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2-1 静かに変わりゆく日常(その1)

第3部 第6話になります。

宜しくお願いします。


初稿:17/11/30


 迷宮都市・スフォン



 晴れていれば昼下がりの、誰もが微睡みたくなる暖かさの頃合いだが、この日は生憎分厚い雲が太陽を隠してしまっている。

 晩夏から初秋に差し掛かる時節ともなれば、スフォンの夕方はかなり冷えるようになる。そのため列に並んでいる者の誰もが早く風の吹き付ける事のない家に入りたいと願い、苛々を募らせているが長い列は遅々として進まない。

 まるで牛が田を耕しているかのような速度で、それでも確かに街に入る審査を待つ人の列は短くなっていく。だがすぐにまた後ろから新しい誰かがやってきて、長い列に絶句し、しかし並ばざるを得ないという不条理を噛み締めて列を長くしていく。

 ギースもまたその中の一人だった。ダークグレーのマントを纏い、時折脚を踏み鳴らし、或いはマントの下でナイフを弄びながら何とか時間を潰していた。


「いつもの事とは分かっちゃいるが、いい加減何とかしろってんだよ」


 苛立ちを紛らわせるため、小声で独り言ちる。

 こうして街の外に長蛇の列ができるのは珍しい事ではない。というよりも、最早毎日見られる事態だ。

 昔からスフォンには多くの人が訪れる。そのため審査待ちの列ができるのは数十年続いている。だがその列がここ数年で顕著に長くなっている。

 理由は身元の審査を厳しくし始めたからだ。

 スフォンは貴族派の治める都市である。それ故か、商人や冒険者に混じって旧国王派の人間が都市内に紛れ込まないか眼を光らせている、というのが街に出入りする人間の間での共通認識になっている。

 同時に貧民街や低所得者の排除にも最近は積極的に動き始めていた。その為に新たに市民となろうとする者に対しては高額な税をふっかけ、単に出入りするだけでも税を掛けるようになっていた。

 街の出入りであれば、普通の市民ならば痛くはあるが払えない額ではない。しかしスラムに住むような人間はそれすら払うことが難しく一度出てしまえば恐らくは二度と戻ってこれない。街の外で薬草を集めたりといった簡単な仕事さえできなくなっていた。

 幸いにしてスラムの頭であるあの宿屋の主人が上手く立ち回っているようで、スラム街の統治への介入を遅らせたり別の街に逃したりして目立った変化は起きていないが、それも限界がある。果たして、あの親父もいつまで上手く逃げ回れるか。自然とギースの顔も険しいものになっていく。


「はぁぁ……街に入るだけでもこれか」

「商品に掛けられる税金もまた上がるらしいぜ。ただでさえ護衛も雇わなきゃならないってのに……もうスフォンから手を引くか」

「それもありだよなぁ……」


 後ろに並んでいる商人からのぼやきが自然と耳に入ってくる。こういった話も最早何度聞いただろうか。

 商売の事に関してはギースも明るくはない。だが、税が高くなれば街で売られる商品の値段も高くなることくらいは分かるし、いつだったかキーリから立ち話で教えてもらって商品が少なくなれば値段が上がる事も知っている。

 物を余り買う性質ではないギースでも気づいていた。街で売られている品物の値段は実際に相当に上がっている。それは恐らく、後ろの商人たちのようにスフォンで商売をする人間が減ってきているからだろう。


「領主様も……一体何考えてんだろうな。このままじゃ俺らだけじゃなくてみんなスフォンに寄り付かなくなるぜ」

「しっ! 馬鹿野郎っ! 余計な事言うんじゃねぇ。領主様を批判したらどうなるか……何処で誰が聞いてるか分かんねぇんだぞっ」

「うっ……悪い。気をつけるぜ」


 そして誰もが領主の影に怯えている。表面上を取り繕いながらも、少しずつ悪い方向に変わっていく街に震えている。それは、スラムとはいえこの街で育ったギースにとって胸をざわつかせるのに十分だった。

 思わず舌打ちをするギース。苛立ったように髪をかきむしっていると、やがて彼の番がやってきた。


「はーい、次の人ー。詰まってんだからさっさと来ーい!」

「分かってるつうんだよ」


 審査を行う衛兵が小部屋の窓から顔を出して呼ぶと、ギースはそう吐き捨てながら不機嫌そうに冒険者証と幾ばくかの小銭をカウンターへ差し出した。


「お? へへ、分かってんじゃん」衛兵は帽子で隠れた目元を緩ませると、そそくさと小銭を制服のポケットに入れた。「いいね、作法をわきまえてる奴は好きだぜ。ええっと名前はっと……あ? なんだ、ギースじゃん」

「あん?」


 名を突然口にされ、怪訝な顔をギースは衛兵へと向ける。すると、衛兵は帽子の鍔を掴んで顔が見えるように上げ、ニヤッと笑った。


「よう、久しぶりじゃん」

「……ンだ、ジェナス。今日の担当はアンタかよ」

「おーおー、相変わらず愛想がワリィ野郎だな。アイツ程じゃねぇがテメェも歩きながら喧嘩売るような目付きしてんだから、ちったぁキーリみてぇに愛想よくしてみたらどうだ?」

「あ? 衛兵の仕事ってのは人に喧嘩売ることか?」

「怖ぇ怖ぇ。分かったからそう睨むなって」

「余計な世話焼いてる暇ありゃさっさと通せよ」

「こっちゃ朝からずっと働いてんだ。ちったぁ休憩させろって」


 どうやらジェナスはギースを格好の雑談相手とみたらしい。他にも良い話相手は居るだろうに、どうして自分を選んだのか、と深い溜息を吐いた。もっとも、誰でも人懐っこく話せるのがこの男の良いところなのだろうが。


「んで、何で街の外に出てたんだ? 護衛の仕事か?」

「ああ。ウチの貴族お嬢様が自分の国に帰ってるからな。他のパーティに加わるよりは護衛している方が俺は気が楽なんだよ。最近は護衛も相場が上がって割がいいからな」

「なるほどねぇ。確かにテメェは器用な人間じゃなさそうだしな。シオンや貴族のあの嬢ちゃん……アリエスだったっけ? 心の広い人間じゃなきゃギースとは付き合えないだろうな」

「放っときやがれ」


 ジェナスは手元の用紙にギースの話を書き込んでいく。仕事はキチンとするつもりのようだ。


「どこまで護衛したんだ? やっぱ、モンスターは多かったか?」

「あ? それも仕事か?」

「そうそう。ったく、お(かみ)は俺ら下々の仕事ばっか増やしてくれやがるんだよなぁ。あの野郎どもも偶にはここに一日突っ立ってみろってんだ」

「アンタ仕事サボってばっかだろうが」

「やかましいわ。で、どうなんだ?」

「……護衛対象はユーグノースに向かう商隊。帰りは特に護衛の仕事は無し。途中でモンスターに遭遇した回数は、数えたわけじゃねぇが行きだけで五、六回はいったんじゃねぇか?」

「そいつぁ……今日聞いた中で最高記録だな」

「全部雑魚だったがな。まあユーグノースに近づけばそうでも無かった。ちょうどこことユーグノースの真ん中くらいにある山ン中を進んでる時に連続して襲われたしな」

「おうおう。貴重な情報ありがとよ。他に情報はあるか?」

「モンスターよりも人間に襲われる方が面倒だったな。戦争で町を焼かれた生き残りなんだろうが、やせ細ったそいつらが徒党を組んで荷物目掛けて襲ってくるんだからな。ありゃちょっとしたホラー体験だった」


 夜中の山中というのもあったのだろうが、商隊の人間の一人が腰を抜かして漏らしたのを思い出した。

 金払いが良いと思ったら、商隊自体はどうやら結構あくどい商売をしていたようだ。ギースがスラム出身だとわかると露骨に態度を変えてくるような人間的に褒められた人間では無かったのでいい気味だと内心でほくそ笑んでいたのだが、その時の事が頭を過りギースは小さく皮肉げに笑った。


「南部方面は野盗にも注意と……ありがとよ。で、だ。ちっと話は変わんだけどよ」


 ジェナスは指先でギースを呼び寄せると、窓から身を乗り出して耳打ちした。


「どうなんだ? キーリの野郎とフィアの嬢ちゃんのこと、なんか分かったか?」

「……さあな」


 警戒を露わにして言葉少なになったギースに、ジェナスは「あー……」と呻きながら頭を掻いた。


「そう警戒すんなって。別にチクったりはしねぇよ」

「ンならなんでアンタがそんな事聞くんだよ?」

「そりゃ単に俺が気になるからだろうが。可愛い子と飲み仲間が突然居なくなって、状況を知ってそうな奴が傍に居たらその音沙汰くらい聞くに決まってんだろ?

 んで、んで? どうなんだ?」

「知らねぇよ、俺だって」


 ギースはやや苛立った様子を見せるが、ジェナスは気にせず顔を近づけてくる。苛立ちを落ち着けようと、ギースはタバコを取り出し火を点けた。


「俺らだって知ってんのは何とか生きてるって事と、あちこち転々としてるって事くらいだ。今アイツらが何処で何してんのかなんて誰も知りやしねぇよ」


 一人詳しそうな奴が居るがな、と口に出さず吐き捨てる。

 何処からどうやって情報を仕入れてくるのか知らないが、ユキだけはキーリとフィア、レイスの三人が何処にいるかを正確に把握しているようで、フラリとシオンの店に現れては生存確認の情報だけを告げてまた何処かへ消えていく。質問を一切受け付けずに、だ。彼女がもたらす情報で安心こそできるが、同時にやきもきしてくる。そして連れ戻そうともせずに変わらず奔放に生きる彼女にギースには苛々ばかりが募る。気づけば眉間に深いしわが寄っていた。


「そっか……ま、元気ならその内会えるだろうけどよ。

 しっかし、フィアの嬢ちゃんの手配書が回ってきた時は驚いたよなぁ。あんな大それた事をしでかすとは……」


 何気なくジェナスは感想を零した。その直後、カウンターにギースの拳が叩きつけられた。


「のわっ!? ちょっ、な、なんだって――」

「アンタも……アイツらを疑ってんのか?」


 感情を押し殺した黒い瞳がジェナスを射抜く。細められた双眸は鋭く、その奥には目の前の存在を「敵」と認識している、そんな色が見え隠れしている。

 それに漠然と気づいたジェナスは慌てて否定した。


「そんな訳ねぇだろうが! 何度もフィアちゃんが街の奴らを助けてんの見てんだし、真面目さは俺だってよーく知ってるっての。あんないい子が、その、自分の父親を殺すなんて、はめられたに違いねぇって思ってるさ」

「そうかよ……なら、いい」


 マントの下に握ったままの拳を隠し、ギースは門をくぐり抜けていく。

 ジェナスは「しまったなぁ……」とぼやいて後ろ頭を掻き、身を乗り出してギースに向かって叫んだ。


「なんか分かったら俺にも教えろよ! もし、手伝えることがあるんなら俺も手伝ってやるからなっ!」


 それにギースは振り返らず、小さく手を挙げて応えるだけだった。




 街に入ったギースは、しかめっ面をしたまま人混みの中を一人歩く。

 昼と夜の中間の時間帯。一日の最盛期に比べれば人は少ない。だが、そろそろ夕飯の買い物客や迷宮から戻ってきた冒険者などで賑わい出すだろう。

 平民街から貴族街を通り過ぎ、行き交う人々の装いも豪華で仕立ての良いものに変わっていく。そしてまた徐々に粗末な家々の並びに景色が変わっていき、暗い顔をした人間が増えていく。


「……」


 平民街にある一件の店先でギースは脚を止めた。廃業したのか、ボロボロの店構えのガラス窓に三枚の紙が並べて貼られている。

 似顔絵とその下に書かれた大層な金額。キーリ達の手配書だ。生死問わずとあり、それぞれに掛けられた報奨金は到底平民一人が一生かけても使い切れるような額ではない。有用な情報提供だけでも一年は働かずに生きている額だ。

 前もこうして貼られていたが、新たに貼り直されたのだろう。まだ紙は真新しい。

 少しでも悪人に見せようという魂胆か、三人共随分と凶悪な面構えだ。キーリを除いて似ても似つかない。


「……早く戻ってこいってんだよ」


 紙の中の三人は揃って自分を睨みつけているような、それでいて人を小馬鹿にするように口元を歪めて描かれている。

 ギースは三枚の紙を一気に横に破り取った。何食わぬ顔で丸め、放り捨てた。そしてギースはスラム街の中に消えていった。

 路地から吹き抜けた風がそれを軽々と転がしていく。

 誰にも拾われることなく、やがて何処ともなく捨てられたポスターは風に運ばれて見えなくなっていった。




お読み頂きありがとうございました<(_ _)>

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