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13-6 願いは儚く、けれども立ち上がる(その6)

第2部 第78話です。


掲載:9/6


<<登場人物>>

キーリ:本作主人公。転生後、鬼人族の両親に拾われるも英雄達に村を滅ぼされた。魔法の才能は無いが独自の理論で多少は使えるようになった。冒険者ランクはC。

フィア:キーリ達パーティのリーダー。正義感が強い重度のショタコン。実はレディストリニア王国の第一王女だったが、出奔して今に至る。

アリエス:帝国出身貴族で金髪縦ロール。剣、魔法、指揮能力と多彩な才能を発揮する。筋肉ラブ。

シオン:小柄な狼人族でパーティの回復役。攻撃魔法が苦手だが、それを補うため最近は指揮能力も鍛え始めた。少しマッドなケがある。フィアの被害者。

レイス:パーティの斥候役で、フィアをお嬢様と慕う眼鏡メイドさん。お嬢様ラブさはパない。最近はユーフェの母親役のようにもなってきている。

ギース:パーティの斥候役。スラム出身。舌打ちが癖で不機嫌そうな顔がデフォ。

カレン:弓が得意な猫人族。パーティの年少組でアリエスと仲が良い。スイーツ以外の料理は壊滅的。

イーシュ:パーティのムードメーカー。鳥頭。よく彼女を作ってはフラれている。気は良く、後々までひきずらないさっぱりした性格。

ユキ:キーリと共にスフォンにやってきた少女。性に奔放だがキーリ達と行動を共にすることは少なく、その生活実態は不明。

ユーフェ:猫人族の血を引く貧民街の少女。表情に乏しいが、最近は少しずつ豊かになった気がする。

エリーレ:レディストリニア王国軍人。かつてレイスと共にフィアのお世話をしていた。

ステファン:オーフェルス辺境伯で英雄の一人。国王暗殺を企てている。

フラン:かつての英雄で、教会の指示をステファンに伝えていた。





 キーリの意識が一瞬吹き飛ばされた。ただの暗闇に閉ざされ、しかしそれも一瞬。頭のネジがぶっとぶどころか溶け落ちるような苦痛によって現実に引き戻される。そして、強く前に足を踏み出すことで自分がまだ膝を折っていない事を確かめた。

 消えかけた黒剣の出力を上げる。ごっそりと体の内側の何かが消え失せるような感覚を覚えるが、そんなことは些事だ。首を目掛けて振るわれたステファンの腕を、身を屈めて避けるとそのまま腹を斬り裂いた。

 パックリと割れる腹。赤い肉が鼓動に合わせて脈動し、中が一瞬だけ見える。だがそこに迷宮核の欠片はない。またハズレ。それでも気にすること無くキーリはまた剣を振るった。

 別の場所を斬り裂く。すると今度は肉の中にめり込んだ黒い核が微かに見えた。キーリは迷わずそこに手を伸ばし、しかし彼の腕が届くよりも一瞬早くステファンがキーリの腕を斬り飛ばした。


「クソがァァッッ!!」


 すぐそこにあった核が再び肉の中に消えていく。キーリは吼えて苛立ちを吐き出した。もう何度繰り返したか分からない。核が露わになると流石にこの魔人も焦るのか、それまで以上の速さを以て全力でキーリを遠ざけにやってくる。

 あと一歩。たったあと一歩なのに、それが遠い。


(早く……早く……!)


 気ばかりが逸る。そのためか僅かにキーリの動きが乱れ、ステファンの拳が突き刺さり弾き飛ばされた。二人の間に距離が空き、それでも即座に体勢を立て直して再びステファンへと立ち向かっていく。


(じゃねぇと、フィアが……!)


 時間はない。果たして、氷漬けになってからどれだけ保つのか分からないが、一刻も早くステファンから流れる魔素を断ち、冷たい氷の中から救い出さなければ。

 フィアの肉体もそうだが、キーリ自身もまた時間の猶予は残されていない。キーリとステファンのお互いが無尽蔵の回復力を持ち、共に決め手のない永久に続きそうな戦いをしているが、先に時間切れがくるのはキーリの方だ。

 人間としては破格の魔力量を持っているが、欠片とは言え迷宮核に含まれるそれには遥かに及ばない。今でこそまだ対等以上に戦えているが、このままでは回復力も落ち、やがて動けなくなるのは目に見えている。そうなれば、フィアは――


「もう……嫌なんだよ……!」


 大切な誰かが、自分の目の前から居なくなる。抱えた冷たい亡骸によって己の無力さをまざまざと知らしめさせられる。後に残るは空虚と絶望と、辛く苦しい憎しみの道。そんなのは、もう二度と味わいたくない。


「だから……! 負けられねぇんだよぉぉっっ!!!」


 叫び、身を震わせ、己を鼓舞してキーリは剣を構えて、今度こそ、と決意しステファンへ向かって床を強く踏みしめた。

 だがその時、辺りの様子が変わっていっていることにキーリは気づいた。

 今の今まで周囲の空気は凍てついていた。壁や柱には白く霜が付き、街は夕陽と氷の白が鮮やかなコントラストを作り出している。

 しかしキーリが今、背後から感じたのは燃えるような熱。それまでが凍える寒さだったためか余計に熱くそう感じる。

 まさか。いや、しかし。ステファンともども動きを止めて、キーリは期待と不安の入り混じった視線を背後に向けた。


 そこにはフィアが堂々たる姿勢で立っていた。


 彼女を覆っていた氷は既に溶け落ち蒸発。全身から激しく焔を漲らせ、その高温によって奥の景色が陽炎で歪んでいる。ステファンの魔力によって凍っていた街の色から次第に白が抜け落ち、本来の茜と瑠璃色へと遷ろうとしていた。


「フィア……」

「すまない、心配を掛けた」


 氷によって劣化していた彼女の胸当てや篭手といった防具類は壊れて落ち、下に着ていたシャツもボロボロ。その隙間からは、胸元の魔法陣が血に濡れ真っ赤に輝いている。


「お前、神威持ちだったのか」

「隠していた訳ではないんだがな。まあ、そうだ。神威を持っている割りにはその恩恵を意識したことは無かったが……お陰でまだこうして生きながらえているのだから炎神と精霊には感謝をしなければな。

 それと、キーリ」

「なんだ?」

「その……あまりマジマジと見ないでくれないか? 流石に今の格好を見られるのは私でも恥ずかしいというか……」


 フィアは頬を赤らめて胸元を隠す仕草をした。確かにシャツは辛うじて胸を覆っているだけで、今にも切れ落ちてしまいそうだ。

 そんな彼女の姿を見て、キーリは本当の意味でフィアの存在を実感した。それまで何処か幻を見ているような心地であったが、自然体の彼女の様子を肌で感じ、確かに生きているのだと安堵の息が漏れた。

 だがそんな邂逅を魔人の雄叫びが妨げた。


「■■■■■■っっっっ――!!」


 氷点を遥かに下回る冷気がステファンから放たれ、暴風が二人に向かって吹き付けられる。氷から解放されていた建物や木々が再び凍りつき、しかしフィアの発する熱により二人にとってはもうただの強風でしかない。

 隣に、フィアが居る。それだけで力が幾らでも湧いて出て来るようだ。キーリは影で作り出した黒い剣を構え、今にも襲いかかろうとするステファンを迎え撃とうとした。

 だが、キーリの腕をフィアの温かい手が抑えた。


「ここは私に試させてくれ。今の自分がどこまでできるか確かめたいんだ」

「■■■■っ――!!」


 ステファンの姿が揺らぐ。滑らかな動作で巨体を制御し、加速する。自我を失い、魔人と化しても英雄の名にふさわしい動きでフィアへ接近し、剣と鉤爪を振り上げた。

 それでもフィアは焦らない。今の彼女には、ステファンのその姿もハッキリと見えている。

 フィアは自然な動作で剣を振り上げた。


「はああぁぁぁぁっっ!」


 気合の声と同時に、だが明らかに本来の間合いよりも早く振り下ろす。

 途端に、剣から灼熱の火炎が迸った。

 それは巨大な焔だった。光神魔法とは違った白い火炎が荒々しくうねり、自身より遥かに大きなステファンをまるごと飲み込んでいった。


「……っ!」


 余りの迫力に、キーリは言葉を失った。

 なんという、威力。これまでも彼女の炎神魔法の威力は目を見張るものがあったが、それとは桁が違う。

 放たれた焔はステファンの体を焼き尽くし、褐色だった彼の体は黒く焼け焦げた。剣や鉤爪の部分が炭化して崩れ落ち、それでもまだ死なないのか崩れた肌の下から真新しい皮膚が再生していっている。焼き尽くすのと同時に腹は斬り裂かれ、ピンクの肉が露出してすぐに奥へと戻っていく。


「これでもダメか……つくづく持久戦はしたくない相手だな」

「同感だ」

「……」


 自分の事を棚に上げてキーリは同意した。フィアが露骨に「お前が言うな」と眼で訴えてくるがキーリは無視した。


「けど、ま、二人ならやれんだろ」


 キーリはフィアに向かっていつも通りの笑みを見せた。黒く染まっていた眼も元の、人間らしい目つきの悪さに戻っていた。

 つられてフィアも顔が綻んだ。そして挑戦的に口を歪めてみせる。


「……そうだな。最初はあの英雄を相手に勝てるのか自信は無かったが、今ならお前でさえ余裕で倒せそうだ」

「言うじゃねぇか。後で返り討ちにしてやるよ。ところで、魔力は大丈夫か?」

「まだ余裕はある……が、今の一撃で使いすぎた。どうも出力を上手く制御できないな。少し多目に魔素を込めたつもりだったが、壊れた蛇口みたいに少し緩めると一気に溢れてしまう。鍛錬が必要だな」

「氷漬けの最中に何があったかは知らねぇけど、まあいい。練習には付き合ってやるよ。さっきくらいのは後どれくらい使えるんだ?」

「……あと、一、二回といったところだろうな」

「そいつは重畳。なら―― 一発で決めるぞ。最大出力だ。二発目を考える必要はねぇ。核が見えた瞬間に俺がそいつを取り出す」

「結局最初の作戦通りというわけか」


 ステファンの再生はもう既に完了しており、フィアによって焼き尽くされる前と寸分違わぬ姿に戻っている。だが、先程の一撃を警戒しているのか、低い唸り声を上げるだけで襲いかかってくるような事はせず、様子を窺っているようだった。

 時間を掛けるだけ不利なのはこれまでからも自明。一度の攻防で片を付けることにフィアも異存はない。しかし。


「問題は武器だな」


 フィアは自身の剣を見下ろした。先程の一撃は凄まじいものだったが、代償として既に剣は使い物にならないほどに劣化していた。剣先は溶けて丸まり、鈍器としてしか使いみちはなさそうだ。


「幾ら炎神魔法を纏わせるといっても、こんな鈍らでは――」


 嘆くフィアだったが、見下ろした先にあるキーリの剣を認め、閃いた。

 フィアの視線に気づいたキーリも、彼女の眼を見て彼女の考えを察し、頷いた。


「動きは合わせられるか?」

「何年一緒に迷宮に潜ってると思ってる? 合わせてみせるさ」


 互いの呼吸を合わせる事に何の不安もない。キーリとフィアはステファンへと向き直り剣を構えて集中を高めた。

 キーリの剣から黒い刀身が鋭く、長く伸びていく。足元からは闇が広がり、触手のようなものがうねり出す。フィアもまた腰を落とし、脇構えの姿勢を取る。ボロボロの刀身からは白熱する焔が溢れ、陽の落ちかけた辺りをまばゆく照らし出した。


「■■■■■■■■――!!」


 これが決戦と察したか。魔人もまた一際大きい咆哮を上げ、より冷たく、より激しい冷気を周囲に撒き散らし始める。巨体の回りには大小様々な氷の武器が浮かび上がり、ステファン自身も構えを取った。八本の腕がキーリ達を切り刻もうと待ち受けていた。

 そして最初にキーリが動き出す。黄昏を背に風を切り、一気に距離を詰めてステファンへ剣を振り下ろす。対する英雄もまた剣状の腕を氷で強化し、受け止める。

 そこから足を止めての斬り合いが始まった。フィアが復帰する前と同じような光景で、超至近距離から凄まじい勢いで攻防を繰り広げる。剣がぶつかり合い、腕が空気を切り刻む。氷槍の雨が降り注ぎ、それが影に吸い込まれる。代わって地面から伸びる影がステファンを貫こうとするも即座に光弾が弾けて影を白く塗り潰す。

 しかし先程までと違うのは、互いが負う損傷だ。キーリは攻撃を加えながらも比重は回避に置き、皮膚にこそ幾つも切り傷を負うものの致命的な一撃を食らうことはない。

 機を窺う。ステファンの意識を最大限引きつけ、フィアの動きを待つ。


「――……!」


 果たして、フィアが動いた。

 腕に力が込められ、あらゆるものを焼き尽くす程の焔を滾らせながら疾走る。床を踏みしめる度に空気が焦げプラズマ化して発光する。幻想的な光の尾が彼女の歩みの確かな痕跡として残っていく。


「■■■――!」


 キーリに向けられていた無数の氷の槍が彼女に向けられ、降り注ぐ。それをフィアは軽やかなステップでかわし、真っ直ぐにステファンを見据えて前へと進んでいった。


「……ぉぉぉぉおおおおっっ!!」


 フィアは地面を力強く蹴った。瞬間、爆発的に加速。陽炎を残し、激しく燃え盛る剣をステファン目掛けて鋭く突き出した。

 しかしそれはステファンに読まれている。攻撃を加え続けていたキーリを八本の腕全てを使って押し返し、僅かな距離を作る。そしてフィアの攻撃に耐えるために自身の前に分厚い氷の壁を作り出した。

 突き刺さる焔の剣。フィアの速度は一気に減速し、じわりと透き通った壁を溶かしながら剣がめり込んでいき、やがて剣は折れた。彼女の一撃はステファンへは届かない。

 防ぎきった。ステファンの口から咆哮が溢れた。だが直後、ステファンの視界は真っ暗な闇に閉ざされ何も見えなくなった。

 その正体はすぐに分かる。キーリの影だ。幾度となく眼にしてきたため、学習した魔人は常に光弾を発動させる準備が出来ている。影を払うため、ステファンは再び光弾を破裂させようとした。

 だがそれよりも早く目の前が光に包まれた。影が吹き飛ばされ、目も眩むような強烈な光が真っ赤なステファンの眼を焼き、やがて収まっていく。戻っていく視界の中で魔人はそれを見た。

 天に向かって伸びる黒い光。瑠璃色に変わりつつある星空に近い色合いの正体は一本の剣。影の刀身と灼熱の焔が融合し、黒い焔を作り出していた。それは禍々しくも美しかった。

 大剣を握るキーリの手。それにフィアの手が重ねられている。互いの存在を感じながらしっかりと柄を握りしめ、跳躍した二人はステファンを見下ろした。


「――あばよ、英雄」


 キーリの呟きが、影へ吸い込まれた。

 二人がステファン目掛けて降下していく。二人の魔力が注ぎ込まれて黒き焔が爆発的に膨らんでいく。


「■■■■■っ――!」

「はああああああぁぁぁぁっっっっっっ!!」

「おおおおおおおぉぉぉっっっっっ!!」


 二人の声が、心が重なり合い、そして刃が振り下ろされた。

 ありったけの魔素をつぎ込み、ステファンの全身を分厚い氷が覆い尽くす。だが黒い焔は彼の周囲にある全ての魔素を食らいつくし、焼き尽くしていく。


「■■■■■■■■■■■■■――!」


 ステファンの体が黒焔に飲み込まれた。斬撃が頭から股下までを真っ二つに斬り裂いていき、とてつもない熱量がその全身を雄叫びと一緒に焦がしていく。

 放たれた一撃の先にあった床や城壁が紙の様に燃え、破壊され、その先に立てられていた辺境伯領の領旗が飲み込まれた。剣から解き放たれた魔素の嵐が暴風を作り出し、瓦礫を吹き飛ばしていく。

 やがて黒い光が収まっていく。付近のあらゆるものを破壊し尽くし、その中から殆ど二つに別れ、黒く染まったステファンの姿が露わになった。音を立てて倒れ、衝撃で手足が崩れていく。


「見つけた――」


 大きく斬り裂かれたステファンの腹部から今度こそはっきりと迷宮核が露わになっていた。ここまで破壊されても尚、死を許さない迷宮核はもうすでにステファンの体の修復を始めていく。


「させるかよっ!」


 迷わずキーリは迷宮核を掴んだ。黒く焦げた肉から引きずり出そうとし、しかしその直後、キーリの体が異変を感じた。

 核は新たな宿主を求めるようにキーリの手のひらへ突き刺さった。途端にキーリの意識は黒く塗り潰される。身に余る魔素が流れ込み、体内で暴れ狂い、激しい苦痛をもたらす。キーリは体を仰け反らせ、眼を剥き悲鳴を上げた。


「がああああああああああっっっ!!」

「キーリっ!?」


 流れ込むのは魔素だけではない。怨念、執念、妄執、絶望。幾つものうめき声がキーリの頭を舐め回し、濃縮された負の想いがキーリの中へ溶け込んでいく。

 ドロリと濃い膿が広がる。意図せずして膝を突いたキーリの足元から真っ暗な影が広がる。世界を黒く染める。それは、エルミナ村でキーリが暴走した時のものと酷似していた。

 フィアからも魔素が吸い取られていき、村で見た地獄のような景色が一瞬だけフラッシュバックする。彼女の背を怖気が襲い、涙が溢れて膝を突きそうになるのを必死でこらえた。

 世界を、全てを破壊したくなるような強烈な破滅願望がキーリの中で溢れていく。悲鳴が頭の中で鳴り響いてやまない。絶望の声が彼の至るところに噛み付き侵食していく。全てを破壊してしまえば全ての悲しみと憎しみが終わるような気がして、キーリはエルミナの時と同じ闇神魔法を行使したい衝動に駆られた。


「ふ……ざけんな……っ!」


 だがキーリは全身を震わせ、必死に抗った。ここで衝動に負ければ、何のために戦ったのか分からなくなる。殺すのは、憎いのは世界ではない。自分が憎むべきは、鬼人族の村を焼いた英雄と、その背後にある教会だ。フィアを、アリエスを、仲間を殺したいわけではない。彼らと過ごし、一度殺してしまいそうになり、その果てに理解したのだ。世界は残酷で非情だが、共に生きていたいと思える程には時に優しい。

 永遠に続くかのような時間。際限のない拷問に苦しみ、しかし急に衝動が遠ざかっていった。キーリの周囲に溢れていた触手は影の中へ戻っていき、漆黒に染まろうとしていた世界は茜色に混じる星空の輝きを取り戻した。

 キーリの全身から力が抜ける。汗が滴り落ち、精神的疲労は濃いものの心は落ち着いていた。


「キーリ! 大丈夫なのか!?」

「あ、ああ……もう大丈夫だ」


 駆け寄ったフィアがキーリを支えて様子を尋ねると、キーリは疲れた顔ながら笑みを浮かべてみせた。それを見て、フィアも「そうか」と胸を撫で下ろした。


「しかし……急に苦しみだして、一体何があったんだ?」

「分からねぇ。ただ……核を掴んだ瞬間に何かが流れ込んできて――」


 そう言いながらキーリは核を握っていた手のひらを開き、言葉を失った。

 核は細かく砕けていた。黒かった表面から色が抜け落ち、今は白く半透明になっている。その様はまるで出来損ないのガラス玉だ。魔素が出たり取り込まれたりしていたが、キーリが見てもその機能は失ってしまっているようだった。


「核が……」

「魔素を失ったということなのか……?

 っ! キーリ、お前、髪が……」

「髪?」


 フィアに言われて髪に手を遣る。触る限り血と汗、埃に塗れて汚れてはいるが特段おかしなところはない。影の中に手を突っ込み、転がっていた手鏡を取り出し映してみて、そこでようやくフィアが驚いた原因を知った。

 元々キーリの髪は灰色をしていた。それは今も変わらない。だが右前髪から横にかけて染めたように黒いメッシュが走っていた。一本抜いて観察してみるが、根本から染まっているようだ。


「だ、大丈夫なのか? 何処か体がおかしいなどという事は……?」

「いんや。めっちゃ疲れたけどよ、特にそれ以外はもう別に何ともないぜ」

「ならばいいのだが……」

「――王女殿下」


 本当だろうか、とキーリの言葉を訝しむフィアだったが、その背に低い声が届けられた。

 ハッと二人は声の方へ振り向く。そして重たい脚を引きずるようにしてステファンへと向かった。

 ステファンの体は表面上は半分程度は元の状態に回復しているようだった。顔は魔人化する前の状態まで戻り、だが首から下は黒く焼け焦げたまま。そして、モンスターと化したからだろうか、彼の体は風に吹かれてボロボロと崩れ光の粒子となって空へと還っていっていた。


「辺境伯……」


 フィアの口から出た声は、思っていたよりも感傷的だった。父親を殺害しようと目論み、自身も殺されかけた。憎くて憎くて仕方がない敵のはずだ。しかし彼が魔人化された経緯と、今の彼の姿に酷く同情的な気分になってしまう。


「そのような顔をするな。敵を倒したのだ。それも英雄と称された俺を、だ。胸を張れ。まあ、末路は英雄とはとても呼べない代物だったがな」


 くく、とステファンは短く喉を鳴らした。自らを嘲ったような物言いだが、彼の顔は何処か晴れやかだ。憑き物が落ちたようで、フィアを見る眼も穏やかだった。

 眼を閉じ、ステファンは大儀そうに大きく溜息を漏らした。


「結局、最期まであの男の手のひらの上か……情けない俺らしいとも言えるが、口惜しいものだ」

「辺境伯、教えてくれ。何故……何故父を殺そうとしたのだ?」

「ふん、それは王女としての命令か?」

「いや――父・ユスティニアヌスの娘としてのお願いだ」


 その言葉にステファンは一度眼を見開き、そしてまた愉快そうに喉を鳴らした。


「命令と言えば意地でも拒んでやったのにな。

 なに、理由は簡単だ。俺が王になりたかったからだ。もっとも、俺は王家の血を引かない故に宰相職止まりだろうがな。

 ユスティニアヌス陛下は賢王だ。賢王であるからこそコーベル閣下を宰相とし、俺から見ても見事な国家運営をされている。が、きっとだからこそ陛下は真に優秀で国を傾かせるような野心を持たぬ者を次代の宰相にして実権を託すだろう。であればきっと俺は選ばれることはない。

 陛下は俺の野心に気づいていた。今でこそ陛下は使える部下として俺をここまで引き上げたが、これ以上の高みには決して行かせないだろう。それどころか、国王派の基盤が盤石になれば遠ざけるに違いないだろうと考えた。そうなれば、俺の野望は果たせない。

 所詮、愚者の願望だ。だが俺は、誰の指図も受けぬ程に偉くなりたかったという幼い願望を果たしたかったのだよ」

「だから今の内に父を殺そうとしたというのか……」

「そうだ。

 ……思えばそのような短慮を起こさずとも、やりようはあっただろうにな。教会の口車に乗った自分が愚かだったということだろうな」

「フランが関わっていた事からそうだと思っていたが……辺境伯、教会は何を望んでいたんだ?」

「連中にとって陛下が邪魔だったのだ」ステファンは一度眼を閉じた。「賢い王では教会の言いなりにならない。実際、表面上は陛下は教会の指示に従いながらも常に教会の影響下から抜け出そうと模索していた。貴族派を排除しようとしていたのもその一環だな。

 それでは教会にとっても困るのだろう。だから陛下を排除し、貴族派の影響の強いユーフィリニア王子を国王に据えようとしたのだよ。そして俺が暗殺の手を下す代わりに、俺を宰相職につけようとした。もっとも、俺もまた連中の指図を受けるつもりはなかったがな。故に俺もまた使い捨てにされたのだろう。まあ、この思いももう終わりだ」


 苦しそうに大きく息を吸い込む。下半身は完全に消え、胸元も粒子と化し始めている。


「ああ、そうだ。スフィリアース殿下。俺の執務室の書棚の本の後ろに、解毒剤がある。それを持っていけ。飲ませればまだ陛下も間に合うはずだ」

「ありがとう。だが……良いのか?」

「構わぬ。別に陛下が憎いわけではないからな。それに、教会とまともに太刀打ちできる人間は、俺以外には王国では陛下しかいない。せめて教会に一泡吹かせてもらわねば俺としても死んでも死にきれんからな」


 小さく自虐的に笑うとステファンは深く、疲れたように息を吐き出した。すでに彼の体は首まで消失している。もう彼の時間は残されていない。


「おい、英雄」


 だからキーリは今の内に聞いておかねばならないと思った。フィアと立ち位置を入れ替え、彼の顔の傍に膝をついた。


「十四年前……なんで鬼人族の村を襲った? 死ぬ前に答えやがれ」

「そんなもの、俺が知りたいわ」ステファンは鼻を鳴らした。「あの村の事など、俺にとってはどうでも良かった。強い者と戦えた、というのは収穫ではあったがな。俺が知っているのは、教会の人間どもが教皇の指示を受けて襲ったということと、あの村にあるという何かを探していたということだけだ」

「……そうかよ」


 結局は既にキーリが知っている以上の情報は得られなかった。落胆を隠せないキーリだったが、首元まで失っているステファンが「気をつけろ」と二人に声を掛ける。


「教会……教皇が何を考えて行動しているのか分からぬ。だがあの男は何か恐ろしい事を考えているような気がしてならん。王国や教皇国だけでなく、それ…そ世界をどうにかしようとしてい……るようにしか思えん。腹の底の……見えぬ男だ。くれぐれ…も……注意しろ……」


 いよいよステファンの顔が光と化していく。言葉も途切れ途切れだが、フィアはキーリに並んで膝を突き、神妙に耳を傾けた。


「……わかった。ご忠告、痛み入る」

「それ……と、この地の民を……たの、む……」


 そう言い残し、ステファンの姿が消えた。彼を形成していた魔素が仄かに光を発し、瑠璃色の空に溶け込んでいく。キーリは眉間に皺を寄せてそれを見つめ、フィアは空に向かって祈りの所作をした。眼を閉じ、かつての英雄の最期を悼む。目元を軽く擦り、胸の重い感情を吐息と共に吐き出してキーリに声を掛けた。


「さて……何とか終わったな」

「そうだな」


 キーリはフィアに背を向け、あちこちが崩れそうになっている床を踏みしめて城の外を見下ろした。

 迷宮を中心にして夜空へ白い光が上っていく。篝火に照らされた迷宮用の壁の内側に視線を移せば、既にモンスターの大部分は退治されているようだ。新たな発生も起きていないようで、全ては収束に向かっている。大変な数日だったが、何とか思い描いていた結末を迎えることができそうだ。


「スッキリしないか?」

「ん? ああ、まあな」


 キーリは自分の手を見下ろした。感触は残ってはいないが、確かに英雄の一人をこの手で討ったのだ。憎くて堪らなかった仇を、長年願い続けていた想いを一端とは言え果たせたのだ。けれども、思ったよりも感情は湧き上がってこない。


「後悔してるのか?」

「まさか。ンなわけねーよ。あの野郎に同情するつもりはねぇし、自業自得、因果応報ってやつだ。仇を取って、多少はスッキリしたさ。ただ……やっぱ、自分で手を汚さねーでテッペンで余裕ぶっこいてる野郎をブチのめさなきゃ、俺の気持ちは晴れねぇんだろうなって思っただけだよ」

「教皇か……」

「ああ。それぞれの英雄達もそうだけど、最終目標はそこだな。とはいえ、そこまで行くと何をどうすりゃいいのか、見当もつかねぇけどな」

「なに、キーリがすべき事は変わらんさ。冒険者として名を馳せれば自然と国の上層部との縁もできる。いずれ教皇とも相まみえる機会もあるだろう」

「そうだな……うん、それもそっか。悩む必要はねぇな。サンキュな、ちょっちスッキリしたわ」

「これくらいで良いのならお安い御用だ」


 感謝の意を伝えたキーリを見て、フィアは少し照れくさそうに髪を掻き上げた。

 二人は並んで迷宮をもう一度見下ろした。すると、壁の上からキーリ達に向かって誰かが手を振るのが見えた。


「あれは?」

「たぶんカレンだな。アイツ、眼が良いし」

「であればもう片は付いたのだろう。だとすると、もう急ぐ必要もない。

 さて、では解毒剤を回収してゆっくりと皆のところへ行くか」


 幻想的な光が街に立ち込める中、二人は階下へ向かう。




 こうして、オーフェルスでの戦いは終わりを告げたのだった。





お読み頂き、ありがとうございました。

これにて辺境伯領編は終了。残るは第二部のエピローグになります。

引き続きお付き合い宜しくお願い致します<(_ _)>

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