1-3 彼は寄り添い彼女は夢を忘れる(その3)
第3部 第3話になります。
宜しくお願いします。
初稿:17/11/26
元々まばらな人影が更に少なくなっていく。付き従っていた兵士たちに指示を出して人払いをし、完全に三人だけになったところで「もう大丈夫でしょう」とシンが肩の力を抜いた。ミトも周囲の気配を探り、誰も居ないことを確かめると肩を揉んで凝りをほぐす仕草をしてみせる。
「さて……ミト、イリアさん。いえ――キーリ君にフィアさん。改めて礼を申し上げます。いつもながらお二人が居るお陰でこちらも助かります」
「よせって。礼を言わなきゃいけねぇのはこっちなんだからよ」
「ああ。二年前……行く宛も無く彷徨っていた私達に帰るべき場所を与えてくれた。言い方こそ冗談だったが……さっきの言葉は別に大げさでもなんでもなく、本気で思ってるんだ」
ミト――キーリが前髪を掻き上げると鋭く獰猛な目元が露わになる。ともすれば凶悪な殺人犯のようにも見えるが、その奥に宿る瞳には深い情が揺蕩っている事をフィアもシンも知っている。
イリアは眼鏡を外し微笑んだ。キリとした切れ長の眼には意志の強さが見え、だが大人びた落ち着きがある。ふとした時に表情に陰が差すこともあるが、緩やかな口元は彼女の穏やかさを示していた。
短く切られた橙の髪と、少しくすんだ衣服。村の雰囲気にも馴染み、とても国を追われた元王女には見えない。全ての事情を知っているシンであればいざ知らず、女性としての成長期を知らぬ王政府の者は正面から相対しても恐らく気づかないだろう。
「繰り返しになりますけど、僕、というよりもユルフォーニ家はユルフォーニ家として何をすべきか、その損得を冷静に判断したまでです。打算の結果ですから、お礼を言われると良心の呵責がきついですよ」
「それでもシン達のお陰で国を捨てずに済んだのだ。意図がどうあろうと関係ないさ。私達にとってはその事実のみが全てなのだからな」
「しかも、まさか表向き貴族派のユルフォーニ家が匿ってるとは誰も思わねぇだろうからな。まさに俺らにとってうってつけだ」
「加えて言うなら、貴族派の中でも末端も末端。居るか居ないのか分からないような田舎貴族ですから、そもそも僕達の事を気に留める貴族なんて政府内には居ないでしょうし、実際に探るような動きも未だにありません。なのでこのまま気の済むまで村に住み続けてくださって結構ですからね?
もっとも、正体を知る僕としては王女様をこのような場所に住まわせ続けるのも心苦しいんですけど……
フィアさん、やっぱりもう少し立派な家に住みませんか?」
自虐を混じえてユルフォーニ家の状況を伝えつつ、シンはそう提案した。だがフィアは穏やかな微笑みを湛えたまま緩々と首を横に振った。
「そう言ってくれるのはありがたいが、私は今の家を気に入ってるんだ。
どうやら私には豪勢な暮らしは似合わない、とつくづく思うよ」
「ですよねぇ……
でも家が手狭で困ったらいつでも言って下さいね? これまでの村での功績もありますし、すぐに新しい家を準備させますから」
「分かった。その気持ちだけありがたく頂戴しておこう」
「それよりも、だ、シン。別にンな話をするために人気のない場所に連れてきたわけじゃねぇだろ?」
「ああ、そうでしたそうでした。すみません、完全に話が逸れてしまいましたね」
何処まで行っても田園風景が広がる中、周囲には誰も居ないと分かっているがそれでもシンは幾分声を潜めて話し始めた。
「先日来、王都や近隣の領地を回る機会がありまして。新たに幾つか状況が明らかになりましたのでお伝えしておこうと思ったんですよ」
「そうか……それはありがたい。もう表に出ることは無いとは言え、世の中の状況は知っておきたいからな」
フィアのその言葉に、キーリは眉間に皺を寄せ悲しそうに微かに眉尻を下げた。だがそれも長い前髪に隠されてフィアには見えなかった。
僅かな雰囲気の変化にシンは気づいたが、一度軽く瞬きをして気づかなかったフリをした。
「まず……そうですね、西の街、グラッツェンで貴族派と旧国王派の軍事衝突が起きたようです」
「っ……そうか」
シンのもたらした情報にフィアの顔は歪み、溢れる感情を抑え込むように空を仰いだ。下唇を噛み締め、表情には無念さがありありと浮かんでいる。
「……すまない、続けてくれ」
「はい。この眼で直接確認したわけではありませんが、かなり大規模な会戦だったようで新たな魔法具が惜しげもなく投入され、その、グラッツェン含め、近隣に相当の被害が出ていると聞いてます。現在はどうやら小康状態で落ち着いているようですが、散発的な戦闘は絶えていないようですね」
ユーフィリニアが国王の座について三年。前々から貴族派の神輿となっていた王子が王位についたことで、それまで国王派に有利に動いていた政局は一気に逆転した。
前国王・ユスティニアヌスに重用されていた貴族はみんな王都から職を解かれて追放。領地を持たぬ法衣貴族は落ちぶれ、地方に自領を持つ貴族も権威の縮小を余儀なくされた。
最初は一気に。後は徐々に、まるで真綿で首を絞められていくかのように国王派は勢力を削られていく。中には貴族派による一方的な宣戦布告と共に殺害された領主さえ居た。そんな現状に反発した国王派も自領の軍を強化し、ゲリラ的に貴族派の街を襲うなどして抵抗を見せ、国内は完全に内戦状態へと陥っていた。
「……」
「こら」
「ふぇ?」
状況を伝えられていくにつれてフィアは沈痛な面持ちで言葉を失っていく。するとキーリはその口を突然グイと掴んでグニグニと上へ横へと弄び始めた。
「ふぉ、ふぉあ! ひゃめはいはっ!」
「あ? やめろだ? だったらそんな『自分のせいで……』みてぇな顔を先にやめろってんだよ」
「ふぁ、ふぁはった! ふぁくぁったはら、へをはなへ!」
一頻りフィアの頬を好き勝手に堪能してようやく離す。フィアはやや涙目で両頬を擦りながらジト目で睨むが、キーリはフンと鼻を鳴らすだけだ。
「それで、シン」
「何でしょう?」
「ここに貴族派の手が伸びる可能性は?」
問われてシンは即座に首を振った。
「それは無いでしょう。もちろん何事も『絶対』はありませんが、ヘレネム領は狭いですし物流や交通の要所でもありません。まず安心していいかと」
「ならしばらくは様子見か? 念のため当分は村に篭ってた方が良さそうだな」
「余り気にし過ぎる必要はないですよ。ここは一応貴族派ですし、普段通りに過ごしてもらえれば十分でしょう」
「承知した。だが村外への不急の外出は控えよう。スイ――レイスにも伝えておく」
まだ幾分暗いが、それでもフィアはしっかりと頷く。シンはそれを見て少し安心しながら同じく頷き返した。
「お願いします。それからモンスターについてですが……やはり他のところでも迷宮外での出現が増えているそうです」
「やっぱそうか」
モンスターは迷宮の中で出現する。多少の例外はあれどそれが世界の常識であった。だがキーリ達がこの村にやってきて二年。迷宮も無いはずなのに数ヶ月に一度は近くの山や森にモンスターが現れるようになっていた。
迷宮外にモンスターが出てくるのは、迷宮核の制御から外れた個体が入口から外に出ていくか、或いは地形などの関係で魔素濃度の濃い場所で出現するかのどちらかだ。この村の周囲には特別魔素溜まりができそうな場所など、キーリやシンが知る限りない。だから昔から村が襲われるとすれば野盗ばかりだった。
にもかかわらず、最近は過去に例を見ない程の頻度でモンスターが現れ、村の近くまでやってきている。それが何故か。シン達ユルフォーニの人達は頭を悩ませていたのだが、キーリには理由がおおよそ分かっていた。
大気中の魔素が濃くなっていた。あくまでキーリの感覚的な話ではあるが、以前より明らかに魔素が濃い。だからこれまではモンスターが現れなかった場所でも現れるようになったのではないか。
キーリのその指摘を聞き、普通ならば一笑に付すところだがユルフォーニ家は否定せず即座に自警団の結成を進め、それと同時にその事象がユルフォーニ領だけの特殊な事例なのか、それとももっと広範囲でそうなっているのか。シンは領外に出るこの機会に情報収集に当たっていたのだった。
「もちろん、今回みたいに迷宮外で出るのはゴブリンなどのEランクが精々なので対処は容易いのですが、それでも村の人達にしてみれば明らかに脅威です。何とかしないといけないのですが……」
「原因が分かんねぇもんなぁ……対処しようにも自然現象だったらどうしようもねぇし」
「ええ。なので村ごとに自警団を強化して、僕達領軍の兵士も見回りさせるしかないのですが……頭の痛い問題です。街と街を結ぶ物流にも影響が出ているようでして」
「なら兄上……現王も動いているのだろうか?」
「対処はしようとしているようですが、それよりも人間同士の争いが忙しいみたいで……ギルドでも状況を聞いてみましたが、どの貴族もギルドにほぼ丸投げ状態です」
それを聞いたフィアは渋面を一層渋くした。
なんと愚かな。フィアは怒りがこみ上げてくるのを禁じ得ない。兄上のみならず貴族派も国王派も、まずは優先すべきは国民の平和と安全だろうに、それを捨て置いて自らの事情ばかりを優先するのか。それが王家のすることか。それが貴族の為すことか。
だがその怒りもすぐに消失する。そして浮かぶのは自嘲だ。
キーリが否定しようとも現在の状況を招いたのは自らの不甲斐なさだ。あの時、兄上の策略に気づいていれば。父が殺害されるのを止めることができていればこうはならなかった。
王家としての立場を失った自分は、無力だ。兄も貴族も間違っていると指摘したくてもできない。争いを止めるだけの力を持たない。こうして状況を誰かから聞かされて、指を加えて見ているだけ。
(ならば――)
今一度王家としての立場を取り戻す事を目指すか。自らが上に立ち、王国をあるべき姿に戻す努力をするか。昔の自分であればそうした考えも抱けただろうと思う。
だが――自分は英雄にはなれなかった。最早そうした気概は消えてしまった。義憤は瞬く間にしぼみ、胸の内で滾る炎は消え失せていく。世界は自分が居なくとも回るのだ。きっと、今はおかしくともいつかはあるべき姿に戻っていこう。
それに。
(王位というものなどに――)
最早どれほどの価値があろうか。父を殺し、エリーレを殺害し、そうまでして兄が得た国王という座などに、フィアはもう関わりたくなかった。家族を、民を犠牲にしなければ国を手中に収められないのならば。
――そんな国、滅びてしまえばいいのに。
「――ともかく、ここにまで内戦の火の粉が届くことはないでしょうから、僕達はモンスターからの防衛に専念だと考えています。それで、折り入ってお二人に依頼があるのですが」
「何だ改まって……って言っても予想は着くけどな。新迷宮、だろ?」
「ええ、東のベルク村の近くに新しく迷宮ができたと報告が昨日来ていました。申し訳ありませんが無力化をお願いします」
「分かった。明日にでもレイスと三人で行ってこよう」
「報酬は酒と美味い肉で頼むぜ? 日持ちするように燻製にでもしてくれてっとなお嬉しいけどな」
「お安い御用です。
っと、話が長くなってしまいましたね」
話しながら歩いていたからか、気づけば既にユルフォーニの屋敷の前へと辿り着いていた。
貴族としては小さな屋敷だが、それでも手入れは行き届いているようで門から見えるささやかな庭園では色とりどりの花が咲いている。門の傍では執事の格好をした老人が穏やかな笑みで出迎えてくれていた。
「詳細はまた後程にしましょう。まずは報酬をお渡ししますから子爵の執務室へどうぞ」
「生活には十分な糧を得ているし、別に報酬など結構なのだが……」
「成果には報酬を、です。頑張ったのに何もなしでは、フィアさんが良くても周りに影響しますから」
軽くウインクをしてキーリと渋るフィアを奥へと促す。
その後、シンの父である子爵から感謝の言葉と幾分かの報酬、そしてシンを交えての迷宮攻略の打ち合わせをしていく。
そうして二人が屋敷から出てきたのは、既に陽も落ち始めて西の空が茜に染まった頃だった。
通り過ぎる家々に明かりが灯り、夕餉の匂いが漂ってくる。
「すっかり遅くなってしまったな。急がなければ」
「遅くなるって言ってなかったしな。スイも心配してるだろうよ」
歩く速度を速める。途中フィアの腹が空腹を訴える音を立て、恥ずかしそうに上目遣いでキーリを見る。キーリの口が自然と綻んだ。
とその時、フィアが突然「あ……」と立ち止まった。
「どうした?」
「忘れてた……」
「何をだよ?」
「――イノシシ」
「あ」
――二人が慌てて森へ駆けつけるが、既にフィアが捕らえたイノシシは消え、放り出してきたうさぎもすっかり跡形も無くなっていたのだった。
二人の悲痛な叫びが静かな山にこだました。
お読み頂きありがとうございました<(_ _)>




