1-4 彼は寄り添い彼女は夢を忘れる(その4)
第3部 第4話になります。
宜しくお願いします。
初稿:17/11/27
「はぁ……」
久々に心ゆくまで肉を食べるチャンスを失い、揃ってゾンビの様に項垂れキーリとフィアは帰宅した。
端々に傷みの見られる戸を開けると夕餉の匂いが微かに漂ってくる。夕陽が差して朱に染まった室内。山中にある村であるが故に陽が落ちると気温が下がって肌寒くなるが、料理の薫りと暖かさが多少なりとも二人を慰めてくれた。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
戸が閉まると同時に台所から女性が静々と姿を現した。
膝下までのエプロンドレスを纏った彼女はフィアとキーリに向かって深々と頭を下げて出迎え、感情の読めない真っ直ぐな眼差しで見つめた。
「ああ、ただいま――レイス」
フィアはそんな彼女に向かって軽く微笑んだ。するとレイスの口元もほんの微かに弧を描いた。
キーリとフィアの容姿も昔と変えているが、それは二人と居を共にするレイスも同じだ。色こそ黒のままだが、ショートに切り揃えられていた髪は今は長く伸ばされ腰上まである。寝る時を除いて外される事のなかった眼鏡は無く、冷たかった目元が幾分和らいだ印象だ。もっとも、それに気づくことができるのもキーリとフィアだけであるが。
「予定よりも遅いお帰りでしたが、如何致しましたか?」
「心配させてすまない。実はまたモンスターが出てな」
「んで、その後いつも通りちょっとシンに拉致られてな」
言いながらキーリはシンから貰った報酬の袋をレイスに手渡す。少々の金銭とたっぷりの新鮮な野菜が入ったそれを確認し、レイスはもう一度二人に軽く頭を下げた。
「ありがとうございます。お野菜の残りが心許ありませんでしたので助かります」
「報酬に野菜ってとこがユルフォーニ家らしいけどな……ま、どうせ金もらってもさして使う機会もねぇし、確かに食いもんの方が助かるか」
「できれば肉も入れて欲しかったのだがな……」
「言うな。余計に腹が減るだろ」
うさぎ肉とイノシシ肉を逃したのを思い出すと、フィアの腹がまた鳴った。台所からの匂いが食欲をそそるだけに尚更肉を胃に入れたくなってくる。
そんな肩を落とす二人にレイスは軽く首を傾げた。
「実はモンスターを対峙する前にうさぎとイノシシを仕留めていたのだがな」
「今夜は肉パーティだ! って喜んでたのに、モンスター倒して戻ってきたら野犬やらに食い散らかされた後だったんだよ」
「ああ、そういうことでしたか。そういうことでしたらお疲れでしょう。ちょうどお食事の準備が終わりましたのでどうぞこちらへ」
二人の説明に得心したレイスは、二人をダイニングへ促す。労いながらも表情を崩さない彼女だが、振り返り際に目元が微かに動く。何処か楽しそうだ。だがその理由に心当たりがなく今度はキーリが首を傾げた。
ダイニングに進むと一層料理の香りが際立つ。テーブルに並べられた皿の上には様々な料理が並び、湯気を立てていた。そしてその真ん中には――肉の塊が並んでいた。
キーリとフィアは呆気に取られてその肉を凝視する。表面はカリッと焼かれ、肉汁が幾分染み出していて見ているだけで食欲をそそってくる。立ち尽くす二人を他所にレイスはその肉にナイフを刺して切り分けていく。すると肉汁が皿の上に溢れかえり、視覚・嗅覚を存分に刺激してきた。
「差し入れをしようと思いましてキーリ様の畑に向かいましたところ、ちょうどうさぎ肉が落ちていましたので回収しておきました。
フィア様も森に狩りに向かわれると伺っておりましたので、追いかけて森に向かいましたら、瀕死のイノシシが横たわっておりまして。野犬などが群がっておりましたがこちらとしてもお二人の胃袋を満たすだけのお肉を見過ごす訳にはいきません。一部ではありますが、蹴散らした後でそちらも回収し、今は裏手で日持ち処理を施しております」
淡々と説明するレイス。フィアはその肉をジッと見つめてレイスに向き直り、彼女の両手をがっしと掴んだ。
「レイス」
「はい、お嬢様」
「結婚してくれ」
「喜んでお受け致します」
即答だった。
「待て待て待てっ!」
頬を赤らめ鼻から赤い情熱を垂らすレイスにキーリが待ったをかけると、彼女はハッキリと不機嫌になった。
「なんでございますか?」
「『なんでございますか?』じゃねぇってぇの! ンなの認められっか!!」
「婚姻とは当事者の合意によって成り立つもの。部外者の意見など道端のクソ程にも聞く価値はございません。そして今日からここはフィア様との愛の巣でございます。キーリ様は即刻裏手の倉庫へ引っ込み下さい。
大丈夫です。私も鬼ではございません。キーリ様のお肉は後程一欠片だけお持ち致しますので」
「露骨すぎやしませんかねぇ!?」
いつの間にか裏の戸が開け放たれ寒風がキーリ目掛けて吹き荒んでいる。先程の恭しさは一体何だったのか。キーリに戦慄が走った。珍しいことではないが。
「さて冗談はこれくらいにして食べよう。せっかくの料理が冷めてしまう」
「はい。キーリ様も。そんなとこに突っ立ってないで早く戸を閉めてお席にどうぞ」
「言葉の端々が刺々しいのも冗談だよな?」
無言でレイスはニコリと笑う。
その笑顔が微妙に怖かったような気がするが、キーリは気のせいだと思うことにしたのだった。
並べられた料理は瞬く間に消滅していった。
一般家庭であれば十分過ぎる程の肉であったが、元々が大食漢である二人である。レイスも細身に似合わず一般女性の倍以上は食らう。大きな肉の塊はあっという間に骨のみと化したのだった。
「あー、食った食った」
「野菜の多い食事も健康には良いと聞くが、やはりたまにはこうして肉や魚を心ゆくまで食べるのは良いな。心が満たされた気がする。本音を言えばもう少し量が欲しかったところだが」
「もうしばらくすりゃ行商も来るだろうし、そうすりゃまた大量に買い付けるか。幸い金はあるしな」
「それは楽しみだ」
あれだけの量を食べておいてさらりと恐ろしい事を口にするフィアとキーリ。第三者が見れば絶句してAランクモンスターを前にしたような死んだ魚の眼を浮かべるだろうが、ここにはレイスしかいない。彼女は何一つ気にした素振り無く皿を片していく。
「ああ、待ってくれ、レイス。私が洗おう」
「いえ、ですが」
「本来ならば料理も私が作るはずだったからな。せめて後片付けは私にさせてくれ」
「畏まりました。それではお願い致します。私は倉庫の方に行って参りますので」
「ンなら俺も手伝うぜ」
「いや、キーリは座ってのんびりしていてくれ。キッチンに二人も三人も居ると動きづらいからな」
ウインクをして台所へフィアは向かった。程なくカチャカチャと食器を洗う音が響いてくる。
腰を半分浮かせたキーリは中途半端な体勢で頬を掻いた。そして戸棚に並んでいた酒瓶を取り出し手持ち無沙汰感を誤魔化す。
口に残った肉の油を酒が洗い流し、一息つく。酒の薫りが口内に満たされ、それを何となく味わいながらフィアの後ろ姿を見つめる。
白いエプロンを身に着けたフィア。洗い物をする手つきに淀みはなく手際よく皿を片していく。台所に立つ彼女の姿もこの二年ですっかり見慣れたもので、すっかり馴染んでいる。
当たり前の日常。田舎の何も無い村で静かに過ごす毎日。偶にモンスターに対処する必要はあるが、基本的には朝は軽く運動をし、昼前から畑仕事に精を出す。フィアと交代で森へ狩りに向かい日が暮れたら家に帰ってレイスと三人で和やかな団欒の時を楽しむ。
「平和だな……」
国を出て一年は生きることに必死だった。ユーフィリニアの追手をかわして帝国や共和国の各地を渡り歩き、気の抜けない毎日だった。幾度となく泣き崩れるフィアを慰め、励まし続けた。そうして辿り着いたのが幸運にもユルフォーニの治める地。彼女の祖国に戻ることができ、狭いながらも屋根の下でベッドに身を横たえることもできている。警戒は必要ながらも何気ない一日を楽しめる幸せ。
(これも……悪くねぇもんだな)
復讐を忘れたわけではない。未だに心の奥底で燻り続ける衝動は時に激しく燃え上がろうとしている。ただ、それよりも優先すべき目標ができただけだ。
望むなら。彼女がそう望むのなら。キーリは彼女の冤罪を濯ぎ、本来あるべきだった道へと戻してやりたいと思っていた。復讐を願うなら兄であるユーフィリニアを殺してみせよう。邪魔する者は、その罪全てを引き受けて排除してもいい。
だがもし。
「なんつーか、すっかり所帯じみちまったな」
「それはそうだろう。もう二年もこうしているのだ。慣れるまでは大変だったがな」
「嫌にならねぇか?」
「バカを言うな。大変だが嫌ではないさ。自分でも意外だが、案外こういった仕事が性に合っているのかもしれないな」
洗い物を終えたフィアは明日の下ごしらえを始めながらキーリの質問に明るい声で応えた。
掃除に炊事、洗濯。渋るレイスを口説き落として学んだそれを嫌がっている素振りは言葉通り見られない。どれも然程得意とは言えないようだが、鼻歌を歌いながら支度をしているところを見る限り本当に楽しんでいるのだろう。
もしも、彼女が今のこの穏やかな日々を願うのであれば。争い事とは無縁の静かな一日を過ごすことを本当に楽しんでいるのであれば、それはそれで良いとキーリは思う。
何より――
「飲み過ぎじゃないか?」
ハッとキーリは我に返った。目の前には、いつの間にか戻ってきたフィアの顔があり、昔は無かった眼鏡のレンズ越しにキーリを心配そうに覗き込んでいる。
それが気恥ずかしくてテーブルに視線を移せば、彼女の言葉通り空の瓶がいくつも転がっていた。
「すまん、ちょっちぼーっとしてた。もう終わったのか?」
「ああ。朝の分だけだし、迷宮用の保存食はレイスが準備してくれているからな」
「そっか」
「レイスももうすぐ戻ってくるだろう。そうしたら、軽く明日の話をして今日はもう寝よう」
「だな。んじゃ俺も今のうちに装備と道具のチェックでもすっかな」
キーリは軽く頭を振ると、転がっていた瓶をまとめて掴んで足早に部屋を出ていく。こういう時、長くなった髪は便利だ。不細工に歪んだ目元を彼女から隠してくれるから。
本来在るはずだった生き方と逃げた果てに得られた今の生活。どちらが正解かなどキーリには分からない。正解など無いのかもしれない。
でもこれはこれで良いのだと思う。
――こうした穏やかな日々は、ずっと昔に霧医・文斗が望んだものでもあるのだから。
お読み頂きありがとうございました<(_ _)>




