2-4 静かに変わりゆく日常(その4)
第3部 第8話になります。
宜しくお願いします。
初稿:17/12/09
<<<登場人物紹介>>>
キーリ:幼い体で転生後鬼人族に拾われるも村が滅ぼされた事で英雄への復讐を誓って、冒険者となった。国王殺害の濡れ衣を着せられ逃亡生活中。
フィア:パーティのリーダーで王国の王女。国王殺害犯としてキーリ、レイスと共に逃亡生活真っ只中。末期のショタコン。
レイス:フィアに付き従うメイドさん。フィアと共に一緒に生活中。
アリエス:帝国貴族の筋肉ラブな女性。剣も魔法も何でもこなす万能戦士。
カレン:弓が得意な猫人族で、キーリと同じく転生者。キーリとは異父兄妹になる。
ギース:スラム出身の斥候役。不機嫌な顔で舌打ちを連発する柄の悪さが売り。意外と仲間思い。
シオン:狼人族の魔法使い。頑張りやさんで、日々魔法の腕を磨く。実家の店がパーティの半拠点状態。
イーシュ:パーティのムードメーカー。勉強が苦手で三歩歩けばすぐ忘れる。攻撃より防御が得意。
ユキ:キーリと一緒にやってきた性に奔放な少女。迷宮核を自ら作り出したりと不思議な力を持つが正体は不明。
ユーフェ:スラムで住んでいた猫人族の少女。フィアに雇われた後、家族として共に過ごしていた。時々不思議な勘の鋭さを見せる。
シン:王国南部のヘレネム領を治めるユルフォーニ家の嫡男。キーリ達を匿っている。
両脇が木々に覆われた山道を一台の馬車だけが進んでいた。
空は雲が覆い、乾いた風が針葉樹を揺らす。馬車の他には誰もおらず、御者台の上で御者だけが静かに馬を歩かせている。
坂道をゆったりしたペースで登っていく。私有地に入ってからすでに半鐘(≒三十分)程が経っており、曲がりくねった坂道の最後のカーブを曲がり終えるとそこでようやく建物が見えてきた。
威風堂々とした佇まいの巨大な城。元は白銀の美しい建物だったのだろうが、長い年月を経て全体が灰色にくすみ、しかしそれが一層の重厚感と歴史を感じさせて薄暗い天候にも良く合っていた。
やがて馬車は坂を登りきり、城の外門の前で停車した。門の前では兵士が待ち受けており御者の男から何かを渡されるとそれを確認。頷き、門が開けられたのを確認すると御者の男は客車のドアを開けて中に声を掛けた。
「到着致しました、お嬢様」
「わかりましたわ。ありがとうございます」
声を掛けると御者は恭しく頭を下げ、それを横目で見ながら中から女性が降り立った。
黒い頑丈そうなブーツが地面を穿つ。だが適度に装飾の施されたそれは実用性と華やかさを兼ね備えた逸品だ。そこから黒タイツに包まれたスラリとした脚が伸びていく。濃紺のプリーツスカートとモスグリーンのチュニックを身にまとい、その上から臙脂のマントを女性は羽織っていた。
昔から変わらぬ金色のロール髪を掻き上げると、これまた昔から変わらぬ胸を張って堂々とアリエスは門をくぐっていった。門の内側には花壇が設置されていて、今はまだ花は咲いていないものの小さな蕾を付けていた。幾何学的に整えられたそれらの間には十字状に舗装された道があり、真っ直ぐに城へと続いている。
城内へ続く扉は厳かだ。歴史と重厚さが前に立つ者を圧倒する趣がある。だがアリエスは一切臆する様子は見せず慣れた足取りで扉の前に立った。
アリエスが手を触れずとも扉が開いていく。内側から城の使用人が扉を開け、アリエスがその中に脚を踏み入れると数人の使用人たちが両脇に別れており、一糸乱れぬ動きで彼女に頭を垂れた。貴族の居城であれば当たり前の光景だが、城の規模に比べればその数はずっと少ない。それが城主の気質を表していた。
「おかえりなさいませ、アリエスお嬢様」
「出迎え感謝致しますわ、ヨーゼフ」
「もったいないお言葉でございます。侯爵様がお待ちでございますのでご帰還早々で恐縮ですが、どうぞこちらへ」
執事長のヨーゼフに案内され、彼に続いてアリエスは中央の階段を上っていく。床には絨毯が引かれ、所々に美術品が備えられているものの全体としては華美ではなく簡素な内装だ。
相変わらず変わりませんわね、とつぶやきながら彼女はヨーゼフに声を掛けた。
「数年ぶりですけれども、お祖父様はご息災ですの?」
「ええ、もう私がお仕えして数十年になりますが、当時と変わらずお元気でございます。昨日も、お嬢様に振る舞うためと称して近くの森にお一人で狩りに出かけようとする始末でして」
「……苦労を掛けますわ」
「とんでもございません。昔はご自身のお立場を考えない愚行に怒鳴り……失礼、お立場を考慮なさるようお願いしたこともありましたが、今となればそういったお方だからこそこうして仕え続けることが出来ておりますので」
サラリと毒を吐きつつもにこやかに応じるヨーゼフには苦笑いしか返せない。お祖父様も幸せものですわね、と見捨てずに変わらず仕えてくれている忠実な使用人を称えた。
程なくして二人はある部屋の前で立ち止まった。ヨーゼフがノックし、「お嬢様をお連れ致しました」と告げると中から「うむ、入れ」と即座に返答がある。
「それではごゆっくり」
ヨーゼフによって扉が開かれ、アリエスは一度溜息を吐き出し、気合の入った面持ちで奥へと進んでいった。
部屋の奥では窓に向かって一人の禿頭の老人が椅子に座っていた。アリエスが近づいていくと老人もゆっくりと立ち上がり彼女に近づいていく。
そうしてお互い無言のまま向き合う。老人はタキシードをキッチリと着こなし、鼻の下には立派な髭をたくわえていた。かなりの長身であり、頭上から厳しい表情でアリエスを睨みつける。対するアリエスもまた真っ直ぐに仁王立ちし、凛とした眼差しを老人にぶつけた。
静かに睨み合う両者。やがて、老紳士の口が軽く開かれてそこから息が吸い込まれた。
そして。
「――ふぅんっ!!」
老紳士の上半身から服が弾け飛んだ。散り散りに千切れ飛んだ布がアリエスの顔にペチッと張り付いて視界を隠し、彼女は無表情でそれを剥ぎ取った。
そして彼女が目撃したのは筋骨隆々とした肉体美を惜しげもなく晒した老紳士だった。とても六十を越えているとは思えぬ体つきで、発せられるおびただしい熱量により全身から蒸気が上がっている。彼女からは見ることができないが、背中の極度に発達した筋肉が織りなす造形はまさに鬼である。同時にアリエスに向けられる鬼気は武神、或いは闘将という言葉がしっくり来る。生半可な者が正面に立てば、その威圧感に依って速攻で意識を遥か彼方へと放り投げざるを得ないだろう。
「――ぉぉぉぉぉぉおおおおおっっっっ!!」
街中であれば近所迷惑間違い無しの雄叫びを発し、老紳士はこれまた年齢を感じさせぬ身のこなしでアリエスに襲いかかった。アリエスの胴回りよりも太そうな腕を振るい、鋭く拳を彼女に向かって叩きつける。
それを見たアリエスは素早い動きで避け――無かった。
「はぁぁぁぁぁぁっ!!」
両手のひらを突き出し、裂帛の気合を込めて真正面から正拳突きを受け止める。「どごぉっん!」という、最早人間業とは思えぬ音を立ててぶつかった両者の腕がミシミシと軋む。
勢いに押されて僅かに後退するも、黒タイツの下にある鍛え上げた筋肉により堪えきる。そして今度は彼女が拳を振り抜いた。
「ぬうぅっ!?」
老紳士に比べれば遥かに細い腕。しかし老紳士の手のひら目掛けて放たれたその一撃は強烈にして苛烈。筋肉を通して伝わる衝撃に老紳士の口からは苦悶とも取れる声が漏れ、鍛えられた腕が激しく震えた。だが老紳士も彼女の一撃を確かに受け止めきる。
再び放たれる老紳士の一撃。端正な彼女の顔を目掛けたそれを今度は受け流し、対する彼女の一撃もまた老紳士は滑らかな動きで弾き飛ばした。
そうして始まる祖父と孫の超超至近距離での肉弾戦。もしこの場に一般人がいれば、間違いなく二人の動きは見えなかっただろう。打撃音が一瞬止んだかと思えばまた別の場所で肉弾戦を開始する。筋肉と筋肉がぶつかる音と、拳が風を切り裂く音。それだけが室内に響いていく。
まさに互角の戦い。延々と響く互いの打撃音。両者ともに充分な一撃を与えることができないでいて、戦いは永遠に続くようでもあった。
だが――
「はああぁぁぁぁっ!」
力負けした老紳士が受け止めきれず、ただ瞬きの一瞬のみ体勢を崩した。その一瞬の隙を見逃さずアリエスの拳が、凄まじい気迫とともに老紳士の腹部に吸い込まれていく。
避けられない。そう気づいた老紳士は両眼を「カッ!」と見開き、「ォォォォォッッ!!」というしわがれた気合の声を発し、全ての力が込められた腹筋が盛り上がった。
ぶつかる拳と筋肉。その衝撃は音と風となって周囲に吹き荒び、壁に掛けられていた絵画がガタリと半分ずれ落ちる。机上に置かれていた書類が舞い上がり、ハラハラと散らばり落ちてくる。
そして訪れる静寂。アリエスは拳を突き出し、老紳士は拳を握りしめ中腰のまま動かない。
伏せられた老紳士の顔がゆっくりと上がっていく。口をへの字にした厳しい面は変わらず眼下のアリエスを見下ろし、アリエスもまた無言で老紳士の眼を見つめ返す。
やがて老紳士はニッと笑った。
「よく帰ってきたの~!」
途端に吐き出される猫なで声。厳しい面はどこへやら。吊り上がっていた両眼はデレデレと垂れ下がり、威厳は全て彼方へとすっ飛んでいた。
「最後の一撃見事じゃったぞ。ますます筋肉に磨きが掛かっとるようでジィジは嬉しいぞ~!」
孫の余りの可愛さに顔面崩壊。堪らずアリエスに頬ずりして抱き上げ、高い高い。今この場にいるのは泣く子も黙る恐ろしい帝国侯爵などではなくただの孫バカジジイである。
「日々の鍛錬は怠っておりませんもの。お祖父様の方こそたるんでいるのではありませんの?」
「むぅ、アリエスは厳しいのぅ。ジィジ、泣いちゃう」
「冗談ですわ。相変わらずお祖父様の一撃は筋肉が心地よくしびれますわ。そしてこの筋肉……昔から変わらず、いえ、ますます美しさと力強さに磨きがかかっていますわ」
「そうじゃろうそうじゃろう! アリエスが来るということでここ最近は一層気合を入れて鍛錬しておったからの!」
厳しい言葉で眦に涙を浮かべていた侯爵の表情が一変。褒められると子供のように顔を輝かせて再び頬ずりを始めた。なお、彼らの後ろではヨーゼフがニコニコと笑いながら気づかれぬように周囲に飛び散った服の残骸と書類を拾い上げている。
「お祖父様、私ももういい歳した淑女ですわ。祖父と孫の間柄とはいえ、こうしていつまでも抱き上げるのは貴族として如何なものかと思いますの。それに片付けてくれているヨーゼフにもお礼を言わないといけないのではありませんの?」
「む? むぅ……そうじゃの。ヨーゼフ、大儀である」
「いえいえ、お嬢様がお越しになるといつものことでございますので」
アリエスに諌められ、侯爵は寂しそうに口を尖らせながら彼女を降ろし、ヨーゼフに礼を述べる。いつの間にか散らかった床や絵画は元通りになっていた。
孫に叱られてバツが悪そうにする侯爵に、アリエスはクスリと笑った。
「お会いするのはお久しぶりですけれども、お元気そうで何よりですわ。
それで今回ワタクシを呼び戻した理由をお聞かせくださいませ」
「……アリエスはせっかちじゃのう。もうちょっとは再会の余韻に浸らせて欲しいものじゃが……アリエスの言う通り要件を済ませてしまうとするかの」
ヨーゼフから手渡された新たな衣服に着替え、ネクタイを締めると再び侯爵としての厳しいキリッとした面へと戻る。部屋にある応接用のソファに座りアリエスに促すと互いに向き合う形で腰を下ろし執事長に生来のしかめっ面を向けた。
「ヨーゼフ」
「はい、お食事の準備はできております。本日はお嬢様と水入らずでお取りになられますか?」
「うむ。頼む」
流石は長年務める執事長。ヨーゼフは侯爵の意図を正確に察するとその場で指を鳴らした。
途端に扉が開かれ、次々とできたての料理が運び込まれてくる。どれもこの地方の郷土料理でありアリエスが昔から食べていた料理だ。贅を凝らした、というわけではないが土地の料理特有の優しさが溢れている。
「話は食事をしながらするとしよう。まずはアリエスも腹を満たしてくつろぎなさい」
「感謝致しますわ、お祖父様。実はここまでの道中、何も食べておりませんでしたの」
アリエスは目の前に出された料理に舌鼓を打っていく。どれも懐かしい味であり、数年ぶりに故郷に帰ってきたことを改めて実感する。丁寧に味わうように、しかし次から次へと料理を平らげていきその速度と量は凄まじい。孫の変わらぬ健啖ぶりについつい侯爵の頬も緩む。
そうして美味な料理を堪能する事しばし。順々に出された料理も三分の二が消費された頃、再びアリエスが口火を切った。
「それで、お祖父様。そろそろ教えて下さいませんこと?」
「うむ。腹も大分満たされた頃じゃし、本題に入るとするかの」
口元の汚れを拭い、侯爵はテーブルに肘をついて組んだ両手の甲に顎を乗せた。アリエスもナイフとフォークを置き姿勢を整えた。
「さて、アリエス」
「はい、なんでしょう?」
「そろそろ――アルフォニアの名を捨て、アルフォリーニを継ぐ気はないか?」
「――っ」
侯爵は強面の顔でアリエスを見つめ、そう告げた。
お読み頂きありがとうございました<(_ _)>