ。口の中に広がる芳醇な味わいに自然とユキの顔が綻んだ。その一口を皮切りにして様々な料理に手を付け、その度に幸せそうな彼女を浮かべる。
見る見るうちに料理はユキの細い体の中に消えていき、しかし彼女の方からは全く口を開かない。黙々と食べ続け、目の前の教皇と食事をしながら会話を楽しもうという気もさらさらない。そんな彼女の姿を教皇は、何が楽しいのかニコニコとしながら眺めていた。
「美味しいかな?」
「ええ、とっても。でも毎日は要らないかしら? こんなの毎日食べてたらきっと人間が腐ってしまうわ」
「安心したまえ。私でもこんな豪華な料理は食べていないよ。今日は君のための特別さ」
「ふーん。だといいけど」
含みのあるユキの反応だが教皇は気分を害した様子はない。それどころか増々愉快だとばかりに笑みを深めた。
「気持ち悪いわね。人の顔見てニヤニヤして」
「これは失敬。知っての通り、ずっとユキさんには会いたいと思っていたからね。今日やっとこうして面と向かって話せて嬉しいんだよ」
「私はアンタと会う理由は無いんだけど、美味しい料理に免じて許してあげるわ。
――それで、今や全世界を手中に収めた天下の教皇様ともあろう方が、こんな小娘に何の用なのかしらね?」
「それは言いすぎだよ。私にそこまでの力は無い。
今日君を招待したのは――いや、本題は食事を終えてからにしよう。せっかくの逢瀬だ。まずは君の事を知りたいね」
「今すぐ帰ってもいいのよ? 下らない事言ってないで――さっさと話せ」
苛立ちを混ぜてユキは命令した。教皇は笑みを崩さないまま少しだけ肩を竦めて「分かったよ。怒らないでおくれ」と優しく言った。
「個人的には何気ない会話の中に含ませて情報を引っ張り出していくのが好みなんだけれどね。まあ、回りくどいとは自分でも思うけれどそれも性分だ。許して欲しい。
さて、ではお姫様が本格的にご機嫌斜めになる前に単刀直入に尋ねようか」
顔をくすぐった長い髪を掻き上げ、傍付きのメイドが何も言われずとも彼の――或いは彼女か――髪を結わっていく。髪をまとめられながら、教皇はアルカイック・スマイルを浮かべてユキに向かって質問を口にした。
「――闇神が復活したんだね?」
「……また唐突な質問ね。そんな事を聞くためにわざわざ人を寄越したってわけ? 私に聞かれても何も知らないわよ」
「ああ、別に隠そうとしなくてもいい。ここは確かに光神を祀る総本山だが、信者はともかくとして私は闇神を悪い神とはみなしていない。むしろ好ましく思ってる」
「へぇ……まあだからって私の答えは変わらないわよ。聞く相手を間違えたわね」
「いいや、君以外に適切な人は居ないね。君からは強く『彼女』の匂いがする」
「ストーカーの次は変態かしら? 信者も難儀なものね」
「何と言われても構わないけどね。さしずめ、ユキ君は彼女の御子、或いは使徒といったところかな?」
「好きに呼べばいいんじゃない? どうせ人の話は聞かないんでしょ?」
「よく分かってるね」
呆れを多分に含んだ棘のあるユキの言葉だが、教皇は何処か嬉しそうに笑った。
「彼女は何処にいるのかな? できれば会いたいのだけれど」
「復活したかどうかも返事をしたつもりはないんだけど?」
「はぐらかす必要はないと言ったろう? 私は『彼女』の芳香を忘れる事は無いのだから。とは言え、未だ信じられなくてね。使徒たる君の口から保証をもらいたいんだ」
「仮に」
ユキはナイフを置き、赤ワインの注がれたグラスを傾けた。一気に中身を飲み干し、口の端から零れたそれが血のようなラインを描く。それをユキは乱暴に拭った。
「仮に私が闇神の使徒だか御子だかだったとして、どうしてそんなに闇神の事を教皇様たるアンタが気にかける? 光神を祀る者として闇神が邪魔だから光神にでもお願いして倒してもらうつもり?」
「そんな事はしないさ」物騒な物言いに、教皇は苦笑いした。「さっきも言ったろう? 私は闇神を好ましく思っていると」
「じゃあ目的は何かしら? 遭遇できるかは分かんないけど、偶然出会ったら伝言くらいはしてやるわよ?」
ユキは教皇とは眼を合わせず、再び食事を口に運びながらそう伝え、教皇も「ぜひお願いしたいね」と応じた。
「私の目的はシンプルな事だよ。
――彼女を、その役目から解放する事。その事にほかならない」
ユキの食事をする手が止まった。
ゆっくり顔を上げて正面の教皇を見れば、その人は笑みを浮かべながら、しかし真剣な眼をしていた。
「冗談のつもり? それとも気が狂ったかしら?」
「いや、私は至って本気だし正気だよ」
「……なら、なんでそんな馬鹿げた事を本気で考えてるのか、聞いてもいいかしら?」
「私はね、彼女に闇神という役目をさせ続けるのが不憫なんだ」
血のように赤いワインを教皇は傾けた。ユキが来る前から飲んでいたのだろうか、ふと見ればその頬にはやや朱が差していた。
「闇神は神々の中で最も辛い役目だ。地神は大地の恵みを与え、風神は新鮮な呼吸をもたらし、水神は癒やしを、炎神は力を与えてきた。みな、人々に施しをし、人々から感謝され、崇め奉られてきた。
でも闇神だけはそうはならなかった」
「闇神だけは人々から奪う存在だったから」
ユキの言葉に教皇も頷いた。
「闇神が奪うのは人々の負の感情だ。人の子は弱い。故に不安、妬み、悲しみ、怒り……ただ日々を生きるだけで様々な思いを抱いてしまう。負の思いというものはとても強いものだ。時にその感情に押し潰され、罪を犯し、自らを、そして他者を傷つけてしまう。
君も知っての通り、闇神は毎日を嘆かぬよう人々からそれらの感情を奪い、浄化する役目を果たしていた。それは尊いもので、他の神々に比べ遥かに辛い役割だ」
「カミサマなら別に辛いとか、そんな人間みたいな感情を持たないんじゃない? 別に何とも思ってないわよ……きっと」
「神は道具ではないよ」少しだけ教皇は悲しそうな素振りを見せた。「神とて感情はある。人と同じように感謝されれば喜び、傷つけば悲しむ。怒りを抱くことだってある。辛いと思うことだってあるだろう。いや――ある。人々から奪った暗い情念は、浄化するまでの間は闇神自身が背負わなければならないのだから」
「奪った人間からは感情は消え失せても、感情の持つ力そのものが消えるわけじゃないものね。一人ひとりのその力は小さくても、奪う人間の数は膨大。神の身でも堪える事はあるでしょうね」
「私もそう思うよ。だからそんな役割を真面目に果たし続けていた彼女は称賛に値する。尊敬している。
しかし、そのような過酷でかつ重要な役割を果たしているにもかかわらず彼女は報われなさすぎた。人々からは感謝の代わりに嫌悪と恐怖を向けられ、称えられる事はない。それが私にはとても悲しいんだ」
「人間から恐怖を奪うのが役割なのに、それによって恐怖を抱かれるなんて……とんだ笑い話ね」
教皇は両手で口元を覆い、溜息と共に俯いた。
「悲劇だと思うよ、私は。
だから眠っていた彼女に伝えたいんだ。もうそんな役目を果たす必要はない、と。もう苦しむ必要はないと、ね。
もうすでにそのための準備は整っている。ここ数代の教皇によって書物から闇神の名は消え、人々の記憶からも闇神という存在は忘れ去られた」
「やっぱりアンタ達だったのね。闇神の存在を抹消していたのは」
「彼女からすれば不愉快だったかもしれないけれどね」
「アンタの言うとおり……闇神が役目を果たさなくなった――いえ、眠っていた間は特に役目は果たしてなかったんだけど、闇神が居なくなったらその役目はどうするつもり?」
「その点についても問題はないよ。既に算段はつけてある」
顔を上げたユキと教皇の眼が不意に合う。目元が柔らかな弧を描き、その奥にある瞳。鳶色に見えたそれが一瞬ユキには黒ずんで見え、しかし瞬きの後には消えていた。
「だから彼女には心置きなく闇神という職務から降りて欲しい。そのためにも彼女に会いたいんだ。ユキ君から彼女にはそう伝えてくれないだろうか? 私はいつだってこの地に居るから、いつでも会いに来て欲しいと。もちろん彼女が動けないのであれば私から出向こう」
「そ。とりあえずアンタの言い分は分かったわ。ま、闇神と出会うかは分かんないけど会ったら伝えといてあげる」
「感謝するよ」
「サービスよ。他に伝えたい事があれば承ってあげる」
ユキのその申し出に、教皇はやや面食らったような表情を浮かべ口を開きかけた。だが声に出すその直前に口を閉じ、微笑みながら緩々と首を横に振った。
「……いや、止めておこう。伝えたいことはあるけれど、こちらは私の口から彼女に直接伝えたいからね」
教皇ははにかみ、誤魔化すように髪を掻き上げた。それを見てユキは鼻を鳴らした。
「あ、そ。
……念のため確認だけど、闇神を役目から外すってのは変わらないのね?」
「ああ、そうだよ。彼女を解放するのは、昔からの私の宿願だからね」
今一度教皇の願いを確認。ユキは呆れたように溜息を吐いて小さく頭を振ると「ごちそうさま」と立ち上がった。
「もう帰るのかい?」
「ええ。予想はしてたけど、予想以上につまらない話だったわ。誘いに乗ってあげたのは、私も探し人がここに居るかもと思ったからだったけど、そっちも期待はずれだったしね」
「そうなのか? ユキ君がよければ協力させてもらうけど?」
「お言葉に甘えて――とでも言うと思ったかしら? 結構よ。アンタに借りなんか作るなんて、考えただけで反吐が出そうだわ」
「嫌われたものだね」
残念、とつぶやきながら教皇は肩を竦め、ユキは教皇に目もくれず背を向けた。バルコニーの方に向かい、彼女がガラス戸を開けると勢い良く風が吹き込んで少し顔をしかめた。
「出口はそっちじゃないよ?」
「何処から帰ろうと私の勝手でしょ。
……美味しいご飯の御礼に一つ教えといてあげるわ」
「何かな?」
「アンタが闇神の事をどう思うのも勝手だけど……もし闇神がアンタのしようとしてることを知ったらこう言うでしょうね。
――『余計なお世話』だって」
振り返って吐き捨てるようなユキの声。教皇は一瞬眼を見張り、彼女を見つめた。そしてこめかみの辺りを撫でるような仕草をして数度喉を鳴らして笑った。
「……参ったな。しかし確かにそうかもしれないね」
「自己中は嫌われるだけよ。覚えときなさい」
「貴重なご意見、感謝するよ。よければまた君と話をしたいな。もう一度誘いには乗ってくれるかな?」
「安くて美味しいご飯を用意してくれたらね」
「承知したよ。では後で料理長と頭を捻るとしよう」
困ったように眉尻を下げながら教皇はユキに手を振った。彼女は振り向かないが、少しだけ手を上げ、そしてバルコニーから飛び降りる。彼女の姿は夜の闇に溶け込み、着地の音さえ立てずに何処かへ消えた。
教皇は彼女が居なくなってもしばらく開け放たれたバルコニーを見つめていたが、俯いて椅子の背もたれに体を預けると息を吐き出した。
「……それでも、それでも私は彼女を楽にしてあげたいんだ。例え彼女が望まずとも」
小さく感情を吐露する。眼を閉じて自身の思いを確かめるように記憶の旅に出かけていく。
既に掠れてしまった記憶。歪な景色しか浮かんでこない。それでも確かにその願いは胸の内にある。
「彼女のためなら……全てを――」
口元を不格好に歪め、それをすぐに引っ込める。そしてまたいつも通りの柔らかな笑みを湛えると、立ち上がり、ユキのリクエストに応えるため食堂へと教皇は脚を向けたのだった。
お読み頂きましてありがとうございました<(_ _)>




