13-3 願いは儚く、けれども立ち上がる(その3)
第2部 第75話です。
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<<登場人物>>
キーリ:本作主人公。転生後、鬼人族の両親に拾われるも英雄達に村を滅ぼされた。魔法の才能は無いが独自の理論で多少は使えるようになった。冒険者ランクはC。
フィア:キーリ達パーティのリーダー。正義感が強い重度のショタコン。実はレディストリニア王国の第一王女だったが、出奔して今に至る。
アリエス:帝国出身貴族で金髪縦ロール。剣、魔法、指揮能力と多彩な才能を発揮する。筋肉ラブ。
シオン:小柄な狼人族でパーティの回復役。攻撃魔法が苦手だが、それを補うため最近は指揮能力も鍛え始めた。少しマッドなケがある。フィアの被害者。
レイス:パーティの斥候役で、フィアをお嬢様と慕う眼鏡メイドさん。お嬢様ラブさはパない。最近はユーフェの母親役のようにもなってきている。
ギース:パーティの斥候役。スラム出身。舌打ちが癖で不機嫌そうな顔がデフォ。
カレン:弓が得意な猫人族。パーティの年少組でアリエスと仲が良い。スイーツ以外の料理は壊滅的。
イーシュ:パーティのムードメーカー。鳥頭。よく彼女を作ってはフラれている。気は良く、後々までひきずらないさっぱりした性格。
ユキ:キーリと共にスフォンにやってきた少女。性に奔放だがキーリ達と行動を共にすることは少なく、その生活実態は不明。
ユーフェ:猫人族の血を引く貧民街の少女。表情に乏しいが、最近は少しずつ豊かになった気がする。
エリーレ:レディストリニア王国軍人。かつてレイスと共にフィアのお世話をしていた。
ステファン:オーフェルス辺境伯で英雄の一人。国王暗殺を企てている。
フラン:かつての英雄で、教会の指示をステファンに伝えていた。
城内に、剣戟の音が鳴り続けていた。
巨大な褐色の魔人を中心として二つの影が絶えず動き回り、翻弄する。ステファンの死角を求めて地を這い、空を跳び、時に同時に襲いかかり、時に時間差で斬りかかる。ステファンに的を絞らせず、六本の腕は幾度となく空を切っていた。
「はああああぁぁぁっ!!」
キーリがステファンの正面に回り、魔人の意識が彼に向いた機を見逃さずフィアは紅い髪を振り乱して襲いかかった。手にした灼熱の剣に身を焦がされ、疲労とともに噴き出した汗を飛び散らせながら剣を振り下ろす。
頭部に向かって一切の躊躇なく、鋭く振り切る。燃えたぎる炎はその長さを剣よりも尚長くし、その勢いはステファンの腕ごと焼き斬ってしまうようだ。それをステファンは二本の腕を用いて防ぎ切る。鉤爪と剣の形をしたその腕は分厚い氷をまとい、炎によって溶かされながらも完全に溶け切る前にフィアの剣を跳ね除けてしまう。
だがフィアは動じない。豪腕にその軽い体を弾き飛ばされながらも炎神魔法を詠唱。たかが第四級魔法だが目くらましとばかりにステファンの赤い眼に向かい矢を飛ばした。
当然ステファンにしては稚児の遊びにも等しい。瞬時に水球が炎の矢を包み込むと、その水球が氷となり、無数の矢となってフィアに降り注いだ。着地するとフィアは即座に床を転がる。体に一拍遅れて動くマントが矢に斬り裂かれるも、ダメージを受けることはない。
ステファンが背を向けたのを見てキーリは疾走る。折れた大剣の鍔から黒い影が揺々と揺らめく。そして一足の間合いとなった瞬間、キーリは影を剣の形に固定した。
ダン、とキーリの踏み込む脚が鋭い音を立てる。がら空きの背が見える。しかし、理性を失っているとはいえかつての英雄である。その隙がわざと見せられたものであることはキーリも承知している。
同時に、理性を失った事で行動の深読みもできなくなっている。ステファンはキーリが踏み込んだのを見計らい床から氷剣を出現させた。それはキーリの背後に現れ、自身と同じように無防備な背を晒している。
キーリは体を反転させた。だが、来ると分かっていてもタイミングまで完璧に読めるわけではない。微かにダメージを減らせるのと単なる心構えでしかなく、しかしだからこそ氷の剣がキーリの脚を貫いても耐えることができる。
「ぉぉぉぉらああああぁぁぁぁっ!!」
冷たい血を迸らせ、黒き剣を突き出した。刺さるはステファンの心臓に当たる箇所。皮膚に接触すると手が痺れるような硬い反動が伝わり、腕が止まる。それでも尚キーリは魔素を注ぎ込んで押し込んでいく。
弾力のある感触が押し返そうとしてくるのを堪え、やがて剣はステファンの心臓を貫いた。それを機にステファンの動きが一瞬静止した。
「やったかっ!?」
期待の篭ったフィアの声がボロボロになった城内に響く。だが期待虚しく、ステファンの眼が赤い輝きを増した。
「■■■、■■■■――!!」
心胆を震わせるような雄叫びが大きな口から発せられ、ステファンの鉤爪と剣が長く変形してキーリへと襲いかかった。影を消し、咄嗟に飛び退いたキーリだったが、その顔や腕が浅く斬りつけられる。ステファンは腕を城の壁に叩きつけるとそのまま横薙ぎにし、散弾の様に石の礫を二人に向かって飛ばしていった。
砕かれた礫は飛来しながら更に細かく砕ける。地神魔法を掛けられ先端が鋭く変化し、無数の刃物となりキーリとフィアの全身を傷つけていった。
「業火の炎壁!!」
フィアが叫び、床から豪炎の壁がせり上がる。無詠唱故に威力は本来よりも遥かに劣るも、高温の火炎に煽られた微小な石は溶け落ちてフィアに届かない。それでも溶け切らなかった石は、逆に熱による威力を加えてフィアの体を斬り裂く。
「くぅ……!」
顔や胸など、大事な場所こそ守りきるが腹を掠め、腕に突き刺さり、苦痛に声が漏れる。痛みを堪えて石の弾丸に耐えきったフィアは腕の隙間から前を覗き見た。
炎の奥に影が映る。炎が揺らめき、影が消えた。だが、次の瞬間には炎は消し飛び、褐色の肉体が視界を埋め尽くした。
「っ……!!」
振りかぶられた剣の軌道はフィアの首。互いの立ち位置から、フィアは一瞬でその一撃を耐えきれないと気づく。
受け流す事も、踏ん張る事も不可。剣で受けても、跳ね返すだけの膂力はフィアには無い。訪れる未来は――死。フィアの絶望の眼差しがステファンの剣へ注がれた。
「フィアっ!!」
しかし直前にキーリの剣がステファンの腕を斬り裂く。魔素を一層多くつぎ込んだ反動か、キーリの鼻からは血が流れ落ちている。だがより黒さを増したキーリの剣は、剣状となったステファンの腕を半ば以上まで切断した。しかし千切れかかったその腕は、即座に肉が盛り上がり瞬く間に斬られる前へ戻っていく。
さっきまでのフランもこんな気持ちだったのだろうか。どれだけ傷つけてもまともにダメージを与えられた気がしない事と、絶え間なく襲ってくる頭痛に舌打ちしながらもキーリは崩れ落ちそうになったフィアの体を抱き留めた。一端体勢を立て直そうとそのままステファンから離れる方向へ跳んだ。
だがそれよりも一瞬早く、褐色の拳が振り抜かれた。フィアを狙って放たれたその一撃は、しかし彼女の頭を抱えるようにして身を捻ったキーリの肋を砕く。
止まる呼吸。吹き飛ぶ体と意識。だがキーリはフィアを決して離さなかった。
直前にキーリは影をステファンの顔に纏わりつかせていた。ステファンの視界は奪われ、戸惑ったために腕に力が乗り切っていなかったのが幸いだった。
視界を完全に失ってステファンの動きが一度止まる。光神魔法を使って光球を放ち、破裂させた。光は城内を真っ白に染め上げ、影を瞬時に消滅させると城に色が戻る。しかしその時ステファンの見える範囲にキーリとフィアの姿は無かった。
ズシン、という如何にも重そうな足音を微かに耳に捉えながらもフィアはキーリの体を壁に預けた。
「キーリ」
頬を軽く叩きながら呼びかけるとキーリの眼に光が戻ってくる。殴られた肋よりも先に頭部に手を遣りながら軽く頭を振った。
「……どれだけ気を失ってた? ステファンは?」
「なに、ほんの少しだ。お前が時間を稼いでくれた間に辺境伯からは距離を取った。とはいえ、すぐに追いつかれるだろうがな」
「んじゃ……もうちょっち時間を稼がせてもらうか」
キーリが闇神魔法を唱え、二人の気配が消える。きっと今頃ステファンは戸惑っていることだろう。
ふぅ、と疲労感の篭った吐息が零れる。そして脇に手を遣るとグイと力を込め、骨が音を立てた。聞くだけで痛そうな音にフィアは顔をしかめ、歯を食いしばったキーリの口から大量の血が吐き出された。
「っ……! はぁ、ったく、俺じゃなかったら死んでたぜ」
「無茶をする……」
「それでお前が守れりゃ安いもんだ」
青白い顔のまま笑ったキーリのその言葉に、フィアの胸がドキリと跳ねた。頬が少し赤く染まり、しかしそれが特段の意図を持っていないとすぐに気づいて溜息が漏れた。
「どうしたよ?」
「いや……なんでもない。ただ厄介だなと思っただけだ」
「まぁなぁ……脳天突き刺しても、心臓ぶち抜いても死なねぇとはな」
先程の心臓よりも前に、二人は何とか苦労しながらステファンの脳を砕いた。キーリ自身の体を削りながらフィアが渾身の一撃を食らわせたのだが、通常の生物――モンスターであっても――なら死ぬはずのそれにもかかわらずステファンは健在だった。
腕を斬り裂いた時と同様に、すぐに肉が盛り上がり何事も無かったかのように回復。あれには言葉もない、と呆れて苦笑いしか出てこない。
「まるでお前みたいだな」
「俺はあそこまで人間辞めてねぇっての。流石に脳みそぶっ飛ばされたら死ぬわ。
……たぶん」
「そこは自信を持て。いや、持たないでいてくれた方が望ましいと言えばそうなのだが。
まあそこはどうでもいい。どうしたら辺境伯を」フィアは一度口ごもった。「……辺境伯を死なせてやれるか、だが……」
「頭もダメ、心臓もダメ。普通なら完全にお手上げなんだけどな。けど、まあ、どうすりゃいいかってのは大体見えてきた。つーよりも、もうそこしか考えられねぇんだけどな」
「ああ、試していないのは後一ヶ所――迷宮核、か……」
辺境伯が魔人と化した理由を考えれば当然の帰結だ。フランに強引に核の欠片を飲み込まされ、それが辺境伯を変質させ、かつ未だに膨大な量の魔素を内包している。恐らくはその魔素が無尽蔵とも思える回復力をもたらしているのだろう。
その仮説が正しいとすれば、体内に取り込まれた核を取り除きさえすればステファンは元に戻るかもしれない。仮に人間に戻る事はなくとも、回復力と魔力の源を失えば倒す見通しも出てくるというものだ。
「キーリ。確か前に核が膨大な魔素を撒き散らしているといったような事を言っていたな? 欠片となっても魔素を放出しているのであれば、お前であれば辺境伯の何処に核があるか分からないか?」
「分からなくもねぇな」ただ、とキーリは付け加えた。「あの体全体が魔素を循環してるみてぇな感じだからな。ボヤッとは分かるけど、高濃度の魔素と肉体で覆われてるせいでハッキリとした場所は断言できねぇ。一応、人間で言やぁ胃に当たる所らへんにあるってくらいは言えるけどな」
「それだけ分かれば十分だろう」
狙いは決まった。この期に及んで十分な作戦など無いが、どちらかが切り開いて中の核を取り除く。
「腹を掻っ捌いて手ぇ突っ込むなんざ、サイコパスかよって思わねぇでもねぇが……」
ここは外科医だとでも思ってやるしかない。キーリはそう腹をくくった。
「では早速、と行きたいところだが……状態はどうだ、キーリ?」
「いつでも、と言いてぇとこだけどな。できりゃもう少しお休み頂きてぇな。フィアの方はいいのか?」
「同じく万全だ、と私も言いたいが、ここまで魔力を使いすぎたという感はある。休んで疲労も多少は回復したが……」
「昨日から走りっぱなしだったからな。仕方ねぇ。のんびりしてる余裕はねぇけど、今のうちにとっておきのクルエ謹製回復薬でも――」
そう言いながら腰に下げた小袋にキーリは手を伸ばした。フィアもまたあの苦く苦しい薬を飲まねばならない事に情けない表情をし、溜息を吐いて袋に手を入れた。
その時、ぬぅっと巨大な影が二人に覆い被さった。
「っ!」
二人が振り向けば、ステファンが見下ろしていた。ジッとキーリ達がいる場所を見つめ、しかしそれ以上動こうとしない。
「……バレていない?」
「しっ! 声を出すな!」
小声でフィアを叱責し、冷や汗を流しながら身動ぎせずにキーリはステファンを見上げた。窓からの光で影となり、ステファンの表情は窺えない。ただ、赤い目が淡く光を発していた。
息が詰まるような時間。やがて、ステファンの双眸が細められ――
キーリと眼が合った。
「走れぇっ!!」
キーリは叫んだ。弾かれたように二人は飛び出し、その直後に二人が居た場所がステファンの腕で叩き潰された。
「■■■■っ、■■■、■■■っっっ――!!」
咆哮が轟き、その覇気に空気がビリビリと震えた。雄叫びを上げたステファンの周囲にはより一層の魔素が渦巻き、辺りの景色さえも歪めている。
走りながらキーリは振り返る。魔素が褐色の肉体へと吸い込まれていき、その色合いが濃くなっていく。肉体は更に肥大化し、城の高い天井でも支えて、直立しただけで破壊する程に大きくなる。三対六本の腕は更に数を増し、新たに四対八本となった。
「クソッタレが! また進化しやがった!」
「進化!? アレを進化と言うのか!?」
「厄介度が増したって意味じゃ進化だろうよ!!」
新たに増えたステファンの腕。その手のひらが開かれ、青い光を発し始めた。
「っ、これは……」
フィアは体を震わせた。いつの間にか吐く息は白く、気づけば辺りには白いガスが立ち込めている。
キーリはすぐに口元を覆った。それが何かしらの毒性を持っていると考えたからだ。だが、すぐにそれが間違いだと気づく。
「さ、寒い……」
ボロボロとなった壁も、穴だらけの床も、廊下に飾られていた装飾品も。何もかもが凍りついていた。空気中に含まれる水分が急速に冷やされて氷の結晶となり、それが白く視界を遮っていた。
冷え切った空気は二人の体温も急激に奪っていく。走りながら鼻から吸い込んだ息は痛く、露出した肌を撫でる風は今はカミソリの様。
そして。
「腕が……!」
前後に振る度に腕が凍りついていく。炎神魔法で熱して溶かすも、すぐにまた氷が薄くまとわりついていく。
「避けろっ!」
そちらに意識が向いていたフィアだったが、突然キーリによって押し倒された。反動を利用してキーリは反対側に倒れ、二人の間を氷の波が疾走り抜けた。波が通過した場所は切っ先の鋭い氷の針で覆われ、波は壁を這い登り、天井から巨大なつららを垂らして今にも落下してきそうだった。
床を凍らせながら疾走った氷の波はフィアの脚を掠めていた。ズボンを斬り裂き、痛みを堪えフィアがそこを押さえると血が手のひらを汚した。
「冷たい……?」
「フィア! このまま中にいるとまずい! 上に逃げるぞ!」
「あ、ああ」
キーリに手を引かれて立ち上がり、一歩遅れて彼を追いかける。ステファンはますますその体を巨大化させ、いよいよ天井を破壊しながら迫ってくる。それを肩越しに見ながら二人は階段を駆け登った。
踏みしめる度に氷が割れる音がする。分厚いブーツを履いているにもかかわらず足から頭に掛けて全身に氷水を流し込まれていっているように体が寒い。心臓が痛い。走って体が熱を発しているはずなのに、フィアは進めば進むほど体が凍りついていくような感覚を覚えていた。
「らああぁぁぁぁっっ!」
階段を登りきり、締め切られた扉をキーリは黒剣で十字に斬りつける。勢いそのままに扉を蹴破り、中とは一変して暖かい風が吹き付けてきた。
そこは屋上だった。すっかり傾いた夕陽が街を、城を、そして二人を茜色に染め上げていく。風は強いが、凍てつくような城内と違って温もりのあるそれが冷え切った体をゆっくり温めていくようだ。ホッとするような心地に、ついキーリの口が綻んだ。
「あれは……!」
小高い丘の上に作られた城の屋上はオーフェルスで最も高い位置にある。そのため街の全てが見下ろせるのだが、街の一角に黒山が存在している事にキーリは気がついた。
「ちっ、やっぱりかっ!」
領城のすぐ横にある高い壁。その中で黒山に見えているのは全てモンスター。加えて壁の内も外でもモンスターが現れている。幸いなのは、少しずつではあるがモンスターが迷宮内へと押し込まれていっていることか。どうやら、仲間達が上手く対処してくれているようだ。キーリは嬉しそうに口端を吊り上げた。
「ホント、頼りになる奴らだよ。なあ?」
「……そ、うだな……」
何気なくキーリはフィアに話を振り、しかし返ってきた声は途切れ途切れで力が無い。怪訝に思い、キーリは振り返った。
「フィア?」
フィアは震えていた。頬から赤みが消え、白磁のように白くなってしまっている。息は絶え絶えで荒い。立っているのもやっと、という様子だ。
「おい、どうした?」
血の気を失った唇が微かに震える。だがそれは空気を震わせる事無く、フィアは膝から崩れ落ちた。
「フィア!」
「さ、むい……」
彼女の体を抱き留め、キーリは息を呑んだ。いつもならばシャツ越しに彼女の少し高い体温が伝わってきているはずだった。しかし今、露出した彼女の腕に触れてもひどく冷たい。
まるで、死人の様に。
「くそっ! 幾らなんでも凍えるには早すぎんだろ!」
寒さに得手不得手はあれども、彼女の冷え切り具合は余りに異常。何か原因があるはず、とキーリはフィアの全身を検めていく。
「っ、これのせいか!」
フィアのふくらはぎの所に赤い氷が張り付いていた。それは先程フィアの足を掠めた魔法。傷口から流れていた血が白く凍りついており、キーリは急いでそれを払った。だが払った先から血が溢れ、それも瞬く間に凍ってしまう。
何故だ。不可解な事象にキーリは焦った。そして傷口を注視して気づく。この傷口を介してどこかと魔素が出入りしている事に。
「いったい何処から――」
魔素の流れを辿って顔を上げた時、屋上の出入り口である塔屋が突如爆ぜた。
土煙が立ち込め、塔屋の瓦礫をもろともせずにステファンがヌッと姿を見せていく。
「……やっぱテメェかよ」
魔素が流れ込む根本。それはステファンへと伸びていた。
迷宮内では核が魔素の流れを制御する役目を果たしているが、体内に取り込まれてもその役割は変わっていない。
炎神魔法を得意とするフィアの熱は魔素とともに取り出され、水神魔法を得意とするステファンから魔素が流れフィアを凍えさせていた。
それが彼が生み出した特殊な魔法なのか、それとも魔人化した事で新たに得た特性なのか分からない。キーリはフィアの首元に手をやって擦り、彼女の体を温めてやるがそれでは足りない。震えるフィアの姿に、キーリは下唇を噛んだ。
ステファンは屋上の縁にもたれかかるようにして座り込んでいる二人の姿を認め、更にその向こうにある迷宮の様子を見た。
まるで蜜に集る蟻のように群がるモンスターたちの群れ。ステファンの口からは唸り声と共に息が吐き出される。赤い眼が一度細められ、歯ぎしりのような音がした後で双眸が大きく見開かれた。
「■■■■■■、■■■っっ――!!」
オーフェルスの街中に咆哮が轟く。声は圧を持って空気を震わせ、同時に濃密な魔素を撒き散らしていく。
震えた空気の熱は奪われ、冷気を伴い街へ広がっていく。眼下の街並みが霜で白く染まり、茜の夕焼けに反射する様は平時であれば眼を奪われるほどに美しく幻想的だ。しかし冷たい暴風を間近で浴びるキーリにそんなものを観賞する余裕はない。
「う…あ……」
「しっかりしろっ! 寝るんじゃねぇぞ!」
フィアを庇うようにキーリが覆いかぶさるも、フィアの震えは一層強くなっていく。頑張れ、と励まし、自身の手のひらを温めながら彼女の腕や足を擦っていくが、先程の傷口の辺りに動かしたところで手に当たるものを感じた。
なんだ、と目を向け、キーリはゾッと体を震わせた。
フィアの脚は凍りついていた。傷口を中心にパキパキと音を立てながら氷が瞬く間に広がっていく。分厚いそれは、すでにフィアの片脚を覆い尽くそうとしていた。
「くそがっ!」
キーリは氷を溶かそうと、必死で炎神魔法を唱える。手のひらに熱を集め、氷に押し当てるが逆にキーリの熱の方が奪われていく。このままでは間に合わない。
「おい、フィア! お前炎神魔法得意だろ! さっさとこの氷を溶かせっ! でないと――」
「……えないんだ」
「あっ!? なんだって!?」
「使え、ないんだ……さっき、から眠、く、て……」
キーリの背に戦慄が走った。急いでフィアの全身を巡る魔素を観察し、呼吸が止まったような感覚に襲われた。
彼女に魔素は殆ど残されていなかった。胸の辺りから流れる魔素はほぼ流れを止めている。残った魔素も傷口から溢れ、彼女の体を覆っている氷の中に溶け込んでいっている。
「魔素切れ……!」
魔素が奪われすぎた。フィアを覆う氷は胸のあたりまで達していて、尚も上へ上へと伸びていく。呼吸は浅く、フィアの瞳から光が消えていく。
「死ぬ、と、いうの、は……こういうもの、なんだ、な……」
「ふざけんな! おい、フィア!」
「すま、ない……お前、ひと、りにして、しま……」
「おい、止めろ! フィア! 眼ぇ開けろ! 寝るな! 大丈夫だ! 俺が……! 俺が絶対に助けてやるからな!」
泣きそうな顔でキーリは必死で叫び、呼びかける。フィアは動かしづらそうにしながらも何とか微笑んでみせた。
「分かって……る、さ……父を……頼む……」
「馬鹿野郎! 親父さんはお前が助けるんだよ! 俺が、俺が助けるのは――」
涙が滲み、零れる。自分の腕の中で仲間が冷たくなっていく。大切な人が冷たくなっていく。その様は何と残酷か。何も出来ない悔しさが、大切な人を失う怖さが、絶望がキーリを震わせた。
その時、冷たい頬に柔らかい手のひらが触れた。剣を握り続けたせいで剣ダコが幾つもできているが、優しさを少しも損なっていない。フィアは見えていない眼を向け、ぎこちない動きでキーリの涙を拭った。
「ああ……お前は暖かい、な……」
「フィア……!」
「キーリ、私、は……お前が――」
最後まで言い切る事はできなかった。
キーリの頬に触れたままフィアの全身は氷に覆い尽くされてしまった。もう言葉を発することはない。優しい笑みを浮かべ、美しい氷像となって女神のようにキーリに微笑みかけるだけだ。
動くことはない。抱えた腕に伝わるのは氷の冷たさだけ。キーリはジッと彼女の顔を見つめ、壊してしまわぬようにそっと床に横たえた。
瑠璃色に染まり始めた空を見上げ、キーリは苦しそうに息を吐き出した。
「……ちょっと待ってろよ、フィア」
ゆらり、とキーリは立ち上がった。夕陽に伸びた影が嘲笑うように揺らいだ。その揺らぎは大きくなり、次第にキーリ自身の影よりもずっと大きく広がっていく。それに気づいたか、ステファンの咆哮は止み、感情の篭もらない眼差しを背に無遠慮にぶつけてくる。
強く噛み締めたキーリの奥歯が欠けた。
「――、――……!」
本能的にステファンは後退った。
振り返ったキーリの眼は黒く染まっていた。両眼から黒い涙を流し、深い憎悪を漲らせた瞳で大切なものを奪おうとする敵を射抜いた。足元から幾つもの影がうねりだし、赤黒い光を不気味に発していた。
狂化してしまったステファンが初めて戦闘の構えを取る。本能が察したのだ。自身の存在を明確に脅かすものだと、キーリを認めたのだ。
それに応えるようにしてキーリの両手は黒い剣を握りしめた。腹の奥底から湧き出るドス黒い感情を乗せ、かつての英雄へ言い放った。
「そこの英雄をぶち殺してくるからな――ッ!」
お読み頂き、ありがとうございました。
また次回も引き続きお付き合い宜しくお願い致します<(_ _)>




