5-2 養成学校にて-1(その2)
第18話です。
宜しくお願いします。
<<主要登場人物>>
キーリ:本作主人公。冒険者養成学校に入学するため、スフォンへやってきた。めでたく養成学校の入学試験に合格した。
フィア:赤い髪が特徴で、キーリと同じく養成学校の普通科に入学した少女。ショタコン。
オットマー:キーリ達のクラスの担任。筋肉愛好家のスキンヘッドマッチョメン。
アリエス:帝国からやってきた金髪縦ロールのお嬢様。筋肉愛好家でムキムキオットマーを尊崇している。貴族であることに誇りを抱いている。
一通り全員の確認を終えると、オットマーは一度全員を集合させた。手元の用紙に眼を落としながら、集まった生徒たちの肩を叩いて幾つかのグループに分けていく。
「うむ。今、分かれてもらったのはこれからしばらくの間、共に鍛錬を行っていく仲間である。現時点での実力が同等と思われる者で固めておる。
そこの一番右の集団。素振りの途中で伝えたようにまずは基礎体力を付ける事を優先する。その隣。体力は申し分ないが剣の基本を中心に練習するのである。今言った二つの集まりは吾輩が指導を行う。そして――」
オットマーは最後のグループに向き直った。一番人数が少なくわずか四人しか居ない。キーリ、フィアともう一人の少年、そしてアリエスだった。
「フィア・トリアニス! そしてアリエス・アルフォニア!」
「はい」
「どうなさいましたか、オットマー様」
「……吾輩に『様』を付ける必要は無いといつも言っているが」
「イヤですわ。オットマー様に向かってそれ以外の呼び方など出来ませんわ。それともアレクサンドロス様とお呼びした方が宜しくて?」
「むう……」
普段の冷たい視線とは百八十度違う、憧れと崇拝が入り混じったキラキラした眼差しをアリエスから向けられ、オットマーは冷や汗を流しながら唸った。
どうにもオットマーはアリエスが苦手の様で、他の生徒と同様に上役として威圧的に接しようとするのだがこのように掛け値なしの曇りなき純粋な尊敬を向けられると反応に困るのが常であった。そんな様子を表面上は平静を装いつつも心の中でニタニタとした笑みを浮かべてオットマーの反応を見るのが生徒たちの細やかな楽しみの一つであった。
「うぉっほん! 二人には残りの二人――キーリ・アルカナとイーシュ・カーリオの指導を任せる」
咳払いをして誤魔化しつつオットマーはフィアとアリエスに指示を与える。だがいきなりのその内容にそれぞれ戸惑いを顔に浮かべて思わず見合った。
「その、私達で宜しいのですか?」
「うむ。吾輩はこっちの二つの集団を指導するのに手一杯になるだろうからな。この授業に関しては指導内容も、大怪我などの無いものであれば一任しよう。判断に困るようならば吾輩に相談すればいい」
「しかしですわ、オットマー様」アリエスが一歩前に進み出た。「ワタクシ達はまだ冒険者にもなっていない未熟な身。剣術に関してもまだまだ鍛錬が足りませんわ」
「二人の不安はもっとも。だが心配は要らぬ。二人共、事、剣術に限れば専門ではない吾輩よりもよっぽど優れていると判断した。それに、他人に指導すること、また他人の動きを観察することで見えてくるものもあろう」
「見取り稽古、ということですか。確かにおっしゃる通りだと思います」
「仕方ありませんわね。オットマー様のお言葉とあれば従いますわ。未熟ではありますが精一杯やらせて頂きます。
そこの男か女かわからぬ男の指導をせねばならないのが癪ではありますが」
「ちょっと待て、女男ってもしかしなくても俺の事か?」
「他に誰が居まして?」
「いや……居ねーけど。おいフィア、何でお前まで頷いてやがる?」
「コホン……本来であれば剣術に関しては吾輩ではなく専任の者が担当するのであるがな、諸事情により退職せざるを得なくてな。校長が新たな講師を探している最中であるのでそれまで我慢してもらいたい。無論、この事態は我が校の失態である。僭越ではあるが吾輩から謝罪させて頂こう」
「え、いや、そこまでして頂く必要は……」
「そうですわ。頭を上げてくださいませ。与えられた使命、キチンと果たさせて頂きますわ」
「うむ。それでは任せたぞ」
二人の肩を叩き、オットマーは彼が担当する二つのグループへと戻っていった。
残された四人。指導を任されたフィアとアリエスは今後の方針を相談するため、一度キーリとイーシュから離れた。
「さて、と。それでアルフォニア、様」
「アリエスで結構ですわ。ワタクシもあの男と同じようにフィアと呼ばせて頂きますから」
「宜しいのですか? 平民である私からそう呼ばれて」
「ええ。ワタクシが拘っているのは貴族としてのあり方であって決して平民よりも上位の存在で居たい訳ではありませんもの。それにここはギルド。貴族も平民もありませんわ」
「そうですか。しかし、入学式の日にはエルゲン伯爵のご子息には随分と貴族としてのあり方を説かれていたようですが」
「……あれは少し頭に血が上っていただけですわ。自らを律することも出来ずにギルド内でも地位をひけらかすあの恥知らずを見ていると貴族というものを汚されているような気が致しましたの。もちろん貴族であることに誇りは持っていて、貴族は平民よりも優れているべきというのもワタクシの信条ですわ。ですが、それはあくまでワタクシが抱く理想。それをギルド内で他者へ押し付けるつもりはありませんもの。なので今、ワタクシとフィアは同じ養成学校の生徒として対等ですわ。
それと――」アリエスはバツが悪そうにフィアから視線を外した。「先日は失礼な事を申し上げましたわ。撤回してお詫び致します」
真摯な態度で反省を顕わにして謝罪するアリエス。頭を下げる彼女の姿にフィアは一瞬面食らったものの、すぐに気を取り直して返答した。
「分かりました。私としては然程気にしてはいなかったのだが謝罪を受け入れます。そして――これでいいかな、アニエス?」
「――ええ、結構ですわ。それではこれから宜しくですわ、フィア」
アリエスの要望通り普段の口調に崩し、手を差し出したフィア。アリエスは貴族然とした態度の隙間から微かに歳相応の笑顔を覗かせて手を握る。
その様子にフィアは相好を崩して微笑んだ。
そんな彼女たちから離れた場所で、キーリは一人彼女たちの話し合いが終わるのを待っていた。何の気なしに手に持った木剣を眺める。すると先ほどのオットマーの言葉が脳裏を過る。
自分の剣は復讐の為の剣だ。村を滅ぼした「英雄」たちを討つ為の剣だ。決して仲間に向ける為のものではない。それは分かっている。フィアやレイスたちに向けられるはずがない。だが、キーリの中で不安が燻ぶる。
「英雄」達はその名の通り国にとって英雄だ。自分が知り得る全員が貴族となり、会うことすら容易でない存在だ。どの国にとっても大切な存在で、彼らが狙われているとしたら多くの兵や民がキーリの前に立ち塞がるかもしれない。
そして、その中には今こうして共に学んでいる同級生が含まれるかもしれなかった。迷宮探索で名を馳せ、或いは技巧や魔法で有名となって貴族に召し上げられる可能性は大いにある。何も知らない彼らが自分に刃を向けてくる。そうなった時、彼らと同じようにきっと自分は刃を向けるのだろう。
――その時、自分は彼らを斬れるのだろうか。
剣を握る拳に力が入る。ネガティブな思考に陥っていたキーリだったが、その時不意に彼の首に重みが伸し掛かってきた。
「いよっ!」振り向けば、楽しそうな少年の顔があった。「アルカナっていったよな? オレはイーシュ! イーシュ・カーリオって言うんだ! 宜しくなっ!」
「……キーリでいいさ。宜しく」
思考に埋没していたせいで近づくのにキーリは気づかなかった。一瞬反応が遅れながらも返事を返し、内心で気を抜くな、と自らを戒める。
「今まで話したことなかったよな? 暫くの間一緒に練習することになりそうだからキチンと自己紹介しとこうと思ってよ。男同士……一応確認だけど男だよな?」
「男に見えねぇんなら医者に行くことを勧めるぜ」
「ならオレはお前に鏡でもプレゼントしてやんよ。ま、ともかく男同士宜しく頼むぜ!」
イーシュはニッと歯を見せて笑った。その少年ぽい笑い方は顔の造形のせいもあって幼く見える。茶色い髪の耳周りを短く刈り込んでいて、何処かで切ってしまった様な古傷が頬にある。まるで町のガキ大将が体だけ成長したみたいだとキーリは思った。
「しっかしよ」イーシュはキーリの体を下から上へと眺めながら話しかけてくる。「キーリって結構強ぇんだろ? 見たぜ、さっきのオットマー先生との立ち合い! もしかしてお前って実はもう迷宮に潜ったことあったりするのか?」
「いや、冒険者章も無しに迷宮には入れねぇだろ。まあずっとあちこち旅してたからな。町の外にいるモンスターとは戦った事はある」
「マジかよっ! くぁー! だと思ったよ! なんだよあの剣の鋭さ!」
手に持った木剣を振り回して、先ほどのオットマーに斬りかかった時の真似をした。シュ、と風を斬る音がしてキーリの髪が微かに揺れた。
「スゲーよな! たぶんうちの道場の師範代よりも速かったぜ! まるで眼で追えなかったし、振り方にも躊躇が無かったしな! やっぱ実戦経験があると全然違うんかな?」
「さあ、どうだろうな?」
「あーあ! いいなぁ。オレも早ぇとこ迷宮に潜ってみてぇよ」
「道場って、お前んちは剣術を教えてんの?」
「おう! 剣だけじゃなくて槍の扱いや短剣とか、冒険者が使いそうな武器は一通り教えてるぜ! ……とは言っても教えてんのはもっぱら剣ばっかだし、通ってる稽古生も数える程しかいねーけどな」
だから養成学校の学費が安くて助かったぜ、とイーシュは笑った。キーリも調子を合わせて頷きながら「まったくだ」と相槌を打った。
それと平行してキーリは考える。剣その他の武器の基本はこの学校で学べる。だがしばらくはオットマーが講師だろうし、クラス全体のレベルを考えると当分は基礎が主となるだろう。フィアとアリエスが指導してくれる事になったが、彼女たちの実力はともかくとして指導の経験は乏しい。シェニアが専門の講師を探しているとオットマーは言ったが、果たしてそれがいつになるのか。
「なら、そのうちイーシュの道場に顔を出させて貰おうかな」
「お、マジで!? もし通ってくれるならかなり助かるぜ」
「あんま期待すんなよ。ここで学ぶ事が少なくなったら、だしな。こっちも懐はかなり寂しいし」
「分かってるって! それにもし通ってくれんなら友人割引で安くしとくからよ。ま、そうじゃなくても暇な時は遊びに来てくれよ。街の南の平民街に看板出してるからよ」
そうした会話を二人で交していると、やがて話し合いを終えたフィアとアリエスが戻ってきた。
「待たせたな、二人共。楽しそうだったが面白い話でもあったのか?」
「いんや。楽しそうなのはイーシュだけ」
「俺だけかよ!?」
「そうか、馬が合ったようで何よりだ」
「……馬が会う? なんだそりゃ? 馬の見合いの話か? うちは馬は飼ってねぇぞ?」
「……息が合う、気が合うという意味ですわ」
「なんだ、そういう意味かよ。なら最初からそういう風に言ってくれなきゃわかんねぇよ」
「これくらい常識でしょうに。貴方、本当に試験通ったんでしょうね?」
「おう! 国語の問題は殆ど解けなかったけどな! それでも何とか成るもんなんだな!」
「……はぁ。この様な方をワタクシは教えなければならないと思うと気が重いですわ」
「なんだよ、褒めても何もでねーぜ?」
「褒めてませんわ!」
「このバカはどうでもいいんだけどよ、どういう風に指導してくれるんだ?」
「さっそくバカ呼ばわり!?」
「ワタクシたち二人と一対一で模擬戦ですわ。ただしワタクシたち側からは基本的に攻撃せずに受けるだけ。貴方達の実力もよく知らないですからまずはそこから始めることにしましたわ」
「こちらは二人の攻撃を受けながら、気づいた事があれば適宜指摘していくといった具合だな。
それと、バ……イーシュとはこうして会話するのは初めてだな。フィア・トリアニスだ。宜しく頼む」
「アリエス・アルフォニアですわ。宜しくお願いしますわ、バ……イーシュ」
「二人共今言い直したよなっ!?」
「気のせいだ」
「気のせいですわ」
「早く自己紹介終わらせろよバカ」
「お前はせめて隠そうとしろよっ!? ったく、イーシュ・カーリオだ。二人の腕は知らねーけど、指導を任されるくらいだから相当すげぇんだろ? 宜しく頼むぜ!」
「さて、どうかな? だが期待に応えられるよう努力しよう」
「大船に乗ったつもりでワタクシに任せなさい! いずれワタクシに次ぐ実力の持ち主にまで鍛えあげて差し上げますわ!」
二人は対照的な答えを返した。
「今日のところは私とキーリ、アリエスとイーシュの組み合わせで打ち合う事にした。途中で休憩している時はもう一組の稽古を見学だな。他人の動きを見て学べる事もあるだろうし、私もアリエス達の動きを参考にしたいしな」
フィアの言葉に残り三人も頷く。異論が出ない事を確認するとフィアは表情を引き締め、それぞれの組み合わせで分かれていった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
綺麗で、うまいな。
それがフィアと剣を交えたキーリが抱いた印象だった。
両手で持つキーリの大剣攻撃を片手の木剣で巧みにいなしていく。無駄の見当たらない動きで体を細かく入れ替え、決定打をキーリに与えない。
キーリも本気で斬りかかっているわけではない。だがそれは手加減をしているという意味でもない。
純粋な膂力という意味ではセーブしているが、最初から本気で当てるつもりで剣を振るっている。キーリが鍛えたいのは剣の腕であり、身体能力に差があってもその差を覆せる程の技術を学びたいのだ。
その点でフィアの動きは非常に参考になる。パワーを抑えているとはいえ両手剣と片手剣だ。まともに受ければ支えきれるはずもなく、しかしフィアは上手にキーリの力を受け流し、そして見事な歩法でキーリの死角に回り込んでいく。街中で悪漢と立ちまわった時にも見ていたので知っていたが、こうやって実際に立ち会ってみるとフィアの技術はキーリよりも遥かに上であることが分かる。
更には――
「そこだ」
剣を振りかぶったキーリの右肘を、フィアはピシリと剣で打ち据える。叩かれたキーリはその姿勢のままピタリと動きを止め、近寄ったフィアが肘を掴んで姿勢を正す。
「ここで脇が開いてしまうから剣の軌道が大回りになってしまうんだ」
「なるほどな」
「剣の動きは体の動きと連動している。剣を自分の腕の延長と思ってみるといい。その上でどうすれば効率よく剣と体を動かせるかを考えるんだ」
指導された事を意識してキーリは剣を振るった。ヒュン、と風を切って剣先が目の前を斬り裂く。なるほど、あまり腕に力は入れていないが剣速が増した気がする。少々窮屈さを感じるがそこは慣れだろう。構えから剣戟、残心までの一連の動きを何度も何度も繰り返していると少しずつ動きが馴染んでくるような気がした。
それを見ていたフィアも「うん」と頷いた。
「キチンと改善されている。スゴイな、キーリは。言われた事をすぐに実践できるということは学習能力が優れているのだろうな。私が昔先生から教えてもらった時は、どうしても今までの癖が出てしまって何度も怒られたんだが」
「フィアの教え方が上手いからだよ。それに普段から思った通りに体を動かせるよう訓練してるしな……っと」
話しながら剣を振っているとまだまだ勝手に悪い動きが出てきてしまった。無意識やとっさの時でも改善した動きが出来るように練習しないとな、とキーリは気を引き締めた。
キーリに褒められたフィアはホッとした表情を浮かべ、そして少しはにかんだ。
「そう言ってもらえると助かる。人に何かを教えるなど、これまでしたことが無かったしな。しかしそうだな……これからも指導するとなると教え方も勉強すべきだな」
「いや、フィアは別に本当の講師になるわけじゃないし、そこは良いんじゃないか? 俺としては動きの悪いところや癖を指摘してもらえるだけでもスゲー助かるし。そっちの勉強よりも俺らは他に勉強することもあるだろ?」
「ふむ、それもそうか」
「それに、フィアだけじゃないんだし、アリエスの教え方を参考にしても良いんじゃないか?」
二人は少し離れた所で模擬戦を行っているアリエス達の方に眼を遣った。そこでは――
「ほーっほっほっほっ! ほらほら! そんな動きでは一流の剣士にはなれませんわよ!!」
「痛ぇ! 痛ぇって! んなにバシバシ叩くなって!」
「そらそら! 振りが大きい! 肩に無駄に力が入っている! 脚の動きがぎこちなくなってますわよ!」
「だから痛ぇって! そっちからは攻撃してこねぇんじゃなかったのかよっ!?」
「攻撃などしていませんわ! 貴方の悪いところを叩いて指導しているだけですわ!」
「それにしちゃ力が強ぇっつうの! あいたぁっ!?」
「どうせ貴方のオツムでは言葉で説明しても理解できませんわ! なんですか『ここをブゥン!と振ってる』とか『腰をギュイン!とすればいいのか?』とか! 意味不明な擬音じゃなければ理解できないのなら痛みで覚えさせた方がよっぽど身につきますわ!」
「クソッタレ! 俺は動物並みかよ!!」
「そこらの犬猫の方がよっぽど賢いですわ! 悔しかったら強くなることですわよ! ほら、また腰が開いてますわ!」
「くっそぉぉぉっ!! ぜってぇお前に一発当ててやるからな!」
ギャーギャーと騒ぎながら剣を振り合うアリエスとイーシュ。とは言っても一方的にアリエスがイーシュの肩や腰などを打ち据えているだけで、イーシュの攻撃はまともに当たる事は無い。
実家が道場というだけあって傍から見ていてもイーシュの剣戟も中々だ。オットマーがこちらのグループに彼を割り振ったのも納得がいく。しかしそれよりもアリエスの方が実力はずっと上のようだ。ぎゃいぎゃい叫びながらも的確にイーシュの悪い場所を叩いて指摘していた。静かに丁寧に指導を受けるフィアとキーリの組とは実に対照的な指導風景だが。
「あっちはあっちで楽しそうだな」
「そうだな。さて、私達ももう少し――」
「ぜぇぇいん、しゅうごおぉぉぉぉぉっ!!」
もう一勝負、とばかりにフィアが剣を構え直した時、遠くからでも空気が震えるような号令が掛かる。
それを聞いて剣を構えかけたキーリとフィアは剣を下ろし、指示に従ってオットマーの元へ走って集合する。相変わらず低いのによく通る声だな、と妙な感想を抱きながら彼の前に全員が整列した。
「うむ、全員揃ったな。それでは! 本日の授業はここまでとする!」
そう宣言した途端、キーリ達の周りから一斉に安堵の溜息が漏れた。キーリやフィア、アリエスは平然としているが他のクラスメイト達の顔には疲労の色が見え、額には大粒の汗が光っている。中には脚がガクガクとしていて今にも倒れそうな者もいた。
生徒の大半は剣を習ったことも無ければ本格的に体を鍛えた事も無い。それが一気に何百回も剣を振ったり走ったりしたのだ。体力切れを起こすのも当然か。そういえば自分も昔は一キロも走れば吐きそうになってたな、と今では考えられない前世の自分のもやしっぷりをキーリは思い出した。
「全員明日へ疲労を残さぬようしっかり体を休めるのである! 本日は剣を中心に授業を行ったがしばらくは一部を除いて体力づくりを優先して行うこととする! その理由は今の諸君なら分かるはずである!」
オットマーの方針にあちこちから「はぁい……」と力ない返事があがる。そしてそれ以上の意見や反論が上がらないことを確認すると解散を宣言した。
ぞろぞろと生徒たちが散っていく。その足取りはまるで一部の迷宮で出現するとかいうゾンビの様だ。ちょっとつつけば倒れてしまいそうで、自分とは関係ないとは言え少し心配になってくる。
「キーリ、ちょっと良いか?」フィアに声を掛けられキーリは振り向いた。「少し休憩した後で打ち合いに付き合って欲しいんだが」
「俺は別に構わねぇけど、いいのか? オットマー先生は体を休めろって言ってたけど」
「構わないさ。あの程度の訓練で疲労が溜まるような鍛え方は私もしていない。正直に言うと物足りなくてな」
「俺の指導ばっかだったもんな。いいぜ、喜んで相手させてもらうぜ。イーシュ、お前はどうする?」
話を隣りにいたイーシュに振ると、げんなりした表情で二人を見つめた。
「お前らバケモノかよ……俺はパス。ちょっとばかし体力には自信があったんだけどな。お前ら見てると剣も体力も自信なくすぜ、まったく……
だけど別に諦めたわけじゃねぇからな! いつか絶対お前らに追いついてやるからな!」
「はいはい、分かった分かった。分かったから早く帰って休め」
「アリエスはどうする? 私達と一緒に訓練するか?」
「そうですわねぇ……」アリエスはチラリとキーリを一瞥した。そして何とも言えない残念そうな表情を浮かべた。「せっかくのお誘いですがお断りさせて頂きますわ。フィアとであればいい訓練にはなりそうなのですけれども」
「なんだ、まだキーリに入試で負けたのを引きずってるのか」
「なっ、なっ……!」
フィアに突然抱いていた感情を看破され、アリエスは途端に挙動不審になった。
「そ、そんなわけわ、ワタクシがへ、平民ごときに負けを根に持っているなどととととそんなことああああるわけ」
「動揺しすぎて口調がおかしくなってんぞ、おい」
「貴方は黙らっしゃい!」
キーリの突っ込みに即座にピシャリと叫んで黙らせるもアリエスは気まずそうに眼を逸らした。そんな彼女の様子に、イーシュは事情を飲み込めず首を傾げ、キーリはフィアと顔を見合わせて肩を竦めた。
「あそこまで露骨に表わしておいて別に隠さなくても良いだろう。所詮入試の成績なんだし、別に本当の実力を評価出来ているわけでもあるまい。そこまで気にすることも無いと思うがな、私は」
「……それでもワタクシは負けたくはないのですわ。貴族として、自分が許せませんの」
そこまで拘る何かが彼女にはあるのか。アリエスは何かを堪えるように眉根に皺を寄せ、口をへの字にねじ曲げた。
頑なな態度を見せるアリエスだが、キーリは今はそこまで気にしていない。ゲリーの様に見下すような貴族ならば皮肉の一つでも口にしてやるところだが、彼女からはその様な侮蔑的な感情は感じられなかった。本気で平民を守る。その為に貴族は存在している。心からそう信じているようで、向けられた敵意の中にも悪意は感じ取れない。かつてフィアが評したようにただ負けたことが悔しい、というのに加えて自らの不甲斐なさを悔やんでいる。そんな様にキーリには思えた。
「……そうか、ならばこれ以上は無理には誘うまい」
フィアも似たような感情を抱いたのだろう。フッと小さく笑みを浮かべ、年下の少女の頭にポンッと軽く手を置いた。
「申し訳ありませんわ……」
「いや、構わないさ。次はキーリに勝てると良いな」
「良いんですの? アルカナはフィアの友達では無くて?」
「本気でやって勝ったのならば私が恨み言を言うのは筋違いというものだろう? それに、キーリは剣技はまだまだだが強いし、こう見えて頭も良いからな」
「おい、『こう見えて』ってのは何だ?」
「何もかも負けているというのは私とて少々悔しいからな。残念ながら私の頭脳では勝てそうも無いし、その点アリエスならばキーリに吠え面かかせられる可能性も高い。私も偶にはキーリが悔しがる姿を見てみたい」
「もしかしなくてもフィアって俺の事嫌いか?」
「ふふっ……ならばフィアのご期待に応えられるように致しますわ。二ヶ月後の試験を首を洗って待ってらっしゃい、アルカナ……いえ、キーリ!」
「おお、かかってこいや。絶対負けねぇからな。剣もお前に負けないくらい上手くなってみせるぜ」
挑戦的な笑みを浮かべたアリエスに対してキーリも挑発的に笑ってみせる。そこには張り詰めた空気はなく、これまでと違ってじゃれ合いの感じが強い。それを察しているからこそフィアもイーシュも呆れながらも見る目は優しい。
「あ、あの!」
と、そこに女の子の声が割って入った。一同が振り向くとそこには黒髪の少女の姿があった。
キーリの肩くらいまでの、この世界の女性としては比較的小柄な部類だ。フィアやアリエスよりも小さく、パッチリした眼の眦が少し垂れ下がっていて何処か小動物らしい印象だ。どうやら猫人族らしく、髪を分けて伸びる猫の耳や頬から生えたヒゲのような毛がそんな印象を助長する。可愛いらしい雰囲気をまとった少女だ。
しかしキーリの眼を引いたのは彼女の髪色だ。この世界に黒髪の種族は居ないではないが非常に少ない。更に猫人族らしい特徴が顔に出てはいるものの、顔の作りが何処か日本人ぽさを残している。
(何処かのタイミングで日本人の血でも入ったのか?)
自分だけがこの世界に転生した、などというはずもない。長い歴史の中で自分のように生まれ変わったりした人間もきっと居ただろう。彼女の姿を見ながらキーリは幾許かの懐かしさと安心を覚えた。
「あら? 何かワタクシの御用かしら? えーっと、確か……カレン・ウェンスターさんでしたわね?」
「は、はい! 私の名前を覚えてくださって頂いて光栄です!」
「共に学ぶクラスメイトですもの、覚えていて当然ですわ」
「……お前は覚えてた?」
「いや……どうも私は名前を覚えるのは苦手でな」
「顔は見たことあったんだけどオレも名前はな」
アリエスと少女――カレンが向き合う横で残り三人はヒソヒソと話しながら後ろめたさを感じていた。
そんな三人をジト目で見ながらアリエスは「あの三人は放っておいて」と先を促す。
「は、はい! えっと、そ、その、貴族であるアルフォニア様にき、恐縮なんですけど実はお願いがありましてぇ……」
あまり気が大きい方ではないのだろう。貴族であるアリエスを前にして緊張気味だ。
そんな彼女を気遣ってか、ニコリと淑女然とした柔らかい笑みをアリエスは浮かべた。
「ワタクシに? 何でしょうか? それとそんなに緊張しなくても大丈夫ですわ。呼び方もアリエスで結構ですことよ。貴族だからって取って喰うわけでもありませんもの。それに貴族たるもの、平民の言葉に端から耳を傾けないなど言語道断ですわ」
「そ、そうですよね」
「でも余程変なお願いなら皮を剥いでしまうかもしれませんわね」
「うにゃぁっ! ごめんなさい!」
「冗談ですわ」
物騒な事を言いながら淑やかにアリエスは笑ってみせた。
「よ、よかったですぅ……」
「それでお願いというのは何でしょうか?」
尋ねるアリエス。カレンは少し口ごもって、しかしハッキリとその願いを口にした。
「えぇっと、そのですね……わ、私にこの後ご指導していただけないでしょうか!」
その申し出が思っても居なかったのだろう。眼を丸くして「え……?」と声を漏らした。
「わ、ワタクシで宜しいのですか?」
「はい! アリエス様が良いんです! その……ダメでしょうか?」
シュン、として体を縮こまらせて上目遣いにアリエスの様子をカレンは窺う。そんなカレンを傍から見ていたフィアがキュンキュンきているらしく「むふぅ!」と鼻息を荒くし、それに気づいたキーリが「堪えろ」と後頭部を叩いていた。スパン! と景気の良い音が響いた。
そんな二人をよそに、アリエスはカレンに背を向けると嬉しそうに顔を綻ばせて小さくガッツポーズを取った。だがすぐにコホンと咳払いをして気を取り直す。
「ダメではありませんわ。むしろ友だ……んんっ、一緒に訓練してくださる方を探してましたの。だから大歓迎ですわ」
言い直すアリエスを見て「独りぼっちは、寂しいもんな」という、何処かの魔法少女の姿が浮かんだような気がしないでも無かった。
「本当ですか! 良かったですぅ」
「で、でも本当にワタクシで宜しくて? まだまだワタクシも未熟ですし、そちらのフィアの方が教え方が丁寧ですわよ?」
「先程も言いましたけどアリエス様が良いんです。さっきのイーシュ君との訓練を見てて、楽しそうだなぁって思って」
「アレが楽しそうって眼が腐ってぐふぅっ!」
イーシュが突っ込みを入れようとした途端、アリエスの拳が即座に見事に素晴らしくみぞおちに決まった。その場でゴロゴロと悶絶するイーシュを見てカレンはクスクスと楽しそうに笑った。
「厳しいけれど楽しそうで、しかもキチンと悪いところも指摘してくれるし、それに、その……」
「なんですの? ハッキリ仰ってくださって構いませんわよ」
「その……実は私、アリエス様と仲良くなりたいっていうか、そのお、お友達になれたらいいなーって思ってて……」
その申し出にアリエスは固まった。
アリエスの本音を何となく見抜いていたキーリは楽しそうに口元を緩めるが、カレンはそう受け取らなかったらしく慌てて頭を下げた。
「あ! その、貴族様に失礼ですよね! ご、ごめんなさい!」
「そ、そこも構わないですわ。養成学校に居る間は貴族も平民もありませんもの。
……それで、本当にワタクシとお、お、お友達になってくださるのですか?」
「はい! ぜひ!」
「自分で言うのもアレですけれど……結構キツい性格してますわよ? 嫌な気持ちにもきっとさせてしまいますわ」
「……今まさに俺がおふぅっ!?」
息絶え絶えでうずくまったままにもかかわらず茶々を入れようとしたイーシュの顔の横を、鋭い氷杭が通り過ぎた。余計な事を言うなとばかりに無言で睨みつけ、その冷たい視線に晒されたイーシュは黙ってコクコクと頷いた。
そんな二人のやり取りを見てクスリとカレンはまた笑った。
「構いません! アリエス様がキツい事を言う時ってその人の事を思って言ってくれたり他の人を守るためですよね? 教室で他の貴族の方に文句を言ってる時にずっとそう思ってたんです!」
曇りなく、真っ直ぐに純粋な気持ちをぶつけるカレン。その視線が眩しくてアリエスは言葉を失いカレンに背を向けた。背中が少し震えて、そんなアリエスの肩にフィア、そしてキーリは優しく手を乗せた。
二人の顔をアリエスは見上げた。フィアからは優しく、キーリは少しにやけた笑みを向けられていた。
アリエスはフィアには微笑み返し、キーリには乱暴に手を払いのけて「ふんっ」とそっぽを向く。そして目元を軽く拭うと胸を張ってカレンに手を差し出した。
「し、仕方ありませんわね! どうしてもと言うのなら友達になってあげても宜しくてよ?」
「なんでお前が偉そうなんだよ」
「貴族ですもの!」
「さっき貴族とか平民とか関係ないとか言ってなかったか?」
「それはそれ! これはこれですわ!」
「私も平民なんだが……」
「フィアは別に良いんですわ! 何となく平民っぽくありませんもの!」
「なんじゃそりゃ!」
「ふふ、皆さん仲が良いんですね」
「どこがだっ!」
「どこがですのっ!?」
「にゃにゃ! ご、ごめんなさい!」
ともあれ――
「ならアリエスはカレンと訓練ということでいいか?」
「ええ、そういうことになりましたのでフィアはそこの『漢女』と訓練してくださいませ」
「よし、試験の前にお前をぶっ潰してやるよ」
「まだ剣の基本も出来てませんのでご迷惑をお掛けしますけど、よろしくお願いします、アリエス様」
「問題ありませんわ。初めて今日人を教えるということをしましたけれども、楽しかったですし色々と気づくことも多かったですもの」
「そして、私とキーリが一緒に鍛錬と」
「ああ。んで――そこの軟弱野郎が一人帰宅と」
「うっせー! 俺は一般人なんだよ! お前らみたいな何百回も素振りして平然としてるびっくり人間どもと一緒にすんな!」
「カレン嬢も一緒だぞ?」
「うっ……」
キーリの揶揄に顔を引きつらせて反論していたイーシュだったが、カレンをフィアに引き合いに出されると言葉に詰まる。
そういえばそうだな、とキーリとアリエスは揃ってカレンを見た。
授業が終わった直後は皆疲労困憊。死んだ魚の眼にして口々に「いっそ殺してくれ……」というつぶやきも聞こえていたが、カレンはキーリ達と同じく余り疲れた様子が無い。よくよく見ればシャツに汗が滲んでいたり少々疲れが見て取れるが、イーシュを始めとした他の生徒と比べれば雲泥の差だ。
「あはは、私は剣はダメだけど走るのが好きだから。村でも山の中を毎日駆けまわってたし、入学が決まった後も皆スゴイ人ばっかりだから置いていかれないようにって思って体だけは鍛えてたんです」
「だってよ、イーシュ」
「くっ……くっそぉ! 分かったよ! 今日は帰るけど、明日から本気出してやるよ!」
「そこは今日からやるって言う流れだろ……」
何処かのニートのような事を言い放ち、イーシュはよろよろとふらつきながら四人の元から去っていく。なまじ声が大きいだけに元気そうなイメージを抱いていたがその姿を見ると、確かに今日はこれ以上訓練はできなさそうだった。
「それじゃ俺らは……何処でやる?」
「講堂の地下に室内訓練場があったはずだ。そこなら最新の特殊な魔法が施されているはず。少々本気でやり合っても大怪我には繋がらないだろう」
「分かった。んじゃそこに行こう」
「ワタクシたちはこのままグラウンドで練習しますわ」
「ん。ならばまた明日会おう」
「頑張れよ、カレン」
「はい! お二人も訓練頑張ってください」
そうして四人は手を振り、それぞれの鍛錬場所に移動していった。
明日からの訓練も楽しそうだな、と同じ思いを抱いて。
2017/5/7 改稿
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