4-6 彼方から来たりし人(その6)
第3部 第20話になります。
初稿:18/01/08
<<<登場人物紹介>>>
キーリ:幼い体で転生後鬼人族に拾われるも村が滅ぼされた事で英雄への復讐を誓って、冒険者となった。国王殺害の濡れ衣を着せられ逃亡生活中。
フィア:パーティのリーダーで王国の王女。国王殺害犯としてキーリ、レイスと共に逃亡生活真っ只中。末期のショタコン。
レイス:フィアに付き従うメイドさん。フィアと共に一緒に生活中。
アリエス:帝国貴族の筋肉ラブな女性。剣も魔法も何でもこなす万能戦士。
カレン:弓が得意な猫人族で、キーリと同じく転生者。キーリとは異父兄妹になる。
ギース:スラム出身の斥候役。不機嫌な顔で舌打ちを連発する柄の悪さが売り。意外と仲間思い。
シオン:狼人族の魔法使い。頑張りやさんで、日々魔法の腕を磨く。実家の店がパーティの半拠点状態。
イーシュ:パーティのムードメーカー。勉強が苦手で三歩歩けばすぐ忘れる。攻撃より防御が得意。
ユキ:キーリと一緒にやってきた性に奔放な少女。迷宮核を自ら作り出したりと不思議な力を持つが正体は不明。
ユーフェ:スラムで住んでいた猫人族の少女。フィアに雇われた後、家族として共に過ごしていた。時々不思議な勘の鋭さを見せる。
シン:王国南部のヘレネム領を治めるユルフォーニ家の嫡男。キーリ達を匿っている。
ミュレース:レイスの後輩メイド。フィアを探して王国中を回っていた。
聞きたくなかった。フィアはそう思いながら肩を落とした。
いつかは来ると思っていた。王女としての立場を捨て、ただの人となって生きる日々を楽しみながらも心の中の何処かでこんな生活は続かないだろうと予期していた。
ようやくと言うべきか、それともこんなに早くと言うべきか。どちらにせよ、歓迎などできない申し出だ。フィアの胸中は千々に乱れ、視線を落として苦しそうに顔を歪ませた。
「……で、どういうつもりでンな事言ってんのか、聞かせてもらえんだろうな?」
辛そうな彼女の横顔を見遣りながら、キーリはミュレースを睨んだ。前髪が揺れて彼の目元が微かに露わになり鋭い視線が彼女を捉える。ミュレースはおどけたように「怖い怖い」と体を震わせてみせた。
「噂に違わぬ目付きの悪さッスね。確認スけど、本当にカタギの人間ッスよね?」
「さて、どうだろうな? 返答次第じゃヤクザな人間になるのも吝かじゃねぇぜ?」
言いながらキーリはまとう雰囲気を変えていく。テーブルの下にある足元から黒い影が湧き出て、視線に含めた剣呑さが増々強くなっていく。レイスはピクリと身動ぎしたが、黙って様子を伺っている。しかしそれもキーリの、というよりはミュレースの反応を見ているようだ。
ミュレースは両手を上げて降参のポーズをしてみせた。
「言っても私は単なるメッセンジャーッスから。あんまり乱暴はしないで欲しいッス。先輩と違って戦うのは苦手スから。
とりあえず話は聞いて欲しいッス」
キーリが顎でしゃくるようにして促す。張り詰めた緊張を解き、ミュレースもそれを感じ取ると居住まいを正して口火を切った。
「まず、現在の王国の状況はみなさんご存知ッスか?」
「それなりにはな。シン――ユルフォーニの人間からはちょいちょい聞いてる」
「なら話は早いッスね。
王女様に聞きたいッス。今の国の状況をどう考えてるッスか?」
「……」
フィアは口を噤んだ。
決して良い、と思っていない。王政府にも、各地の貴族――旧国王派、貴族派問わずに言いたいことが山ほどある。
何故国の中で争うのか。何故無辜の民が傷つくのか。どうしてそこまで自分勝手になれるのか。
アリエスも言っていた。貴族は平民を守るために存在する。なのに今、最も傷ついているのは平民だ。ただそこに居て、懸命に働いて得た毎日のささやかな糧を食しているだけの者だ。貴族が守るべき民を傷つけてどうする。
時には戦うことも必要だろう。主義主張が異なれば、互いの抱える正義が違えばどうしても相容れぬ事だってある。話し合いで全てが解決するなどという、現実を無視したような理想論を掲げるつもりもない。
けれども、今王国内で起きている事は違う。彼らに正義は感じられない。そう思った。それでも、ただ逃げて田舎の村に引きこもっている自分。今の生活が壊れてしまうのを嫌って、他の人の生活が壊れていく様から眼を逸している。そんな自分に彼らを声高に非難する資格などない。そうも思う。だからフィアは何も言わなかった。
「自分は……王女様を探している間、色んな所を見て回ったッス」ミュレ―スは目線を落とした。「どこも酷いところだったッス。おっきな貴族様のところは別として、小規模な町や村ばかりが焼き払われて、運良く戦争に巻き込まれなかったとしてもモンスターが食い荒らしていくッス。いや、おっきな街ももう例外じゃ無いッスね。西にあるグラッツェンでもまた戦闘があったみたいッスからね。
見たことあるッスか? 煤けた格好の子供が親の死体を指をくわえて見下ろしてるんス。黙って、ただじっと見下ろしてるんスよ。泣かないで、立ってるだけなんス。そして何処かにフラフラっと消えていくんスよ」
「その子は……どうなったんだ?」
「わかんないッス。自分も遠目に見てるだけだったスから。たぶん野垂れ死ぬか、盗賊に拾われるか、モンスターに食い殺されるか。いずれにせよ、ろくな結果にはならないスね」
その話を聞いてフィアの脳裏に出会った頃のエーベルとユーフェの姿が過る。出会った時、エーベルの眼は不条理な人生への憎悪に満ち、ユーフェの瞳には何も映していなかった。痩せこけ、希望などどこにもない。思い出すだけでギュッと胸の奥が鷲掴みにされたような気がした。二人に会いたくなった。そして、今の話を聞いても自分の事を考える浅ましさに、目眩がした。
「で、お前は本当に見てるだけだった、と」
「そりゃそうっすよ。例え拾ったって私じゃ育てられないッスから。ろくでもない人間に拾われたらろくでもない人間にしかならないって身を以て知ってるッスからね」
「……ミュレースも、孤児だったのか?」
ミュレースは顔を逸して小さく舌打ちした。
「口が滑ったッスね。そうッス。じゃなきゃ人様に自慢できね―仕事はしてねーッス。
ま、私は相当に運が良かったッスけどね。昔は自分の人生クソッタレだと思ってたスけど、王様に拾われて素晴らしい侯爵様の下で働かせてもらってるスから。そうじゃなきゃ今頃どっかでモンスターに食い殺されてるか、物好きに好きモンにされてるっしょ。王女様には分かんないでしょうけどね」
「ミュレース、口が過ぎます。望みなら――今すぐ貴女を殺してあげましょう」
「止めろ、レイス」
ミュレースに向かって殺気を放ち始めたレイスに対し、フィアは手を上げて制した。
「ミュレースの言う通りだ。きっと私には……彼らの本当の気持ちなど理解できない。気概も気力もない。そんな私に皆の上に立つ資格などありはしない」フィアは嘲るように笑った。「今更私が国をまとめようとしても誰も認めはしないだろうさ。王が二人も立てば国は増々乱れる。まだ兄を諭してまともな国造りを進めた方が良いだろう。コーヴェル侯爵にもそう伝えてくれ」
「……それでも侯爵様は、王女様に期待してるッス」
何かを堪えるようにしてミュレースは吐き出した。俯いていた顔を上げ、幼い顔で真剣に正面に座るフィアを見る。テーブルの下では膝に置かれた両拳がきつく握られていた。
「侯爵様は言ってたッス。最初にこの話をするときっと断られるだろうって。でも、それでも侯爵様は王女様に国王になって欲しいって願ってるッス。
『人の痛みを知り、人の愚かさを知り、己の弱さを知り、しかしだからこそ民の為に悲しみ、民の為に怒り、民を叱れる良き王になれるだろう』って言ってたんスよ」
「侯爵が……」
「……正直、私には分かんねース。けど……でも侯爵様は嘘は言わない御方ッス。だから私も信じるッス。侯爵様が信じる王女様を信じるッス。私らみてーな人間の底辺をも見捨てない国を造ってくれるって」
「ミュレース……」
「侯爵様は信じて待ってるッス。でも時間が余り無いんス。だからも――」
「待て、ミュレース」聞き捨てできない言葉にフィアは話を止めた。「時間が無いとはどういうことだ? まさかコーヴェル侯爵の身に……?」
「……侯爵様のお体は、あんまり状態は良くねーッス。具体的に何処が悪いとかは医者に診てもらってねーッスから。ただ何年ものんびり王女様を待てる程の体力はきっと……」
「そうか……」
フィアはそれ以上何も言わず眼を閉じた。様々な思いが去来し、渦巻いている。
コーヴェルの期待は嬉しいと同時に重い。良き王になれるなどと全く思えないし、逆に愚かな自分では何一つ為すこともできない愚王となってしまう未来がまざまざと思い浮かべられてしまう。そもそも、数ある貴族達を束ねて王という座にすら就ける未来も浮かばない。
それに、果たして今の生活を捨ててしまう程の価値を自分が見出だせるだろうか。血で洗われた玉座を目指すことに、これからの人生を賭する程の意味があるだろうか。
このままこの村でキーリと、そしてレイスと一生を過ごす。そんな未来を選んだ方が良いのではないか。
(けれど……)
フィアはギュッと胸元のシャツを握った。自分にできることがあるならば、それを為すべきなのだろうか。もし多くの人が無く姿を、悲しむ姿を一人でも減らせるのならば――もう一度、英雄を夢見てもいいのだろうか?
「……確認だけどな」
また黙りこくってしまったフィアに代わり、キーリがミュレースに尋ねた。
「なんスか、王配さん」
「その呼び方やめろって。
もし、だ。もしフィアが……テメェらの自分勝手な誘いに乗ってやったとして、キチンと勝算はあるんだろうな? 神輿として担ぎ上げられました、でも侯爵以外そっぽ向いて更に国がバラバラになって他国に蹂躙されましたーとか、余計に戦争が激しくなりましたーとかなったら意味ねぇんだからな」
「少なくとも前者に関しては大丈夫ッス。旧国王派の人間は、正当な後継者はスフィリアース様って事で意見は統一されてるッス。それに王女様が国王派の上に立ってくれるんなら貴族派の中にも寝返る人間は出てくると思うッス」
「根拠はあんのか?」
「もちろん。私だって無駄に国中を回ったわけじゃないんスよ?
えーっとスね」ピンとミュレースは指を立てた。「実は今、貴族派のユーフィリニア国王の支持は高く無いみたいなんスよ」
「? 元々貴族派連中が担ぎ上げたんだろ? なのに何でだよ?」
「まー、なんでしょうね? 思ったほど王様が思い通りにならなかったみたいッスよ。
一応旧国王派から取り上げた領地だとか役職とかを貴族派には割り振ってるんスけど、侯爵様達も抵抗してるッスから、思ったより領地没収とかできてないし、資産も他の旧国王派にコッソリ移してたりしてるんスよ。おまけに戦争で金使ってるッスからね。貴族派としてはユーフィリニア国王を担ぎ上げた恩恵が無くなってるみたいなんス」
「ンな勝手な……」
「自分もそう思うッス。偉い人の考えてる事はよく分からんスね。
おまけに近頃モンスターも街の近くまで出てきてるじゃないスか? そっちでも金かかるし、財布事情が苦しくなったら領主が何やるかって言ったら……」
「税を上げる、か……?」
「それプラス脱税だろうな。金持ちほど税は納めたくなくなるみてーだし」
フィアとキーリがそれぞれ考えを述べるとミュレースも頷いた。
「王女様の意見もッスけど、どっちかってーと王配さんの方が主ッスね。貴族派の支持で国王として認められたけど、ユーフィリニア国王としては貴族派の傀儡になる気はねーみてーで独自の動きを見せ始めてるッス。
一方で貴族派は権力を貴族に持ってこさせるために現国王を担ぎ上げたわけッスからね。そりゃ関係も悪くなるッスわ。もっとも、貴族派の中にも国王の下で権力を持ちたい派閥と国王を完全にお飾りにしたい派で別れてて、そっちも関係は良くはないみてーッス」
「なるほど、な。つまり貴族派も一枚岩じゃないってわけか」
「あと、も一つ言っとくと、市井の人間も国王への不満が高まってるッス」
「そりゃこんだけ世の中が乱れてりゃ不満だらけだろう」
当たり前の事を、とキーリは呆れ半分に溜息を吐いたが、ミュレースは頭を横に振った。
「もちろんそれに対する不満もあるんスけど、話聞いてると国王様自身への疑いの方が強いんスよ」
「えっと、つまり……どういうことなんだ?」
「王女様が返り咲く芽があるって事ッス。
実はスね、国が乱れてるのは国王が正式な国王じゃないからだと民衆の間で噂が広まってるんスよね。モンスターが増えているのも、国王になるべきじゃない人物が国王になったから、神がお怒りになっているんだ、と。王女様が国王になるはずだったのに、ユーフィリニア国王が簒奪して前王殺害の罪を王女様に着せたんだとどの街でも密かに囁かれてるッス。
もちろんこんな話が偉い人に聞かれたらソッコーで首はねられるスから表立っては言わないスけど」
「どうせその噂も、旧国王派が流してんだろ?」
キーリは確認するように言った。だがミュレースは唸りながら頭を掻いて、首を傾げていた。
「確かにそれに近い話は私らが最初に流しはしたんスけどね……でもそれだって国王が即位した直後くらいだし、その時はあんま広がらなかったんスよ。それが極最近になって急に広まり始めて、正直ウチらも困惑してるッス。
まあ、モンスターが増え始めたのも比較的最近ッスし、内戦が激しくなったのも即位してしばらくしてからッスから、昔の仕込みが今になって芽吹いてきたって言えなくもないかもスけど。
それに、王女様に返り咲きの芽があるって言ったのはそれだけじゃないッス。も一つ、大っきい要素があるッス」
「まだあんのかよ」
「これが最後ッス。そしてたぶん一番重要ッスね」
ぼやくキーリに苦笑いしながらミュレースは言った。重要、という彼女の言葉にフィアも改めて姿勢を正して耳を傾ける。
「侯爵様の話によるとッスね、国王は代々『国王の証』なるものを持っているんだそうッス」
「国王の証?」
「なんだそりゃ?」
「詳細は私も知らないッス。けど国王は即位式の時にそれを貴族だけじゃなくて、王都の民衆にもそれを見せて自身が正当な後継者であることを示すんだそうッス」
「だが今の王様はフィアの親父を殺して国王になったからそれを示せなかった。そうだな?」
「さすが王配さん。さっきから察しが良いッスね」
「だから……いや、もういいわ」
別に王配を狙っている訳ではないが、もうこれ以上頑なに否定するのも馬鹿らしい。諦めたが溜息だけは禁じ得なかった。
「ま、民衆も不思議に思ってて燻ってたのが不満と同時に表に出てき始めたってとこスかね?」
「だが当然それは予め兄達も分かってたはずだ。なのにどうして探し出してみんなに見せなかったんだ?」
「簡単ッス、それは。単純に見つけられなかっただけッスよ」
「父の部屋や、それこそ王城中を探し回っても見つけられなかったのか?」
「そりゃそうッスよ。王城には無いらしいッスからね。おまけにそれを隠している場所は、本来、王位の継承が行われる時に前王から口頭で伝えられるものッス。一応不測の事態のために国王ともう一人、国王の信頼している人物に伝えられるって話らしいッス」
「……父は兄に跡を継がせるつもりは無かったから兄に伝えていない。そして国王とは別にその証の在処を知ってるのは――」
「そうッス。コーヴェル侯爵様ッスね。あの御方は頑なに口を割らなかったッス。知らぬ存ぜぬで通したんスけど、それも全ては王女様、貴女にのみ伝えるためッス。
今は千載一遇のチャンス。貴族派は分裂しそうで現王の支持基盤は揺らいでる。民衆も不満を持っていて、ここに王女様が王家の証を持って現れたらきっと誰もが王女様を新たな王として認めるに違いないってのが侯爵様を始めとした、旧国王派の重鎮方のお考えッスね。
さて、これで私が侯爵様から言付かった伝言は話し終わったッス。後は王女様が心を決めるだけッスわ」
用は済んだ、とばかりにミュレースは立ち上がった。難しい顔をしているフィアを他所に、役目を果たし終えたからか何処か清々しい様子で背伸びをし、部屋から出ていこうとするがその背にキーリの不機嫌そうな声が掛けられた。
「当然、断るって選択肢もありだよなぁ? テメェらの勝手な理屈にこっちが黙って従うって思ってんなら、そりゃ思い上がりだぜ? もし選ばせる気がねぇんなら――こっちにも考えがある」
「へぇ、王配さん。何をするつもりッスかね?」
「王城ごと思惑全部ぶっ潰してやるよ」
「ハハ、面白い冗談ッスね。国全部を敵に回すつもりッスか? そんな事できるとでも?」
「必要ならな。なに、後先考えなきゃ国の一つや二つぶっ潰すのなんて簡単だからな」
ミュレースは振り返ってキーリの顔を見た。口端を歪めて笑う彼の表情は分かりづらい。目元も長い髪に隠れているが、微かに覗く目付きは冗談を言っているように見えない。
彼女は心から身震いした。それを誤魔化すようにおどけて両腕を擦る仕草をした。
「怖い怖い。ま、そっすね。私にはそんな権限ないッスけど、侯爵様だったら無理強いはしないんじゃないッスかね?」
「……少し時間をもらえるだろうか?」
「もちろんッス。じゃないとこっちの王配さんが怖いッスから。
ま、私も他の仕事があるッスから……そうッスね、二、三週間後くらいにまたここにやってくるッス。そん時に答えを聞かせて欲しいッス。それまで王家の証関連の情報でも集めとくッスよ」
幾つかの簡単な旅道具の入ったバッグを肩に担ぎ、家の玄関をくぐる。彼女の後に続いてキーリは外に出た。
まだ夕暮れ前で空は青々と晴れ渡っている。やや薄暗い家との明度の差にキーリは眼を細めた。そして西に眼を向ければ黒い雲が広がっていた。微かに湿った土の匂いがする。もしかすると今晩辺り雨かもしれない。
「んじゃ先輩もお元気で。また遊びに来るんでそん時は今度こそ歓迎して欲しいんで宜しくッス」
「来なくて結構です。侯爵様のお世話に集中しなさい」
「うう、先輩が冷たいッス……でもそこが良いッス」
ヨヨヨ、とミュレースは目元を拭う仕草をしながらもやはりレイスと会えたのが嬉しいのか笑みが浮かんでいて、それでいて何処か寂しそうだった。
「王女様」
「ミュレース……」
「申し訳ないッスね、不愉快にさせちゃって。でも侯爵様も他の貴族様達も、そしてそうじゃない他の人達も王女様が最後の希望と思ってるんス。勝手スけど、それは理解して欲しいッス」
「私は……その……」
何を伝えるべきか。グチャグチャと色んな思いが頭の中で混ざりきって上手く言葉を取り出せない。
眉間に深いシワを刻んだフィアだったが、ニュッと伸びた細い指がピンっと彼女の鼻先を弾いた。
「今の内から悩まなくて良いッス。まだ時間はあるッスから。
……侯爵様の使用人として考えると国をまとめる決断をして欲しいッスけど、私の個人的な気持ちを言うんなら、どっち選んでも良いと思うッス。
もし村人としての人生を進んだら……私でも王女様とも友達になれるッスもんね。王女様とダチとか、自分がババアになった時に孫に自慢できる凄い事ッスよ。
あ、そだ。今のうちに王女様とスキンシップとっとくッス」
ミュレースはバッグを下ろし、フィアの手を強引に握った。フィアが顔を上げると、ミュレースはニカッと歯をむき出しにして子供っぽく笑った。それにつられるようにして、フィアも少し笑った。
「正直頼りないッスけど、少なくとも今の王様よりは王女様の方がまともそうなのが確認出来たんで良かったッス」
最後にそう言い添えて、再び荷物を肩に担ぐ。そして快活な少女から一転、お淑やかに微笑むとエプロンドレスの裾を指先で持ち上げて一礼した。
「それではみなさま――ごきげんよう」
ふわりとスカートがめくれ、その裏から幾つもの紙が落ちてくる。紙が風に舞い、緩やかに左右に揺れて――光を発し始めた。
「魔法陣っ!?」
フィアが気付いて声を上げた直後、魔法陣を起点として風が吹き荒れた。周囲の砂埃が一気に舞い上がり旋風となって視界を遮っていく。
やがて風は収まり、閉じていた眼をゆっくりフィアが開けると、ミュレースの姿は何処かへと消えてしまっていた。
「ったく……最後まで賑やかだったな」
「申し訳ありません」
「別に謝るこたぁねぇよ。持ってきた話はクソッタレだったが、キャラクターとしちゃ別に嫌いじゃねぇしな」
軽く笑いながらキーリはフィアの方を振り返った。彼女は自分の手のひらを見下ろしていたが、キーリから呼ばれて顔を上げた。
「キーリ」
「お前が好きなようにすればいい。アイツの口車に乗るも良しだし、王女なんて面倒くせぇモン捨ててこのまま静かに暮らしてぇならそれでいい」
「しかし、それだと……」
「誰かの期待なんてンなもんどっかに蹴飛ばしちまえよ。大事なのは『お前が』何をしたいかだ。『誰かが』したいことじゃねぇ。誰かの願いに乗っかるなんてのは余裕がある人間がすりゃいい。他の誰かの期待なんて、無理して応えるもんじゃねぇよ」
「……」
「心配すんな。どっちを選んだって誰もお前を責めやしないし、俺もレイスもお前が選んだ道に幾らだって付き合ってやるって」
難しい表情を崩さないフィアの背をキーリはパンっと叩き、笑い飛ばした。
「なあ? レイスだってそうだろ?」
「お嬢様の行く道が私の行く道でございます。何処へでも、例え地の果てだろうとも生涯お世話をさせて頂きます」
「……ありがとう、二人共」
礼を述べるも、まだ表情は晴れない。それでも幾分頬を緩ませ、フィアは空を仰いだ。
(自分は――)
これからどうしたいのだろうか。自分の事ながらその問いに対する答えを未だ持ち合わせていない。どこか湿り気を含んだような風が頬を撫で、重い足取りで家の中へと戻っていったのだった。
お読み頂きましてありがとうございました<(_ _)>




