5-1 養成学校にて-1(その1)
第17話です。
宜しくお願いします。
<<主要登場人物>>
キーリ:本作主人公。冒険者養成学校に入学するため、スフォンへやってきた。めでたく養成学校の入学試験に合格した。
フィア:赤い髪が特徴で、キーリと同じく養成学校の普通科に入学した少女で友人。
オットマー:キーリ達のクラスの担任。筋肉愛好家のスキンヘッドマッチョメン。
クルエ:キーリ達のクラスの副担任。穏やかな性格。
カッカッ、と黒板にチョークで文字を書く音が小気味よく響く。左上には「迷宮に関する基本事項」と丁寧で読みやすい文字で書かれており、一通りを書き終えたクルエが生徒たちの方を向き直る。
キーリ達生徒の多くは持参したノートに黙して板書を書き写していく。カリカリとペンがノートと擦れる音が静かな室内に響いている。
(こうして授業を受けるっていうのも久々だな)
キーリはその光景に懐かしさを覚え、過去に思いを馳せる。
かつて――もうすでに十数年は前になるだろう時、その時はこうした光景が当たり前だった。七つになる歳から小学校に通い、毎日学校で授業を受ける。初めて大勢が同じ教室で先生の話を聞き、それまでとは違った広い世界が目の前にあって心が弾んだ。新しくできた友達とはしゃぎ、一日があっという間だった。
だが、その新鮮さは時と共に失われていく。
非日常は日常へと変質し、学校はただ退屈なだけの場所に変化した。成長し、精神が成熟するに従い教師の話を聞くよりもキーリ――文斗にとっては教科書を読む方が有意義であり、しかし教師の話を無視すればすかさず注意が飛んで来る。そんな時間が無駄に思えて苦痛だった。
しかしそれも中学に入学後に再びの変化に見舞われた。
両親が突然消え去り、残された文斗は親戚の家を転々とする。望まれぬ家では邪険に扱われ、望まれた家では家計に負担を掛けて心労を増やす。感情豊かだった少年は徐々に感情を押し殺すようになり、家で過ごす時間を極力少なくするようにした。
朝は早くから登校し、夕方は下校時間ギリギリまで毎日残って勉強する。苦痛を覚えていた学校が、いつしか安らげる場所となっていた。
(まさか……またこうして学校に通うことになるとは思ってなかったな)
「はい、皆さん書き終わったようですので顔を上げてください」
クルエの穏やかな声にキーリはハッとして意識を「文斗」からキーリへと戻した。
「それでは今日は迷宮冒険者としての基本から勉強していきます。まずはランクについてから」
そう言いながら黒板の「ランク」と書かれたところに赤いチョークで線を引いた。
「ここに書きました通り、迷宮のランクは大きくランクAからFまでの六段階に分かれています。さて、ここで皆さんに質問ですが、迷宮ランクは主に何を基準にして決定されているかご存知の方はいますか?」
「迷宮の深さとか大きさとか、そんなんで決まるんじゃないんですか?」
「そうですね、そういった迷宮のサイズも関係はします。ですがもっと大きな要素があるんです」
一人の少年が手を挙げて回答するが、クルエは肯定しつつも他の解があることを示した。それを皮切りにして教室のアチコチから隣通しで相談する声がし始める。すると最前列でスッと手が挙がった。アリエスだ。
「聞いた事がありますわ。確か……迷宮で確認されたモンスターのランクで決定されていたはずです」
「正解です。よく知っていましたね」
教室中から「おぉ……」という声が漏れる中、アリエスは小さく鼻を鳴らした。
「これくらい、冒険者を目指す貴族であれば知っていて当然ですわ」
途端に教室の一角、主に貴族連中が固まって座っている場所から微妙な空気が流れた。入学以来変わらない彼女の物言いにクルエは苦笑した。
「知は称賛されるべきですが無知は非難される事ではありません。これから知っていけば良いのですからね。
さて、アリエスさんが答えてくれましたように迷宮ランクは主にそこに現れるモンスターの、それも最も危険なモンスターによって決められます。例えば……」真剣な様子で耳を傾ける生徒たちに一度背を向け、クルエは黒板に文字を書き加えていく。「ここスフォンの迷宮はかつてランクAの迷宮でしたが今はランクCとなっています。これはつまり、以前はランクAのモンスターが確認できていましたがここ十年は最高でもランクCのモンスターしか確認できていないためランクが引き下げられたということになります。
迷宮のランクはその迷宮の危険度を表しますので、モンスターランクがCであっても迷宮の深さ、広さおよび途中のトラップを考慮するとBが相当であるという意見もありますけどね」
「それじゃカイエン先生、質問ですけどスフォンの迷宮で出てくるモンスターってどんな奴なんですか? ランクCのモンスターってことなんでしょうけど」
「良い質問ですね。ランクCというのはマジックオークやオーガ、珍しいところではソウルイーターといった非常に危険なモンスターになります。
少し話は脱線しますが、冒険者ランクはこのモンスターランクと密接な関係があります。冒険者ランクにも同じようにAからFまであって、それぞれが『+』と『-』、無印の三段階に分かれていますが、大雑把に言えば冒険者ランクというものはこのモンスターランクに相当するモンスターを単独で討伐できるかどうかが一つの基準になっています。例えばランクCの冒険者は先程のオーガやマジックオークを単独で倒せるということになります。もちろん、斥候職などもいますので必ずしも戦闘力だけがランクを表す指標ではありませんが」
「それって一体でもいいんですか?」
「基本的にはそうですね。一人で複数のオーガを相手にして勝てるという事はもう一ランク上、つまりランクB冒険者に相当する実力を持っているということになるでしょう。
それで、ランクCの冒険者になれるのは冒険者数百人に一人、と言われています。これだけでもランクCのモンスターがどれだけの脅威か分かりますね」
また一人の生徒が挙手をした。
「それじゃ私たちはここを卒業しても当分スフォンの迷宮には入れないのでしょうか?」
「いえいえ、迷宮の内部でもエリアで危険度が分かれていまして、迷宮ランクはあくまで確認されているエリアで最も危険なエリアを表しているに過ぎません。スフォンの迷宮は非常に深く、最深部付近ではランクC認定されていますが入口付近や低階層はだいたいランクEかFのモンスターしか現れませんので冒険者に成りたてでも入ることができますよ」
さて、と言いながらクルエは教卓に立つと柔和な笑みを消して真面目な顔をした。
「改めて言う必要も無いでしょうが、迷宮は非常に危険な場所です。低ランクの迷宮の入り口であっても容易く我々は死んでしまう危険があります。敵がスライムやゴブリンといった低ランクモンスターであってもです。実際、毎年数名の冒険者がスライムによって殺されてしまっています。
貴方達がそういった未来に直面しないためにも、まずは各ランクのモンスターの特徴や対処法について学んでいくこととしましょう」
そう言ってクルエは再び黒板へと向き直った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
冒険者養成学校に入学して早一ヶ月が経過した。
当初キーリは、剣術や魔法、或いは模擬戦といった実戦的なカリキュラムが多く組まれているのかと思っていたがこの一ヶ月、そういった体を動かす授業は皆無に近かった。
多くは迷宮に関する基礎知識やモンスターに関する知識、それに迷宮に仕掛けられている自然発生的な「トラップ」の種類やその回避方法といった、まさに迷宮冒険者としての基礎の基礎が大半を占めていた。
そういった所謂座学の授業は多くがクルエによって行われていたが、迷宮探索やトラップ云々といった迷宮に関するものはオットマーの担当であった。
クルエの授業は理路整然としていて、キーリとしても、そして余り座学が得意ではないフィアでも理解しやすいものだった。穏やかな口調で淀みなくスラスラと言葉が吐き出される様子はまさに知識を自分の物として理解しているのだろう。その上で重要な箇所は黒板に明示してくれるため覚えるべき場所も分かり易い。キーリはまだ経験は無いのだが、数人の平民出身の生徒の相談にも積極的に乗っているようで、一部の貴族を除いて評判はかなり良さそうだった。
そして意外なのがオットマーの方だ。見た目筋骨隆々で言動も一々脳筋なものが多いのだが、そういった外見的要素とは裏腹に授業の内容は非常に分かり易い。
元々は迷宮探索者としても活動経験があるらしいオットマーは、そのハキハキした喋りで教科書の要点だけを端的にまとめ、そして自らの経験を交えながら生徒たちに対してより実践をイメージさせた講義を行っていた。
こちらも非常に生徒たちには人気ではあるのだが、話の合間合間にシャツを脱いで筋肉アピールをする様には皆閉口した。アリエスだけは手放しで称賛していたが。ちなみに彼の方にはまだ一件も生徒からの相談は無いとの事だった。そうアピールしたオットマーは少しさみしそうだったが、果たして相談者は現れたのかはキーリも気になるところだ。
そうした迷宮に入る前の基礎知識は大事である。本来はこれを学ぶための養成学校であり、生徒たちも皆その重要性は理解している。理解しているが、やはりそこは年若い少年少女たちである。まして迷宮冒険者と成って、先人たちが残した多くの偉業を夢想し、名を馳せたいと願っている子どもたちである。座ってばかりの授業にも次第に飽き始め、ついには「そんな事や筋肉よりも早く剣術や魔法を教えろよ」と言い出す生徒が現れた。
だが言った相手が悪かった。授業中にも関わらずそんな事を言ってしまった恐れ知らずな生徒はそのままオットマーに「愛の筋肉説教部屋(通称)」へと連れ去られ、戻ってきた時には「キンニク、スゴイ。オレモ、キタエル」と濁った瞳をしてカタコトで喋り出す機械へと化していたため、それぞれが抱いていた類似の主張は全員の胸の内へとひっそりとしまい込まれた。
なお、フィアも授業中にうっかりうたた寝をしてしまって説教部屋にしょっぴかれ、丸一日記憶を失ったのを見てオットマーには逆らわないようにしようと誓ったのはキーリだけの秘密である。
しかしそんな日々もこの日終わりを迎えた。
入学して一月。ついに今日から本格的に迷宮探索を前提とした戦闘訓練が開始される事が昨日、担任のオットマーから発表されたのだ。
「いよいよだな。どんな訓練するんだろ?」
「いきなりオットマー先生と打ち合いとか?」
「バッカね―。最初からそんな訓練はさせないに決まってるじゃない。きっと素振りとか基本的なところからよ」
校舎の裏手にある広い屋外のグラウンドのあちこちでそんな会話がなされ、皆支給された木剣を手に浮足立っている。
そしてそれはキーリも他人事ではない。
「いよいよだ……っな!」
屈伸運動をしたり軽くジャンプしたりしながら体を解し、今か今かと始まりを待つ。
「随分と楽しそうだな」
「ああ、フィアか。まあな。なんたってやっと本格的な訓練が始まるんだからな」
「意外だな。たぶん今日から当分は基本が中心で皆が期待しているような事は無いと思うが」
「それでもだよ。むしろそっちの方が俺は有り難いかな? 今までキチンと剣術について学んだことは無いし、専門知識を持った人から基本から指導してもらえるんだし」
「ほう、そうだったのか。身のこなしを見ている限り、てっきり何処かで学んだのかと思っていた」
「フィアにそう評価してもらえるって事は俺の動きも中々捨てたもんじゃないってことだな」
キーリは今まで剣術は愚か、いずれの武術においても指導を受けた事は無い。精々が前世の中学・高校時代の体育の授業で習った程度だ。戦闘時の動きは完全に独学で、過去にテレビ等で見た剣道や柔道の動きを真似ているだけ。荒さは全て身体能力で誤魔化しているに過ぎない。
身体能力だけではいつか壁にぶち当たる。思い描く敵は遥か彼方。この一年半で教わる全てを自分のものとして吸収するつもりだ。その第一歩が今日この日である。気持ちが昂ぶらないはずがない。キーリは一人、口端を歪ませた。
「全員しゅうごぉぉぉぉうっ!!」
その時一際大きい声がグラウンドに響いた。すでに毎日聞いている声だ。生徒たちはそれまでの会話をピタリと止め、すぐにオットマーの前へと駆け寄って行く。
「うむ! 全員揃っているな。それでは本日より剣術の鍛錬を行うのである!」
分かっていたことだが改めて宣言され、皆黙っているものの表情からは期待に胸を高鳴らせているのが伝わってくる。やる気に満ちた生徒たちの様子にオットマーも満足そうに頷いた。
「先日の入学検査で諸君らの実力は一応測っている。だが吾輩自身が生で確認したわけではない。したがって、まずは全員で素振りをしてもらう! 剣の振り方、速度などを確認してレベル別に分けた上で指導を行うこととする! 剣を学んだことの無い者は周りの見様見真似で構わぬ! 安心するが良い。我輩がみっちりと指導して一年半後には一端の剣さばきが出来るようにしてやるのである!」
「うへぇ……」
「マジかよ……」
「マジである! それでは周囲とぶつからぬように各自――散開っ!!」
生徒の一部から絶望のこもった悲鳴が上がるがオットマーは律儀にそれを肯定して号令を掛けた。
散った生徒たちで、多少なりとも剣術の心得のある者はこれまで慣れ親しんできた素振りを自然と開始し、逆にまともに剣を振るうのが初めての生徒はキョロキョロと周囲を見回し、そして戸惑いながらも何とか素振りを始めた。
そんな生徒たちをオットマーは少し離れて見ていた。生徒たちも黙々と素振りを続け、しかし回数が数百に及ぼうかという頃になると様相が変わってくる。
それなりに重量がある木剣――生徒によって片手剣と両手剣の違いはあるが――を幾百と振っていれば次第に腕に疲労が溜まっていく。剣筋が震え、体力の限界が見え始めた生徒が現れ始めるとオットマーはそういった生徒の肩を叩いていく。
「ふむ。両腕に無駄な力が入っているな。だから腕に疲労が溜まるのだ。このように――」オットマーが剣を振るうと無駄の無い動きで風切り音が響いた。「腕だけでなく、広背筋、腹筋など全身の筋肉と連動させて振るのだ。そうすれば疲労速度も遅くなり、素早く重い剣になる」
「あ、ありがとうございます!」
「だが――どうやらお主は体を鍛える事が先決のようだな」
「え……」
「剣術と肉体鍛錬を半々で進めよう。それではまずは――グラウンド二十周であるっ! 走れぇっっ!!」
「ひぃん!」
指導を受けた女子生徒が泣き声を上げながら走り始める。その姿をオットマーは「うむ」と重々しく頷きながら見送った。
続いて――
「不満そうだな?」
額にびっしりと汗を掻いて、しかし如何にも不機嫌そうな顔つきで剣を振るう生徒に声を掛ける。
「はあ、はあ……そりゃ、そうだ――そうですよ。ったく、はぁ、いつまで素振りを……」
「ならば吾輩の部屋で――」
「申し訳ありません。ご指示には従います」
「宜しい。剣の正しい素振りは全ての基本である。お主は基本は出来ておるし、筋が良いな」
「へ? あ、ありがとうございます」
「が、疲労と共に剣が乱れておる。迷宮では疲労している時にでもモンスターは襲ってくる。如何なる時にも正しい剣を振るえるように意識を集中するが良い」
そういった生徒には強権と褒め言葉を交えながら指導を行う。アメとムチである。貴族らしい少年も褒められて何処かまんざらではなさそうで、振り下ろす剣にも力がこもる。
そうして生徒たちの指導を行いながら、やがてオットマーはキーリの側へとやってきた。ジッと傍らでキーリを見つめるが、キーリはオットマーを気にする事無く黙々と素振りを続けた。
目の前に居るのはオットマーではない。あの日の、今は「英雄」ともてはやされる男だ。速く、無駄なく、容赦なく目前の男を斬りつけていく。だが力任せではない。力に任せて勝てる相手ではない。余計な力が入れば動きは大きく、無駄な動きが出来る。体力の消耗も激しくなる。有り余る膂力を出来る限り絞り、剣を振るうのに必要最小限な力で両手剣を振り下ろしていく。
「ふむ、変わった剣筋だな」
オットマーが呟く。当然だ。西洋色の強いこの世界においてキーリの振るう剣は日本の剣だ。学校の授業やテレビで見かけた時代劇やアニメといったエンタメで培った知識を体現しているに過ぎない。だが剣でも刀でも基本は同じはず。そして要点も。そう信じてこれまで独学で昇華させてきた、云わばキーリにしか使えない剣である。
「悪くはない。その歳にしては優れている。だが」
不意にオットマーは覇気を露わにした。それと同時にキーリに向かって鍛え上げられた豪腕を振り被った。
瞬間、キーリは反応した。眼を見開き、拳の軌道を予測し、首から上だけを捻る。そして剣をオットマー目掛けて振り下ろした。
ゴツ、という鈍い音が響いた。その音にその場に居た全員が手を止めて振り返った。
「どうにも人を斬ることに偏っておるな」
キーリの剣はオットマーの腕の上で止まっていた。剣の延長線上はオットマーの首。木剣ではなく本物の業物であればオットマーの首を斬り裂いていただろう。
「アルカナ、だったな。お主の獲物は迷宮のモンスターでは無いな?」
「……」
キーリは答えない。それが、オットマーの問いに対する答えだ。
睨むでもなく、しかし怯えるでもない。キーリはただオットマーの視線に自らのそれをぶつけた。
「お主が何を願って迷宮冒険者となろうとしているか、深くは詮索せぬが……その剣がお主の仲間や罪無き者へと向かわぬ事を心がける様にするが良い」
「もちろんです」
短くそれだけ答えるとキーリは剣を引き、オットマーも拳を下ろす。そして次の生徒の所へオットマーは移動し、他の生徒達も再び素振りを始めた。そこには先程とは違う緊張感が満ちていた。
キーリはため息を吐いて頭を掻き、掌に掻いた汗をズボンに擦りつけて拭うと、彼もまた素振りを再開した。
2017/5/7 改稿
お読みいただきありがとうございます。