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1-5 彼は寄り添い彼女は夢を忘れる(その5)

第3部 第5話になります。

宜しくお願いします。


初稿:17/11/28





「それじゃランタンの灯を落とすぞー」


 キーリの声掛けにフィアは本に視線を落としたまま手を上げて応じる。それを見てキーリは灯を落とそうとしたが、入口の戸が半開きになっているのに気づきそちらへ先に向かった。

 入口から顔を出してレイスの部屋の様子を伺う。狭い家であり、個室は二部屋しかなくキーリとフィアは同じ部屋で過ごすため一部屋は彼女に譲った。たかが部屋決めだが、それでさえ最初は一悶着あったことをふと思い出した。

 この家に住み始めた当初は彼女は倉庫で寝泊まりすると言って聞かなかった。彼女らしいと言えばそれまでだがそんな事を認めたくはない。フィアを中心とした生き方をしてきた彼女には、フィアとしてももっとレイス自身に意識を向けるようにしたかった。

 何とか説得はしたが家事のことも同様にフィアに任せる事を渋り続けており、事あるごとにフィアへ部屋を譲ろうとしていた。

 それでも最近は諦めたのかそうした事もなく、偶に来る行商人から少しずつではあるが自分のための買い物もするようになっている。先日彼女の部屋に入ったフィアの話では、まだまだ殺風景ではあるが多少は賑やかになってきているとの事だった。

 そんな事をふと思い出しているとレイスの部屋から漏れていた明かりが消える。どうやら彼女も眠りに就くようだ。そっとキーリは扉を閉めた。

 自室の灯を落とし、暗くなる。ガラス窓の外では月が照らしている。心地よい程度の月明かりが部屋を仄かに明るくし、フィアはベッドに入って読んでいた本をサイドボードに置いて眼鏡を外した。

 枕に頭を乗せると彼女の髪が広がり、キーリは隣に寝転がると本来の色とは違うそれをなにげなく撫でた。一時は艶を失っていたが、レイスの手入れの成果もあって今は艶やかさを取り戻していた。


「お前は本当に髪を触るのが好きだな」

「そうか?」

「そうだ。いつも寝る前にはそうして撫でてくれる」


 言われてキーリは確かにそうかもな、と頷いた。

 彼女の髪を指で梳き、撫でるようになったのは果たしていつからだっただろうか。最初は夜な夜な悪夢にうなされる彼女を何とか慰めたいと思って思いつきで始めたような気がするが、それがいつだったかははっきりは覚えていない。


「嫌か?」

「いや……正直なところ、そうしてくれると気持ちが落ち着くんだ。だから、その、止めないでくれると嬉しい」

「そっか」


 再び梳くようにして彼女を撫でる。眼を閉じた彼女が少しだけ微笑んだ。

 フィアは眼を開けて寝返りを打ち、今度は彼女の方がキーリの髪を指先で弄ぶ。


「すっかり……黒くなったな。どれだけ黒以外が残ってるのだ?」

「さて、どうだろうな……六割方ってとこじゃないか?」


 フィアの髪色は染色したものだ。彼女の真紅の髪は余りにも目立つ。だから定期的に多少色を抜いて印象を変えるようにしている。しかしキーリの髪は日が経つにつれて自然と銀色の部分は消え、黒い部分が多くなっていくようになった。

 少しずつ、侵食するかのように。今は全てを黒く染めているからはっきり分からないが、まばらに増え始めた黒い髪は実際にはすでに半分以上に達していた。


「気持ち悪いと思うか?」

「そんな訳あるか」フィアは少しだけ怒ったような声を上げた。「たかが髪の色一つでそんな事思うはずないだろう。確かに世の中には真っ黒な髪を忌み、白を尊ぶような風習もある。だが私はお前のその髪が好きだ。他ならぬお前を形作るものだからな」


 そう言ってフィアは、言葉通り愛おしそうに指先にキーリの髪を絡ませる。口元には優しそうな笑みが浮かんでいた。だがふっといたずらっぽく笑ってキーリの前髪を掻き分けた。そして驚いたような顔を見せて眼を逸した。


「どうしたんだよ?」

「お前の眼を見たら恐ろしくなって心臓が止まったかと思った」

「このやろっ!」

「ちょっ! バカ、くすぐるな!」


 目元をイジられ、ベッドの上でキーリは躍りかかった。そっぽを向いたフィアを、「影」も駆使して全力で全身をくすぐり回していく。何とか逃げようとするフィアと逃がさないキーリ。ベッド上で二人だけの攻防戦が繰り広げられ、やがてフィアが悲鳴を上げた。


「わ、わかっ、私が悪かった!」

「悪いと思ったら?」

「ご、ごめんなひゃ、だからもう許ひてくれぇ!」


 笑いすぎて呼吸困難になりながらフィアは必死に許しを請う。彼女が涙目になって懇願する様子に、馬乗りの状態でキーリは満足そうに影を引っ込めた。


「ず、ずるいぞ……闇神魔法まで使うなんて」

「知らなかったのか? 俺はどんな下らない事にでも全力を出す主義なんだよ」

「普段は何かにつけて『面倒だ』というくせに……」

「聞こえんなぁ?」


 耳を抑えて聞こえない振りをするキーリにフィアは頬を膨らませた。だが二人の視線が交わった瞬間、どちらともなく吹き出して笑い声に包まれた。

 夜の部屋に響く明るい声。一頻り二人は楽しそうに笑い、キーリはフィアの額に口付けて彼女の右隣に再び寝転がった。


「あー、疲れた」

「まったく……明日は迷宮だというのに余計な体力を使わせおって」

「イジってきたのはフィアだろうが」

「お前を一日に一度は弄くらなければ呪われるんだ」

「そんな邪教からさっさと脚を洗っちまえ」


 キーリのツッコミにくくっとフィアは小さく喉を鳴らし、そして穏やかな眼で汚れた天井を見つめた。そしてポツリ、と静かな思いが零れた。


「いつまでも……こんな日が続けばいいな」

「そう……だな」


 並んで何もない天井を眺める。毎日こうして眺めている場所。古いからかちょっとした染みは多少増えてはいるが、この二年間いつ見てもそれ以外に変わることは無かった。


「フィア」

「……なんだ?」

「今の生活に不満は無いか?」


 問いかけにフィアは振り向くこと無く仰向けのまま眼を見張った。

 しばし沈黙。月明かりが流れてきた雲で隠される。ただ虫の声だけが窓枠の隙間から微かに届いてくる。

 キーリにとって長く感じた静寂。それでもわずか数秒。眼を閉じていたフィアはゆっくりと形の良い唇で弧を作った。


「不満は無いさ。一日の糧を集め、命を頂き、争い事もなく生きていく。穏やかに、楽しくこうして生きているのだ。おまけに私一人ではない。不満などあるはずがないだろう?」

「……そっか」

「お前が何を言いたいかは分かる」


 フィアは寝返りをしてキーリと向き合う。昔には無かったあかぎれの跡がある指先が目に入った。


「確かに……私は多くを失ってしまった。父を失い、仲間と離れ、国から追われる立場になってしまった。シンが言っていたように国は乱れてしまっている。コーヴェル侯爵は軟禁されてしまったし、貴族同士が争い多くの民が傷ついている。救えるものなら救いたいし、自分だったらそれができるかもしれないなどと思ってしまうこともある」

「なら……」

「けれども、私の手はこんなにも小さいのだと知ってしまった」


 フィアは自らの手のひらに視線を落とした。頼りない手だ。剣を握るしか能がなく、たった二つしかない手では抱えられるものなど幾らもない。


「……英雄になりたいと願った少女はもう大人になってしまったのだ。現実を思い知らされた少女は少女でなく、ただ今を生きる事しかできない不器用な女だ。いつか大きくなれば誰をも救えるようになるという期待は単なる妄言に過ぎなかった。

 身の丈に合わない誰かを救うためには、その誰か以上に他の誰かをたくさん失うんだ。私には……それが耐えられない」


 フィアは幼子のように体を丸めてキーリの胸に顔を埋めた。胸のざわつきが、キーリの心臓の鼓動を聞く内に少しずつ治まっていく。キーリの、女性を思わせる繊細な指が優しくフィアを抱きしめ、微かな温もりが不安と苛立ちを奪い取ってゆく。


「王になるという事は多くを敵に回すことだ。どんなに上手く立ち回ることができたとしても……少なくとも兄の血は免れない。あんな兄でもやはり兄なのだ。

 それに、例え刃を交えなくともたくさんの人を結局は傷つけてしまうことになる。それが政治なのだろうと、思う。それを乗り越える覚悟が必要だろうが……私にはたくさんの屍と傷の上に立つその覚悟がない。そんな人間が上を立つことは、それこそこの国にとって不幸だと思う」

「優しいな、フィアは」

「逃げ続けるだけの臆病者だ。今も、色々理屈を並べてはみたが結局は……全てを奪い取った権力というものに関わりたくないのだろうな」

「お前がそう思うならそれでいいさ」


 薄っすらとした影がシーツから染みのように広がっていく。それは、ベールのようにフィアとキーリを包み込んでいった。


「お前が選んだ道なら、喜んでお前を肯定するさ。誰にも文句は言わせない。逆に……もしお前の気が変わったとしても構わない。お前はお前が正しいと思う事をすればいい」

「まったく……本当にお前は嬉しい事を言ってくれるのだな。

 さっき言ったこと、一つ訂正させてくれ」


 意識が遠のき始めているのだろう。眠たげな眼でフィアはキーリを見上げた。


「仲間と離れた、と言ったが……お前とレイスが居てくれた。私から離れずに……居てくれた。それを考えれば……私は本当に幸せも…の……」


 すぅ、とフィアの声が寝息に変わっていく。キーリは影の繭を解き、朱に染めた彼女の髪を撫でた。

 風で窓がガタガタと小さく鳴り、雲が流れて月が再びその顔を覗かせた。月明かりがテーブルに置いた鏡に反射して彼女の目元を光らせた。キーリは影を使って鏡の向きを変えると、そっとその涙を指先で拭い、頬を包み込む。そしてそのままもう一度額に軽く口付け、誰にとも分からないまま祈り自分も眼を閉じたのだった。

 どうか――どうか、彼女が幸せになれますように、と。





お読み頂きありがとうございました<(_ _)>

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